複雑・ファジー小説

Re: 【初めまして!】ウェルリア王国物語〜眠れる華と紅い宝石〜 ( No.10 )
日時: 2013/11/13 11:39
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: c.0m5wa/)

【第一章 出会い編】
〜〜第三話:嘘つきの代償〜〜


「ところでお前、名前なんてーの?」
「へ?」

唐突にそう聞かれ、キリは思わず間の抜けた返事をしてしまった。
キリの反応に、アスカが訝しげに眉をひそめる。

歩き始めて約20分。
やっと沈黙を破ったのは、意外にもアスカであった。

「だから名前だよ、な・ま・え」
「あ、ああ……名前」
「別に、教えたくなければそれで良いけど」
「ち、違うわよ。そういうんじゃなくてえ」
「じゃあなんだよ」

ぶっきらぼうに言われ、キリはむっとむくれた。

別に教えたくないわけじゃない。
ただ言うタイミングを逃したから名乗るのが遅くなっただけだ。
何も、そんなぶっきらぼうに言う必要はないのではないか——。

キリは少し先を行くアスカに、小走りで追いついた。
ひたすら歩くことに集中しているアスカの横に並ぶと、自らもアスカの歩幅に合わせて歩き始める。
そうしてぴったりとアスカの横に張り付き、刹那、バッと勢いよくアスカの方に顔を向けると、

「……っ『キリ』。『キリ』よ。 私、ラプール島から来た『キリ』って言うの」

自分の名前を連呼した。
キリは、「これで文句はないでしょ」とでも言いたげにアスカの様子を伺う。

「ラプール島……」

アスカの表情が若干和らいだのは、気のせいであろうか。

「オレはアスカ。こっちは、シマフクロウのシィだ」

 目線は前を向いたまま、アスカは自分と相棒の自己紹介を終えた。
 そこでまたしばしの沈黙。
 
 シマフクロウのシィは「ホウ」と一鳴きし、大人しくアスカの肩の上で歩く際の振動に耐えている。

「………なあ」

沈黙になることに耐えられなくなってきたのか、またしても先にアスカが沈黙を破った。
キリは何事かと、アスカの方を向く。

「ラプール島から来たんだったらお前、……ウェルリア国には、詳しいのか」

——むっ。

キリは、突然の予想だもしない問いに、また反射的に頬を膨らませていた。

「詳しそうに、見える?」
「いいや」

即答で返されて、キリは更に頬を膨らませた。
キリは、スタスタと先を歩いていくアスカに言い返そうと大きく息を吸い——、

「これを見ろ」

不意にその言葉に遮られ、むくれているキリの目の前に翳されたのは、船上で配られていたあの『号外』であった。

「これ……」
「ウェルリア国内外に配られてるヤツ、だってよ。全く、こんなもんばら撒いて、何がしたいんだか」
「確か、王子がお城から逃げ出したんだってね」
「ああ。……みたいだな」
「王子様でも嫌になることって、あるんだねえ」
「まあな」
「そうだよね。王子様も、一人の人間だもんねえ」
「………」

アスカは黙りこくってそれを聞いていた。
シィが短く「ホウ」と鳴いた。


「……ねえ、アスカ、くん」

キリは石畳の隙間を目でなぞりながら、先ほどの会話でふと思ったことを口にした。

「なんだ」
「いや。………思ったんだけどさ、もしかしてアスカくんって、」

そこまで聞いて、先へ先へと足早に歩いていたアスカがピタリと立ち止まる。
アスカのこめかみから一筋の汗が流れたのを、キリは知る由もない。
無知なキリは、己の考えを目の前にいる張本人に話し出す。

「アスカくんってさ、」
「…………」
「もしかして、」
「な、……なんだよ。もったいぶらずに言えよ」
「王子様!(ここでアスカが反射的に胸を押さえる)……を、見つけ出そうとしてるでしょお! やっぱり賞金目当て? 違う? そうでしょ、そうでしょ!」

