複雑・ファジー小説

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【と詩集】 ( No.3 )
日時: 2017/05/18 14:06
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: Djfn6fKO)

——蝶は、誰のもとへ。


【Viola farfalla】



 貴方は、こんな蝶を知っていますか?
 行く先々で人々を虜にし、死に追いやる不吉で邪悪な「蝶」。蝶は言葉巧みな話術で貴方を惑わし、惹きつけて破滅へと導く悪魔となる。
 その蝶の本名を口にするものは居りません。というより、本名を知らないのです。本名を知っている僅かな者達が死んでしまった今、語れる人は本人と、傍に仕える唯1人だけなのですから。
 そして蝶の噂は、柔らかな風に乗って囁き声と共に広がります。囁き声で人々が話すのは何故かといいますと、自分の声が蝶の耳に入るのが怖いのです。
 耳に入った暁には、真っ黒な封筒に紫色の蝶が描かれた一通の手紙が届きます。
 その手紙の差出人の欄には、『Viola farfalla』と書かれているそうです——。


 深夜二時。
 真夜中だというのに輝く街灯は石畳みの道を明るく照らす。眠りを知らない町、シンシア。しかし、町とは対照的に人々は眠っていた。だから、街灯は人がいない道を虚しく照らすだけ。
 だが、眠ってないものもいた。シンシアの町から少しだけ離れたところにある、大きめの屋敷。町とは正反対に、屋敷の明かりは全て消され、唯一明かりと呼べるものは、冬だというのに開け放たれた広い窓から入り込む満月の光だけ。その光に照らされて、一つの人影が浮かび上がった。
 艶のある、漆黒の髪は優美なカーブを描いて胸元まで伸ばされ、蜜のように甘い香を辺りに漂わせる。きめ細かい真っ白な肌と、宝石のように妖しい輝きを放つ黒い瞳。唇はぷっくりとしていて、口紅を差していないのに血のようで真っ赤だった。純白のロングドレスには、脇腹から太ももにかけて真紅の糸で薔薇の刺繍が施してあり、それらは遠くから見ると飛び散った血液のように見える。そして、血の気を失った冷たい素足。
 そう。ゆり椅子にゆったりと座っている彼女こそ、今、この街の噂になっている女性——黒崎詩織くろさきしおりである。

「ねぇ、玲菜(れな)。明日のパーティーの準備は出来ているかしら?」
「はい。出来ておりますよ、詩織様。明日は、この街に住む誰もが忘れられない日となるでしょう」

 いつの間にか傍に現れた、ベールを被っている侍女の答えに、詩織は薄い笑みを浮かべた。
 彼女の事をこの町で知らないものは居ない。幼い頃から、両親に連れられて世界の色々なところを回り、行く先々で人々の噂の的となってきたからだ。両親は世界的にも有名な大富豪。また、彼女自身も優れた頭脳を持ち、一流の大学を首席で卒業。さらには、誰もが羨む美貌の持ち主ときたら、有名にならないわけがない。しかも、それでいて天狗にならず、性格も優しいと評判で、まさに絵に描いたような完璧な女性だった。
 『おとぎ話の主人公』。詩織の事を良く思わない人々は、彼女の事をこう呼んだ。こんなに完璧なのに、裏の顔が無い人間なんてこの世にいるはずが無い。そんなのが許されるのは架空の物語の中だけだ。
 しかし、そんな陰口を叩いていた人々は次第に姿を消していった。満開だった花が、一つまた一つと散っていくように。
 そして、彼らは遺体で見つかった。最初は、怨恨の線から詩織も疑われたが、次第に疑いの目は晴れていった。
 遺体で見つかった、彼らの所持品に共通していた手紙。それが、シンシアの町で起きた、他の事件でも見つかるようになったのだ。
 手紙は、事件の被害者の男性のみが所持しており、持っていたのはいずれも、遺体で発見された人だった。
 一年に一度か二度起こる怪事件。警察が事件の犯人や動機に頭を悩ませる中、時を同じくして、詩織は結衣を伴って各地を巡る旅へと出発した。
 彼女達が行く先々で広まる、不吉な手紙の噂と事件の被害者。そして、とある町で起きた事件が噂を広める速度を加速させた。
 被害者が手紙の中身を持っていたのだ。事件が起こった全ての町の警察が、この情報に色めき立つ。しかし、手紙の内容は謎をさらに深めるものだった。

 voi Se diventare il mio angelo, io sar o con il diavolo per voi.
(あなたが私の天使だというのであれば、私はあなたの悪魔となるでしょう)

