複雑・ファジー小説

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【想い出掲載】 ( No.20 )
日時: 2016/08/19 10:10
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: jwhubU7D)

 ゆらりゆらりと巡りゆく——。
 終わらない季節、染まる色。予定調和の世界はいつまでも、壊れたカケラの鱗片に映し出されるだけ。
 ほら、今日もあなたの手のひらにヒトヒラの瞬きが訪れる。


【Pre-Established Harmony】

--Trump Card--
 窓辺の景色が白に染まるのを、少女は眺めていた。膝の上で開かれた本には、美しい『花』と呼ばれるものや『紅葉』と呼ばれるものが載っているが、彼女の住む場所にそんな綺麗なものは存在しない。雪と、氷と、灰色の石があるだけだった。
 一年じゅう、ほぼ毎日といっていいほど、雪や雹ひどいときにはそれらが吹雪となって牙をむく。
 そんな環境下で、食物になるようなものが育つはずもなく、食べるものはすべて、もっと南のところから運んでくるしかない。着るものも、薪も、何もかも全部もっと南のところに頼ってばかり。灰色の石を削り、磨いて生まれる鉱石が彼女の生活の糧となっていた。
 そんなどこにでも転がっているような石ころに、どうしてそんな価値があるのか、少女はいつも不思議に思う。食べ物も、着るものも、体を温める火も、石ころなんか比べ物にならないほど大切なのに、と。
——綺麗なものがたくさんあるところは、綺麗なものが大切なのかな。
 ときおり本から視線を外して、想いを巡らせた。
 窓ガラスに吸い付くように落ちてきた結晶が、部屋の暖かさに舐められて、形をこわす。雪が暖められると溶けて水になるのは当たり前。窓の鍵を外して、冷たいガラスにツツツっと指を滑らせながら、凍えるような風を迎え入れる。わかってはいたけれど、部屋の温度は瞬く間に下がり、薄いワンピースにカーディガンを羽織っただけの格好では、震えてしまう。でも、彼女は体の奥深くまでだんだんと寒さが浸み込み、骨の髄から凍っていくような感覚に、身を任せるのが好きだった。自分の身体が透き通った氷の塊になればいいと、心から願いながら。

「雪と同じぐらい白く真っ白に染められて、『綺麗なもの』を見に行きたいの。雪になれば、熱で溶け、水となり、そして暖められて雲になる。そうすれば風に乗って、遠い南の地へと運んでもらえるのだから。どうすれば見にいけるかしら」

 思わず声に出ていたらしい。自分の声に少女は驚いた。そういえば、最後に言葉を発したのはいつだっけ。
 透明な氷になりたいと願いつつ、色を持った雪に染められたいと窓辺の少女は考えたことがあった。矛盾は、この予定調和の世界を壊すこと。そう頭の中に語りかける声から、いつかの時間に教えてもらった。
 カミサマという存在がこの世界には存在する。カミサマがすべて上手くいくように決めたから、彼女も、南の方にいる人たちも、みんな不自由なく暮らしていけるらしい。少女は何の疑問も持たず、ただ窓辺に座っていればいいのだ。窓辺に座って、灰色の石を時おり拾いに出かけ、窓辺に戻ってそれを磨く。すると次の日の朝には、磨いた石が置いてあったところに食料やら衣類やら必要となるものが置かれている。
 恐らくこの時のいつかの時間だろう。ずっとずっと前のことだった。あの声は、いったいどこから聞こえていたのだろう——。

「見にいけばいいじゃん。そこにあるドアは何のためにあるのさ」

 声が聞こえた気がした。開け放たれた窓の外を見ても誰もいない。記憶の中のいつかの声とはまた違う優しい声だった。
 たった二言、短くとも十分だった。少女は暖炉の隣にあったドアの存在を意識したのだから。それはまさしく彼女への答え。誰かの声を頭の中で反芻して、噛みしめて、ようやく笑顔がこぼれた。
少女は窓を閉め、暖炉の火を消す。そしてゆっくりと、しかし軽やかな足取りで、部屋を後にした。
 この世界の常。決まりきった世の理。暖めたら氷は溶ける。暖めて溶けない氷は作り出してはいけない。だから、いつも少女は頭に浮かんだ思いを吹き消して窓を閉じる。その行為もまた、カミサマによって作られた予定調和の一部だとも知らずに。

