複雑・ファジー小説

裏ストーリー ( No.75 )
日時: 2013/11/14 16:55
名前: ゆかむらさき (ID: UJ4pjK4/)

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 たか☆たか★パニック〜ひと塾の経験〜“裏ストーリー”
『キケンなパジャマパーティー』はじまり。


     ☆     ★     ☆


 キケンなパジャマ・パーティー
 第1夜『難問題・武藤なみこ』


 答案用紙に書かれている問題数はさほど多くはない。しかし問題全てがあいつ……武藤なみこに関わるものだった。


 俺の額から滝の様に汗が流れだす。
 勉強の苦手な奴等がテストで戸惑う気持ちが身に染みてよく分かる。
 隣の席で健が頭を掻きながら数学の問題と戦っている。
 そういえば最近、健のやつは武藤の話をしていた。
 武藤の話……それは確か高樹に武藤の(つまらない)情報を教えて間もない時だった。講習の始まる時間の前の教室の中で————


「なァなァ。ちょっち俺、小耳に挟んで実はめっちゃ気になっちゃってたりしてんだケドさー、鷹っちィって、Bクラスの“武藤なみこチャン”ってコの隣の家に住んでンだろ? もー! ホントみずくさいなぁ。そんな子がこの塾に入ってくんのなら教えてくれたっていーのによー。 
 はぁ。かーいーよなァ。彼女」
「俺はあんな女が可愛いなんて今までこれっぽっちも思ったことねぇぞ。……ってか健、おまえ彼女いんだろが」
「あーあー、由季ねぇ。まぁ、由季は由季で可愛いんだけど、うん、彼女とは違うミリョク? ……つーの? 色気があるんだよね、なみこチャンには」
 色気? 武藤に? 何言ってんだこいつは。
 シャープペンのケツを噛んでフタを外して芯を入れながら話す健の言葉が信じられなかった。
 まぁ、“オンナ好き”の健の事だしな、と、軽く聞き流していたが、
「ひゃーっ。なみこチャンのセーラー服姿、一度拝んでみてぇっ」
 どうやらマジでイカれちまってるらしい。
 数学の答案用紙の端っこを指でつまんで頬を染めてうっとりとろけた目で遠くを見ている健。塾に入った時や否や、ノリが良く素直で愉快な彼に不思議と心が吸いこまれ、すぐに打ち解けて仲良くなったのだが、美的感覚……っていうか、趣味・趣向は俺とはどうやら正反対の様だ。その時の彼の言葉を聞いた瞬間、明らかになった。笑いさえもでてこねぇ。コレがリアル“空いた口も塞がらねぇ”って言うヤツだ。
 彼の表情を見て俺は右手に持っていたシャープペンを落とした。その時、健は両手を合わせて俺にいきなり謝ってきやがった。どうやら彼は俺が武藤に想いを寄せていて動揺して落としたと勘違いしたらしい。……んなワケあるか、ってんだ。冗談じゃあない。
 落としたシャープペンを拾った俺は健の替え芯を1本徴収してやった。
「ああ。カーテンもしねぇで着がえるしな。毎日あいつの下着姿見せられて、おかげでこっちは迷惑してるぜ」
「ま、じ、か。それなら今度隠し撮り……」
「……犯罪だぜ、ソレ」
 彼女持ちの男が他の女……しかもあんな武藤なんかに欲情しているとは。
『そんなら一度、俺ん家招待してやろうか』
 そう冗談半分で言ってみたら、本気で健は喜びやがった。
 ————と、まぁ、そんなやりとりがあったってワケなのだが。
 健といい、高樹の奴といい、釜斗々中の男共は女を見る目が絶対にズレている。
 まさに今、俺の答案用紙と健の答案用紙を交換してやりたい気持ちだ。


 ————しかし、どうしたものか。10分も経過したのに1問も進んでいない。


「どうしましたか? 松浦くん」
 俺の席の傍らで蒲池がニヤニヤしながら立ち、答案用紙を覗いている。
「アッ、ハハハハ……(このハゲ!)」
 心の中で彼を罵り、俺は問題と向かい合った。


 適当でいいから埋め尽くしてやる。
 フン、こんなテストの再試験を受けるのだけは死んでも嫌だからな!

裏ストーリー ( No.76 )
日時: 2013/11/17 18:39
名前: ゆかむらさき (ID: siKnm0iV)

     ☆     ★     ☆


 埋め尽くすとか言ってみたはいいものの……どうすりゃいいんだよ、コレ。


 第1問・武藤なみこの“チャーム・ポイント”を答えなさい。


 は? チャームとか何だよ一体……。
 フン。アレがそうかどうかは分かんねーけど……ま、いっか。
 どうして俺が武藤の可愛いところを探さなくちゃいけないんだ。あんまり考えるのは疲れるからやめておいた方が身のためだ。とりあえず俺はまず1問、インスピレーションで適当に答えを埋めた。
 それにしてもなんだか厄介なノルマ(依頼)を1件づつクリアしていかなくては……という気持ちだ。
 今まで勉強の問題では一度も感じた事の無かった様な“新鮮”って言ったらいいのか……まさにコレは気持ちの悪い“新鮮さ”だと言ってもいい。


