複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.161 )
日時: 2016/05/07 10:08
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Ga5FD7ZE)

†第三章†──永遠たる塵滓
第三話『落魄』

 
 ユーリッド一行が南大陸に渡って、既に十日の月日が経っていた。
三人は、ロージアン鉱山を目指してひたすら歩き続けていたが、あの湖畔で出会った男たちの言う通り、道中に村や集落はなく、時折誰かが生活していたような跡を発見しても、結局一度も、他の獣人と会うことはなかった。

 森を抜け、平地を進み、だんだんと景色が荒涼とした岩場に変わり、そして、目の前に切り立った岩山が現れたところで、一行は足を止めた。
ついに、ロージアン鉱山にたどり着いたのである。

 鉱山前の広場には、わずかに錆びた手押し車や鶴嘴(つるはし)がいくつも転がっており、岩壁にぽっかりと開いた坑道は、先の見えない暗闇に繋がっている。
三人は、ひとまずその坑道への入口まで行くと、中の様子を伺った。

「見たところ、もう既に廃鉱になってるみたいだね」

 トワリスの言葉に、ユーリッドは、しかめっ面になりながら、頷いた。
坑道の奥から吹いてくる生暖かい風が、ひどい臭いだったのだ。
あの、つん、とする刺激臭である。

 ファフリが、心配そうな表情で、ユーリッドを見る。

「ユーリッド、大丈夫?」

「ああ、なんとか……」

 鼻声で苦笑しながら、ユーリッドは答えた。
次いで、ユーリッドは、ちらりと転がっている手押し車を見ると、トワリスに視線をやった。

「放置されてる手押し車の錆び具合からして、廃鉱になったのは最近じゃないかな。管理者がいないのをいいことに、商人がハイドット目当てで入り込むこともあるみたいだし、もしかしたら、中に誰かいるかもしれない」

「ああ。確かに、その可能性は捨てきれないね……」

 トワリスは、逡巡の後、二人を交互に見ながら尋ねた。

「どうする? もう昼過ぎだし、明日になってから入るのも手だよ」

 二人は、互いを見合って、つかの間沈黙した。
しかし、その時、不意にどこからか鳥のさえずりが聞こえた気がして、ファフリは顔をあげた。

(カイム……?)

 目線を動かすと、坑道の暗闇に、不自然なほどくっきりと浮かぶ、カイムの姿が見える。
ファフリは、カイムをじっと見つめて、胸元でぎゅっと手を握った。

(この奥に、何かあるの……?)

 そう心の中で問いかけたが、それに答えが返ってくることはなく、カイムは、ぱたぱたと坑道の奥に飛び去ると、すぐに姿を消した。
ファフリは、思わずそれを追おうとして、坑道の中に踏み出した。

「待って! カイム……!」

「──ファフリ!」

 その、次の瞬間。
ファフリは、前に踏み出したのと同時に、ユーリッドに腕を捕まれて、勢いよく後方に引かれた。
すると、バランスを崩して転んだファフリの目の前に、白く鋭い牙が迫ってくる。

 咄嗟のことに、訳がわからず硬直したファフリは、防御の姿勢をとろうとして、両腕を顔の前に出した。
しかし、その牙が彼女に届くことはなく。
ユーリッドが、ファフリに迫るそれを素早く抜刀して斬りつけると、それは坑道の外に弾き飛ばされ、情けない鳴き声をあげて、ユーリッドたちから距離を取った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.162 )
日時: 2016/05/08 15:43
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Ga5FD7ZE)


 明るみに出たそれは、どうやら野犬のようだった。
だが、脚が余分に一本、不自然に前肢の脇から生えている上、ユーリッドの斬撃で頭が裂けかけているにも関わらず、立っている。
奇病にかかっているようだ。

 無意識にとはいえ、召喚術を使い、カイムと接触していたことに気づいたファフリは、慌てて魔力を収束させた。
それでも野犬は、牙を剥いて襲いかかってくる。
だが、再びユーリッドが剣で薙ぎ払うと、野犬は地面に打ち付けられ、起き上がったときには、先程までの勢いを無くしていた。

 野犬は、もうファフリに目をくれることもなく、ふらつきながら立ち上がって、岩壁に身体をぶつけながら、しばらくよたよたと歩いていた。
そして、血を流しながら岩壁にもたれるように倒れると、やがて大人しくなった。

「ファフリ、魔術を使ったの?」

 トワリスに尋ねられて、ファフリは申し訳なさそうに俯いた。

「ご、ごめんなさい……無意識に、カイムを呼び出してたみたい。気を付けるわ……」

 ファフリは、弱々しい声で言いながら、倒れた野犬の方を見た。
野犬は、胸を忙しく上下させながら、倒れたまま震えている。
ひどく、苦しんでいるように見えた。

 ユーリッドが、坑道の奥を一瞥して言った。

「こいつが出てきたってことは、この坑道の奥には、他にも奇病にかかった生物がいるかもしれないな。まあ、魔力さえ発さなければ、襲いかかってくることはないんだろうけど……」

「魔力は使わないったって、物理的な攻撃が効かない以上、万が一襲われた場合は魔術で攻撃しないと、こいつらを倒せないよ」

 ため息混じりに答えると、トワリスは、ファフリの方を見る。

「極力私が請け負うつもりではあるけど、私はあまり魔術が得意ではないから、いざというときは、私とユーリッドでこいつらの動きを押さえる。そうしたら、とどめはファフリに頼んでもいい……?」

 躊躇いがちに言ったトワリスに、ファフリは、少し暗い表情を浮かべて、頷いた。

「ええ、燃やすくらいなら、私にもできるから……やるわ」

 それだけ答えて、ゆっくりと坑道の方に振り返る。
カイムは、まるでこの奥に進めと言っているようだったが、奇病の原因があるであろうこの坑道の奥には、ユーリッドの言う通り、きっと病を発症した生物たちが沢山いるのだろう。

 痛々しくぼろぼろの身体で、無理矢理生き続けているような彼らを見るのは、とても嫌だった。
あのおぞましい姿の生物たちが、牙を剥いて襲い掛かってくるのは、すごく恐ろしいのだ。

 そこまで考えて、ファフリは、きゅっと唇を噛んだ。

(……ううん、違う。怖いんじゃない、見たくないんだ……)

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.163 )
日時: 2016/05/11 01:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: VXkkD50w)


 あんな生物が、なぜ産まれてしまったのだろう。
奇病が南大陸全土に広がってしまう前に、どうして食い止められなかったのだろう。
どれもこれも、王族が──召喚師一族がするべき、大切なことなのに。

(なんで私は、これまでミストリアは良い国だと、根拠もなく信じられたの……?)

 口の中に血の味が滲んだところで、ファフリははっと我に返って、唇から歯を離した。
そして、ユーリッドとトワリスの方に振り返ると、静かに言った。

「……もう進みましょう。一刻も早く、奇病の原因を突き止めないと……」

 苦しそうな表情で言ったファフリに、ユーリッドとトワリスは、少し驚いたように顔をあげた。

「ファフリ、どうしたんだ?」

 心配したユーリッドが、声をかける。
それに対して、大丈夫だという意味を込めて首を振ると、ファフリは真剣な表情で言った。

「お父様が、どういう理由で動かないのかは分からないわ。でも私は、たとえ出来損ないでも、役立たずでも、ミストリアがこの奇病に冒されていくのを、指をくわえて見ているだけじゃいけない立場にいると思うの。奇病にかかった生物たちは……正直、見たくない。でも、彼らがこんな姿になってしまった原因を、私は確かめないといけない気がする。見たくなくても、現実をしっかりと見て……そして、受け止めなきゃ。だって私は、次期召喚師だから」

 ファフリの瞳の光は、強く、真っ直ぐだった。

 トワリスは、そんなファフリを見つめて、力強く頷いた。

「そうしよう、出来れば私も、早く進みたいし。ユーリッドも、それでいいだろう?」

「……ああ」

 ユーリッドは首肯したが、どこか腑に落ちない様子で、ファフリを眺めた。

(次期召喚師だから、って……。でもファフリ、お妃様は……)

 一瞬、何かを言いそうになって、ユーリッドは口を閉じた。

 三人は、準備を整えると、坑道の闇の中へ足を踏み入れた。
 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.164 )
日時: 2016/05/13 14:48
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1866/WgC)

