複雑・ファジー小説
- Re: 神様の戯れ事 ( No.18 )
- 日時: 2014/03/22 21:14
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
◆「面影」
それはまた随分と奇妙な邂逅であった。
君に、いきさつを語ろう。
御影は経験を積んで来いといった趣旨でつらつらと出てくる適当なことを言い、マンションを半ば強制的に追い出した。俺と金堂はまた、家々の峯の間をあてもなく歩いていた。
*
昼下がり、白い街の中。響く、二つだけの足音。
絵のような街に似つかわしくない不満を、金堂は隣でぶつぶつと吐き出している。
「具体的に物を話せっつうんだよ」
「うん」
具体的に、を何度か、それから彼の名前の読みが、あれはオカゲだろうということを何度か、そしてその他。金堂の口から、不満はどんどん出てくる。
相槌を打ってはいるものの、俺自身、それほど御影を嫌っているわけではなかった。
印象は悪く奇怪な男だが、雰囲気は至って平和的である。またすることは何もなく、時間はいくらでもあるように感じる。散歩も、彼の言う経験を積む事も俺にとって億劫ではなかった。
けれど金堂はそうもいかない様子だ。彼は暇になると死ぬような種族なのだろう。素敵な比喩の小説も、きっと彼には理解できまい。
そう、それから。
彼の尽きることのない文句を適当に流しながら歩いていると、ふと言葉が止まったのだ。俺もすぐに、彼が口を開いたままだらしなく指す指の先を見て、その理由を知った。
なんと形容するべきか。
実態はないのに気配はある。描いた、空虚な妄想のような。あるわけがないと分かっているのに、やけに重い。
アスファルトに、黒々とした影だけが焼き付いて。
「これか」
掠れた声、呟いた。これか、経験というのは。
その影には、光を遮っている身体はないようだったが、じっと、こちらを見ているような視線を感じる。視線だけでない。影の形からか、特有の神秘的な雰囲気からか、俺の目にはするりとひとつの像が映っていた。
白い、大きな帽子。纏ったワンピースの透明感。明るい茶色の長い髪をなびかせて、彼女はそこに立っていた。
俺がぼうっと見つめていると、彼女は軽い足音を響かせて、走りだした。曲がり角の向こうへ、消えてしまう。駆け足で追いかけ同じ角を曲がっても、彼女はもうそこにはいなかった。
後ろから追ってきた金堂を振り返る。彼は口をぱくぱくさせて、一生懸命に言葉を伝えようとしていた。
届かない。すべての音が消え、透き通るような冬の空と彼女の影だけが、世界のすべてだと、そう思った。
どこからか聞こえていた風鈴の音がかき消されてしまう。金堂の声が耳に戻り、煩わしく鼓膜を震わせている。
「おい、聞いてんのか、どうなってんだよ……さっきのは何だよ!」
「うるさいな!」
俺は焦っていた。意図せず大きな声が飛び出したのは、焦っていたからだ。どうしてか、から回る頭で考えても答えは出ない。
「お、落ち着けって……」
頭を抱える。
ずいぶん前に見た、誰かの姿に似ているのだ。思い出せない。
- Re: 神様の戯れ事 ( No.19 )
- 日時: 2014/02/22 10:06
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: TcM2SN2X)
*
少し取り乱してしまった、あの時はね。過去の過ちを振り返ることはときに大切だけど、俺としては正直、あまり語りたくないな。
確かに、誰かの面影を感じたんだよ。だけど、今になっても思い出せない。そうかな。いや。もしかしたら何かの勘違いなのかもしれないね。
*
日陰に座り込み、髪をくしゃくしゃと掻き毟る俺を、金堂はどんな目で見下ろしているだろう。上がっていた体温が静かに引いていくのが分かる。髪から手を離し、長い息を吐き出した。くだらない妄想と一緒に。
「…………すまん」
顔をあげる。
