複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.190 )
日時: 2016/07/21 23:30
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ルーフェンの勝ち誇ったような言葉に、男は、悔しそうにぎりぎりと歯を食い縛る。
それを見ながら、からからと笑って、ルーフェンは男の腹にどかりと腰を下ろすと、奪った剣先をその喉元に突きつけた。

「さーて、男を組み伏せる趣味はないけど、一応聞こうか。誰の差し金でここに来た?」

「…………」

 男は、何も答えない。

 ルーフェンは嘆息すると、男の帯や胸元をごそごそと探って、彼の首に紐がかかっているのを見つけると、それを手繰り寄せて引きちぎった。
軽く装飾の施されたその紐の先についていたのは、小指の先程の小さな女神像。

 ルーフェンは、それを掌の上で転がすと、呆れたように笑った。

「へえ……イシュカル神の小像が付いた首飾り、か。随分と洒落たもの着けてるね」

 言いながら、空いている手で乱雑に首飾りを放り投げ、落下してきたところを再び掴みとって見せると、男の目の色が、明らかに変わった。
ルーフェンは、それを見逃さず、続けてその小像を地面に落とし、踏みつけようとすると、目を見開いた男が、ついに口を開いた。

「穢らわしい手でイシュカル様に触れるなっ!」

 ルーフェンは、足を止めると、首飾りを拾い上げて男を見た。

「……やっぱり、イシュカル教徒か」

「黙れ! この、呪われた悪魔使いがっ!」

 男は、荒い息を繰り返しながら、ぎらぎらとした目付きでルーフェンを睨む。

「我々人間は、イシュカル様のご加護の下にあってこそっ、真に平和でいられるのだ! 貴様のような邪悪な殺人鬼は、サーフェリアから消えろ! 我らイシュカル教徒は、正義のために戦う勇士! 召喚師など恐れはせぬ──!」

「…………」

 顔を真っ赤にして、男は喚き散らす。
しかし、ふと表情を消したルーフェンが、ぐっと首筋に刃を押し当てると、男は静かになった。

 ルーフェンは、男の皮膚に僅かに食い込んだ刃を、しばらくじっと見つめていた。
だが、やがて小さく息を吐くと、ゆっくりと突きつけていた剣を退け、男の上からどいた。

「……死にたくなかったら、大人しく帰んな」

 男は、素早く飛び起きると、ルーフェンを警戒したように見つめる。
ルーフェンは、冷めた目で男を見やると、静かな声で言った。

「帰って、君の主に伝えるんだ。下らないことはやめろってね。わかった?」

 それだけ言って、ルーフェンは身を翻す。
男は、険しい表情のまま、その場から動かずにいたが、ルーフェンが完全に背中を向けたのを確認すると、にやりと笑った。
そして、剣帯に吊ってあった暗器を手に取ると、駆け出して背後からルーフェンに襲いかかる。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.191 )
日時: 2016/07/25 22:47
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sNU/fhM0)



 暗器の刃先が、ルーフェンの首をとらえた。
──はずだった。

 しかし、すんでのところで、ずぶりと肉を裂く音がして、男は瞠目した。
ルーフェンが、振り向き様に男の脇腹を横から斬りつけたのだ。

 ルーフェンは、抜いた剣をくるりと回転させて、逆手に持ち変えると、その場で崩れかけた男の頭に、ぐさりと突き刺した。
男は、脳天から血を噴き出すと、そのまま地面の上に倒れた。

「……だから帰れっつったのに、馬鹿だなあ」

 独りごちて、剣を男の側に突き立てる。
そして、ぱんぱんと手を払うと、いつの間にか、岩棚から上がってきていたラッセルとノイを見た。

「……捨て駒といって良いほどの刺客じゃったの。教会も人使いが粗いようじゃ」

 死んだ男の亡骸を覗きながら、ラッセルが言う。
ルーフェンは、眉をあげると、いつもの調子で肩をすくめた。

「まあ、命令されてきたのかは分からないけどね。案外、自分から志願して俺を殺しにきた物好きかも」

「……人気者じゃのう、おぬしは」

「そうそう、モテる男は辛いのよ」

 けらけらと笑っておどけていると、不意に、どこかへ走っていったノイが、何かを大きなものをこちらにぶん投げてきた。
どしゃあっと砂埃をあげて落下してきたのは、最初に、ルーフェンが魔術で吹き飛ばした男の身体である。