 入り口から差し込む光が見えなくなるまで、三人は、坑道の中を黙々と歩き続けた。

 坑道は、木製の支柱で支えられているようだったが、内部の湿気のせいか、支柱の腐食は激しく、いつ落盤が起きてもおかしくない状態である。
また、岩壁には、所々松明をかける金具が設置されていたが、もうそこには、湿気った古い燃えさしが引っ掛かっているだけであった。

 松明を灯したほうが良いだろうか、と考え始めた頃だった。
前方に、何か光が見え始め、三人は立ち止まった。
一瞬、外に出る道を進んでしまったのだろうかと不安になったのだ。

 しかし、再び歩き始めたところで、その光の正体が分かった。
行った先の坑道の岩壁が、きらきらと輝いていたのである。

「これ、ハイドットの岩壁だ……」

 息を飲んで、ユーリッドが言った。
そこは、岩壁全体がハイドットの結晶で出来ていたのだ。

 ハイドットで出来た坑道は、まるで満天の星空に囲まれた回廊のようだった。
上下左右、全方向から光に照らされ、もちろん松明など不要であったし、ハイドットの岩壁同士が風景を反射し合っていたので、まるで映し鏡の世界に迷いこんでしまった気分になる。
だが、その輝きの向こうは、ハイドットの漆黒がどこまでも続く、闇の空間が遠く広がっているようにも見えた。

 その不思議な回廊を更に進んでいくと、自分たちの足音以外に、どこからか水音が聞こえてきた。

「ここ、すごく狭くなってるから気を付けて」

 先頭にいたユーリッドが、声をかける。
言われて前方を見やると、確かに、ユーリッドが潜(くぐ)ろうとしている穴は、立ったままではとても通れそうになかった。

 精一杯身を屈めて、ユーリッドに続きファフリ、トワリスと、なんとかその穴を潜り抜けると、三人の目の前に広がっていたのは、大きな川だった。
黒々と輝くハイドットの岩壁を削って、穏やかに川が流れているのである。

 それを見た途端、トワリスがさっと前に出て、川の下流に向かって駆け出した。
少し走ると、川が続いているずっと先に、光の点が見える。
ハイドットの光ではない、外へと通ずる光だ。

「この川……いや、排水は、やっぱり外に繋がってるんだ」

 低い声で、トワリスはぽつりと言った。

 ユーリッドたちは、トワリスに追い付くと、同じように外への光を見て、それから排水を見た。
そして、あることに気づき、ユーリッドが怯えた声で言った。

「この水……真っ黒だ……」

 ユーリッドと同じように水面を覗いて、ファフリも背筋が寒くなった。
てっきり、水底のハイドットの漆黒が反映されているだけだと思っていたのだが、そうではない。
この排水は、水自体が、まるで漆のように黒かったのである。

 同時に、既視感を覚えて、ファフリは口を開いた。

「私、この水に見覚えがあるわ」

 トワリスとユーリッドの視線が、ファフリに向く。

「夢の中で、何度も見たの。この真っ黒の水に、沢山の顔が浮かんで、苦しい苦しいって叫ぶのよ。……きっと、カイムはずっと、これのことを言っていたんだわ。私に、この真っ黒な排水が外に流れ出て、川や海や渓流を汚染してるんだって、そう伝えたかったのよ」

 ファフリの言葉に、トワリスは苦しげに息を吐いた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.165 )
日時: 2016/05/14 07:07
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1866/WgC)

「……私たちの予想通りだった、ってことだね。ロージアン鉱山では、ハイドットの精錬で出た廃液をそのまま地下水として流していた。それで、その廃液は南大陸を中心とした河川に広がり、それを飲んだ生物たちは皆、奇病にかかったんだ。
これは調べてみないと分からないけど、ハイドットには、神経毒か何かがあるのかもしれない。廃液を体内に取り込んだ者は脳や神経が麻痺して痛みを感じなくなり、かつ、魔力を吸収する性質を持つこの石の成分は、きっと生体に入り込んで尚、魔力を求め続けるんだ」

「じゃあ、やっぱりリーワースが生えてるあの川縁で見つけた黒い物質も、何もかも、ハイドットの廃液が原因だったんだな」

「……ああ」

 トワリスは、返事をしながら、煩わしそうに前髪を掻き上げると、腰に引っ掛けていた荷から細長い小瓶を取り出して、触れないようにしながら排水を少量汲み取った。
サーフェリアに持ち帰るためだ。

 しかし、その瞬間、トワリスの身体が不自然に揺らぎ、そのまま排水の流れる方へ、前のめりになった。
ユーリッドは、トワリスの様子がおかしいことに気づくと、咄嗟に、排水に落ちかけた彼女の身体を抱える。
すると、排水に近づいたのと同時に、これまでとは比べ物にならないくらいのきつい刺激臭が、鼻をついた。
廃液の臭いを吸い込んだのだ。

「──っ!」

 ユーリッドは、慌てて息を止めると、トワリスごとその場から離れ、そのまま二人で、岩壁に寄りかかるようにして倒れこんだ。

 トワリスは、口元を押さえて、咳をしながらその場にうずくまる。
ユーリッドは、寄りかかった状態からなんとか立ち上がろうとしたが、視界がぐらつくほどの強烈な目眩を感じて、思わず岩壁に手をついた。

「二人とも! 大丈夫!?」

 ファフリは、倒れそうになったユーリッドを支えようとしたが、重みに耐えきれず、その身体はどんどん傾いていく。
それでも、倒れこむ前になんとか踏みとどまると、ユーリッドはずるずると背中をこするように岩壁にもたれて、げほげほと咳をした。

「っ、この臭い……毒性が、あるみたいだ……」

 ぐらっと視界が揺れて、目の前が真っ暗になる。

「ユーリッド!」

 ファフリが、焦った様子で何度も名前を呼ぶのが聞こえた。
しかし、答えようにも、喉がはりつくように痛んで、上手く声が出ない。

 ユーリッドの意識は、そのまま眠るように、闇の中に沈んでいった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.166 )
日時: 2016/05/15 16:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1866/WgC)


 額に、なにか冷たいものが乗せられて、ユーリッドは目を覚ました。
重たい瞼を持ち上げて、ゆっくりと目を開けると、心配そうにこちらを覗きこむファフリと視線が合う。

「ユーリッド! よかった、気がついたのね……!」

 ファフリは、僅かに目尻に溜まっていた涙を拭いながら、ほっとした様子で胸を撫で下ろした。

「ファフリ……あれ、俺どうしたんだっけ?」

 ユーリッドは、未だにずきずきと痛む頭を押さえながら、上体を起こして言った。
すると、ぽとりと額から濡れた手拭いが落ちる。
どうやら、先程の冷たい感覚は、ファフリが水筒の水で濡らしたこの手拭いだったらしい。

 ファフリは、微かに涙声になりながら、答えた。

「さっき、廃液の毒素を吸い込んじゃったみたいで、気絶してたのよ。本当によかった……ユーリッドもトワリスも、もしこのまま目が覚めなかったら、どうしようかと……」

 言われて視線をあげると、ファフリのすぐ後ろには、同じく先程まで気絶していたであろう、トワリスの姿があった。

 トワリスは、採取した廃液の小瓶を荷にしまうと、緩慢な動きで立ち上がって、ユーリッドの方に行った。

「ごめん、ユーリッド。私のせいで……立てる?」

 そう言って、手を差し出す。
ユーリッドは、落ちた手拭いを拾ってから、トワリスの手を握ると、引き起こされる形で立ち上がった。

「いや、大丈夫だ。廃液の中に落ちなくて良かったよ。ファフリも、手拭いありがとう」

 ファフリは、手拭いを受け取ると、まだ不安げな面持ちでユーリッドとトワリスを交互に見た。

「二人とも、まだ休んでいた方がいいわ……。顔が真っ青だもの」

 トワリスは、小さく首を左右に振った。

「いや、こんなところで休んでたら、余計に毒気に当てられそうだ。さっさとやることを済ませて、鉱山から出た方がいい」

「でも、もう奇病の原因は分かったわ。これ以上、何を調べるの?」

「……証拠がほしいんだよ、ここで、廃液をそのまま流していたという証拠が。なにか、鉱山での記録みたいなものがあればいいんだけど……」

 少し掠れた声で言ったトワリスに、ユーリッドは、上流のほうをちらりと見た。

「記録があるかは分からないけど、この鉱山のどこかに、鉱夫たちが寝泊まりしていた場所があるはずだ。もし資料や何かがあるんだとしたら、そこじゃないか?」

 トワリスも、ユーリッドの視線を辿って上流のほうを見ながら、頷いた。
この排水の川にたどり着くまでは一本道で、他に道などなかったから、鉱夫たちの生活圏は、この上流にあるのだろう。

