複雑・ファジー小説

Re: 神様のジオラマ / 設定集みたいなの追加 ( No.28 )
日時: 2014/03/23 14:17
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)



「君は神様を信じるかい?」

 御影の呼びかけに応えると、思っても見ない下らない質問を投げかけられた。砂糖のみを入れた紅茶をすすり、わざとらしく溜息を吐いて見せ、あまり考えずに答えを出した。

「まあ……居たらいいと思うよ」
「そうか」

 彼は年季の入ったタイプライターを前に何か考え込むような仕草をした。
 最近、彼の時間はもっぱら何やら書き物をすることに費やされている。何を書いているか尋ねても彼特有の話術で上手く煙に巻かれてしまい、真相は分からないままだ。彼のはぐらかし方にはどうにも慣れられず、いつも話が終わった後に舌を打つ始末で、彼の筆が置かれない限り私の気分はあまりよくない。
 今日もまた例の如く同じようにごまかされてしまうだろうから、私は喉まで出かかった質問を紅茶と共に飲み込んだ。

「僕は断固として神様親衛隊なのだけど」

 軽快なタイプ音が再び鳴りはじめた。春には熱過ぎた紅茶も、手を付けていない彼のは程よく冷めているだろう。因みに私は火傷をしかけた。

「ちょっと許せないことがあってね」

 タイプ音が止んだ。紅茶を一口飲んで、彼は言う。

「どうも近日、偽物が蔓延っているらしいんだ」

 さぞ忌々しそうに。
 この国は神の国だ、どの神を崇めようと自由である。その点について論議しようというわけではなかろうが、私にはよく意味が理解できなかった。彼に何かを問う時は自分でよく考えてから口に出そうということを決めていたので暫く考え、仕方なく問うた。

「偽物?」
「ああ。『願いは必ず叶えませう』とか唱えてさ」
「ふうん……興味ないわ」

 十分に冷ました紅茶の中途半端な暖かさがティーカップを通して指に伝わっていた。気怠い春の白昼。今にも寝られそうな穏やかな日。

「そんなあつれない事言わないでえ」

 僕たちの役割は平穏を維持する事だとは良く言ったものだ。それを妨げるのはいつだって彼で、今もまたにやついた顔でハンマーを携え、今に破壊活動を始めようと構えている姿が想像できる。

「潰しに行く」

 溜息が出る。どうせ断ることは出来ないし、そもそも選択肢を与える言葉ではない。

「了解」

Re: 神様のジオラマ / 設定集みたいなの追加 ( No.29 )
日時: 2014/03/23 16:20
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 私は一人で日の暮れかけた街道を歩いていた。まったく腹が立つ。御影の言葉を思い出して、靴の踵で地面を強く叩いた。丸投げだ。傘も振り回したいような気分だったが、さすがに自制心が働いた。私は子供ではない。
 彼はこう言った。

「もっとも、最初に動くのは君だけだけど」

 それから、東の通りにあるチーズケーキが名物の喫茶店の名を挙げた。彼のお気に入りらしい、私の名前を決めた店。

「きっといい成果が得られるよ」

 イブニング・ムーン。コーヒーの色をした看板に、ミルクの色をした細い線が英字を描き出している。ベルの音を鳴らす扉を開き、店内を見回すが彼の言ういい成果は見当たらなかった。昼過ぎ、紅茶を飲みに来たであろう客も引きかけ、時を忘れて本に心ごと浸る客、ノートと文献を広げて難しそうな顔をする客、いずれにせよ店主にとっては迷惑極まりないような客が五名ほど見えるばかりである。店内はどこか寂しい雰囲気をしていた。
 席に着き、チーズケーキを注文した。御影から受け取った、保険だという心ばかりの金では茶までは飲めなかった。
 事はすぐに動いた。チーズケーキを待ちつつ、流れる裕福な人々を眺めていると、相席に一人の青年が腰を掛け、私に話しかけてきた。

「お嬢さん」

 私は返事をしなかった。知らない人に話しかけられた時のマナーである、まあ、それは冗談だが。
 その青年は明らかに、なんというべきか、不審なのだ。目の下に彫り込まれたような深い隈。不健康そうな白い肌。華奢な身体。汚れのついたレンズの眼鏡。
 とは言うものの冗談の言える程度の不審者だ。席を立ち、店員に告げるほどの事ではないだろうと思い、水を口に含んだ。

