複雑・ファジー小説

Re: 神様とジオラマ ( No.51 )
日時: 2014/05/26 18:58
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)



「神は居なかった!」

 御影が珍しく何か叫んでいると思ったら彼は、今私の居る彼の机のある部屋の扉を開けて、そう言った。
 ちょうど私がソファーにもたれて、窓の外、地や屋根を打つ雨の音を聞きながら、悪意の塊のような湿気に腐り始めていた。
 期待した。何か非日常を持ってきてくれたのだろうか。
 最近は至って平和で、何事もすることもなく、帝釈天の件で出会ったあの青年と時々喫茶店で茶を飲みながら、彼の更生を仕方がなく見物する日々を送っていた。しかし。
 どうしたのかと尋ねると、彼は青い顔で答えた。

「ああ、吉祥天のツケだよ。何てことだ。用意をしていたのに……どこへ行ったのか……。まさか足が生えるなんて……」

 滑稽な仕草だった。この男、本気か?
 そんなことかと落胆をしたものの、今まで見たことのない彼の慌てようを見て、この光景には中々価値があるのではないかと思い直した。

「そういえばそのツケって、何?」
「煙草だよ。吉祥天が吹かしている、紫の。……それにしても困ったな」

 忙しなく、うろうろと歩き回りながら。

「あれ、もう仕入れられないんだよな」
「そうなの? どうして」
「そんな気がする」

 気がする、とは身勝手な言葉だが、彼が用いるとまたニュアンスが違ってくる。それは確信に近かったが、一応、今なら解答をくれるだろうと思い、尋ねた。

「予知ができるの?」
「できるけど、そんなことはどうでもいいよ」

 ほら。彼の言う、気がする、とはつまり、確実にそうなのだ。
 それにしても彼は相当、取り乱している。彼をこれほどまでにするのは吉祥天だ。なんと恐ろしいことか。ツケが払えないと一体どうなるのか。とても面白そうだ。

「早いうちに謝っておいたほうが身の為なんじゃないかしら」

 もちろん建前だ。そんな恐ろしい吉祥天はきっと、遅かろうが早かろうが御影に何か、恐ろしいことをするだろう。
 彼は少し考えてから、頷いた。

「そうかもしれない」

 かくして、私は非日常には届かないものの生きるに値する、楽しい午後を予約した。

Re: 神様とジオラマ ( No.52 )
日時: 2014/05/28 23:20
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 06An37Wh)

 はずだった。

*

 持って歩くのがすっかり習慣になっていた傘は、本来の役目を果たせて幸福そうである。そう感じるのは私の心が浮ついているから。分かっていても、そう感じる。仕方がない。
 御影は隣でそわそわとしながら歩いている。今の彼に面白い会話ができる筈もない。
 背景に濡れた街を携え、傘から大きい雨粒が次々落ちる。淵にあしらわれたフリルは重く垂れてしまっている。無駄に凝った造りの分、濡れると重い。雨をはじくのが本来の役目であるはずだが、製作者はきっと、違う用途のほうをメインに作ったろう。それにしたって、こんなに洒落た装飾をしなくてもいいだろうに。
 そもそも、ふと思う。そもそも、この傘は誰が作ったのだろう。御影だろうか。

 そんなことを考えるうち、吉祥天のマンションに着いた。
 手をかけたドアノブ。御影の目立たずも震えていた手が急に落ち着いて、止まる。どうしたのだろう。とても、そう、不安定な表情が傘越しに見えた。
 私は次の言葉を待った。また何かを感じ取ったのかと、それは何かととりこぼさないように待った。彼の表情に、ふざけた気持ちは消えてしまっていた。
 それでも、彼の言葉は続かないし、ドアノブは回らない。

「悪い予感なの?」

 やむを得ず聞いた。彼の指先はまた、小さく震えはじめる。

「…………なんてことだ」

 彼はゆっくり、ドアから手を引いた。

「僕にはできない。頼む、君が扉を開けてくれないか」
「分かった」

 御影の濁色の心境は、理解できる。
 ドアを開けた先の、その、それを見て彼は、誰にともつかない言葉を落とした。

「恨むね」

 緩んでしまった口から。今まで耐えてきたはずの言葉だったろう。

「悪い予感は外れないんだ。どうして分かってしまうんだろうね」

 冷たい廊下の上で横たわっている、吉祥天を見下ろした。周りには血だまりも汚物も何もなく、ただ白い花が一輪添えられていた。眠るように安らかな表情をしているのが、せめてもの神の心遣いだろうか。
 いや、神は無能であろう。御影の表情を見れば、盲信に囚われずそう思える。

Re: 神様とジオラマ ( No.53 )
日時: 2014/07/08 00:30
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: P.N6Ec6L)

 御影は、吉祥天を椅子の上に座らせた。虚ろだった目は悲しくもいつもの彼に戻りつつある。宿命だ。
 埋葬をするのかと尋ねると、小さな落ち着いた声で彼は応えた。

「死の概念は無いんだ」

 椅子に腰掛けた白い吉祥天は、静かな、子供のみたいな寝息が聞こえるように。

「だから、埋葬も葬儀も無い。寿命が来れば塵となって消える、この上なく幸せな死だと。それに、僕たち力のあるものは、死ねないようになっている」
「じゃあ吉祥天は……」
「例外だ。僕たちが死ぬことがあれば、それは、力のあるものによって殺された時だけで、それでも、死体が残ることはない」

 彼は、吉祥天の横に添えられていた、白い花を弄ぶのをやめた。

「世界は綺麗好きだね」

 そうして諦めたように少し笑って、棺を作ろうと言った。

 世界は残酷だ。何より、心がない。それに気づかないで、上っ面の願望の幸せを唱える人々がどんなに愚かか。
 そうだろう。炉端を歩く人々を見ろ。愚者の顔は幸福に満ち溢れて。どうしようもなく癪に障る。
 どうしても彼らに目が行ってしまうので、私は傘を前に傾けた。黒い裏側の生地は、何にも染まらず純白だ。

*

 カンカンと、釘を打つ音がずっと聞こえている。
 彼が作業をしているのは、私の傘を取り出した部屋の中だった。気持ちの整理もしたいと彼は私を廊下に残して、埃っぽい、薄暗い、著しく居心地の良くない部屋の扉を閉めた。彼が部屋に篭ってからもう、かなりの時間が経っている。
 冷たい廊下に腰を下ろして、白い壁にもたれ、彼を待ちながら膝を抱え物思いにふける内、私は知らず知らず眠ってしまった。