「びっくりさせんなよな」
金堂は、目を伏せて誰にともなく呟くように言った。彼なりの優しさだろうか。合わなかった視線を、だらりと足の上に落とした手の中に落とした。
「……それで、さっきの影は何だったんだよ? あれか? カイキ・ゲンショウか?」
「影?」
立ち上がり、塵を払う手が自然と止まる。
「影って……。さっき、見なかったのか? ほら、女の人がそこに……」
「何を言ってんだよ、さっぱり分かんねえ。お前……頭打った?」
おかしいのは俺の頭か、この状況か。俺は考える。彼女は金堂には見えなかったのか。
「…………ああ。そうかも」
彼といると適当な相槌が上手くなる。
金堂が言うには、影を作るものがないのに影だけが現れるという、不可解な現象がこの地の上にあったそうだ。俺にはそれが彼女の影だと分かったけれど、彼には何者も居るようには見えず、ただ単に、怪奇現象が起こっている、目の錯覚か、これはなんだ、トリックか、と騒ぎ立てるまでだった。
それからしばらく、俺は黙りこんだまま彼の後をついて歩いた。相変わらす行くあてはなかったけれど、彼の揺れる黒いスウェットの余った布を見て、迷いのないように思える。
どの道を辿ったのか定かではないが、金堂が足を止めたのは廃墟のようなビルだった。
「ここは?」
苔が覆った地面、ツタの絡む汚れた壁。なんて冷たい建物だろう。寒いのは冬のせいでなくて、日陰になったこの場所の空気から、芯から、冷たい。
「そうだな……アジトって感じだな」
彼は言う。
「まあ、ただのたまり場だ」
- Re: 神様の戯れ事 ( No.20 )
- 日時: 2014/03/22 12:38
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
*
その「たまり場」には、男の子が一人居たんだ。冷たいコンクリートの床の上、膝を抱えて眠っていた。
そう、その通りだ。
彼は鍵だった。文字通り、僕にとっての大事なね。
消えた記憶はどこへ行くんだろうか。君は知っているようだけど、もちろん、教えてくれないだろうね。ほら。
*
男の子について金堂に訪ねると、彼は目線を地面に落として語り始めた。
「イツキと言うんだ」
金堂によると、男の子は、この街のスラム街寄りの場所にある駄菓子屋の子供だそうだ。年の離れた姉が細々と切り盛りする店。両親を亡くしながらも、幸せに暮らしていたというが、ある夜から姉の姿が見えないのだという。
世知辛い世の中だ。ある小さな家の柱が消えたことなど誰も気づかない。助けてやる余裕がないのだろう、この貧民街の住人は自分のことで手一杯なのだと金堂は言った。
しかし、金堂には余計な世話を焼く余裕があった。俺は彼がどのように生活をしているか知らないが、金や食料には困っていない様子である。イツキという少年を保護する目的で、この建物へ連れてきたらしかった。
「……妙なことがあってな」
彼はひとしきり語り終えたあと、間を置いて呟いた。声は低く、ただならぬ雰囲気に、俺は唾を飲みこみ、次の言葉を待った。
しかし、その先は金堂の口から発せられなかった。
金堂が再び口を開いたとき、視界の奥で少年が動いたのだ。目をこすり、あくびをしながらこちらへふらふら歩み寄り、イツキは言った。
「ああ、おねえちゃん、おかえりなさい」
振り返っても、汚れた壁があるばかりである。少年は、俺の背後を見てその言葉を言ったのだ、間違いない。のに。
俺は金堂と目を合わせる。彼は長く息を吐いた。
- Re: 神様の戯れ事 ( No.21 )
- 日時: 2014/03/14 23:11
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
彼、イツキという少年は見えない姉と話をしていた。
短い会話だった。その間、俺と金堂は黙りこみ、彼らの一方的な言葉の断片を聞いていた。イツキが発するのは相槌が主だったため話の筋はぼやけたまま、イツキは最後に「分かった」と言った。会話は終わったらしい。