気負いしていたアスカは、危うく膝ががくんと崩れ落ちるところであった。

「ち・が・う」
「ええ〜。じゃ、なんで号外を私に見せたわけ〜?」
「えっ……。そ、それはだなあ……」

口を付きそうになる禁則事項。
アスカはコクリとつばを飲み込んで、その言葉を押しとどめた。
軽く咳払いをする。

「オレは、こんなモノに、興味は無い」
「興味ないのに私に号外を見せたの?」
「ぐっ……」

妙なところで鋭い女だ。
アスカは眉を顰めると、ぐっと息を飲んだ。

——落ち着け。

ゆっくり息を吸う。

——大丈夫だ。コイツになら、バレやしない。

「……ウェルリア国内は今現在、この話題でもちきりだ。街中には王子を探して様々な者たちが徘徊している。その異様な光景に、ラプール島から来たお前が慣れていないと思ってだな……。そ、そうだよ。うん。 そのことをお前にあんに伝えるために、オレはこの紙をお前に見せたんだ!」
「『暗に』って……。あんたが自分で言っちゃったら、『暗に』ならないじゃない」
「細かいことは気にするなっ!」

会話はあらぬ方向に進んでいるが、二人と一羽が向かう目的地には刻々と近づいていた。

キリは、今まで白を基調とした建物ばかりだった街並みが、徐々に色味を帯びていくのを感じていた。


++++++++++++++++++++


「さて、これから、ウェルリア国の城下町に入るぞ」

アスカは静かにそう呟くと、道の真ん中で立ち止まった。
そうして、マントに付いているフードをおもむろに深く被る。

「アスカ……?」

キリは突然のアスカの行動に疑問をぶつけようと口を開く。

そんなキリに、アスカは「待て」とでも言いたげに手を翳した。
そして、


「今から城下町だ。オレには一切話しかけるな。分かったな?」
「へっ?……わ、分かったわよう」

アスカはキリの返事にゆっくりと頷くと、また先ほどと同じようにスタスタと歩き出した。

++++++++++++++++++++

城下町は、やはりたくさんの人々で賑わっていた。
それでもいつも以上に熱気が渦巻いているのは、街の住人共が賞金目当てで王子を探し回っているからでもあるのか——。

城下町に入ってから、キリは一つだけ気になることがあった。
街の人々がキリたちを見て、ヒソヒソとなにか囁いているのである。
確かに傍から見れば、"異国の格好に短剣を提げている少女"と、"フードを目深に被ってフクロウを連れている少年"の二人組が"無言"で歩いている異様な組み合わせである。


(でも、なにも噂することないじゃないのよう……)


そう思ったキリであったが、アスカに言われたとおりに、ただひたすら無言で後について行っていた。

今から一体何処へ行くのか——キリには行き先も告げられていなかった。
今更ながら、こんな見知らぬ奇妙な少年についてきてしまったことに、キリは後悔を感じ始めていた。

しかし、このままリィのもとへ帰れるはずもない。
とにかく、ひたすら無言で、口をへの字に結んで、アスカの後を歩いていた。


———と。

突如、港の方から

Re: 【初めまして!】ウェルリア王国物語〜眠れる華と紅い宝石〜 ( No.11 )
日時: 2013/09/15 23:36
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: JcxyhtqZ)

ドーンと物凄い音が鳴り響いた。
港とウェルリア国を繋いでいる桟橋が、国王の命令で大砲によって破壊された音であった。
そうして次に、「王子がこの街に逃げ込んできたぞーっ!」という誰かの怒鳴る声が街中に響き渡った。
その言葉に、さっきまで平然と歩いていたアスカがピクリと反応を示す。

「ちっ。予想していたより、情報が回るのが早い、か」

ぼそりと呟いたかと思うと、振り向かずに、自分より少し後ろを歩いていたキリに声をかける。

「……走るぞ」
「へ?」

素早くシマフクロウのシィを空へ放すと、アスカは突然駆け出した。
この一瞬の出来事に「この街の名物はなんだろな」と考えていたお気楽思考のキリは瞬時に反応出来ていなかった。が、それでも反射的にアスカの後を追っていた。
息を荒げて走るキリ。
腰に提げている短剣のルビーが太陽に反射して、ギラリと鈍く光った。

++++++++++++++++++++

相変わらず街中は王子探しに勤しむ人々の様々な怒声や歓声が飛び交っていた。
外の世界とはうって変わって、今キリがいる「ここ」は不思議な空気感に包まれていた。

チッ……チッ……チッ……。

時計の音がやけに大きく聞こえる——。

それもそのはず。部屋の隅で大きな振り子時計が正確に時を刻んでいた。
そして、壁にも時計。その隣にも、時計。
———時計。時計。時計。
壁一面が時計で覆われていた。
鳩時計や絡繰り時計など、様々な種類の時計が置いてある。

キリは、今自分が身を置いている場所を正確に把握するために、ゆっくりと辺りを見回した。
キリのすぐ脇にある木製の長机の上には、カナヅチやのこぎりなどの工具が無造作に置かれていた。周囲には作りかけの時計がいくつか放置されている。

