複雑・ファジー小説

Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.19 )
日時: 2014/04/08 17:52
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: NnY0ylQj)


 からんからんと、氷売りが鳴いた。背中に大きな荷物を背負って、顔を俯かせながら。空は随分前から青色という概念を捨て、昔の書物に書かれた建物の一切も、今はもう見ることが出来ない。誰もこのことを不思議だと思わず、ただ流れる日々を当たり前だと思い、怠惰に過ごす日々があるだけだ。
 風にはためく着物の裾を眺めながら、私は煙管から口を離し、紫煙を吐き出す。誰に向けるわけでもない、悲愴と懐古を吐き出すように。私と同じように昔を悲しみ、今を嘆く人々はきっともう居ないだろうと思いながら、舗装されていないままの道を進む。

 一歩進むたびに、革のブーツの底が砂利と擦れ音が鳴る。それにまた、悲しさが増した。





■骨董屋の憂鬱は、


 静かに降り注ぐ雨の音を、煙管をふかしながら聞く。かび臭い骨董店は、その雨の所為で更にじめじめとし、かび臭さが増していた。ふかした紫煙も、何となく霧散することなく残っているような気がする。
 昨日も一昨日も客は来ず、その代わりなのか近所の野良猫が来店していた。今日も今日とて客は来ず、膝で寛ぐ野良猫とともにしとしとと降り続く雨を眺めていた。猫はどうやら私のことを気に入ったらしく、警戒もせず店内に入れば真っ先に私の元へとやってくる。


「雨は嫌いだなァ」


 右手で、左手の甲に彫られた曼珠沙華を優しく撫でた。手の甲から首にまで及ぶ長い長い刺青は、最愛の人を亡くした時に彫った自分への戒めでもあった。何時までもどんな時も、恋人の顔や名前の全てを忘れないように、と。その人が亡くなったのも、今日と同じ雨降る日であった。
 ため息の代わりに吐き出した紫煙が、時間をかけて霧散した頃に、店の入り口が開いた。からんからんと、音がする。


「全くひどい雨だよ。君の綺麗な朱金の髪も、くすんで見えるくらいひどく分厚い雲が空を覆ってる」


 琥珀色の髪についた水滴を払うように頭を振る。初見では性別の分からない訪問者は、私の良く知る商売仲間の生き人形師だった。澄んだ紅の大きな瞳が、私のことを見る。私は紫煙を吐く。それを見て、生き人形師はずかずかと店内に入ってきた。
 野良猫はそれが嫌だったのか、膝から下り、遠くの椅子へ移動する。生き人形師は猫を見て嬉しそうな表情を見せた。私はそれに緩く笑み、近くに座るように生き人形師に促し、私は煙管を置く。


「さっそく本題なんだけれど、骨董屋に頼みがあって」


 そう言い生き人形師は懐から、四つ折りにされた紙を取り出し私に見せた。私はそれを受け取り、目を見開く。内容はひどく簡単に、私の作り上げた今までを壊した。眉間に皺を寄せ、紙を細かく破り捨てる。机の上に散らばった紙片を見て、生き人形師は少し困ったように眉を傾けた。
 私は置いていた煙管に手を伸ばし、また、紫煙を吐き出す。深く刻まれた皺を見て、生き人形師は申し訳無さそうに口を開いた。私はそれを制し、静かに立ち上がる。小さな提灯の明るい光が滲んだ私の髪は、いっそう朱の色感が強まった。足元から這うように訪れる、確かな寒気。

 生き人形師は言葉を並べ、私に謝罪の名を借りた本音をぶつける。私はそれを聞き流し、まだ振り続ける雨を円状の窓越しに見た。雨降りの中歩く貴婦人達が、目に入る。足元にはねる泥水を気にしながらも、足早に屋根のあるほうへと向かっていた。
 流石に骨董屋には入りにくいのか、ちらりと店を見るものの、近寄ってくる人は誰も居ない。物好きや気違いだけが集まる場所として、有名だからだ。


「だから。私はやらねェと。返事はその紙を見りゃァ分かるだろゥ」


 紫煙を吐き出し、私の目つきの悪い瞳が、生き人形師を見る。生き人形師の感情が顔に出やすいことを知っている私は、目を細め、口元に笑みを浮かべた。暖かなものではなく、本人の気付かない癖を静かに嘲るようなもの。それに気付かない生き人形師は、ある意味では空気が読める人であり、ある意味では不憫な人であった。
 骨董屋は小さく何かを呟くが、自分以外にその言葉を耳にしたものはいない。


「なァ、生き人形師。私はしがない骨董屋の店主ってェだけだ。おめェさんと同じような仕事は、できねェなァ」


 紫煙を吐き出す。横目でちらりと生き人形師を見ると、口を一文字に結び、薄汚れた床に目を落としていた。驚き目を見開いた私に映ったのは、潤んだ生き人形師の紅の瞳だった。


「ちょっと待て、生き人形師。あんたァ何か勘違いしてねェか?」


 瞳を潤ませたまま顔をあげた生き人形師に、私は目を合わせ、固い朱金の髪をがしがしと掻く。昔から誰かに泣かれるのは弱い。相手の性別関係なく、私が何とかするべきだと考えてしまうあたり、まだ世間様に居続ける資格があるのだろうな、と考えてしまった。


「仕事はできねェが、力になってやれそうなこたァ手伝ってやる」


 煙管を口から離し、紫煙を吐く。


「やっと近くに来たらしくてなァ。また三日後、此処に来てみろ、おもしれェもんが、見れるぜ」

 そういい口角を僅かに上げ、窓の外を見た。雨は随分小降りになり、傘を差さずに歩く人たちがちらほらと出始めている。私は空をじっと見つめた。


「ほゥら生き人形師、さっさと手紙の送り主の所に戻ったらどうだ。今なら満ちた淡色が、おめェさんを連れてってくれるだろうぜ」


 生き人形師は私の言葉を聞いて、「はいっ」と元気良く返事をした。どれだけ理解をしているかは分からないが、それはそれでいいかと考え、また紫煙を吐き出し、生き人形師が来る前に座っていた椅子に腰掛ける。
 違う椅子に座っていた野良猫は当然の如く私の膝に乗り、ぐるぐると喉を鳴らした。からんからんと音が鳴ったのと、寸分違わぬ時分の出来事である。また紫煙を吐き出し、鼻腔一杯にかび臭い空気を吸い込んだ。



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 面倒な仕事を引き受けちまったなァ。
 猫の柔らかな毛に指を絡ませ、私は笑みを零した。

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ツイッターの診断メーカー『空想職業』で作成したキャラクタを基に。
#空想職業

キャラクタを下さった、日向さん、黒雪さん、結縁さん、リュウさんに心からの感謝を込めて。
続き物、【骨董屋の憂鬱は、】を完結まで見守ってくださればと思います。