イツキの空と合わせていた目が、こちらの目と合った。
「背が高いほうのお兄さん」
「何かな?」
俺はその場にしゃがみ、彼をきちんと見た。まっすぐな視線だ。黒く大きい瞳の中に、自分の姿が映り込んでいる。
「『目を閉じて、息を大きく吸って、すべて吐き出して。そうして、もう一度目を開いて』」
彼の無表情。少年らしからぬ据わった声が硬い天井に反響した。
イツキは一言、続けた。
「おねえちゃんが、伝えてって。お兄さんにしてほしいんだって」
俺はその時、彼の表情に既視感を覚えた。深層を、真理を問うような、どこか遠くを見つめる目をしている。そう遠くない過去に一度、見たことがある。立ち上がって、目を閉じた。どんな意味があるかは分からないが、従うべきであろう。
息を吸い込む。肺が一杯になったところで、少しだけ息を止め、少しずつ吐き出した。目を開けようと、思った。
しかし突如、異様な感覚が体を翔けた。
全身を感覚器官としてあらゆる情報が体内を駆け巡る感覚。微かな音が群れをなし風となり地を駆け足元を掠めた。おぞましい感触だった。足から何か得体の知れないものが、皮膚を伝って這い上がってくる。大量の虫に体の表面を撫ぜられているようでたまらず、目を開いた。
息が上がっていた。震える指先で顔を、腕を、体を触り、虫が付着していないかを必死に確かめた。金堂が何か言った。
「……露木くん」
ふと、自分の手が止まった。
蜘蛛の糸のような声。白く、細く、美しい声だった。何も見えなくなっていた目に、イツキの姿が映った。怯えと心配の混じった顔で身を引きつつ、こちらを眺めている。
けれど、さっきのそれはイツキの声ではない。それでは誰か。目を失ったばかりの少女が、光を探し駆け回るように、俺は声の主を探した。
そして、気がついた。
「落ち着いて?」
ゆっくりと後ろを振り返る。
彼女だった。つい先ほど朧に見えた影が、今ははっきり地面に立ち、存在していた。冬の陽射しのような笑顔を浮かべている。
俺はもう一度深く呼吸し、瞬きを何度かしたあとで、首を縦に振った。
- Re: 神様の戯れ事 ( No.22 )
- 日時: 2014/03/15 00:11
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
「……おい、どういう事なんだよ」
「君には彼女が見えないの?」
金堂は随分困惑している様子で、どうやら本当に見えないらしい。
「どういうこと?」
彼女に尋ねたつもりだったが意図せず金堂から暴言が帰ってきた。俺は呆れ、彼女は困ったように笑う。
「今の私は……そうね、幽霊みたいなものなのかもしれない。普通の人には見えないのだけど、露木くんはちょっと特殊だから」
「……よく分からないな」
こんなにも初対面であるということは忘れがちなことだっただろうか。俺は、自分の名を絹の布のように自然と口にする彼女に本来聞くべきことをすっかり忘れ、違和感なく飲み込んでしまっていた。
イツキは彼女のことが見えているようだった。さっきまで一方的に聞こえていた会話がすっかり筋を通している。イツキは俺が彼女を見ることが出来ると聞くと、嬉しそうに笑った。
先ほど彼に覚えた既視感は、彼女のものだったのだろう。同じ血を分けている訳である、顔立ちが似るのも納得がいこう。実際、並んでいる彼と彼女はよく似ていた。
「なあ、説明をしてくれよ説明を。俺はおいてけぼりか? 冗談じゃねえ」
金堂がきいきいと喚き立てた。自分が理解できないことを説明しろと言われても無理な話だ。
俺は彼女に尚の言葉を求めるがしかし彼女は、俺が特殊であるという事以上の情報は与えてくれなかった。仕方なく不十分に噛み砕いた話を、金堂に向かって語る。
「彼女は俺とイツキには見えるが、君には見えないんだ。何故かは知らない、聞かないでくれ」
