複雑・ファジー小説

Re: 紅玉の魔女と召え魔の翼 ( No.87 )
日時: 2013/08/12 13:59
名前: アルビ ◆kCyuLGo0Xs (ID: I/L1aYdT)

11.

それから十数分ほどがたち、アリスとヴィルのチェス勝負の結果が出た。
盤上の状況はというと、

「ふむ。貴様……弱すぎるな」
「うっさ〜〜〜い!!!」

若干笑いをこらえた風に言うヴィルに、アリスは子供のように叫んだ。

「お疲れ様です。アリス、……あとで何かおごりますよ」
「だーまーれー!ビミョーに哀れっぽい感じで言われても全然嬉しくないから!?」
「そうですか」

僕は何とか笑っていなかった、と思う。

「よき召え魔であるなエメラルドは。ますます家来に従えたくなったぞ!」
「どうも。それとエメラルドではなくライトです」

ヴィルの勧誘を適当にあしらい、僕はアリスが叫んだ時に反動で落としたポーンを拾い上げた。

そう、アリスは、チェスがありえないほど弱い。
ルールはしっかり理解しているのに、なぜかとんでもなく雑魚……いや、下手なのだ。

まぁ、アリスの場合、魔術を使って相手の心理を読み取ればそれで勝利は確実のはずなのだが。逆にその方法は、彼女自身のプライドが許さないらしい。
……以前僕が「魔術を使っても負けてしまったらもう後がないくらいに終わってしまいますね」と言ってから意地になってる、という見解もあるが。

「むー。せっかくライト意外の相手だったから、今度こそは勝てるかもって思ったのに……」
「僕が強いのではなくアリスが弱いだけでは」
「だから黙らっしゃい!」

いつの間にか周りにできていたギャラリーの中にも、ひそかに笑っている者がいた。

と、酒場がそんな和気あいあいとした雰囲気になったときだった。
玄関のベルが鳴り、誰かが入ってきた。人間の女性のようだ。
すっかり拗ねていたアリスだったが、彼女を見つけるとパッ、と顔が輝いた。

「あら、リーちゃんお帰りー。遅かったじゃない♪」

アリスが『リーちゃん』と呼んだその女性は、本名をリリアーナ=レイシュルツという。
濃い紫の髪を女性には珍しくも短く切りそろえていて、アクアマリンのような澄み切った水色の瞳をしている女性で、アリスの知り合い——つまり、この宿の女主人その人である。
少したれ目がちなその瞳は、その人の性格も相まって、彼女の表情はまるで常に朗らかに笑っているように見える。

「ただいまぁ、スーちゃん。ライト君も久しぶりねぇ〜、昨日は会わなかったでしょ?」

リリアーナは特徴的な、どこか間延びした声で話しかけてきた。
ちなみに、『スーちゃん』とはアリスのことだ。アリスのことをそう呼ぶような特徴的すぎる人物は、僕の知る限り彼女しかいないし、アリスも彼女以外にそう呼ぶことを許していない。

「はい、お久しぶりですね。レイシュルツさん」
「ちょっと見ない間にまた背ぇ伸びたかしら?育ち盛りって羨ましいわ〜」

よいしょ、とリリアーナは外に置いてあったらしき大きな紙袋に包まれた荷物を運んで、中に入った。

「持ってくわよ、どこに運ぶわけ?」
「助かるわ〜、あっちの従業員室にお願い〜」

アリスは人差し指をクルッ、と荷物に向けただけで、荷物を浮遊させた。浮かんだ荷物は滑らかな動作でスーッ、と目的地へ移動する。

ヴィルは、僕の隣でその出来事を目を丸くして眺めていた。

「信じましたか?アリスがいかさまを扱う人間ではなく、本物の『魔女』であると」

何気なく僕はそう聞いた。ヴィルは、コクッと無言でうなずいた。そうしていると、本当に普通の子供のようにしか見えない。

「まさか本当だったとは……。てっきりあの赤い目も、何かで色を付けただけだと思ったぞ、ボクは」
「アレは元からですよ。ニンフェウムの末裔なので」

すると、ヴィルは思わずといった様子で独り言のように呟いた。

「ニンフェウム……妖精族がまだ生き残っていたとは。長年に渡る魔女狩りによってそのほとんどが抹消されたという、もはや世界にまだいるのか否かと言われていた一族が……」
「おや、お詳しいですね。ヴィルは民族学を学ばせられていたのですか?」