 第2問・武藤なみこのファースト・キスの相手を答えなさい。


 なっ! なんだ、こりゃあ! へんなのばっかじゃねーかよ!!
 武藤が塾に入ってまだ間もない頃、この塾の“ヤリまくり部屋”で俺はムリヤリ彼女のくちびるを奪った。
 ちょっとビビらせて塾から追い出してやろうと思っただけなのに俺はあの時どうかしてたんだ。あんな奴にキスをするなんて……。きっとあいつに『バカ』って言われた事に腹が立ったんだな。武藤のくせに俺に向かって言いやがるんだから。
 でも……何故だ? 
 キスで触れた彼女の柔らかいくちびるの感触が、した直後の様に今でもふんわりと残っている。
 俺がいつも誰にも知られない様に気を付けて秘密で読んでいる恋愛小説……タイトルは言うのがちょっと恥ずかしいが、“乙女・テイスト”。……まあ、こんな俺でもちょっと泣けてしまう純愛ラブ・ストーリーだ。
 その小説の中に記してあった主人公の女の子の名言は確か————


 『女の子のファースト・キスはとても大事なものなの』
 ……実は俺も“アレ”がファーストだったんだが。


 あの物語の主人公……強気で自分の気持ちにも素直になれないという性格の女の子は、小さな頃からずっと思い続けてきた男と誰も居ない放課後の教室の中で口づけを交わしたのだが、武藤はいきなり無理矢理に“大事なもの”を“大嫌いなヤツ”に奪われた、ってコトになる。
 俺は、あの時の彼女の顔を頭の中にセットして10秒止めた。
 きっとあいつも“アレ”が初めて、だったんだ。武藤の事だからあんな経験すんの初めてに決まってる。
 猛毒を持つ大蛇に全身を縛られながら毒を注ぎこまれて、解こうにも解けない、という感じだった。
 グーにした拳で何度も俺の胸を叩いて抵抗していたから。
 頭の中にセットして10秒止めた武藤の映像を見ながら息までずっと止めていたせいなのだろう、だんだんと息苦しくなってくる。
 突然“初めて”を奪われて、あからさまに『いやだ! 離せ!』と全身で訴えていた武藤。
 あの後一体彼女はどうしていたのだろうか。


『松浦くんの……いじわる』
 俺の頭の中に、いきなり武藤のセクシー(?)ボイスが響き渡る。
 そんな彼女がビリヤードの台の上でペタンコ座りをした姿で両手で口を押さえ、潤んだ瞳で恥ずかしそうに俺を見ている。————『責任とってよ……』と。
 やッ! やめろっ!
 俺は慌てて答えを埋め、リセットした。


 まだ2問目の答えを書き終えたばかりなのに、さっきから額から出る嫌な汗がハンカチで何度拭いても止まらない。
 何故だ……。このテストの答えを考えていると“頭”ではなく“胸”が傷む。
 こんなテストなんて早くやり終えて楽になりたい。俺は次の問題に目をやった。
 第3問を見た途端、シャープペンを持つ俺の右手がカタカタと震え出した。
 だめだ。ここでもう限界なのか、俺……。


 第3問・武藤なみこが今、想いを寄せている男の名前を答えなさい。


 ふっ。今度はこうきやがったか……。
 あの日……そう、俺が武藤に初めてキスをした日の事だ。前半の講習を終えた後、同じクラスの徳永静香に再び“ヤリまくり部屋”に連れてこられた。
 そこで俺は見付けてしまったのだ。ビリヤードの台の脇に無造作に、いかにも急いで脱いだかの様にぐじゃぐじゃに脱ぎ捨ててあった————高樹の着ていたジャケットを。


 高樹と武藤は2人で一緒に堂々と前半の講習をサボりやがったんだ。
 高樹のやつは、俺が武藤をあの部屋に置いて1人で教室に戻った後に彼女を————
 ……くそっ!
 第3問の答えを書き込んでいる途中で俺のシャープペンの芯がバキッと情けない音をたてて折れた。
 折れた細い芯はまるで俺の心(しん)と同じ。これがもしも夢であるのならば、今ここで机の上に立ち上がってこの答案用紙をビリビリに破ってばらまいてしまいたい。
 くっ! なんなんだ、この気持ちは……。
 あいつが高樹に何されよーと、俺には関係ねーだろー……。


 暑ィのか寒ィのか分からないが、ゾクゾクと震え出す身体。
 ハンカチはもうベタベタだ。ため息を吐きながら額から吹き出す汗を腕で拭う。
 健の受けているテストも難しかったのだろう。隣の席で『もうお手上げ』という様子の彼が鼻と唇の間にシャープペンを挟んだふざけた顔をして両手の人差し指同士で作った“バツ”を見せてきた。
「15分経過しました。残り時間はあと半分です。頑張ってくださいね」
 背後からのっそりと歩み寄ってきた先生は俺の脇で足を止めた。答案用紙に目を落とした彼は薄笑いを浮かべ俺の顔を見てきやがる。


「ほっほっほ。だいぶ苦戦しているようですね、松浦くん。
 自分の気持ちと素直に向き合うんです。そうすれば簡単にできる問題ばかりですよ」
 ヘンな問題ばっか作りやがって……。


