複雑・ファジー小説
- Re: 神様の戯れ事 ( No.11 )
- 日時: 2014/03/22 21:15
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
第一章
◇「世界は案外猫に優しい」
彼は御影と名乗った。
それから、私には行くあてもなく、嫌でも腹は減るので仕方がなく彼の家に留まっている。それでも、身の危険を感じることは無かった。寧ろ、彼は私を丁重に扱う。
私は少しずつ確信を持つ。彼はどこか不自然でまた、とても不安定なのだ。
*
春の繁華街は賑やかで、暖かい陽気と活気で溢れていた。
街路樹は若緑の葉をきらきら光らせ、花壇の花はおのおの輝かんばかりの満開である。
煉瓦模様の綺麗な地面をゆっくり歩く御影のとなりを、私は新品の靴を鳴らして早足で歩く。
彼曰く、彼らの仕事はフィールドワークが大事なのだそうで、私の日課は散歩になりつつあった。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったね」
「今更?」
「大事なことだよ」
そう言われて考えても見ると、私には名前が無かった。
御影は私を君と呼ぶ。それで事足りていたから、少し驚く。
「そんなこと言われても……分からない」
「まあ、そうだろうね」
彼は少し考えていたようで、しばらく経ってからぽんと手を打った。
「ユウゲツがいいね」
「安直だな。あの看板を見たんでしょう」
「いいじゃないか。夕月、夜の前兆、悪い予感だよ」
溜息を大げさに吐いて、呆れたような声を出した。
「まるでいい意味が無いのね。まあ……それでいいわ」
彼はとても嬉しそうに笑った。
その時、小さな黒い猫が私の足をかすって細い横道へ抜けていった。毛の感触が足に残る。御影はそれを見て、眉をひそめて言った。
「追ってみようか」
私は同意をした。
今日までの散歩で、彼が事前に決めた行く道の変更をすることはなかったからだ。
猫を追い、暗い路地を右に左に曲がり、走る。猫は次の曲がり角を左に曲がった。彼も同じように、路地を左に曲がり、私が続くと、彼は走るのをやめ、止まった。
行き止まりだった。路地の突き当たりで、子猫が光る目でこちらを見ている。
捕まえられると思った。私が手を伸ばして前に出ようとすると、御影が右手で制した。彼は厳しい表情で猫を見ている。
猫が高く鳴いた。
目を疑うような光景であった。
子猫は、みるみる私の何倍もあろうかという大きさになり、低く大きく、もう一度鳴いた。
「バケネコ」
彼が呟いた。
- Re: 神様の戯れ事 ( No.12 )
- 日時: 2014/01/02 20:41
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: TcM2SN2X)
「……それで、あれは何?」
早足でマンションに戻る御影を追いかけた故切れた息を整え、脱いだコートを掛ける彼に問う。
彼は深く考え込んでいるようで、こちらには目も耳もくれない。
その後、化け猫はしゅるしゅると音を立てながら、霧の中に消えていったのである。霧は街をも呑んだ様子で、部屋の窓からは白い色しか見て取れない。
私は考えて、黙り込んだ。邪魔をしてはいけないだろう。
コートを脱ぎ、身長より高い位置に掛けようと四苦八苦しているところ、彼が私のコートを取り、代わり、掛けて言った。
「君にも説明が必要だったね」
だから一度聞いたじゃない、と私は応える。
茶色いソファに座り、彼は手を広げた。
「この世界に生きる人を始め動物、虫、植物……これらは全て神様が創っているわけだよ。わかる?」
「あなたは有神論者なのね」
「そういうものさ。机上の論理じゃなくて、そうなんだよ、実際はね。僕は知ってるんだ」
「……そう」
「まあ、それで。一個一個手作りしてりゃあちょっとは失敗があるんだよ」
私たちの神様は案外大雑把なのかもしれないと思った。
カミサマ。安っぽい、胡散臭い響きに、御影は酔っ払っているようである。
「……まあ、言いたいことはわかるけど。あの猫はそんな、失敗作ってやつなのね?」
「察しがいいね」
彼は広げた手を下ろして、膝の上で組んだ。高まった表情がまた、深く沈む。
「しかしそれは簡単なことじゃない。事を穏便に解決しないといけないんだ。世界に悪影響を与えないようにね」