 三人は、黒い排水の上方に向かって、再び固い岩の上を歩き始めた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.167 )
日時: 2016/05/19 08:22
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sE.KM5jw)

 上流に向かって進んでいくと、さほど歩かぬ内に、道が二手に別れたところへと出た。
一方はそのまま川に沿った道で、もう一方は、川から外れた道である。

 三人は、地下水に棄てることで廃液の処理を行っているとしたら、川に沿った道の先には精錬場があるのだろうと予想して、外れた方の道を進んだ。
すると、程無くして、完全に獣人(ひと)の手が入っているであろう、舗装された細長い通路に出た。

 通路は、もうハイドットの岩壁などはなく、光源が一切ないため真っ暗であった。
流石にこのまま進むのは危ないと、三人は、木棒に脂を含ませた布を巻いて、松明を二つ用意すると、ユーリッドとトワリスでそれを掲げながら、一歩ずつ注意深く進んでいく。
奇病にかかった生物どころか、自分達以外、なんの気配も感じないこの静けさが、妙に薄気味悪かった。

 しばらく進むと、今度は両側の壁に沢山の扉が並ぶ、広場のようなところに出た。
扉の上部につけられた金属板には、それぞれ違う番号が書かれている。
おそらく、部屋番号か何かだろう。

「予想的中だな。多分、ここは鉱夫たちが過ごしてた部屋ってとこだろう」

「そうだね。探ってみよう、何か見つかるかもしれない」

 そうして、どの部屋に入ろうかと周囲を見回すと、不意に、ファフリが口を開いた。

「ねえ、あの扉だけ、他のものより少し大きいわ」

 ファフリが指差した、左側の一番奥にある扉は、確かに他の扉に比べ、大きく頑丈そうであった。
しかも、その扉だけ取っ手がついていないところを見ると、おそらく引き戸になっているのだろう。

 三人で近づいてみて、扉の金属板を見てみるが、錆と汚れで何が書かれているのかは分からない。
だが、通常より大きく、横に長いその金属板には、おそらく部屋番号以外のものが書かれていたのだろうということが伺えた。

 トワリスは、ユーリッドとファフリに少し離れるように言うと、扉の脇の壁に背を当て、そっと剣を抜いてから、素早く扉を引いた。

 すると、埃と共にむわっと強烈な腐敗臭が漏れ出してきて、三人は思わず手で鼻と口を覆った。

(死体の臭い……)

 トワリスはそう確信すると、眉をしかめて、ユーリッドたちのほうを見た。

「……手分けをしよう。この部屋は私が探るから、二人は別の部屋をお願い」

 トワリスの言葉に、何かを察したようで、ユーリッドはこくりと頷いた。

「ああ、分かった。じゃあ俺たちは、鉱夫たちの部屋に何かないか探すからな」

 そう言って、ユーリッドたちは向かいの部屋へと入っていく。
それを見届けると、トワリスは、用心しながら引き戸の先に、足を踏み入れた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.168 )
日時: 2016/10/17 01:46
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 部屋の中は埃がひどく、決して綺麗とは言えない状態であったが、案外、物は整頓されていた。
床には、ハイドットの鉱石や剣の入った大袋が並べて置いてあり、壁に設置された本棚には、ぎっしりと書類や本が詰められている。

 荒らされた様子がないことや、ハイドットが持ち出されていないことなどから、南大陸に渡った商人たちは、おそらくこの部屋には訪れていないのだろう。

 本棚を漁ると、そこにあったほとんどの書類は、ハイドットの武具の発注や輸送、あるいは鉱夫の名簿、生産数の記録に関するものなどであった。

 他には、鉱山の全体図などもあったが、トワリスが求めているような、廃液の処理方法についての記述は見当たらない。

 全体図を見るに、やはりあの排水の川の先には精錬場が位置しているようで、そのことからも、廃液をあの川にそのまま流していることは明らかだ。
この全体図と、採取した廃液、それからハイドットなどを持ち帰れば、証拠はもう十分と言えるのだが、それをいざサーフェリアの国王に報告するとなると、必ず教会が立ちはだかってくるだろう。

 とにかく召喚師側の輩(やから)を排斥したい、あの教会のことだ。
何かしら文句をつけてくるに決まっている。
それならば、もっと確実で決定的な証拠が、あるに越したことはない。

(……精錬場は川の先。採掘場は、ここから少し行った洞窟か……)

 ちょうど、ハイドットの岩壁があった坑道と、この鉱夫たちの生活圏の間の位置に採掘場があることを確認すると、トワリスは、全体図を自分の荷にしまった。

 それから、今度は床にある袋を漁って、ハイドットの短剣と、その欠片を一つずつ取ると、それらも荷に加える。
すると、そのとき、袋と本棚の隙間から、なにかがどしゃりと崩れて、倒れてきた。

(…………)

 床に溜まった埃を巻き上げて、倒れてきたのは、この腐敗臭の発生源──獣人の死体だった。
室内に放置されていたせいか、白骨化はしていないが、膨張なども見られないため、ガスや体液は完全に抜けきっているようだ。
死んでからかなり経っているように見えた。

(……臭いがするってことは、奇病にかかっていたわけじゃないのか……)

 ふと、トルアノのシュテンのことを思い出して、顔をしかめる。
奇病にかかると、どんなに大怪我を負っていても生き続けるようだし、あのハイドットの刺激臭には虫も寄ってこないのか、シュテンは臭いはおろか、患部に虫が涌いてすらいなかった。
つまり、この死体は、奇病にはかかっていなかったということだ。

 何故こんなところで亡くなったのかは分からないが、何かに襲われたと考えるのが妥当だろう。
本棚の側に転がっていた、壊れた魔力灯をちらりと見て、トワリスはそう思った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.169 )
日時: 2016/05/24 19:35
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sjVsaouH)


 もうこれ以上この部屋を調べていても仕方がないと、引き戸から出ると、ちょうど、ユーリッドたちも向かいの部屋から出てくるところであった。

「トワリス、なにか見つかったか?」

 トワリスは、どこか疲れた様子で首を振った。

「いや、倉庫みたいなところではあったけど、大したものは見つからなかったよ。この鉱山の地図くらいかな」

 そう言うと、ユーリッドとファフリが顔を合わせて、こちらに寄ってきた。

「……じゃあ、これ。正式な記録とかじゃないから、役に立つか分からないけど……」

 ユーリッドがトワリスの目の前に差し出したのは、黒い革表紙の小さな冊子だった。
受け取って、裏を見てみると、そこには『タラン』と書かれている。

「これ……手記……?」

 問いかけると、ファフリが小さく頷いた。

「向かいの部屋で見つけたの。タランさんっていう獣人が、書いてたんじゃないかしら」

 トワリスは、手記に松明の光を近づけると、一つ頁をめくった。
そこには、闊達な文字で、こう記されていた。

──ミストリア歴、九三五年。
ロージアン鉱山にて。

 トワリスは、微かに顔をあげると、ユーリッドのほうを見た。

「今、何年だっけ?」

「えっと……九六三年だから、その手記が書かれたのは、二十八年前ってことになるな」

「二十八年……」

 それだけ聞くと、トワリスは、更に次の頁をめくった。

 紙は黄ばんで、ばりばりとしており、中にはくっついてめくれない頁もあるようだったが、ほとんどの頁は読めそうだ。
文字のインクも、所々滲んでいるが、解読不能というほどではない。

 トワリスは、静かな声で、手記を読み始めた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.170 )
日時: 2016/05/27 18:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 69bzu.rx)


━━━━━━━━

ミストリア歴、九三五年。
ロージアン鉱山にて。

ハイドットの発見により、国中が歓喜している。
その生産・精錬に携われること、私は一国民として、誇りに思う。

八月三日
ハイドットの剣は、噂に違わぬ素晴らしい一振りとなる。
しかし、精錬した際に出る廃液の臭いが原因で、今日、一人倒れた。
廃液は、強烈な臭いを発する。
すぐに排水として流さねばならない。

