複雑・ファジー小説

【9/12更新】コワレモノショウコウグン【R-15〜18】 ( No.10 )
日時: 2013/12/26 10:38
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: Z9bE6Hnf)


【S.E.L.D】(9/16 完結)

 貴方の唇が、そっと左手に触れる。 そうして漸く、私の休日の朝は始まる。
 貴方は必ず起きてすぐ、硝子の棺桶を褥(しとね)に眠る私を抱き締めて、そうしてその綺麗な指で私の髪を梳かす。
 貴方の柔らかい掌の感触。 骨張った指の質感。 それが、眠っていた私の意識をもどかしく呼び起こすの。 ゆっくりと、でも、確かに。
 寝起きの少し掠れた貴方の声が「おはよう。」と言えば、私の心はいつでも朗らかな朝の斜陽を仰ぐ様に浮き足立つ。 一日の始まりに、貴方以外はなにも要らない。

「今日はこれにしようか?」

 どれを手にしても可愛らしい服の中から一着選んで、貴方は大概そう問いかける。 貴方が選んだ物に、不服なんて何もないわ。
 私の夜着を器用に脱がせて、着るのに手間の掛かる仕立てのお洋服を、貴方は器用に私に着せる。 貴方がそうしている間、私は貴方の邪魔にならないように力を抜いて身を委ねる。 それしか出来ないけれど、貴方が私に自分で着ろと言わないなら、私は貴方の思うままに任せる。
 そんな貴方は、休日は決まってずっと私の傍に居てくれる。 他愛のない冗談を言ったり、普段見聞きする話を聞かせてくれたり、口も付けずに冷ましてしまうコーヒーを淹れてくれたり。 本当に、なんでもしてくれる。
 私は全然、面白いことなんて知らない。 貴方の他には何も要らないから、だから専ら聴いているだけ。 それでも貴方は、いつも楽しそうに微笑んでくれる。 それが嬉しくて、でもそんなことしか出来ない自分がもどかしくて、私はいつも曖昧な笑顔しか造れない。
 それでも、そんな私を貴方はとても大切にしてくれる。
 そうして私は貴方と映画を見て、貴方と音楽を聴いて一日の大半を過ごす。 私は" Oh help me god , please help me "と歌うフレディーに涙ぐむ貴方の横顔がとても好き。 ハリソン・フォードと一緒になって" Say kiss me "と呟く貴方が好き。 兎に角、私は貴方がずっと傍に居てくれる休日が好き。
 それから私はお風呂の時間が好き。
 私から丁寧に衣類を取り払う貴方の手つきは、それは繊細でどこか哀愁があって、例えるなら私の身に付けたお洋服は、貴方の掌から零れ落ちる砂のような感じ。 何だか酷く欲情を誘う仕草なのに、やり場の無い哀しみを感じる様な、不思議な感覚。
 貴方はいつもそうするように、私の体の隅々までその綺麗な手を滑らせて、馬鹿みたいに時間をかけて私の髪を洗う。 その手つきと表情がまた物悲しくて、どうしてこんなにも悲しい気持ちになるのに、私の眼からは涙が零れないのかと呪わしい気持ちになる。
 それから貴方は決まって、決して上手くは無いけれども、だからと言って下手でもない歌を口ずさみながら自分の髪と体を一通り洗う。 それから、手持ち無沙汰な私の向かいに静かに座る。
 二人で入るには小さな浴槽だけれども、その分貴方との距離も近くて私は好き。

「しっかり肩までね」

 浴室中の湿気を揺らして聴こえる貴方の声。 貴方と同じ体温になれるなら、頭頂までだって浸かるわ。 貴方と同じ熱を分かち合えるのなら。
 そう、私には貴方と分かち合えるものが何もないの。 この想いも、愛情も、歯痒さも、寂しさも、何もかもが一方通行。
 貴方がくれる優しさも、暖かさも、哀しみも、その全てに応えてあげられない。
 募るばかりで、溢れだす事も出来ずに居るこの愛を、どうして持て余さずに居られようか。 溢れだす頃には全て哀しみと恨めしさに変わってしまう想い達を、どうして抱き締めて居られようか。
 それでも、やっぱり私の休日は変わらない。
 お風呂から上がれば貴方が私の長い髪を乾かす。 長い上に量もあるから、乾く頃には貴方が汗だく。 それでも貴方は満足そうに言うの。