「その、世界に悪影響を与えるってどういうこと?」
「そうだな……」
しばらく間を置いて、彼は考えているようだ。私は静かに待つ。彼の話はどうにも長い。
「ごく簡単な例だと、今回の猫が人を喰う生物だったら? 困るでしょう。猫ごときが食物連鎖のトップだなんてさ、神様の思惑通りじゃないじゃない」
「そうね」
「まあ、例えあの猫が人を食わなくても、存在そのものが罪になるのだけど」
「抽象的ね。それはどういうこと?」
「見りゃわかるさ」
彼は今度は、考える素振りもせずに答えた。
「これから君は、僕の仕事を手伝うわけだから」
「…………ええと」
私は困る。そもそも彼の仕事を私は知らない。それから、手伝うとは。どちらを聞こうか迷う。
そして諦めた。彼は私の問いに答える気は全くない様子である。
「さあ、策を練ろうか」
- Re: 神様の戯れ事 ( No.13 )
- 日時: 2014/01/12 22:37
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: TcM2SN2X)
「いくら常識はずれの大きさになったって猫は猫だ」
御影はまた、コートを羽織った。私の上着をこちらへ放り、さらに続ける。
「君にだって慈悲の心くらいはあるだろう? 僕だって同じさ。猫を傷つけるなんて、心が痛むねぇ」
「…………」
これほど心を込めずに物を言える者は、御影以外にはいないだろう。
飛んできた上着を受け取り、私も羽織る。そのまま玄関へ向かうのかと思ったが、意に反して彼は、一つ隣の部屋に入った。
薄暗い部屋だ。本と箱、書類、写真。奥までは見えず、入口のそばに転がっている物しか確認ができない。物が多く、暗い上に足元が悪いように見えたが、彼は躓かずにすいすいと部屋の奥へ消えていった。
私も彼の後を追おうとしたが、部屋に一歩入ろうとしたとき、彼の声が飛んできた。
「待て!」
私は出しかけた足を引っ込めた。彼の声は恐ろしく鋭かった。
「部屋に入っちゃだめだからね」
何か深い訳があるのだろうか。様々な憶測が脳裏を駆けたが、私はおとなしく、何も言わず、ここで待っていることにした。余計な詮索はするものではないだろう。御影は見た目にそぐわず、恐ろしい男であるのだ。私は特に根拠もなく、そう感じた。
しばらく待つと、御影は何か、物を持って再び戻ってきた。
「……傘?」
明るい廊下に出た彼が持っていたのは、黒い傘だった。
彼は傘をこちらへ渡した。フリルのついた小さな傘。大きな、白いリボンで束ねてある。
「君の武器だよ」
私はリボンを解き、傘を開いてくるくると回し、観察した。廊下で開けるほどの小さな傘。なんの変哲もない。打撃を与えるにも、先で突くにも、この貧弱な骨では十分とは思えなかった。
「なんて心もとない……」
「心もとない? まさか!」
彼は手を打って笑った。私は少し、怒りを表情に零してしまった。
「それは君がピンチのとき、大いに役立つ物だ」
ニヤニヤと鬱陶しい。人を信用させない話し方である。
私は傘を閉じて、リボンを綺麗に結び直した。
「それに、日傘と雨傘兼用だよ。持っておいて損はないだろう」
「…………まあ、そうね」
私たちは玄関を出た。
「策を練ると、さっき言ってたけど」
御影の行き先は決まっているようだった。迷いのない足取りで、道を進んでいく。
「まずは情報集めからだよ。僕にはちゃんと、あてがある」
「そう」
私は荷物にならない軽い持ちやすい良い傘に機嫌を良くして、足取り軽く歩いた。
- Re: 神様の戯れ事 ( No.14 )
- 日時: 2014/01/13 00:24
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: TcM2SN2X)
彼が建物に入ったのは、歩き始めて数十分、それほど遠いところでもなかった。
洒落た雰囲気のこの街であるが、道を一本裏に入ると一気に空気が悪くなるのもまたこの街である。私が彼に拾われた貧民街というのも、この町の片端であった。貧富の差が激しいのか。それでいてなぜ、貧民が富豪の街を襲わないのか。私はあまり、この街を知らない。
この建物も、そんな路地の中の一角にあった。
「これから会う人は、ちょっと……何というか、きっついから。覚悟してね」
私は素直に頷いた。
御影は扉に手を掛けると、また思い出したようにこちらを振り返り口を開いた。
