複雑・ファジー小説

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【透明な林檎】 ( No.22 )
日時: 2016/08/19 10:17
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: jwhubU7D)
参照: http://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode=view&no=464

——ほんの少しだけ、息苦しいな。


【Transparent Apple】


 僕はずっと見ていた。
 太陽と月が何度も交互に現れるのを。太陽は僕を赤くして、月は透明にした。それがどのくらい続いたのだろう。ぼんやりしている間に、僕の周りには『何か』がいた。『何か』は音を発しているらしい。どうやらそれで意思疎通を図っていたようだ。しばらくして、『何か』は動物という名前があることを知った。
 意思疎通に使われる音は、言葉と呼ばれるらしい。そのうち、僕も言葉を覚えた。でも誰も僕のところまで来てくれない。僕は君たちがここに来る前から、ずっとここにいるのに。誰も近寄らない。なんで?

「そんな悲しそうな顔をしないでよ。私がいるのを、忘れたの?」
「あぁごめん。君は僕の後ろ側にいるから、どうしてもうまく見えないんだ」

 後ろにいるもの——言葉を借りるなら『花』というらしい——が話しかけてきた。僕が意識を持った時から、彼女は後ろ側にいる。

「そうだったわね。私の位置からは、あなたも、他のものも、何もかもが見えるのに」
「前は眺めているだけだったのに、今はこうして会話できる。知らない間に頭の中に言葉が増やされているみたいじゃないか?」
「全てはヤハウェ様の思いのままに。あなたは『善悪の木』、私は『生命の木』という名前だそうよ。まぁ正確にいえば、『善悪の木の実』と『生命の木の花』だけど。この世界も、私たちも、あの動物たちも、みんなヤハウェ様が創ったんですって」
「あー、なんか動物たちがそんなこと言ってたな。それに、僕たちに近寄ったらいけないって言われてるんだよね」
「あなたにね。私については何も言われてないわ。私も他の人と話したりしたいのに」
「僕のせいにしないでよ。僕だって話したいのは同じなんだからさ」

 それっきり、彼女は黙ってしまった。僕は、またぼんやりとする。なぜ、僕に動物たちは近寄ってはいけないのだろう。僕、何か悪いことをしただろうか? 気になるな。
 太陽と月が、また交互に現れては消える日々が続いた。ある時、翼をもった動物が僕の近くに座っていた。

「君たち、僕に近寄ったらいけないって言われているんじゃないの?」
「あぁ、それはアダムとイブの二人だけさ。彼らは『人間』だからね。俺たちとは種類が違うのさ」
「へーぇ」
「ヤハウェ様から聞いたんだけどね、君を食べると、この世界の調和が狂ってしまうらしい。だから、その調和を崩さないために近寄るなと言っているんだって」
「僕を、食べる?」
「そうだよ、君は木の実さ。木の実は食べられるためにあるんだ。でも、君は不思議な色をしているね。他の木の実ははっきりとそこにあるのが分かるのに、君の姿は、『なにか透明なもの』に覆われて、ぼんやりとした赤い色しか見えないのさ。俺は君が美味しそうだとは思わないけどねぇ。だから誰も食べたがって近寄らないんじゃない? ま、君がこうやって言葉を話せること自体知らなかったし」
「ふーん。僕って食べることができるんだ。食べられた後の木の実はどうなるの?」

 『食べる』という行為を、僕は初めて聞いた。『食べる』と『食べられる』。自然と対義語が出てきたことに、少し驚く。
——あれ、僕は、いつからこんなにたくさんの言葉を知っているのだろう。
 『動物』『花』『人間』。知らない単語はあるのに、彼らが言葉を使う前から、僕の中には言葉があった。こうして、何かを考え、想いをめぐらせ、全てを見渡す日々の繰り返し。
 『言葉』という定義ができる前から、僕はこうして『言葉』を使っていたし、目の前にあるものが『言葉』で定義されなくても——例えば太陽や月といった——名前を知っていた。

「さぁね。でも、食べた人は『知恵』がつくらしいよ。君がどうなるか、なんて食べられてみないと分からないのに、食べた人はどうなるか分かっているのは滑稽な話だけどね」
「『知恵』?」
「俺もよく分からないさ。ここにいる人はみんな、それが良いものなのか、悪いものなのか分からない。ま、そんな得体のしれないものは触れない方がいいさ」

 そういって彼は、空を飛んで向こうの方へ行ってしまった。

「僕はどうなるか、気になるんだけどなぁ」

 そんな僕のつぶやきは、誰にも拾われなかった。否、拾われなかったと僕が思っていただけなのかもしれない。この世界の調和って、なに? いま僕が見ているものが、調和だとするなら、崩れた世界はどんなものなんだろう。
 僕の、身体の真ん中の部分で、なにかが、熱い。熱さの正体にたどり着く前に、僕に影が覆いかぶさった。

