複雑・ファジー小説
- 『怪し過ぎ! 塾3階の部屋の謎』 ( No.37 )
- 日時: 2015/03/16 11:04
- 名前: ゆかむらさき (ID: dZI9QaVT)
パチン。
松浦くんは担いでいたあたしを降ろし、電気を点けた。
「!」
部屋全体がワインレッド色に染まっている。天井も壁も床も全部同じワイン色。
両方の自分の手の平を広げ、顔の前に近付けた。
いやらしくワイン色に染まっているあたしの手の平。
何、このへんな色。
さらに背後から覆うようにやってくる気配が。
それはワインレッドの光をまとい、いつもより増して怪しい雰囲気をパワーアップさせた松浦くん。彼がゆっくりと近付いてきて、あたしの肩にそっと手を置く。
冷たい親指の先でうなじをなぞりながら、彼の低い声が毒の様に耳を襲う。
「ん? ああ、確かに変だよなァ、この照明の色。
誰かが蛍光灯に細工でもしたんだろ。勉強もしねぇで、こんなことに時間費やして。
————お盛んな奴等だぜ、全く」
まるで赤ワインの入ったグラスの中に沈み堕ちていくような気分。
ずっとこの部屋にいたら、本当に酔っぱらってしまいそう。
あたしは、おそるおそる部屋を見渡した。
壁にはダーツの投げる羽根みないなものがたくさん投げられて刺された跡だらけのダーツボードが掛けられていて、床には賞味期限が絶対きれていそうなホコリだらけのお酒が何本か入った木箱。部屋の端にはボロボロのビリヤードの台が無造作に何台か積み上げられていて、その中の1台が部屋の真ん中にポツンと置かれている。その、ポツンと1台だけ置かれている台の上には箱ティッシュ一箱と丸めたティッシュのゴミがゴロゴロと散乱している。
「この部屋がなんの部屋か、って?」
あたしの両脇に手を入れ、まるで小さな荷物を運ぶ様に軽々と持ち上げた松浦くん。そして部屋の真ん中に置かれているビリヤードの台の上に座らせて話し出した。
「ヤリまくり部屋……って、俺たちは言っている。
そういえば、おまえはまだ、この塾に入ったばかりだから知らねぇか」
やりまくり、べや?
ビリヤードをやりまくる部屋なのだろうか。————絶対そんなワケがない。
ニヤニヤしながら話す松浦くんの顔を見て、あたしはなんとなく察した。
集中どころか頭がおかしくなりそうなこの部屋の色。それにこんなにゴミが散らかった傷だらけの台でビリヤードなんてできるのだろうか。
「この塾のカップル達が、“楽しーコト”スルための部屋、だってさ」
彼はあたしの反応をおもしろそうにうかがいながら、着ているパーカーのえり首から手を忍び込ませてきた。そして鎖骨を指でゆっくりと撫でながら吐息混じりの気持ち悪い声で耳元でこう囁く。
「なァ。これ以上言わせる気かよ……。ホントはもう分かってるんじゃねーのか。————いじわるだなぁ、なみこ……」
「やめてッ!!」
全身に鳥肌が立ったあたしは彼の手を掴んで止めた。
「俺がいつも、どんな気持ちでいるのかも知らねぇでヘラヘラしやがって。どうせ、恋愛小説なんかの世界にでも夢見て浮かれちまってんじゃねぇのか?
————おまえ、高樹にメチャクチャにされるぞ……」
ワインレッドの照明が、あたしのいかりの炎を増強させる。
「へっ、変な事言わないでよッ! 松浦くんのバカ! 大っキライ!!」
思わずビリヤードの台の上から、目の前の松浦くんを蹴飛ばして叫んでいたあたし。
おそるおそる台の上から見下ろすと、松浦くんはあたしに蹴られて倒れている。
あう……。
勢いだとはいえ、マズい事をしてしまった。
申し訳ない、という様な反省、というよりも、この後の彼の逆襲が怖————
に、逃げよう!!