金堂は気を悪くしたようで、彼女の制止も虚しく吐く言葉が一層汚くなった。不平不満をこぼす彼に、俺は少し強めの口調で沈黙を強制した。静かになった部屋の中、彼女は切り出した。
「それで。……私はお願いをしたい」
「俺にできることなら」
「私の病気を、治してほしいの」
薄い笑顔は消え、どこか悲しげな表情を浮かべる彼女を見て、イツキも雰囲気を察したようで、彼女と同じ表情をした。
彼女はイツキの綺麗な髪を撫でながら続ける。
「ある日突然、誰からも見えなくなってしまった。見えるのは樹と、露木くんだけみたいね」
輪になり腰を下ろしたコンクリートの冷たさが嫌に染みる。うるんだ目を落として、彼女は小さく言った。
「誰とも目が合わない。叫んでも誰にも聞こえない」
「わかった」
彼女の言葉を遮るように言ってしまったことを、言ってしまってから気がついた。彼女と話をしているとこちらの冷静さが音を立てて削れ、なくなっていくようだ。
「なんとかする。俺が」
慎重に言葉を選ぼうと時間をかけた言葉を発し、また少し後悔する。子供の約束のような、なんてか細い言葉だろう。それでも彼女は顔を明るくしてくれた。
「……嬉しい。私には確証があるのよ。貴方なら必ず治してくれる」
「どうして?」
「なんとなく、としか言いようがないのだけど」
自嘲気味な笑顔が俺を照らした。
「そう、思うのよ」
- Re: 神様のジオラマ / 題名変えた ( No.23 )
- 日時: 2014/03/16 16:33
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
「私……オトナシ。音無って、呼んで」
彼女はそう言ったあと、散歩にいってくると建物を出た。
人には見えないというのは楽しい一面もあるらしく、さほど困ってもいないように、寧ろ楽しんでいるようにも見えるが影を語る彼女の顔が暗くなったのは事実だ。何とか、できることならと思う。
御影のところを訪ねよう。彼なら何か知っているかもしれない。
そう考えて立ち上がると、イツキがコートの裾を軽く引っ張った。
「どうしたの?」
尋ねる。
イツキはばつが悪そうな、後ろめたさを感じさせる顔で申し訳なさそうに言った。
「外に出て遊ぼうよ。……僕と、遊んで」
「いいよ」
ほんの少し考えてから、答えを出した。
すらすら話せるところから自分は子供が嫌いではないようだし、何よりイツキは彼女の弟だ。
「あ、待てよ、俺も……」
「露木サンと!」
慌てて金堂が立ち上がろうとすると、イツキがそれを遮った。
外へ出る扉へ向かって歩き始めていた俺は驚いて後ろを振り返った。
「ごめんなさい……ぼく、露木さんと遊びたいんだ」
大きな声だった。声量が、ではない。謝罪の言葉はあるが、強く意思がある。俺は小さな危機感を覚える。彼には何か、問題がある。
「そういうことだ。金堂、ちょっと待っててくれないか」
「あ、ああ。分かった」
金堂も俺と同じことを感じたのだろうか。彼は上げかけた腰を下ろし、腕組みをして眉間に皺を寄せた。
鉄の扉を開くと、傾き始めた太陽の淡いオレンジ色が柔らかく、舞う塵を照らした。
幻想的である。
「ねえ、お兄さん」
イツキの機嫌とは対照的に。
「どうしておねえちゃんは露木さんに見られるの?」
「……さあ、分からない」
「せっかく」
日が陰った。小春日和の風はどこかへ行ってしまったのか、冷たい北風が路地を抜ける。光源は遮られている筈なのに、少年の足元に黒々とした影が伸びはじめた。
不穏。身構える。
「せっかく……」
言葉は続かなかった。
イツキの握り締めた小さな拳から力が抜ける。羽が地に落ちるように軽く、地面に倒れ込みそうに、沈もうとしていた彼を受け止め、扉を振り返った。
「危ないっつうの」
金堂が開いた扉に寄りかかり、上げていた腕を下ろした。
「何をした?」
興味本位だった。
イツキは何かをしようとしていた。何か。俺の感覚が正しいのなら、それはきっと良くない事だ。それを止めたのは他でもなく金堂である。咎める意図は無い。