 小さくたたんで腕で抱えていた足を、何か柔らかい物が触れていた。
 いつの間にか、木を叩く音は消えていて、私の心持ちも少し、楽になったような気がする。
 その心地よい感覚で目を覚ました私は、傍らに寄り添っていざ眠らんとしている猫を見た。眠たそうな細い目をして、こちらに一別もくれないその猫は、懐かしき、吉祥天の猫だった。そういえば吉祥天の建物の中に見かけなかった。擦ったあとの冴えた目改めて見ると、随分大きくなったものだ。あの子猫が。汚れていた毛並みは、美しい黒さをしている。
 背を撫でようとしたとき、私は猫の傍に小さな花を見つけた。白い花。それは、吉祥天のとなりに落ちていたものと同じ種類の。

 花を拾い上げ、猫の眠りを妨げて抱え上げ、御影が篭っている部屋の戸を二度、叩いた。彼はすぐに出てきた。

「これ、この子」

 差し出す白い花に、彼は驚きもせず答えた。表情に乏しい。切れ切れに、ゆっくりと思考を繰り返しながら、言った。

「吉祥天の……。何か、知っていることは分かる。分かるんだけど、分からなくなった。誰に何を聞けばいい。何のための予知だ」

 なんと声をかけていいか分からず、しばらく時計の規則正しい音と屋根を打つ雨音が薄暗い廊下に響いた。

「予知ができたってできなくたって」

 意図しない、重い声が出た。

「今必要なのは特異な力なんかじゃなくて、ごくありふれた行動力でしょ」

 彼の黒い目に、少し光が写りこんだ。ため息を吐いて、彼の手が猫を軽く撫でる。

Re: 神様とジオラマ ( No.54 )
日時: 2014/07/14 18:10
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: P.N6Ec6L)

「誰か、猫の言葉が分かる人はいないの」

 私は少し嬉しく思い、冗談が半分を占める言葉を呟いてみた。それなのに御影は考える仕草をして、また少し黙り込んだ。
 さらに、彼からは期待もしなかった言葉が飛び出した。

「そういえば」


 黒い雲の隙間から淡いオレンジ色の空が除く夕暮れだった。
 たたんだ傘をぶら下げて、猫を抱えてあるく。彼が言うに、猫の言葉が分かるかと聞かれればそうではないが、感覚を読み取ることに長けた人物が居るらしい。
 抱え上げた猫を包んで、水たまりを踏みながら歩いた。

*

「あら、御影さん」

 彼が尋ねたのは驚いたことに、駄菓子屋だった。ミスマッチである。奇抜な色のほかに駄菓子と彼との間に接点は無い。
 店の奥から出てきた白いワンピースの女性は、こんばんは、と丁寧に挨拶をした。御影は手を上げ、私も礼をする。

「少し見ない間に随分綺麗になったね」
「そうかしら」

 微笑んではいるものの。彼女の表情が少し気にかかった。少し無理をしているような。自然でない。しがらみがあるような。どれが正しいだろう。
 考えていると、女性がしゃがみ、私に向けてにこりとした。

「かわいい猫ね。あなたのお名前は?」
「夕月……です」

 小さく付けた、ですは聞こえただろうか。私の目の前の笑顔には、暖かさの影に、少し疲れが見えていた。

「そう。私はオトナシよ。音が無いで、音無。よろしくね」

 なんと答えていいか分からず、私はもう一度軽くお辞儀をした。なんというか、少し、苦手な感じだ。白い、無知の善人の雰囲気を隠しきれていない。どう接していいか分からなくなる。

「それで、本題なんだけど」
「…………」

 音無は立ち上がって、警戒の色をした目で御影を見た。

「露木くん居る?」
「……今は、居ません。」彼女は息を吐いてから答えた。
「それは残念。どこに行ったか知ってるかな?」
「分かりません。私が教えてほしいくらい。御影さん、御影さんは何か知らないの」

 緊迫。音無は答えを急いている。

「そう言われても。なにがあったの?」
「露木くん、居ないんです。ずっと、どこかへ行ったまま……」今にも泣き出しそうな様子で。

 事は深刻なようだ。私の腕の中で猫が鳴いた。それでも、彼女に諦めは見えない。

「本当に何も知りませんか」

 悲しき健気さである。他人事のように、そう思った。

「……それなら、今日はお引き取りください。忘れたわけじゃないのよ。私貴方のこと、あんまり、信用してないの」

 しばしの沈黙をはさんで、彼女はか細い声で告げた。信用。間を置きながら、慎重に選んだ言葉。

「そうするよ、すまないね」

 御影はあっけらかんとしている。猫が鳴いた。

*

 帰路、私は尋ねた。

「音無、さん……と、何かあったの」

 その何かについて、御影はさほど気にしてはいない様子ではあったが、彼は軽く困ったような顔をした。

「少し前の話だけどね」

*

Re: 神様とジオラマ ( No.55 )
日時: 2014/07/14 20:19
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: P.N6Ec6L)



 悪い間を割いて、音無が口を開く。

「ところで」

 駄菓子屋の奥、いつも彼女が出てくる場所。招かれ、小さな四角いテーブルをはさんで、柔らかい色の木の椅子に俺は座っていた。

「……本当に唐突なんだけど。私、お話を書いているの」
「オハナシ?」

 青い花が描かれたカップから、紅茶の香りが天井へ登っていく。
 聞き返したのはほかでもなく、俺がその言葉を知らなかったからである。

「そう、オハナシ。知らないか、そうだよね。今までに知ってる人なんて、会ったことないもの。不思議だけど……」

 俺はテーブルクロスの薄い藍色のギンガムチェックを眺めながら、聞いた。

「そうね、お話っていうのは、一つの娯楽ね。……ああ、ここにはあまりほかの娯楽はないのかな。オンガクもエイガも……知らないでしょ。今度教えてあげる。いつかね。
 それで、それは人が作るのよ。こことは別の世界を、想像して、伝えるの。それがお話。そこには知らない人達がいて、そこで事件が起こったり、または知らない人が恋に落ちたり、その人がまた別の知らない世界に迷い込んだり……」
「あんまり、よく分からないな」
「そう? とにかく素敵な物よ。ここじゃない、どこか別の世界。わくわくしない?」
「…………」