あたしは慌てて台から降り、視線をドアに向けた。
「——っ! 痛ぇなコラ!!」
彼は起き上がり、あたしを睨み付けて飛び掛かってきた。
「 !! 」
あまりにも予測不能な彼の行動。どうして“こんな事”をしてきたのか————
それは突き飛ばされる、でもない。
それに殴られる、でもなかった。
なんと、あたしは松浦くんに強く抱き締められていたのだ。
「————これでもまだ分かんねぇのか。バーカ」
プライドの高い彼の事だから、手加減なしで蹴られた仕返しに10倍返しで反撃されると思っていた。
恐怖と混乱で松浦くんの胸の中で固まってしまったあたし。
はっきり言ってコレは傷付けられるよりも恐ろしい反撃なのかもしれない。
気のせいなのかもしれないけれど、バカにされた言葉のはずなのに何故だろう。あたしを抱き締めながら耳元で囁く彼の声が少し震えていた様な感じがした。
松浦くんはあたしに何か大事な事を伝えようとしているみたいだけれども、はっきり言ってくれないから分からない。そんな事よりも、身長170センチ近くもある彼に、こうやって力の加減無しで覆い被されている状態で抱き締められていて苦しい。
多分、もう1分以上もこの体勢ではないだろうか。
硬く震えた彼の腕が、微妙に段々と締めつけている気がする。
壊れちゃいそう……。
いい加減に離してほしいんですけど。
『蹴っちゃってごめんなさい』って言った方がいいかな。
そう思った時に、彼は抱き締める腕の力を緩め、あたしの顔を覗き込んできた。
研ぎ澄まされた刃のような視線を顔面に突きつけられ、あたしは言葉を失った。
「俺が先に奪ってやる……」
「 !! 」
口の中に広がるミントの味。
あたしのファーストキスは、予想もできない不意打ちで松浦くんに奪われてしまった。
「じゃあな。楽しかったぞ、なみこ」
あたしのくちびるを指でギュッとつまんで鼻で笑い、彼は一人で部屋を出て行った。
あたしの口の中に、噛みかけのガムを残して。
☆ ★ ☆
よし。松浦くん、もういないな……。
“やりまくりべや”のドアを開け、顔を出して覗いて確認をしてから、あたしは廊下に出た。
でも、いくらこんな事をしたって、どうせまた帰りのバスでイヤでも顔を合わせなくちゃいけない。彼からは逃げたくても逃げる事ができない。
さっき、松浦くんに強引に口移しで放り込まれたガムを捨て、くちびるも中身がまだいっぱい入っていた箱ティッシュが空っぽになるまでいっぱい使って拭いた。でも、ミントの味が消えただけで松浦くんの味は消えてくれない。
『楽しかったぞ、なみこ……』
勝手にあんな事をしておいて“楽しかった”だなんて。あたしを見下ろし、いやらしく笑っていた彼の顔も消せない。
せっかく素敵な思い出の場所として胸の中に残しておいた3階の思い出が、松浦くんのせいで、今夜一気に最悪の事故現場へと崩れ堕ちてしまった。
思い出したくない。もう二度とここへは来たくない!!
あたしは両方の手の平をギュッと握り締め、早歩きで廊下を渡った。
教室に戻ろう。
とにかく高樹くんの前では、何も無かった様な顔をしていなくっちゃ————
「!」
階段を降りようとしたら、誰かが昇ってくる気配。
うそ……いきなりこれはまずい展開。2階から高樹くんが昇ってきていた。
どうしよう。よりにもよって、こんな時にこんなところで会っちゃうなんて。
3階に松浦くんと一緒にいた事、知られちゃったかも————
あたしは頑張って何も無かった様な顔をしたつもりだったけれど、絶対、動揺している顔になっていた。
『なみこちゃん』
いつもなら、こんな風に優しい笑顔で呼んでくれる彼が、あたしの顔を見ても何も言わずにゆっくりと昇ってくる。
キーンコーン。
高樹くんが階段をあたしのいる所から1段下の段まで昇ってきた時、始令のベルが鳴り出した。
「————サボっちゃおっか」
驚いている間もなく、あたしの手は彼に握られ、再び3階に連れて行かれた。
松浦くんだけではない。高樹くんの様子も今日はなんだかおかしい。
「だっ、だめだよ高樹くんっ。戻らないと叱られちゃうよ。
あたし達、この前も問題起こしてるし、マズいよっ……」
高樹くんに手を引かれ3階の廊下を渡りながら頭の中に色んな事が浮かび上がってくる。
ワインレッドに駆け巡る、いけない妄想が。
傷ついたばかりの脆いからだを癒すように舐めるように抱き締められて
ビリヤードの台の上で高樹くんにキスされながら
ゆっくりと服を脱がされて
キスされて
いろんなところを触られて
キスされて————
☆ ★ ☆
気が付くとあたし達は“やりまくりべや”の前に来ていた。
キスだけで……済むのだろうか?
『あのー、この部屋、何ですか?』って、とぼけてみようとしたけど、知ってないフリをする演技力はないし、嘘をついてごまかした、って彼に思われるのは嫌だ。
ドアを開けてあたしの背中を押した高樹くん。
噤んでいた口をやっと開いてくれたと思ったんだけど、背中越しに聞こえた言葉は————
「僕の事、嫌いだったら————ごめん」