複雑・ファジー小説

Re: 俺だけゾンビにならないんだが ( No.27 )
日時: 2013/08/14 21:46
名前: 沈井夜明 ◆ZaPThvelKA (ID: 7NLSkyti)


 
 血だらけの学生服にぐしゃぐしゃの茶髪。額からは血が流れている。ここまで来るのに相当走ったのだろう。歩美の肩が上下している。

「あ、兄貴!?」

 俺の顔を見た歩美が、驚愕に目を見開く。隣の男は歩美と俺を交互に見て固まっている。
 視線が交差して数秒。
 血だらけの学生服にぐしゃぐしゃの茶髪。額からは血が流れている。
 
「歩美、残念だけどそこの男の人は家の中に入れる事は出来ない。歩美だけなら入れてやる」

 包丁を突き出したままの俺の言葉に二人は表情を凍り付かせる。家の周辺にゾンビが少しずつ集まってきているのを横目で確認しつつ、目の前の二人の警戒を怠らない。

「な、何言ってるの!? なんで大輝だけ!」

 歩美の隣にいる男は少なくとも二十歳を越えている。それを親しげに下の名前で呼ぶのか。
 大輝と呼ばれた男は歩美を腕で制すると、穏やかな表情を浮かべながら口を開いた。

「えっと、何か警戒されてるみたいだけど、僕は怪しい者じゃないよ。そこの中学生の教師さ。歩美のクラスの担任なんだ」
「そ、そうよ!」

 男が歩美の名前を呼び捨てにするのはまだ分かるが、歩美が男を呼び捨てにするというのはおかしい。担任を呼び捨てにして、親しげに下の名前で呼ぶってどういう事だよ。頭の中で、男と歩美の関係を想像して、俺は目を細める。

「ほ、ほら、包丁を下ろしてくれ。後ろから奴らが来てるんだ。早く家に入れてくれよ」
「駄目です。大輝さんと言いましたね。歩美をここまで連れてきてくれた事には感謝しますが、貴方は家の中に入れることは出来ません。この状況で家族以外の人間を信用するなんて真似は俺には出来ません」
「兄貴! いい加減にしろよ! やばいんだって!」

 冷静に言葉を紡いでいるつもりでも、俺の頭は相当に混乱していた。男は危険だ。だから家の中に入れたら俺や歩美が危ない。だけどここで見捨ててもいいのか? いや……やはり入れる事は出来ない。歩美だけしか、家に入れることは出来ない。
 ゾンビの呻き声が徐々に近付いて来ている。男は頻りに後ろを気にしながら、言葉に苛立ちを混ぜながら俺に入れるように説得してくる。

「歩美! 早くこっちにこい!」

 もう時間がない。
 俺は金属バットを離し、歩美の腕を強引に引っ張り、家の中に引きずり込もうとする。
 その腕に鈍い衝撃が走った。
 男が俺の腕に向かって鉄パイプを振り下ろしていたからだ。嫌な感覚が腕を襲い、力が入らなくなって歩美を離してしまう。

「ふざけんじゃねぇえよ! とっとと家に入れやがれ糞ガキィ!」

 男は歩美の腕を掴んで自分に引き寄せると、「歩美がどうなってもいいのかァ! あぁ!? こいつをここに連れてきたのは俺だぞォ! ここまで来てお払い箱とかふざけんじゃねえよ!」と今までの穏やかな口調を消し、怒鳴り散らす。
 俺はヨロヨロと後ろに下がる。

「お、お前はここに来るまでの途中で仲間を囮にしてんじゃねえか! その鉄パイプで殴ってよォ! そんな奴を信用できるか!」

 それを言うと男はギリッと歯ぎしりすると、鉄パイプを持ち上げた。それを俺の脳天目掛けて振り下ろす。間一髪の所でそれを避け、俺は家の中に逃げ込む。

「いいから中に入れやがれェ!!」

 男は叫びながら家の中に入ろうと腕を伸ばしてきた。玄関を閉めるが、腕が間に挟まってしまう。俺はパニックになりながら、扉を少し開き、それからまた閉める。ガンッと音がして間にあった腕が挟まれる。

「出てけ出てけ出てけ出てけ出てけェ! この、このッこのこのこのォォォ!」

 ガンガンガンガンガンガンガンガン、何度も何度も扉を叩き付ける。挟まれた腕が嫌な音を立てて凹む。男はその痛みに悲鳴を上げる。何回目か、扉が開いた隙に男は腕を外に抜いた。
 俺はその隙に扉を閉めると、鍵を閉める。
 意味を成さない叫び声と共に、ドンドンと玄関が叩かれる。それに混じって「兄貴、兄貴ッ!」という歩美の悲鳴が。
 扉の外で、ゾロゾロと二人以外の足音がする。二人の悲鳴が上がる。
 男が悲鳴を上げた。
 歩美も悲鳴を上げた。

「兄貴ィィ! 助けてよぉ! 入れてよぉ! いや、いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
 二人の悲鳴はやがて小さくなっていき、代わりにクチャクチャと咀嚼音が大きくなっていく。
 クチャクチャクチャクチャクチャクチャ。
 俺は玄関の前を箪笥で完全に塞ぐと、よろよろと座り込む。

「は。ははは、ほら見ろ。やっぱりあの男は危険だった。本性表しやがったよ。はは、クソ、腕がまた折れちまった。あんま痛くねえけど。ふ、ふは、これで良かったんだ。あの男を中に入れる訳にはいかなかったんだよ。そうだ、そうそう。撃退に成功したんだ。俺は正しい。間違ってないよな、な。はは、は」
 
 だけど。
 あ、あれ。
 で、でも歩美は中に入れられてない、ぞ?
 はは、おかしいな。正しかった筈なのに、あれ?
 歩美は?
 歩美はどうして?
 こ、殺した?
 俺が?
 違う、殺したのはゾンビだ。
 俺は悪くない。
 違うんだ。
 違う違う違う違う違う違う。
 俺は正しかった。
 男を入れちゃ駄目だった。
 だからいいんだ。
 そう、いいんだ。
 そうだろ?
 なあ。
 俺は間違ってないよな?
 これで良かったんだよな?
 なぁ、そう言ってくれよ。
 誰でもいいから。
 なんでもいいから。
 
「誰かそうだって、これで良かったんだって言ってくれよォ!」