          Viola farfalla

 この手紙で得られた物は、差出人が『Viola farfalla』という事と、『Viola farfalla』が女性だという事だけ。あまりの手がかりの無さに、警察は落胆する。
 そして、手紙の噂がシンシアの町がある地方を一通り駆け巡った頃——黒崎詩織は侍女の玲奈と共に、町へと帰って来た。
 詩織もまた各地で人々の噂となる。ベールで顔を隠す供の女性を従えた美貌の旅人として、行く先々で貧しい人々を救う天使として、人々の頭から離れることは片時もなかった。そしていつしか、どの町でも詩織が来ると歓迎の宴が開かれるようになる。華やかな踊りに、地域や町特有の料理、さらには伝統的に伝わる音楽までが披露され、まさに夢のような一時を居合わせた人々は楽しめたことだろう。
 しかし、彼らは知らない。
 美しい音楽の調に紛れて舞う、紫の蝶を。静かに毒の燐粉を撒き散らし、いつの間にか獲物は死へと続く道を歩かされる。
 そして再び紫の蝶は、噂とともにシンシアに舞い戻ってきた。

「それにしても詩織様。明日はどのようなパーティーになさるのですか? それに……ドレスはあの色でよろしいのでしょうか」
「明日になれば分かるわ。この屋敷に来た人は皆、絶望と恐怖に染まることになることになってしまうでしょうから。えぇ、ドレスは黒と紫で良いのよ。噂のViola farfallaに合わせてね」

 そう、詩織が明日のパーティーのために特注したドレスの色は、届けられると噂の手紙をモチーフにした黒と紫が基調となっている。そして、彼女はViola farfallaにも招待状を送ったのだ。なぜなら、詩織のもとにあの手紙が届いたから。今まで、男性にしか送られていなかった手紙の均衡が崩された。

Grazie per avermi invitato.
(お招きいただき、ありがとうございます)
Tuttavia, ve ne pentirete.
(しかしあなたは、後悔することになるでしょう)
Gioco e appena iniziata.
(ゲームはまだ始まったばかりなのだから)
 La paura vera deve ancora venire.
(本当の恐怖はこれからだというのに)

          Viola farfalla

 美しい文字で、流れるように書かれたイタリア語の文字。しかし、そこに潜むのは底知れぬ邪悪さ。破滅へのカウントダウンは、もうすでに始まっている。そして、この一通の手紙の存在を知らないまま、町の人々は屋敷に訪れ、音楽が鳴り響きだす——。


「本日は、黒崎詩織のためにお集まりいただき、本当にありがとうございます。誠に僭越ながら、わたしが乾杯の言葉を述べさせて頂きます。今日という日が、皆さまにとっても素晴らしい日となりますように……。乾杯!」

 グラスを手にした玲菜がにっこりと微笑み、グラスを傾ける。侍女の玲菜も普段は使用人が身につけているメイド服だが、今日に限っては司会を務めるため淡い紫とピンクのドレスを身にまとっていた。普段は何もせずに下ろしている髪も、今日はアップにして髪飾りで一つに束ねている。彼女の頭には、まるでViola farfallaを歓迎するかのように紫の蝶が優美に留められていた。しかし、顔はいつものようにベールで覆い隠している。詩織も外すように声を掛けたが、自分の信念だからと外すことだけは頑なに拒まれてしまった。
 しかし、問題が起こっていた。
 事前に調整したはずなのに、スピーカーからはノイズのような音がいつまでも消えない。さすがに司会の玲菜も気になったのか、不安そうにスピーカーを見上げていた——その時。
 一つ一つのテーブルに置かれていたキャンドルと、屋敷にある全ての電球が光を失った。