——今日は、いつもと違ったね。


--Choise?--

 鏡の中に見えた世界は、幸せそうだった。何もしなくても、全てを誰かが与えてくれる。
 少年は迷っていた。幾多もある選択肢。どれを選んでも、どれを選ばなくてもいい。その選択によって、その後の選択肢が増えたり減ったりするだけだ。選んでも選んでも正解など誰も教えてくれず、ひたすら自分で選んだ選択が正しい道なのだと信じて進むのみ。
 例えば、目の前に分かれ道があったとしよう。片方はまっすぐ進む道、もう片方は曲がりくねっていて、棘が道を塞いでいる。どちらも行きつく先は同じ。されど過程は違う。
 どの道を選んで進もうが、行きつく先は人生の終わり、『死』という終着点。ほんの少しの選択の違いで、180度違った世界が見られたかもしれない。選択を誤っていれば、終着点へまっしぐらだったかもしれない。
 だから迷うのだ。
 鏡に映った少女は窓辺にいつも座っていた。薄い素材の白いワンピースに、灰色の少しだぼっとしたカーディガンを着て、紅い表紙の——ちょうどこの鏡が挟まっていたのと同じ色合いの——本を膝の上に開いて、時おり彼女はぼんやりとした表情で視線を窓の外へやる。そして吹雪くなか窓を開け放つのだ。見ているこちらが寒くなるほど雪が吹き込んでくるのに、少女は窓を閉めようとしない。

『自分だったら、間違いなく窓を閉めるだろうな。しかし、彼女は窓を閉めないという選択をしたのかもしれない。選択をしなかった、というのもまた鏡写しの選択である。選択から逃げたいなら、誰かにすべてを与えてもらえばいい』

 鏡の中と鏡の外と、お互いがお互いを意識したわけでなく、視線が絡まる。少年はその視線に射られたが、鏡の中の少女は少年に気が付いているのかいないのか、ついっと視線を横へと流す。そして、何事も無かったように窓を閉め、また窓辺に座って本を読むのだった。
 そう、気が付かないのだ。
 鏡の外側から内側の世界を眺めることはできても、内側の世界から外側を眺めることはできない。だってそう決められているのだから。
 内側の世界から、外側の世界をのぞく術を見つけた人はいない。内側の世界と行き来する選択肢を、カミサマが作らなかったから。
 少年は、内側の世界をのぞける鏡を所有するという選択肢を与えられ、それを選んだ。
 少年はそれを自ら選択したと思っているが、はたしてどうだろうか。選択肢なんて初めからすべて与えられている。その中でどれを選ぶかなんて、決まりきったこと。
 彼が鏡を所有するのは、初めから決められた、運命という名の予定調和。少年は迷いながら今日も選択する。カミサマに決められた道を、自分が決めた道と錯覚しながら。

——どれにしようかな、天のカミサマの言う通り。

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【新話掲載】 ( No.21 )
日時: 2016/09/12 14:34
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: jwhubU7D)

--Mirror--

 少年が鏡を見つけたのは、図書館だった。調べ物をするために探していた資料が、唯一その場所にあると聞き、片道三時間の距離をわざわざ来たのだ。
 重たい扉を開くと、書物特有の紙の匂いが鼻孔をくすぐる。出版されて間もない本から、国宝級の文献記録まで、ありとあらゆるものが保管されていた。直接手に取って読むことができる本もあれば、端末上のデータでしか閲覧できないものもある。不幸なことに、彼の探していた資料はデータ上での閲覧しかできないものだった。
 書架に並べられているものは自由に閲覧ができる他、貸出やコピーなども可能であり、言うなれば資料として外に持ちだすことができる。対して端末での閲覧は、データの持ち出しが不可能だ。端末から印刷不可能なのはもちろん、管理するデータベースから直接盗み出すこともできない。端末内のデータを使いたければ、その場で書類審査を受け合格した人間だけが、図書館内で閲覧するという条件のもと、資料として使用できる。
 つまり、全ての作業を図書館内で完成させないといけない、ということだ。家の近くに図書館があるなら良いが、この距離だとそう何回も来られる場所ではない。始発でここまで来たが、全ての作業が終わったのは夜も深まり、そろそろ終電の時間を気にしなくてはいけない時間帯だった。
 少年は、こうなることを見越して近くの宿を取っていたから良いものの、宿が無かったら野宿するはめになったと、内心で冷や汗をかいていた。
 端末を返して、宿に向かおうとしたとき、何かが視界に映る。終わった解放感も手伝ってか、好奇心につられて書架の一つに足を踏み入れた。
 深緑の背表紙を指でなぞりつつ、ゆっくりと進んで行くが、あるところでその歩みが止まった。それは、深緑の中に紛れた紅の色。背表紙には『Pre-Established Harmony』と金文字で記されている。