僕がそう尋ねると、ヴィルは我に返った。そして慌てたように、なぜか取り繕った。

「あ、いやなんというかえーと、そうボクの家庭教師がそう話していたのだよ!決して勉強していたとかそういうわけではない!たまたま、雑談の内容としてだな」
「……?そうですか」

家庭教師とその生徒、それも10歳になるかどうかという年齢の子供の雑談……その割には、随分と専門的だ。
やはり彼は何かを隠している……?
しかし、僕にはあまり関係はないし、詮索する趣味もない。誰にでも、何かの事情で隠しておきたいことくらいはある。やましい内容だったらまた別の話だが。

そこで、リリアーナがアリスに言われて、ヴィルに気づいた。

「あぁ、あなたはお客様?宿泊かしら?」
「うむ。そうだな、まずは一泊ここで過ごしてみよう。それなりに気に入れば、滞在を延長してやる予定だから、そのつもりでな」
「はーい、わかったわ〜。精いっぱいサービスするわねぇ〜♪といっても、ほとんどいつも営業は娘か従業員にまかせっきりだけど〜」

リリアーナは結局、誰に対してもその態度が変わることはない。
ある意味、この人もだいぶ変わった人だ。人間だからなおさら珍しかったりする。
まぁ、アリスとお互いにあだ名で呼び合うくらい仲がいい時点で、もう普通の人間ではないのだろうが。

「はい、これが部屋の鍵でーす。ところで、ヴィル君」

鍵を渡しながら、リリアーナはヴィルにこう尋ねた。

「あなた、もしかして家出中かしら〜?」
「まぁそんなところである。追手がきたらかくまうんだぞ、女主人よ。あ奴らよりボクのほうが謝礼金はたっぷりはずむ」

家来のことだろうか……?随分と扱いがひどいな、まるで悪党のように言っている。

「お客さんの個人情報は守るから、そのあたりは大丈夫だけどぉ〜、あんまりご両親に心配かけちゃ駄目よ〜?こんなかわいい盛りの子供が危ない目にあったら、誰だって悲しむもの」

リリアーナは、本気で心配してそう言ったのだろう。
しかし、彼女がその言葉をかけたとたんだった。

「黙れ!!!」

ヴィルが、急に子供とは思えないくらい大きな声で怒鳴った。
酒場が一瞬で水を打ったように静まり返る。

「貴様にボクの事情など何もわからないだろうが!何も知らないくせに好き勝手言うな、このボクに指図するな、身分をわきまえろ!!」

連射のように、言葉の暴力をリリアーナに浴びせかけるヴィル。
リリアーナは、目をパチクリとさせた。

「あら、ごめんなさい。何か気に障っちゃったかしら?」
「障ったどころではない、貴様はこのボクを侮辱したも同然のことを言った!いいか、ボクはこの国の——」

ヴィルがそう言いかけた時。
僕は、本当に咄嗟の反応で、ヴィルの口をふさいだ。

「むぐ、はにほふふえめらふほ!!」(むぐ、何をするエメラルド!!)
「お静かに!お願いですからヴィルさん、一度怒りを治めてください!さもなければ命の保証ができませんよ!」

僕は、珍しくも結構焦った声をあげていたと思う。予想以上に大きな声で、ヴィルに負けじと怒鳴るように言っていたからだ。
そのことにヴィルも驚いたのだろう、なんとか感情をそらして怒りをいったん治めることはできた。

——しかし、僕がおそれていた人物は、そうはいかなかった。

リリアーナの後ろから、荷物を運び終わった、僕の主……アリスが一歩進み出た。
恐ろしいほどに、アリスは無表情で、
しかしその紅玉の瞳は、まるで火山の溶岩のようにユラユラと怒りの陽炎がたっていた。

「『侮辱したも同然』?……ヴィル。あんたは今、まさにリーちゃんを侮辱したわよね?」

……まずい。これは、本格的にまずい。
ヴィルは、状況がいきなりすぎて先ほどの怒りはどこへやら、とにかくあっけにとられて豹変したアリスを眺めていた。
そんなヴィルの腕を僕はひったくるようにつかみ、

全速力で宿を飛び出した。