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【と詩集】 ( No.4 )
日時: 2015/07/27 22:36
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: k0SCKDMV)

『——お招きに与り、誠に光栄でございますわ、黒崎詩織さん。しかし、わたくしの警告を無視したのですね、えぇもちろん構いませんわ。私とこれから一つ、ゲームを致しましょう。このパーティーが終わるまでに、私のことを見つけなさい。見つけられれば、今まで通り、貴方一人だけに死を。見つけられなければ、ここにいる全ての人に死をもたらしましょう』

 突如、電気が消えた会場のスピーカーから聞こえた、艶のある甘い女性の声。いきなり電気が消えて、不安に思っていた人々の顔に恐怖が横切った。詩織が旅をしていた五年間、この町に噂はあれども姿を見せなかった邪悪な蝶。ここにいる人々に降りかかる絶望の始まりを告げる前触れは、無かったのだろうか。
 だれも、自分を見つけられると思っていない。だが、詩織は私のことを必ず見つける。いや、見つけてくれないと私が困るのだ。
 スピーカーから流れる声は、殺人を楽しむ狂気に溢れた。どちらにせよ、今日は人が死ぬのだから。だから精々私のことを楽しませなさい。泣き叫び、喚き、必死で命乞いをする姿を私に見せなさい。詩織、貴方は私の手の中で踊るだけ。絶望と悲しみの果てに苦しんで死ぬ姿を私に見せなさい。
 恐怖と混乱に突き落とされ、声を出すこともできずにいる町の人々を救うかの如く、会場の明かりは再び点けられる。この混乱を収めるため、広々としたステージに舞い降りた黒と紫の天使。彼女こそが、今日の主役である黒崎詩織。真上にあるシャンデリアの光に照らされて、白い肌が艶めかしく映る。

「皆様、先程は誠に申し訳ございません。Viola farfallaに招待状を出したのはこのわたしです。なぜなら、彼女から私に手紙が来たから」

 そう言って、詩織は私から届いた手紙を招待客たちに見せる。

「私は、彼女を捕まえられると思いました。一人一人に宛てた招待状は、全て違うデザインにしていたからです。しかし、甘かった。Viola farfallaは私が思う以上に狡猾で、抜け目がない。まさか、皆様の命までをも狙うとは思ってもみなかったのです。だから、私は必ず責任をとり、Viola farfallaを見つけ出します。たとえ、それが死に続く道だとしても」

 詩織はステージの上で深々と一礼した。彼女が動くのに合わせて、ドレスに着けられているビーズがキラキラと光る。紫のビーズで模られた蝶は少しだけ羽ばたきを見せて、生きているようにも見えた。

「きゃああぁああぁッ!」

 耳をつんざくような轟音とともに、会場に響き渡る玲菜の叫び声。声につられて人々が玲菜のほうを、ステージを見上げる。
 スローモーションのように、その時ははっきりと見えた。
 耳をふさいでしまうほどの轟音は、天井にあったシャンデリアを固定していた鎖が砕けて、壊れる音。ゆっくりとシャンデリアは詩織の真上から落ちてくる。詩織はなす術も無く、落ちてくるのをただ、ただ見つめて。それの先についている鋭いガラスが、詩織に触れ、命を吸い上げようとした瞬間——消えた。シャンデリアの先端が詩織に触れるまさにその時、詩織が姿をフッと消したのだ。
 消えた刹那の間に時の流れは戻る。砕け、飛び散るガラスの破片。落ちた衝撃が生み出す、立っていられないほどの揺れ。この世の終わりを告げるかのような凄まじい音。それは五感の全てを刺激し、人々に自分が生きている確証を与えるための道具にすぎない。
 美しくも儚げに、無残に砕け散るシャンデリアは、動きを止めて魅入らずには居られない。思わず自分が騒ぎの渦中にいることを忘れさせて、輝く光の世界へと誘ってくれる。しかし、それもすぐに消えた。眩しい幻想の後に残るのは、恐怖で溢れる現実世界。魅入っていた人は我を取り戻し、絶望感に支配され、私の思惑通りに、自分の意志では動けなくなる。動けなくなった人々は、床に座り込み泣き始める者もいれば、叫び声をひたすらあげて発狂し始める者もいる。
 さぁ、狂気に支配されなさい。私の思うままに動いていれば、動いているうちは生きていられるわ。私の操り人形マリオネットにおとなしくなればいい。でも、いつ糸を切るかは教えてあげないから。