 ノイは、ルーフェンとラッセルのほうに戻ってくると、冷静に言った。

「……死んだ奴はともかく、こっちの気絶してる男はどうすればいいの。私達リオット族の土地に、生きた王都の人間を置いていかれても困るわ」

 ルーフェンは、投げられた男の顔をみて、ぽんっと手を打った。

「ああ、忘れてた。どうしようか」

 呑気な声をあげて、ルーフェンが考え込む。
そんな彼を横目に、ラッセルは、手首から先のない棒のような腕で、男の首筋に触れると、ふむ、と頷いた。

「確かに、気絶しているだけで息はあるようじゃの」

「……とりあえず、生きて帰すにしても、この物騒な刃物は没収ね」

 気絶して尚、男によって強く握られていた剣を取り上げると、ノイはその剣を枝切れのように素手でぼきっと真っ二つに折ると、ぽいっと放り投げた。

 それを見て、ルーフェンが囃(はや)すように口笛を吹く。

「相変わらずの怪力ぶりだね、ノイちゃん」

「リオット族なら、これくらい誰でもできるわ。……握手してあげようか?」

「ノイちゃんなら大歓迎……って言いたいところだけど、握りつぶされそうだから遠慮しておくよ」

 そんなルーフェンとノイの軽口を聞きながら、ラッセルはよっこらせと立ち上がると、気絶した男の襟首を、指のある方の左手でひょいと持ち上げた。

「ノイや、ここから北西に、魔導師団の砦の跡地があるじゃろう。この男は、そこに置いてこい。あそこならば、雨風も凌げる。……なに、元々ここまで来た人間じゃ。自力で帰れるじゃろう」

「……そうね。わかった、投げてくる」

「投げんで良い、置いてこい」

 ノイは、ラッセルから、自分よりも二回りほど大きな男を受け取ると、同じように襟首をつかんで、ずるずると引きずっていった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.192 )
日時: 2021/02/04 11:07
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)

 それを見送ると、ラッセルは一つため息をついて、ルーフェンを見上げる。

「……助けてくれと言われたり、死ねと言われたり、召喚師というのもなかなか忙しない職業じゃの」

「はは、全く、その通り」

 ルーフェンははあっと息を吐いて、ぐぐっと伸びをした。

「こっちは変な獣人にまで追いかけ回されてるってのに、これじゃあ身が持たないっての。たまには広ーいふかふかベッドで、大の字になって寝たいもんだね」

「……固い岩の上が嫌なら、このラッセルが膝枕してやるぞ」

「おじいちゃんの膝枕も、充分固いでしょうよ」

 からかうように言って、ルーフェンはラッセルの禿げ頭をぺしぺしと叩いた。
ラッセルは、しばらくされるがままになっていたが、やがて、ふと顔だけルーフェンに向き直ると、穏やかな声で言った。

「……冗談はさておき、おぬし、もう少しここにおるのじゃろう」

 ルーフェンが、頭を叩いていた手を止める。

「んー……どうしよっかな」

「いた方が良い。その獣人というのはよう分からんが、四六時中魔力を放出したままというのは、いくらおぬしでも堪(こた)えよう。その役目、一時的に代わってやるから、もう少しここに残れ。ふかふかベッドはないがな」

