複雑・ファジー小説
- Re: 【アンソロ】コワレモノショウコウグン【投稿開始】 ( No.18 )
- 日時: 2013/10/16 23:02
- 名前: ハル ◆pppAtQkMuY (ID: QXmYx0S/)
Out Of Frame_0 この種を孕んで。
ただ。その日は。
いつもと変わらない日常。
青春の1ページとか言った格好良いものでも、無く。
同じ様な繰り返しの中の、一瞬。
積み重なる日々の、たった1ページ。
存在しなくても。良かったのかもしれない。
僕にとっては。
でも。彼女にとっては、素敵な日であってほしい。
あの時、降っていた雨の様に。
彼女が涙で埋もれてしまわない様に。
願う。それしか僕には出来なくて。
その日は、朝から雨が降り続いていた。
まるで、誰かが悲しみに暮れた涙の様に。
止む気配を感じさせない、雨。
少し早めのいつもの帰り道。
人通りの少ない細い路地。
雨音が激しく鳴り響くアスファルト。
ビシャン。びしゃん。ビシャン。
そのアスファルトの上に。
傘を持ったびしょ濡れの猫さんが、ひとり。
「こんな所で、どうしたんですか?」
同じ高校の制服を着た、少女。
小さい体に、ボブ丈のふわふわ揺れる黒髪が印象的な。
同じクラスの学級委員の、彼女。
しゃがんだ体制から、僕を見上げる彼女。
大きな瞳が、こちらに向いて。
そして、ぽろぽろと。
ドロップが瞳から、零れ落ちて。
それは、降っている雨にも負けない。
大粒の、なみだ、だった。
彼女が、何故泣いているのか。
僕の頭を過ぎったのは、そんな簡単な言葉ではなく。
自分でも、驚くほど唐突な、感情。
綺麗だ。と、思った。
思わず、言葉を失ってしまう程に。
美しい涙。悲しみの、涙。
悲しみの涙が、こんなにも。
こんなにも、美しいと思ったのは。
彼女が、初めてで。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
彼女は、手で顔を覆う。
その、小さい手の隙間から、大きな瞳をちらちら覗かせて。
ひっそり。呟く。
たんぽぽ。
あまりに思いがけない言葉に、動揺する。
でも、彼女はその言葉を噛みしめる様に、何度も。呟いて。
たんぽ、ぽ。
た、んぽぽの、わた、げがね。
ひくひく言いながら、いっしょうけんめいに。
精一杯の言葉を繰り返す姿が。
たまらなく、愛おしくて。
僕は、頷く。何度も。頷く。
たんぽぽの綿毛がね、
この雨で濡れちゃって、遠くへ飛べなくなっちゃうでしょ?
黒い瞳が、じっと見つめる先に僕も視線を移す。
彼女がさす、桃色の傘の下には。
たんぽぽの綿毛がひとつ。
アスファルトの隅に。ひっそりと。
降りやまない雨の中。頼りなさげに。
でも、確かに。そこに。力強く佇んでいて。
それだけの為に。
このたんぽぽが、濡れて種が飛ばせなくなるが為に。
彼女は、学校を休んで朝からずっと。
このたんぽぽに傘をさしていたというのだ。
他人から見れば、あまりにも滑稽な出来事。
そんな彼女を笑う事も、とても容易くて。
でも、そんな光景を前に。思いがけない言葉が口を通り抜けて。
「そんなに泣いたら、君の涙で、
たんぽぽの綿毛が濡れてしまうよ?」
そう。そうだ、ね?
そう言いながら、彼女の涙は留まるところを知らない。
ぽろぽろ。ぽろぽろ。
さらに加速する。涙。
ずっと。降り止まない、雨。
これじゃあ、あたしも雨もおんなじだ。
一緒に居ちゃ、いけないね?
彼女は、制服の袖でちからいっぱい涙を拭いて。
たんぽぽの横に自分の傘をいて。
小さい体で、一生懸命背伸びをして。
雨で冷えてしまった手を。めいいっぱい僕の耳に翳す。
僕の鼓膜に、柔らかな声が響く。
「教えてくれて、ありがとう。またあした、ね?」
ひらひらと。手を振って。
涙の雨の中。背筋を伸ばしたびしょ濡れ猫さんが、ひとり。
あたし。もっと、強くならなくちゃいけないから。
そう言いながら、ふわふわと歩いて行く彼女の姿が。
とても、力強く見えて。
あの映像が、忘れられ、ない。
その日が彼女と出逢った、最初で最後の日。
次の日。
教室に彼女の姿はなかった。
担任は、彼女が家庭の事情で、退学した事を告げた。
そして、彼女に関するひとつの噂が流れた。
あの子さ、妊娠してたらしいよ。
もう、その噂が真実であるかすらも解らないのだ。
彼女は、僕の目の前には存在しないのだから。
それでも、僕は。それが、真実であると思った。
だって。あの涙の意味も。
守り続けたたんぽぽの意味も。
全てが理解出来た様な気がして。
僕はまた、あの日と同じ様に笑った。
やっぱり。1ページなんかじゃ、ない。
僕にとっても、大切な瞬間だった。
一生、忘れない。鮮明に焼き付いた、記憶。
ずっと。色褪せる事の無い、フィルム。
来年の春。彼女のように。
力強く、儚く咲く。たんぽぽに。
逢えればいい。
きっと。必ず。
...End。