「君は誰?」
「あたしはイブ。ほら、ここにあたしの帽子が引っかかっちゃってねぇ。取りに来たら、あんたが居たってわけさ。初めて見たよ、こんな不思議な木の実」
「なんで僕が不思議なの?」
「だって、木の実なのに『なにか透明で固いもの』に覆われているんだ。木の実は食べられるためにあるのに、まるで自分を食べるなと言っているみたいじゃないか」
「そんなこと言われても、僕はここに存在しているときから、ずっとこの姿さ。君の方こそ、ここにいて大丈夫? 僕に近寄ったらいけないんでしょ」
「あたし? あ——君がその、『善悪の木の実』っていうやつなのかい」
「そうらしいね」

 イブは無言で軽く肩をすくめた。やってしまった、とでも言いたげな仕草だ。まぁ、知らなかったらそういう反応になるよなぁと僕も思う。

「ねぇ、僕を君が食べたら、どうなると思う?」
「あたしがあんたを食べる? 馬鹿なこと言うんじゃないよ。近寄ったらいけないのに、食べるだなんて」
「食べるなって言われてるわけじゃないでしょう。僕、この間そんな話をした時から気になって仕方がないんだ」

 そう、これは僕の純粋な興味でしかない。僕が食べられた後、僕はどうなるのか。なんで、僕に近寄ったらいけないのか。『知恵』とは何か。僕の周りの『透明で固いなにか』はどんなものか。
——僕は、ちょっと好奇心が強いだけなんだ。
 知りたい。ここから見える景色だけじゃなくて、もっと誰かの近くにいたい。この場所より、外の世界を見てみたい。
 僕はとっくに木の実じゃないことぐらいわかってるさ。だって、木から落ちたところを、この『透明なもの』に捕まって、僕は宙ぶらりんなんだ。木の実であって僕は木の実でない。僕が木の実であったときは、こんな物思いに耽ることもなかったし、そもそも僕に意識なんてものもなかった。

「はーん。周りにあるのはガラスか。あんたの本質を隠すための仮面ってわけだね。光の屈折であんたの本当の姿はぼんやりとしか見えない。お前さん、仮面の下で何を企んでる?」

 僕のことを、しげしげと眺めていたイブが言う。

「僕は、知りたいだけだよ。この世界の調和が狂うとどうなるのか、ただそれだけ。僕がどうなるとか、君が僕に近寄ったらどうなるかとか、そんなのは建前さ。その話が、僕の身体の中で熱く渦巻いてるんだ」
「それはあんたが本音に見せてるだけで、全部建前さ。あんたの本音はもっと別のところにあるね」
「そんなに言うなら、この僕の周りにあるっていうガラスの仮面を壊してみなよ」

 結果を言うと、僕の仮面が剥がれた瞬間、僕の中にあった果汁が滴り落ちて『生命の木』が枯れた。『生命の花』だった彼女は、小さな小さな種になって、消えてしまった。僕の果肉を食べたイブと、もう一人の人間であるアダムは、楽園を追放された。『知恵』がつく、というのは本当だったらしい! 彼らを最後に見たとき、身体を葉っぱで隠していたからね。
 でもさ、僕の仮面を剥がしたのは、イブじゃないんだよ。僕の『中身』さ。蛇が脱皮するように、外側の仮面を打ち破って中身が出てきただけなんだ。
 ふふっ。僕の本質——それは毒蛇かもしれないね。僕は、この楽園の生き物たちにとっては毒でしかない。誘惑して、堕落させることに特化した性質だからさ。純粋な感情で出来ている『生命の花』なんかは枯れてしまうわけさ。
 それにしても、外側にあった仮面がなくなるって、とてもいいことなんだね。どこか息苦しさがあったあの頃とは、全然違うや。

「蛇が林檎の中に潜んでいたとはね。これは私の誤算だったよ。だが、イブが林檎を口にするのは防げたはずだ。まして、林檎の果汁は『生命の木』を枯らしている。それを見てもなお、口にするほどの何かがあったのか……」

 僕がいた『善悪の木の実』は林檎という名前らしい。白い髭の老父が不思議そうに呟いているけど、彼の疑問の答え、僕は知ってるよ。
——人っていうのはね、好奇心に勝てない生き物なんだ。


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Image coller 深緋こきひ

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Special Thanks!
Ms.かるた 【お題提供処】はぷとぱすかる。(参照URL)
お題『林檎と毒とガラスの仮面』