 とりあえずここまで埋めた答えは————
 第1問・(天然ボケ)
 第2問・(松浦鷹史)
 第3問・(高樹)
 俺はその後に続く(ヘンな)問題を次々と埋めていき、やっと最後の問題に辿りついた。
 しかもその問題1問の点数配分が————


 第20問・武藤なみこに対するあなたの正直な気持ちを80字以内で答えなさい。(80点)

裏ストーリー ( No.77 )
日時: 2013/11/23 14:47
名前: ゆかむらさき (ID: siKnm0iV)

 くっそォ! 蒲池のやつに、いっぱいくわされた! 今までの問題を地道に解いてきた俺って一体……。
 しかしコレがラストの問題。 
 俺の本心にモザイクを掛けて遠回しに答えるなどでもしたら減点食らうのだろうか。くっ! テストには常にいつも全力投球の俺が、何、弱気になってんだよ!
 煌びやかな初日の出の様にツルっとした地肌を少ない両サイドの髪の毛の茂みから出したヘア・スタイルの蒲池。一見穏やかそうに見えるが、騙されてはいけない。奴の本性は、この俺を今、こんなにもじわじわといたぶって拷問してきやがるナマグサ坊主だ。
 書くか、書かないか。
 やるか、やられるか。
 赤点だけは勘弁だ。武藤ならともかく、この俺様が赤点だなんて冗談じゃねぇ!
 歯を食いしばりながら俺は1字、1点という、1問だけ異常に飛び抜けて高得点な最終問題に挑んだ。
 正直な気持ち————
 残り時間はあと僅か5分。
 俺は自分の心の奥底に隠した武藤への乱れた欲望を赤裸々に答案用紙に書き綴る。
 狂った様にがむしゃらになって書いていくうちに筆圧が強まっていき、60字あたり書き進めていったところで俺のシャープペンが答案用紙に穴を開けた。それでもさすがは俺。ピッタリ80字でまとめる事ができた。


「は———っ……
       は———っ……
              は———……」


 見直しは絶対ぇしたくねぇテストだ。
 たかがテストでこんなに息切れをしたのは初めての経験。


『ビックリしちゃった、あたし。松浦くんがいつもこんなコト考えてたなんて思ってなかったもん……』


 俺の頭の中に、フワフワの純白のシーツが敷かれた天竺付きのベッドの上で胸を両手で隠して後ろを向いて座っている……裸の武藤が現れた。
 うっ! ……わああああッッ!!
「か……か……かっ、蒲池! センセ——イッ!!」
 俺は教室の外……いや、もしかしたら塾の外までにも聞こえるくらいの大きな声で先生を呼んだ。大きな声で叫んだせいなのか、俺の中に居た、とんでもない格好をした武藤の姿はこつぜんと消えていた。
 いつもポーカーフェイスを維持し続けている俺がいきなり狂い出した様に叫んだものだから、クラスのみんなは呆気に取られた顔でこっちを見ている。
「おい。大丈夫か? 鷹っち……」
 俺の額に手の平を当てて心配している健。
 あいつのせいだ。いつもあいつが俺の調子を狂わせる。
 頼む! ……頼むから、もういい加減勘弁してくれ……武藤。


「全問埋めつくしてしまうとは……やっぱり、さすがですね、松浦くん」
 気が付けば、いつの間にか俺の席の前に現れていて、俺の答案用紙を手に取って見ている先生がいる。
「ほっほっほ。あれあれ、ほうほう。これはまぁ……。
 なんという情熱のこもった刺激的な解答で……さすがですね、松浦くん」


「 !! 」
 ちょっ! まて! 返せッ……!
 俺は蒲池から答案用紙を取り返そうと思ったが————ダメだった。
 答案用紙を勝ち捕った武将の首の様に天井にかかげて彼は彼らしいおっとりとした口調で俺の前に残酷な言葉を置いた。


「最後……第20問の採点は彼女にしてもらいます」
 か、彼女ぉッ!!
 嫌な予感がする。俺の全身から血の気がスーッと引いていく。
 彼女、って、まさか……うそだろ……。


「このテストの……“科目”の彼女、です」


     ☆     ★     ☆


 武藤が“アレ”を読んで採、点……。


 キーン、コーン。
 講習終了のベルが鳴り、蒲池はクラス全員の答案用紙を集めて教室を出ていった。
 俺の答案用紙……生命(いのち)を懸けてでも取り返してやる!!
 俺はよろつく足でマルハゲ(蒲池)の後を追った。


 テストなんて名は表だけの“暴露アンケート用紙”。
 テスト……その言葉にまんまと騙されて意地になって満点取ろうとして……なんてバカなんだ俺は。
 自分の情けなさをため息に変えて吐き出し、俺は教室のドアを思いっきり蹴って開けた。