 思いの外、真剣な面持ちで告げてきたラッセルに、ルーフェンは黙りこんだ。
そして、小さく笑みを溢すと、何か考え込むようにして、目を伏せる。

 だが、ある時はっと顔をあげると、ルーフェンは、赤くなった西の空を見て、目を見開いた。

「……どうした、今度は」

「いや……」

 窺うように目を細めたラッセルに、ルーフェンは一度口を開きかけ、閉じると、含み笑いをした。

「……移動陣が使われた。国外で」

「国外? あんなもん、サーフェリア以外にもあったのかね?」

 驚いて眉を上げたラッセルに、ルーフェンは頷いた。

「いや……今使われたのは、多分、俺が持たせた方のだ」

 ルーフェンの言葉の意味がわからず、ラッセルは怪訝そうに表情を曇らせた。
だが、端から説明する気はなかったようで、ルーフェンは何も言わずに、外套の頭巾を深く被る。

 ラッセルは、それを見ると、呆れたようにため息をついた。

「なんじゃい、結局王都に戻るんか。折角この老いぼれが、力を貸してやろうと言うたのに」

 そう言って、半目で睨んでやると、ルーフェンはからからと笑った。

「まあまあ、俺がいなくなって寂しいのは分かるけど、そんないじけないでよ」

「やめい、気色悪い」

 鳥肌が立ったと腕をさすりながら、ラッセルはルーフェンを追い払うように、手をしっしっと振る。
ルーフェンは、それに対して、ひどいだの何だのと言いながら、シュベルテへ通ずる移動陣がある方へと、身体を向けた。

「……じゃあ、助かったよ。ノイちゃんたちにもよろしく」

「ああ。ハインツにも顔を出せと伝えておけ」

「はいよー」

 一度だけ振り返って、ルーフェンが返事をする。
ラッセルは、それを見ながら、しばらくしてルーフェンとの距離が開くと、再び声を上げた。

「また、何かあったら来い」

 端的に告げると、ルーフェンは今度は、手をあげて応えた。
肯定したのか否定したのか分からぬ、その曖昧な態度は、彼らしいと言えば彼らしいが、どうにも危なげで心配になる。
しかし、注意したところで、意味はないのだろう。
あの男は、昔から危なっかしい性分なのだ。

 すーっと駆け抜ける乾いた風の音が、崖の底にこだましていく。
ルーフェンは、夕暮れの光の中に、静かに消えていった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.193 )
日時: 2016/07/31 01:39
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: yl9aoDza)

  *  *  *


 雨音を遮るような、凄まじい雷鳴が響いている。
その音で目を覚ますと、ファフリは泥を跳ねあげて、びくりと起きた。

 どれくらい、この大雨の中、自分は眠っていたのだろう。
まるで槍のように降る雨は、ファフリの体温をすっかり奪ってしまっている。

 ここはどこなのか。
時刻はいつなのか。
全く見たことのない景色に、ファフリは、氷のような手を擦り合わせながら、必死になって周囲を見回した。

 すると、周りを囲む森の奥──少し行った先に、石造りの大きな門が見えた。
その門の向こうには、どうやら大きな街が広がっているようだったが、ノーレントではない。
知らない街だった。

 暗雲に覆われた空を見上げるも、この空模様では、今がいつなのか測れない。

 目頭が熱くなって、視界がにじむ。
突然、どこか知らない世界に一人、置いてきぼりにされたような、そんな不安が胸一杯に広がった。

 その時、微かに、誰かが自分を呼ぶ声がした。
振り返ると、うつ伏せに手をついて倒れたトワリスが、確かにファフリの名を呼んでいた。

「トワリス!」

 涙声で叫んで駆け寄ると、トワリスは、か細い声で、途切れ途切れに言った。

「この、先に……煙突の、家が……」

 ファフリは、トワリスの口元に耳を近づけると、凄まじい雨音の中から、彼女の声を聞き分けた。

「この先に、煙突のある家があるの?」

 トワリスが、微かに頷く。
彼女が指していたのは、門がある方ではなく、森の奥だった。

「そこ、に……」

「そこに……? そこに、行けばいいの?」

 ファフリは、震える声で必死に問いかけたが、それっきり、トワリスは気を失ったようで、なにも言わなくなった。

 続いて、ファフリは木の下で倒れているユーリッドを見つけると、慌てて駆け寄った。

「ユーリッド! ユーリッド!」

 ユーリッドは、何度呼び掛けても、ぴくりとも動かない。
手を握っても氷のように冷たかったし、胸に手を当ててみても、自分の手が震えているせいか、呼吸しているのかどうか分からなかった。