 詩織様はどこだ? 詩織お姉ちゃんがいないよ。

 そんな声が、正気を保てた人からパラパラと呟かれる。あれだけの重さをもつシャンデリアが落ちてきたら、その真下にいた人間はひとたまりも無いだろう。しかし、彼女は消えた。それを示す証拠となっているのが、美しく、透き通った輝きを放つガラス。人の血は一滴も零れていない。だからこそ、恐怖は増した。一瞬にして人が消えるなんて考えられない。そんな前提が人々の頭にはあるからだ。
 しかし、その考えは甘い。私は、血のような赤ワインを口に少しだけ含むと、笑みを漏らした。
 この地方はなぜか、文明の発達が他と比べてとても遅れている。東の方にある小さな島国や、西にある巨大な国家ではインターネットが当たり前のように使われ、移動には車や電車を、さらには飛行機まで使っているのだから。それに引き換え、この地方は何なのだろう。インターネットはおろか、電話さえも無い。移動には徒歩か馬車を使い、まるで中世のヨーロッパ。
 詩織の今までの経歴を見て自分達の世界観が違うことに、いや、違うのではない。歪みきっていることになぜ気がつかないのだろうか。それほどまでに彼らは——私はそこまで考えてやめた。あまりにも哀れで滑稽に思えたからだ。最後に種明かしをした時、彼らは何を見るのだろう。精々、衝撃を受けるがいいわ。
 次々に広がる、詩織を心配する声。それを打ち消すように、私は手を振り下ろした。
 パッと、ステージの奥の壁一面に映し出された鮮明な映像。そこに映されたのは両手を縛られ、口に猿轡をかまされた状態で気を失っている黒崎詩織だった。

「詩織お姉ちゃん!」

 一人の小さな子供がステージに駆け寄ろうとする。だが、あとの者は動こうともしない。ただ、その場で馬鹿みたいに口をポカンと開けて突っ立っている。その子供は、不思議に思ったのか後ろを振り返り、大人や、自分よりも大きな子供の反応をキョトンとした表情で見つめた。

「……なぜ。なぜこんな場所にいきなり詩織様が現れるんだ……? こんな奇妙なことは生まれた初めてだ」

 年老いた男性がひっそりと呟く。しかし、シンと静まり返った会場の中では大きく響き渡った。

『あっはっはっはっはっ! 驚いたでしょう! 貴方達がいかに無知かを知るいい機会。こんなことを知らないのはこの地方の人だけよ。後はみんなこんなの常識なんだから、各地を回ってそう思い直したわ!』

 狂ったように私はスピーカーから叫ぶ。私の言葉に合わせて、世界各地の様子がリアルタイムで映し出された。
 人々が、タブレット端末を片手に街を歩く姿。幾多も立ち並ぶ高層ビル群。道を走る数え切れないほど多くの自動車。空港から飛び立つ飛行機。

『貴方達が知らないものばかりでしょう? でも、世界ではこれが当たり前なのよ。それを知らないのは、貴方達が愚かだという、ただそれだけ』

 この地方でほかの地域と同じ水準なのは電気、水道、ガスのライフラインだけ。それでもこの町——シンシアはこの地方の中では、文化が一番発達している町だった。文化人だと思い込んでいた自分達の考えが間違いだと証明されたとき、切り離された世界で貴方達は何を思う?