 マルハゲの野郎。あいつは一体なんのためにこんな事をしやがったんだ。
 俺は平常心を取り戻そうと便所へ向かった。
 モヤモヤする。クソッ! 顔でも洗ってスッキリしてくるか。
「……あん?」
 Bクラスの教室の前にマルハゲを見つけた。————彼と一緒に武藤もいる。
 毛の薄いおでこに手を添えて何やらボソボソと話すマルハゲの顔を見ながら何度も頷いている武藤。
 俺はゆっくりと2人に近付いていった。
「じゃ、次回の塾の日に渡しますから、最後の問題だけ採点をお願いしますね」
「あ、はい……」
 何、話してるんだ、こいつら……。
 しかし、なんとなく分かった。“アレ”の話だ。絶対。
 俺に気付いたマルハゲはふり向いてニッコリと微笑み掛けてきた。
「おお、松浦くん。申し分けないが、君には2人分のテストの採点をしてもらいます。お願いしますね」
「は!?(……2人分?)」
「はい。2人とも2年生Bクラスの生徒のテストですね。ああ、名前はねぇ、今ここにいる武藤なみこさん。そして……高樹純平くんのです」
 ……げ。
 俺はますますマルハゲの魂胆が分からなくなった。俺が混乱している間に彼は階段の方へ歩いていった。


「えへ。“答え”なんてどうせいつも松浦くんに言われちゃってるコトだもんね。……うんっ。覚悟はできてるから大丈夫だよ、あたし」
 俺の着ているシャツの裾を軽く引っ張りながら小さく震えた声で言う武藤。“大丈夫”などと強気な事を言っているわりには俺の顔を見れないで下を向いていやがる。
「フン!」
 俺も彼女の顔を見ず背を向けて自分のクラスの教室へ戻った。


 見た瞬間……腰抜かすぞ、バーカ。

裏ストーリー ( No.78 )
日時: 2013/11/20 17:24
名前: ゆかむらさき (ID: siKnm0iV)

     ☆     ★     ☆


 教室でテキストと文房具をカバンの中に片付けて、ふと隣の席を見てみると健が机の上にベッタリと顔を付けて突っ伏せている。
「あー、だめだー。もーこの世の終わりだー」
 どうやらさっき受けたマルハゲテストの手応えが相当悪かったらしい様子で泣き事を吐いている。
 “この世の終わり”……俺だって同じ気持ちだ。
「じゃ、じゃあ、な」
 苦笑いをして俺は健の背中に軽く手を置いて去ろうとした。
 と、その時、トイレの芳香剤の様な……いや、もっとくさいと言ってもいいくらいの俺の大嫌いな臭いが。
「鷹殿っ!」
 特徴のある時代劇口調で話すこの男。声を掛けてきたのは、健とよくつるんでいる“聖夜”というやつだった。
 彼の腕に、まるで磁石のようにベッタリと密着し、うっとりとした顔をしている女……徳永静香がいる。
 こっ、こいつらは一体いつの間にそういう関係になったんだ?
 徳永静香……この女は確かつい最近まで俺のことを好————


「んねェ、早く帰ろうよゥ。聖夜クゥン」
 聖夜クゥン? ……っつーか、乗り換え早過ぎねぇか? この女……。
「あっははははー……オホン。……とまあ、こういうコトなんでお先に失礼いたす、鷹殿。健殿っ。」
 捨て猫を見事上手いタイミングで拾いやがった……と言ったら彼に悪いが、あからさまに下心丸出しのニヤけた顔で聖夜は彼女を連れて教室を出ていった。


「おーい、いるぅー? 健ーッ」
 聖夜達と入れ替わりにドアからBクラスの健の彼女(確か名前は由季、だとか言ってたっけ?)が入ってきた。
「お? いるじゃん」
 彼女はゆっくりと俺たちの机の方に近付いてくる。俺と目が合った彼女は、軽く会釈をして健の傍に立った。
「あーあ、死んでるねー。おいコラ! 起きろッ、このッ!」
 彼女は健の頭をぺチンと叩いた後、飲んだくれた酔っぱらいを介抱する様に細い腕で彼の腕を肩に担いだ。
 健のやつはこう見えても自分の彼女の話を他のやつらにベラベラと喋らない。苦笑いで俺に会釈をして強引に教室の外へ連れ去った彼女は見た感じはおとなしそうなイメージなのだが、きっと中身は強引で健はいつもこいつに尻に敷かれてるんだな……と2人の後ろ姿を見ながら思った。


「女、なんて、あんな面倒くせぇ生き物なんかとよく付き合うよなァ、あいつら。全く感心しちゃうぜ。ハッ!」
 俺は教室のドアを蹴って開けた。


「ひいっ!」
 ドアの外にイチゴ柄の散りばめられたガキくさいデザインのカバンをぶら提げてつっ立っている武藤がいた。彼女はビックリした顔で俺の顔を見ている。どうやら向こうもドアを開けようとしていた様だ。もし、そいつが武藤ではなく別の奴だったのなら俺は『ごめん』とすぐに謝るのだが————


「フン! なんだ、おまえか。Aクラスに何の用だ」
 高樹はいない。もう帰ったのだろうか。
 ……って、あれ? どうしてだろう。俺は彼女と一緒に高樹が居ない事に安心している……のか?
 いいや! 断じてそんなハズは————!