 ユーリッドの側に手を突くと、微かに温かい何かが掌に付着して、ファフリは息を飲んだ。
雨水ではない、赤黒いそれは、ユーリッドの腹部の辺りから滲み出している。

 ファフリは、頭が真っ白になって、しゃくりあげながらユーリッドの手をきつく握りこんだ。

「ユーリッド……嫌だよ……。死んじゃ嫌だよ……お願い……」

 叩きつける鋭い雨粒が、ざあざあと唸って、三人の体を貫く。

 ファフリは、しばらくの間、握ったユーリッドの手を額に当てて、祈るように泣いていた。
しかし、やがてゆっくりと立ち上がると、先程のトワリスが指した方へ、嗚咽を漏らしながら走っていった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.194 )
日時: 2016/08/02 21:32
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: vKymDq2V)

  *  *  *


 ぐつぐつと、何かが小気味よく煮える音がする。
同時に、食欲をそそるなんとも良い匂いが鼻孔をくすぐって、ユーリッドは静かに目を開けた。

 視線だけ動かすと、目先にある暖炉に、鍋がかかっていた。
その蓋を持ち上げながら、車椅子に乗った女が、満足そうに頷く。
長い赤毛を二つに結った、見たことのない若い女だった。

「うーん、完璧! マルシェ家特製、トマトとクリームチーズリゾットの完成よ!」

 女は、早口でそう言い、器用に車椅子を操作して大皿を持ってくると、鍋の中身を皿によそった。

「すごい……とっても美味しそう……」

「でしょでしょ? 私、料理の腕だけは誰にも負けない自信あるんだから。ファフリちゃんも、遠慮しないで一杯食べてね」

 そう言って笑う女の横には、よく見ると、ファフリの姿があった。
ファフリは、女の手元を覗きこんで、小さく微笑んでいる。

 ユーリッドは、微かに身じろぎすると、掠れた声を出した。

「ファ、フリ……?」

 その瞬間、はっとして、ファフリが振り返る。
ファフリは、ぼんやりとした様子で目を開くユーリッドを見ると、みるみる目に涙を溜めて、寝台に駆け寄った。

「良かった、ユーリッド……! 目が覚めたのね! 私、私……もしユーリッドが死んじゃったら、どうしようって……!」

 ファフリの濡れた瞳の奥に、安心の色が浮かぶ。
それを見た途端、これまでの記憶がどっと押し寄せてくるのと共に、ユーリッドも、心の底からほっとした。
今、どういう状況で、ここがどこなのかは一切分からなかったが、それでも、自分達はあのリークス王から逃れ、生きているのだという実感がふつふつと湧いてきたのだ。

「ファフリこそ、本当に良かった……無事で……」

 安堵の息を吐き、そう言葉を漏らすと、ファフリはぽろぽろと泣きながら、ユーリッドに抱きついた。
ふわっとファフリの匂いに包まれると、身体の芯が温かくなって、思いがけず、目の前がにじんだ。

「せっ、先生ー! ダナ先生ー! カイルー!」

 ファフリの脇にいた車椅子の女が、唐突に大声を上げる。
すると、部屋の扉が開いて、二人の男が入ってきた。
一人は腰の曲がった老人、もう一人は、まだ十代半ばくらいの少年であった。

「そんなに叫ばなくても聞こえるよ、姉さん。一体何事?」

「ユーリッドくんがね! ユーリッドくんが起きたのよ! ダナ先生、早く診て!」

 興奮した様子で女が言うと、ダナと呼ばれた老人は、摺り足でユーリッドに近づいた。
そして、添え木と共に包帯が巻かれていたユーリッドの腕や腹部を確かめると、滝のように流れる眉毛を持ち上げて、目線を動かした。