八月十二日
今日も二人倒れた。
私も、左手の皮膚が、溶けるように痛む。
医術師に診てもらったが、原因が分からない。

九月二十日
ソルムが倒れた。
倒れた者は皆、声をかけても反応がない。
私の左腕も、動かなくなった。
何かがおかしい。

九月二十九日──休暇
スレインと共に、鉱山の外に出た。
黒い排水が、川にそのまま流れている。
鉱山内で倒れた者たちと、同じ症状の病が、周辺の村で流行っているらしい。

十月十三日
鉱夫が何名か、奇怪な姿の生物に襲われた。
まるで、魔界から来た化け物のようだった。
この鉱山は、何かが変だ。

十月十四日
鉱山の従業員も、周辺に棲む獣人たちも、謎の病にかかり、次々と倒れている。
彼らは夜になると動きだし、他の獣人を襲う。
外に現れる化け物のような動物たちも、一様に同じだ。
私達は、一度ハイドットの採掘、及び武具の生産を中止させ、このことをミストリア城に伝えた。
病人たちは、やむを得ず動けないように縛って、独房にまとめて閉じ込めた。

十一月十日
城から、ハイドットの生産を続けろとの命令が下った。
召喚師様は、何を考えていらっしゃるのか。

…………

ミストリア歴、九三六年
二月九日
従業員の数が、初期に比べて半分以下になった。
私達は、城からの命令を無視し、鉱山の活動を休止させた。

五月二十日
恐ろしいことが判明した。
ハイドットの精錬の際に出る廃液が、強い毒性を持つことが分かったのだ。
奇病の原因も、おそらくこれだろう。
私達はこのことを、再び召喚師様に伝えるべく、ノーレントに伝令を送った。

六月十八日
ミストリア城から、ついに鉱山の活動停止の命令が下った。
私達は、すぐに撤退の準備を始めた。
なんの疑いも持たず、廃液を地下水として流してしまっていたことが、ひどく悔やまれる。

六月二十一日
信じられないことに、再びハイドットの生産を続けろとの命令が寄越された。
私達が命令に背かぬよう、ミストリア兵団から兵士が見張りとして派遣された。
私達は、生産を続けるしかなかった。

七月三日
兵士たちが、奇病にかかった者たちを、ノーレントへ連れて行った。
奇病の治療法が見つかったとのことだ。
ソルムが、無事に回復して帰ってこられることを祈る。

ミストリア歴、九三七年

奇病にかかった者たちは、まだ帰ってこない。

ミストリア歴、九三八年

一月十一日
スレインが、鉱山を出ていった。
兵士達が彼女を追っている。
どうか無事であってほしい。

ミストリア歴、九三九年

ハイドットの廃液をこのまま垂れ流し続ければ、いずれミストリアは壊れるだろう。
しかし、私達にはどうすることもできない。

ソルムたちは、まだ帰ってきていない。
ミストリア城からの連絡もない。

━━━━━━━━

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.171 )
日時: 2017/08/15 14:22
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 はっきりと読むことが出来るのは、ここまでだった。
そのあとも何か綴られていたが、用紙の劣化が激しくて読めない。

 最後の頁をめくり、トワリスがぱたりと冊子を閉じると、何かがはらりと地面に落ちた。
拾ってみると、それは“スレイン”の文字が入った栞(しおり)であった。

(スレインって……鉱山で働いてたっていう、手記に出てきた女の人……?)

 樹脂を素材とした、掌程の栞。
しかし、その表に描かれている赤い木の葉の模様を見た瞬間、トワリスは、一瞬心臓が止まったのではないかという程の、衝撃を受けた。

「トワリス?」

 だが、目を見開いて硬直したトワリスを覗きこんで、ユーリッドが話しかけてくると、トワリスは、小さく首を振って、そっとその栞を懐にしまいこんだ。
そして、もう一度手記を開くと、その文面をじっと見ながら言った。

「……ありがとう、二人とも。これで十分、証拠になるよ」

「そうか、よかったよ。まだ何か探すか?」

「……ううん。少し休憩したら、もうここを出よう。こんなところに長時間いるのは、危険だ」

 トワリスの言葉に、ユーリッドとファフリは頷いた。

 本当は、もう少し手記の内容に触れたかったのだが、そうしなかったのは、ファフリの顔色が真っ青だったからである。
手記の記述からして、ハイドットの廃液の危険性を知って尚、生産を続けさせていたのは、やはり召喚師のようだ。
ファフリは、その現実が受け止めきれてないのかもしれない。

 それに、この手記とこれまでの証拠さえあれば、廃液の流出が奇病の原因だということは、はっきりと証明できる。
他にほしい情報といえば、なぜ奇病にかかった獣人達がサーフェリアに襲来したのか、ということだが、それに関しては、ロージアン鉱山を探っても分からないことだろう。
なぜなら、手記にはそのことが記述されていない、すなわち、鉱夫たちは何も知らないということだからである。

──兵士たちが、奇病にかかった者たちを、ノーレントへ連れて行った。
奇病の治療法が見つかったとのことだ。
ソルムが、無事に回復して帰ってこられることを祈る。

──奇病にかかった者たちは、まだ帰ってこない。

 ミストリアには移動陣というものが存在しないようだから、仮に自力で海を渡ってサーフェリアに来たとして、それでも、船の手配等を考えると、民衆の力だけで渡ったとは考えづらい。
まして、思考力などないであろう、奇病にかかった獣人たちなら、尚更だ。

 とすると、やはり何か組織的な力が動いているとするのが妥当であり、タランの手記に記されている、『ノーレントに連れていかれた病人たち』が、サーフェリアに送られたという可能性が高い。
治療をするためにノーレントに行った、とは書いてあるが、帰って来ない上に、城から連絡すらないというのは、どう考えても不自然だからである。

 おそらく、召喚師の命令かなにかで、兵士たちは、治療をするからとロージアン鉱山の鉱夫たちに嘘を言い、奇病にかかった者たちを拐(さら)ったのだろう。
そして、魔力を持つ者を狙うという彼らの性質を利用して、ルーフェンや魔術師たちを襲わせるため、サーフェリアに送った。

 つまり、ロージアン鉱山で働いていた者たちは、奇病にかかった獣人達がどうなったのかを、一切知らない。
知っているのは、召喚師や当時この鉱山に派遣されていた兵士くらいのはずである。
だから、これ以上、この鉱山を探っても、何も有力な情報は出ないだろう。

 これまでの旅で、もうトワリスの任務はほとんど遂行できたようなものだ。
奇病の原因は分かったし、襲来の理由も、先程の推測で間違いないように思える。
あくまで推測でしかないだろう、と言われてしまえばそこまでだが、逆に言えば、それ以外にミストリアがサーフェリアに獣人を送る理由など、ないのだから。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.172 )
日時: 2016/06/03 18:36
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: kct9F1dw)



 トワリスは、ユーリッドとファフリが、休憩すべく床に腰を下ろしたのを確認すると、こっそりと荷の中から一枚の紙を取り出した。
これだけは無くすまいと、丈夫な革の袋に入れていたものだ。

 目一杯広げたとしても、大きめの本の表紙程度しかないこの紙には、サーフェリアへと通ずる移動陣が描かれている。
一度しか使えない、特殊な移動陣だ。

 移動陣は、特別に魔力が集中しやすい場を選んで敷くもので、本来は、こんな紙に描いて持ち歩けるようなものではない。
ただ、移動陣とは元々サーフェリアの召喚師一族が生み出した魔術のようで、ルーフェンは度々応用的に発展した移動陣を使っているから、今回は特例ということで、彼が作ったものをトワリスが持っているのだ。

 海を渡らずにミストリアに来られたのも、サーフェリアに帰れるのも、こうした移動陣の特殊な使い方をしたからこそ成せた技である。

(これを使えば、サーフェリアに帰れる。帰ろうと思えば……私、もう帰れるんだ……)

 そう思うと、ずっと胸の中にあった底知れぬ不安が、一気に取り払われたような気がした。
しかし、どうしても、喜ぶ気分にはなれない。
ずっとずっと、サーフェリアに帰りたいと思っていたのに、まだ一つだけ、気掛かりなことがあった。