「うん……」
 俺の傍で武藤が入り口から首を出して教室の中を見回している。
 ちょうど目の前にある彼女の頭から漂うシャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。
 ————今、気が付いた。彼女の様子がいつもとどこかが違うと思っていたら……やっぱりそうだった。髪の毛を今日はピンで留めている。星の形に縁取られた緑色の石の付いた小さなピンが部屋の蛍光灯の光に反射してキラキラと光っている。それはまるで俺に自分の存在をアピールしているかの様に挑発的に妖しく。
 無意識で俺は、彼女の頭のピンから耳へ……首すじ……そして胸に視線を向けていた。


「ねぇ、松浦くん」
「(わっ!!)なっ! なんだっ!?」
 いきなり彼女がこっちを向きやがるから、俺の心臓が体の中で大バウンドした。
「由季ちゃん……さっき彼氏さんを連れにAクラスに来たと思うんだけど、もしかして、もう帰っちゃった?」
 俺は口の中に溜まった唾液を飲み込んで答えた。
「……フン! とっくのとうに帰ったわ」


「俺はもう行くぞ」
 残念そうな顔をして「ああ……そっか」と呟いている武藤の事は放っといた。
 そのまま廊下に出て、俺は早歩きで武藤から逃げだした。


 それにしても“由季ちゃん” か。あいつ友達、できたんだ。
 まァ、女の友達ができた、って事は、これから俺の周りを武藤にちょこまかと付きまとわれる事も無くなるだろうし、この間の様に答え辛い変な質問を俺にしてくる事も無くなるだろう。
 安心(と、少しの寂しさ?)を込めて俺は口をすぼめて小さく息を吐いた。
 駐車場へ向かって歩く足取りがとても軽く感じる。
 そうだ。女同士で仲良くやってくれれば有難い。そのまま徐々に武藤の心から高樹が離れていけばいい。
 ————断じて俺は武藤に対して愛の感情はこれっぽっちも無い。ただ単に彼女の幸せを妨害してイジメてやりたいだけ。
 あいつの悲しむ顔は、俺にとって最高のご馳走なのだから。
『俺はあいつを好きじゃない』————何度もそう自分に言い聞かせながら階段を降りた。


 開いた自動ドアからふと夜空を見上げると、黒い雲の隙間からチラリと月が覗いている。
 陰でひっそりと隠れていやらしく覗いているその月がまるでマルハゲの様に感じて嫌だ。


 俺の弱みは、あのテスト。
 次の塾の日はあと2日後。それまでにアレを何とかしなければ。
 武藤に見られる事の無いように。

裏ストーリー ( No.79 )
日時: 2013/11/23 00:37
名前: ゆかむらさき (ID: siKnm0iV)

     ☆     ★     ☆


 駐車場に停めてあるバスに向かい歩きながら、俺はずっと考えていた。
 俺が思うにマルハゲは普段テストを職員室の棚の中に鍵を掛けて保管している。その鍵は、彼がブリーフバッグと一緒にいつもジャラジャラと何本かぶら提げて持ち歩いている鍵の束の中にあるに違いない。
 俺はマルハゲの油断したスキを狙って鍵を奪い、なんとしてでもあの“教科・武藤”のテストをこの手に取り戻す作戦を練っている。
 明後日の塾の始まる時間までがタイムリミット————
 今夜の帰りのバスの中で……もしくは明後日の行きのバスの中でやるしかない。本当にできるのだろうか。
 できる!! 俺は『やる』と言ったらやる男だ! くそっ! 絶対ぇにやってやる!!


 俺はバスの前で大きく振っていた握り拳と足を止め、取っ手に手を掛けドアを開けた。
 マルハゲはまだ来ていない。
 彼の鍵を奪ってやるには運転席のすぐ後ろの席が絶好のポジションであると俺は見た。
「まっ、待って」
 ドアを閉めようとしたら武藤が来ていた。
「チッ! 早く乗れよ、寒ィだろうが。……俺が」
 生意気にほっぺたを膨らませてなんかしやがって彼女はバスの中に入ってきた。
『いちいち、うるさいなぁ、もうっ。松浦くんなんて……大っキライ!』
 何も言わずスッと俺の前を横切った彼女ではあるが、明らかに顔がそう言っているかの様に感じる。言いたい事があるなら面と向かって言えばいいのに、昔からそうなんだ。こいつの心の中で思っている事は表情(かお)からダダ漏れなんだ。
 高樹に向ける表情に対して俺に見せる表情があまりにも違い過ぎて腹わたが煮詰まって腹が焦げつきそうだ。
 マジでこの女……存在自体が鬱陶しい。
 こんなやつに俺がいちいち気にしないでいればそれでいいはずなのに————
 悔しい。認めたくなかったが、マルハゲテストの“俺の苦手科目”は大当たりだと思った。
「フン!」
 俺は思いっきり力を込めてドアを閉めた。


「!(クソッ!)」
 なんということだ。
 武藤が俺の座ろうとしていた運転席の後ろの席にすました顔で座っている。
「つめろ」
 俺は強引に武藤の隣の席に座った。
『え!? どうしてこんなに席が空いてるのに、わざわざあたしの隣に座ってくるの?』
 きっと彼女はこう思っているに違いない。
 勘違いしないで欲しい。俺はこいつの傍にいたくて隣に座ったワケじゃ無い。
 マルハゲから鍵を奪うためなんだ。