「ねえ。ここ、何?」

思わずキリはアスカに尋ねていた。
アスカは息を潜めながら明かり取りの小さな窓から外の様子を伺っていた。
その態勢を崩すことなく、アスカはキリの質問に答える。

「オレが唯一自由にできる場所、だ。……ここの爺さん、オレのこと、わかってくれてるし」
「はあ……。で、なんでこんなに時計があるわけ? ここの家の人って、時計マニアか何か?」

その言葉に思わずアスカは顔をしかめていた。
わからないのか、とでも言いたそうに、大きく溜め息を付いている。
そんな反応をされ、キリは大きく頬を膨らませた。

「なんなのよう」
「【時計店】だよ」
「時計、店……?」
「そ。ここの店の主人がオレの知り合いで……」

そうアスカが説明し始めた時だった。
今まで二人だけの空間であったこの部屋へ、突然介入者が現れた。

前ぶれもなくガチャリとドアが開き、

「————ッ?!」

バッとアスカが身を翻す。
キリも咄嗟とっさに腰から短剣を抜いた。
二人の間に緊張感が走る——。

しかし入ってきたのは、丸眼鏡をかけ、白いひげを蓄えた、白髪交じりの老人であった。推定年齢65歳くらい。
老人はキリたちを確認するために眼鏡を外して洋服の端でキュッキュッとレンズを拭くとおもむろに眼鏡をかけ直して、

「……ふむ」

キリとアスカを一瞥してから老人は二人との距離を少し詰めると、腕を組んだ。
そして、

「はて? 誰じゃったかなあ、お前さん方は……。アキラじゃったかの。ん。……いや、ルキア、……ああ、オスカルっ!!」
「アスカ」

じっとりとした目で老人を見据えるアスカに、キリは拍子抜けしたように肩をすくめた。
心配することはない。
どうやら、アスカの知り合いのようである。

老人はアスカの言葉に大きく頷くと、ポンッと手を打った。

「そうじゃったそうじゃった!いやあ、この歳になるとやはり記憶能力が衰えてくるのお」
「毎回のようにやりあっている気がするんだが」
「いい加減覚えろ、と? ハッハッハ。大丈夫。これだけは忘れてないぞ。お前がウェルリア国王の息子で第一おう……」

『王子』と言い終わらないうちに、アスカは老人の口を塞ぎにかかっていた。
モゴモゴとなにか言いたそうにしている老人に向かって、

「やだなあ、なあにボケてんだよ爺さん。アハハハ。その設定は前にウェルリア国王ごっこをした時のヤツじゃんかよお。 全く、相変わらずボケてやがるんだから! アハハハ」

アスカの手の下で「本当のことじゃろが」と老人が呟いたが、キリには聞こえなかったらしい。
なるほど納得としきりに頷いていた。

キリの様子にひとまず安心したアスカは、ひきつっている顔に、無理矢理笑みを浮かべた。

++++++++++++++++++++

店の外で、また、ドーンという大砲の音が響いた。

老人は塞がれていた口がやっと開放され、アスカの隣りで大袈裟にむせ返っていた。
アスカはそんな様子をじっとりとした目で見つめ、「自業自得だ」とぼやく。
そんな様子を蚊帳の外で見ていたキリは、「そう言えば」と切り出した。

「ところで、お爺さんって、何者なの?」
「わしか?」

キリは頷いた。

「答えようぞ。わしは、この時計店ので時計を作っとるんじゃ。一般的に時計職人と言われとる職業じゃの。で、この店の主人でもある」
「トケイショクニン……」
「そうじゃ。そしてわしの名前は……!」

そこまで言って、老人は首を捻った。
何か不具合でもあったのだろうか。

「あの、……どうしたの? お爺さん」

キョトンとした表情でキリはそんな老人を見据える。
老人はしきりに腕を組み替えている。

「はて……。おいアスカ。わしの名前教えてくれ。覚えとるじゃろ」
「はあ?!」
「いやはや自分の名前まで忘れてしもうたわい。ハッハッハ。いやあ、年寄りは辛い辛い」

辛い辛いと言いながら頭を掻いている老人だが、その表情は底抜けに明るかった。
それに反比例して、アスカの表情は苦虫を噛み潰したようである。

「おい。自分の名前を忘れるなんて、よっぽどだぞ」
「そうじゃな。なら仕方がない。わしのことは『オスカル』と呼んでくれ。今日からわしは『オスカル』! これで一件落着じゃ。ハッハッハ」