「滅多なことは言わないように」
言われなくともこちらから何かを語るつもりはなかったが、とりあえず、頷いておいた。
扉の先には長い廊下が続いており、どこか不気味な雰囲気があった。
コツコツと歩く音が響く。私はあたりを見回した。
紫色の布が壁に、等間隔にかけられている。オレンジ色の証明が天井からいくつも、無秩序にぶら下がっている。コンクリートの床には埃が溜まっている。
私は顔をしかめる。趣味が悪い。
どこまでも続くかに思われた廊下が終わり、私たちはだだっ広い部屋に出た。部屋の真ん中に、壁にかけられていた布と同じ柄のテーブルクロスがかかった、大きな丸テーブルと椅子がいくつか置いてある。
御影は足を止め、大きな声を出した。
「吉祥天!」
はぁい、と、どこか遠くから声がしたかと思うとその女性は既に、そこにいた。
私はひどく驚いた。
私がいつテーブルから目を離しただろうか。キッショウテンと呼ばれた彼女は、私の目に映ることなく、手品のようにそこに現れた。こめかみから汗が、不愉快な感覚が伝った。
美しい女性だった。黒い艶のある髪が首から肩に垂らされていた。薄いピンクやオレンジの色をした、絹の布を纏っていた。綺麗だと思った。
景色がぐるぐる歪み、足元が波打ち、揺れた。視界に映る色が混ざり合って、渦になる。
肩に手を置かれ、私ははっと冷たい空気を吸い込んだ。
「だから言ったでしょ」
彼が小声で、こちらに目を向けずに呟いた。
目が合った彼女は、テーブルの上で足を組み、煙草を片手に紫色の煙を吐き出して、にっこりと笑った。私は怪訝な目で彼女を睨み返した。機嫌を酷く損なわれ、私は怒り、恐怖、不安と、負の感情で一杯だ。
「その子があの、例の?」
「そうだよ」
彼女は舐めるように私を眺めた。不愉快以外の何物でもない。
私がじっと耐えると、彼女は眺めるのをやめ、また煙を一息吐きだした。
「……かっわいいわね、信じられない。こんな子供が!」
「そうだろう」
彼は上機嫌に手を広げ、言った。
私に理解できない話をされるとまた、一層不快である。私が彼女から床へ、目を落とすと、私の意思を汲んだのか彼は話を切り替えた。
「ところで、今日は君に聞きたいことがあってきたんだけど」
「何かしら?」
彼女は足を組み替えて応えた。
- Re: 神様の戯れ事 ( No.15 )
- 日時: 2014/01/15 19:01
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: TcM2SN2X)
「ご存知のとおり、場合によっては報酬が要ったりするけれど?」
御影はああ、と長い声を漏らして片手で頭を掻いた。忘れていたらしい。
「ごめん、今回のはツケといてくんない? そんな大層な事じゃないしさあ」
「いいわ。……二倍、ね?」
くすくすと笑った彼女は、また先程の見えない動作で椅子の上に移動し、我々にも席に着くように進めた。彼が座ろうと言うので私も言葉に甘える。
「ええと、ここらで化け猫が出るって話聞いたり……しない?」
「化け猫?」
御影は短く、いきさつを話した。
普段のごてごてした話し方をしないことから、彼は吉祥天という女性と話をするにあたり、少なからず敬意はあるように見える。ただの、恐怖からくる緊張感なのかもしれないが。
「なるほど、子猫が化ける……ねぇ。……核心を付く物ではないけど」
「心当たりがある?」
「親とはぐれた子猫がいるって話。奇妙なんだよね、これが」
吉祥天はどこからか灰皿を取り出し、テーブルの上に置いた。長い息を吐き、煙が消えるまで、彼女は間を置いて言った。
「親猫、らしき猫。見つかったんだけど……食い破られてたのよ、お腹が」
彼は何も言わなかった。私も何も言わなかった。
彼女は続けた。
「そのあとで、ハラワタ咥えた子猫が見つかったって」
吉祥天の建物を出ると、御影は難しい顔をした。
「これはちょっと残酷な話だな」
「そうね」
子の親離れといっても、わざわざ殺すようなことはないだろう。
私は少し、気持ちが悪くなった。彼らの話には容赦がない。
「今日のところは帰ろ……」
彼の言葉が途切れた。
「うかと、思ったんだけど。そうもいかないみたいだ」
私は彼の視線を追った。
子猫だ。ブロック塀の上にあの子猫がいる。目はらんらんと黄色に輝き、体はみるみる大きくなる。
私は、傘を上から持って構えた。