複雑・ファジー小説

『塾になんかに行きたくない!』 ( No.4 )
日時: 2015/03/13 13:26
名前: ゆかむらさき (ID: dZI9QaVT)

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 通り過ぎたあたしの後ろ姿を見ながら、再び甲高く、ヘタすると5軒くらい先の家までにも響き渡る程の大きな声で話し出す彼女達。
 どうせ近所の家に住む主婦同士の会話なんだし、スーパーの特売の話とか、お昼にテレビで見たワイドショーの話がネタだと思うんだけど————


「いいわよねぇ、女の子は。可愛くって羨ましいわ」
「あらまあ、松浦さんったら何言ってんのよ。おたくの鷹史くんハンサムだし、頭もいいじゃない。ほーんとにもう、あの子ときたら勉強はしないし、かといって家の手伝いも全然しなくって————」


 うわぁ……。聞こえちゃってるよ“お母さん”。


 まさかあたしの話をしているとは。しかも余計な事ベラベラ言っちゃって。
 5軒どころじゃない。体の大きさに比例した大きな声。さらにあのお母さんは無駄に交友関係が広いから……広いせいで、おそらく7、8軒先まであたしの“ぐうたらネタ話”が届いているのかも。
 よくお母さんに『学校へ通う時や帰る時ぐらい、もっと元気良く行きなさい』って言われるけど、こんなんじゃ胸を張ってなんて歩けないよ。
 足元のアスファルトに誰かが捨てたガムがへばり付いている。まるであたしに仕掛けた罠の様に。
 危うく踏んづけそうになった。
 下を向いて歩いてなかったら踏んづけて靴底がガムまみれになっていたかもしれない。
 ガムまみれになった靴って洗うの大変なんだよ。
 かといって今まで一度も靴なんて洗った事ないけどさ……。
 裸で堕ちたガム。
 味が無いし美味しくない。周りに迷惑掛けてばかり。
 せめて紙に包んで捨ててよ……。
 何かに理由を付けていつもお母さんから逃げようとしているあたし……なんて情けないんだ。


『ほらみなさい。だからあんたは!!』
『武藤。こんな事本当は言いたくないのだが、先生は君のためを思ってだな……』
 こんなだからいつまでたってもあたしは————


 あたしは歩くペースを競歩大会の選手の様なペースに上げ、逃げ出した。
 あたしがたまたまここを通り掛かっただけでそこまで盛り上がるだなんて。
 お母さん達の話がヒートアップすればする程あたしの元から低いテンションがさらにダークダウンする。
 もういやだ……。もう少し声のボリューム落としてよ。
 家の玄関の前に着いたというのに、まだ彼女達の会話が聞こえている。もしかしたら普段からこの調子で、家庭内事情を町内中にまき散らしているのかもしれない。


「はぁ。一応申し込んでみたはいいけど、“あそこ”に行けば少しは変われるかしら、あの子。
 あんな子だけど今日からよろしく、って鷹史くんに伝えといてくださいね、松浦さん」


『あそこに行けば……』
『今日からよろしく……』————って?


 お母さん達、何話してたんだろう。
「ま、いっか」
 玄関のドアを閉めて、あたしはいつもの様に家に入って直行で台所に入った。コレは帰宅後のあたしのお決まり行動ルート。そこで食卓の上に置いてあるかごの中のポテトチップスの袋と冷蔵庫の中でひんやり冷えているペットボトルのオレンジジュースを手に取った。
 昨夜、宿題に飽きて、息抜きのつもりで“ちょっとだけ”読んだつもりが気が付いてみたら半分以上読んでしまっていたマンガ本。続きをせっかくだから……というより続きが気になるし、今日の宿題にとりかかる前に一気にスッキリ読んでしまおうと思い、そのまま2階に上がろうと玄関を横切った。
 ちょうどその時に玄関のドアを開けてお母さんが帰ってきて、開口一番あたしにとんでもない事を言ってきた。


