複雑・ファジー小説

お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜【プロローグ】 ( No.1 )
日時: 2013/10/05 03:30
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

雨が降る
音もなく、はらはらと。
桃の花弁を巻き込んで、
汚れを少しずつ流していく。

嗚呼、世界は美しい——



「では、気を付けて帰っておくんなましよ」

 気怠げに欄干に凭れてそう言葉を転がせば、男は簡単に顔を赤くする。その様子の男を何処か下卑たものを見るような気持ちで見送り、やっと部屋へと戻る。

「もう兎は飛びぃしたか?」

 部屋へ戻って妹分にそう問えば、そちらも仕事上がりなのだろう、気怠げに頷いた。

「大門はもう開きぃしたよ。
 全く、手数な客でありんした。
 わざわざ大門まで送らにゃもう来んせんと仰りぃすから、行って来たでありんす。
 丁度そん時ゃ大門も朝の音立てて開くところでありんした」

 それは大層面倒だったことだろう。小雨とは言え雨の降る中女を外まで送らせるとは、あまり気の利かない客のようだ。
 お客の帰る朝6時頃、吉原の町へと入る大門は重い軋みを立てながら開く。昔に使われていた時間の単位で「卯」と呼ばれるその時を、吉原で働く女達の間では「兎が飛ぶ」と表現したりする。
 近代化の進んだ現代に取り残されたかのような空間の街、それが吉原だ。関西の島原、関東の吉原を一緒くたにした歪な街は、現代の歪みを凝縮したかのような一点。
 今日は先程からしとしとと優しく雨が降っている。折角の八分咲きの桜が、満開を迎える前に散ってしまうのではないかとも思ったが、この勢いの雨ならばあまり散ることもないだろう。

「そりゃあ災難でありんすね。よく来るお客人でありんしょう?」

 その時世話役の禿かむろが入ってきて、妹分を通り過ぎ私の着物を脱がせ始めた。昨晩は床入りする事もなく夜が明けたので、重い着物を纏ったままだ。
 スルスルと突っかかることなく順調に脱がせていく禿を見て、上手くなったものだと少し微笑む。

「あい、そうざんす。
 もう来られんでもようござんす」

 辟易したようにそう零す妹分に苦笑して、ようやく帯を解き終わった禿に礼を言う。

「ありがとうさんでありんす。
 そう申すもんではおざんせん、お客人の付きんせん女もいっぱいおざりいす」

 目一杯微笑む禿が微笑ましく、後で菓子でもあげようと思い付くが、今は邪魔しないようにじっとその小さな姿を見下ろす。
 不満げな妹分はそれでも素直に謝って、自分の着物を脱がせる為に禿を伴って私の部屋を後にした。その時禿にバウムクーヘンを手渡すと満面の笑みを浮かべていた。
 うん、良い朝だ。

Re: お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜 ( No.2 )
日時: 2013/10/05 00:37
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

 寝支度も整いさて寝ようかと思う頃、窓を閉め忘れた事に気づいた。季節は春。積み重ねられた温暖化の代償によって、ほぼ無くなり掛けている春の気候は暖かいと言えど、この時期は花粉が飛ぶ。

「さて、どうしたもんかな……」

 くるわに入って癖づいた廓詞くるわことばだが、流石に一人の時にまで使うことは少ない。ついつい出てしまう時もあるが、大抵は現代の標準語を使っている。生まれ付いた時から遊女な訳ではないし、お客は全て外の人間だ。そのお客と会話しているのだから、勘違いされがちだが廓詞しか話せない訳はない。

「花粉もしんどいし、閉めようか……」

 布団の前でしゃがんだ体勢のまま窓を恨めしく見据えていると、外が急に明るくなった。

おや?