 わくわく。可愛らしい語感だな、と、ふと思った。
 考え込んでいるように見えたのか、音無は取り繕うように言った。

「定義はいいのよ、楽しいことが最初に来るべきで」
「そうか。……それで、その、オハナシが?」
「相談があるの」

 息を吹いてから紅茶のカップに口をつけ、手を温めるようにカップを持ち直して、音無はもう一度息を吐いた。吐息も白く、宙に消える。ここは冬の寒さを感じさせない、温かみのある部屋だ。

「そのお話をね、本にしないかって言われたの」
「ホン」

 口に出して、言ってみる。これもまた、聞いたこともない言葉だった。

「紙の束ね。束といっても、一枚一枚ばらばらじゃなくて……。ああ、上手に説明できないや。とにかく、人が楽に読めるようにするのよ」
「オハナシを読んでもらうためのものなのか?」
「そうね」

 彼女は俺の知らないことばかり知っている。

「見たこともなかったんだけど、やっぱり、ここにも本はあるみたい」

 独り言のようだった。そして今日は、分からないことばかりを言う。彼女と俺のどこに違いが生まれるのだろうか。いや、俺だけでなく。音無はこの世界の誰とも同じでない。そうかもしれない。

「俺で相談に乗れるだろうか」

 なにせ無知だ。ひとりで結論を出すこともできるだろう。しかし、彼女は笑った。

「逆」
「逆?」
「露木くんだから相談しているのよ」
「…………」

 紅茶を一口飲みこんだ。

「その人はね、古本屋をやっているんですって。でも、この街に古本屋なんて見たことないでしょ。露木くんが本を知らないんだから。不思議な人でね……何というか。長く話をしたはずなのに、顔も、声も、格好も背丈もあんまり覚えていないの」
「へえ」

 俺と同類だろうか。考える。何か害がある力だったら、対処をしなくてはいけないが。

「明るいねずみ色っぽい人だったかな」
「分からない」

 よく、いい表現を思いついたような顔をしたものだ。彼女はくすくすと笑う。

「どこで聞いたんだろうね。樹にしか話したことがないのに」

 それなら樹が、と言おうと思ったが。

「樹は他の人に言ったりしないと思うよ」先回りをされてしまった。
「そうか。……その、本にするか迷っていると?」
「うん。あんまり信頼できるような人じゃなさそうだし……どうしよう」

 また、ため息を吐いた。

「オハナシを人に……何と言うんだ? 聞いてもらいたい、という気持ちはあるのか」
「それが、あんまり。でも、とてもいい作品だからって言うのね。本当にどこで聞いたのか」

 考えて、いや、深く考えるまでもなく、俺は答えを出した。

「やめておいたほうがいいんじゃないか」
「どうして?」
「信頼できないのなら。それに、そのオハナシは音無と樹の物だろ。その間に他人が入る必要はない」
「そう。……そうよね」

 音無の声には少し、決意の色が見えた。少し、安心する。危険な橋を渡られては俺の気苦労が増えるのだ。

「断ることにする。だってこの話は、私と樹と、それから露木くんのものだもんね」
「え?」
「露木くんにも、話してあげたいから」

 照れの混じった笑顔だった。

Re: 神様とジオラマ ( No.56 )
日時: 2014/07/18 23:18
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: P.N6Ec6L)

それから少し、紅茶を口に運び、またテーブルの上に戻すだけの軽い時間が流れた。

「露木」

 間延びした俺を呼ぶ声が店の方から聞こえて来る。俺が音無の話を聞く間、樹の相手をしていた、金堂の声だ。
 我にかえり、残りの紅茶を飲み干した。そろそろ帰るぞと、金堂が大声で続けていた。

「帰る。ごちそうさま」

 音無は軽く手を振って応えた。

「また来てね。今度はお茶受けに、お話をするから」

 冬が来ていた。二度目の冬。一度目よりも深く、天から降りて地をえぐるような寒さであった。
 巡る季節より目まぐるしく、事は起こる。

*

 それほど日を数えずに。
 朝、俺は玄関から聞こえる金堂のでかい声で目が覚めた。壁に掛けた真新しい時計の針は午後に近づきつつある。朝とも言えないし、金堂に文句も言えない。
 必要以上の睡眠によって重くなった頭と体を起こして、しばしぼうっとする。金堂が随分前、どこからか調達してきたベッドは暖かかった。

「だからさあ、音無はべつに悪いことしてないんだろ?」

 音無?
 張り詰めた空気の冷たさが、思い出したように頬を撫でた。
 玄関のほうに向かうと、様子の金堂が振り返っておはようと言った。言い方がこの上なく苛立っている。来訪者を見ると、困ったような顔の御影であった。

「御影。……何の要件で?」
「やあ。良かったよ、金堂くんよりは落ち着いて話ができそうだ」

 聞こえてきた会話の端々から察するに、あまりいい話ではないだろう。それに、音無が絡んでいる。建物の中に彼を入れる気にもなれず、立ち話も何だ、と言い出すのはやめる。

「君もよく知っているだろうけど、音無のことで……」
「音無がどうかしたのか」

 そう問うと、御影は半笑いを零した。

「落ち着けよ、君もだめだね。毒されている」
「…………」
「口を挟まないで最後まで聞け。音無は有害なんだ。君にとっても、世界にとっても。だから露木、君に託そうと思うんだ。何を? 仕事を。……音無を」

 口を開く。黙って聞いていられるわけがなかった。
 が、俺より先に金堂が言った。

「さっきから言ってんだろ。音無が何をしたんだよ」

 喉の奥で苦いものが溜まっている。

「創造性だ、彼女は物語を紡ぎ出せる。危機だよ。この世界始まって以来の」呆れたような口ぶりだ。
「そうぞうせぇい? それがなんだって?」
「人の手によって新しい世界が生まれてはいけないんだ。音無のようなものをそのままにしておいて、行き着く先がどこだか分かる?」

 間。そして、隙があった。

「崩壊だよ。わーるずえんどだ」

 滅多に無い彼の隙。見ようとした御影の中には、それでも、霧がかかっていた。
 ふざけているようで、彼の目はこちらを睨むようにして見ている。

「分かってくれ。何のために今まで、汚れた創造物をはじき出していたと思うんだ? 世界の為だ。君たちと人民と神の為なんだ。全ては……」
「我らが神のために?」

 チープな響き。
 御影は次の言葉を探しているようだった。少し、冷えた。

「ちょっと考えさせてくれ。結論くらい、自分で出せる」

 それを聞くと彼は、了承し、踵を返して消えた。扉を閉める。ドアノブは冷たい。

「よかったのか?」
「金堂はどうだ?」俺は笑う。
「いいわけねえって」
「その通りだ」

Re: 神様とジオラマ ( No.57 )
日時: 2014/07/22 22:03
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: V8df6PvY)