「……マルハゲ遅ぇな」
「? まるはげ?」
「蒲池だよ」
 多分俺を視界に入れるのが嫌で窓の外を見ていた武藤が、少し怒った様な顔でこっちを見てきた。
「松浦くん。先生の事、そんな風に言っちゃ、だめ……」
 怒っているわりには俺の目を見る事すらできずに声を震えさせている。
 ククッ。こいつ……ムリして強がっちゃってやがる。
 ちょっと面白くなってきた。
「フン! ああ、そう。あーゆーオトコがいーのか、おまえ。ああ見えて蒲池独身らしーぜ。ハゲてるけど歳は30前半。おまえに対してなんか異様ーに優しーし、意外にロリコンだったりすんかもな。こりゃあ、お似合いだぜ! ハハ!」
 目に涙を浮かべて、あの武藤が今度はしっかり俺の目を見て……睨んでいる。
 なんだ? ん? こいつもこんな風に怒るん————
 な、涙堪えた顔……しやがって。
「もう知らないッ! 松浦くんなんてッ!!」
 ほっぺたを膨らませて彼女は再び窓の外を見た。
 気のせいだと思いたい。
 さっき俺の事を睨み付けてきた武藤の顔が一瞬だけ……可愛く見えた。


 ————絶対気のせいだ。
 いい気味だ。この席に座らなきゃ良かったな。バーカ。


 それにしても、ここまで言われて怒っていながらも武藤のやつは席を動かず俺の隣に座っている。
 意地張りやがって……。
 腕と足を組んで俺はシートの背もたれにのけ反った。
 武藤のくせにこの俺に対抗してきやがるとはなかなか度胸がある。
「チッ!(気にくわねーな)」
 ……なんて舌打ちしながらも俺は、窓の外を見ている彼女のショートカットの髪と襟足の間から見える白い“うなじ”を見ていた。
 細い首。小さな肩。
 武藤の身体を視線でつたいながら、以前このバスの中で釜斗々中の3年の“ゴリラ野郎”に襲われそうになっていた彼女を助けた時の事を思い出した。あの時俺は、恐怖で震える彼女を抱き締めてキスをした。
 いくらなんでも、いきなりあんな野郎にあっさりヤられちまうってのは、ちょっとな……と思って。
 ……実はアレは“助けるためにキスをした”わけではなかったのだ————


「ねぇ、松浦くん……」
 俺の方に目を向けず、窓の外を見ながら彼女は小さな声で話し掛けてきた。
「先生おそいね……」
「ああ。遅い、な」


『彼女とは違うミリョク?……つーの? 色気があるんだよね、なみこチャンには』


 ————前に塾で健が言っていた言葉だ。
『なんだ、こいつ、ワケの分からない事言いやがって』
 あの時はそう思っていた。
 そう、あの時も……武藤を助けるためにキスをしたのではなかった。
 彼女を————“助けるフリをしてキスをした”。


「……ひいっ!! なッ! なにッ!? 松浦くんッ!!」


 窓の外を見ていた武藤が目を大きく開いた顔で俺を見て叫んだ。
 自分でもよく分からない。
 熱を帯びた激しい感情が俺の中で湧き上がり暴れている。今までどんな女に対しても、こんな気持ちになった事など無かったのに。
 俺は無意識で————彼女の手を握っていたのだ。
 湿気った石炭に火を点けやがったんだ。こいつが……。


「おまえ……いったい俺に何しやがったんだ……」
「ええっ!? えっ? ……え?」
 いきなり俺にこんな事言われて当たり前だ。武藤は頭の上に“?”をたくさん乗っけた顔で驚いている。
 分かりそうで……分からない。
 武藤を無性にいじめたくなる気持ち。そして高樹の言葉がモロに引っ掛かって、やるせない気持ちが。
 そういえばマルハゲがテストの時に言っていた。


『自分の気持ちと素直に向き合うんです。そうすれば簡単にできる問題ばかりですよ』


 俺は武藤を————
 ずっと前から武藤を————

裏ストーリー ( No.80 )
日時: 2013/11/23 15:23
名前: ゆかむらさき (ID: siKnm0iV)

 いや! 好きじゃない。
 愛してなんかいない、はず————


 一体俺は武藤に何をしようとしているのか、何をしたいのか正直、自分でも分からない。
 こんなやつに愛の感情なんてこれっぽっちも無いはずなのに、こんな事しちまうだなんて。
 これじゃあ、あの時のゴリラ野郎と同じじゃねぇか!!
 俺は慌てて握っていた武藤の手を離した。その後すぐに彼女は両手をサッと自分のももの下に隠しやがった。
 まるで痴漢行為をされた女の反応じゃねぇかよ、コレ!!
 こんなガキくさい女に俺の方から手を出しちまうなんてどういう事だ。俺は相当女に飢えているのか?
「チッ!(こんな女……)」
 俺はもう一度ゆっくり彼女を見た。
 彼女は頬をピンク色に染め、ももの下に両手を隠したまま窓の外を見ている。
 こんな女に……。
 認めたくないけれど、俺は彼女に意識をしている。その証拠として俺の心臓が今、壊れるくらいの勢いで暴れている。


「なっ、なんかへんだよ……今日の松浦くん」
「…………」
「……松浦くん?」


「アハハハハハハ……! フン! おまえのせいだ」
 この際、もうどうにでもなれ!
 俺は武藤の肩に手を回し、彼女の耳元に顔を近付けた。
「無視してんじゃねぇ。腹立つんだよ、おまえ。
 高樹とイチャイチャ、イチャイチャと、そっこらじゅうで見せ付けやがって……」
「えっ? なに? ……え?」
 腕の中で武藤は目を大きく開いた顔で俺の顔を見ている。逃げようとしても逃げられないで……まるでトラに捕まり、食われる寸前になっている小鹿の様に震えている。
 無理もないだろう。なんせ、こんな事をしてくる相手が高樹じゃなくて“俺”なんだからな。
「いい加減にしろ。この鈍感女……」
 俺はもう片方の手の平を武藤のあごに添えて顔を近付けた。


