複雑・ファジー小説
- 【短編集】移ろう花は、徒然に。【 I 】 ( No.25 )
- 日時: 2016/08/22 17:02
- 名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: GlabL33E)
鏡映しのわたしは、いつだって夢の中。
【 I 】
今日もまた、朝が来てしまった。頭に突き刺さる音を出す目覚ましを止め、顔を洗いに洗面所へと向かう。
「おはよう、わたし」
鏡をのぞき込んで、鏡に映ったわたしに挨拶する。ぼさぼさの髪、片方だけ二重になった半開きの眼、むくんだ顔。嗚呼、いつも通り美しくない。鏡越しの世界は、この眼で見る世界と違って美しいのに。
左右が反転した世界に住むわたしは、私であって、私でない。そんな鏡映しのわたし。別に、二重人格とかそんな大それた話ではない。でも、私たちはどこかのタイミングで、確実に入れ替わっている。
学校で、友達と話しているわたしは、私。でも、パソコンで掲示板に書き込むときのわたしは、わたしだったり。
わたしがうっかり友達に話しかけたりすると、怪訝な顔をされた。
「いきなり変なこと言い出して、どした?」
嗚呼、あなたには理解できないのかと、少しがっかりする。私であって、私でなくとも、確かに私。わたしを含めて、私を肯定してくれないと。
身体はここに、確かにあるのに、わたしには触れられない。鏡の中には映っているのに、覗きこんでる世界にはいない。鏡に指先を滑らせて、そっと存在を確かめあうことで、わたしを肯定する。
独りぽっちで朝食を食べ、今日もパソコンを開いた。ブルーライトが目に刺さる。画面に表示された『ようこそ』の文字と、透明で描かれた林檎。指先で林檎をなぞると、ページが開いた。
21:37 Eve
自分が誰かなんて、どうでもいいことじゃないか。あたしはあたしだと思っているし、自分が思う以外に自分がいたとしても、結局は全部自分なんだよ。ただ、見せている面が違うのさ。
21:56 Cherubim
確かに自分かもしれないよね。でもさ、その見せる面が違ったら、それは一括りに自分とは言えないんじゃない? 自分が作り上げた、自分が操るアバター的な存在は、自分じゃないと思うよ。
22:09 Eve
作り出してる時点で、所詮は自分でしかないんだよ。理想の自分を文字で演じているだけなんだからさ。画面に映っているのは、紛れもなく、現実世界のあたしじゃないのかい?
22:41 Cherubim
だから、その現実世界の自分≒アバターだと、僕は言ってるんだ。同じヒトだとしても、現実じゃ言わないこととか、口調とか、アバターは現実の自分とはちょっとだけ違う。例えるなら、『私』と『わたし』の違いみたいなところかな。『私』は一人称で主語、『わたし』は『私』が一人いて、ああ。例え方がわからなくなっちゃった。本の主人公が『わたし』、その本の作家や、読み手、感情移入する側が『私』だと思う。『自分』って言ったり、英語で『 I 』と言っちゃえば全部おんなじなんだけどね、でも、違うよ。だいたい君のだと、多重人格とかは同一人物だけど別人じゃないか。互いに干渉してないし、身体を共有している他人と言っても過言じゃないと思う。
23:57 Eve
身体が一つな以上、他人から見たらそれは一人のヒトなのさ。自分が違うと言っても、それはどれもそのヒトでしかない。多重人格であろうと、身体は一つ。頭がおかしいというレッテルを張られて、その乖離に苦しめられるだけさ。
二人の顔も、本名も、住んでいるところも、何も知らない。性別も正しいかわからない。この世界のどこかに存在して、こうして文字のやり取りを交わしているというのだけが、唯一の確定事項。それなのに、友達と話すよりずっと気が楽。自分を偽る必要もないし、私が何者なのかも知らない。でも、二人はずっと前から知っているような、懐かしさを感じさせる人だった。会ったこともないのに。
気ままに思ったことを打ち込んで、それについて会話したり、誰かの言葉に反応する。この場所で、私はわたしを見つけた。
パソコンを買ったときには無かったけれど、アップデートした時にいつの間にかインストールされていたアプリを、興味本位で開いた時から私の中でわたしが生まれた。
20:51 Life
嗚呼、わたしは誰?
わたしは、私の中でどんどん大きくなっていた。どこか孤独を感じて、暗い部屋でわけもなく涙を流したり、急に元彼のことを思い出して、懐かしく思ったり。私の感情でない、もう一つの感情が流れ込んできて、私のことをのみこんでいた。感情の海に溺れるのは嫌いじゃない。でも、わたしに身を任せて、そのまま沈んでいくと、私は泡になって消えてしまいそう。
だから、全部夢の中にしまっておく。激しい怒りも、泣くほどの嬉しさも、鏡映しのわたしは知っている。私は、その欠片を少し覗いているくらいがちょうどいい。わたしは、いつだって夢の中にいる。
そんなまどろんだ乖離を、理解できる人は少ない。学校に行かず、部屋でパソコンを操るようになったのもそのせいだ。嗚呼、少し眠ろうかしら。わたしはまだ、眠っている時間らしい。
「やれやれ、まさかこんな形で彼女と出会うなんてねぇ。生命の花がやけに育つと思っていたら、生まれ変わりが現世にいたのか。しかも、目覚めかけてる」
「早く気がつけて良かったね。まさかと思って、彼女にチャットを持ち掛けたのが正解だったよ」
ヘッドセット越しに、イブとケルビムは会話している。彼女に先に気が付いたのはケルビムだった。
生命の花はイブの庭にしか存在しない。それなのに、まったく別の場所でその気配がした。聞けば、その気配が確認できた日は、イブが感情を花に吸わせた日だったようだ。
「どこかで、彼女も私たちのことを覚えているんだろうねぇ。普通だったら正体不明のアプリなんか開かないし、そこで会話しようなんて思わないだろうからさ。しかも名前もLifeだし」
「確かに、まだ完全に目覚めているわけじゃないし、仮に目覚めていても記憶があるかも怪しいもんね。むしろ、蛇の毒を吸った林檎の果汁で枯れたときに、生まれ変わりの準備がとっさにできていたのが驚き」
「役者が揃いつつあるのかね」
朝日に照らされた生命の花を眺めながら、イブは会話を終わらせた。
*
Image coller 紫水晶(むらさきすいしょう)