「……お嬢さん、とっておきの話があるんだけど」

 青年はなおも話しかける。

「聞きたくない? お金は取らないしとっても良い事なんだ」

 私は御影の言葉をもう一つ思い出した。「語り部の話は聞くことだよ」……これは、今の状況のことだろうか。あいつは占い師か、さもなくば預言者か。胡散臭い。

「なあに」

 返事をしなければ御影は怒るだろうか、考えながら、青年に応えた。
 いや、きっと怒らないだろう。彼は私がそうしないことを知っている。違いない。
 青年は青白い顔を明るくした。

「願えばぜんぶ叶えてくれるっていう、神様が居るんだ」

 来た、確信する。やっぱり彼の言うとおりだと、同時に失望する。

「ふうん……興味あるわ」

 私は青年を真似た不安定な笑顔を貼り付けた。

Re: 神様のジオラマ / 設定集みたいなの追加 ( No.30 )
日時: 2014/03/23 18:00
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 彼は気を良くすると、チーズケーキを運んできたウエイトレスにコーヒーを二つ注文した。彼はケーキを含めて奢ると言う。なるほど、保険のはした金。コーヒーよりも紅茶を注文しておけばよかったと遅い後悔をする。
 貧乏学生のような風貌には似つかわしくない、随分と良い気前だ。金に困ってはいない様子だ。

「本題に入ろうか」

 青年は腕をテーブルに乗せ、軽く身を乗り出した。しっとりとしたスポンジを切り終えたフォークが皿に当たる。

「僕は……その、ある理由からこんなふうに勧誘をしなくちゃいけなくなったんだけど」

 美味しい。口の中でふわっと溶ける主張しないチーズの香りが良い。さすが看板メニューだ。

「あんまり疑わないで聞いて欲しいんだ。まあ、疑わしいって、僕も最初は思ってたんだけど……そんなこともないんだ。いい話だから」
「いいよ、話して」

 十分な予防線と臆病な語り方。そして何より直接的だ。彼は勧誘には向かないように思う。チーズケーキが胃に落ちきって砂糖を三本入れた私のコーヒーも半分姿を消そうとしており、しびれを切らしてつい、口を出してしまった。

「ああ、すまない……。ええと、そうだ、これ読んでよ」

 彼はごそごそと手に持っていた大きなバッグの中をまさぐり、端が折れた薄い冊子を取り出した。禍々しい、昔のホラービデオのパッケージのようなフォントで大きく『微言葉』とある。……びことば?

「御言葉。それ、読んで、もし興味が出たら、次の月曜日の夜そこに来て」

 ああ、御言葉。わざとだろうか。青年は冊子の裏、地図と場所の名前を指した。
 台本も、断られる前提で作ってある様子だ。踏むべき手順があるのなら、時間なんて置かないですぐについていくのに。あんまり焦っても不信感を煽るだけだろうと思い、私は冊子を受け取った。

「じゃあ、今日はこれで……。あ、お金、払って帰るから。ゆっくりしてってね」

 青年はなみなみ残ったコーヒーを一気に流し込み、バッグと伝票を持って席を立った。君こそゆっくりしていけ。
 私は残ったごく微量のコーヒーをゆっくりと飲みながら、暮れゆく街とせわしない人々を眺めていた。

Re: 神様のジオラマ / 設定集みたいなの追加 ( No.31 )
日時: 2014/03/23 20:18
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 トワイライト。ムーンライト。親近感だろうか。今に日が地の果てに落ちようとする瞬間の光、東に上る月の大きさにそぐわぬ弱い光。藍色に飲まれまいとする緋色の中、金星の輝き。そういったものが、私は好きだった。
 黒い影になる遠くの鉄塔、街路樹。灯り始めた街灯の光を、春の宵の分厚い大気が拡散する。春の匂いを肺一杯に吸い込み、喫茶店を出た私は帰路を辿った。

*

「成果、あったみたいだね」

 玄関まで出迎えに来た御影は満足げに言った。彼は下ろしたばかりらしい、薄手の灰色のコートを着ている。どこかへ行くのだろうか。私が特に何も言わず、部屋の中に入ろうとすると、彼がそれを止めた。

「休む気? お仕事はまだあるんだけど」
「……あー」

 我ながら気の抜けた声が出た。御影が電気を切り、革靴を履いて出てくるのを扉を抑えながら待つ。カフェインを散々摂取したというのに、温い空気が眠気を誘っている。

「これから向かうのは彼らの、そうだな、拠点だ。カミサマのお住まいだね。……それ、貸して」

 扉もなく鉄の洒落た柵があるのみの素朴なエレベーターで、地に着くまでの余暇をうとうとと過ごしている私の手にあった冊子を取って、ふんふんと言いながら彼は読んでいる。軽い音を立て、箱は静かに停止した。