(もし、私がこの場からいなくなったら……)

 トワリスは、釈然としない表情で、ユーリッドとファフリのほうを見つめた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.173 )
日時: 2016/06/04 23:23
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: kct9F1dw)

 今が朝なのか、それとも夜なのか。
日の光が届かない鉱山の中では、現在の時刻など分からなかった。
しかし、鉱山に入ってから、もう一日は経過しているだろう。
流石に、これ以上歩き続けるのは得策ではないと、三人はしばらくの間、扉が並ぶ広場で休んでいた。

 休むといっても、長時間強烈な悪臭に曝されているせいで、食事など喉を通りそうもなかったし、まして、くつろごうという気分でもない。
あくまで足を休ませるだけ、という感じであった。

 憔悴したような表情で、ずっと黙りこんでいるファフリを見ながら、ユーリッドが言った。

「……眠れそうなら、寝てもいいんだぞ。奇病にかかった生物も、思いの外いないみたいだし……襲われる心配もなさそうだから」

 ファフリは小さく微笑み、大丈夫だと告げたが、その表情はやはり疲労しきっているようであった。

 トワリスは、周りを見回して、ユーリッドたちのほうに視線をやった。

「そういえば、確かに奇病にかかった奴等がいないね。もっといるかと思ったんだけど……」

「ああ、俺もそう思ってたんだ。気味悪いくらい静かだし……まあ、このまま無事に鉱山を抜けるまで、出てこなくていいんだけどさ」

「……そうだね」

 ぼんやりと返事をして、トワリスは目を伏せる。

(このあと、鉱山を抜けたら……)

 トワリスは、再び目線をあげて、ユーリッドとファフリを見つめると、静かな声で尋ねた。

「……ファフリたちは、鉱山を抜けたらどうするの?」

 二人の顔が、一瞬不安げに歪む。
答えが返ってこない内に、トワリスは再び口を開いた。

「……私は、目的通り任務をこなせたから、故郷に帰ろうと思うんだ」

「…………」

 つかの間、三人の間に、重い沈黙が流れる。
しかし、すぐにユーリッドは笑顔になると、答えた。

「そっか。……ここまでありがとう、トワリス。俺たちは……まあ、南大陸でなんとかやっていくよ。なんだかんだ言って、俺たちの身の上じゃあ、南大陸のほうが安全だと思うしな」

 ユーリッドの明るい表情がひどく痛々しくて、トワリスは、なんと言葉をかけて良いか分からなかった。

 黙っているわけにもいかないが、妙な慰めをするのも気が引ける。
いくらユーリッドとファフリが放っておけないからといって、トワリスは、ミストリアに残るわけにはいかないのだ。

(もう、何もできないだろう……私には……)

 そう自分に言い聞かせて、唇を噛む。

 仮に、自分がミストリアに残ったとしても、南大陸にいることを追っ手に把握されている以上、いつかはまた兵団に襲われることになるだろう。
それ以前に、このまま奇病が広がっていけば、南大陸自体が崩壊するかもしれない。
そうなれば、トワリスにだってどうしようもできないのだ。

 ミストリアには、もうこの子達の居場所はない。

(……じゃあ、サーフェリアは……?)

 そんな考えが、一瞬頭に浮かんで、トワリスは慌てて振り払った。

 サーフェリアに一緒に行こうだなんて、言ってどうするというのか。
サーフェリアには今、獣人を怨む者たちが大勢いる。
そんな人間の国に連れて行ったって、結局ユーリッドのファフリの居場所なんてない。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.174 )
日時: 2016/06/09 16:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 393aRbky)


 押し黙ったトワリスが、何かを言う前に、不意に、ファフリが口を開いた。

「鉱山を抜けたら……私、ミストリア城に戻るわ」

 思いがけない言葉に、トワリスとユーリッドが瞠目する。

「……は……? ファフリ、何言ってるんだ……?」

「ミストリア城に戻るのよ。戻って、この奇病のことを……ロージアン鉱山のことを、お父様にお伝えするわ」

 目を見開いたまま唖然としているユーリッドに、ファフリは、真剣な顔つきで続けた。

「タランさんの手記を読む限り……廃液のことを報告されていたにも拘わらず、鉱山の活動を続けろと命令したのは、ミストリア城──つまり、お父様だわ。でも、私やっぱり、どうしてもお父様がそんなことするとは思えないの。きっと、何か理由があったのよ。だから、私が直接お父様に、ちゃんと伝わるように、言いに行く」

 ユーリッドは、少し青ざめた顔で、ファフリのことを見つめていた。
しかし、やがて何かが切れたようにばっと立ち上がると、声を荒らげた。

「なに馬鹿なこと言ってるんだよ! そんなことしたら、会った瞬間に殺されるに決まってるだろ!」

 ファフリが、びくっと肩を揺らす。
しかしファフリは、ユーリッドと同じように立ち上がると、強い口調で言い返した。

「じゃあユーリッドは、この現状を放っておけって言うの!? いつ廃鉱になったのかは分からないけど、何年もこの廃液を川に流し続けて……これじゃあ、川を塞き止めでもしない限り、ハイドットの廃液はミストリア中にどんどん広がっていくわ。皆が奇病で苦しんでるのに、それを黙って見過ごすなんて、しちゃいけない! 私は次期召喚師なのよ!」

「……っ、次期召喚師、次期召喚師って……!」

 ユーリッドが、ぐっと拳を握って、ファフリを見つめる。
そして、激情をおさめるために、一度息を吸うと、ユーリッドは低い声で言った。

「……ファフリは、召喚師になりたいのかよ……」

「え……?」

 ファフリが、心細げに瞬きをする。

「……この間から、次期召喚師だから、次期召喚師だからって言ってるけど……もし、ファフリが召喚師一族だから民を助けなきゃっていう使命感で、そんなことを言ってるなら、俺はやっぱり賛成できない。召喚師だとか召喚師じゃないとか、そんなの、どうだっていいじゃないか。俺もアドラさんも、ファフリが次期召喚師だから、一緒に着いてきたわけじゃないんだぞ……? ファフリに、生きて幸せになってほしいから、着いてきたんだ」

「…………」

「もちろん、召喚師っていう役割は、やめたいからやめられるってほど甘いもんじゃないって、俺も分かってる。だけど、それでも! そんな召喚師の柵(しがらみ)から解放されてほしいって……普通の民として幸せを見つけてほしいって、お妃様はそう願ったから、ファフリを城の外に逃がしたんだ! ……俺やアドラさんだって、そう思ってるよ。ファフリが笑って、楽しく過ごせる未来があるなら……それを実現させたいって思うから、ここまで戦ってきたんだ!」

 ファフリは、なにも答えない。
ユーリッドは、悲痛そうな表情を浮かべて、更に言い募った。

「ファフリが……奇病のことを見過ごせないって言う気持ちも、確かに分かるよ。でも、俺たちがミストリア城に行ったって、殺されるだけだ。……殺されに行くなんて、俺は絶対認めない」

 最後にそれだけ言って、ユーリッドは再び座りこんだ。
ファフリは、涙を堪えたような表情で、黙ったまま俯いている。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.175 )
日時: 2021/04/15 16:14
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: WZc7rJV3)

 その時だった。
突然、地面が激しく揺れ始めて、石床がべこりと沈んだ。

「地震……!?」

 立っていられなくなって、体勢を崩したファフリを受け止めると、ユーリッドが叫ぶ。
そして、揺れが止まった、と思った刹那、砕け散った石床の破片が飛んだと思うと、地面から、巨大なモグラのような生物が現れた。

「────!」

 それは、モグラのようではあるが、体表は溶け出した蝋のように皮膚が剥き出しており、前肢に備わった爪は、異常なほど長く、鋭く尖っている。
こんな生物は、見たことがない。

「なっ、これも奇病にかかってるのか……!?」

「でも、魔力なんて使ってないだろ!」

 焦ったように、ユーリッドとトワリスが言う。
その横で、ファフリは、この広場から更に奥へと続く通路を見つめると、はっと息を飲んだ。
通路の向こうに、ファフリともトワリスとも違う、けれど、かつて感じたことのある別の魔力を感じたからだ。