「調子はどうだね。腹に違和感はあるかい?」

 そう問われて、ユーリッドは、試しに上体を起こそうとした。
しかし、全身の骨が軋むように痛んで、上体どころか頭さえあげられない。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.195 )
日時: 2016/08/29 15:24
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 身を起こして、心配そうにこちらを見るファフリに一度苦笑してみせると、ユーリッドは、ダナの方に視線をやった。

「全身、痛くて仕方ない……。でも、腹はなんともないみたいです」

 ダナは、その返事を聞くと、ふむ、と頷いて、ユーリッドの腕を触りながら言った。

「折れた骨が内臓に突き刺さってるのではと懸念しておったが、その心配はないようだ。もうあとは、回復に向かうだけだろう。頑丈だのう、ユーリッドくんとやら」

 ユーリッドとファフリは顔を見合わせると、ほっと息をはいた。
その横で、女が盛大に鼻をすする。

「ぅうぅうう……よがっだわね、ファフリぢゃん……!」

「姉さん泣かないでよ、リゾットに鼻水が入るだろ」

 少年が、冷静に突っ込んで、女の手からリゾットの入った皿を取り上げる。
ユーリッドは、ダナを見たあと、今度は女と少年のほうに目をやった。

「あの、助けてくれてありがとうございます。えっと……」

「リリアナよ。リリアナ・マルシェ。こっちは弟のカイルっていうの。気にしないで、困ったときはお互い様よ!」

 赤毛の女──リリアナは、前掛けで涙をごしごしと拭うと、カイルと共にユーリッドの側に寄った。

「ファフリちゃんから、大体の事情は聞いたわ。大変だったのね……。トワリスのお友達だもの、なんだって協力するから、今は安心して、ゆっくり休んでね。追っ手だって、こんなところまでは来やしないわよ」

 追っ手が来ない、という言葉に、ユーリッドは少し目を見開いて、ファフリを見た。
ファフリは、真剣な表情でユーリッドを見つめ返すと、何から説明すべきか迷っている様子で、答えた。

「あのね、ユーリッド……ここは、サーフェリアなの……」

「サー、フェリア……?」

 思いがけない言葉に、ユーリッドは、目に驚愕の色をにじませる。
言われてみれば、確かにリリアナたちには、獣の耳も、鋭い爪も牙も、なにもかもがついていない。

「えっと、じゃあ……貴方たちは、人間……?」

 戸惑った様子のユーリッドに、リリアナは頷いた。

「そうよ、私達は人間。そしてここは、サーフェリアのヘンリ村っていう小さな村よ。一昨日、ユーリッドくんとトワリスが王都の東門近くに倒れているのを、ファフリちゃんがうちまで知らせに来てくれて、村の人たちに手伝ってもらって、ここまで運んできたの。あの日はすごい雨だったし、血の跡とか痕跡は全て流れたみたいだから、心配しないでね」

「…………」

 そこまで聞いてユーリッドは、全ての状況を理解した。
つまり、二日前にトワリスによってサーフェリアに移動した自分達は、リリアナたちに助けられ、今ここにいるというわけだ。

 リークス王に襲われたあのとき、トワリスは、自分は獣人の奇病について調べるために、サーフェリアから来たのだと言っていた。
そして、リークスからファフリを奪取し、トワリスの元に走っていったときに自分は気を失ってしまったから、きっと、あの瞬間に、トワリスの力でサーフェリアに渡ったのだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.196 )
日時: 2017/08/15 14:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ユーリッドは、理解しつつも、未だに信じられないといったような思いで、ふと横の寝台を見た。
首がうまく動かないため、気づかなかったが、すぐ隣には、青白い顔をしたトワリスが横たわっている。