「面白い?」
「全然」

 まあ、そうだろう。道を歩きながら随分と楽しそうに冊子を読んでいるので、皮肉を少し含んで尋ねたのだが。返された冊子を、ぱらぱらとめくる。『シュウキョウホウジン“帝国”』、『幸運ニ憑キ入信スベシ』、『帝釈天様ノ有リ難キ御言葉』……。赤、緑、黒のみの濃い色彩。無駄に大きな見出しが目に付く。
 帝釈天とはまた強そうな。インドラと言ったほうが分かりいいだろうか。雷を操る神である。天と地を繋ぐほどの巨体というのだ、是非見てみたいものだ。

*

 夜も深まりつつある街の中をしばらく歩くと、『帝国』本社ハコチラヨリ、そう書いた看板を発見した。随分真新しい。ペンキ塗りたてかと思うほどの鮮やかな赤色が三日月の光を受けて輝いている。
 スラム街に近いのだろう。周りの建物も淡白にシンプルになっている。街灯の数も随分減ったようだ。
 看板の前で立ち止まっていた彼が何かを見上げたので、視線を追ってみると、黒々とそびえ立つ巨大なビルが少し先にあった。窓もなく、光は一切漏れていない。
 遠くから眺めることしかしていなかったので真偽は分からないが、街の端の高い鉄塔と同じくらいの高さがあるように思えた。

「ここだね」

 なんて趣味の悪い。私は玄関らしきガラスの両開きの扉を見て思った。抽象画のような模様が描かれていた。いくつもの丸が連なり、目玉を連想させる。色彩は相変わらず赤、緑、黒。
 御影は目を細めて唸った。

「思ったより何も見えないなあ……無駄足か」
「勘弁してよ……」

 欠伸が出た口元を覆う。子供はもう寝る時間だろう。業務時間外だ。

「やっぱり乗り込まないとだめだね」

Re: 神様とジオラマ / 設定集みたいなの追加 ( No.32 )
日時: 2014/03/24 19:50
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 私は半分寝ながら、御影にひっぱられてやっとのことでベッドにありつき、すぐに眠った。
 随分遠いように感じたが、治安の関係で遠回りをしただけだと言う。貧民街の入り組んだ路地を正しく進めば、道のりは三十分とかからない、らしい。初めからそちらを通ればよかったのに、と御影に言うと、君が足でまといなんだと一蹴された。彼は今機嫌が優れないらしい。

*

 喫茶店の青年に指定されたのは次の月曜日、夜。三日ほど猶予があった。

「一度入り込むけど、それは下見だ。よく観察して、見たものをそのまま僕に伝えてほしい」

 僕の目は脱着可能じゃないからね、御影は眼球を摩って言った。

「くれぐれも、行動を起こさないように」
「分かってる」

 まあ、特にする準備も無く。
 傘についた汚れを取り、傘をまとめたリボンを解いて綺麗にまとめなおすくらいはしておいたが、十分とは思えなかった。

*

 夢を見た。月曜日の朝だった。思えば、覚醒を迎えてから初めて夢を見たような気がする。
 恍惚としながら、暖かい場所に飲まれていく感覚。柔らかくて、甘くて、哀愁を含んだ声。心地が良かった。
 ヒトが生まれる前、まだ母親の胎内に影も形もないときの魂の居場所が、こんな場所であったら良いと、そう思った。

*

「傘は持った?」

 御影が言った。窓から指す斜陽が最も強い時間。
 指定された場所は、聞いたことのない店の前だった。ここからそう遠くはない。

「持った」
「宜しい。それはお守りにもなるからね」
「都合いいのね」

Re: 神様とジオラマ / 設定集みたいなの追加 ( No.33 )
日時: 2014/03/24 21:24
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 待ち合わせの店は、随分かび臭い外装をしていた。
 古本屋だろうか。彼に聞いた店の名前とは異なるようだったが、私の小さなポシェットに折りたたんでしまった冊子の地図はどうしてもここを指していた。
 所は中央街の真ん中である。都市ぐるみの再開発の中、頑固に居座った末、街や時に置き去りにされたような、古めかしい。色のあせた看板は横書きであるが、右から左へと読ませている。
 私は店の前でしばらく待ってみたが、夕日の勢力が弱まってきても青年は現れなかった。人を呼び出しておいて、マナーのなっていない奴だと腹を立てつつ、私の興味は古本屋の中に向きつつあった。
 彼が現れるまでだ。そう誤魔化して、私は店の中に入る。

 私は古本や紙の束を眺めていたが、しばらくして気がついた。店主がいない。
 異様である。再開発を頑なに断るような……これは私の勝手な想像だが。そうでなくともこの古い店を長年に渡って守り続けてきたような亭主が、店を放ってどこかに行くだろうか。
 汚れのついた、埃の溜まった床に目を落として、考える。まだ、何か違和感があるのだ。
 しかし、世界は私に思考を続けさせてはくれないようである。
 店の外、薄汚れたガラスの向こう、不健康青年の姿が見えた。昨日と同じような格好をして、私を探している。