「すみません! 遅くなりました!」
 運転席のドアを開けて、マルハゲがバスの中に入ってきた。
「……チッ!」
 俺は慌てて武藤の肩とあごに触れていた手を離し、今度は逆に武藤の体を窓際に押し付けた。
「結構な時間、待たせてしまいましたね。すぐ送ります」
 ジャラジャラと5、6本ぶら提げている鍵の束の中からマルハゲは1本の鍵を取り出し、エンジンを掛け、バスが動き出した。


 マルハゲが来るのがもう少し遅かったら、俺は武藤に———— 
 フッ。笑っちまう、な……。
 いつも思っただけで素直に動けない……まるでエンジンを空ぶかししている車の様な俺。
 残りの鍵の束は無造作にマルハゲのブリーフバッグの中に入れられて、いつもの様に無防備に運転席と助手席の間のスペースに立てて置いてある。


「寒かったですよね。今、暖房いれましたのでじきに暖かくなりますよ」
 寒くなんかねぇよ。暑ィぐらいだ……。


     ☆     ★     ☆


「ひゃっ!」 
「ちょっ、ちょっと……おいっ!」
 バスが走っている途中、急カーブに差し掛かり、武藤が俺の肩に寄り掛かってきた。 
 さっきAクラスの入り口のドアの所で嗅いだ彼女の頭のシャンプーの香りがフワッとやってきた。そして彼女は何も言わずにサッと体を起こし、元の体勢に戻した。……戻しやがった。


 俺はもう少し彼女の香りを嗅いでいたかったのに。


「!」
 気が付くとマルハゲのバッグが横に倒れている。バッグのふたが開いており、中から鍵の束が飛び出しているのが見える。
 彼は塾の講師兼、バスの運転手。忙しい中、少しでも早い時間に俺たちを家に送り届けようと急いでいたせいなのか、バックの留め具をロックする事を忘れてしまっていたらしい。
 鍵の束は、なんとか足を伸ばしたら届きそうな位置にある。————俺は運が良かった。
 目の前に裸で転がっている鍵の束。その鍵の中に学習机に付いている様な薄っ平い小さな鍵がある。その鍵には他の鍵とは違う、100円ショップに3つセットになって売っている様な安っぽいキーホルダーが付いていて文字が書いてあった。————“資料保管棚”と。
 床の上で光っている棚の鍵。この鍵を奪えばあの答案用紙を取り戻す事ができる。
 マルハゲは俺が鍵を奪おうとしている事など全く気付いていない様子で、鼻歌を歌いながらハンドルを握っている。


 チャンスは充分にある。……それなのに俺は鍵を奪おうとはしなかった。バスに乗る前までは、あんなに必死にマルハゲから鍵を奪う事を考えていたのに。
 今はもう鍵なんて欲しくない。……欲しくなくなった。


 鍵なんてよりも……もっと欲しいものができたから————


 交差点でバスが赤信号で止まった。
「先生。バッグが倒れてますよ」
 そう言うと先生は俺に礼を言い、飛び出した鍵の束をバッグの中にしまい、今度はしっかりとロックをして置いた。


 信号が青になり、バスが動き出した。
 俺の隣の窓際の席に、さっきキスをしようとした時からずっと無口でいる武藤が、いつかまた俺に手を握られると思って警戒をしているのだろう、あのまま変わらずももの下に手を入れたまま下を向いて座っている。
「プッ!」
 思わず笑ってしまった。
 武藤は笑った俺の顔を見て、珍しいものを見てしまった様な顔で目をぱちくりとさせている。
『ゴメン』
 そう言って、高樹がやっている様にあのいい香りのする彼女の頭を撫でてみたかったのだけれど……できなかった。


「おい。……おまえ、今日のテストの“デキ”は、どうだったんだ?」
 そういえば、これが今、一番気になっている事。俺はさりげなく聞いてみると……。
「〜〜〜♪」
 わざとらしいタイミングで、マルハゲがあの有名歌手“オザキ”の“I love you”を鼻歌で歌い出しやがった。
「できなかったよ……。だって松浦くんって分かんないとこだらけなんだもん。チャーム・ポイントなんて、無いしさ……」
 チャーム・ポイント?
 どうやら武藤の受けたテストの内容が、最後の問題以外も俺の受けたテストの内容と全く同じらしい。
「そんなに知りたいのか。俺の秘密……」
 彼女の困った顔が見たくて、俺はわざといたずらに微笑み、問い掛けた。
「別に……」
 彼女は予想通りのリアクションで俺から目を逸らし、窓の外を見た。
「答えだけじゃないよ。だって、あのテスト、問題の意味も分からなかったんだもん」
「プッ。バカだもんなァ、おまえは」
「じゃあ全部分かったの? 松浦くん」
「フン! あたりまえだ。全部埋めた」(……っつーか、埋めてしまった)
「やっぱりすごいよね、松浦くん。あたし最後の問題だけだよ、答えられたの……。でも、あのテストの最後の問題が松浦くんに採点されるだなんて思ってなくって……やだなぁ、なんか恥ずかしいな……」
「…………(恥ずかしい?)」
 俺は最後の問題に武藤がどう答えたのか少し……いや、かなり気になった。
 もしかして、こいつも俺みたいな答えを書いたのだろうか。