 ファフリは、再び心配そうな顔つきになって、ダナを見た。

「あの、ダナさん。トワリスは……どうなんでしょうか。まだ一度も目を覚ましてないし……」

 ダナは、長い顎髭を撫で付けながら、静かにトワリスの側に行くと、彼女の腹から肩口にかけて巻かれている包帯を見た。

「さてのう、傷は縫ったし、ひどい化膿は見られんから、そろそろ目覚めても良いとは思うんだが……。何分、出血が酷かったから、なんとも言えんなあ。ヘンリ村には、医療に長ける者は多くいるが、皆、現場からは引退した年寄りばっかりじゃ。本当は、設備の整ったシュベルテの診療所に送る方が、良いんだろうが……」

 そうして口ごもったダナの言葉を拾う形で、カイルが口を開いた。

「でもシュベルテになんか連れていったら、トワリスがミストリアから帰ってきたこと、教会にばれるだろ。容態が悪化してるわけじゃないんなら、ひとまずうちでかくまってたほうがいいと思うけど。それに、そこの二人がサーフェリアに来たことだって、トワリス以上に教会に知られたらまずいよな」

 カイルが、ファフリとユーリッドを示す。
リリアナは、会話についていけてないといった様子のユーリッドたちに、穏やかな声で説明した。

「……サーフェリアにはね、一年くらい前から、獣人が次々と渡ってきていて、人間を襲ってたのよ。このあたりの事情は、知ってる?」

 リリアナの問いに、ユーリッドとファフリは神妙な面持ちで頷く。
二人の頭には、トワリスがリークスに話していた内容が蘇っていた。

「そう……なら話は早いわね。それで、サーフェリアにはイシュカル教会っていう勢力があるんだけど。そいつらが、獣人との混血であるトワリスを、ミストリアと通じてサーフェリアを襲わせた売国奴だって騒ぎ立てて、この子を無理矢理ミストリアの調査に向かわせたのよ。サーフェリアに襲来してる、獣人について探れってね。単身他国に送り込むなんて、死ねって言ってるようなものなのに……」

 リリアナは、怒りと悲しみが混ざったような悲痛な表情を浮かべて、横たわるトワリスの髪を撫でた。

(そうか、だからトワリスは、ミストリアで奇病にかかった獣人について調べてたんだな)

 ユーリッドは、そう納得すると、目を伏せた。
その横で、同じように不安げに目を伏せると、ファフリが言った。

「……そんな状況なら、この国の人間たちは皆さん、獣人のことをひどく嫌ってますよね。じゃあ私達、尚更ここにいない方がいいんじゃ……」

 ぽつんと漏れた呟きに、しかし、リリアナはすぐに首を横に振った。

「そんなことないわ!」

 ファフリの手を、リリアナが力強く握る。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.197 )
日時: 2016/08/12 17:43
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: A4fkHVpn)



「だって二人とも、ミストリアに戻ったら、また命を狙われちゃうんでしょう? それなら、やっぱりここにいるべきよ。確かにサーフェリアだって、安全とは言えないけど……それでも、ミストリアよりはましだと思うわ。大丈夫、貴方たちはあの変な獣人じゃないんだから、そのことをちゃんと国王陛下に相談してみましょう? 教会に目をつけられる前に、上手く陛下にご相談できれば、サーフェリアに滞在するくらい、お許し頂けるんじゃないかしら」

「まあ、トワリス嬢も、表向きは宮廷魔導師の正式な任務として、ミストリアに向かったからのう。任務完了を陛下に報告して、その事実が公になりさえすれば、流石の教会も、トワリス嬢に露骨な手出しは出来なくなるだろうて」

 リリアナとダナの言葉に、ユーリッドが眉をしかめた。

「でも、そう簡単に国王陛下に謁見することなんて、できるんですか? トワリスはともかく、俺たちは完全に他国の獣人だし……。ミストリアの次期召喚師が来たなんていったら、敵視されるんじゃ……」

