複雑・ファジー小説

Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.10 )
日時: 2014/02/16 21:44
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: CDKgG8yT)



 ——また君は、僕を置いていくのかい?


 目の前で、姿見を使いながら着替える彼女を見つめながらふと思った。いつも僕は、彼女が出かけてから帰って来るまでをこの家で一人待つ。寂しいとは何度か思った。共に出掛けたいと何度も思ったが、仕方が無い、そう思って僕はもう口出しをしなくなったんだ。

 彼女もそうすることで楽になったみたいで、ドレッサーを持ち出し、すっぴんでも綺麗な顔に化粧を施していく。そんなことをして、今以上に綺麗になった姿を誰に見てもらうの? 僕以外の誰かに、彼女を見られたくは無かった。僕よりも近くで、彼女の顔を見ることは男として嫌なのだ。

 けれど彼女は、どうした事か何度も違う男を連れて帰ってくる。キスをして、ベッドにもぐり、朝になると二人が生まれた姿のまま目覚めのキスをする。
 それはもう通過儀礼のようなもので、僕にはただ見ていることしか出来ない。どうしようもなく歯痒いが、非力な僕は何もすることは出来ない現実がある。


「よしっ、今日もお化粧ばっちし!」


 口紅ののり具合を確認し、僕の目の前でドレッサーを片付ける。手に取った、白く美しいバッグを僕に見せ付けて「可愛いでしょ?」と無邪気に笑う君が、とても愛おしい。どうしようもない位可愛くて、抱きしめたい。けれどそれが叶わないと知っているから、僕は高望みはしなくなった。


 ——うん。とても可愛いと思う。


 笑顔を見せると、君は嬉しそうににっこりと笑った。やっぱり、彼女には笑顔が一番似合うのだ。その笑顔の全てを、僕は独占できるわけじゃないというのは知っている。彼女を愛しているのは僕だけじゃないのだろうから。けれど、彼女に対する愛情は僕が一番大きいのだ。
 それに気付かず彼女に近づく男たちは、きっと頭が可笑しいんだ。僕という存在を、まるでノケモノのように扱うのは有り得ない。


「それじゃ、行ってくるね」


 行ってらっしゃい、家の事は僕に任せていてよ。


 笑顔には笑顔で答える。これは僕の中の決め事だった。可愛らしい薄ピンクのパンプスを身につけ、重たそうな鉄の扉を彼女が開けるとまぶしい朝日が差し込んでくる。その光は僕のことを照らすから、可愛い彼女が逆光で見えなくなってしまう。
 だけど手を振ってくれたのは分かったから、心が温かくなった。一緒に寝てくれなくても一緒に出掛けなくても、十分だと感じた瞬間、僕は心が温かくなったんだ。


 ——君がいつかコンタクトをやめるまで、僕は待ってるよ。



■君に酔いしれて



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以前しあちさんのお題で書かせていただいた作品。
君に酔いしれて。
眼鏡。

しあちさんに、心からの感謝を込めて。