複雑・ファジー小説
- 【其ノ二】 ( No.19 )
- 日時: 2013/10/29 19:24
- 名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)
涙も引っ込んでやっと化粧に取り掛かった頃、少し乱れた髪を整えながら狐姿に戻った紫紺を背後に貴椿は支度をしていた。
使役の契約。古来より陰陽道によって伝わってきた古の技で、妖などを対価の基準に基づいて配下に置き、式神と成すものだという。その契約を履行するという話だったが、その契約を交わせる条件なるものがあるらしく、すぐに契約は完了できないらしい。力のある人間が使役するなら兎も角、貴椿はもちろんそんなオカルトな修行など積んでいない。
分からない事は分かる者に任せて、取り敢えず貴椿は己の勤めを全うする為、遅れに遅れた準備を進めていた。
姿見に映る自分がどんどん別人に仕上がっていく様を見て、気持ちが切り替わっていく。誇り高く、意地と張りに生きる、貴椿という太夫に。
どんな日でも仕事はある。
どんな日でも客は来る。
どんな日でも、遊女は現世を忘れさせる存在であるべきだ。
皆泥沼の中で、実はどれだけ泥に塗れようと誇り高くあろうとする。泥沼にしか咲けない蓮の花は、今日も不夜城を艶やかに彩るのだ。その筆頭であるべき自分。無様な恥を、晒しはしない。
意地と張りを持ち、誇り高く気高い、選べる側の女となれ。
媚態を晒し、嬌声をはしたなく上げる女郎は安い。そんな女郎達や、外の女で性欲だけなら幾らでも吐き捨てられる。だがそれではダメだと、この妓楼の女は教養高く、誇り高い泥沼の蓮になれと教えてくれたのは、宵月喜楽楼のオーナー、楼主だ。
楼主の妻はかつて吉原を牽引した太夫だった。年季明け後、自分の生涯の詰まった妓楼に嫁ぎ、後の遊女達の教育に力を貸した。元より大見世であった宵月喜楽楼は他が肩を並べるもおこがましい程、格式高い妓楼となった。
安い外のソープランドや風俗店に圧され、閉店していく見世の多い中、宵月喜楽楼の遊女たちはかつての吉原のあるべき姿と教養を身に付けた、真の花魁となった。それはメディアに大きく取り上げられ、瞬く間に吉原はあるべき活気を取り戻した。
それが30年ほど前だと聞いている。
「モシへ主や、簪は曲がっていんせんか?」
吉原とて移り変わる。隆盛と衰退を繰り返してきたこの街は、現代で不可能だと言われた隆盛を取り戻し、男は勿論女達の憧憬の念を集める程となった。
その吉原に唯一存在する、「太夫」の名を冠する傾城。それが貴椿である。貴椿の動向は逐一注目され、メディアは面白おかしく掻き立てる。だが電子機器の持ち込みを原則として禁止している吉原では、携帯などの画像でしか遊女たちを知ることはできない。登楼る(あがる)以外に、女郎たちを知る術はない。それ故の好奇心で寄ってくる暇を持て余した人間が、この吉原に集まる。
貴椿の問い掛けに瞬きで「大丈夫だ」と答えると、紫紺は襖の隙間から押入れに入っていってしまった。
そして直ぐ、バタバタと軽い上草履の音が聞こえてくる。
来なんしたな。
心中で貴椿がそう呟いくと、足音はどんどんと近付いて来て、一番奥の貴椿の部屋の前で止まるやいなや。
バァンッ
凄まじい轟音を立てて襖を開け放つと、そこに立っていたのは童女だった。
長く黒い髪を下ろしたまま、大きくおっとりとした垂れ目を嬉しそうに細めて、幼いながらに淑やかな雰囲気を醸し出す、山吹の着物を纏った美少女は開口一番一言。
「貴椿太夫!!!