「綺麗だよ」

 私はすごく嬉しくて、私が選んでこうなった訳でもないのに、とても誇らしい。 貴方のその嬉しそうな笑顔に出会えただけで、私はこんな自分自身さえ愛おしく思える。
 貴方に連れられて寝室へ向かいながら、ただその幸せの余韻に浸るの。 いつもそうするように、貴方の唇が首元を這う間も、貴方の綺麗な手が私の胸へ延びる間も。
 こんなにも愛おしいのに、どうして言えないの?
 早く抱いてと。
 薄情な貴方の手はいつまでも私をなぶるばかり。 狡猾な貴方の舌はいつまでもお腹の上で燻るばかり。 もっと下へ、もっと奥へ。 そう願う程に、狂おしい未練と声にならない喘ぎが脳内を廻る。 私は、貴方が満たされるまで待つしかない。 でもそれが、不思議と幸福な時間。
 貴方は時間をかけて私の体に舌を這わせ、私の体を指でなぞり、それからいつも声も出ない程に激しく犯す。 何一つ分かち合う事は出来ないけれど、貴方の事を受け止められる体で良かった。 そう、心底思う。
 私は貴方がどんな反応が好きなのかを知らない。 貴方がどんな風に交わい合うのが好きなのかを知らない。 それどころか、私は貴方がどんな女の子が好きなのかさえ知らない。
 だけど、私は貴方が私の体を求めてくれている事だけは知っている。 それだけで良いの。 他には何も望まない。
 私は声を出すことも、自分から動くことも出来ずに、ただ貴方を受け入れ、受け止める。 それだけで、愛し合っている様な気分になれる。 だからこのまま、私の中で果てて。
 そう願って間もなく、私は熱を持った貴方の愛を受け止める。 私の中で脈打つ貴方が、どうしようもない程に愛おしい。 例え私が快楽を得ていなかったとしても、この想いに嘘はない。
 だけれどその愛おしさは、急速に冷えて哀しみに変わる。 そろそろ貴方と一緒に居られる時間が終わってしまうから。
 荒い息のまま私の上で微笑む貴方。 私の頬を撫でながら私の眼を見つめる貴方。 どうして声にならないの? こんなに愛しているのに。
 それから貴方はもう一度一緒にお風呂に入って、私に吐き出した、仄かな熱と粘度を含んだそれを綺麗に洗い流す。 なんだか、一緒に過ごしたこの一日を洗い流して居るようで、私は言い知れない寂寞に囚われる。 これから待つ永い孤独を、どうして埋めよう。
 貴方がもう一度この長い髪を乾かす間、長い事悩んで私の夜着を選ぶ間、私をそっと硝子の棺桶へ連れ去る間、私はただ、これから始まる長い孤独を埋める術を探す。 見つからない事は、誰より知っているけれども。

「お休み」

 貴方の声が聞こえて、貴方の柔らかい唇が、私の冷たい唇に触れる。
 お休みなさい。 いつまでも待っているわ。
 そうして櫃の蓋が閉められ、一枚の硝子に隔たれた貴方の寝室に灯された明かりが消える。
 私は、これで良いと思っていたはずなのに、何故だか今日は酷く哀しい。 これが私の在るべき形だと思っていたのに、何故だか今日は酷く切ない。
 分かち合える物は何もないけれど、溢れだす程の愛情がこの胸に有るの。 だけれどもそれは、溢れだす頃には全て哀しみと恨めしさに変わってしまう。
 与えるべく生まれた愛情は、与える術を持たないままこの胸の内で渦巻くの。
 与えられなかった愛は、いつかこの胸の中で飽和してしまう。 もしも飽和し切ってしまったら、その先は腐蝕して往くの?
 それとも溢れだす時の様に、何か別の儚い想いに変わってしまうの? この愛情が憎しみに変わって、私の胸を犯し始めるなんて、考えたくはないけれども。

 もしも次にこの翡翠の眼が醒めた時、神様が私に言葉を与えてくれたなら、きっと私はこの想いをこう名付けるでしょう。
 飽和性過剰愛情疾患、とでも。
 そして私は、嫌と言うほど自嘲するでしょう。
 所詮は、愛玩人形の憂鬱と。
 ただ犯してくれれば、こんな風に苦しまずに済んだのに。 所詮は人形、と接してくれれば、こんな風に愛することも無かったのに。
 この美しい憂鬱が、私は酷く憎らしくて、酷く愛おしい。 例えば抱かれる為だけに生み出された体でも、こんな愛情を抱けたことが、酷く嬉しい。
 結局私は、貴方のラブドールで良かった。 そう、心底思う。


*  *  *  *

fin.

——陽様のブログ「CRAZY!」の記事「愛とは何でしょう?」に、心からの感謝をこめて。