複雑・ファジー小説

Re: 【最新話更新】ウェルリア王国物語-紅い遺志-【銀賞受賞】 ( No.189 )
日時: 2014/05/01 12:13
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: R.nHzohl)

【最終章 終焉編】
〜〜第四話:終幕〜〜

「私はね、」

薄暗く湿った隠し通路に立ちすくんだまま、キリたちは黙って目の前の女性の言葉に耳を傾けていた。
腕を組んで、女性は唇を濡らす。

「ファーン家の使用人の娘でありながら、イズミやアリスと同じようにレーゼに可愛がってもらっていたわ。それこそ、実の娘のようにね……」

そう言うリィの視線は、どこか懐かしげに、ある一点をじっととらえていた。
まるでそこに、幼き日の自分とレーゼたちの姿を見透かすかのように。

「そして、呪術師暗殺事件の前の日、……私はレーゼに全てを託された」

3人の中じゃ、私が一番年上だったしね。リィはそう言葉を添えると、イズミとウィンクもといアリスの顔を見比べた。
ウィンクは目を見開いて、どういうことかとイズミに答えを求めていた。
しかしイズミはそれに答えるどころかウィンクと顔も合わせずに、ただ黙ってウィンクに突き刺さるような視線を向ける。
リィは独壇場で話を続ける。

「そして、私達は3人でウェルリアの城下町で生活していたんだけれど……私は、城にいる両親のことが気になっていたの」
「…………」
「……そう、両親に黙って出てきちゃってたのよね、私。ファーン家の使用人として仕えていた両親に『殺されるからお城から逃げ出したい』って言っても、それは国王たちに忠誠を誓った使用人のすることじゃないって言われて反対されるに決まっていたから、両親に黙って城を出てきたのだけど。……けれど、呪術師はあのあとすぐに、予言通りに暗殺されて、そのあとも国家に対する暴動がどんどん加速していって……。私、怖くなった。だからすぐに親の安否を確かめに城に向かったんだけど、……その途中で……」

そこまでせき切るように話していたリィが、うっ、とえづいて口元を押さえた。どうやら思い出したくない記憶を呼び起こしてしまったらしい。

「……その前後の記憶が、ショックで無いんだけどね……」

その時、何があったのかは、ここにいる人間には全く見当もつかなかったが、リィの様子からして相当な出来事があったのだと推測出来る。
息を呑んで、リィは再度、話し始めた。

「気がついたら、ラプール島に流れついていたの」

それから、ラプール島民に温かく迎えられたリィは、記憶喪失のまま2年少しを【カノン】ではなく【リィ】として過ごしていたという。
そんな折、ウェルリア王国全域を巻きこんだ大規模クーデターが起こった。
これが後に【ウェルリア大革命】と呼ばれる、ウェルリア歴史史上後にも先にも無いであろう史上最悪の出来事である。
リィはその事件をきっかけに徐々に、自分は何者であるのか、などの、失われていた記憶を取り戻していた。
そして、ちょうどその頃、リィのもとに1人の家族が増えた。
海に流れついていた木の箱舟に入っていた赤ん坊——。

「そう、キリ、貴女よ」

神妙な面持ちで聞いているキリに、リィが柔和な微笑みを放つ。
しかしその顔は瞬時にかげった。

「けれど私は、貴女と出会ったことによって、失われていた残りの記憶を全て取り戻すことになった」
「それって……」
「どういう、ことですか」
「アリスさんにイズミくんも気になる? しょうがないわねえ……おしえてあげるわよ」

優しい口調だが、その瞳は凍てつくように冷めきっていた。

「箱舟の中には守護のためにか、短剣が入っていたの。……そう、その紅い宝石のはめ込まれている短剣よ。気になって調べたら、なんだったと思う? その短剣は【代々ファーン家に受け継がれる守護剣】なんですって。そしてその装飾から、私はある手がかりを掴んだわ。この赤ん坊は、ファーン家の血筋の者なんだと。そして自分は、それに関係していたんだってことを」
「え……?」