「詩織お姉ちゃん、おなかから血をだしてるよ! 早く助けないと死んじゃうよ! ねぇ、みんなどうしたの?」

 焦ったような子供の声が会場に木霊するが、プライドを踏みにじられた大人たちは一人、また一人と膝を突いて崩れ落ちてゆく。文化が発達していない社会の人間は、こうも打たれ弱いのか。
 画面の中の詩織は純白のロングドレスを身にまとっているが、脇腹から太ももにかけて真っ赤な血液が点々と飛び散っている。顔は血の気を失って真っ青となり、生気はもはや皆無に等しい。
 チラッと会場の様子を覗き見る。私は止めを刺すために、詩織を映していたカメラの前に立った。その途端、辛うじて踏みとどまっていた者、正気を失っていた者、憔悴していた者、会場にいる人全てが叫び声を上げる。

 そう、画面に映し出されたのは紛れも無く詩織。黒いフワッとしたドレスに、薄い紫色のベールが掛けられ、ボトムにビーズで模られた紫の蝶。そう、詩織のドレスを身にまとい、今日一日、朝からずっとパーティーに出席していたのは私、Viola farfalla。

『ご機嫌麗しゅう、皆様。今日一日は詩織に変わり、大変楽しませていただきましたわ。皆様、驚かれましたでしょう。私と詩織は瓜二つ。同じ格好をすれば誰もが見間違えるのですから』

 艶のある、漆黒の髪は優美なカーブを描いて胸元まで伸ばされ、蜜のように甘い香を辺りに漂わせる。きめ細かい真っ白な肌と、宝石のように妖しい輝きを放つ黒い瞳。唇はぷっくりとしていて、口紅を差していないのに血のようで真っ赤。全てが詩織と同じで、画面の奥には本物の詩織がいるけれど実はそれが邪牒紫織だったと言われたら、誰もが真実だと思うだろう。

「そんな馬鹿な……。本物の詩織さまはいつからあの状態で……」
『昨日の夜からですわ。正確には午前三時。あの子も馬鹿ね。自分から罠に嵌る獲物なんて、滅多にいないんですもの』

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【と詩集】 ( No.5 )
日時: 2016/10/30 22:25
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: jwhubU7D)

 笑え。会場にいる人すべてを笑顔で凍りつかせろ。誰も動けないように、動かせないように。もっと笑え。私が笑えば悪魔が味方する。天使に感化された人々なんて、地獄の果てへと追いやってやる。
 さぁ、本当の恐怖と狂気の世界へと案内しよう。ここに来てしまったことを後悔すればいい。私から逃げられる者など、一人もいない。
 私は、狂ったような高笑いを会場いっぱいに響かせる。なんて気持ちがいいのかしら。もうすぐ、この町は滅亡するのよ。そのことを知らず、呑気にここにいる貴方達も破滅への道を歩いていることに、もう気がついたのかしら。

『貴方達へ、私から最期のプレゼント。気に入ってくれると嬉しいわ』

 スイッチで画面を切り替えると、そこに映し出されるのは見慣れたシンシアの町。町の人全員がこの会場に集まっているため、映し出される景色には立ち並ぶ家々が映るだけ。
 しかし、いつもならいるはずの動物すら姿を見せない。シンシアの町には、小鳥や猫や犬、運がいい時にはウサギや小熊を見かけることが出来るのだ。電線によく止まっている小さな茶色い小鳥、鮮魚店の前をうろつく真っ白な子猫。いつもの風景が色あせて消えてゆく。
 やはり、動物たちは危険を察知する能力に長けているのだろう。人間はその能力を持っていながら、長い歴史のなかで眠らせてしまった。だからこそ、今日、町の人々は全員ここにいるのだ。