「え」

 私が急いで店を出ると、青年は酷く驚いて振り返った。

「……何?」
「いや……何で、そこから……」

 指を指された扉を肩ごしに見て、私も酷く驚いた。

「『閉店』」

 奇妙な出来事。ドアの取っ手にはそう書かれた札が下がっており、押しても引いても扉が開くことは無かった。
 しばらく間があった。お互いの、小さな脳みそで処理できるほどの出来事では無かった。

「ね、ねえ。時間も遅くなっちゃうし、早く行かない?」

 震える声で彼に提案をする。陽はもう沈んでしまっただろうか。瑠璃色の空、西の方には東雲色の雲が薄く伸びている。

「そ、そうだね」

 私達はようやく、歩き出した。

Re: 神様とジオラマ / 第二章進行中 ( No.34 )
日時: 2014/03/26 14:37
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 場所を知られてはいけないのか。私はぐるぐる連れ回されてふと思った。近道をすれば数十分の道を、青年は一時間かけて歩いた。
 足の疲れも深刻になってきた頃、見覚えのある道に出る。

「もうすぐだよ。長く歩いて悪かったね。着けば休憩ができるから……」

 労いの言葉をかけてもらいながら、看板の前を通り過ぎ、この間は手を触れなかった両開きの扉の前に立った。
 青年は目を泳がせている。何か、通過儀礼があるのだろうか。
 扉の先は廊下が続いている。吉祥天のところとは違い、嫌に白い蛍光灯が明るく照らしてはいるが。
 そんなことを考えているうちに、扉が開いた。青年の緊張は解けた様子だ。彼に続いて、中に入る。
 扉の影には、右側、左側、それぞれに人が居た。学生服を着た男の子と、ブレザーの女の子。奇妙なことに双方、狐の面を被っている。無感情な細長い眼は、合わない。
 彼らを横目に廊下の先のエレベーターに乗りこんだ。青年は一番上にあるボタンを押す。数字は書いてはいなかった。
 ホラー映画のような、どこか病院の雰囲気のある、このビルは果たして何階建てなのだろう。落ちたらただじゃ済まないことは確かである。

 目的の階に着くまで随分時間がかかった。
 エレベーターの扉が重々しく開く。冷えた一階とは違い、温い空気がエレベーターに吹き込んだ。

「ここからは君一人で」

 やや不安だったが、私は箱を出て長い廊下に踏み出した。周りを見回しつつ、歩みを進める。
 やけに光が赤いと思ったら、蛍光灯に赤のフィルムが貼ってあった。まあ安っぽい。
 行きあたったのは、また扉だ。
 横にスライドして開けるらしい、病室。私は私の非力では重い扉をやっと開け、部屋に入った。

「ようこそ、わが帝国へ」

 セーラー服の女の子が手を広げて言った。壁に面したベッドにあぐらをかいて座りっている。耳にかからない短い髪、狐面、赤いマント、素足には、下駄。スカートの長さから見て、中学生くらいだろうか。赤い蛍光灯の光に照らされて。
 
「まあ、座ってよ」

 足も疲れていたことだし、私は言葉に甘えてベッドの傍にあった質素な丸椅子に座った。

「それで? 入信希望かい?」くぐもった声。
「はい」
「そうか。じゃあ、何か、願い事は?」

 願い事? 私は考えた。何かを言うべきだろうか。何か、言おうと思うのだが私にはどうにも、夢も希望もない。

「……まあ、迷うよな。焦らなくていいよ。決まったらもう一度来い」

 彼女は静かに笑う。

「あたし、どんな願いでも叶えてやれるんだ」

 狐面を摩った爪の伸びた指で、彼女は自分を指さした。

「帝釈天。様を付けて呼びな、夕月」

Re: 神様とジオラマ / 第二章進行中 ( No.35 )
日時: 2014/03/26 20:13
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 病室を出ると、狐面を付けた青年が立っていた。先ほどよりも更に輪をかけて生気のない佇まい。
 どうしたのかと尋ねると、彼は心底嬉しそうに笑って、呂律の回らないふやけた口調で応えた。辛うじて聞き取れたのは、「昇格」「あとひとつ」「やった」である。随分と恍惚としている。薬でもキメたのか? どこまでも怪しい仕組みだ。
 青年は私をあやしい足取りで出口まで案内した。多くの人とすれ違った。その大半が、学生。
 春にしては冷たい風が私の頬を掠めた。更けた夜の光を狐面が妖しく映している。