一瞬、空間に静寂が訪れた。
何者も、その空気に身じろぎが出来ないでいる。
すぅっ……という、リィの呼吸音がやけに大きく聞こえる。

「キリ。あなたはね、【ファーン家の王女様】なのよ。ファーン八世の娘、キリ=マルカート=ファーン」





Re: 【最新話更新】ウェルリア王国物語-紅い遺志-【銀賞受賞】 ( No.190 )
日時: 2014/05/02 16:58
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: R.nHzohl)

「え……私がファーン家の……末裔……?」

「きっと国王様か皇后様が箱舟に乗せて自室の高い塔の窓から必死になって逃したのね。愛娘を助け出したい一心で……」
「あっ……」

刹那、イズミは思わず声を発していた。
今の話の中で思い当たる節があった。
キリが塔から飛び降りた瞬間に偏頭痛がしたという——それは、赤ん坊の頃の体験を身体が覚えていたということか。
それに今思い返せば、キリと初めて出会った時のこと……確かあの時、イズミがレーゼの水晶玉の破片を手にして、そこからほとばしった一筋の赤い光を頼りにキリたちを見つけたのだった。
あれは、水晶玉と短剣の紅い宝石が共鳴していたといえる。

とすれば、どうだ。


イズミは息を呑んだ。

——あの短剣が【ファーン家の守護】と言われている理由は、もしやそこにあるのではないか。
レーゼという呪術師はファーン家に仕える者だ。
呪術師レーゼがファーン家の者たちが何処にいても居場所が特定出来るように、短剣に紅い宝石を埋め込んで、水晶玉でその居場所を探し出して安全を確認していた——いわばあの短剣は、発信器のような役割をはたしていたということか。


「つまりね」

呟くリィの唇が、ゆっくりと歪んでいく。

「そういうことよ、キリ」
「ワタシ……は……ファーン家の生き残り……で……」

「うわああああっ……!」


どこかしらか。

突然、そのように大きな怒号が轟き——。


はっと視線を上げたキリが見たものは、自分に向かってくる1人のウェルリア兵士の姿であった。

何故かその手には、白熱灯を受けて鋭く光る剣が強く握りしめられていた。

「ファーン家の奴らは、……ウェルリア王国の、敵なんだ……! 滅亡させたはずなのに。お前らは×××だぞ……!」


喉が割れそうなほどに叫びながら——。

男性は、剣を振りかざして、自分に向かってものすごい勢いで駆け寄ってくる。

「ファーンの野朗は、×××……!」

そのような汚い言葉を吐いて。


けれど、キリは今、自分の身に何が起きているのか、全くもって理解出来ていなかった。

まるで、白昼夢を見ているようだった。

何が起こっているのか。
何が……。


世界がゆっくりと動いている感覚……。


「キリさんっ……!」

イズミの声で我に返ったキリは、そこでやっと自分が「殺されるんだ」と気づいた。



Re: 【最新話更新】ウェルリア王国物語-紅い遺志-【銀賞受賞】 ( No.191 )
日時: 2014/05/02 16:43
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: R.nHzohl)



——時すでに遅し。

ふっと取り戻した意識のすぐ先に、男性の歪んだ表情が見えた。

『————!』

更に、間近で何か叫ばれたが、キリには聞き取れなかった。
恐怖のため、すでに視覚・思考・聴覚の全てを切り離していた。

周囲の人間が止めるすべは、もはや無いに等しかった。
それほどまでに、この兵士の動きは衝動的且つ機敏であった。


ウェルリア兵がヒュンッと音を立てて剣を振り切る。

瞬間、キリの身体にドンッと強い衝撃がのしかかり、キリの身体は後ろの方へ吹っ飛ばされていた。

誰かの悲鳴が耳をかすめた。

しばらく、キリの身体は痺れて動けなかった。
重たかった、何もかもが。
先程リィから告げられた己の正体も然り、何かに押し潰されたように、肺が痛く重苦しかった。
これが『死』というものなのか。
『死』してなお、痛覚というものは果たして存在するのだろうか。
キリの脳内で、白と黒のフラッシュが点滅する。
呼吸が浅い——。苦しい——。
けれど、息を吸おうとしても上手く吸えなかった。