『チェックメイト』

 その言葉とともに、赤いボタンを押す——と同時に、画面が火を噴いた。遠くから聞こえてくる破壊音。その微かな音に合わせて、画面に映し出された家が爆発してゆく。
 煉瓦で丁寧に築き上げ、半世紀の間、人がずっと暮らしていた家も。この町で一番古く、歴史がある時計台も。家の中にある自分たちが生活していたという証も。
 一瞬の間に全てが炎と瓦礫と化した。
 無残に砕け散るシンシアの町。ここが地方で一番発達していた町だなんて、誰も思わないでしょう?
 さぁ、廃墟となりなさい。人々の心に怒りと絶望を植え付ける役割を担いなさい。ここに生きて戻る人なんて、一人もいないのだから。

「嘘だ。嘘だろ? 俺たちの町がこんな風になるわけがない。そんなものは嘘だ! そうだろう。みんなだってそう思っているだろう……?」

 男性が必死になって否定しているが、その言葉に説得力はない。むしろ現実感を植え付ける手助けをした程度。

「あぁ町から……」

 老婆が窓の外から町の方を眺めていた。視線の先にあるのは、炎と真っ黒な煙に包まれた故郷、シンシア。
 カウントダウンは止まる術を知らずに動き続ける。ここまで時計の針が動いてしまった以上、結末を変えることはどんなに悲惨な運命が待ち受けていようと許されないから。
 でも、私は戸惑わない。何のためにここまで狂気じみたことをやってきたのか。答えはもう、すぐそこまでやってきている。今すぐにでもここで言いたい。もうすぐ消えさる運命の者たちに教えてやったらどんな顔をするだろうか。

 だから、私は躊躇いもなく——
——会場を爆破した。

 一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと化す、モニター越しの風景。扉に駆け寄る者もいるが、外から鍵を掛けられた扉は開くはずがない。窓を割って飛び降りる者もいた。しかし、ここは屋敷の一階とはいえ、周りは切り立った崖。悲鳴も、命も奈落の底へと消えた。
 紅い炎が屋敷の全てを包みこみ、燃やす。私がいたこの場所を燃やしつくせ。最初から存在なんてしなかったかのように。唯の灰となれ。灰となって世界に撒き散らされろ。
 にっこりと笑顔を浮かべて、私はモニターの電源を切った。過ぎ去りし事など、記憶の彼方へと消えてゆけばいい、あと一つ時計が進んで、零になったら。
 気を失ったままの詩織にゆっくりと近づく。彼女のドレスは、昨日のまま。赤い薔薇の刺繍は、遠目から見ると血が飛び散っているように見えるため、利用させてもらった。
 本当は、何一つ傷を負っていない。

「起きてください、詩織さま! お屋敷が……」

 精一杯怯えたように、急いで駆け付けたように。

「れ……な? 何が……!」

 意識を取り戻した詩織が、驚きの表情を浮かべて口を噤む。だって、そこにいるのは自分そっくりの人間で、自分が今日着る予定だったドレスを身につけているのだから。

「お目覚めはいかがですか、詩織さま? お言葉通り、招待されたのでご挨拶に参りました、Viola farfallaですわ」
「Viola farfalla……なんで」

 思っていたより頭の回転は良いようだ。これなら、全てを明かしても理解できるだろう。私は、あるものを取り出して頭から被った。ついでに、いつも使っている声色に声を戻す。
 どこか幼さを感じさせるが、意志のはっきりとした声。詩織が事あるごとに褒めてくれる声。