豪快に笑う老人の隣でアスカは頭を抱えた。
そうして、その笑いを遮るようにしてキリに言う。

「この爺さんは『クラーウ』って言うんだ。ほら、この店の表に『クラーウ時計店』って看板が掲げてあるだろ」
「おー、そうじゃったな。そう。それがわしの名前じゃ」
「爺さんが自分で店の名前付けたんじゃなかったっけか」
「そんな昔のことなど、忘れたわい」
「都合の良い頭だな、ったく」

キリは一連のやり取りを見て、

「二人って、……とっても、仲が良いんだね」

「どこが!」
「そうじゃろう、そうじゃろう。ガッハッハ」
「なに肯定してるんだよ!」

いつまでたっても終わらないやり取りを聞いてか、机の上で毛繕けづくろいをしていたフクロウのシィが呆れたように「ホウ」と一鳴きした。





「で?お前さんたちは一体何しにこの老いぼれのところへ来たんだ、ん?アスカ。……はっ。お主まさか………突然女の子連れてきたしっ………駆け落ちかっ!」
「違うっ!」

アスカは断固否定的な響きを込めてビシッとそう言い放つと、キリを指さした。

「そいつが!……その、困ってるから。爺さんなら、直してくれるだろうって……な!」

同意を求められ、キリは慌てて頷いた。
そして、握り締めていた小箱をクラーウ氏に渡す。
クラーウはそれを受け取りながらアスカに向かって可愛く舌を出す。

「なーんてな。駆け落ちってのは、ちょっとした茶目っ気じゃ。(ここでアスカが一言、「可愛くない」。ぼそりとだが、鋭く言い放つ)……それにしてもなんじゃ、この箱は。ぺしゃんこじゃないかい」
「ここに来るまでに色々あったんだ。……いや、そんなことはいい。率直に言う。爺さんにその中身を直して欲しいんだ」

アスカの言葉を聞きながら小箱の蓋を力任せに開けて中身を確認したクラーウは、即答していた。

「無理じゃ!」

【第一章 出会い編】 第三話:嘘つきの代償 ( No.12 )
日時: 2013/09/24 01:41
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: DboXPOuE)

「なんだと!」
「いくらお前さんの頼みでもなあ……。見たところ、こぶしほどの水晶玉のようじゃが……なんじゃこれは。粉々ではないか」
「それでも!……直して、欲しいんだ」

一連のやり取りを聞いていたキリは、第三者の意見として、流石にこれは直すすべはないと実感していた。しかし、直してもらわないとリィの元へ戻れないと考えたキリは、食い下がるアスカの横に並んで、身を乗り出した。

「無理なことは分かってるんだけど、……お爺さん、お願い。直せませんか……?大事な、本当に、大事なものなんです」

切羽詰まった表情でそう言われ、クラーウは苦笑した。

——そんな顔されたら、断るに断れんじゃろうが。 全く……。

「………まあ、やってみるだけやってみることにしよう。アスカの頼みを聞かんと死刑になってしまうからな、ガッハッハ!………なあに。そんな顔をするな、アスカ。わしも一介の時計職人じゃ。クオーツ時計と言ってな、水晶を扱うこともあるんじゃよ。………よし。まずは大きな破片をくっつける作業からやってみるかの」

ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。
突然クラーウがアスカに向かって「隠れろ」と合図を送った。

「誰かやってくるぞ、アスカ」
「なにっ……?!」
「………へ?」

呆然とその場につっ立っていたキリは、表のドアが開くとほぼ同時に、ぐいっとアスカに手首を引っ掴まれていた。そして、訳のわからぬまま店の物置部屋に引き込まれていた。

チリ——ン。

店の表側にあるドアのベルが軽やかに鳴り、一人の青年が入って来た。
砂よけのマントを纏い、フードをおもむろに被っている青年の表情は、よく分からなかった。しかし、その下に隠れている整った顔には人懐っこい笑みが浮かんでいる。

「こんにちは。クラーウのお爺さん」

フードをとって丁寧にお辞儀をする青年。
クラーウ氏は「ああ」と無愛想に返事をした。
ほのぼのとした雰囲気を纏った青年は笑顔のまま机越しにクラーウを見据えると、店の外を指す。

「外の騒ぎ、見ました?」
「王子がこの街に逃げてきたんじゃろ」
「そうなんですよ。いやあ、よくご存知で。しかし吃驚しましたよー。国王の命令で城下町に通じる道は全て塞がれるし港の桟橋は落とされるし、……ああ、そういえばここに来るまでにも兵隊さんたちが家探しをしてたのも見ましたよー」