それが、自分の上に何かが乗っかっているせいだと気づいた時、キリは言わずもがな、言葉を失っていた。

目の前に折り重なるように仰向けに倒れていたのは、紛れもない、リィその人であった。
呼吸が浅く、速い。
何かを求めるように左手が宙を彷徨っている。
右手は、切りつけられた胸元の血を止めようとしているのか自身によって強く押し当てられているが、溢れる鮮血は止まるどころかみるみるうちにリィの白い手を紅く染めていった。
細いスリットの入った紅い民族衣装も、どす黒く染まってゆく。
一目見て、誰もがリィの命の果てを悟った。
もうこの人は長くない。
助け出すすべもない。
けれども——。
こうなってしまったそもそもの原因は——。





「うわああああああ!」



絶叫が木霊した。

カランと乾いた音を立ててその手から剣が滑り落ちる。
復讐心に駆られてキリを殺そうとしたウェルリア兵士であった。

「お、おれは……ふ、ファーン家の奴が生きてたから……殺さないと、いけなくて……さ……」

青白い顔に、大量の汗が浮かんでいる。

「ハハハ……おれのせいじゃ、無いんだよ。おれは【正義】なんだよ。正しいんだっ……! ……ただ、こいつが勝手に、飛び出してくるから悪いんだよ……見ろよ、死んじまうぞ……ハハハハ……」
「っ…………!」
「お前……は……!」

「なにがっ……【正義】だよ……っ!」

刹那、誰もがその声に振り返っていた。
そもそもこの場に居合わせる原因になった人物が……。

「アスカ王子……!」

突然、どこからともなく声が上がった。
アスカはにこりと微笑んだつもりなのか、腫れ上がった顔から表情の区別は付き難かった。

「ご無事、だったんですね」

ホッとしたイズミの表情は、つかの間、険しいものになっていた。

「…………王子」
「……ああ」

アスカが無言でリィに歩み寄る中、加害者である兵士は、ヨハンたちによって拘束されていた。

「リィさん」

アスカはそう言って、キリの上に仰向けに倒れて浅い呼吸を繰り返しているリィを見下ろした。

アスカ王子か鬼畜な件…^_^; ( No.192 )
日時: 2014/05/03 09:01
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: R.nHzohl)


リィは弱々しい笑みを浮かべている。
キリをちらりと見やると、未だ状況が把握出来ていないのか、目を見開いてその場に硬直していた。

「リィさん。あんたは、ズルい人だ」

リィは少し首をかしげる。
そうね、とでも言うように。

「あれだけのことをして、娘同然のキリを巻き込んで、……かと思えば、キリの命が危険に晒されれば、己の身を呈してかばう……」
「キリは、王女さまだもの。私は、……その使用人の、娘、よ。王女さまの命をお守りするのは、当然だし……それに……」

言葉を切って、リィは微かに微笑んだ。
 
『それに——。キリは、   』



「ふうん」

アスカは息を漏らした。

「あれだけ私利私欲で周囲を惑わせておいて、……か。……ところで、あんたのお仲間さんはどうした」

そもそもアスカが監禁場所から逃げ出せたのは、反政府軍の見張りがいなくなったからなのだが、何故あれだけ自分を拷問していた者達全員が監禁場所からいなくなったのか、その理由がアスカには分からなかった。

「あの人たちは、お城へ行ったわ」

リィの言葉に、それまで黙って会話の行く末を見守っていた兵士たちは刹那、ざわめいていた。
城が襲撃される——誰しもが頭にそのようなことを思い描いた。
だが——。
  
「……オレもバカじゃないけどさ。たかが数人の団体さんだろ? オレ1人ならまだしも……相手は兵隊だぞ。武装したとしても、まさか、それに勝とうだなんて奴ら……」
「まさか。私もあのお城を落とせるだなんて舐めたこと思ってないわ。思ってるとしたら、……彼らだけ、かしらね」

