複雑・ファジー小説
- Re: コワレモノショウコウグン【R-12〜18】 ( No.9 )
- 日時: 2013/12/26 10:37
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: Z9bE6Hnf)
【ひとりじめ】(8/26 いちほ解禁)
「好きだよ」
ただ、そう伝えたかっただけなんだ。
「一緒に居て欲しい」
ただ、それだけが言いたかったんだ。
だらりと手足を弛緩させたきみを見下ろして、僕はただ呆然と涙を流した。
何で、何で、なんでなんでなんでこんな、嗚呼……。
——僕と彼女が出会ったのは初夏の日差しが眩しい日だった。
白いワンピースが輝いていて、きみの姿はそれはそれは神々しかった。 あの時僕にはきみしか見えていなかったし、あの日のきみは今でもはっきり思い出せる。
あまり飾り気のない真っ白なワンピース、少し背伸びをした踵の高いサンダル、ハート型の小振りなハンドバッグ、柔らかそうな黒髪をハーフアップにしていて、きみは友人らしい女の子の手を取って笑っていた。
きみと僕はすれ違って、僕はきみを振り返った。 するときみも振り返って、一瞬だけ目が合ったよね。 その透き通った黒瞳に、憧憬にも似た感動を覚えたよ。
嗚呼——なんて美しい瞳なんだろう。
それから僕は、毎日きみに会いに行くようになった。 遠くから、静かに、ただきみを見ていた。 きみにはきみの世界があって、きみは皆のものだったから、僕はそれで良かったし、きみを愛するとはそう言うことだと思っていた。
でも、夏が止んで秋が枯れて、冬が解けて春が咲く頃には、僕の心はどうにもならない醜さで一杯になっていたんだ。
きみが欲しい。 僕らの、皆のきみ。 でも僕は、僕だけのきみが欲しくなった。
届かないと知っているから、一緒にはなれないと知っているから、だからどうしてもきみが欲しかったんだ。 僕たちの世界が遠すぎると知れば知るほど、僕の中のきみは大きくなっていって、きみは皆のものだと思えば思うほど、心の中の醜い魔物は、僕の耳に囁くんだ。
「きっと彼女は応えてくれる」
きみと出会った日に似たある日、僕は変わらずきみに会いに行った。
無邪気なきみはいつも帰り道に人気のない公園を通る。
芝生や林や、小さな池があって、その公園は僕もよく遊びに行った。 勿論街灯や遊具、図書館なんかもあるけれど、僕にはそんなの必要ない。
きみは気づかなかったけど、何度かきみを尾ける男の人が居て、僕がやっつけたんだよ? きみはいつも、無防備なんだから。
そんな無防備なきみは、今日も暗くなった公園を歩いていた。
きみを見付けただけで嬉しくなって、僕の足取りは軽やかになる。
僕は座って待つことにした。 きっときみは、僕に気付いてくれるだろうから。
暫くして、きみは両側を林に挟まれた歩道の上で立ち止まった。 隅の方に座り込む僕を見付けて、困ったような顔で笑う。
「きみとは、よく会うね」
嗚呼、やっぱりきみは気付いてくれた。 そして僕に声をかけてくれた。
会うだけで帰ろうと思っていたのに。 ただ見ているだけで居ようと思っていたのに。 きみのふんわりとした声が、僕の理性を溶かしてしまう。
「こっち、来て」
そう言いながら僕は立ち上がって、きみを見つめる。
きみは小首を傾げて、それでも僕のあとに着いてきてくれた。 どうして、逃げなかったんだい?