「予定調和……?」

 そんなような意味の言葉だっただろうか。
 なんとなくその本は人が触れてはいけないもののような気がして、なのにどんな本なのかは気になるし、でも手に取ったら何か後戻りが出来なくなるのも本能で感じていた。ヘビに誘惑されたイブも似たような心境だったのだろうか。結局彼女は禁断の果実を口にしてしまい、アダムと楽園を追放されることとなった。
 やはり、少年も人間なのだ。少し躊躇はしたものの、ゆっくりと本を手に取り開いてみる——と。本から何か鈍い輝きを持つものが抜け落ちていった。
——それは鏡。覗き込んだ少年の、まだあどけなさがほんの少しだけ残る、顔が少し歪んで映っていた。本の付録か何かかと思った少年は、鏡を元の場所に戻そうとするが、その時それは鏡であって鏡でない、今までに見たことの無いものだった。

「鏡? この本にそんなものは付いていませんよ」
「そうですか……前に読んでいた人が挟んで忘れていったとかは?」
「ないと思いますねぇ。蔵書点検の際に厚みで分かるはずですし、だいたい、本の栞がわりにできるような薄さの鏡なんてあるわけないじゃないですか」

 宿の一室。備え付けのベッドに寝転んで、図書館の職員との会話を思い出していた。やけに嫌味ったらしい女性の言う通り、栞がわりにできる鏡なんて限られる。最近では薄い金属でできた栞が売られているが、鏡と呼べるほど自分の姿かたちが映るわけでもないし、ほとんどがなにか模様がついて凹凸がある。鏡ではなく、あくまでも金属なのだ。
 それに比べて、彼が見つけたものは見事だった。本に挟める薄さでありながら、宿の浴室にある鏡と何一つ映し出されるものに変わりはない。新しく発売されたのかな、そう思って鏡を裏っかえしにしたとき、目の端に何かが止まった。
 もう一度鏡を表にして、ジッと表面を眺める——映っているのは彼だけではなかった。
 慌てて後ろを振り向き、部屋には自分しかいないことを確認したのち、再び、今度はしっかりと表面を見つめる。

「嘘だろ……」

 そこに映っていたのは、うっすらと映る自分の顔と、見たことの無い部屋の中だった。まるで水面に映る自分の顔をとおして、水の中を覗いているかのような感覚だった。
 その後何度も何度も眺めていると、いくつかのことが分かった。鏡の中の世界には一人少女が住んでいること。少女は窓辺に腰掛けているか、ベッドで眠っているかで、それ以外の場所にはいかないこと。暖炉の火は薪を足さなくても、ずっと燃え続けること。少女が磨いている何かは脇に置いておくと、いつの間にか食料に変わっていること。そして時おり、窓を開けてぼんやりと過ごすこと。
 少女は殆どなにもしていない。それでも進行していく世界。何もかも自分たちでやらないといけないこの世界とは、正反対だ。
『良いなぁ。すべてが与えられている世界は。ただ座っていれば食料も現れる、暖炉の火は消えない、本を読んでいることしか、彼女はしていないじゃないか。それに引き換え僕は……あぁ、カミサマはなんて理不尽なのだろう!』
 見つけてから数カ月。鏡を覗き込んだとき、少女はあの窓辺にいた。少年が見ている前で窓の鍵をはずし、結露した窓ガラスをなぞりながら窓を開ける。
 いつものことだ。しばらくしたら彼女は窓を閉め、また本を読む生活に戻るのだろう。そう思って少年は鏡を置く——。