「……創造物」
「そう、別の世界。創られた物からすると創った者は神になる。困るんだ」
「…………」

 古本屋のことが頭を過ぎった。あの掛札の、閉店の文字。小説は罪になるらしい、それなら、あの古本の山はなんだったのだろう。

「それにしても参ったな。露木は留守。会っても……僕に取り合ってはくれないだろうな」
「お得意の先読みは? 場所の見当はつかないの」
「……居場所かは分からないけど。ああいや、きっと露木は居ない。でも、行くべきところはあるよ。僕じゃなくて、君が」
「私?」

 立ち止まった御影に気がついて、数メートル先で私も立ち止まった。彼は額を、人差し指で押さえて下を向いている。

「吉祥天のビルかな。きっとそうだ。……ああ」
「どうしたの」
「頭痛。神のお告げが、毒になって」

 毒? ぶつぶつと呟いているが、その先はもう聞こえなかった。

「行ってくる。あなたはマンションに戻っていい」
「そうするよ」
「……猫、お願い」

 差し出した猫は、一声鳴いてこちらを見、私の意思を汲んでくれたのかそれ以降嫌がることをやめた。
 そうなると、彼とは別の道を行くことになる。傘の雨粒を飛ばして、横に伸びる路地へ歩み出そうとすると、彼は引き止めた。

「気をつけて」
「何に?」
「知らない。とにかく、気をつけて」
「……分かった」

*

 ビルは変わらず佇んでいる。足元に霧をかけて、弄んでいる。
 私が行くべきなのは、建物の中だろうか。それとも建物の前? それとも、この建物の奥、私がまだ見たことのないところ。それとも……。
 とりあえず道路の上にしゃがんで、露をのせて揺れる路傍の青葉を眺めながらしばし待った。何者も来ない。
 中だったかもしれない。私は、重い扉を開く。吉祥天が眠っていた場所には、白い花の散った花弁がいくつか落ちていた。
 白い花。儚さの現れ。哀れ。なんとなく、胸の奥に北風が吹いたような気分だ。

 私は次に、信じられないような光景を見た。ああ、その時だった。
 白い花弁がみるみる茶色くなっていく。散ってなお、枯れていく。生ぬるい湿気の中に、殺気にも似た冷たい空気を感じて、私は振り返った。
 男がいる。御影の言った露木だろうか、いや。

「ああ……俺の、最後の子供か」

 白い。霧のせいでも、曇天の奥の太陽のせいでもなく、白かった。顔が見えない。
 御影は露木ではないと言った。それでは、この男は。

「健闘を祈る。どうか」

 それ以上を聞くことも、考えることもなかった。
 心臓が大きく一度、どくんと、脈を打った。それを合図に、吹き飛んだ、視界の全て。

Re: 神様とジオラマ ( No.58 )
日時: 2014/07/24 20:38
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: V8df6PvY)

 頭痛と吐き気に、目を開いた。
 景色は白くくすんではいるが変わらず、吉祥天の建物の入口。
 頭全体で脈を刻んでいるようだ。そして今にも、蠢く喉の奥のものを吐き出してしまいそう。床を汚すのが忍びなくて、吐き気を飲み込んだ。

 変わった。思う。確実に変わった。なんだろう。
 風景のコントラストが強くなったり弱くなったりしていた。探しても、答えは見当たらない。
 ただ、万事は悪い方向に向かっているようだった。

*

「やあ、おかえり」

 御影は驚いた顔で私を出迎えた。

「……帰ってきそうにない気がしたから、迎えに行こうと思っていたんだけど」

 言葉通り、彼はコートを羽織り、靴まで履いている。
 ふらつく足で歩いてきたのだ、迎えを待てば良かった。言葉を返す余裕もない。
 ベッドまで、ああ、せめてソファまで。願いも叶わず、靴と一緒にへたりこんでしまった。

 その夜のことである。
 玄関のほうから聞こえてくる声に気がついた。腹に乗せた指に、布の手触りが伝わっている。
 体を起こして、軽い目眩の中、扉のノブに手をかけた。

「死んだ?」

 手をかけたまま、私はそれを回さなかった。御影の声と交互に、知らない男の声がしている。

「吉祥天は……そうか。それなら……」
「見ていく?」
「ああ、そうする」

 ツユキかもしれない。ノブを回してすぐ、廊下に出た。黒い影に続いて、吉祥天の柩がある部屋に消えようとしている御影の姿がこちらを見た。
 起きたのか、と言うと彼はツユキを呼んだ。やっぱり。部屋から出てきた男と目が合った。

「あ」

 黒い。そして、私はこの男を知っている。誰だ。ああ、わからないことばかりだ。
 さっきの白い人を思い出すが、違う、あれとは違う。似ているような気がするが、まるっきり正反対だ。

「こちらが露木くんだけど……」

 お互い、お互いを見たまま動かなかった。それが奇妙に感じられたのか、不信さを顔に出しながら御影が言った。

「…………猫」

 そうだ、猫。口に出してから思う。

「猫、連れてきたほうがいい?」
「ああ、いや。……露木くんが、吉祥天を見てからにしよう」

 露木が目線を落とし、くるりと部屋の中へ消えた。

「吉祥天の名付け親なんだ。相当、きついだろうね……彼も」

 彼も。御影は虚空を見ている。

Re: 神様とジオラマ ( No.59 )
日時: 2014/09/14 21:33
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: wSPra7vb)



「そもそも事の発端は、あの、音無の言っていた白い男だろう。御影は彼のことを知らないようだが。御影のいう汚れた創造物を彼は集めている」
「何のためだか知んねえが、迷惑なやつだよなぁ。ほぼあいつのせいじゃねえ?」
「ほぼあいつのせいだと思う。……世界始まって以来の危機だからな」
「で、どうやって探すんだ。御影を頼るのか?」
「嫌だ」