「ねぇ、松浦くん……」
 窓の外を見ていた武藤がゆっくりと上目遣いで俺を見て、手の平を擦り合わせながら聞いてきた。
「……なんだ」
 嫌な予感がする。このパターンは確か前にも……。
 こいつはまた変な事聞ーてきやがるんじゃねぇだろうか。


「えっと……“たいくらい”って、なに?」
「はあ!?」
 案の定、俺の嫌な予感が的中した。「なんだ、それ!」————俺の方が聞きたい。
「漢字が読めなくって……。テスト終えた後、由季ちゃんに聞こうと思ったんだけど帰っちゃったみたいだったから……」
“たいくらい”……テスト? ああ、アレか。
 確か、マルハゲテストの第19問目の問題————“武藤なみこの好きな体位を答えなさい。”
 俺は“経験してないから分からない”と、答えた問題だ。
「そ、そんなの口で説明してもわっ、分かんねぇよッ!!」
 曖昧に返すと、運転席で鼻歌を歌っていたマルハゲが突然吹き出していやらしく笑い出した。


 くそっ! 俺にならともかく、こいつにあんなヘンな問題出しやがって……このハゲ!!

裏ストーリー ( No.81 )
日時: 2013/11/24 00:29
名前: ゆかむらさき (ID: siKnm0iV)

「もうすぐ着きますよー」
 彼は再び“I love you“を、今度は歌詞を口ずさんで歌い出した。
 信じられない。こんなのが塾の先生をやってていいのか。
 俺は彼に対して疑問を……いや、疑問というよりもいかりを抱いた。
 もう“たいくらい”の事はどうでもよくなったのか、以前の様に納得いくまで(結局俺の説明不足で納得させれなかったが)しつこく聞いてくる事などはしないで隣で武藤はおとなしく窓の外を見ている。
 今、彼女は窓の外を見ながら一体何を思っているのだろう。
 今夜の晩メシのことを考えているのか。
 近々学校で行われる模試のことを考えているのか。
 それとも……高樹の事を考えているのか。
 嫉妬。欲望。————そして愛情(?)
 フロントガラスから街灯の光を受け、広いおでこで反射をさせながら顔に似合わない歌を甘い声で歌うマルハゲ。
 彼のラブソングをバックミュージックにして俺の中の3つの感情が昂ってゆく。
 せめて……ほんの少しでもいいから俺の事————


「はい、着きました」
 バスは俺たちの家の傍で止まった。
「遅くなってしまい、すみませんでした。気を付けて帰ってくださいね。さようなら」
 マルハゲは運転席から顔を出し、俺たちの方を見て微笑んでいる。
 こいつは俺の気持ちを知っている。
 こいつだけじゃない。あいつ……高樹だって。
 俺の気持ちを一番知って欲しい人にこれっぽっちも気付いてもらえずに……しかも嫌われちまっているときている。
 なんて不器用なんだ俺は————
 ……クソッ!
 本当はやつのツルッツルンのおでこに向かってつばを吐き飛ばしてからズラかりたい気持ちだったけれど、
「チッ!」
 舌打ちだけで我慢しておいて俺は武藤の腕を掴み、マルハゲを睨み付けてバスを降りた。
 バスは俺たちを降ろして去っていった。
 シンと静まりかえった俺たちの家の前。
 俺の手の中には武藤の細い白い腕。


「松浦くん……手、離してくれなきゃ、おうち帰れない……」


 腕時計に目をやると、もうすでに時間は21時30分を回っていた。
 これでも一応女なのだし、彼女の母さんはいつもより帰りの遅い娘の事を心配して待っているに違いない。
 俺は何も言わずに武藤の腕を離した。


 離したくない。
 このまま彼女を何処かへさらって、俺の気持ちに気付いてもらえるまでキスしたい。


 俺は結局、何も言わずに彼女に背中を見せ、片手を軽く挙げ自分の家に向かって歩き出した。
「おやすみなさい……松浦くん」
 小さな声で挨拶をして武藤も家に戻っていく。
 頑張って押しころしていた気持ちが止められない————


「————おい、待て。武藤」
「えっ?」
 武藤を呼び止め、俺は再び後ろから彼女の腕を掴んだ。
「いいか、よく聞け……」
 彼女は早く帰りたそうな顔をして俺の話を聞いている。
「メシ食って、フロ入っても今夜は寝るんじゃねーぞ。
 ベランダの窓の鍵を開けておけ……。もし寝やがったら承知しねぇからな……」
 彼女の腕を引き寄せ、俺は彼女の耳元で囁いた。


「俺の好きな“たいくらい”……おしえてやる」


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 たか☆たか★パニック〜ひと塾の経験〜“裏ストーリー”『キケンなパジャマ・パーティー』
 第1夜『難問題・武藤なみこ』


《おわり》


 ————次回から本編が復活します。