「帝釈天様が願い事が決まったらまた来いとおっしゃっていました」

 彼は言った。私は無言で頷き、逃げるようにその建物を去った。

*

「それで、その帝釈天ってのはもう一度君を招いたんだね?」

 御影は尋ねる。見てきたものを洗いざらいすべて話したあとだった。

「そう。……もう一度行くべきなの?」

 本心だった。心の底から出た言葉だった。奇妙な信仰が帝釈天という少女を取り巻いている。たかが女子中学生の言葉を信じきって。あそこにいた人々は、帝釈天が死ねと言えば、きっとそのまま死ぬだろう。
 彼は笑った。

「行くべきだね。仕方ないじゃないか、仕事は仕事だよ」
「……嫌」
「僕も行くからさ」

 洗いざらいといったが、私は古本屋のことは口を噤むことにした。
 この街に古本屋はあるか、と問うと、顔色を変えて無いと答えたからだ。どう伝えていいか分からなかった。唯一、彼が知らないことだ。そう思う。
 夜も遅かった。御影は寝るように私に言ったが、奇怪なことが多すぎて、快眠が得られるはずもない。ベッドの中で溜め息を吐いた。

*

「決闘だ」

 御影は深緑色のネクタイをきっちり締めて言った。

「は?」
「決闘だよ。夢は持ったかい?」

 それはあまりに唐突で、寝起きにはきつい。
 いつも通りの黒いシャツに、ネクタイ、お堅いベスト。ネクタイの質が良い。随分とよそ行きだ。

「はは、冗談さ。駒に夢なんか要らないね」

 まだ日も出ていない、眠れぬ夜に終止符を打とうとベッドから出て、階段を下りてきた次第である。まったくもって理解できない。これから行動だって?

「まずはその眠気を覚まそうか? コーヒーを淹れよう」

 私はきっとこの世の終わりのような顔をしている。

Re: 神様とジオラマ / 第二章進行中 ( No.36 )
日時: 2014/04/09 23:26
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 コーヒーは無条件であまり美味しくない。彼の淹れたブラックに、砂糖やらミルクやら色々加工をしてようやく口に運んだ。

「ああ、そうだ。それを使う時が来たわけだ」

 御影は私の傘を指して言う。

「その傘は、創造の傘だ。まあ、言うなれば……神様の杖ってところかな。ああもちろん、れっきとしたホンモノのね」
「創造」
「バランスをとるためさ」

 コーヒーはまだ少し苦かった。

「空間、風、音……。具体的な物は出せないけど、君の好きなように使うといいよ。打撃もできるわけだし」
「……頑張るわ」

 砂糖を継ぎ足す片手間に、スプーンを振って適当に応えた。彼はそうしろ、と言った。
 神話のようだ。これが神様の杖ならば、神様の趣味は案外乙女チックだと、冷めてみる。
 私の眠気もすっかり覚め、窓の外、街はいつの間にか夜明けを迎えている。
 窓から見下ろす街の影が彩りをみるみる取り戻していく様子を見ていた。東の空は白々としている。黎明、新しい何かが起こりそうな、予感。
 夕月とは対照的に、今この瞬間私にとっては何か良いことの前兆のように感じた。街にかかっていた霧が晴れていくようなイメージが脳裏に存在する。

「そろそろかな」

 御影が灰色のコートを羽織った。

*

 人の気配のしない朝焼けの街は、どこか神秘的であった。白っぽい大気の覆う街の中、下水の流れるかすかな音と、朝露に濡れる街路樹。気分が良い。冷たいはずのこの街に、愛おしさすら感じる。一人ならもっと気持ちよかっただろうが。せめて御影とでなければ。

 私たちは特に会話することもなく、朝焼けの光が照らす『帝国』本部に着いた。
 昨晩とは違って、活気……いや、雰囲気。安っぽい禍々しさ、仰々しさ、胡散臭さ、そういったものが綺麗さっぱり拭われていた。相変わらず扉の奥は暗いが、ただの廃院だ。

「待って」

 扉に手をかけようとした腕を御影が掴んだ。彼は何をしているのか。眉を寄せ、何かを懸命に見ようとしている。目は閉じられているのに、そういった印象を受けた。

「三十……いや、四十人。結構いるね。ああ、武器持ちだ。……一階に半分。護衛かな」
「…………」

 何をしているのか問おうと思ったが、思いとどまる。邪魔をしてはいけないだろう。
 それが終わるのをじっと待っていると、彼が目を開いて口元を釣り上げて笑った。

「いける。確実だ」

Re: 神様とジオラマ / 第二章進行中 ( No.37 )
日時: 2014/04/27 20:58
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

