複雑・ファジー小説
- さぁ 正義はどっち ? 参照7600ありがとう御座います! ( No.516 )
- 日時: 2015/09/20 03:20
- 名前: メルマーク ◆kav22sxTtA (ID: kphB4geJ)
ミカイロウィッチ帝国ルート 071
茜色の空とおそろいの色に染まった海が、船の舳先に当たって砕け散る。船のへりから身を乗り出せば、その芸術的な瞬間を見ることが出来るが、あいにくとしゃがみ込んで一心に吐き気をこらえるウィンデルにはその光景を楽しむことが出来ないでいた。
「あと三十分もしたらつくからな。それまでの辛抱だぜ?」
「……」
あと三十分もあるの、というように無言で青ざめながら項垂れるウィンデルに、ヴィトリアルがやれやれと首を振る。
「夕飯は食えないだろうが、ここに置いとくぞ」
手にした皿をウィンデルの背後に置くと、ヴィトリアルは簡易夕食をぱくつきながら甲板に座り込み、ライヤの眺望報告書を眺めだす。
その向こう側ではアーリィが同じように本を読んでおり、顔をしかめながら小首を振っている。王国から盗んできた治癒の魔導書らしいが、魔法使いであるにもかかわらず彼女には読めないらしい。
「……っ」
視線を海から上げたことで吐き気がこみ上げ、慌てて口元を押さえ、そこでまた悲しそうに目を潤ませた。
口元を抑えるウィンデルの両手からは、彼のトレードマークである愛らしいパペットが二つとも失われていた。
吐き気と悲しみでうるんだ目を紅色に染まった帆に向けると、そこに風を受けて膨らむ帆と並び、じっとりと湿った犬と三毛猫のパペットが風に重そうに揺れている。
小一時間ほど前だろうか、おびただしい血と手術の生々しい様子を聞かされこみ上げた吐き気が船酔いと合併して、ウィンデルは船の舳先にしがみついて必死に吐き気をこらえていた。
運悪く昼食をとった直後であり、胃が船の振動で揺れるたびに目を閉じてしゃがみ込み、力の抜けた手でヘリを掴む。
その時、うねるような波が叩きつけるようにウィンデルに降りかかり、咄嗟に突き出した両手から滑り取るようにパペットが海へと攫われた。
近場の乗組員が網で救い上げてくれたものの、海水をすったパペットはきつく絞られた上でピンで止められる羽目となり、湿った潮風にあおられながら乾く当てのないまま一応干されている。
「そんなに気持ち悪いなら、アンタ、睡眠薬か何かもらって到着するまで眠ってたら?」
いつもの無邪気な微笑みを一切消して無表情でパペットを見上げるウィンデルに、アーリィが魔導書を閉じてしゃべりかける。
「……」
「…なんか喋んなさいよ」
しかしウィンデルが口元を押さえながら無言でアーリィを見つめ返す為、アーリィがむっとして頬を膨らませる。
「無駄だぜ」その光景にヴィトリアルも本を閉じ、半笑いを浮かべながら胡坐をかいた。
「ウィンデルはパペット外すと喋んなくなるんだよ。最初皇女サマから聞いて冗談かと思ってたが、ホントらしいな」
「何よそれ」
しげしげとウィンデルを眺めるヴィトリアルにアーリィが食って掛かるが、ヴィトリアルが口を開く前に話題の張本人であるウィンデルが無言のままよろめく足取りで船室に入り込んだ。
よろめく足取りで船室を覗き込むと、それぞれが暗くなったため灯されたカンテラの明かりに照らされて、各々の場所にたたずんでいた。
王国から攫ってきたフランチェスカ王女は部屋の隅で相変わらず微笑んでいる。
腹部に刺し傷を負ったリンは膿切除の手術後、腹部を縫われたと聞いていたが様子を見る限り無事成功したように見える。
出血のせいで顔色は悪いが、傷口の化膿が収まったことで熱が引き、寝息が穏やかになっている。
「添え木もこれで平気だし、痛み止めも服用したし、あとは打撲した箇所をこのまま冷却し続ければ腫れも内出血も減るよ」
そのベッドの足元で足を投げ出してクウヤの手当ての最終確認をするツヴァイが、白衣のポケットを探りソラマメ程度の錠剤カプセルを取り出した。
「なんだそれ?」
疑い深そうに目を細めるクウヤが、添え木された手首をかばいながらそのカプセルを眺める。
「造血幹細胞活性剤だよ。飲めば貧血も治るよ」
冷たい海水の入った酒瓶で兄の打撲した腹部を冷却していたイヴが疑いの目を向けているが、ツヴァイは気にせずにクウヤに開発した新薬を薦めている。
「……」
全然気づてくれない彼らにしびれを切らし、ウィンデルは彼らのもとに歩み寄り無言のまま彼らの側にしゃがみ込んだ。
「あぁ、ウィンデル…どした?」
薬を飲みかけたクウヤが手を止めて声を掛けると、ツヴァイがむっとしてさっさと服用するように促す。
「早く飲んでよ。たぶん安全だから」
「たぶん……?」
イヴが眉をひそめてつぶやき、クウヤが妹が俺の心配をしてくれている!と嬉しそうにしているのを横目に、ウィンデルは口を閉ざしたままツヴァイの白衣を引っ張った。
それを「危ない薬を人に勧めるの止めなよ」という意味にとらえたツヴァイが君もボクにケチ付けるのか、とうんざりしたように目をくるりと回した。
「これは骨髄に作用して血液を造るように促す反応を引き起こすように作ったんだ。クウヤでの人体じっけ—…治療が成功したらリンにも服用できるし」
別にそういうことが言いたかったわけじゃないのに、と困惑した顔のウィンデルは肩をすくめて見せた。
「兄さん…飲むの…?あと三十分もしないうちにエディかレイに治療してもらえるのに…?」
「いやもうイヴに心配してもらえるなら俺はこの薬いくつでも飲むぞ。どうせやばい薬品だったとしても魔術で治療してもらえるし」
感無量と言いたげに薬を飲み込んだ。
「それでウィンデル、何の用があるんだ?」
「……」
実の妹に心配されただけで危険な薬品を丸呑みするような人物を目の当たりにして、ウィンデルはパペットを装着していないため呆れた顔をして目を細めた。
「パペット、ないけどどうしたの…?」
どうせまずい事態になっても魔術での治療で治る、という事実に妙に納得したのかすでに兄の心配をやめたイヴの言葉に、ウィンデルは頷きつつも思わず声を出さずに笑ってしまった。
「なんか寡黙だね。ひょっとして喉でも痛めたの?薬、いる?」
黙って笑うウィンデルに、早くもポケットに手を突っ込んで薬品を探し始めたツヴァイが声を掛ける。
慌てて要らないよ、と首を振って断った瞬間、気が紛れておさまっていた船酔いがまた鎌首をもたげ、ウィンデルは真っ青になりながら深呼吸を繰り返して吐き気をこらえた。
その時最後の大揺れのあと、ゆっくりと船の揺れが静かになった。
続いて乱暴に扉が開き、船長がナポレオン帽を押さえつけながら怒鳴りこんだ。
「おい起きろ!さっさとしねぇと海水ぶちまけるぞ!ミカイロウィッチ宮殿に着いたぜ!」