複雑・ファジー小説

Re: 【少年】コワレモノショウコウグン【採集2】 ( No.27 )
日時: 2014/04/09 04:33
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: oQXKi/i0)

【金魚姫のままの夢】


『金魚は、果たして円周率を覚えることが出来るか? ええ、出来るでしょうね。』

 何だか分からないけれど、わたしの理解が追いつかないぐらい大量の金魚たちがそこにはいた。
 塩素の味ばかりが不快な、青いビニールプールの中で、気持ちが悪いだろうな、何て思うほどの数。
 私達は金魚なりに「ごきげんよう」とか「次は誰の番かしらね?」なんて。
 仲良くするというより、悲観しない為の簡単な魔法を掛け合うの。
 そうして、空から何か丸い魔法が降りかかってきて、私は、不快な塩素の檻から引っ張り上げられる。
 呼吸が出来なくなって、体を動かすことも出来なくなって。 でも一瞬、水面で目が合う。
 その一瞬の交錯はとんでもない魔法で、小さな空気穴が少しだけ開いた、常時酸欠状態のビニール袋の中でさえ私を生かす。
 それから私は可愛らしい金魚鉢を与えられて、閉鎖された自由を手に入れた。 相変わらず、塩素の味は嫌いだけれど。
 暫くの間、私はその閉鎖された自由を謳歌した。 ぼんやりと浮き上がる気泡を眺めたり、餌を待って水面で待ってみたり、底に溜まる小石を突いてみたり。
 貴方は夜になると部屋に帰ってきて、私は貴方の姿を追ってぐるぐる金魚鉢の中を巡る。 貴方は毎晩そうやって私を泳がせて、硝子越しの歪んだ目で笑う。
 自由をくれた塩素の檻は、前よりずっと狭かったけれど、誰もいない静寂と、夜毎に掛け直される魔法はその狭さを補って余りある。 何処で生きるか、私次第、気持ち次第。
 それでも、ひとつだけ不満があるとしたら、貴方は女を見る目がない。 ない、全くない。
 貴方の女は、八方美人ね。 初めて会った時、貴方の女は私と目も合わせずに「可愛い」だなんて。
 私は自分を知っているから、素直に「ごきげんよう」って、貴方を譲ったのに。 貴方の女の第一印象は、最悪。
 それに、努力不足じゃないかしら? そりゃあ、金魚に比べれば美人かも知れないけれど。
 貴方の女の舌使いなら、私の唇の方がお上手だと思うけれど。 だけれど所詮は夢。 水面ですれ違う、幻想。
 だけれど貴方は誰と居ても必ず私と目を合わせてくれる。 時々、餌をくれる。 忘れずに気にかけてくれる。 好きよ、そう言うまめなところ。
 だけどその度に貴方の女に睨まれるのは、ちょっと不快かしら。
 そんな毎日の中で、貴方の女と二人きりで見つめあう時間が訪れた。 私は相変わらず、そしらぬ顔で「ごきげんよう」ってご挨拶。
 なのに貴方の女と来たら、一言「只の金魚なのに」だなんて。 失礼しちゃうわ。
 だから私は、少しからかってやる事にしたの。 貴方はすぐに助けに来てくれることを、私は知っているから。
 何も難しいことなんて無いの、ただ、見詰め合う水面の、もっと高いところを目指して水を蹴るだけ。 眩暈が襲って、耳鳴りが応えて、それから塩素が酸素に切り替わって。 私は固いフローリングの床の上に飛び出した。
 貴方の女は大騒ぎして、すぐに貴方は飛んで来て、貴方の女を咎める。 当たり前よね、私はいたいけな金魚、愛玩される為のイキモノ。 貴方は優しく「可哀想に」なんて言って、私を元の自由の檻に戻す。
 貴方の女はなぜ自分が咎められたかも分からずに、私を憎憎しげに睨む。 シアワセ。
 もう違うの。 貴方は私を泳がせるけれど、私も貴方を泳がせるの。 貴方の女も泳がせるの。
 上っ面だけ飾った女に、理解が出来るかしら? 金魚鉢に映る自分を眺めて、一日を過ごす私が。 分からないでしょうね? ぐにゃりと歪んだ自分の姿は、ある意味で鏡よりもたくさんのことを教えてくれるのよ。
 本当は貴方を、酔わせたい。 言葉で、溺れるほど。 だけれど私は金魚だから、それは諦めるわ。
 でもね、私は貴方の女とは違うの。 毎夜毎夜、ちっとも上達しない、残念な女とは違うの。
 確かに私は金魚。 だけれどね、頭じゃなくて、身体で知っているの。 言葉は覚えずに、歯を浮かすことしか出来ないけれども。
 貴方を悦ばす方法、貴方の女を貶める方法、鏡には自分の表層しか映らない事、貴方が起きる時間も、貴方の帰宅する時間も。 色んなことを身体で覚えて、知っているの。
 毎日毎日、この金魚鉢をぐるぐると泳いでいるんだから、円周率だって知っている、身体で覚えているわ。
 だけれどね、それは金魚の夢。 夢ばかりが肥大していく。 それはとても哀しいこと。
 だからね、私は貴方にもう一度魔法をかけたい。 ずっと覚えていて欲しいから、私が身体で覚える金魚だと知って欲しいから。 貴方の女よりも、出来る女だて知って欲しいから。
 嗚呼、貴方を征服したい。 泳いでね、私の為に。 もう貴方の女は、絶対に私を超えられないようにしたいの。
 貴方がいつも帰宅する少し前を見計らって、私はもう一度酸化した水面の上を目指して水を蹴る。
 嫌いよ、夢を太らせた金魚なんて。 だけれど、私は、夢を塗りつぶす魔法も、この小さな身体で覚えたの。
 帰宅した貴方は慌てて床の上に転がる私の元に駆け寄って、その暖かい手で私を包んで、涙を流した。
 微かな息と、霞む視界の中にその姿を捉えて、私は笑う。
 もう、水は要らないの。 何処で生きるか、私次第。 貴方にかけた魔法が解けるまで、私はずっと、貴方の中の深いところで泳ぐの。
 シアワセよ。
 私は、色んなことを身体で知っているの。 貴方が寂しがりなことも、ヒトは居なくなった女を忘れられないことも、もちろん円周率だって知ってる。

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Fin.