複雑・ファジー小説

Re: さぁ 正義はどっち ? 参照11300ありがとう御座います! ( No.553 )
日時: 2016/03/21 19:16
名前: メルマーク ◆kav22sxTtA (ID: kphB4geJ)

カメルリング王国ルート 083


暗闇の中に燭台の灯がともる。
その暖かな光の中で、膝を折った聖職者たちが一身に祈りの言葉を口ずさんでいる。
「……」
その中でキリエも、礼拝堂の長椅子に腰かけて両手を組み合わせていた。少しでも体を動かせば、首に掛けた十字架が胸を打つように揺れる。
それが合図の様に、キリエは膝に乗せた聖書に指を這わせ、開いたままのページへとそっと目を落とす。
人目をはばかるように遠慮がちに目を伏せると、その印象的な一枚絵が淡い明かりに照らされて光の下で見るよりも一層その不気味さを際立たせている。
剣を手に取り罪人を串刺しにした男が、罪人を刺し貫いた剣が罪のない人をも刺し貫いている事に気付き、涙を流しながら炎の中に沈み込んでいる。その様子を神が、悲しげな表情で見つめ、祈るように手を組み合わせている挿絵だ。
(争いに身を落とし、その手を罪びとの血で汚すものは、罪なき羊を守る事も出来ず、神の手によりその穢れごと永遠の炎の中に堕とされる。罪びとを愛し、罪びとを許し、罪びとを助け、罪びとと共に祈らねば、罪なき羊を守る事など出来ない)
その紙面に記された文字を指でなぞりながら、すっかり暗記しているこの一節を黙読する。
私もこのように神の炎の中へ、地獄へと落とされてしまうのか…。こんなにも平和を願っているというのに。

神様など存在しない。そういう風に考えれば、今までどんなに祈ってもこの世界が平和にならなかったわけがすんなりと受け入れられる。
祈ったところでそれをかなえてくれる神様がいなければ、叶うはずがないのだ。
そもそも、暴力に対して無抵抗でい続ければ簡単に制圧され、好き勝手にされてしまう事はわかりきったことなのだ。
けれど、聖書にはこう書いてある。
該当するページをめくってその絵を見つめると、胸騒ぎがする。
剣を向けられた少女と老人が、そろって首を差し出す一枚絵だった。
(頬を打たれればもう片方の頬も差し出しなさい。腕を斬られたら、もう一方も差し出しなさい。脚を斬られたら、もう一方も差し出しなさい。やがて罪びとの手から罪なき者の血に濡れた剣は落とされる)
剣がその手から落ちなかったその時は…?いったいどうすればいいのだろうか。
多くの無抵抗な人々が自らを差し出して、誰もいなくなるまでそれが続いたら?そんなことがおこるのなら、誰かが地獄に落ちる覚悟で罪人を切り捨てさえすればいいのでは…?
そのほうがきっと、神に祈り続けるよりは、ずっとはやく戦いは決着を迎えるのではないか…?
キリエは聖書を閉じ、立て掛けてあるミセリコルデをそっと一瞥した。
自然と片手が胸元の十字架に伸びて、ぎゅっと握りしめる。
(主よ、あなたがいてもいなくとも、もう私は…ただ祈るだけで終わりにすることを止めます。たとえ、地獄へと落とされても、私はきっと後悔いたしません)
青色の瞳をそっと閉じて十字架を握り、キリエは最後の祈りをささげた。


 開け放たれた礼拝堂の前に立ち、リリーは無言で扉の向こうを見つめた。
闇に天からぶら下がる十字架がぼんやりと浮かび上がっている。その下では歌う様に祈りをささげる聖職者たちが、こんなに夜深いというのに席を埋めるほどいる。
赤毛を覆っていたフードを背後へと放ると、リリーはその扉の前を通り過ぎた。平和を祈る聖職者と人を殺すことを生業とする暗殺者は相いれないからだ。
カメルリング王家が王室専属の暗殺者を雇っていること自体、聖職者たちは良い顔をしていないのだ。言葉には出さないだろうが、会話したところでまったくの無益だ。
そんなことを考えながら分厚いマントを揺らして階段を上り、目当ての部屋まで来るとノックする。
すぐさま入るようにと声が聞こえ、扉を開ける。
開け放したバルコニーから夜風を受けて、金髪をなびかせたその青年は振り返り、安堵したようにリリーに微笑んだ。
「来てくれてありがとう、リリー。掛けてくれ」
「はい、キール様」
指し示された椅子の側に立ち、フランキール王子ことキールが座る気配を見せずにうつむくのを見ると、首を傾げた。
キールがリリーを呼ぶ時はたいてい椅子に座っているか、立っていてもすぐに向かい合って座るのが常だったのだが、今日に限ってはバルコニーに手をついて座ろうとしない。
「いかがなさったのですか、キール様。お加減でも…」
「リリー、お前には良く世話になっている」
言いかけたリリーをさえぎって、夜の向こうをじっと眺めたままつぶやいた。リリーのもとにまで届いてくる夜風は、城の最上階ともあって冷たすぎる風だった。
「お前の変装術で、この城を時おり抜け出すことが出来、城下の様子を視察できてとてもためになっている。それから、相手を的確に倒すための武器の手ほどきなど、誰にも言わずに協力してくれて、とても感謝している」
「ありがたきお言葉です」
キールがここに呼び立てた理由は、戦争へと向かうリリーへのねぎらいのためであったのだろうか、と小首をかしげているとキールは意を決したように振り返った。
「リリー、最後の頼みを聞いてほしいんだ。無茶な申し出だとは思う。けれど、叶えてほしい」
「…どういった頼みなのでしょうか」キールの言葉を受けて戸惑ったようにリリーが声を上げると、うんと頷いてキールは口を開いた。
「お前の変装術で、この俺を兵士の一人に紛れ込ませ、此度の戦争に参加させてほしい」