複雑・ファジー小説
- Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.17 )
- 日時: 2014/03/06 15:11
- 名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: 8bddVsaT)
小さな箱を壊すことは、幼い頃から良しとされずにいた。自分の意思で何かを暖めることも、覚ますことも、してはいけないと。幼い頃見た両親の顔は、今となれば思い返すことも億劫。
最新の記憶は両親のことを考えた、さっきの記憶だ。時計を見やり、小さく口元に弧を描く。直ぐそばの木製のローテーブルから、妖狐を模ったお面をつけた。目元を隠し、口元だけが露出している。
鈍く悲鳴を立てる床を、ゆっくりと歩く。穴を開けないように、というよりも誰かにその姿を見せ付けるように。着ている着流しを脱ぎ、面とは合わない燕尾服のような正装を着た。
そうして 、脱いだままの着流しを白い手袋をつけた手で持つ。部屋の隅に山積みされた、サイズが違う服たちの上に雑に置く。静かに、不釣合いなほど豪華な扉を開け、部屋を後にした。ギィ、と。ガチャン、と。何処ででも聞ける音を、背中に受ける。
新調し立ての革靴。皺を伸ばしたばかりの燕尾服。愛するあなたへの笑顔。全ての準備は、しっかりと出来ている。両腕を伸ばして、あなたを抱きしめる準備も、もう出来ている。数メートル先の扉を、笑顔を貼り付けたまま開けた。
扉の隙間から、少しずつ少しずつあなたの姿が分かる。伸びっぱなしの長い髪、その隙間から見える大きな瞳、骨と皮だけと形容できるほどの細い肢体。開いた扉の向こうから、あなたも此方をじっと見る。交わ った視線に、あなたは嬉しそうな顔をした。
ゆっくりと立ち上がり、あなたは私に近寄ってくる。黒い革の首輪が、月光を反射してキラリと光った。真っ白な肌が、月光で青白くうつる。私は優しい笑みを浮かべて、室内に入った。私にとって、夢と希望が沢山詰まった小さな箱に、最愛のあなたがいる。
それだけが全てで、それ以上は一つもない。そのことをあなたも分かっている。あなたのいた部屋には、文字や音は一つもなかった。あなたが純粋で、無垢なままで居るために、私が態々してあげたこと。
だからあなたは言葉を話さない。この世界を構築しているものの一つも、分からないでいる。ただ私の愛情を、あなたが只管に感じているだけ。それだけで私は満たされて、あなたも同じように満たされる。
それだけが全て。優しくあなたを抱きしめて、その恐ろしく軽い身体を浮かす。あなたは嬉しそうな笑顔になって、私の首にぎゅっと細い腕を巻きつけた。
北側に置かれた、大きな天蓋のある柔らかいベッドに、あなたをおろす。あなたの目にしっかりうつるように、私の右手を出す。そうして背を向け、部屋を後にした。歪みかけた弧を、元に戻すために。
「相変わらず趣味が悪いのね」
扉が閉まる音を背中に受けたのとほぼ同じタイミングで、聞き覚えのある女性の声がする。面を取って女性と視線を交える。
「ええ、と」
見覚えのない姿に、私は緩く笑んだ。女性は私を軽蔑するような目で、まじまじと見る。探る様な私の視線をも、女性は軽蔑しているようだった。そして女性は、口を開く。
「貴方が何処に居るのか、何年も探しましたよ。家を飛び出して一体何をしているかと思えば、また可笑しな世界に足を踏み入れているようね」
「貴女は?」
笑顔を変えず、静かに言う。女性は、眉間のしわを更に深く刻み、呆れたように言い放った。
「母親の顔も、忘れたのね」
大きな、ため息。
嗚呼そういえば聞き覚えがある。酷く陰鬱な世界にいたときに、背中によくぶつけられたもの。変わらないトーン。
「一体何をしに」
「貴方を連れ戻しに、態々来たのよ。へんな世界に入っているようだけれど、その部屋にいる子を出しなさい」