「さあ」

 指を指されて私は傘を持ち上げた。リボンを解けということらしい。片方を引っ張ると、するりと滑らかな音を出して白いリボンは私の手の中に落ちる。

「それは結んでおこう」

 彼は私の左の手首で蝶結びを結った。随分、布が余る。途中で解けてしまわないだろうか。
 束縛から放たれた黒い傘が腕を揺らして、今か今かと開かれる時を待っていた。
 落ちたら拾えばいい。そうだ。持ち手の上、最も頑丈な骨に手を添え、上に押し上げる。手に走る重み。束縛、寧ろ呪縛を解く重みであろう。
 傘が開いた。私は息を飲み込んだ。
 ああ、なんて。傘の内側から放たれる光をなんというべきか。それはまるで、神の慈悲のような。あの夢のような。英知である。まごうことなき神の創作物だ。
 肩に手が乗った。酩酊感を忘れて御影を見る。

「いい物だろう? 君が使えればもっと、それは素晴らしい物になれる」

 そうか、急げと。
 私は扉をみた。くすんだガラスが無表情に帝釈天を守っている。脆弱に。愚直に。
 私は開いた傘を、扉に向けて振った。目の内に描くのは雷雨である。君は耐えれられない。
 稲光が波打ちながらガラスの上を走った。雨が扉を打ち、風が隙間を強引に押し入る。ガラスが割れる。欠片が舞って、金属の枠がねじ曲がった。

「上出来だね」

 良い感覚だった。大きく息を吐き出した。疲労感は微塵もなく、寧ろ信じられないほどのエネルギーが私の中で渦を巻いているように思えた。
 前へ運ぶ足の下でガラスの破片が音を立てて呻いている。御影の足音も後ろからついてくる。
 あの趣味の悪い照明は点いていない。窓の無い暗い廊下に玄関からの朝日を受けて埃が輝いている。

「二人、来るね。僕もちょっとは頑張るけど、主に君が……」

 彼が言葉を言い終える前に、私は足を止めた。両脇の病室の扉が乱暴に開く。
 狐面が御影の言った通りに二人、病室から出てきた。竹刀の学ランの彼は竹刀を前に構え、セーラー服の彼女は小柄なナイフを掴んだ右手をこちらへ向けた。前置きは要らないようだ。私も彼らにならって、傘を構える。横目には御影は半身を切って指を折り、彼らを煽る仕草が映った。

 御影はナイフを握った彼女の腕を軽く蹴り上げた。ナイフが落ちる様子を眺める暇もなく、竹刀が飛んでくる。選択の権利はないようである。
 とっさに伸びた傘で竹刀を弾き返した。長く黒い前髪を被った彼の狐面が揺れ、体勢を立て直す。彼には何が似合うだろう、私は思いを巡らせてみる。竹刀は四方から狙う。屈強な傘で弾き、避け、私の脳の裏には太陽が現れた。

「殺す必要はないよ」

 御影の声は小さくも廊下に響いた。ちらりと視界に捉えた彼は、座りこんで倒れた少女の長い髪をいじりながら呑気に笑っている。
 舌打ちを零して、彼の狐面に傘の先を向ける。日陰の彼。ほんの少しの慈悲の気持ちで、矛先を竹刀を持つ手にずらした。彼は被害者だ。
 砂漠の昼下がりのように。皮膚が煙を揺らして焦げる音がしてからすぐに、私は傘を、雨をはじける位置に戻した。竹刀が床で跳ねる。

「雑魚がいっぱい来るね。全部の相手はしなくていい、夕月。君は先を急げ」

 息つく間もなく。次々開く扉の音を聞きながら、御影に向けて頷いた。

「幸運を祈る」

 彼は軽く手を上げた。私はくるりと踵を返して、黒い廊下の奥へ足を一歩伸ばした。軽く体を浮かせて走る。背中に吹かせた風が足を速める。
 氷。前を塞ぐ狐面の学生の群れに向け、慣れぬ武器を何の疑いもなく握る手に向けて放つ。一つ一つ、確実に凍傷が刻み込まれていく。痛かろう。帝釈天が知らず与えた痛みである。
 なおも立ちはだかる彼らの間を縫って、エレベーターの前に辿り着いた。上へ行くボタンを押した。扉はすぐに開いた。
 狐の化粧を施された細い目がこちらを見ている。鉄の箱の中から、彼らを見つめる。武器で埋まる床の上、赤い手をだらりと下げて、彼らはこちらを見ている。
 扉を閉めた。彼らは仮面の奥で何を思うだろう。