「デコピン」
彼はにやりと笑った。鴉を殺したのと同類のものだろう。彼もまた不可解な生き物だ。
「イツキはあんな目、しねえ奴と思ってたんだがな」
その通りだと同意する。
俺も見た。イツキの目は、恐ろしく黒かった。
- Re: 神様のジオラマ / 題名変えた ( No.24 )
- 日時: 2014/03/16 17:15
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
*
建物の中に気を失ったイツキを寝かせ、俺と金堂は御影の下を訪ねた。
音無の病気のこと。イツキの目のこと。聞きたいことは他にもたくさんあったが、それについては取り合ってはくれないだろう。
「いらっしゃい」
カップのコーヒーを片手に扉を開いた御影は、微笑みを貼り付けて続けた。
「見えない少女のご相談?」
隣で唾を飲み込む音が聞こえた。俺は動じない素振りで肯定する。
案内された、初めに訪れた時と同じ部屋にはコーヒーカップが二つ用意されていた。待ってましたとばかりに湯気をうねらせて。
「あれは病気なんかじゃないよ。誰かの悪意の塊……そんな感じだね」
無駄な装飾は一切せず、彼は本題を切り出した。
「悪意?」
「そう。コイだよ」
故意。彼女には誰かに恨まれる部分があったろうか。
暗い木のテーブルに目を落とし、思い当たる節を探すが見当たらない。口をつける気のしないコーヒーは湯気を出すのを止めていた。
「犯人捜しだ。僕に言えるのはこれくらいかな」
「犯人つったってよ、世間は広いんだぞ」
「そんなことはないさ」
カップをを空にして机の上に置き、彼は嘲笑うように微笑んだ。
「世間なんてせいぜい、箱庭くらいの大きさだよ」
御影は見掛けに寄らず多忙なのだそうで、労いの言葉を残して部屋を去った。冷めたコーヒーを飲み干して、俺と金堂も席を立つ。
謎は解けないまま後味は悪かったが、彼のコーヒーは美味かった。
- Re: 神様のジオラマ ( No.25 )
- 日時: 2014/03/16 21:44
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
彼らのアジトに戻る頃には、日はすっかり落ちていた。
黒々とした夜が街灯のない路地に蔓延っている。何も見えねえよと何度も呟く金堂とは逆に、俺にはきちんと見えていた。こういうことだろう、御影に言われた言葉を思い出した。
彼は労いの言葉をかけたあと、思い出したように付け足した。俺に向け、「君は人より五感……いや、それ以上か。とにかく感覚が鋭いんだ。活用するといいよ」、とそう言った。
この目は猫の役割も果たすらしい。便利なものだ。
アジト内の薄汚れた天井には蛍光灯がわずかばかり設置されていた。心もとない光だったが、無いよりはマシだろう。子供心には暗闇は恐怖そのものだ。
弱い灯りのもと、部屋の奥でイツキは音無と話していた。
「帰ったぜ、イツキ」
金堂が声をかけるとイツキはこちらに気がつき、にっこり笑った。それから俺を見て、細く伸びた目を開いた。笑った口元はそのままに、目の笑みだけをぬぐい去った。
「おかえりなさい」
俺は引きつった笑みを浮かべつつ、音無にただいまと返した。
音無はまだ俺に何か言いたげに口を開いたが、イツキが彼女に慌てて話しかけ、言いかけた言葉は飲み込まれてしまった。
犯人を捜せ。俺にはその犯人が大方分かっていた。察しの悪い金堂もここまで露骨に嫌悪を表現されれば、もう気がついたろう。
しかし、動機が分からない。故意? そもそも、それは本当に悪意なのだろうか。
「金堂」
「なんだ?」
意図は伝わったらしく、彼も囁くように応えた。
「イツキの姉が居なくなったのはいつ頃だ」
「夏だ。……半年くらい前。それがどうかしたのかよ」
「いや……その、姉っていうのは、血が繋がった姉なのか?」
