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《ここから再び武藤なみこちゃんが主人公になります。》


「なみこー、早くしないと迎えのバスが来るわよー」


「うーん。もうすこしだから……」
　お母さんとお父さんの寝室にこっそり忍び込み、化粧台の椅子に座ってあたしは鏡の中のあたしに向かって“にらめっこ”をしている。震わせた手にお母さんの大変身アイテムその１・ビューラーを持ちながら。
　ちなみにそのアイテムというモノは実を言うと１０種類以上はあるのだが、あたしにはとても全ては使いこなせない。だって、あたしはまだ僅か１４歳。お化粧なんて、もちろんまだした事などない。出掛ける時にお母さんがどうやってコレを使っていたのかをよく思い出しながら初めてのメイクを体験中。
　どうして今までオシャレになんて興味のキョの字も無かったあたしがこんな事をしているかというと————


　よぅし、目力、アップ。
　震わした手に力をこめ……こめ過ぎた？
「痛ッ！　イタタタタッ！」　
　気合いが入り過ぎたのか、まぶたの皮を思いっきり挟んでしまった。お母さんの変わりにビューラーに『５年早いわ！』と説教された感じで。


「————ちょっとアンタ！　何やってんのよ！」


　鏡の向こう側に、ただでさえ多いシワをさらに増やし、あたしを指さしながら睨んで立っているお母さんが現れた。
「げっ！　見つかった!!」
　慌てたあたしは、手に持っているビューラーを化粧台の引き出しの中にしまおうとしたら————
　ガッ！
「！」
　無惨にも今度は手の指を思いっきり挟んでしまった。
　まぶたといい、手の指といい、今日は出だしっから挟まれづくしの日だ。
　ジンジンと痛む指にフーフーと息を吹き掛けているあたしを、すぐ横で仁王様……いや、お母様が両手を腰に当てて（多分）怒りで引きつった顔で見ている。
「……じゃ、行ってくる」
　痛さを堪え、お母様と視線を合わせない様に気を付けながら塾のカバンを持ち、玄関を飛び出した。


「今から塾でしょ！　そんな事してるヒマがあったら予習とかしたらどうなの！」


　　　　　☆　　　　　★　　　　　☆


　だ、だって、予習……みたいなものだもん。


　たかぎに逢えるのは１週間でたったの２回だけ。
　化粧をしてた理由は————
　彼に少しでも可愛い状態のあたしを見て欲しいから。


　家の前で停まったバスに乗る前に、サイドウインドーに映っている自分の顔をチェック。
　どうでしょう？　……うーん。微妙。
　ビューラーで押さえたまつ毛は結局片方だけだった瞳をパチパチと瞬きをさせ『よし、いくぞ！』と気合いを入れる。
　たかぎに逢える喜びと、松浦くんに耐える意気込みでドキドキと高鳴る胸。


　塾は今日で２日目になる。
「……はやく乗れよ」
　今日も相変わらず無愛想な顔をした松浦くんに言われ、あたしはバスに乗る。
　ああ、きっと今日も隣に座ってきて嫌なコト言ってくるんだろうな、と思ったけれど、何故か彼はあたしとは離れた席に座ってくれた。
　あれ？　どうしたんだろう松浦くん……。
　今日はあたしを苛めるネタが無いのかな。……先日出し尽して。
　学校じゃクラスも違うし、そう絡んでないもんね。
　……ま、いっか。とりあえず出だし好調。


「武藤さん、塾はどうかね？」


　バスが動き出したと同時に、いつも運転中口数の少ない蒲池先生が突然話し掛けてきた。
「え？　まぁ、うん……」
　親のお金で塾に通わせてもらってる生徒が、成績を上げるために必死で教えている先生に向かって『勉強めんどくさい』だなんて言えないし……どう答えたらいいのか分からず、曖昧に返した。
「知らない人ばっかりで大変だろう？　もしも困った事があったら、何でもいいから一人で悩まないで先生に相談してくださいね」
　学校じゃなくて塾の先生。なのに、こんなにあたしの事を心配してくれている。
　毛は少ないけれど温かい先生。
　彼の一言で学習塾っていうイメージがガラッと一転、ここはなんてイイ塾なんだ、と思った。