 雨はしとしとと降ったままなのに、外は雲が晴れたように明るさを取り戻した。早朝の淡い光がそっと窓から忍び込んでくる。
 身体を起こして窓に寄れば、予想通り。

「狐の嫁入りか」

 天泣てんきゅう、お天気雨、狐雨きつねあめ、言い方は様々あれど、内容は「晴れているのに雨が降る」と言う現象を指している。その不思議な現象が起こる理由は知っているが、雲と言う蛇口が無いのに水と言う雨の出てくるこの現象は、やはり「狐の嫁入り」と少し化かされたような気分にさせてくれる呼び方が好きだ。
 珍しい狐の嫁入りだ、止むまでは窓を開けていよう。そう思って窓枠に肘をついて顎を乗せて眺めていた。狐の嫁入りと虹の発生する条件には共通点も多い為、どうせなら虹を見て寝ようと思ったのだ。
 しとしとと雨が降る。
 見える桜をほんの僅か巻き込んで、花弁の絨毯を地面に作り上げていく。

「いい朝だ」

 微笑んでそう思わず零した時、外で何か物音がした。中庭だ。

「?」

ガサッ

 何か物を引き摺るような音。今の時刻は午前7時、まだまだ商人が来る時間でも廓の活動時間でもない。この時間に誰かが活動していることは基本的に無いし、あったとしても廓をカフェとして開放する月1回の廓茶屋だけで、今日は当然その日ではない。

「寝不番が外でなんぞしとんのかえ?」

 少し訛った標準語を口にするも、そうではないのだろうと確信めいたものを抱きながら部屋を出た。
 寝不番、男一人が歩く音にしては軽すぎたし、靴の擦れる硬い音でもなかった。茂みに隠れたような音がしたから、もしかしたら動物かもしれない。
 少し早足で中庭へと続く扉を開けた。
 

Re: お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜 ( No.3 )
日時: 2013/10/05 01:28
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

 中庭へ出ると、満開の桜が出迎えてくれる。
 ひらひら舞う花弁に、朝の淡光に反射して光を得た雨粒が幻想的に空間を染め上げる。ああそら、幻想が降ってくる。
 地面の桜の上を歩いて、音の原因を探す。暫く茂みを覗いてみたり、桜の木を見上げてみたりもしたが、それらしいものは見当たらない。人の出入りした気配はないし、やはり動物なのだろうが見付からないと言う事は人間を警戒して隠れているのだろう。なら私が居ない方がいいに違いない。
 餌だけを用意してとっとと消えようかと踵を返した。

ガサッ

 返した踵をまた中庭の方へ戻した。

「……主は気にして欲しいのか欲しくないのか、どっちかハッキリしんせんなぁ」

 少し混じった廓詞は標準語と合わさると大層歪だろうが、動物と自分しかいない状況は取り繕う気にもならない。別に構わなかった。

「わっちは消えた方がいいのかえ?
 別に消えても主の食事ぐらいは持ってきんすよ」

 答えるはずの無い動物に話掛ける。別に答えを求めているわけではない。ただの独り言と言うか、自分を納得させるための一人問答のようなものだ。

ガサッ

 するとまた茂みが揺れた。
 なんぞ、面白うなってきいした……。

「何が食べたいんありんすか?
 そうじゃな、今日の献立に使われる物なら何でもよいよ。
 確実なのは味噌汁の中の……、わかめ」

シーン……

「大根」

シーン……

「人参はどうじゃ?」

シーン……

 一向に返ってこない返事モドキに、ガッカリする程のことでもなく、狐の嫁入りも終わりそうなので、虹を見ようと上に帰ろうかと思い始めた。

「あとはそうさね……
 おあげぐらいでありんすな」

ガサガサガサッ

 味噌汁の最後の具を口にした時、一際大きな音がした。それは目にも見える程の揺れで、一等大きな桜の木の一部が揺れていた。
 そこか……

「揚げ屋が近くにありおすからな、揚げ立てのおあげがいつも入っておす」

 半ばからかうように言葉を続けて、一歩一歩桜の木に近付いて行き太い幹に手を掛ける。枝に足を引っ掛けて、音が立ちそうになったら声で誤魔化す。

「厚みのあるおあげをそのまま切って食べたりもしんすな。ジュワッとした食感たるや、頬が落ちそうなぐらい美味でな」

ガサッガサガサガサッッ

 そら、見つけた。
 やっと登り切った桜の中見えたのは、
 純白の、尻尾だった。

Re: お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜 ( No.4 )
日時: 2013/10/05 02:14
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