 金堂の上着を取って彼に投げ渡し、自分もコートを羽織った。

「自力で探す。折角の神からの贈りものだろ」

 自力。文字通り、俺の持つ天性の実力。それが日に日に増していくのが、最近、目に見えるようだった。気を抜くとすぐに、周りの思考と感情が流れ混んでくる。決壊したダムのように。
 吉祥天の名をつけた後のあの衝撃が尾を引いて、その尾が段々と絡みついている。誰かが来てしまった。でも、完全にそれを理解しているわけではなかった。分からないことだらけだ。
 ああ。
 増していく力を活用するのだ。

*

「よお、音無。と、樹」

 金堂が樹の頭を撫でた。樹は俺の方をちらりと見て、すぐに目を逸らす。彼は金堂にはよくなついている。

「昨日ぶりね」
「ああ。頻繁に訪ねてすまない」
「ほんとね。……用があるの?」
「ある」

 昨日と同じように金堂に樹を頼んだ後、音無は飴を手に取って、弄びながら言った。

「昨日、あのあとね、御影さんって人が来たわ」
「御影……。彼は何て?」
「貴方も彼を知ってるのね」

 白く細い指がストライプの柄の包みを、しきりに捻っている。

「……自害しろと言われた。露木の為に、世界の為にって」

 しまった、また。
 気を抜いた。すう、と音を立てて彼女の瞳へ吸い込まれる。白っぽい、分厚い空気の中に御影が現れて口を開いた。

「消えてくれないかな。世界の為なんだ。……露木の為なんだ。金堂の為でもある。君の弟も。君が自害すれば、全て救われるんだ」
「どうして」

 いつも聞く彼女の声と少し違った、籠った声がする。

「分かっている、僕は初対面の見知らぬ男だ。信じてもらえないだろうけど、それでも、神の代理人だ。……どうか頼む」
「……帰って下さい」
「すまない……すまない」

「露木くん?」

 聞きなれた音無の声が耳に入った。視界が戻る。変わらぬ彼女が目の前に居る。

「何でもない」
「……御影さんは何がしたいのかな。私が死ねば救われるって……」

 茶色い、飴玉のような瞳が物憂げに陰る。

「それは、無い」

 飴の箱の中に目を逸らした。賑やかに、色とりどり。

「少なくとも俺は救われないから」
「そっか」

 自分の口元が、少し笑った。

「……用なんだが。記憶を見せてほしいんだ。あの、君の見た白い男の」
「うん、いいよ。使いこなせるようになったのね」
「お陰さまで」

 他人の記憶を垣間見る。自然にできるのだから、意図的にも出来るだろうとは思っていたが、実際に試すのは初めてだった。
 目を閉じた方がいいだろうか。いや、彼女の目を見ていた方がいいだろう。きっと。さっきのように出来ればよいのだが。
 少し不安を残して、俺はもう一度音無と目を合わせた。
 吸い込まれそうになって目を細める。違う。吸い込むのだ。意志を持って、見たい記憶を探すのだ。彼女の記憶は彩色豊かに渦巻いている。白い男だ。白い男——。

 見つけた。

*

『あなたの才能は素晴らしいものなんだ。でも、自分ではお気づきになっていない。なんて、もったいない』

 声は反響をしているように、不透明に頭に響いた。白く、顔がわからない。それが男の声というだけだ。

『ぜひ、書いてくれないか。多くの人があなたの物語に触れられる機会を、俺なら作れる。新しい文化を取り込むんだ、世界はもっと良くなれる』

 胡散臭い。彼女の感情か。警戒と疑いの色が、ぼんやりした視界に現れる。

『検討してくれ。いい返事がもらえるのを……——』

 男の言葉が止まった。これも記憶の内だろうか、でも、それは嫌に不自然で……。

『露木?』

 凍りついた。
 男の目が俺の目を見ている。音無の目ではなく、まっすぐ俺と、目が合っている。視界が晴れていく。臨場感が戻ってくる。音無のいた場所に俺が居る。

『やっぱり君か』

 声も出ない。男が笑ったのが分かる。

『君には思い出さなくちゃいけないことがまだあろうだろうに。……まあ、いい。君には俺を見つけられない』

 景色が段々とまた、白く歪んでいく。

『……健闘を祈るよ』

*

 音無の目が、心配そうにこちらを見ている。
 吐き気がする。触れたくない場所に触れた。世界の闇に半身を浸したような感覚だった。

「大丈夫?」

 体は熱を帯び、張り詰めた空気が刺さり、冷や汗が滲む。口元を抑えて、回り始める目を閉じた。
 これは禁忌だったろうか。これは世界からの応報か? それとも俺の力量の問題か。もし、彼と話ができたなら、聞きたいことがあったのに。聞きたかったこと。彼によく似た者をよく知っているのだ。
 知っているはずなのに、分からない。

Re: 神様とジオラマ ( No.60 )
日時: 2014/07/28 22:03
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: V8df6PvY)



 露木が部屋から出るのを、じっと待っていた。
 傍らに猫が擦り寄ってくる。御影に聞くと、私の部屋に居たらしい。何を察したのか、階段を降りて来たのだ。猫も足の間を何周かすると、右足に体をもたれて動くのをやめた。

 扉が開く。
 御影が声をかけたそうに口を開いたが、かける言葉は見つからなかったらしい。

「……白い男だろ」
「え」

 思わず、問い返した。

「それは?」
「君も知っているのか?」
「会った」

 露木はひどく驚いた顔をした。

「白い男に会った同類はみんな死ぬ。この目で見た。でも、君は……君は、特殊みたいだ」

 御影を見る。眉間に皺の寄った。尋ねる機会を逃しているが、御影は、白い男について何も知らないのだろうか。

「御影は知らないの?」
「知らない。聞いたこともないし、見たこともない……」
「……そう」
「想定外なことばかりだ。びっくりしちゃうね。僕が一番よく知っているはずなのに」

 そして、諦めたように笑う。
 延長なんだ、私は思う。世界は時を重ねるにつれて、彼の想定内の世界からはみ出してしまった。
 前ぶりもなく、猫が足元を離れ、露木のほうに歩いて行った。堂々と、一歩の下に影をはっきり作りながら。

「この猫、きっと見たの。吉祥天が……その、殺されるところ」
「そうか」

 猫を抱き上げた露木は、目を閉じて息を大きく吐き出した。御影が言っていた、猫の言葉が分かるというのは本当だったのか。ただ、彼は話しかける素振りも話を聞く素振りもせず、ただ猫を見つめるだけだった。
 御影を見る。肩をすくめ、黙っているようにと示した。