キリ達は音を立てないように細心の注意を払いながら、物置部屋の奥へと移動した。物置と言っても5帖ほどのスペースで、子供2人が余裕で過ごせる場所があった。物も余りに置かれておらず、そこまで窮屈な思いをすることはない。
青年の話を物置の扉越しに聞きながら、キリは、国王がよっぽどの親馬鹿なのだと一人勝手に納得していた。
たかが自分の子供のために街の橋まで落とすなどという強行に走るとは……。
そう思いながらアスカを振り返ると、アスカは物置の隅の方に身を寄せていた。その表情は恐怖に満ち満ちている。

「………アスカ?」

薄い扉を一枚隔てた向こう側では、未だにクラーウ氏と青年が会話を続けている。
キリは、恐怖に震える唇でアスカがぼそりとこう呟くのを、はっきりと耳にしていた。

「あいつは……確か……」


「なに?アスカ、知ってる人?」
「………」

いきなりどうしたんだろう、とキリは思った。
アスカのこの反応。もしやこの青年は、アスカとなんらかの関係がある人物なのか——?
けれど、だったら何故こんなに焦っているのだろう……。


キリの心配をよそに、アスカは額から冷や汗を流しながらじっと押し黙って物置部屋の扉に耳をくっつけていた。キリも真似して扉に耳を張り付ける。



キリとアスカの耳に、店内での会話が、聞こえてきた。





「クラーウのお爺さんとこには、兵隊さんたち、まだ来ていないみたいですね」

青年は店内を見回しながらそのような言葉を吐く。


「………」

クラーウは黙って青年を見据えている。
訝しんだ目つきで。


「嫌だなあ。そんなに警戒しないでくださいよう。怪しい者じゃないですよー。僕は只のしがない研究員ですって。ホラ」

マントを託し上げて、その下に着ている白衣を見せる青年。

「って言っても信じられないのが人間のさが、ですけどねえ……」
「さっき、兵隊が家探しをしていると言っていたな」
「ああ、そうですね。いやあ、なんでも王子様はウェルリア国城下町に逃げてきたという話で……。兵隊さんたちは家の中に王子様を匿っている可能性があると踏んで、一軒一軒見て回っているそうです」

「けどですね、」と一呼吸置いて、青年はにこやかに続ける。

「『王子を匿う』なんてことをしたらどんな目にあうか国民たちは知っているでしょうから、僕は国民の皆さんが王子を匿っている可能性は『ない』と思ってますけどね」

にっこり、と。
青年はクラーウを一瞥すると、近くの椅子に腰をおろした。

「ところで、一つお聞きしたいことがあるのですが、……よろしいですか?」
「なんじゃ」

ひっきりなしに首を傾げている青年に、クラーウは顔色一つ変えず答える。

「店内に入った時から思ってたんですけど、このお店、……お爺さんの他にも『誰か』いますよね」

青年のこの言葉にキリとアスカは思わずビクッと肩を震わせた。
対してクラーウ氏は、あくまで平然と対応する。

「いや。誰もいないが」
「あれえ、そうですか。んー。おっかしいなあ……」

首を捻りながら青年は一直線に、キリとアスカが身を潜めている物置部屋の前まで歩いていった。



「ほら。ここから息遣いが聞こえて来るでしょ?」


キリとアスカは反射的にお互いの口を押さえ合っていた。心臓はもう割れそうなほどバクバクと鳴っている。
ここでようやくクラーウの表情にも焦りが現れる。

「………何も聴こえんが」
「だとしたら余計におかしいですよ。……そうですねえ。この息遣いの感じだと、………ちょうど王子と同世代の子供が二人、……ですかね?」

「…………」


時計店内の空気が音を立てて凍りついた気がした。
目を見開いて青年を直視しているクラーウに、青年はにこやかに言う。


「あ、その顔だと図星ですね。ははあ。やはりあの王子がこの店を出入りしていたという噂は本当でしたか。って、その噂を流した当の本人は、この僕ですけど」


何が可笑しいのやら、青年はそう言って笑った。


「あんた、何者じゃ……?」

クラーウの言葉に、青年は一瞬ぽかんとした間の抜けた顔をしたが、またすぐに穏やかな表情を浮かべた。


「ただの研究員、ですよ」





——ただの研究員がこんな芸当、出来るもんか。


物置部屋のキリとアスカは先程よりも更に息を潜め、事の成り行きを見守るしかなかった。