「雪と同じぐらい白く真っ白に染められて、『綺麗なもの』を見に行きたいの。雪になれば、熱で溶け、水となり、そして暖められて雲になる。そうすれば風に乗って遠い南の地へと運んでもらえるのだから。どうすれば見にいけるかしら」

 澄んだ声が聞こえた。初めて聞く声。置いたばかりの鏡を再び手に取った少年の目に、あるものが見えた。

「見にいけばいいじゃん。そこにあるドアは何のためにあるのさ」

 聞こえているのかは分からない。でも、咄嗟にそう答えずにはいられなかった。たぶん、そうすることが一番の正解だと思ったから。
 少女が部屋の外へ出ていった。それと同時に、少年の持っていた鏡は割れた。いくら覗き込んでも、その鏡にあの部屋と少女が映ることは二度となかった。
 でも、この半年で初めて見た少女の笑顔は、とても晴れ晴れとしていて、少年はその笑顔をもう見れないことを少し残念に思いつつ、最後に笑顔が見れたことを嬉しく思うのだった。

——本当の正解は、どっちだったのかな。


--Virtual Reality--

 カミサマは何がしたいのか。それはカミサマ一人にしかわからない。画面の中で割れた鏡をのぞきこみ、今回の予定調和も失敗だったなと、軽い反省をするだけなのだから。
 神があらかじめ決めた世界の秩序を、パソコン上の仮想空間で再現できるのか否か。予測する数値の通りに進むこともあれば、全く違うことも起こる。仮想空間上の出来事は矛盾ばかりが生じてしまう。
 予定調和を作り上げた最初の段階では、物事は何もかも予想通りに動き、予想通りの結末を迎え、予想通りの日常が続いていく。でも、何かが狂っていくのだ。予想通りに進んでいっても、仮想現実の画面の中は少しずつ予定調和が崩れていく。
 全てが予定調和のプログラム通りに進んでいるのに、どうしてある一瞬のイタズラで崩れてしまうのだろう。カミサマは一人考えた。
 しばらくそのまま動かなかったが、スイッチが入ったかのようにキーボードの上を突如指が滑る。
 きっと、感情を持たせたから狂うのだ。感情さえなければ、予定調和は再現できるに違いない。仮想上の彼らが、人間らしくある必要などない。予定調和の実現上は無視してみようか。
 カミサマは忘れていた。
 決められたプログラムに沿って動く人形など、所詮、プログラム記号で作られた、コードに過ぎないのだということを。あくまでも、仮想現実上で三次元の世界を複雑に作りあげることで、現実に近づけていたものを数字とアルファベットの羅列に戻してしまっては、何の価値もない。
 二次元のもので成功しても意味がないのだよ——と世界を創りあげた神は何処かで今日も嗤う。

——君が永遠に失敗することも、あらかじめ決めてあるのだから。


--Eve--

「はーあ。やっぱカミサマなんてあたしのガラじゃないねぇ。大体あたしがここでこんなことをやっているのも全部神のせいなんだし」

 ぱちぱちと火花が飛ぶ暖炉の前で、イブは一人愚痴る。窓の外には色鮮やかに生命の花が咲き、室内のコンピュータには『Error』の文字。
 彼女は一体誰なのか、いや、何者なのかと問いかけた方が正しいのかもしれない。姿かたちは人間そのものだが、操る能力は人間の理解を超えている。

「ねぇヤハウェさんよ。そろそろアダムに会わせておくれ。あたしは約束を守ったんだから」

 予定調和はお遊びに過ぎない。イブは与えられた能力を使い、生命の花を咲かせた。そのことを彼は見ているに違いない、されど音沙汰はなし。霧の奥で彼女は待った。待ち続けた。善悪の木の実を口にし、楽園を追放されたあの時から、ずっと。


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Image coller 枯茶(からちゃ)