「指一本だ」

 露木が、猫を見たまま小さく言った。

「人差し指で吉祥天を指して……辺りが一度脈を打って。それで、終わりだ。吉祥天が倒れこむ」

 淡々。彼は猫を下ろして、今度はこちらを見た。

「記憶を見る。猫では話せなかったが、君なら、彼と話ができるかもしれない」

 話? 質問はできなかった。露木と目が合って、いや、目が合う以上に、目の中を見られている。茶色い眼、黒い瞳孔の奥。……あまり気分のいいものではない。

 露木が礼を言った。その行為が終わったらしい。
 始終、表情の変わらない男だったが、この時ばかりは嫌悪の表情を見せていた。体調が悪そうな。それでいて、何かを睨むような。

「白い男を探している。……何かあったらまた教えてほしい」

 そう、彼は私に言った。御影でなく、私だった。
 露木はそのまま玄関へ向かい、扉を開けた。御影は何も言わない。ど珍しく。そうして何も言わないうちに、扉の閉まる音が廊下に響いた。
 御影は。音無の態度も、御影と言葉を交わさない露木も、気にかかった。彼は何をしたのだろう。それは、罪であろうか。

Re: 神様とジオラマ ( No.61 )
日時: 2014/09/14 15:29
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: wSPra7vb)

 万事は悪い方向に向かっている。と、そう、白い男に会ったあとに根拠も無く思ったものだったが、それが間違ったことではなかったと、今、確信した。

 露木がマンションを訪れてからすこしたったある日、私は、猫を抱えて、何となく、どことなく、悲しいような寂しいような感情に目眩を起こしていた。
 御影はというと、タイプライターを叩くことも止め、ふらりとどこかへ出かけることが多くなっていた。仕事が多いのだと、零すのを聞いた。吉祥天が死んでから、何か、街も人も、どこか変わってしまったように感じられる。外気に混じって、何かが巣食っている。
 潔白の壁に背中をもたれて、だんだんと秋めいてきた大気を吸いこんだ。世界が、この小さな私の部屋を連れて暮れていく。腕の中、紺色のブラウの布越しに、眠る猫の温かさが伝わってくる。背を撫でる私の手のひらに広がる、柔らかな毛並み。そして、小さな心臓の鼓動。

 心臓が止まるとは、どういうことだろう。
 当たり前に続いていたことが、ある日ぴたりと、やめてしまう。死んでみたいと、御影や、露木や、吉祥天や、死ぬことのない存在は、一度は感じたことのあるだろう。不老不死の薬を放棄した老夫婦とはちがって、彼らには選択の余地はなかった。
 どんなに死を望んでいたとして、その者にとっての死が幸せなことだったとして、それでも、それは悲しいことだと思う。
 吉祥天が死んだ。それは、悲しいことだと思う。あの妖艶な、吐き戻しそうな甘い雰囲気も、嫌いではなかった。もう、いない。きっと御影や露木は、私よりもっと悲しい。

 きっかけはそんなことだった。悲しみ。寂しさ。喪失感。
 開け放した窓から入ってくる、夜のはじめの、秋のはじめの冷たい風のせいで、どうしようもなく、それらが肥大化した瞬間だった。
 涙の粒が、猫の背に落ちるのが見えた、その瞬間だった。たしかに腕の中にあった温かさが、蝋燭の火が吹き消されたように、煙を残して消えてしまった。
 猫が、消えてしまった。
 消えてしまった。私は手のひらを見て、手の甲を見て、腕にまだ残っている温もりを摩り、ああ、と、ひとり声を上げた。どうして。

Re: 神様とジオラマ ( No.62 )
日時: 2014/09/14 23:17
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: wSPra7vb)



 棺の中横たわっていた、吉祥天の眠るような、白い、透き通るような、美しい顔がとても鮮烈に目の奥に残っていた。

 どうにも、まだ思い出さなくてはいけないことがあるような気がする。
 俺は、露木の名を受けて、金堂や、御影や、陸や、少し違うがあの夕月という子と同類としてこの世に生きているが、それだけじゃない。少し特殊なだけの夕月とは違い、俺は根本的に違う。
 違うことは分かったのだが、どうだろう。本当にそれだけか?
 そもそも、何がどう違うというのだろう。俺はオリジナルより察しが悪くできてしまった。
 晴れたと思った霧は、歩み、進んだ今、また濃く濃く立ち込めている。

*

 拠点の扉を開けると、じっとこちらを睨む金堂と目があった。自然と、俺の動きが止まる。
 彼は出会ってから、何も変わっていない。本当に何も。音無があどけない少女から、聡明な女性へ成長するくらいの時間が経っているのに。

「考え事か?」
「おお、露木。気付かなかった」

 彼は少し目を逸らしてためらって、それから意を決し息を吐いて、ようやくそれを口に出した。

「吉祥天は」
「……ああ。綺麗に死んでいた。……幸せそうだった」

 金堂はそうか、とだけ言って、またどこか遠くを睨むような目つきをした。
 幸せそうだったと、そう思うのは、残されたものが自分たち自身を慰めるための感情だ。分かっていても。
 今更のように、俺を構成しているパーツのどこかが、抜け落ちてしまったような、さらさらと砂のように崩れていくような、そんな感覚を覚えた。

「なあ」

 沈黙で夜を更かすのを金堂はやめた。

「ちょっと前さ、一般人だったやつが急に覚醒する、みたいなことなかったか?」
「聞いたことあるな……たぶん、御影から」

 「最近多いんだよね」。緊迫感のない声を思い出す。台詞は続く。
 「それが、不思議で。両親も、その上も、ずっと繋がっているのに、急に病気みたいに力が覚醒するんだ。帝国っていう宗教が流行ったの、知ってるかな。実は、あれだってそうだった」。