「あら、なみこ。今日からお隣の松浦さんとこの鷹史くんが通ってる塾に、あんたも行く事になったから」


「え!」
 靴箱の上に脱ぎ捨ててあったエプロンを身に着けながら淡々とした顔で話すお母さん。信じられないその言葉の内容にビックリしたあたしはゴローンとジュースを落とした。
 しかも今日からっ、て……。
 だって、突然すぎるでしょ。
「ホラ! もうとっくに申し込んであるんだから行かなきゃダメよ。ボサッとしてないで早く用意しなさい。6:30に迎えのバスが来るわよ!」
 そんな事、たった今学校から帰ってきたばかりでいきなり玄関で言われたって————!!
 本日の晩ご飯までのおくつろぎタイム(ぐうたらタイム)の計画が崩れ散ってゆく。……正確に言うと予定が無い、という事だから計画でも何でもないが。
 っていうか! 
 お母さんは自分の言いたい事だけ一方的に言うだけ言って、
「分かったわね!」
 強い口調に加え、力を込めた手の平であたしの背中をベシッ! っと叩き押して台所へ向かった。
 ちょっと待ってよ! 待っ……!
 あたしは自分の背中をさすりながら、もうガマンできなくなって、
「ひどい! お母さん! あたしに何も聞かないで勝手に決めちゃうなんて!!」
 ハアハア言いながら怒り散らかした。
 すると台所から肩をいからせながらUターンして戻ってきたお母さん。、
 あたしの右手からポテトチップスの袋を取り上げ、もっとこわい顔……そう、まさにあたしの読んでいる漫画雑誌“シュシュ”で大人気連載中のギャグ漫画“ゆめみるこちゃん”に登場する主人公の女の子のお母さん、事あるごとに稲光を背負って怒るシーンがお約束の彼女の様な顔をして、
「そんなの聞いたって、どうせあんたの事だから“いやだ”って言うに決まってるでしょ!! 学校から帰ってきては、いっつも部屋でゴロゴロしてばっかりいて……。あんたの将来を心配してお母さんはねえ!!」
 お母さんもハアハア言って怒っている。
 気が付けばお母さんはドアを開けっぱなし。
 近所にすべてが丸聞こえな玄関での母と娘のこの情けないバトル。軍配はどちらにあがるのか————
 両手をギュッと握り締め、歯ぎしりをしながら彼女を睨みつけた(つもりだった)あたしだけれど、言われた言葉が“釘”のようになって何本も体に突き刺さり、頭の上から白旗が飛び上がったこんな負け惜しみ丸出しの顔でなんかで対抗したって敵うわけがない。


「わかったよ。……いくよ、いきます」


 声の大きさ、体の大きさ……それ以前にこうなった原因は自分の要領の悪さ。お母さんの迫力に負け潰されたあたしは仕方なく松浦くんの通っている塾に行く事にした。……そうするしかなかった。
『行く』と答えた途端、お母さんはコロッと態度を変え、
「あら、そ。良かったワぁ。鷹史くん頭はいいし優しくていい子だから安心だわァ。仲良くね」
 と言い、台所へと消え去った。


 それにしても“優しくて、いい子”、って————
 あたしはお母さんの言った言葉に全く納得いかず、ブツブツ一人ごとで文句を言いながら自分の部屋のある2階へと上がった。


『毎日通う、ってわけじゃないんだから、そんなに構えなくても大丈夫よう! 街の方だからちょっとばかし遠いけれど、いい評判の塾らしいわよ』


 塾、って聞いたら構えるに決まってるでしょ。だって! 塾っていう響きから“猛勉強”を連想するんだから。何を言ってるんだ、あのお母さんは。
 いくら週に2回だけだからって、せっかく学校帰ってきてからもまた勉強しに行かなくちゃイケナイだなんて。


「やってらんないよぉ、もおっ!」


 お母さんに反論できなかった悔しさを120%込めてベッドの上に向かって脱いだ制服を投げ捨てたあたし。爽やかな薄ピンク色のタンクトップとパンティー姿になって深呼吸。
 そういえば“裸になると開放的な気分になれる”ってテレビかなんかで聞いた事がある。
 コレは……うん。言われてみれば確かに気持ちがいい。
 このイライラした気持ちを少しだけでも落ち着かせようと、ついでに「うーん」と伸びをした。
 よし、こうなったらタンクトップとパンティーも全部脱いじゃってラジオ体操でもしてみようかな?
 と、パンティーに手を掛けて下ろそうとした瞬間————


「ぎゃ!」
 最悪……。窓越しに松浦くんと目が合ってしまった。
 実は、隣の家に住んでいる松浦くんの部屋のベランダにある大きな窓とあたしの部屋のベランダにある大きな窓が向かい合わせになっていて、着替える時にきちんとカーテンをしないと、お互い丸見え状態……という厄介な家の作りになっている。


 ————解放しすぎた!!


 あたしは慌てて隠そうとした。
 下着だけであらわになっているあたしの体。上か下か、どっちを隠したらいいのか分からなくって戸惑っていたら、向こうから“あっかんべー”をされ、シャッ、とカーテンを閉められた。


 よりにもよって、あんな嫌な人と一緒に嫌な塾に。


 結局イライラはさらに募る一方。
 あたしはさっきお母さんに言われた『仲良くネ』の言葉を思い出した。さらに『優しくていい子だから』の言葉まで思い出してしまった。


 どこが……。松浦くんは外ヅラがいいだけで、本当の性格はめっちゃいじわるなんだよ————

『塾になんかに行きたくない!』 ( No.5 )
日時: 2014/10/29 13:50
名前: ゆかむらさき (ID: dZI9QaVT)

     ☆     ★     ☆


 あーあ。いつもなら夕ご飯が出来上がる時間になるまでベッドの上でゴロゴロとくつろいでいられた身分だったのに、
「初日がカンジンよ!」
 と、あたしの部屋にノックもしないでズカズカと入ってきたお母さんに、読んでいた途中の漫画を強引に本棚の中に片付けられ、ベッドから引きずり下ろされた。
 腕の中の枕に顔をうずめ、まだ心の準備が整っていない、ってダダをこねても、やっぱり通用しなかった。