「大丈夫ですよ、松浦くんがいますし」


　本音は居ない方がせいせいするくせに、あたしはウソ丸出しの棒読み台詞と笑みを浮かべながらシートから顔を出して松浦くんを見た。
　遠く離れた一番後ろの席で腕組みをして座っている彼は、『こっちを見るな』と言う様な目であたしの事を睨み付けてきた。


　バスが塾に着いた途端、ここでも相変わらず松浦くんは早歩きで中に入って行ってしまった。
　あたしと一緒に居るところを人に見られるの、そんなに嫌なんだ……。
　入り口の所で足を止めたあたし。


　触らぬ“悪魔”に崇り無し、だったっけ？　確かそんな様なことわざがあったな。


　ここでしばらく待ってから行こう。
　入り口の脇の壁にもたれ、手に持ったカバンを胸に抱き締める。
　もう来てる、かな……。
　ドキドキしながらあたしは自転車置き場にいる人達を見ていた。
　“彼”の事を探しながら————

　しばらく自転車置き場をぼけーっとした顔で眺めていたあたし。
　すると、すぐ隣にある自動ドアが開いた。


「……入らないの？」


　塾の中から夜風にサラサラヘアをなびかせられながら、上はオシャレなダーク・ブラウン色のジャケット。そして下は黒のパンツスタイルで本日もバッチリキメてあたしの方に歩み寄ってきた、たかぎ。
　彼がいきなり後ろから現れたものだから、あたしはビックリして、
「は、はいっ！　……ります」
　なんて、ヘンな返事をしてしまった。
「ふふふっ、かーわいっ」
　満点の笑みを放ち、彼はあたしの頭をぐじゃぐじゃっと撫でてきた。
　続々と塾にやって来る人たちが、通りすがりにみんなあたし達の事をジロジロと見ていく。中には同じクラスの人だっている。


「ヒューヒュー、アツいねー」


　などと、どこからか冷やかす声までも聞こえてきた。
　あたしは毛穴から湯気が吹き出て来そうなくらいこんなに顔が熱いのに、全く動揺せず、堂々とした顔で冷やかし軍団に向けてＶサインにした手を振って応えているたかぎ。
　まるでサービス精神旺盛な海外のハリウッド俳優さんの様に。


「たか、ぎ……くん」


　恥ずかしさに耐えきれなくなったあたしは、頭を撫でる高樹くんの手を掴んで止めた。
「はい、なーに？」
　まだ頭から手を離さずに、彼はあたしの背の高さに合わせ腰を落とし、まっすぐ見つめてきた。
　真っ赤な顔をして戸惑うあたしの顔を見て、からかってお茶目に笑っているのかと思ったけれど……そうじゃなかった。
　高樹くんの真剣な瞳に、あたしのからだの動きが封じ込まれる。
　しかも、頭は彼の手で固定されてるから————


　ちょっと、待って。ウソでしょ？　
　こッ、こんなところでキス、だなんて……。


　高樹くんの顔が、ゆっくりとあたしの顔に近付いてくる。
　何故か微妙に角度を傾かせながら。
　ちょッ、ちょっと待っ、てよ！　ここ、塾でしょ！
　心の中で悲鳴をあげ、ワタワタしながらもつい目をつむって準備、したけど————


「会いたかった」


　そう言って今度は優しく頭を撫でてきた高樹くん。
　てっきりキスをされるかもしれない、だなんて勝手な想像をしちゃって思わず目をつむってしまったバカ丸出しなあたし。
　出逢ってまだ２日目で、しかも大勢の人達のいる塾の入り口の前でそんな事をされるなんてあるわけないのに。
　ホッと安心する様な……でも、実を言うとほんの１％だけキスを期待していたり……って！　だからそんな事あるわけないのに。
　こんな所でキスシーンとか、ハリウッド映画じゃあるまいし。
　……っていうか、いい加減、目開けないと。あたし。