林の奥に進んで、少し開けた所で立ち止まる。 きみは相変わらず少し困った様な顔をしていた。
僕は色々考えて、でも今のまま、ただ見ているだけなんて考えられなくて、躊躇いながらきみに言った。
「ずっと、きみを見ていたよ」
僕の声を聞いて、きみはじっと僕の目を見つめる。
嗚呼、逃げて。 僕が、きみに触れてしまう前に。 心の中で僅かな理性が叫ぶ。
「きみが、好きなんだ。 一緒に居たい」
僕は心の声を聞きもせずに続ける。
きみの顔が、近くなった。 甘い花の香り、暗がりでも透き通った瞳。
きみの白い小さな手が僕の額に触れる。 ただ、見ているだけで良かったのに。
でも、きみは困ったように肩を落とした。 溜め息みたいな声で、僕を諭す。
「駄目だよ、駄目。 怒られちゃう。 もうお帰り」
そう言って、きみは踵を返した。 正確には、返しかけた。
どうして、どうしてそうなってしまったんだろう。
僕は確かにお喋りは上手じゃない。 でも、きみなら言葉にしなくてもわかってくれると思ってた。 例え言葉なんか通じなくても、きみならこの想いを解ってくれると。
酷く悲しくて、何も見えなくて、このままずっときみが僕の前から居なくなっちゃう様な気がして。
気付くと、僕はきみの白い喉をズタズタに引き裂いていた。
どうして、どうして、ただきみを見つめているだけで、ただそれだけで良かったはずなのに。
きみの苦しそうな表情を呆然と見つめて、きみの黒い瞳がだんだん濁っていく様な気がして、僕は逃げ出す事も出来なくて。
きみの声にならない声が、涙と一緒にこぼれ落ちた。
「どうして?」
僕はどうすれば良いのか分からなくて、泣きながら答えた。
「ただきみが、好きだったんだ。 ずっと一緒に居たかったんだ。 それだけなんだ」
きみのひゅーひゅー鳴る喉が静かになって、僕は初めて自分がとんでもない事をしてしまった事に気づいた。
きみの世界から、僕らのきみを、皆のきみを、奪ってしまったんだ。
僕だけのきみが欲しかった。 そんな愚かな欲望のせいで、僕は世界から永遠にきみを奪ってしまったんだ。
僕は泣きながらきみの手に頬を押し付けた。 まだ暖かい、柔らかなきみの手。 まだ暖かい……きみの……手……。
嗚呼、僕はとんでもない事をしてしまったんだ。 もう、きみはどこにも居ない。
きみの世界からきみは居なくなってしまった。 だから、ずっと一緒に居よう。 ずっと傍に居よう。
死んでしまったきみは永遠に生き続けるんだ。
僕の中で。
柔らかいきみの頬、綺麗なきみの指、甘い甘いきみの香り。
僕だけのきみ。
僕だけが知る、きみの味。
僕はすっかり満足して、きみと一緒に帰路を歩んだ。
公園の出口で、きみとよく一緒に居る女の子とすれ違った。
僕は全然興味がないけど、きみがなにか言いたそうだったから声をかけようか。
僕が振り返ると、丁度女の子も振り返る所だった。 目が合ったから、僕はきみを放さない様に注意しながら声をかける。
「彼女を奪ってしまってごめんね。 でももう、彼女は僕だけのものなんだ」
僕がそう言うと、女の子はぎょっとしたように後退った。
でも僕には全然関係ない。 すぐに僕はまた歩き出す。
きみの手を取って、一緒に歩く。 嗚呼、何て幸せなんだ。
* * * *
お母さんと夕食の支度をして、お父さんの帰りを待っていると、美希ちゃんのお母さんから電話があった。
美希ちゃんが帰って来ないらしい。 確かにもう遅いし、とっくに塾から帰って良い時間だ。
私はお母さんと一緒に美希ちゃんを探しに行った。 いつも美希ちゃんと別れる公園の前まで行くと、美希ちゃんのお母さんが待っていた。
「こんな時間にごめんなさいねえ」
美希ちゃんのお母さんは落ち着かない様子でそう挨拶をしたけれど、私も正直すごく心配だった。
美希ちゃんは可愛いし、優しいし、親切だったから。
私はいつも美希ちゃんと公園の前で別れるから、公園の中はよく知らない。
それでも道なりに歩いて、トイレやベンチに居ないか探していると、口の周りを濡らした黒猫とすれ違った。
猫の歩いてきた足跡が何となく街灯に照らされて赤く見えた様な気がして、私は振り返る。
目が合うと、猫は一言にゃあと鳴いた。
私はぎょっとして後退る。 猫の口に、人の指みたいなものが咥えられていたから。
でも猫はちっとも気にした風もなく、そんな私に尻尾を向けて去っていった。
美希ちゃんは、翌朝所々食い荒らされた遺体で見つかった。 猫の行方は、誰も知らない。
* * * *
fin.