複雑・ファジー小説

Re: 俺だけゾンビにならないんだが ( No.14 )
日時: 2013/08/07 23:35
名前: 沈井夜明 ◆ZaPThvelKA (ID: 7NLSkyti)

結局、俺はホームセンターに入る事は無かった。
 荷物がどうこうでは無く、物理的に入れなかったからだ。

「早速立て篭もってるのかぁ」

 やけにホームセンターの周囲にゾンビが集まっていると思って観察してみると、どうやら中に人がいるらしく、正面の入口が大型の乗用車によって塞がれていた。しっかり見た訳ではないが、恐らく他の入り口も塞がれているのだろう。随分と手際がいいな。
 ゾンビ達が「うぅーうぅー」と低い唸り声で合唱している。「腹が減ったから開けろ」とでも言っているのかね。まあ、ゾンビが何かを考えているとは思えないが。
 流石にゾンビの大群の中に突っ込んでまでホームセンターに行く理由は無いので、スルーして帰ることにした。ゾンビ達の合唱に呼び寄せられているのか、周囲のゾンビもホームセンターに向かい出したからだ。上はどこかの学校の制服、下は白いパンツだけ、なんていう目に毒な格好のゾンビが隣を通ったせいで思わず声を上げそうになってしまった。目が白濁してなくて、太ももの肉が千切れて骨とかが覗いて無ければ、それなりに興奮しただろうが、流石に俺はゾンビに欲情する趣味はない。
 南無南無、と名も知らぬ女の子ゾンビに手を合わせ、俺は自宅へ向かって再び自転車を漕ぎだした。


 こうやって言っていると、まるで俺が緊張感0で、余裕で進んでいるみたいだが、実際はそうではない。
 自転車を漕ぐ音でゾンビは俺に反応するし、たまにカゴから食料が落ちそうになったりして、色々大変なのだ。こうやってギャグテイストにゾンビ達を見ているのは、一種の自己防衛だ。首の肉やら腕の肉やら足の肉やら頬の肉やら鼻の肉やらを食い千切られたゾンビを、もうかなりの数目にしている。こんな中で、冷静でいろって言う方が無理な話だ。
 時たま生きた人間を見掛けるが、皆既に噛まれているか、自動車や自転車、バイクに乗って避難中か。両者とも、俺が何かしてあげられる事なんて無い。もしかしたら大勢の人間が家の中に隠れているのかも知れないな。これから俺も家に帰る予定なんだし。

「助けてぇ! いやぁ! いぎゃああぁぁ!」

 目の前で一人、20代ぐらいの若い女性がゾンビに貪り喰われている。家に帰るために通らなければならない通路で、道を塞ぐようにして四匹のゾンビが女性を取り囲んでいる。女性は引き攣った絶叫を上げ、肉を食い千切られる激痛に喘ぐ。
 ゾンビの低く、それでいて獰猛な息遣い。肉を咀嚼する湿った音。女性の徐々にか細くなっていく悲鳴。道路に広がっていく真っ赤な血。温い風に乗ってやってくる濃厚な鉄の臭い。
 ゾンビの低く、それでいて獰猛な息遣い。肉を咀嚼する湿った音。女性の徐々にか細くなっていく悲鳴。道路に広がっていく真っ赤な血。温い風に乗ってやってくる濃厚な鉄の臭い。ゾンビの低く、それでいて獰猛な息遣い。肉を咀嚼する湿った音。女性の徐々にか細くなっていく悲鳴。道路に広がっていく真っ赤な血。温い風に乗ってやってくる濃厚な鉄の臭い。
 ゾンビの低く、それでいて獰猛な息遣い。肉を咀嚼する湿った音。女性の徐々にか細くなっていく悲鳴。道路に広がっていく真っ赤な血。温い風に乗ってやってくる濃厚な鉄の臭い。
 