「その、力を与える、ってやつの名前ってさ」

 名前。名前? 御影は、なんて言ったろう。「その男はさ、名乗るんだよ」。確か、その名前は。
 記憶の中の御影と、今目の前の金堂が、声を揃えた。

「『神様』」

 ってさ、と、御影が言った。だったよな、と、金堂が言った。

「そのカミサマってやつはさ、一般人を狙っていろいろ覚醒させてたみたいだけどよ。それ、もともと持ってる俺らにやったら、どうなるんだろうな」

 問いかけてはいるものの、彼は答えがわかっているような口ぶりだった。

「…………ああ」

 そうか。そうかもしれない。
 たぶん、死ぬ。神様が与える。与えられたものが元々それを持っていれば、吉祥天のように、指一本で。それが答えだろう。

「でも、どうして殺すんだ? 御影によると、俺や金堂が『世界の日常を保つ』ための存在なんだろ」
「そこだよなぁ」

 俺たちが居なくなれば、世界はどうなってしまうだろう。上手に回らなくなる。日常がなくなる。それはつまり。

「……神様は、世界を壊したいのか?」

 金堂が独り言を言うように呟いた。
 この世に在る万物は、神の創造物だ。その神の子が、世界を壊すように動いている。つまりはそれが、神の意志。
 そうでなくても、世界を保っている者がいなくなればいずれ、世界は終わる。
 俺は思う。
 きっと、七日で作られた世界は、あまりにも欠陥が多すぎたのだ。

*

 それは、次の朝だった。
 金堂が起き上がった音で目が覚めた。ぼやけた視界の中、遠くへ歩いていく彼の黒いスウェットが見える。どうしたのだろう。形のない不安がみるみる膨らんでゆく。
 俺は、すぐに体を起こした。嫌に遠くに見える彼は、玄関のドアを開ける。
 ドアが開いたのに、金堂は動かなかった。そして、目を覆って、顔を覆って、頭を抱えて、うずくまるようにしたかと思うと、その場に倒れ込んだ。
 倒れ込んだ。

 後悔には、行き場は無い。
 それに気がついたからと言って、行動を起こさなければ、現状は変わらないのだ。何か、行動を起こすべきだった。身に迫る危険は、わかっていたはずなのに。ずっと、俺には関係ないところにいると思っていた死が、すぐ隣へ歩み寄ってきているのを、わかっていたはずなのに。
 自分の無力さを、今、目の前に見ている。

 金堂はまだ息をしていた。生まれて初めて眠る赤ん坊のように、浅く、小さく。
 そして、寝言のように言った。

「見ろ。今、さっきの記憶、俺の。見ろ、見ろ……」

 繰り返す、か細い声。
 自分でも分からなくなるほど、動転した気を持ち直して、俺は、閉じかける金堂の目を、見た。

 見慣れた扉。俺よりも少し低い視線が揺れる。ドアノブを掴んで、扉を開く。眩しい朝が目に飛び込む。そして、あの、白い男……。
 今度ははっきりと、その顔が見えていた。男が指を、こちらに向ける。
 歪む視界、混ざる色。俺の顔。変に篭った、金堂の声。見ろ、見ろ。浅い呼吸。吸った息を吐く音が、聞こえなくなった。

 ああ。白い男が、誰に似ているのか分かった。自分だった。白い男は、自分だった。
 金堂の閉じた眼を見る。
 俺は、この世界で一番の愚者だった。

Re: 神様とジオラマ ( No.63 )
日時: 2014/09/15 01:37
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: wSPra7vb)

「終息」



「消えてしまった」

 御影を前に、私はうまく説明ができなかった。
 混乱もしていた。吉祥天を失って、その吉祥天が大事にしていた猫が、ふと、唐突に消えてしまった。なんとかしなくては、なんとかして猫を探さなくては、と、そう彼に訴えた。
 御影はコーヒーカップを置いて言った。

「世界が終わるんだ」

 それから、顔を覆った。

「ああ、どうしたことだろう。兆候はあったんだ。本が増えて、世にでまわろうとしていた。神が僕に語りかけなくなった。何より、夕月、君が生まれてしまった」

 だんだんと感情的に、焦るように、急きこむように言い切ってから、御影は私を見た。顔を覆っていた手で頭を掻き毟って、私をまっすぐに見た。

「でも、それが神の意思だ……。それなら、僕は」

 彼は立ち上がる。座っていた椅子ががたんと音を立てた。

「夕月。猫は、もう戻らない。君がやったんだ。君が消したんだ」

 それは。

「君が持っているのは、世界を終わらせる力だ」

 受け入れるためには、それはあまりに、重い響きだった。
 
「君にはそれができる。そして、それが神の意思だ。分かるね? 終わらせるんだ。未練も、ためらいも、戸惑いも、必要ない」

 頭の芯を揺さぶられているような感覚に陥って、ようやくそれが収まった時、私は御影の顔をもう一度見た。
 そうは言っても。私は、彼が一番、未練も、ためらいも、戸惑いも、一番持ち合わせているように思う。誰よりも、一番。
 唇を噛んだ彼は私から目を逸らして、声を上げてうずくまった。

「愛していた」

 愛していた。その声が僅かに漏れた。この世界を、愛していた。空を、街を、人々を、愛していた。神様を、愛していた。
 私は考える。私は、世界を終わらせることができる。でも、私がそれを選ばなかったら?

*

 御影には落ち着き、ことと気持ちを整理する時間が必要だった。
 私は、マンションを出た。
 夜、ぽつりぽつりと灯る街灯。満月、個性豊な虫の音。幸せに生きる人々。世界。御影が愛した世界。

 吉祥天がいない今、何となく私は、音無を訪ねていた。

「あら、夕月ちゃん。いらっしゃい」

 音無は店の奥に私を通し、紅茶を淹れて私の前に座った。私には、彼女に語りたいことはなかった。それが分かっていたのか、彼女は青いギンガムチェックのテーブルクロスを指先で摩りながら、話を始めた。

「世界は終わっちゃいけないんですって」

 びくりと、体中が緊張するのが分かった。

「終わらせたりしないって。金堂くんが死んでしまって、露木くん、見た目よりずっと、ショックを受けていたのかな」

 露木。彼女の話によると、私が来るすぐ前に、彼はここに来ていたらしい。

「……すごく悩んでいるみたいだった」

 私は少しためらったが、それでも、聞いた。

「音無さんは、どう思うの」
「え?」
「世界は、終わらせちゃいけないと思う?」

 彼女は考え、それから言った。

「人が死んでしまうのは悲しいことだし、一樹や露木くんや金堂くんの事も好きだし、終わってほしくない。でも、本当は分かっている」

 なんて、悲しい顔で笑う人だろう。

「私、全部、知っているの。この世界は、神様が身勝手に創った、彼の、未練のカタマリなの。これがあるから、ずっと、痛みから抜け出せない。それなのに露木くんは、この偽物の幸せを守ろうとしているわ」

