複雑・ファジー小説

Re: 【第二幕】ケイオズミックス・ホラーズ【開幕】 ( No.19 )
日時: 2014/08/18 00:34
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: DgbJs1Nt)


1-2

*  *  *  *

 浴場での奇怪な出来事の翌日、彼は書庫へ篭り、この屋敷と自分の家族の過去を調べることにした。 件の不快な現象も、あの異様な音も、屋敷の中の誰一人として感じず、聞こえずという始末だったからだ。 歳若い主人へ嫌がらせで使用人たちが結託しているのかなどとも疑ったが、彼らとて馬鹿ではない。 彼がこの屋敷を捨ててしまえば、使用人たちが自らの首を切るようなものだ。
 そんな理由で、屋敷の隣へ立つ広大な書庫塔でそれらしい文献を漁っても、今までにそれらしい、いかがわしい事件も、不穏な出来事も特別見当たらなかった。 相等に古い祖先、未だ領主と呼ばれていた様な時代の日記まで出てきたが、その中にも取り留めるような出来事は書いていなかった。 勿論、農民たちの一揆だとか、領地で起きた犯罪だとか、そういう記録はあったのだが。
 どうにもおかしい。 勿論、感覚的な話だ。 確かに今までこのような屋敷で生活したことなどない。 それ故の緊張と言われればそうなのかも知れない。 だが、それはどうだろうか? 緊張だとすれば、何故この屋敷に来てから段々と酷くなっていくのか。 時間と共に何故あの不快な感覚が頻繁にやってくるのか? そしてあの音は?
 色々と思うところはあったが、まずは確実且つ安全で、体裁を損なわないことから検証しようと思った。 書斎の中は彼が見て回ったが、他の場所はどうか? 一度建築の専門家を呼ぼうと思った。 それで何も出なければ、いよいよ彼の思い込みと言うことか。 それなら病院にでも行って薬を貰って来ればいい。 何なら代々屋敷に居た祖父の主治医をまた呼べば良い。
 だがもしも、何も出ず、異常が無く、彼の勘違いでも無かったとしたら……? そんな事を考えると、ぞくり、と背骨が震えるような嫌な感覚を覚える。 だが、いつものあの不快感ではない。 いつも襲ってくるのはもっと執拗で、粘度があって……何と言うか、腐った野菜の汁みたいな感覚だ。 こんなに潔い寒気ではない。
 思い返すだけで嫌な汗が背中を流れるのを感じながら、彼はとりあえず宗教的、中でもとりわけカルト宗教や悪魔信仰の様な背徳な信奉に関する本を何冊か見繕い、足早に書庫塔を後にした。 何故か今、書庫塔には件の視線や足音よりも恐ろしい何かが潜んでいるような、そんな気がした。

*  *  *  *

 金銭的な余裕と言うのは偉大だ。 彼はそんな事をしみじみと思った。
 建築の知識などこれっぽっちも無い彼は、とりあえずリフォーム業者に電話を掛け、大まかに依頼内容を伝えた。 提示された金額はそこそこに高額だったが、それが相場に沿っているのであれ、吹っ掛けられたのであれ、彼にはその程度の出費と引き換えに安寧が得られるのであればどうでも良かった。 それ故に、何件も業者に問い合わせる手間は省かれた。
 病院や公共施設の点検やリフォームに携わったと言う業者の男は、電話で屋敷の間取りを聞いて大層驚いたが、彼としてはリフォームを頼むつもりなど無かったので、とりあえずは書斎と浴場と、それからその周辺の廊下や例の深いな視線を感じた箇所だけを見てもらうことにした。 その日のうちに業者の男がやってきた。 その日は下見だけと言うことで男は一人だった。

「大きなお屋敷ですね」

 ゴツゴツとした手で握手を求めながら、男は感心したように言った。 確かに屋敷は大きいし、その屋敷に住んでいた祖先たちは立派な人物だと彼は思っていた。 少なくとも日記を見た限りでは堅実で誠実な、善き人々だった。
 それでは、と断ってから、彼の案内で男は書斎の壁を叩いてみたり、廊下の床を何度か踏みしめてみたり、彼にはわからない何通りもの方法で屋敷の状態を確認した。 男は熱心で、充分に信用できると彼は思った。
 書斎の壁と廊下を終え、浴場を眺めながら、男はやや眉根を寄せて、それから浴場の上には何があるのか問いかけた。 勿論、問われた彼はわからずに、執事を呼ぶと、執事も分からないと答えた。
 いよいよ怪しい。
 男は上の階へ行って、すぐに戻ってきて、今度は脚立を運び込んで浴場の天井に触れた。 叩くと空洞の音がした。

「浴室の天井と、上の階の床の間に何か、隙間にしては大きい空間がありますね」

 そう言って男は彼の方を見たが、彼が何も言わないので先を続けた。

「上の床を剥がしてみるか、天井に穴を開けてみるか。 もしかしたら穴を開けなくても、どこか外せる場所があるかもしれませんから、探してみましょうか」

 男が辛抱強く素人にも分かるように話すのを聞きながら、彼はその空間に僅かな疑念を持った。 ここは浴場なのであって、その湿気を換気するとか、そういう目的ではないのか。

「この浴室の作りは中東の公衆浴場を模してましてね、恐らくですけど。 壁際の飾り窓が換気用の窓です、それに天井を見上げてごらんなさい。 換気扇なんかついていないでしょう」

 それを聞いて、彼は男に任せるべきだと感じた。 何をするにも、何を言うにも、彼には知識も経験も到底足りなかった。 男はもう一度上の階へ行って、暫くして戻ってくると、脚立を動かしながら辛抱強く天井を押して回った。 二十分ほどで、天井の一部がぽっかりと持ち上がった。
 男は懐中電灯でその開いた空間から中を覗き込んで、それから少しだけ残念そうに顔を戻した。

「元々あった浴室を改築されたんですかね? 換気扇の名残と言うか、中へ入ってじっくり見て見ないと分かりませんが、壁際にそれらしい物は見えます。」

 そう言った男を促して、男が天井裏へ消えると、彼は途端にその中を覗いてみたい衝動に駆られた。 恐る恐る脚立に足を掛けて上ると、天井裏には恐ろしく暗い空間が広がっていた。

「気をつけてくださいよ」

 男の声に頷いて、天井裏に這い上がると、そこは確かに広い空間だった。 壁際には確かに換気扇の残骸があり、床には照明用のコードや水道管が走り、その上に埃が積もっていた。 天井、つまり上階の床までは大人でも屈めば動き回れるほどの高さがあり、見上げれば確かにかつては照明が付いていたのであろう名残が見える。 浴場を作り変えた祖先が、何かの理由で浴場の天井を低くしたかったのだろうか。 その空間には闇と埃とかつての名残以外は、ネズミ一匹見つからなかった。 彼は少しだけ安心した。
 男は天井裏をぐるりと一周すると、天井の石板を元に戻して、気にならないのであれば改装の必要は無いと言った。 彼は安心し、男に礼を言ってまた何かあれば相談することにした。