 「はぁ……はぁっ……」

 呼吸が荒くなっていく。空気を吸っても、一向に収まらない。
 心臓の鼓動がやけに早い。ドックンドックンドックンドックンと体内で暴れまわっている。
 胃液が迫り上がってくる。酸っぱい物が口内に広がっていく。それを吐き出す前に飲み込む。
 視界がボヤケたりクリアになったりを繰り返す。グルグルと回転する。意識が遠のいたり、近付いたり。
 
 既に汗でビショビショだった服が、更に汗で濡れていく。全身の水分を絞り出しているのではないかというぐらいに。
 気が遠くなっていた。いっそここで死んだ方が楽になれるのではないかという自分の心の声。やめろ。逃げるな。現実はここだ。前を向け。


  地面に倒れそうになるのを必死で堪え、カゴを落とさないように必死に手に力を込める。ようやく意識がハッキリと回復してきた。呼吸は荒く、心臓の鼓動も早い。
 女性の悲鳴に呼び寄せられたゾンビが、複数体どこからか姿を現す。そしてヨロヨロと動かなくなった女性に近付いていく。
 意識が遠のいている間に、十近いゾンビが集まっていた。進行通路を塞がれているせいで進む事も出来ず、後ろから新しいゾンビが来るせいで逃げることも出来ない。今俺に出来るのは、ただ音を立てないように止まっている事だけだ。
 集まったゾンビ達は、よってたかって彼女の死体を喰らう。ブチブチと肉を引き裂き、腹を裂いて内蔵を引きずりだし、地面に広がった血液を啜る。
 やはり臭いで集まってくるのか、彼女が悲鳴を止めてからもゾンビは数を増やしていく。そして食肉祭に加わっていく。
 どれくらい経っただろうか。ふとゾンビ達は彼女を食べるのを止め、立ち上がり始めた。そして再び生者を喰らうべく、覚束ない足取りで歩き始める。何匹かのゾンビが止まっている俺の方に歩いてくる。皆、口元を赤くそめている。濃厚な鉄の臭いが漂わせながら通り過ぎていく。その内の一匹が俺の自転車にぶつかったが、気にせずに歩いて行った。
 殆どのゾンビがいなくなった事を確認した俺は、ゆっくりと自転車を漕ぎ始める。カラカラと車輪の回る音が鳴るが、この音量ならば誰も気付かない。
 貪り喰われた女性の方をなるべく見ずに、進む。その時、不意に車輪が止まった。いや、止められた。

「ひ」

 左頬の肉はもうなかった。歯がそこから見える。鼻の肉がない。左目の瞼がなくなって白濁した眼球が飛び出している。腹からは内臓が飛び出している。ミミズのようだ。ソーセージの材料は何だったか。
 人差し指が真ん中から無くなっている手で、女性は車輪を掴んでいた。
 自転車を動かそうとしても、四本の指だけで恐ろしい力を発揮して離さない。それはズルズルと這って近付いて来て、ゆっくりと起き上がった。開いたからドバドバと内臓が零れ落ちる。落ちたそれはピチピチと地面で跳ねた。

「ひ。ひ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 絶叫。
 ゾンビは車輪から手を離し、それを俺に伸ばす。俺はそれを掴んで握りしめた。グチッと肉が潰れ、骨が軋む。やがて彼女の手は完全に潰れた。血が俺の手を濡らす。生ぬるい。気持ち悪い。
 それにまた悲鳴を上げて、俺はゾンビを蹴り飛ばす。後ろに吹っ飛び、力なく倒れ込む。
 他のゾンビが俺の声を聞いて集まってきている。
 俺は再び自転車に乗り、漕ぎだす。ハンドルが血で濡れる感覚。それを構わずに進む。

 慣れろ。
 慣れるしか無い。
 映画を見て、本当にゾンビが出たら面白そうなんて考えていた。だけどそれは全く何もわかってなかったんだ。肉肉肉肉血血血血! 実物を見たらそんな事は絶対に言えない。
 適応しろ。
 逃げるんじゃない。
 現実を見ろ。
 昨日までの世界は、もう死んだ。


「はは」

 こうして俺はこの世界に適応した。
 そうするしか無いから。