「とにかく逃げるぞ!」

 ユーリッドの掛け声と共に、三人は通路の奥に向かって駆け出した。

 化物は、足先の爪で地面を破壊しながら、凄まじい勢いで突進してくる。
いずれ追い付かれてしまうことは目に見えていたが、隠れる場所などない通路では、とにかく走るしかなかった。

 やがて、化物がすぐ後ろに迫ってきたことを悟ると、トワリスは振り返って、持っていた松明を投げつけ、一気にそれを魔力で爆発させた。
しかし、炎の勢いが足りず、化物の体表には着火しない。

 トワリスは、舌打ちして双剣を抜刀すると、自分めがけて降り下ろされた脚の爪を避けるのと同時に、爪が地面にめり込むのを見るや否や、飛び上がって、化物の背に剣を刺した。
それによって、のけぞった化物の背後に回ると、今度は、ユーリッドが後肢に剣を突き立てる。

 ギャアアッという断末魔が響いて、地面がぶるぶると震える。
そして、傷口から緑色の体液を振り撒きながら、化物が動きを止めたとき、トワリスとユーリッドは、再び逃げに徹するべく、化物から距離をとった。

 しかし、次の瞬間。
三人は、全身にぶわっと鳥肌が立つほどの、鋭い殺気を感じた。
これは、化物から発せられているものではない。
戦闘慣れしたトワリスやユーリッドでさえ、動けなくなるほどの殺気だった。

 まるで、心臓を鷲掴みにされたような、そんな恐怖に縛られながらも、咄嗟に、三人は地面に伏せた。
すると、目の前が光った、と思ったときには、爆音が耳をつんざいて、続いて巻き起こった爆風に、三人は吹っ飛ばされた。

 何が起こったのか分からぬまま、緩慢な動きで顔をあげる。
しかし、しばらくは、突如起きた強烈な光と爆音のせいで、目も耳も使い物にならなかった。

 やがて、肌がちりちりと焼けるように痛みだすと、徐々に全身の感覚が戻ってきて、その時、三人はようやく立ち上がることができた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.176 )
日時: 2016/06/12 23:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: noCtoyMf)


「な、んだったんだ……今の……」

 呆然とした様子で立ち尽くして、ユーリッドが言う。
不思議なことに、周囲を見回すと、先ほどの化物がどこにもいなかった。
忽然と、消えてしまったかのようだ。

 トワリスは、ふと、通路の岩壁が完全に崩れ去っていることに気づくと、ゆっくりとそちらに歩いていった。
どうやら、先の爆発で岩壁の一部が消し飛んだらしい。

 崩壊した岩壁の先には、別の広場──洞窟のような空間が広がっていた。
洞窟の壁には、最初に通った坑道と同じように、所々ハイドットの結晶が形成されている。

(ここは……採掘場……?)

 ふと、鉱山の全体図を見たときに、今いる鉱夫たちの生活圏と、ハイドットの岩壁があった坑道の間に、採掘場があったことを、トワリスは思い出した。
壁が崩れたことで、この通路と採掘場が、繋がってしまったのだろう。

 身を乗り出して、採掘場を見回してから、トワリスは、さっと身構えた。
奥の方に、三人の人影が見えたからである。

 一人は、背の低い猫の獣人、もう一人は、長い黒髪を持った中性的な顔の人物、そして、その真ん中に立つ大柄な鳥人の男は、通常では考えられない量の魔力を身に纏っていた。

(もしかして、さっきの爆発は、この鳥人が……?)

 そうだとしか、考えられなかった。
あの爆発は、相当な魔術の使い手でなければ、起こせないものだ。

 そして、ミストリアでこんなにも膨大な魔力を持つ獣人を、トワリスは、ファフリ以外に一人しか知らない。

 嫌な汗が、じっとりとこめかみに流れる。

 鳥人の男は、鳶色の目を細めて、じっとこちらを見た。

「まだ化物の生き残りがいたのかと思えば……何故、お前たちがここにいる」

 地を這うような、低い声。
その瞬間、トワリスと同様に採掘場に脚を踏み入れたファフリとユーリッドが、目を見開いて、身を凍らせた。

「なっ……どうして……!」

 尋常ではない動揺ぶりで、ユーリッドが後ずさる。
それを最後に、男の鳶色の瞳に捕らえられたまま、足がすくんで、なにも考えられなくなった。

 ファフリは、異常なほど震えた手で口元を覆うと、ひどく怯えた声で、言った。

「お父、様……っ」

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.177 )
日時: 2021/02/23 22:41
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)

 ファフリは、瞠目したまま、その場に崩れ落ちた。
まるで、床に全身を縫い付けられてしまったかのように、声も出なかったし、動けなかった。

 このただならぬ威圧感を感じながら、トワリスは、小声でユーリッドに言った。

「お父様って……まさか……」

 ユーリッドは、小刻みに震える拳をぎゅっと握って、答えた。

「あいつが、リークス王──ミストリアの、現召喚師だ……」

 その瞬間、トワリスも、思わず目を見開いて、再びリークスの方へ視線を向けた。
最悪だ、と思った。
召喚師を相手に、敵うはずがない。

 立ち竦んで、動かない三人を見下ろしながら、リークスは一歩、こちらに踏み出した。
その重々しい足音が、三人を縛る緊張に、更なる重圧を与える。

 このままでは、ファフリとユーリッドは、確実に殺される。
リークスは、まだ一言も発していなかったが、身に纏う雰囲気だけで、それが分かった。

 トワリスは、ぐっと唇を噛むと、足に力を込めた。
とにかく、時間を稼がなければ、と思った。
逃げる時間を──。
逃げる手立てを、考える時間を──。

「────っ」

 震える足で床を蹴って、前に出ると、トワリスはリークスの前で跪(ひざまづ)いた。

「……お初にお目文字つかまつります。私、サーフェリアから参りました、トワリスと申します。ご無礼を承知で、ミストリアの国王陛下に、申し上げたいことがございます」

 切迫した声でなんとか言葉を紡ぎだし、顔をあげると、背後で、ユーリッドとファフリがはっと息を飲む音がした。
リークスも、すっと目を細める。

「サーフェリアだと……?」

「──はい」

 額に、冷たい汗が噴き出してくるのを感じながら、トワリスは言った。

 本当は、たとえ任務が失敗に終わったとしても、自分がサーフェリアから来たことを明かすなんて、したくはなかった。
もしリークスが、サーフェリアに敵意を持っていたとしたら、ファフリやユーリッドだけでなく、自分も確実に殺されるからだ。

 しかし、二人を見殺しにすることなど、今更できない。
仮に、自分が見逃されることになったとしても、二人が殺されるくらいなら、可能性は低いが、全員が生き延びる方に賭けてみようと思った。

 すなわち、今、時間を稼いでいる内に、何かしら手立てを考えて、三人全員でこの場から逃げる、という可能性だ。

 それに、ホウルやファフリの話を聞く限りは、このリークスという召喚師は、サーフェリアに攻撃をしかけようという強い意志があるようには思えなかった。
召喚師である以上、国同士の争いなど起こせば、利益よりも犠牲のほうが多いことなど分かっているだろうし、おそらく、彼がこだわるのは、あくまでミストリア内のことだ。
だったら、むしろ素直に事情を話してみれば、なにか聞き出せるかもしれない。
いわば、これは分の悪い賭けだった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.179 )
日時: 2016/06/18 19:41
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: nEqByxTs)



 リークスが、腹に響くような、太い声で問う。

「……そなた、獣人ではないのか」

 必死に頭を回転させながら、トワリスは、はい、と答えた。

「三十年ほど前に、ミストリアから、何名かの獣人が海を渡って、サーフェリアに来たのはご存知でしょうか。私は、その獣人の内の一人と、人間の混血です。故に、生まれも育ちも、サーフェリアなのです」

 無表情でこちらを見下ろすリークスに対し、声が震えるのを自覚しながら、トワリスは続けた。

「今回、私がミストリアに参りましたのは……南大陸における、奇病の感染者のことです。彼らは、半年以上前から、突如としてサーフェリアに現れるようになり、何人もの人間を襲い、殺してきました。これは、サーフェリアの魔力に誘き寄せられた獣人たちが、ただ偶然に海を渡ってきたのか、それとも、ミストリアが故意に、サーフェリアを襲わせるために獣人たちを送り込んだのか……この、真相を、お聞かせ願いたく、馳せ参じた次第でございます」

