複雑・ファジー小説
- Re: ケイオズミックス・ホラーズ【4話いちほ。】 ( No.6 )
- 日時: 2013/07/03 18:33
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: 6nOSsJSp)
1-4(6/4いちほ解禁)
* * * *
刑事の案内で弟の部屋へと入った私は、正直驚いた。
弟は元々きっちりとした性格で、実家の部屋はいつでも小綺麗に、かつ合理的に整えられていたものだ。 それが、全くそのままの様に部屋は整頓されている。同僚達が言うように気の触れた人間ではこうはならない。
キッチン周りも、クローゼットも女手があるかの様に整えられ、本棚に並ぶ本はどれも沢山付箋が挟まれ、一冊としてアルファベットの順を乱す本は無かった。 所々空いた隙間は警察が持っていった分だろう。 少なくとも弟は私の知っている通りの人間だったらしい。
「きっと博識な人だったんだろうな、弟さんは。」
そう言いながら本棚を眺める刑事に頷きながら、私も一緒になって本棚を眺める。
経済史、人体工学、心理学、動物図鑑、オカルト本、IT関係etc. どれもかなり専門的な物で、知識のない者が読んでも意味がわからなそうな代物ばかりだったが、それ以上に私は弟の遺言が気がかりだった。
弟は確かに本棚には触るなと言った。 本を持っていった警官に異変はなかったのだろうか。
それを読み取ったものか、刑事が呆れ気味な苦笑を拵える。
「おいおい、遺言の事を気にしてるのか? 確かに死ぬ人間の頼みを聞いてやれなかったのは悔いが残るが、刑事が信じるのは目の前の、若しくはそこに隠されている事実だけだよ。 ここから本を持ち出したのは俺だよ、俺は生きてるか?」
苦笑を深めながら、それでいて彼が彼なりにリラックスし始めた様子で笑う。 今の言葉が事実なら、私が恐れる事はもう何もなくなった。
確かに、刑事は生きている。 私は心底自分が間抜けに思えてなら無かった。
妙にすっきりとした、今までの人生で感じたことがないくらいに、強いて言うならばハイスクールの化学の試験中に20分格闘した問題が唐突に理解できた時と同じ程度にすっきりとした気分で、私は刑事に礼を言った。
刑事は頷いて、とても柔らかな表情で笑った。
「随分すっきりした顔になったな。 何かあったら電話をくれ。 それじゃあ。」
笑いながらそう言って、彼は戸へ向かう。 そして、そこをくぐる前に、何事か思い出したかのように踵を返した。
「弟さんの事じゃなくても、トラブルがあったら相談してくれ。 この町も随分治安は良くなったが、それでもバカな若者は多い。」
そう言って首もとを擦って見せる刑事に、私は曖昧に笑って見せる。 どうやら夢の中で化け物に締め上げられた痕は刑事にも見えるらしい。
とりあえずタイを締めたまま寝て寝違えたとか、子供みたいな言い訳をして、私は視線を本棚へ移した。
ただ刑事にこれ以上首の痕を追及されたくなかった訳ではない。 私はその本棚に少しだけ違和感を覚えていたのだ。 何かが足りない。 弟なら必ず持っているであろう決定的何かが。
刑事の「何かあれば何時でも電話してくれ。」と言う声と、彼が戸を潜る音を背後に聞きながら、私はその理性の奥に語り掛けてくる細やかな違和感の解決に取り組んだ。 そう、何かが足りないのだ。
* * * *
数日の間、私は忙しなく働いた。
不要な家財品の類いをあるものは売り、あるものは捨て、まだ使えそうな質の良い椅子や机は私の家に送り、残っているのは今私が座り込んでいるベッドと、問題の本棚だけだ。
実際に刑事が言うように家財道具の処分は中々に大変で、私は夢見る事もないぐらいに深い眠りに落ちていた。 少なくともここ数日は悪夢の片鱗さえ垣間見ることはない。
そうこうして、部屋に残ったのはベッドと本棚だけになったのだ。 勿論本棚を片付けていないのは弟の遺言のせいだし、ベッドは部屋が片付くまで私がここで使っている為なのだが、そろそろそれらにも片を付けなければならない。
正直、私は少し困っている。 それは本棚やベッドの始末についてではなく、弟が私に課した謎解きが一向に終らないことについてだ。
明日、本屋に出張査定と買い取りに来てもらう。 それまでに弟の残した謎を解かねばならない。 にも関わらず、私に解るのは『この本棚にはなにかが足りない。』と言うことだけだ。 刑事に警察が保管している物を確認しても、それらは全て弟の持っていそうな本ばかりだったし、それらを併せれば本棚に出来た虫食いは全て埋まった。 なのに、なにかが足りない。 私は特別何かに秀でているわけでもなければ、一般的なサラリーマンでしかないためこんな言い方しかできないが、その違和感は確かに私の直感や感覚に訴えかけてきた。
確かに、訴えかけてきた。
そう、その本棚は最初から訴えかけてきていたのだ。 足りないのは、本ではない、そこに本が並べられている本当の意味。 私の理解には、それが足りなかったのだ。
最前列に並べられた本、それらのタイトルの末端を繋げれば、1つの文章が出来上がった。 弟の「触っちゃいけない。」はこう言う意味だったのだ。
出来上がった文章は酷く端的だった。
「キッチン、棚、三段目、奥。」
それだけを読解して、私は自分が酷く興奮している事に気づいた。 弟の、兄の私から見ても頭脳明晰な弟の残した謎かけを、自分が解けた事に私はとても興奮していた。
そして指定の箇所を調べて、私はその棚の奥、恐らく内側は壁の中だろうと思われる部分が、そこだけ新しく張り替えられている事に気づいた。 器用で神経質な弟らしい丁寧な張り替えだったが、そこだけが酷く新しかった。
手を伸ばすと、何か固いものに触れた。 それは本だった。 本棚に足りなかった、真実が在った。
その本は酷く年季が入っていて、表紙に描かれた絵は殆ど磨耗してしまっている。 それでも、タイトルは辛うじて読めた。
読んで、私は悲鳴をあげた。 弟の残した謎の先に待っていたのは、余りにも美しく、余りにも狂気的な神秘の文字列、パリでは第二幕が公開禁止となった伝説の戯曲。
"黄衣の王"が在った、それが私の手の内に在った。
読んではならない。 生半可な興味と精神力、皆無と言って過言でない知識。 そんな人間が読んで良い部類のモノではない。 不毛な音の無い砂漠の星に幽閉された王の伝説は、そう言った矮小な人間の気を狂わせるぐらい何て事はない。 学んだつもりで、選ばれたつもりで、知識に溺れた、神秘に溺れた人間が、この本の前では累々と屍を晒しているのだ。 私には、重すぎる。
私の興奮は急速に褪めていった。 抜け落ちる様な感覚に近い。 漸くして辿り着いた弟の死の片鱗が、正しく手の届かない、病の詰まった開かずの箱に他ならなかったのだ。 興奮に入れ替わるように、やりきれない喪失感と不思議な安堵が私を充たした。 そうだ、この本の事を刑事に伝えなければ。
私は本を元の場所へ戻すと、ベッドに投げ出した携帯電話の元へゆるゆると戻り、刑事の番号をダイヤルした。
——目を閉じた記憶はない。