アスカの表情が歪む。

「リィさん……。一体、奴らに何を吹き込んだんだ——」

——聞きたい? 
リィは首をかしげると、うっすらと笑みを浮かべた。

「『今ウェルリア城は王子捜しでほとんどの兵士が出払っているから、城内はがらんどう。占拠するなら今しかないんじゃない?』……こう言ったら【彼ら】、急いで城を目指したわ」
「まさかお前たちっ……最初からそれが目的でアスカ王子をっ……!」

緊迫したヨハンの言葉に、リィが顔を上げる。
その表情は嘲笑を浮かべているのだが、傷の痛みからか若干くぐもっていた。

「まあ……どう思おうと勝手だけど、少なくとも彼らはそう思いこんでいるでしょうけどね」
「彼らだと……?」
「『アスカ王子を誘拐した本当の理由は、城の警備を手薄にして城を占拠すること』——彼らは私の戦略に同意したわ。けどね、よく考えてみなさい。相手は兵隊よ? いくら手薄になったと言っても、捕まることは目に見えているわ。まあ……彼らはそんなこと、考えもしなかったでしょうけど」

クスクスと音を立てずに笑う。

「じゃあなんで反政府軍の奴らを城へ寄越したんです」
「あらあ、イズミくん。……なんでだと思う?」

息が荒くなってきた。
顔も青ざめている。
そのような状態のリィに、イズミはなおも緊迫した面持ちのまま、視線を送る。

「…………まさか」

嫌な予感がして、思わず背筋が寒くなる。
リィの紫色に変色した唇が薄く歪んだ。

「私の目的には邪魔な【彼ら】をここから排除して、あわよくば国側に捕まってもらって……私は私で、私自身の復讐を完了させるためよ」
「それって……何……」

その時だった。


『ドーーン』

どこからか、爆発音が聞こえた。



最終話 ( No.193 )
日時: 2014/05/03 23:04
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: R.nHzohl)



不意に起こった爆音に思わず身を伏せるものもいれば、身を固めるもの——とにかく、突然の爆発音に周囲は騒然となった。


「リィさんっ……!」


爆発音でやっと意識を取り戻したのか、キリが悲鳴に近い叫び声を上げて血まみれのリィを抱きかかえる。


「リィさんっ……どうしたの、死んじゃう……誰か……誰か助けてあげてよ」


『ドーーーン』


再度、今度は反対側から爆発音が木霊した。
パラパラと石壁が剥がれる音が微かに聞こえる。

「ふふふ……」

キリに抱きかかえられたまま、リィの唇から囁くように笑い声が漏れる。

「始まったわ……みんな崩れ去るんだわ!」

「カノンっ…………お前……!」
「イズミちゃん……!」

リィに掴みかかろうとしたイズミをウィンクが 必死で押し留める。
リィはその様子を見て嘲笑しつつ、血にまみれた手で前髪をかきあげた。

「イズミくん、分かったかしら? 私はウェルリア王国自体が憎いの。だから国に順応なウェルリア兵さんたちを集めて、ここでまとめて潰してやろうって思ってね」

すでに肌は青白く変色していた。
乾いた唇で言葉を発する様は、すでに死に近しいといえようか。
それでもなんとか意識を保っているリィの状態は、計り知れない執念そのものを物語っていた。

「みんなここで死ぬのよ。早く脱出しないとね。アハハハハハ」
「っ…………!」

リィの言葉を聞き、周囲を取り巻いていた兵士たちは叫び声を上げながら我先にと出口を目指し始めた。
イズミも唇を噛みしめるや、泣きながらリィの傷口を押さえていたキリの細い腕を強引に掴み上げて、叫ぶ。