 トワリスが言い終わると、不意に、リークスが険しく眉を寄せた。
その鋭い目付きに、トワリスは一瞬身構えたが、リークスが視線を向けたのは、すぐ側にいた、気の弱そうな猫の獣人であった。

「キリス」

 その呼び声と共に、リークスの凄絶な眼差しを受けて、キリスは震え上がった。
キリスは、直ぐ様トワリスの前に飛び出し、床に額を擦り付けるように土下座をすると、弱々しい声で言った。

「もっ、申し訳ございません、申し訳ございません……! どうぞ、お許しください……それは、この私、キリスが故意にしでかしたことでございますっ」

 予想外の展開に、トワリスは目を丸くして、キリスを見た。

「全て、私がやったことなのでございます……! 病にかかった獣人たちを舟にくくりつけ、サーフェリアの方角に向けて、海に放ちました。奴等は刺しても斬っても、死にませぬ。故に、我々では手に負えず、海に流せば、ついでにサーフェリアにとって脅威になるのではと……出来心で! もう、誓って、絶対に致しませぬ! ですから、どうか、お許しください……!」

 キリスは、何度も何度も指の短い手を擦り合わせながら、トワリスに頭を下げた。

 彼の言うことが本当なら、つまり、一連の出来事は、リークスの意思ではなく、このキリスという男が水面下で行ったこと、ということになる。

 思わぬことにトワリスが思考を停止させていると、リークスが、力任せに、キリスの頭を踏みつけた。
みしっ、と嫌な音がして、キリスが短く悲鳴をあげる。
リークスは、苦虫を噛み潰したような顔でキリスを見ると、次いで、トワリスに目をやった。

「サーフェリアに、交戦の意思はあるのか」

 トワリスは、慌てて首を振ると、慎重に言葉を選びながら、答えた。

「い、いえ……ミストリアにそのご意志がないのであれば、サーフェリアも、交戦は望みません」

 そう答えると、リークスは一瞬沈黙して、キリスから足をどかした。
そして、トワリスの横に移動すると、言った。

「……ミストリアも、交戦は望まぬ。獣人を送るような真似も、二度とせぬ。……これで良いな」

 その問いかけに対し、トワリスは、大人しく肯定の意を示すしかなかった。
しかし、まだ肝心なことは、何一つ思い付いていない。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.180 )
日時: 2016/06/25 23:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 予想以上に、時間が稼げなかったことに焦って、トワリスが身を起こすと、そのとき既に、リークスの足は、ファフリとユーリッドの方に向かっていた。

 どうにかして、また時間を稼がなければ──。
そう思って、立ち上がると、リークスは、そんなトワリスの心境を察していたかのように、トワリスを眼光鋭く睨み付け、言った。

「──話が済んだのなら、サーフェリアに帰るが良い。私の邪魔をするなら、殺す」

 まるで、全てを見透かすような言葉に、身体が動かなくなる。
それでも、ぐっと唇を噛んで、やむ無く双剣に手をやろうとした、その時だった。
トワリスは、不意に、ぞわっと背筋が泡立ったのを感じた。

 しかし、振り返ったときには、既に遅く。
瞬間、胸から肩にかけて熱い衝撃が走り、同時に、膝が砕けて力が抜けた。

「……っ、かはっ……」

 喉の奥から、鉄の臭いが込み上げてくる。
ごぷり、という嫌な咳と共に、口から鮮やかな血液が滴った。
一瞬、何が起こったのか分からなかったが、胸の内からどんどんと体温が抜けていくのを感じて、トワリスは、すぐに胸部を斬られたのだと悟った。

 自分の名前を叫ぶ、ユーリッドの声がする。
だが、もうそちらを見る力はなかった。

 踏ん張りがきかず、重力のまま地面に倒れ込むと、頭上から、くつくつという笑い声が聞こえてきた。

 黒髪の、男とも女ともつかぬ、中性的な顔が、こちらを覗き込んでくる。
トワリスは、視線だけを動かして、その橙黄の瞳を見つめ返すのが、精一杯であった。

「……親子の対面を邪魔してやるな。出来損ないの娘と、死に損ないの父親、どちらが生き残るのか……見物ではないか」

「……はっ……っ」

 声を出しても、掠れたうめきにしかならない。
トワリスは、とにかく、必死に呼吸を繰り返すことしかできなかった。

 すると、不意に振り返ったリークスが、トワリスたちの方を見た。

「エイリーン殿、あまり手を出さないで頂きたい」

「…………」

 エイリーンは、リークスの言葉に、一瞬不愉快そうに顔を歪めた。
だが、ふと袖を口元に持ってくると、まあ良い、とだけ呟いて、トワリスから離れた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.181 )
日時: 2016/06/26 00:10
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: gKP4noKB)


 ユーリッドは、近づいてきたリークスをきつく睨み付けると、腰の剣に手をやった。
しかし、その手が柄を握る前に、空気の塊のようなものが真横から衝突してきて、ユーリッドは、岩壁まで弾き飛ばされた。

 ハイドットの、硬い結晶が背中にぶち当たって、息が詰まるような衝撃がくる。

 リークスは、激しく咳き込むユーリッドを見ながら、冷たい声で言った。

「……貴様か、ユーリッドとか言う人狼の小僧は。アドラはどうした? 本当に死んだか?」

「…………!」

 ユーリッドの目に、怒りが灯る。
だが、リークスは顔色一つ変えることなく、無感情な声音で続けた。

「愚かな……大人しく私に従っていれば良かったものを。非力な小娘一匹のために、命を捨てるとは……」

 ユーリッドは、ぎりっと奥歯を噛み締めると、憤激に全身が震えるのを感じた。

「……愚かなのは、どっちだ……っ」

 リークスの眉が、ぴくりと動く。
ユーリッドは、今出る精一杯の声を張り上げて、再びリークスを睨み付けた。

「お前は、一国の王である前にファフリの父親だろっ! 娘の命を平気で奪おうとするような屑(くず)に従うくらいなら、死んだほうがましだ──!」

 怒鳴り終えた途端、今度は、真上から空気の圧がのしかかってきて、ユーリッドは地面に崩れ落ちた。
骨格の軋む音が、めきめきと全身から聞こえてくる。

 リークスが、ユーリッドに向けて手をかざすと、その圧はどんどんと重みを増していった。

「やめて──っ!」

 ファフリは、ユーリッドにかざされたリークスの腕にしがみつくと、首を振りながら泣き叫んだ。

「やめてっ、これじゃあユーリッドが死んじゃう! もう、お父様の言う通りにするわ、死ねって言うなら……死ぬから、だから、ユーリッドとトワリスを殺さないで……! お願い……!」

 リークスは、腹立たしげに顔をしかめると、ファフリの頭を殴り付けて、そのまま腕を振り払った。
がんっ、と鈍い音がして、ファフリが地面に叩きつけられる。

 その小さな体を更に蹴り飛ばすと、リークスは、ファフリを見下ろした。

「引っ込んでいろ、お前はあとで殺す」

「…………っ」

 ファフリは、嗚咽を噛み殺して、瞳に凄絶な光を宿した。

 ユーリッドも、トワリスも、もう動けない。
自分が助けなければ、ここで全員死んでしまうだろう。
このまま二人が殺されてしまうところを見るのは──それだけは、絶対に嫌だった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.184 )
日時: 2016/07/01 12:41
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sFi8OMZI)


 ファフリは、再びユーリッドの方を見やったリークスに向かって、唱えた。

「汝、窃盗と悪行を司る地獄の総統よ。
従順として求めに応じ、我が身に宿れ!
──カイム!」

 全身がざわめき、ファフリの周りに光の輪が浮き出る。
そこから、輝く刃がいくつもいくつも噴き上がって、刃は、まばゆい残光の尾を引きながら、閃光のごとくリークス目掛けて飛んでいった。

 地に響く轟音をあげて、土煙が舞い上がる。
ファフリは、その光景を見つめている内に、ふと、自分にはっきりと意識があることに気づいた。
初めて、自分の意思で、召喚術を行使したのだ。

 しかし、次の瞬間。
視界の悪い土煙の中から、大きな手が伸びてきたかと思うと、その手はファフリの首を掴んで、そのまま彼女の身体を持ち上げた。
リークスの手だ。

 首を絞められて、喘ぐように呼吸するファフリを見ながら、リークスは、嘲(あざけ)るように口端を吊り上げた。

「──笑止。ようやく召喚術を使えるようになったと思えば、やはりお前はこの程度か。殺気すら纏えぬ次期召喚師など、ミストリアには必要ない」

「……ぁっ……うっ」

 リークスの手に、更に力が加わる。
朦朧(もうろう)とし始めた意識の中で、それでもファフリは、リークスから視線を外さなかった。

 そんなファフリの眼差しが気に食わなかったのか、リークスは、口元に浮かべていた笑みをふいと消した。

「……いいだろう、殺されたいというなら、まずお前から殺してやる」

(っ、ファフリ……っ!)