「へりくつばっかり言ってんじゃないの!」


 バスが来る10分も前なのに、こんな寒空の下の玄関の外に追い出され、ドアを閉められた。
 しかもこの手さげカバンで。
 あたしが小学校に入学する時に、お母さんにミシンで作ってもらったいちご柄の手さげカバン。
 よりにもよってコレ持って行くんですか……。


「……へりくつだって。だっせ」


 あげくの果てに、あたしの家の前の道路でサッカーボールを蹴って遊んでいる近所の小学生の男の子に思いっ切りバカにされた。
 恥ずかしい。もうやだ……。
 余計に塾に行く気が失せたあたしは、歯ぎしりをしながら足元に転がっていた小石を力を込めて踏ん付けた。


 小石を1つどころじゃなく2つ、3つと踏んづけて当たっている間に6:30くらいになったのだろうか。排気音をたてながら白い塗装が所々錆びた古くさい感じのバス(……って言っていいのかワゴン?)が来た。
 別に早く外に出て待ってたりしないでもこの音で気付くじゃん。
 異様な視線を感じて、ふと振り向いてみれば、リビングの窓のレースカーテンの隙間から疑う様な顔であたしを見送ってるお母さん。


 はいはい……ちゃんと行きます。行く気満々まんですっ。


 バスが来たと同時に相変わらず無愛想な顔で家から出てきた松浦くん。一応これから(しばらく?)お世話になる身なのだし、何か一言、挨拶みたいな事を言っておいた方がいいのかと思って、『今日から、よろしくね』とでも言おうとしたら、後ろから彼に背中を押され、「さっさと乗れ」と急かされた。
 モタモタしてるとまた松浦くんに何か言われそう。
 パッと乗り込んでバスの中を軽く見渡してみた。どうやら10人くらい乗れる程の小さなバス。あたしと松浦くん以外の生徒はまだ乗っていない。多分これから塾に向かうまでに何人か乗せていくのかもしれない。 
 そういえばさっきお母さんが『塾までは遠い』だとか何とか言っていた。到着するまで一体何分くらいかかるのか分からないけれど、遠い塾までバスの中で松浦くんだけを相手に過ごすのはとても気まずい。とにかく1人だけ、男の子でも女の子でも誰でもいいから生徒を乗せていって欲しい、と願いながら運転手さんに頭を下げた。
「お、おねがいします……」
 運転手さんはあたしの顔を見て優しい笑顔でニッコリと微笑んでくれた。


 しょうがない。頑張る、しかないもんね。


 とりあえず自分の精神を守りぬくために今日第一にわたしに優しく接してくれた、この運転手さんの真後ろの席に座った。
 ひんやりとした、まるであたしの今の心境と同じような座席の硬いシートがお尻と一緒に背中を包み込む。
 それにしても松浦くんは、どうして頭いいはずなのに塾になんかに通ってるんだろう。
 あたしの後からバスに乗り込んできた松浦くんをチラッと見た。
「!」
 ビックリした。
 何故か彼は他にもいっぱい席が空いているのに、わざわざあたしの隣にドカッと座ってきたのだ。
「あ……」
 拒否反応を起こしたのか、思わず漏れてしまう声。
 それに対し、顎を上げて上から見下ろした顔で、
「あ?」
 胸をえぐるナイフの様に返してくる松浦くん。
 実はさっきモロに下着姿を見られているからめちゃくちゃ気まずかったりする。 
 まるで時代劇に登場する悪代官の様に隣のシートの背もたれにのけ反り返って長い足を組んでいる松浦くん。何も言葉を発してこないところが余計に気まずい。
 あ、あっちに座ればいいのに……。
 彼から逸らした視線をガラガラに空いている周りの席を指すように見渡している時、ハッと気付いた。
 分かった! いやがらせか————!
 次第にムカついてきた。


 ムカついたところで、やっとバスが動き始めた。
 バスのスピードが上がると共に、あたしの鼓動のスピードも上がっていく。
 何か話した方がいいのかなぁ。
 しかし、こんな人に何を話題にして話したらいいのか分からないし、タイミングも掴めない。
 すると隣に座っている松浦くんは、あたしの目も見ずに自分の前髪を指先で触りながらボソボソと話し出した。


「ああ、言っとくけどこの塾、原黒中(あたしと松浦くんの通ってる学校)俺とおまえしかいないから。ちなみに、このバスに乗る生徒も2人だけだ」


 そう言って、やっとあたしの方を見たかと思ったら、
「————ってゆーか、おまえ友達いねぇから関係ねーよなァ、ハハ!」
 と、小バカにした目をして笑い出した。


「——っ!」
 本当の事だから言い返す事ができなくて、あたしはくちびるを噛んで我慢した。
 悔しいけれど、こんな事はよくある事。
 彼に会う度毎日の様に言われている事だけど、よりにもよって初日からこんな目に遭うとは。ただでさえ塾に通う事になっただけで憂鬱なのに————


 古寂びれたバスなのか。
 走行中ガタガタと音を立てる小さな牢獄の中。世界一……いや、宇宙一大嫌いな監視員の隣で、あたしはムシャクシャしながら運転手のびみょうに……いや、気持ちいいくらいに見事に丸い形でハゲた後頭部を見ていた。