　つむっていた目をゆっくりと開けた途端、スッとさりげなく彼に手を繋がれたあたしは、そのまま高樹くんにエスコートされながら教室に向かった。


　『僕とダンスを踊りませんか？』


　小さな頃、お父さんに『読んで』とお願いして何度も読んでもらったあたしの大好きな童話“シンデレラ”。
　まるで自分がシンデレラになって童話の中の世界に飛び込んでしまったみたい。
　古くくすんだえんじ色の床の階段がレッドカーペットの敷かれたお城の階段に見える。
　お願い、魔法使いさん。ずっとこのまま魔法を解かないで————


「なんだ、姿が見えないから、お勉強がイヤで逃げ出しちまったかと思ったぜ」


　最悪のタイミングで２階のＡクラスの教室の前の廊下で今一番会いたくない人、松浦くんに声を掛けられてしまった。　
　いやだ。逃げたい……。
　あたしは高樹くんと繋いだ手に力を入れ、軽く振った。
　しかし、嫌がるあたしの気持ちが通じなかったのか高樹くんは、松浦くんの動きをうかがう様に彼に視線を向けている。


「なぁ、高樹君。おもしろい事、教えてあげようか……」
　松浦くんは壁にもたれて窓の外を見ながら、わざと大きな声を出し、話し出した。
「こいつと寝ると、赤ちゃん並みによだれ垂らしまくるから気を付けたほうがいいぞ！」
　高樹くんが一緒にいるのに。
　もしも今ここで穴を掘って隠れる事ができるのならば、隠れて姿を消してしまいたい。そんな事、できるはずなんかないけど。
「じゃあな」
　松浦くんは『ハイ、もうこれで充分満足しました』、という様な顔で笑いながらＡクラスの教室に入っていった。


「きっと松浦くんも僕と“同じ”なんだな……」


　松浦くんの背中を見ながら、隣で高樹くんが呟いている。
　高樹くんもあたしの事、おかしい子だと思ったんだ。
　もう恥ずかし過ぎて、高樹くんの顔をまともに見ることができない。
　この前の塾の日の帰りのバスの中。疲れたとはいえ、松浦くんの隣のシートでうたた寝しちゃったのは迂闊だった。
　ああ……彼の言ってた通り、なとなくよだれが出てた様な気がする。
　あの時、眠たくなったらほっぺた叩いて眠らない様にするとか、可愛い寝顔でよだれなんかじゃなくって、小さな寝息をたてて眠るとか意識してちゃんとやるんだった。
　面倒くさいな……。こんなひとのために意識するなんて。
　隣が高樹くんならともかく、松浦くんなんかだもん。
　あ。そういえばあの時確かこの人、あたしの事いきなり蹴っ……！
　はぁ……。あの日は蹴られて、今日もこんな嫌がらせされて。
　仕返ししたいのにできないし……。
『ざまあみろ』
　まるでそう言っているかの様に、わざわざイタズラにかがんで背を低くして、あたしの表情をうかがっている松浦くん。
　“踏んだり蹴ったり”ってまさにこの事をいうんだな。
　あたしは繋いでいる彼の手を振り払って、逃げようとした。


「逃げないで」
　肩に力強く回された腕。
　冷たい空気のなかで温かい鼓動がふんわりとあたしを包み込む。
　高樹くんはあたしを掴まえるように抱き寄せてきたのだ。
　そして、あたしの髪を指でそっと耳に掛け、甘い声で囁く。
「あんな事聞いちゃったら、なみこちゃんと寝てみたくなっちゃうじゃん」
　ねッ！　寝るッ!?
　シンデレラに出てくる王子様ってこんな大胆過激なセリフ言ってたっけ!?
『君と寝たい』
　うーん。実は隠れて言ってたのかも……。


　キーンコーン。
　魔法が解ける１２時を知らせる鐘……いや、違った。始令のベルが２人のラブラブシーンのジャマをした。