金堂は少し考え、分からないと言った。俺は彼に軽く礼を言い、談笑する彼女らの方へ歩み寄る。
イツキの表情が鋭くなる。気づかないふりをして、音無に訪ねた。
「さっき俺に、深呼吸をするように言ったよな。理由を教えてくれないか?」
「あれはね、露木くんの力を最大限に引き伸ばす方法なのよ」
音無は指を立て、身振り手振りをつけながらにこやかに話す。彼女は自分自身より俺のことをよく知っているようだ。
「まずは落ち着くこと。目を閉じてっていうのは、視覚を強くしてほしかったから。一つ塞げばその分だけ他の感覚が強くなるから、深呼吸をするときに嫌な感じがあったでしょう」
「ああ」
「その状態で目を開けば、強くなったエネルギーが縄を解かれた目に伝うのよ。……余計な事しちゃったかな」
少し申し訳なさそうに音無は笑った。
「今は安定して見えるみたいだけど、さっきは露木くん、あんまり分かってないみたいだったから」
「いや……そんなことはないけど」
「ね、おねえちゃん! それでね……」
しびれを切らして強引に続きをはじめたイツキを尻目に、俺は金堂のところまで戻って彼にもう一度声をかけた。
「ボス戦だな?」
金堂は不敵に笑った。俺は首を縦に振る。
- Re: 神様のジオラマ ( No.26 )
- 日時: 2014/03/22 00:29
- 名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)
「なあイツキ」
「……何?」
怪訝な目がこちらを振り返った。俺は差し出した手の指を折る。
「遊ぼうか」
策略は無かった。きっと、正解も無い。ただ、自信だけはあった。
金堂が扉を閉める。建物の中に心配そうな顔をした彼女を残してきた。月明かりが街灯のない道を照らしている。冬の夜、無慈悲な風が頬を掠めた。俺のコートが風に煽られ、イツキのくせのついた髪は揺れる。
「君は俺のことが嫌いだ。そうだな? 俺にはその理由がよく分かるよ」
「…………」
「でも君自信は分かってない」
随分心地のいい夜だった。俺も風に習って彼を煽る。
「知りたい?」
“感覚”の調子も良いらしい。俺にイツキの感情がだらだら流れ込んできて、手に取るように波を感じる。気分が良くて仕方がない。
彼は今葛藤にある。憎む相手を前にして、感情を攻撃で示そうとしているくらい自分の中のよくわからない感情の答えを探している。よくわからない感情。彼の中の影だ。
「知りたいんだろ?」
多量の記憶が細切れになって俺の心に映っている。
半年間、悩んだ。自分にしか見えない姉を助けたい。自分にしか見えない。このままでもいいか、この気持ちは果たして何か。
そうだろう、俺は問いかける。
「うっさいな!」
疑問。答えは聞くべきか。俺は認識する。彼が出した結論は、ノーだ。
「さあ、実力行使だ。教えてやるよ」
彼の背後に伸びていた影が縮んでゆき、彼の目がまた黒く闇を映し出した。叫び声、うめき声ともつかない声。頭を抱えたイツキの影がこちらに来る。
「金堂」
「おう!」
金堂は腕を上げ、推し量るように片目を瞑って突き出した手を軽く握った。イツキが腕を取られ、宙に浮く。
思った通りだ。彼は影と体の一部が接していないと、攻撃が出来ない。
「君の影はきついにおいがするんだよ」
暴れるイツキのシルエットを映し出すアスファルトを見つめながら言った。
「罪悪感……焦りもある。でも、もっとずっと甘い匂いだ。さしずめ所有欲ってか」
馬鹿馬鹿しくなって笑い、彼の影から目線を逸らす。
「コイの香りだな」
息を吸った。さっきより強くなった香りが鼻につく。恋にしては少し値打ちの下がる香りだ。万人受けはしないだろう、俺もあまり好きでは無い。
イツキは暴れるのを止めた。
「イツキ。君は君の、勝手な感情で彼女を困らせてるんだ」
まだ彼の中にはわだかまりが残っているようである。分かりやすく説明をする必要がありそうだ。
「音無の病気は、君のせいだよ」
吐き戻すような感覚が喉の辺りを伝った。