複雑・ファジー小説
- Re: 【アンソロ】コワレモノショウコウグン【投稿開始】 ( No.21 )
- 日時: 2013/11/04 18:02
- 名前: 日向 ◆Xzsivf2Miw (ID: B6dMFtMS)
「この種を孕んで」
******
「全く。今日も今日とて疲れたよ」
「院長、お疲れ様でした」
相当疲労が溜まっていたようで、院長と呼ばれた男は合革ソファに倒れ込み、もう一人の女はガラス机を挟んだ向かいの椅子に座った。
消灯した院内のバックヤード、ナース室。
二人分の声が蛍光灯の明かりと共に日の暮れた薄暗い廊下へ漏れ出ている。
ここは、都内有数の産婦人科であった。
「ミルクは一つ、お砂糖は無しでよろしいですか」
背の低いガラス机に手を突いて、女が立ち上がった。
院長は俯せに倒れこんだまま手を振って応えた。
「頼む」
「はい」
女は隅の給湯室に入った。
慣れた手つきで湯を沸かして、棚のコーヒーパックと紅茶パックを手に取った。
出来上がったそれらをトレーに載せて、ガラス机にコンと置く。
コーヒーの匂いを嗅ぎ取り、院長はよろよろと身を起こした。 横をちらりと見遣るともう女は席について紅茶を飲んでいた。
そしてこちらを見ることなく言う。
「院長、コーヒーが冷めますよ」
「あ、あぁ頂くよ」
院長と呼ばれてはいるがナースの女の方が事実上の立場は女の方が上のようだ。歳も男の方が一回り若く、この病院を任されたのは春からだである。それに引き替えナースの女はここの産婦人科で昔から長いこと婦長を任されているキャリアウーマンであった。
「うん、美味い。——いや、しかし今日のあれは」
「何です、院長。コーヒーならいつも通り淹れましたけど」
「違うよ、その、あれさ」
院長はコーヒーを机に置いて、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「今日、帝王切開した女。やはりヤニをやっていたようで……見ただろう?」
「あぁ」
青ざめた顔で院長が腕を組んでぽつりぽつりと言った。
向かいの女は無表情のまま紅茶を啜っている。
「僕はああいったものを、初めて、見た。そういえば君はあれの処分をしていたね……平気なのか? それは慣れなのかい? そうだとしたら僕は慣れそうにないよ」
女は紅茶を机に置いて、院長を見た。鋭く、深みのある視線。 軽蔑、哀愁、戦慄、失望、どれともとれない不思議な瞳だった。
そして言った。
「何をおそれることがありましょうか」
表情とは裏腹に女はソーサーを置き去りにしたまま、紅茶を飲み干した。まだ熱いはずなのだが喉を鳴らして。
突然の行動に唖然とした院長を余所に帰り支度を始める女。
「院長、今日の夜勤は私では無かったはずですので、これで失礼致します。お疲れ様でした」
俯いて表情は分からなかった。女は更衣室に入っていってしまった。
******
車で家路を辿る女。信号無視や蛇行運転が目立つが山道なのが幸いして被害や目を付けられることは無かった。隣の助手席に置かれた鞄がやけに膨らんでいる。
女の表情は先ほどとうって変わって、頬は上気して口元からはだらしなく涎を垂らしその視線は蕩けそうだった。右手で片手運転、左手は下腹部をまさぐっている。
異常なほどの興奮、雌の顔。
三十分少々車を走らせ辿り着いた女の家。山奥の小さなアパートの一室。もう完全な夜の闇が辺りを覆っているが灯りはどこの部屋にもついていない。このアパートを借りているのはこの女だけのようだった。
ふらふらとした足取りでアパート一階の隅の部屋の扉へと向かう。鞄が重いようで何度も肩にかけ直している。
鍵を開けようとするも手元が狂い、なかなか鍵穴にささらない。女は苛立って錆びたドアを蹴った。錆びた塗装が剥げ落ちる。
「うぅうぅぅぅぅうう!」
まるで獣。
「ひあぁぁぁあああぃぃい!」
やっと鍵穴に差しこむと、力一杯に回した。
がちゃり、とロック解除の音を聞く前に部屋に雪崩れ込んだ。
そこは女の城だった。
薬臭い匂い、甘い腐臭、ベビーフードの僅かな匂いに満ちている。
そして辺りには液体に浸された何かがいた、否、あった。
水槽、フラスコ、虫かご、夥しい数の容器があり、共通しているのは中が液体で満たされて何かがあること。
「みんなぁ、ただいま、ママよぉ。帰ったわよぉ……ひ、ひひひ」
床に垂れた涎が薬臭い室内の匂いと混ざり合う。
女は冷たい床に倒れこむと、自らを慰めた。
発狂したように声を出し、体を捻る。
何分そうしていたことか、女は息絶え絶えに口を開いた。
「——今日はね、新しい子が来たのよぉ、みんな仲良くしなさいよぉ、ねぇ……?」
満足するとよろよろと立ち上がった。
足下に転がっていた空の水槽を手に取り、鞄の中から何かを取り出す。
ラベルの貼られた容器と——。
女は容器の蓋を乱雑に取り外すと、零れ飛び散るのも構わず水槽にいれた。
どろりと粘性のある液体に浸してみるが、浮上してくる。
頬を上気させ、母が子に言い聞かせるように。
「駄目よぉ、ほら、ちゃんと浸かって……。きれいきれいしましょうね」
女は素手でそれを沈めた。浮き上がってくるたびに何度も沈めた。
「偉いわね、あなたは出来る子よ」
女は沈めたそれを再び引き上げて、愛おしそうに頬ずりした。
頭部であるはずのそこを優しく撫でて、本来額であるはずのそこにキスをする。
先ほどの興奮は失われ、その代わりに子を思う一人の母の姿があった。
「私はあなたを見捨てない、あなたは私の子、ずっとずっと一緒にいましょうね」
それを抱きしめた後、再び液体の中にそれを戻した。
******
日向です。
オチがいまいちよく分からないですね、でもこれで良いんでしょうね。
この女性がどうしてこのようなものを愛するのか、それはお一人お一人の考えに委ねるとして。
うまく孕めたかどうかは分かりませんが、書かせて頂きました。
そうそう日向、触手好きなんですよ。
いや、何でもないです、失言です、気にしないで下さい。