 殺気を膨れ上がらせたリークスを見て、ユーリッドは、ぎりぎりと唇を噛んだ。
口の中に、血の味が広がっていく。

 無理矢理立ち上がろうとすると、リークスからの重圧を受けた骨格が悲鳴をあげて、ぼきっと乾いた音がした。
しかし、このまま倒れていては、本当にファフリが殺されてしまう。

 全身に走る激痛に構わず、身を起こそうとしたとき。
視界の端で、倒れていたトワリスが、口を動かした。

 ユーリッドは、はっとしてトワリスに視線をやると、彼女の唇を読み取る。
そして、ぐっと全身に力を込めると、ユーリッドはついに立ち上がり、血を吐き出すように叫びながら、リークスに向かって走り出した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.185 )
日時: 2016/07/02 19:35
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sFi8OMZI)


 脚を動かす度に、骨が軋む音がする。
だが、それ以上の力が、ユーリッドを突き動かした。

 まさか、ユーリッドが起き上がるとは思っていなかったリークスは、背後から凄まじい絶叫が聞こえてきた瞬間、一瞬耳を疑った。
しかし、その叫びは幻聴などではなく──。
思いがけず瞠目し、こちらを振り返ったリークスの顔面に、ユーリッドが突きだした拳が、入った。

「────っっ!」

 よろめいたリークスの手から、ファフリが解放される。
力なく落ちてきた彼女の身体をかき抱くと、ユーリッドはそのまま、トワリスの元に全力疾走した。

 トワリスは、震える手で、腰の革袋から一枚の紙──移動陣が描かれた紙を取り出すと、そこに自分の血を塗りつけた。
そして、ユーリッドとファフリがこちらに飛び込んできた、その瞬間。
渾身の力を込めて、移動陣を、地面にだんっ、と叩きつけた。

 かっと採掘場が光に包まれ、三人の姿が、その場から消える。
ほとんど、一瞬の出来事であった。

 突然のことに、リークスは放心して、しばらくその場から動けなかった。
キリスも、一体何が起こったのか理解できないといった様子で、呆然と立ち尽くしている。

 しかし、やがてエイリーンのくつくつという笑い声が聞こえてくると、二人は、はっと我に返った。

「ほう、奴等、サーフェリアに逃げおったぞ。嬲(なぶ)っておらずに、さっさと殺せば良かったというのに」

 可笑しそうに目を細めて言ったエイリーンに、リークスが、怪訝そうに眉をしかめた。

「……ここから、サーフェリアにだと? どういうことだ」

「移動陣じゃ、お前たちは知らぬであろうな。今の魔力、サーフェリアの小僧が作ったと見える」

「…………」

 リークスは、忌々しげに唇を歪めると、口惜しさに青筋を立てた。
そんな彼の怒りを煽るように、エイリーンは愉しげに言う。

「ふっ、無様よのう。お前はそうして、この国で永遠に燻っておるがよい。サーフェリアには、我が出向いてやろう」

 エイリーンは、そう言い残すと、召喚術の詠唱をして、まるで煙のように姿を消した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.186 )
日時: 2017/08/15 14:40
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 リークスは、怒り心頭といった様子で、先程ユーリッドに殴られた口元を拭った。
そして、エイリーンが消え去った跡を睨むと、続いて、キリスに視線をやった。

 その貫くような視線に、キリスは思わず後ずさったが、すぐさま土下座の体制をとる。

「……二十年前、何故私の命令を無視し、鉱山の活動を再開させたのだ」

「もっ、申し訳ございません……!」

「何故かと問うている、答えよっ!」

「ひぃっ!」

 凄まじい剣幕で怒鳴られて、キリスは縮み上がった。
しかし、答えなければ確実に殺される。

 キリスは、汗や涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、必死になって言葉を紡ぎ出した。

「……ハイドットの、ぶ、武具は、魔力を吸い取ります故、使いようによっては、魔力を、無効化することが出来ます……! で、ですから、人間や精霊族に、我ら獣人族の恐ろしさを知らしめる、格好の武器になると考え、勝手ながら、ハイドットの生産を、再開させたのでございます! 廃液によって、多少の犠牲を払ってでも、ハイドットの生産は、続ける価値があると──全ては、ミストリアの為になると! そう思ってのことなのでございます……!」

 瞬間、頭部に衝撃が走って、キリスはリークスに蹴り飛ばされた。
視界が揺れて、地面に打ち付けた後頭部から、じわじわと温かいものが滲み出てくる。

 身体を丸め、呻(うめ)き声をあげているキリスを睥睨(へいげい)して、リークスは、吐き捨てるように言った。

「もう二度と、私の前に現れるな。目障りだ」

 その言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか。
キリスは、ぴたりと動きを止め、声も出さなくなった。

 そんなことは気にも止めず、リークスは、鉱山から出るべく踵を返す。
すると、ふと立ち眩みがして、少しの間、歩みを止めた。
どうやら、久々に召喚術を行使したため、疲れが出たようだ。

 ファフリがカイムを召喚した際、リークスも、フェニクスを召喚していたのである。
フェニクスは、他の悪魔の力を無効化する能力があるのだ。

 目を閉じて、目眩に耐えていた──と、その時だった。
ずぶりと、肉を裂く音がして、リークスの口から血潮が滴った。
ゆっくりと振り返ってみれば、背後には、倒れていたはずのキリスがいる。

「……あ、貴方様が、悪いのですよ……。私の考えを、分かって下さらないから……」

 こちらの様子を窺うように、キリスが顔を上げる。
その瞳は、狂気を孕んでいた。

「……っき、さま……っ!」

 キリスに激昂の目を向けて、リークスは魔力を高める。
だが、高めれば高めるほど、身体から力を奪われていくように、一向に魔力が集まらない。

 キリスは、瞳孔が開ききった目で、勝ち誇ったように言った。

「無駄ですよ、陛下……。今、貴方様の心の臓を貫いたのは、ハイドットの短剣です……! 魔術も、召喚術も使えません」

 短剣が、勢いよく引き抜かれる。

 リークスは、徐々に視界が朧になっていくのを感じながら、どしゃりと膝をついて、倒れた。

 キリスは、しばらくその様子を、呆然と眺めて震えていた。
その震えが、恐ろしさからくるものなのか、悦びからくるものなのかは、分からなかった。

 しかし、やがて、恐る恐るリークスに近づくと、その頭に、もう一度短剣を突き立てた。
そして、二度とリークスが動かないことを悟ると、ぬらぬらと血に濡れたハイドットの短剣を、目の前にかざした。

「はっ、はは……!」

 自然と、キリスの顔から笑みがこぼれる。

「すごい! すごいぞ……! ハイドットさえあれば、獣人は無敵だ! 召喚師にだって勝てるんだ……!」

 キリスは、勝利の快感に酔いしれ、血まみれになったリークスの頭を蹴りつけると、げらげらと大笑いした。

「リークス王、間違ってるのはお前の方だ! ハイドットの生産を中止? 冗談じゃない、こんな素晴らしいもの、どんなに犠牲を払ったって、手放してなるものか──!」

 ハイドットの短剣を抱き締めて、キリスは満ち足りた気分でいた。
ハイドットさえあれば、自分はもう無敵である。
人間も精霊族も、魔力さえ封じてしまえばこちらの勝ちだ。
召喚師でさえ、脅威にはならない。

 キリスは、堪えきれずに再び笑い声をあげると、リークスの死体を見下ろした。
自分はどうして、こんな愚かな王を恐れていたのだろう。
今となっては、不思議でたまらない。

「ミストリアの新王は、俺だ……!」

 キリスは天を仰ぎ、歓喜に身を任せて、そう叫んだ。


To be continued....