「私の正体はこうすれば分かりますよね、詩織様?」

 ベール越しに、しっかりと詩織の眼を見つめる。詩織は詩織で口を開け、茫然とした表情で私を見ている。口が、まさか、とでも言いたげに動くが、言葉にはならない。

「えぇ、考えている通りですわ。私、Viola farfallaは、貴方に仕えていた侍女の玲菜ですもの」

 そして、ベールを剥ぎ取る。

「いつも顔を隠していたのは、貴方と瓜二つの顔を見られないため。だって、私、貴方の双子の妹ですから」

 詩織に顔を見せたのは一度だけ、でも、気づいてもらえなかった。それどころか私のことを、親がいない孤児だと勝手に決め付けて、私と一緒に暮さないか? と聞いてきた。自分は心が広いから、可哀想な貴女を拾ってあげるとでも言いたげに。
 でも、私は知っている。彼女が本当に欲しかったのは、自分の言うことを何でも聞く従者。だからほら、私は詩織の侍女だったでしょう。たった一人の。
 それとなく、探りを入れたことは何度もある。でも、彼女は決まって自分は一人っ子だと言い張った。実の妹を前にして吐く、笑えない嘘。
 裏の顔がないなんて言わせない。私にだけ裏の顔を見せないで。なんで貴方だけいつも『天使』の呼び名をもらえるの。
 確かに、私にとっても貴方は天使だった。行くあてもなかった私のことを引き取ってくれて、屋敷に住まわせてくれて、本当に天使みたいだった。

「貴方は、本当に私の天使になってくれた。それはとても感謝していますわ、詩織様。でも、その見返りに、私から夢や希望を奪わないでください。私にはいつも、絶望と悲しみと空虚しか残っていなかったのだから……!」
「そんな……玲菜だっていつも楽しそうだったじゃない。なにか不満でもあったの? 貴方のことを殺そうとしたから?」
「そうやって、いつも天使のように人々の前で振舞って、機嫌を取って。私のことなんか、これっぽっちも気にしていなかったわ。人間で裏の顔がない人なんかいないんですよ? ——だって、本物のViola farfallaは、貴方なんですもの」
「そ、それは……」
「邪魔な人間、自分に都合の悪い人間は排除して、あたかも別人に殺されたように見せかけて。だから——私が裏の顔になってあげたの。貴方が私の天使となったから、私が貴方の悪魔となる。私たちは文字通り、二人で一人の人間になったのよ。でも、それも今日で終わり。今日からは、私一人で十分だわ」

 私は、近くにあったテーブルの上に置いてあるピッチャーから、ガラスのコップに水を注ぐと、詩織に差し出した。

「飲みますか?」

 小さく頷き、疑いもせずに水を飲み干す詩織。その手から、コップが滑り落ちて、床に転がった。顔は驚きに見開かれ、口を動かすが声は出ない。そのまま——死んだ。
 あっけない死にかただったわね。もっと、苦しんでから死んでほしかったのに。なんで貴方はいつも最後の最後で思い通りにならないのかしら。

「でもね、この世に天使なんていらない。貴方が作り上げたこのシンシアの町は窮屈でしょうがなかった。皆が貴方のことを慕っていて、天使の陰に隠れていた『本物の』悪魔にはちっとも気がつかないんですもの。私がこの町に来たのは、貴方達を殺すためだったのに」    

 だって、詩織。貴方が私のことを捨てたのよ? 小さい頃、親が出掛けた隙に崖から突き落として。誰もが、貴方の嘘を信じた。麗奈(れいな)が人攫いにさらわれた、って嘘を。誰も疑わなかった。私は助かってて、家の裏で全部聞いていたのに。警察はなんで行方を捜そうとしなかったの? なんで町の人は少しも心配する様子を見せなかったの? 本気で心配していたのは親だけで。それを見て分かった。全部仕組まれているんだって。私の存在が消されるのはもう、決まっていたことだったんだ。
 私はそのあと『玲菜(れな)』と名前を変え、世界を見てきた。だから、この町がすごく発達していないことを知っていた。詩織も知っていたはずなのに、彼女は自分だけ文明の恩恵を受けることを選んだ。一人、部屋に隠れてタブレット端末を使っているのを私は知っているわ。
 だから詩織を殺した後は、私が黒崎詩織になる。詩織なんて必要ない。欲しかったのは名前だけ。蝶は世界へと羽ばたいていくの。
 ドレスを脱いだ私は、着替えて、静かに廃墟の町を去っていく。もう、ここには二度と来ることはないだろう。
 脱ぎ捨てられたドレスについているはずの、紫のビーズで模られた蝶。それは、いつの間にか消え去っていた。まるで、紫の蝶——Viola farfallaと共に飛び去って行ったかの如く。


Fin.

*

Image Collar:京紫(きょうむらさき)