複雑・ファジー小説
- Re: 【企画】コワレモノショウコウグン【アンソロ始動】 ( No.16 )
- 日時: 2013/12/26 10:40
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: Z9bE6Hnf)
アンソロジー企画【この種を孕んで】
——ただただ暗い闇の中、埃とカビと、涙の臭いの中で想う。 嗚呼、この声はどうすれば止まる?
熱を持って腫れ上がった頬はいつしか涙も乾ききり、ただただ聞こえる、母親の罵声。 その口を塞ぎ、喉を切り裂いて、声を止める妄想だけが、心の拠り所。
「でかいのは体だけ、鈍間な穀潰し。 何で生まれてきたんだろうね」
そんなことを言われたって。 俺だって親が選べたなら、こんな処には生まれなかった。
殴られた全身の痛みも忘れて、甘い妄想に微笑んで、怨嗟の声は胸の中で。 ただただ芽生えて、育ち往く。
* * * *
車通りの少ない国道は今日も居心地が良い。 遮る物も、縛るものもない。 速度制限も、有って無いような物。
ステレオから流れるラジオでは、陰鬱な経済と他愛ないエンタメの話。 どこにでもある、唯の日常。 まるで白紙のような。
「大学の友人の家から帰るところなんですけど、乗せてくれる人が居て本当に良かった」
楽しそうに聞こえる、助手席からの声。 ヒッチハイクは金のない大学生の十八番。 断りにくかっただけ。
聞こえてくるのは友人の話、学校生活の話、将来の夢、思い出話。 楽しそうな、唯の声。
俺にはそんなもの、何もない。 ただ、芽生えるだけで世話もされない、植えつけられた種がひとつ。 まるで白紙の上の、インクの染み。
「お兄さんの話も聞かせてくださいよ」
嗚呼、どうすればこの声を止められる? どうすれば、この芽を摘める? どうすれば、良い?
「じゃあ少しだけ、俺のことを話そうか」
耳を傾ける女子大生。 俺は、燃料メーターと道路標識とにらめっこ。
そう、そんな感じだ。 昔から。
俺は生まれたときから母親の暴力と罵声に悩まされていて、十代半ばで家出した。 逃げ出した先は祖父母の農場で、母親以上に口うるさい祖母に悩まされた。
俺の名前はどうせ誰も気にしない、俺の知能指数なんて誰も信じない。 身長が2メートルを超えてたって俺は臆病な穀潰し。 社会の塵みたいなもの。
5年と少し前、俺の目の前に八つ裂きにされた祖母の死体が転がってて、白煙の上がるライフル銃が祖父の胸に火線を引いた。 何故か? 知らないね。
刑期を終えて、また母親の下で苦しんで、今に至る。 そんな他愛ない、唯の臆病者。
話しながら俺は自分の内側で、芽生えていた芽が急速に成長するのを知った。 幼いころに孕んだ種が、妊婦の腹みたいに膨らむのを。
産み落とされた感情は、どこに行けば良い? 独り歩きするこの浅ましい意思を、どう抑えれば良い? 俺には、なにもわからない。 白紙の様なこの生に、意味など、あるものか。
だから女学生を車から引き摺り降ろしたのも、強引に服を引き裂くのも、特に理由らしい理由は思い浮かばない。 両親に対する歪んだ復讐、人がそう言うならきっとそうなんだろう。
ただ、幼い頃から俺を苛む、女の罵声が鳴り止まないんだ。 重ねて聞こえるのは、叫び声と、殴り付ける音と、それから芽生えた感情が、花開く音。
気付いたとき、俺は首のない女の死体を抱いていた。 まだ僅かに熱を持った女の体内、そこへ解き放たれた、ひっそりと咲く白い花弁。 嗚呼、喋らない女なら、愛せるのか。
それから何度同じことを繰り返しただろうか。 何人の首のない女と寝ただろうか。
それでも、俺を罵倒する女の声は、変わらずに鳴り響いていて。 そうして、俺はこの大輪の花が何処へ行きたいのかを知った。
俺の孤独な逃避行に、終着点が見えた。
「ただいま、母さん」
俺は何日かぶりに家に帰って、母親の寝室をノックする。 何だか、新鮮な感覚。
「何だ、帰ってきたのかい。 お前みたいな負け組が帰ってくるから、五年も男と寝られないんだよ。 どうして帰って来たんだろうね」
返ってくるのは、聞き慣れた悪態。 いつも鳴ってる、女の罵声。
でもこれで、きっと鳴り止む。 俺は母親の寝室へ足を踏み入れた。
「母さん、花を摘もう。 今頃はきっと綺麗に赤く色付く頃なんだ」
言いながら俺は何度も腕を振った。 握られた金槌が立てる鈍い音が、段々とびちゃりびちゃりと湿気を持つまで、何度も何度も何度も何度も。
幼い頃、ホコリとカビと、涙の臭いが充満する暗い物置で、暴力と共に植え付けられた復讐の種。 子供心と言う豊潤な土が孕んだ、緋色の夢。 俺の心が身籠った種子は、永い歳月を掛けて大きく膨れ上がったんだ。 嗚呼、懐妊。 生まれ落ち、漸く芽生えた小さな狂気は、独り歩きで此処まで来た。
この種が、今真っ赤に塗れた花が、枯れて、実を結ぶんだ。
なのにどうして、鳴り止まない。 嗚呼、そうか。
俺は無表情に母親の首を落として、綺麗な断面の喉に手を突っ込んで声帯を引きずり出す。 ミンチにしてしまおう。
「声帯が無ければもう、俺に憎まれ口を利くことも出来ないね」
声帯をミキサーに突っ込んで、首のない母親に自分の臆病な棒切れを突っ込んで、俺の孕んだ種は漸く実を結んだ。 嗚呼、もう何も、聴こえない。
そうして結んだ実が落ちて、新しい種を孕んで、俺はもうその種が芽生えた事を知った。
最初から、知ってたのかもしれない。 白紙の上の染みが、少しだけ大きくなった気がした。
俺は警察へ電話を掛けて、濡れて広がった染みを抱き締めるように想った。
* * * *
「以上が被告人の調書と犯行の全容であり、このような凶悪且つ冒涜的犯行を行った被告は生涯釈放されるべきではない」
声高に聴こえる男の声に、空気を引き裂かんばかりの賛同の声が上がった。
「仰る通りです、判事」
俺の口から零れたのは、それだけだった。
新に芽生えた感情、摘み取った大輪の感情、それらの、本当の声。
首のない母親を犯しながら、枯れ果てた筈の涙を流して悟った真実。
新なこの種を孕んで気付いた事。
本当はただ、愛されたかっただけなんだ。 本当は、愛していたんだ。
もう実ることのない種を孕んだまま、檻の外に居る理由は何もない。
唯一人愛されたかった人は、もうこの世には居ないのだから。
涙で広がった染みはある意味で、白紙のようだった命を彩った気がした。
* * * *
Fin.