 音無は続けた。

「世界は、終わったほうがいいの」

 私は、音無の話を聞いた。音無が音無でない世界のことを。この世界を創った、神様のことを。
 世界は終わったほうがいい。彼女のその言葉は、愚かな神への、厳しい優しさなのだ。

 私は席を立った。

*

 露木が行く場所に心当たりがあるかと聞いたら、音無は教えてくれた。御影のところに行ったらしい。
 白い男が力を持っている者を殺して回っている。彼はそれを止めるために、御影を守るために、マンションに向かった。

 私は黒々としたアスファルトを走った。マンションから持ってきた傘をしっかり握って、力いっぱい走った。
 身を守るための、傘。
 露木には白い男を止めることはできない。自分の意思は、似てはいても、自分以下の存在には止められない。そんな確信があった。御影が死んでしまう。死んでしまう。
 子供の足では間に合わない。息が苦しくなって、心臓が痛くて立ち止まり、私は握った傘を見た。神様の杖。
 まだ、使えるだろうか。どうか。私は思いついた途方も無い案に、かけた。
 私の能力は、「消す」ことだ。この傘は、「創る」。
 傘を開いて、目を閉じ、呟いた。

「消えろ」

 私と御影までの距離だけを。

「生まれろ!」

 世界もろとも消えてしまわないように、この傘で。
 風が吹いた。強く、吹き付けた。

 目を開く。息をつく。
 目の前にはちゃんと、マンションの、御影の家の、扉があった。

 扉を開き、靴を脱ぎ捨て、彼がいるはずの扉が開いているのを見て、私は傘を放り投げてまた、廊下を走った。
 部屋の中に、うずくまったままの御影と、白い男が見えた。叫ぶ。

「待って!」

 白い男がこちらを向いた。

「待って、神様」

 白い。でも、今ならよく見える。露木と同じ顔。いや、私の知る露木よりも少しだけ、若い。白い半袖のワイシャツ、それから制服の黒いズボン。

「待って。私が全部やるから、待って。露木が来るまで待って」

 上がった息。絶え絶えの声を絞り出した。
 男は、御影に伸ばしかけた右手を引き、下ろす。神様はそのまま、すうっと消えてしまった。
 私は大きく吸って、安堵の息を吐き出した。うずくまっていた御影が、顔を上げた。

「この終わりにはちゃんと、意味があるんだ。……神様を助けられるんだ。僕は、僕は世界を愛する前に、神様を愛している。これ以上のことは、無い」
「……そうね」

 それが御影の、彼なりの答えだった。
 私も、伝えないといけないのだ。

 そして、露木は来た。開け放した玄関の扉から。
 露木は私を見て、言った。


「世界は終わらない。終わらせない。やっと作ったんだ。幸せな世界だ」

Re: 神様とジオラマ ( No.64 )
日時: 2014/09/15 01:38
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: wSPra7vb)


 
「世界は終わらない。終わらせない。やっと作ったんだ。幸せな世界だ」

 自分でも笑ってしまうくらいに、力のない声だった。自分が音無のためにやってきたことは、正しかったはずなんだ。

「聞いて」

 目の前の少女は、強い目で俺を見ている。

「偽物の幸せだって、音無は言った。この世界は神様の、君の自己満足だ。……もう、やめよう」

 やめてくれ。やめてくれ。

「やめよう。露木だって、本当は分かってる」

 夕月は一度息を吐き、そしてもう一度大きく吸った。

「『この世界が偽物だとしても、私は嬉しかった。露木くんの優しさが、嬉しかった。だからこそ、もういいの。……ねえ、思い出して。辛い世界だったから、汚れた世界だったから、不幸な世界だったから、私は露木くんを好きになれたんだよ』」

 音無の声が、夕月の声に重なっていた。

「…………は」

 なんだか力が抜けてしまって。

「はは……俺は二度、間違ったのか。俺は……。俺が、自分自身がこの世界に対する未練でできた存在だった」

 俺は夕月に告げた。

「終わらせてくれ」

 彼女はうなづいて、目を閉じた。
 俺も、目を閉じる。
 目の裏の音無はいつまでも、嬉しそうに笑っていた。

Re: 神様とジオラマ ( No.65 )
日時: 2014/09/15 10:51
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: NegwCtM0)

終章 創世記


「参っちゃうよね」

 彼女はそう言って、悲しそうに笑った。

「すっかり家庭崩壊しちゃって。離婚するらしいんだけど、どっちも私なんていらないって」

 白いワイシャツが、教室の窓から差し込む斜陽を受けて、オレンジ色に染まっていた。
 そして、言うのだ。

「世界が悪いよね、こんなの」

 校庭から聞こえてくるボールの音、声。風も、木も、すっかり秋めいてきたのにまだ、幻のように蝉の声が聞こえる。どこか遠くで。

「私のお話ではね、幸せな世界があるの。みんながみんな幸せで、綺麗な街があって、私は子供たちに駄菓子を売るの」

 輝かしき、子供時代を象徴する駄菓子が、彼女は好きだった。「あの頃見ていた世界は、絶対に、今よりももっと綺麗で楽しかった」と、よく言った。

 俺は、ジオラマを創った。

 それでも、彼女は死を選んだ。
 彼女は、もう居ない。ジオラマの片隅で暮らし、笑う彼女を見るうち、それを考えついた。
 俺も、身を投げてしまおう。
 ああ。俺がいなくなってしまえば、世界は神を亡くして、途方に暮れるかもしれない。しばらくは、もうひとり自分を創って、神様を代理してもらおう。制服を着た、白っぽい、自分。
 そして、最後にもうひとり。もし、世界を終わらせたくなったら。

*

「君が、終わらせてくれ」

 柔らかくて、甘くて、哀愁を含んだ声。
 それから、曖昧になる視界。恍惚としながら、暖かい場所に飲まれていく感覚。
 温かさが、消えていく。体に、重みが生まれる。

 私は目を開いた。

Re: 神様とジオラマ / 一周年&完結しました ( No.66 )
日時: 2014/09/15 11:06
名前: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y (ID: NegwCtM0)

あとがき

 もし読んでくださってる人がいたら、お疲れ様でした。
 約七万文字です。最長。
 その場のノリで書いてよくわからんくなってるところは直しますが、一応これで終了です。
 当初の予定よりけっこうずれました、でもまあこれでもいいかなって思ってます。バトルものどっか行きました。
 次はもうちょいリアルなの書きたいな。

 ありがとうございました!