Re: 神様とジオラマ / 第二章進行中 ( No.38 )
日時: 2014/04/27 23:57
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 白々しいほどエレベーターは正常で、事故の気配は微塵もなく階の数字は増えていった。間の抜けた音で扉が開く。最上階だ。
 一歩を踏み出そうとした足を、思わぬ声が止めた。

「ねえ、ねえ……ああ、その、僕が分かるかな?」

 青年だ。私を帝国へ案内した、あの。不健康だった顔を仮面で隠してしまっているが、声は間違いなくそうだ。

「やった……やったんだよ、ねえ。君のお陰で、僕の願いは」

 しかし、おかしくないか。呂律の怪しい口調と恍惚とした仕草。私の腕を掴んでいる、半そでのシャツから覗く青白く細い腕は力など入っておらず、震えている。

「叶うんだ。叶ったんだよ。きっと、今、外に出れば……ああ! なんて幸せだろう!」

 悪寒、鳥肌。彼のそれはもう、救いようもなく、気味が悪かった。

「帝釈天様が。帝釈天様に授かったんだ……ああ、君もこれから行くんだね。君にもきっと良い結果があるよ、そう、帝釈天様はお優しいから」

 私はどうしようもなくて、彼の弱々しい腕を振り払って彼に傘を向けてしまった。それでも、彼に何を与えてよいのか私には分からなかった。痛みだろうか。衝撃だろうか。それとも慈悲か。
 私は結局、足元のおぼつかない話を続ける彼を置いて、奥の病室へ走った。神の名の冒涜である。そして何より、彼を壊した。同じように、少年少女を。
 許せない。

 病室の扉、取っ手を掴んで思い切り開いた。
 彼女はまた、閉め切ったカーテンの薄暗い病室の中、同じ格好でベッドの上に座っていた。髪をかき上げて、狐面の下で笑っていた。

「やあ、夕月、願いは決まったかい?」

 私は体の中で血が沸騰を始める音を聞いた。

「ええ、決まったから来た」
「言ってみな、愚かな少女。君の願いは何だ?」

 埃っぽい空気を小さく吸う。

「貴女の更生ね、不良少女」

 帝釈天はにやけた狐の口元に手をやって、声高に笑い、指を立てて私を指した。

「宣戦布告ってわけ。悪いけど、その願いは聞き入れらんないね」
「ご心配なく」

 息をするたびに肺に落ちる汚れた空気が煩わしい。この病室には悪い空気が流れている。

「自力で叶えられるもの。そうやって、人間を甘く見ないでほしい」

 傘が震えを起こし始める。連動して私が足をつけたこの病室の床も震える。怒りだ。私は窓ガラスを叩き割った。
 カーテンが大きく翻る。朝日を弾いて破片が美しく散る。部屋に、冷たい空気が流れ込む。

「やめてくれよ、あたしが何をしたって?」

 なおも彼女は笑うのをやめなかった。私は地震は止めた。

Re: 神様とジオラマ / 第二章進行中 ( No.39 )
日時: 2014/04/30 23:24
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

「あたしが持ってるのはただの善意だって、それだけだ」

 悪びれる気もないらしい。
 どうしようか、私は考えた。一度考えることをしなければ、今、私はあの青年のせいで彼女を殺しかけない。きっと、それは良くない。だからといってこのまま野放しにするのか? それもきっと良くないだろう。

「私は」

 私の結論は、

「許さない。この私が許さない。誰がなんと言おうと、貴様は悪だ」

 である。矛先は彼女をまっすぐ見ている。若き少年少女の痛みである。かの青年の痛みである。どこに止める理由があろうか。
 黒い虫のような怒りの感情が、視界をゆっくりと蝕んでいった。

「私が裁きを下す」

 ソドムとゴモラを焼き払った神の業火のように。虫は彼女を囲んで蠢いた。誘っている。
 矛先に熱がこもり始めると、彼女は慌てて両手を上げて言った。

「ま、待ってくれ!」
「遺言? 言っておきたいことがあるなら聞くわ」
「本当なんだ!」

 両手の指先は震えている。

「どうせこんな体じゃ動けやしない。逃げるつもりなんて微塵もないんだ、聞いてくれ……」

 傘の先は彼女に向けたまま、私は少し攻撃を躊躇った。この罪人の話に耳を傾けて良いのだろうか。
 スカートの裾から見える痩せた足。照明が点いていない今、日差しの指す部屋の隅に点滴があることに気が付いた。
 気が、付いたのに。
 虫は去らない。熱も冷めない。黒くなった視界の中で風が起きる。煽られて、髪の房がひとつふたつ舞い上がった。
 私は気が付くということよりももっと、心の底でそれを感じた。傘の意志だ。この傘が呼吸をする音がはっきりと聞こえる。恐ろしくなって、傘を降ろそうとも腕がいうことを聞かなかった。