わっちがお着物の気付けをいたしんす!!!!」
外見と雰囲気に見合わぬ大声でそう叫ばれ、貴椿はしようのない子だと微笑んだ。
「これ、あまり声を張り上げなんすな、遣手に叱られなんすよ。」
禿であるその少女はハッとしたように片手で口元をそっと抑えた。そしてチラリと横目で廊下を確認して誰も来ない様子を見ると、安心して照れたように笑う。柔らかい花弁がふわりを淑やかに開くような笑みは、先程までの仕草からは想像できないギャップだ。元は元気一杯のやんちゃっ子だった少女は、禿であるにも関わらず遊女の世話からは離れている。楼主と女将から、英才教育を受けているためだ。
次代を担う花魁になるであろう少女に、貴椿は笑いかける。
「じゃあお願いしなんすえ、譲葉」
譲葉と呼ばれた禿は、貴椿の笑みを見て更に嬉しそうに微笑み、上草履を脱いで部屋へと上がっていった。
- Re: お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜 ( No.20 )
- 日時: 2013/10/29 22:04
- 名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)
「太夫、これで良いでありんすか?」
髪も化粧も崩さず手際良く貴椿の着付けを終えた譲葉は、後ろに回ったり帯を整えたりと忙しい。貴椿は姿見で一通り確認するが、問題ないことは手順を見ていた貴椿もよくわかっている。
「よろしうおざんす。
よう勉強しなんしたな」
貴椿は譲葉の成長を喜んで、よしよしと頭を撫でる。譲葉は貴椿を尊敬して止まないらしく、撫でられた部分を何度も自分の手を当てて嬉しそうに笑っていた。
「そうだ、太夫」
何かを思い出したように打掛を羽織ろうとした貴椿の袖を引いた譲葉は、何故か不貞腐れたような顔をしている。先程までの無邪気なご機嫌はどこへやら。譲葉の様子にピンときたものがあったのか、貴椿は心得たように頷く。
「どうしいした?」
「……」
もじもじと指先を手遊びする譲葉の前にしゃがみこんで、貴椿は優しく微笑む。
「もしへ、菊莉葉のことじゃあおざんせんか?」
太夫に付く禿は二人で、一人は譲葉、もう一人は菊莉葉という。引き込み禿の譲葉と違い、菊莉葉は普通の禿で日々姉女郎たちの雑務に追われている。この二人は歳も同じで姉も同じ貴椿なので、よく反目しあっているのだ。決して仲は悪くはないしいい方なのだが、ライバル意識とでも言うのか、負ければ悔し泣きし、出し抜かれれば喧嘩もする。
それ故に貴椿は姉として、できるだけ平等に接している。のだが、ひとつ、心当たりがあった。
「……太夫は、この間菊莉葉にだけ菓子をあげなんした」
子供っぽいと本人も分かっているのだろう、どこか気まずげにそう口にする。この間といってももう二週間以上前のことで、菊莉葉にバウムクーヘンをやったのは確かだが、それを珍しく譲葉に自慢せずにおとなしくしていたものだと思っていた。
「あい、菊莉葉は帯を綺麗に解きんした。よう勉強しぃしたと、関心しなんした。
もう二週間以上前になりんすェ。どうしなんしたから、殊更遅く訪ねんす?」
「菊莉葉が、包み紙を見せて来たの……」
標準語になってしまった譲葉を見て、まずいと思った。感情に任せると、普段は使える廓詞が使えなくなるのだ。
悔しそうに眉根に皺を寄せる譲葉の眉間を、貴椿はそっと摩った。びっくりしたように目を瞬かせる譲葉に諭すように語りかけた。
「食べて終わりんした包み紙を見せんすは、ほんに意地のけちなことでおざんす。しても譲葉、お前さんはそん時何を勉強しなんした?
菊莉葉の帯解きの達者なこと、あれを褒めぬで何を褒めんす。良いは良い、けちはけちでありんす。
譲葉も着付けの達者なこと、わっちゃ嬉しうおざんすよ」
感情が色々と高ぶりすぎて涙の浮かぶ譲葉に、貴椿は悪戯めいた顔を浮かべる。
「そんなら次の休みを楽しみにておいでなんし。」
そう言う貴椿に絆されて、譲葉はふよふよと緩む口元を隠しながら、また上草履をばたばたと響かせて去っていった。
足音を聞いているうち、野分の叱責が飛んだが譲葉は颯爽と逃げ去っていった。その様子を耳にクスクスと笑いながら、貴椿は打掛を引っ掛けた。