「おや……」

 思わずそう声を上げると、尻尾しか見えない後ろ姿のまま顔だけを少し此方に向けたのだろう、細長いキツネ顔の動物が見えた。
 と、言うか……

「……狐?」

 訝しげにそう呟くと、フサフサとした尻尾が少し上に上がってまた元の位置に落ちた。
 何本か。

「……主や、尻尾が多くないかぇ?」

 尻尾は重なり合ったり尻尾と尻尾に隠れたりして全ては見えないが、尻尾だけでその向こう側の顔や胴体まで隠れる程多い。

「数えてみてもいいでありんすか?」

 フサッ
 そう音が立ちそうなモフモフさだ。若干不愉快そうな気配を感じるような気もするが、まあいい。
 何本あるのか気になる。好奇心に任せて手を伸ばした。

「フーッ」

 サッと身を翻した狐は正面から威嚇の空気音を上げる。空気が張り詰めて桜がざわざわと揺れた。まだ降り続く狐の嫁入りは何故か勢いを増したように感じる。
 そんな中とった行動は、

「そう腹の立てることではおざんせん。
此処じゃ主も風邪を引こう、わっちの部屋においで。
好かねえならもう触りんせん」

 笑顔だ。
 笑顔と涙は女の最大の武器である。
 暫く狐は前屈のまま威嚇の声を上げていたが、だんだんと落ち着いてきたのか威嚇を解いて、警戒はしたままなもののただ訝しげな瞳を此方に向けてくる。
 ゆっくりと身を引くと、警戒させないように木から降りる。
 やっぱり人間に慣れていない動物を部屋まで連れて行くのは至難の業かと、餌だけを持ってくる事を検討しだすと背後でストンと音がした。パッと振り返ると、狐が華麗に地面に降り立った所だった。

「おや、やっぱり主は言葉がわかっておりそうじゃな」

 コロコロと少し笑うと、狐は距離を詰め過ぎない程度まで近寄ってきて、そこでピタリと歩みを止めた。尻尾は全方位にびっしりと生えているらしい。7本以上は確実だろう。

「濡れんすよ、こっちに来ては?
 着物の裾が雨よけになる」

 だが狐は近寄っては来ない。試しに一歩遠ざかってみた。
 すると、狐も一歩分近づいてくる。一歩近づく。すると狐も一歩分遠ざかる。

「おやおや」

 楽しくて少し笑うと、狐はその顔を見上げてくる。

「まあここに居ても仕様がないし、中にお入り。
 今は誰も起きていんせん」

 そう声を掛けて建物を目指して一歩歩けば、狐も一歩進んでくる。廓に入ってもそれは変わらず、階段も、部屋を潜る時も、一定の距離を保ったままの狐に、やはり少し笑った。

いい朝だ。

Re: お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜 ( No.5 )
日時: 2013/10/05 02:55
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

 部屋に入ってからはキョロキョロと見回したり、化粧箱を匂ってみたりとしていたが、窓を見つけてからは前を足窓枠に掛けて後ろ足で2本立ちになり、ずっと上を見ていた。空を見ているのだろうか。この部屋の窓枠は人間の膝程度までしかないから狐も後ろ足で立てば何とか見えるが、体制が苦しそうだ。
 狐は此方など眼中にないとでも言うように、無心に空を見つめている。今なら少しは大丈夫かもしれない。
 狐の脇下にサッと手を差し入れて持ち上げる。気付いた狐は暴れようとするが、それより一足早く窓枠の上で手を離した。

「ほら、この方がよく見えんす」

 窓には欄干もあるし、狐が落ちることもないだろう。
 狐は警戒したままだったが、空へとまた視線を戻して間も無く、雨が止んだ。

「狐が嫁入りしぃしたな」

 そう呟いて狐に視線を戻した瞬間、ちょっと引いた。

「ど、どうしぃした?
 そんなにしょぼくれて……」

 耳も垂れていれば尻尾も全て垂れ下がっている。いや、狐の尻尾はそもそも上向いてはいないが、これだけ本数のある尻尾が全て見事なぐらいに下を向いていると物凄い落ち込みを演出してしまう。
 落ち込んだ様子のまま座り込む狐を見て、状況を判断する。