「おいって…………」

 消え入りそうな彼女の声を聞いても。
 傘は業火を放った。
 彼女に向けて、憎悪の塊が飛んでいくのがこの目に入った。自責の念が頭を翔ける。ぼうっと火のつく音がして、帝釈天の悲鳴が上がった。
 ああ、なんという大罪を。耐え切れず目を閉じた。

*

「いや、危なかったね」

 灼熱のアスファルトに打つ水のような。暑すぎるホットコーヒーにみっつ入れた氷のような。その声に、私は目を開いた。

「参っちゃうなぁ、僕の悪い予感は絶対に当たるんだ」

 そう言って彼は、掴んでいた傘の骨を離して苦笑いを浮かべてみせた。
 燃え上がったカーテンが灰になって、外界へ散ってゆく。薄く雲のかかった柔らかい空に。仮面を落とした帝釈天の青白い、憔悴した顔と目があった。

「危うく地獄行きだった」

 呟いて、熱の篭った息を全部、吐き出した。

Re: 神様とジオラマ / ちゃんとすすんでます ( No.40 )
日時: 2014/05/01 09:27
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 黒い虫は去って、すっかり温度を失った傘は簡単に閉じられた。念のため、部屋に水を被せて傘を下ろした。
 御影は言う。

「さあ、帝釈天。君は話したいことがあるんだろう?」
「ああ。……どこから話したらいいのか」

 もううんざりだといった顔で、彼女は力なく笑った。狐面を弄ぶ細く白い、幽霊のような指。

「男が……病室に入ってきて」

 長いスピーチの間中、ずっと面を擦っていた。

*

「欲しいか?」

 彼は尋ねた。帝釈天、そう名乗る前のあたしは首をかしげて、読みかけの文庫本を閉じた。
 見知らぬ顔の男だ。少なくとも顔見知りではない。あたしの病室になんの用があるのだろう、そう尋ねる前に、彼はもう一度言った。

「力が欲しいか」

 看護婦が閉めたはずの窓が開いていた。夜風が病室に入ってくる。眠れぬ深夜の、眠気を誘うまでの読書の時間であった。
 この男、どこから入ったのだろう。まさか、窓の鍵を開けて? ……そんなはずはない。ここは最上階である。もう救えない患者の、牢獄である。
 骨ばった手のひらを見つめて、あたしは思わず呟いていた。

「欲しい」

 本当に、迂闊に。彼の何とも言えぬ暖かい雰囲気が、そうさせてしまった。

「それなら、君の求める物を」

 彼が目を閉じてそう言うと、唐突に眠気があたしを襲った。どうしようもなく眠たくなって、閉じそうな目を抑えながら、必死の思いであたしは聞いた。

「待って……名前を教えてよ」

 彼はきちんと、それに答えた。「それから君の名前は帝釈天だ」と、続けて言った。
 薄笑いが濃い眠りの中に消えてく。

 そして、あたしは気がついた。
 ある朝だ。手に火傷を負った看護婦があたしの病室で言った。不注意で焼いてしまって、跡が残ってしまうそうだ。若い看護婦の美しい白い手に、茶色い跡が痛々しく刻まれているのを見て、心から、それは嫌だろうと思った。「治ってくれたらどんなに良いか。神様にお願いするしかないわね」、と、彼女は言った。
 暖色の光が彼女を囲むのを見た。彼女の傷は、次の瞬間には綺麗さっぱり消えていた。
 何度か、そんな事があってようやく気が付いた。
 夢だと思っていたあの男が脳裏に甦って口を開いた。君の力だ、そう言った。

*

「形だけのお見舞いに、三か月に一度くらいクラスメイトが訪ねてくるんだ」

 帝釈天はどこか遠い所を見るような目をしている。

「本当に無意識に、ぽろっと零した願いごとが叶えられてしまうから、噂が広がってしまって……。あたしは思った。教室にぽつんと置いてある、無人の机の存在意義を見つけたんだ。活用する他はないと、そう思った」

 薄く、悲しげに笑いながら。

「皆、少しずつおかしくなっていった。やたらとあたしを……持ち上げるんだ。自分の願いはどうしても叶えられなかったから……あたしはそれに甘えてしまって……」

 嗚咽が混じったか細い声はついに消えた。彼女の懺悔を聞き届けたのを確認し、こちらに一瞥をくれてから御影は尋ねる。

「彼は何と名乗ったの?」

 春風が彼女の短い髪を浮かせている。鳥の声が響いている。

「彼は『神様』だ」

 同じように御影は、やっぱりね、と、目を伏せて笑った。