女性の視線の先は、私の背中の奥にある扉を見ていた。不機嫌そうな顔で、早くしろとでも言いたそうに。私は内で沸々と湧き上がる憎悪と嫌悪に、特別な懐かしさを感じていた。
「貴女に捨てられ続けた私の世界を、また、踏みにじると仰っているのですか」
気付けば笑顔は消えていた。幼い頃に大切に持っていた、小さな箱を思い出す。水槽のようなガラス張りの小さな箱。その中に大切に暖めていた、永遠に続く生の循環を。
ただ誰にも理解されることがなかっただけの私の世界は、とても簡単に壊された。私の大事な小さな箱を、重たい金属の棒で雑に壊す。飛びちる破片に傷を作った彼らは、キィキィと辛そうな声で鳴いていた。
嗚呼待ってと泣き叫ぼうが、彼らを助けようともがこうが、全ては無に帰された。まとめて火にくべて、毛が焼け肌が焦げる香りが、私の鼻に染み付いた。大きな悲鳴は、だんだん聞こえなくなる。焦げ臭いにおいも、なくなった。
残ったのは粉々の小さな箱と、夢をたらふく蓄えた彼らの小さな骨だけ。昇華された夢を掴むことは、確かに私には出来なかった。
「良しとされない小さな箱を作ることも、私の世界を暖めることも。私が目を覚まさない限り作るな、と仰っているんですか」
私の口調は、自虐のようにも感じられる。冷めた視線の女性は静かに「ええ」とだけ。そうして「早く連れて来なさい。貴方の作っているのは、ただの気味が悪い居場所だけよ」と。
そう言って女性は低いヒールをかんかんと鳴らし、私に近づいてくる。目的は私の後ろにある、重たい扉。女性が横に来たときに、私の身体は反射的に行動していた。女性の腕を掴み、力を込める。睨まれても、止めずに。
女性の腕を、私のほうへ引き寄せる。唐突なことにバランスを崩し、私のほうに倒れこんでくる女性の頬を、思い切り殴った。白い手袋が、女性のファンデーションの粉で少し汚れる。
力任せの行為で、女性は狭い廊下の壁にぶつかった。少し大きな音が鳴ったけれど、どうでもいい。
「昔壊された小さな箱の恨みは、忘れていませんよ。だから、気が狂ってしまいそうな、そんな部屋はもう作り終えているんです」
大切なあなたへ向けていた笑みを、女性に向ける。心底恐ろしそうな表情だけれど、私は一つも気にしない。昔の小さな箱のように、様々なものを入れて何年も何年も放っておいた部屋。大きくした小さな箱に、また新しく入れるものができたから。
女性の腕を掴み無理やりに立ち上がらせ、廊下を歩いていく。あなたにも教えたことが無い、私と、中に入れられたもの以外知らない部屋。部屋を二つに分けて、片方を水槽にした特別な場所。
「貴女もきっと好きになりますよ。小さな箱には、沢山ねずみが居て金魚が居て、蛇も蜘蛛も居ますから」
私の声は自分でも驚くくらい嬉々とした声色だった。新しい玩具を与えられた子どものような、そんな声色。
「小さな箱には、沢山の夢が詰まっていますから、寂しい気持ちにはならないと思いますよ。それでは、また数年後にお会いしましょう」
とある部屋の扉を開き、女性を隙間から室内へと入れる。扉が閉まる寸前に、断末魔のような悲鳴が私の耳を劈いた。扉が閉まるまで頭を下げていた私の口元は、弧を描く。
征服欲と支配欲が心を満たす。小さな箱の秩序を壊すことを、大人になって良しとした。自分の意思で暖めること、覚ますことも、良しとすることができた。
そしてまた、私は重たい扉を開けて、あなたに笑顔を見せる。あなたが純粋無垢で居続けるために。
■金魚は円周率を覚えることが出来るか?
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小さな箱が終わるように、確か円周率も割り切れる。
箱で愛でられる金魚に、永遠を生きることが出来るだろうか。
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たろす@さんの御題『金魚は円周率をおぼえることが出来るか?』をお借りしました。
有り難う御座いました。
掲載後の報告を、報告と代えさせていただきます。