「嫁に行きそびれたでありんすか?」

 すると横目で恨めしそうに睨んでくる。

「そりゃあ災難……
 見るからに見てくれも普通のお稲荷さんとは違いんすから、主は化け狐でおすな」

 すると狐は不満を訴えるように窓から飛び降り際、ベシリと顔を叩いて部屋の中に着地した。
 痛くはないが、商売道具である。

「こら、嫁入り前の女の顔を叩くもんではありんせんっ」

 少し強くそう言うと、布団の感触を確かめるようにグルグルと回っていた狐がぴくりと反応して耳までピンと立てて此方を凝視してくる。

「……なんじゃ」

 急に此方に興味を示したかのような狐の反応に首を傾げていると、狐は布団から降りて目の前にストンと座った。本当に目の前だ。少し手を伸ばせば触れられる距離で座る狐。見つめる自分。

「……虫が減りんしたか?」

 すると崩した正座の膝に猫がするように頭を擦り付けてきた。
 頭を、擦り付けて、きた!!

「ああ、可愛いッ
 凶悪じゃ!!」

 思わずぐりぐりと撫で回したくなった衝動を何とか堪えて、そっと抱き上げてみる。何故か抵抗しない。
 可愛い……
 凶悪な可愛さに癒されつつ、抵抗しないのを良いことに膝の上にそっと乗せてみるも、抵抗しない。

Re: お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜 ( No.6 )
日時: 2013/10/05 03:33
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

 暫く膝の上に乗せて可愛さを堪能していたが、化け狐なのだろうこの白狐の突然の行動が気になってきた。

「どうしぃした?急に」

 背を撫でていた手を止めて、抱き上げてそう問う。正面から見た狐の顔はどことなく不服そうだ。ブランと垂れ下がっている今の状況が不満なのかもしれない。
 少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「まさか、撫でさせた代わりに空に返せなどとは申しんせんでくんなまし」

 そう少し意地の悪く見えるであろう笑みを浮かべて言うと、グッと狐の顔が近くなって、短く柔らかい毛が唇に触れた。
 瞬間。

ボワンッ

 狐を抱えていた手が重みに耐えられなくなって外れてしまう。目の前には紫煙が濃密に充満し、視界が囚われる。突然の出来事に片手で目元をガードし、目を瞑ってしまった。
 何が……。何が起こったのか分からぬまま、数瞬経ち状況を把握する為にハッと瞼を開けた。
 まだ薄く紫煙の漂う中、視界で確認出来るものは殆どない。だがそれでも、先程までは目の前になかった存在感がすぐ傍にあった。
 驚きに身を取られていた一瞬の内に紫煙は霧散し、視界が明らかとなっていく。
 光沢の有る銀糸、上質な白い生地に、赤い色彩。そして狐と同じ色である筈の頭部に嵌った黒曜石は、忍び込んできた陽光に照らされて濃紫に光った。

「礼を言おう、名を何という」

 目の前に、まるで人間とは思えぬ美貌を持った艷男あでおとこが床に手をついて此方に迫っている姿が見えた。
 現代では有り得ない、PCも携帯も電波もある、鬼火だって科学で解明されたこの時代に、
私は狐に、化かされた。







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やっとプロローグが終わった……
何だかここまでも流れだと、現代感が全然感じられませんね(´・_・`)
き、きっとこれからわかっていく!!……筈。(不安しかない)

ご覧下さっておられる方がいらっしゃいましたら、どうぞ見切りをつけないでやって下さい(泣)

未熟な部分だらけで、読み返すだけでも穴を発見できてしまう
発見ホイホイな作品ですが、これから本編がやっと始まりますのでよろしくお願いいたしますm(_ _)m

本日はこれにて、おさらば!!(`・ω・´)