複雑・ファジー小説
- Re: 「人間」を名乗った怪物の話。 ( No.88 )
- 日時: 2013/08/26 13:17
- 名前: アルビ ◆kCyuLGo0Xs (ID: aRobt7JA)
1-8.
*アンヌside*
静かな屋敷の中、本のページをめくる音のみが聞こえる。
暗号はもう半分まで解読した。
少し難しいけれど、12年間ずっと独りだった私はその時間を活用して数えきれないほどの本を読んで、勉強もしたので全くできない難題でもない。
ティアマトの加護——そういえば聞こえはいいけれど、実際にはただの殺傷能力でしかない。実際、私は生まれたばかりの頃、この力のせいで……母親を殺してしまった。
故郷では神子どころか『忌み子』と呼ばれてさけずまれ、物心つくころには独りで旅に出ていた。
誰も、私を助けてくれるどころか、本当の私を見ようともしなかった。
——そんなときに、あの人は私を助けてくれた。
ものすごく嬉しかった。本当は助けてくれたとき、泣きそうになったけれど……もしそうしたら、せっかく助けてくれたあの人が困ってしまうかもしれないと思ってこらえた。
それから、私も誰かを助けてあの時のように、困っているヒトを救いたいと思った。
そして、その試みの最初の実行を今しているのだけれど……結果的に、あの人を困らせてしまったかもしれない。
(でも結局断らないところ、やっぱり『善い人』なんだろうな……)
ニコラウス=レイジング。
不思議な人だ。
私と同じ、『自称・人間』。
-*-*-*-
本を読み進める手が止まってしまった。
いけない、モードさんを助けるためにもちゃんとしないと。
と、私がそうしていた時だった。
ドサッ、……
遠くから、少しくぐもった音が聞こえた。
少し小さかったけれど、おそらく屋敷の外から聞こえたのだろう。
その外の音がここまで聞こえるということは、実際にはとてつもなく大きな音だということだ。
(……なにかしら)
他人の屋敷を勝手に出歩くのは少し気が引けたけれど、もしものことがあったら——不審者の侵入だったり——困るので、様子を見に行った。
音は、玄関前の庭園からした。
ガチャ、と扉を開けて、外に出る。
「ぐ、ぅぅ……」
「!」
庭の茂みに隠れるように、誰かが倒れていた。
「大丈夫ですか……?」
恐る恐る近づくと、その人は急にバッ、と起き上った。
黒い外套に、帽子をかぶり、その陰から敵意むき出しの目でこちらを睨みつけてくる。
「……お前、この屋敷の主か?」
「いえ、ただの知り合いです」
たぶん、この人は私が「そうです」と答えると思っていたのだろう。続けて何かを言おうとしたが、私の答えを聞いて「え?」という顔をした。
「あの、大丈夫ですか?何か大きな音がしましたが……。どこかから転落したのですか」
「……ああ。あえて言えば、天から堕落してきた」
「そうですか」
なるほど、この人は堕天使のようだ。
そういえば、よく見ると外套の背からは漆黒の翼が見えた。
「……。お前、普通もっと驚かないか?」
「どうしてですか?堕天使だってこの世にはいます。少し珍しいですが」
「変な奴だな、お前」
ですから、なんで私が変人扱いされるんですか。私はただの女の子です。
と、そこで私はその堕天使さんの、黒い羽の一部の色が少しおかしいことに気づいた。
本来は美しい漆黒の色をしているのに、片翼はどす黒い色に濡れている。
「怪我をなさっているのですか?そちらの翼は」
堕天使さんは少し顔をしかめて、翼を片手で隠そうとした。
「待ってください」
「あ?」
私はポケットから、いつも持っていた大きめのハンカチーフをとりだした。ビリ、と破いてちょうどいい大きさにする。
そしてそれを、少し戸惑った様子の堕天使さんの翼に巻き付けた。
「っ、何すンだよ!?」
「じっとしていてください」
少し血をぬぐって、ハンカチーフを包帯の代わりにして巻きつけた。最後にはずれないよう結んで、出来上がり。
「本当はもっとちゃんとした措置をしたいところですが……。とりあえず、これで傷がパックリ開くことは防げると思います」
「…………」
堕天使さんは、何か言いたげに私を見上げていたが、結局口を閉ざしてしまった。
すると、急に空を見上げて、
「げ、もう来やがった!?」
と焦ったように言った。
「どうかなさったのですか」
「あー……まぁ、追手だ。俺を追放した天使がちょっと、な」
「それは大変ですね」
堕天使さんは、そそくさ、と飛ぶ準備を始めた。
「怪我、お大事にしてくださいね」
「ああ。お前……変わったやつだが、いいやつだな。お前はまた逢っても、何もしないでおいてやるよ」
堕天使さんは少し意味深なセリフを言い残し、空へ飛び立っていった。
しばらく、私がなんとなくそこにとどまっていると、上空からサッ、と純白の天使さんが舞い降りてきた。
(このヒトが追手の天使さんかしら)
そんなことをボーっと考えていると、きれいな赤髪を短く切りそろえたその天使さんは、私に尋ねてきた。
「ここ、さっき黒い羽の男がいなかった?」
「はい、いました。もう行ってしまわれましたが」
「…………。はぁ」
天使さんは、最初私を少し責めるような目つきで睨んだが、やがて諦めて、ため息をついた。
「わかった。迷惑をかけたわ。それじゃ。守護神……ティアマト様によろしく」
それだけ言い残して、天使さんは堕天使さんを再び追って飛んで行った。
「……私は普通の女の子です。ティアマトさんと話なんてできません」
ちょっと機嫌が悪くなって、私は誰にともなくボソッ、と言った。
-*-*-*-
『大変そうだね。ニコルも、君も』
「え?」
突然、男の人の声が聞こえた。辺りを見回しても、誰も見当たらない。
『でも、出会った。独りでいるより、2人のほうが楽しいからね♪』
「……どなたですか?あなたはいったい……」
『そのうち会うよ、たぶん。——今回は、オレのせいで何人かに迷惑がかかっちゃったみたいだし。ま、オレもオレなりに解決できるよう頑張るから、さ』
じゃぁね、と男の人の声は急に聞こえなくなった。
ザァァっ、……。
一陣の風が吹く。その時、私は咄嗟に貴族街の道の、向こう側を振り向いた。
——キラキラと日の光に反射する、美しい銀髪。
風になびく、肩にひっかけただけの上着。
その男の人の後ろ姿は、よく見ようとちょっと瞬きした瞬間には、フッと消え去ってしまった。