複雑・ファジー小説

Re: はきだめと方舟 [短篇集] 束縛的事情(Ⅱ) 閲覧注意 ( No.6 )
日時: 2014/02/09 20:29
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: HbGGbHNh)



 暗い暗い夜道の中、私が見つけた貴方は鋭い光を放っていた。憎しみに満ちたその表情は、全てを消してしまいたいと願っているようで、私は一瞬にして魅せられた。ぞくぞくとした背徳感とともに、私の隠れた欲望が競り上がる。


 ねえ、あなた。次は一体何を刺すつもり?


 ハッとして目を覚ますと、横には見慣れた恋人がいた。彼も私も一糸纏わぬ、生まれたままの姿。シーツに包まれた彼の厚い胸板に寄り添うようにして、私はまた目を閉じる。たまたま仕事の休みが被り、昨日からずっと一緒だった。
 所謂恋人同士で、結婚も視野に入れた交際。同棲して三年目が、今日。だから、敢えて休みを合わせた。


「……え?」


 胸板に頬をつけると、ぬちゃ、と聞きなれない音がした。眠りに付いたときと変わらない表情の、彼。不思議に思って胸板から頬を離すと、彼の胸から血がどくどくとあふれていた。
 昔見た、刑事が殉職するシーンを思い出す。発砲された弾丸を体に受け、一言叫んだあの有名なシーン。手で頬に触れる。ほんの少しだけ粘度のある血が、頬に触れた手を赤く彩った。


「ね、和馬。大丈夫? ねぇ、和馬ったら……返事してよ、和馬……」


 出した声はか細く、震える。突然のこと過ぎて、私は事態が飲み込めていないままだ。私は立ち上がり洗面所で手を洗う。爪の間に血は入っていなかったみたいで、少しだけ安心した。
濡れた手をタオルで拭き、急いで服を着に、部屋へ向かう。青いワンピースを着、携帯電話で『110』のボタンを押した。快活そうな男性に、先ほどまでのことを逐一詳しく告げた。

 自分でも驚くくらい冷静に事象を説明したが、そのことで変に疑われてしまったらどうしよう、という考えがよぎる。いいえ、そんなことないわ。自問自答をして、今更湧き上がってくる恐怖心に蓋をする。
 できる限り和馬のことを気にしないようにした。扉一枚隔てた向こう側に、亡くなった和馬が横たわっている。昨晩眠りに付いたときに、彼の胸には傷は一つもなかった。その胸に私は頬をつけて寝たのだから、この事実に間違いは無い。

 数分ほどして、家に警官達がやってきた。テレビドラマで見た鑑識も、実際にいた。私は部屋の中央にある小さなテーブルに座り、事情聴取を受ける。安い同情の言葉を何度か聞いた記憶しか、事情聴取をしても残らなかった。
憤慨とも失望ともいえる感情が、からっぽになった私の心を満たし始める。それもそうよね、と感じながら私は近くのスーパーまで買い物に来ていた。


 彼が大好きだったハンバーグを作ろう。

 そう思い立ったのは、事情聴取を受けている最中だった。彼との記念日に、私はハンバーグを作って彼を喜ばすつもりだったもの。挽肉や玉葱をカゴに入れて、レジで会計を済ませる。
 昼近くまで寝ていたから、色々なことが終わった今は夕方だった。冬場は直ぐに陽が落ちてしまって、外は真っ暗。私は持参したエコバックに品物をつめて、スーパーを出る。

 ひんやりとした外気に、肩を小さくしながら帰路を急いだ。出来るだけ早く。低いヒールをかんかんとコンクリートに打ちながら歩いていくと、ふと夢で見た情景を思い出した。


「ねぇ、君。次は一体何を刺すつもりだい?」

 
 聞こえた声は、夢とは違って男の子のものだった。夢で聞いた声は女性のもので、柔らかい声色。男の子の声は、まるで私を咎めるようなものだった。何をしたでも無い私を、憎しみのこもった声で咎めている。
 後ろを振り返ってみると、声の主らしい少年が私を睨んでいた。


「次は、一体何を刺すつもり?」


 あからさまに、私に対して憎悪を向ける。まったく意味の分からない私は、ただただ少年の言葉を聞いていた。これが夢と一緒なら、私は、私を見つめる鋭い視線に魅せられる。
 どうしてか分からないけれど、私は魅せられる。じっと視線を交わしていると、少年はまた口を開いた。


「一体何を刺すつもり?」


 その声はだんだんと苛立ちを覚え、私を見る視線も一層鋭さをます。瞬間、私はぞくりと背筋に鳥肌が立ったのを感じた。この少年に向けられる嫌悪が、とても心地いいと思う。いけない、そう思っても少年の声には、人を惹き付ける何かがあった。


「私が、何を刺すっていうのよ」


 やっとのことで出した声を聞き、少年は少し落胆した表情を見せた。何も覚えていないんだ、と言いたそうな悲しげな表情。呆れたように少年は、口を開く。


「何も刺さないつもりなの?」


 少々の間があってから、私は頷いた。少年は私に、殺しをしろと言っているのだろうか。少年を見れば、真面目な顔をし、私をじっと見る。私の行った決断は間違っていると、言いたいのかもしれない。


「貴方は、私に何を求めているのよ」
「薄汚れた背徳感と、それを伴うエクスタシーの代弁」


 呆然とした。何を言っているのか全く分からない。少年の声は、また深い憎しみを纏っている。全く分からない少年の気持ちに、私は嫌気が差し始めた。


「何が、言いたいのか分からないわ」

 
 そう言い、私は歩を進める。相手にしている時間などない。家に帰ってハンバーグを食べながら、彼を思い出さなくちゃ。食べ終わったら、彼の家族に、私の家族に連絡をしなくちゃいけないの。
 少年は、歩き出した私を追っては来なかった。少年の視線が、私の背中にぐっさりと刺さっていることしか、分からない。


「」


 少年の声らしき音は、言葉として認識できないまま空気の中に吸い込まれた。気にせず歩き続ける私は、小さな違和感に足を止めた。何だか、頭がくらくらとする。強すぎる快楽の波に拐われるときのような、甘美な朦朧感。
 そのまま、私はアスファルトの地面に突っ伏した。皮膚が擦れて、じんじんと痛む。それでもなお続く朦朧とした感覚がなんなのか、漸く知ることができた。


「次は、何を刺すつもりだい?」


 少年の声に、私は静かに目を閉じた。
 ゆったりとゆっくりと、一度瞬きをして。




 ■切っ先



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 鋭い感情は、気づかぬ内に自分をも飲み込んでしまっている。
 鈍い脳内は、気づかぬ振りで自分を守り続けてしまっている。

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親愛なる@伯爵に、言葉以上の感謝と喜びを込めて。
たろす@さんにいただいたお題『切っ先』より、『切っ先』。