「キリさんも、逃げますよ!」

周囲の兵士たちは、すでに脱出口を求めて駆け出していた。
ガラガラと奥の方から倒壊音が鳴り響く。
一刻も早く脱出しなければ危うい状況である。

「キリさん! 早く!」
「ダメっ、リィさんが、死んじゃう……」
「彼女はもう手遅れです! キリさん、早く……!」
「イヤあっ…………!」

泣き叫びながら、キリはなおも傷口を塞ぎ続ける。
両手はすでに真っ赤に染め上がり、しかし傷口からはとめどなく血液が流れ続けている。

「止まって……止まって…………っ」

もう、何も考えたくなかった。
このまま自分が死んでしまうだとか、育て親が亡くなるだとか、自身が滅亡したはずの王家の一員だったとか——もう、一切合切忘れて、また前見たく平凡な生活に戻りたかった。

なのに——。
なんで——。
どうして——。


こうなってしまったのか。




誰かに問いかけたところで、答えてくれる人などいないのだけれど……。


Re: 【ついに最終話!】ウェルリア王国物語-紅い遺志-【銀賞受賞】 ( No.194 )
日時: 2014/05/04 14:01
名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: R.nHzohl)


「リィさんっ……リィさんっ…………。どうして……」

「……ねえ、キリ」

微かに、名前を呼ばれた。
と同時に、真っ赤に染まった両手に別なひんやりとした感触がキリの両手を包み込んだ。
キリが涙と鼻水でぐしょぐしょになったその顔を上げると、微かに笑みを浮かべたリィがキリの手を力無く覆っていた。

「キリぃ……ごめんなさいね、こんな目に、合わせてしまって」

かすれた声は、唇の近くに耳を当てないと聞き取れないほどか細いものであった。
キリはしゃくりあげながら、声にならない声で答える。

「私の、私の、せい……で…………リィさん、死んじゃう…………」

自分を庇ったせいで、リィが死んでしまう。
キリにとって、その事実が何よりも重たかった。
自分のせいで。自分のせいで。
自分のせいで、育て親が亡くなってしまう。
なんでこうなったのか。
なんで自分はファーン家なのか。


私は、

私は一体、何者なのか——。




「イヤだあああ……」

焼け付く喉の痛みを手放し、キリは泣き叫ぶがごとく咆哮した。
リィの手を強く握り返す。

背後では、建物が倒壊する音が地響きとともに唸り声を上げている。


「リィさあん……ねえ、ラプール島に帰ろうよお……。また勉強教えてよ……。剣術の修行、もう逃げ出したりしないからさ、……良い子になるから、……なるから、さ。だから、ねえ、死なないでよ……ねえ……。お願いだから……あ…………」
「キリ、……残念だけど、私は一緒にはいけないわ」

ひゅうひゅうと呼吸音を立てて、リィが困った表情を浮かべる。

「私は、私利私欲のために人々を不幸に陥れてしまったわ。こうなる運命だったの。キリ…………それは決してアナタのせいではないわ」


それにね——。
リィはそう言って、優しい眼差しでキリを見つめた。

「もう、復讐も果たせたし、生きていく意味も、理由も、全て無くなってしまったわ」
「リ…………」
「……キリ、ありがとう……」

気が済んだ。
自分の出来ることは、やり尽くした。

握っていたリィの手から、ふっ……と力が抜ける。

「……リィさ…………」
「————」
「イヤ…………あ……ああ…………」

だらりと垂れる両の腕。
目の前の人物は、確かに、今この時を、過ごしていた。
今の今まで。
その人生は、決して平坦なものでは無かったけれど。

「リィ……さ……ん」


ガラガラと音を立て、いよいよキリたちのいる空間も天井が剥がれ落ちてきた。

「キリさん、行きますよ」

イズミが急くようにキリに声をかける。
アスカやウィンク、ユメノは、すでに脱出したようだ。姿は見えない。

「キリさん……!」

イズミが今度は少し乱暴にキリの腕を掴む。
しかしキリはそこにへたり込んだまま、イズミの顔を見上げた。

「イズミさん……どうしよう」

そう言うキリの表情は、何故か妙に晴れやかだった。

「私、これ以上もう何も出来ないよ。私、どうしたらいい……?」

へらっと笑う。
その目は、何も見据えてなどいなかった。