複雑・ファジー小説

Re: 十字星座の戦士※3話【Collapse(崩壊)】 ( No.37 )
日時: 2014/01/23 19:34
名前: Ⅷ ◆O.bUH3mC.E (ID: 74hicH8q)



雨が、降り始めた。
ポツリ、ポツリと、静かに、大地を濡らし、シエルの、頬を濡らす。
流れ落ちるしずくは、彼女の迷いを、彼女の恐怖を、彼女の懸念を、なにもかもを洗い流すことはできない。彼女は、ひたすらに、最悪の可能性のことを、頭にうかべては消して、それにどう対処するかを、考えては消してを、繰り返していた。
その時に、かならずうかびあがるのが、リヒトの顔だった。まるで逃げるようにして、自分の考えた最悪の可能性を、捨て去り、あくまで世界は、平和のままだと言い捨てた彼の顔を、シエルは思い浮かべる。
シエルは、自分の言葉に、リヒトに吐き捨てた言葉に、後悔していた。そう、彼の意見は、正しいのだ。自分がどうかしているだけだったのだ。リヒトは、機関を信じている。世界中、どの人に聞いても、機関は悪ではないと答える。それほどまでの絶大な信頼を集めている機関が、敵なんてことは、普通はありえないのに、シエルは、まるで本当にそうなんだと、確信もないままに、リヒトのことを、切り捨てたのだ。
ズキリ、と痛む胸を抑えて、いつもは感情の読めない、ねむたげな目を涙に濡らし、リヒトに謝ろう、と思った。
リヒトは、変わった。あの時とは違い、強くなった、そして……守るべき対象を、自分の考え方で、何者にも縛られずに、守ろうとしている。機関がたとえ、もしも相手になったとしても、リヒトは、機関を敵に回してでも、大切なものを守ろうとするだろう。リヒトとは、そんな男なのだ。
あの日……リヒトを変えるキッカケとなったあの日ですら、シエルは後悔している。あの時、もしも自分が、詰め所によらず、リヒトをそのまま追い、リヒトの父親に加勢していれば、最悪な結果は、変えられたのかもしれない。けど、シエルは、詰め所に寄る道を選び……そして、ただただ崩れ落ちて泣きじゃくるリヒトに、冷たい言葉を吐き捨てて、その場をさったのだ。自分だって泣きたかったのに、リヒトを抱きしめてやりたかったのに、口からでてきたのは、リヒトを否定するような、言葉だけだったのだ。

「……なにかを変えるなら、自分が変わらなくちゃならない」

自分の、信念ともいえる、その言葉を、シエルは口にする。誰にいわずとも、ただつぶやく。
このまま、リヒトを見捨てて、自分一人で怯えているようじゃ……自分一人で泣いているようでは……それこそ……あの時から———変わっていないのは、自分ではないのか。
シエルは、そう思った瞬間に、踵を返し……まだリヒトが、さきほどの場所にいると信じて————だが、それはかなわなかった。
雷鳴が、轟く。一閃の光が天を引き裂き、そのあとに、なにかの雄叫びが……大気を引き裂き、大地を揺らす。
地震でもない、雷が鳴ったわけでもない、ましてや、なにかがこわれたというわけではない……そうだ……彼女は、知っている、この雄叫びの正体を……4年前に……リヒトの両親を食い殺した魔物と……類似するかのような……雄叫びと———圧倒的な、魔力の放出。

「まさか……」

シエルは、最悪の可能性を思い浮かべて、顔を青ざめさせる。四年前と似たような景色、四年前と同じような雄叫び……街の結界を真正面から打ち破ることができる魔物なんて、限られているはずで……それも、強大な魔物ほど、街の結界は拒絶する……だが……ひとつだけ、結界の、弱点があるとすれば……

「もう……中にいる!?」

そうだ……剣士であるシエルが怯え、震えるほどの魔力を放出するような存在が、結界の内部にやすやすと進入できるはずがないのだ。だが、できるほうほうは、二つだけあるのだ。
ひとつは、それこそ真正面からぶつかってくるというもの。そしてもうひとつは———すでに、一度、なんらかの方法で内部に入った魔物には、もう、結界は、無意味で……何度でも、進入が、可能に、なるのだ。
シエルは考える。どうすればいいかを、剣を腰の鞘から引き抜き、考える。これこそ、リヒトがいっていた、最悪の可能性なのではないかと、これこそ、十字星座の戦士が必要になる世界ではないのかと。これこそ……機関の、しくんだことなのではないかと。
雄叫びはやまない。また、別のところから、同じような、強大な魔力を孕んだ雄叫びが、あがる、また別のところから、また、また————
近辺の家に住んでいる人々が、なにごとだといわんばかりに窓から顔をのぞかせたり、家からでてきたりする。戦闘職業を生業とするものは、緊急時に、一般人を安全に避難所まで避難させる役割をもっているはずだったが、そのときばかりは、誰も、行動することができなかった。
やがて雄叫びがやみ、どこからか、風を切る音が聞こえる。鳥が羽ばたくときに聞こえるような、ちいさな音ではない。巨大で、凶悪な……悪魔の羽ばたき———
自然と、人々の目線が、中央広場の方向へ向かう。この街のどこからでも見ることができる、巨大な魔石の頭上に……その正体は、あった。
人の4、5倍の体躯をもつ……人ならざるもの。かつて人々からは聖獣は呼ばれ、今現在にもその名を馳せる、誇り高き獣……竜……。真紅を体を、その巨大な翼でうかせ、この街を、殺気に満ちた瞳で……見下ろしていた。