 ユーリッドと同意見だ、という風に頷くと、ファフリもリリアナに目を向ける。
すると、リリアナは表情を明るくして、返した。

「心配いらないわ。国王への取り次ぎは、任せられる人がいるの。彼なら教会と同等の権力を持ってるし、きっと二人のことも助けてくれるわ」

「……彼?」

「ええ。ルーフェン・シェイルハート様って言うの。サーフェリアの現召喚師様よ」

 それを聞いた途端、ファフリが驚いた様子で、目を見開いた。

「えっ、ちょっと待って。召喚師は、国王陛下のことではないんですか?」

 カイルが、淡々とした声で答える。

「サーフェリアでは、王家と召喚師一族は別だよ。国王がいて、その下に教会と召喚師がつくんだ。それに、サーフェリアの教会は、女神イシュカルを信仰していて、悪魔のことは邪悪と穢れの象徴として見ている。だから教会と召喚師一族は、水面下で対立関係にあるし、トワリスみたいな召喚師側の奴らは、教会に目をつけられやすいんだ。そういうわけだから、トワリスもあんたらも、教会に見つかる前に、なんとかルーフェンに会えればいいんだけど……。あいつ、放浪癖があるから、一体今どこにいるんだか……」

 そう言って、カイルははぁっとため息をつく。
ファフリは、そんな彼の言葉を聞きながら、心臓の鼓動が速まるのを感じていた。

(サーフェリアの、召喚師……)

 知らず知らずに、握った拳に力が入る。

 召喚師というと、なんとなく自分の一族以外には、存在しないものと思っていた。
しかし、召喚師は、国に必ず一人存在する絶対的な守護者である。
ミストリアにリークスという召喚師が存在するならば、当然、サーフェリアにも召喚師はいるはずなのだ。

 自分とも父とも違う、悪魔を使役しうるまた別の存在──。
召喚術に関しては、これまでリークスが全ての指標だったファフリにとって、自分と同じ力を持った者が他にもいるというのは、なんとも不思議な感覚だった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.198 )
日時: 2016/09/16 22:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

「その……サーフェリアの召喚師様は、どんなお方なんですか?」

 いてもたってもいられず、そう尋ねると、リリアナ、カイル、ダナの三人は、それぞれ顔を見合わせて、一瞬沈黙した。
だが、やがてカイルがファフリのほうを見て、躊躇いがちに口を開いた。

「そう、だね……なんていうか、言動を見てると、一見すごく馬鹿っぽい奴なんだ……」

「…………」

「…………」

 ファフリとユーリッドが、真剣な顔つきで息を飲む。
カイルは、続けてなにかを決心したように、言った。

「……で、実際話してみると、本当に馬鹿なんだ……」

「…………」

「…………は?」

 思わず、ユーリッドが間抜け声を出す。
すると、ダナがぶほっと吹き出した。

「まあ要するに、馬鹿ってことだの」

 つかの間、部屋が静寂に包まれる。
そして、一拍置いた後、不安げな表情に逆戻りしたファフリとユーリッドを見て、リリアナが慌てたように付け足した。

「だっ、大丈夫! 馬鹿と言っても、本当は頼れる人なのよ! 確かにちょっと阿呆っぽいっていうか、不真面目なところはあるわ。なんか空気読めないし、うるさいし、正直鬱陶しいし、トワリスにもよく殴られてる。だけど、きっと頼りになるわよ!」

「……姉さん、頼れるという根拠を何一つ言えてないよ」

 カイルが、呆れた様子でため息をつく。
リリアナは、ますます不安そうな顔つきになったユーリッドとファフリを見て、更に焦ったように捲し立てた。

「と、とにかく! 今は、冷めないうちに昼食を食べましょう! お腹が減ってちゃ、なにもできないんだから! 話はそれからよ」

 先程カイルが取り上げたリゾットを持って、リリアナが、ユーリッドとファフリにそれをずいと手渡す。
濃厚なチーズの匂いを放つそれは、二人にとっては未知の食べ物であったが、使われている食材自体は、ミストリアのものとそう違いはないようで、口にすることに抵抗はなかった。

 カイルとダナは、リリアナの勢いに押されて、躊躇いながら皿を受けとるユーリッドとファフリを見て苦笑すると、自分達も、食卓についたのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.199 )
日時: 2016/08/19 11:19
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: qToThS8B)


 リリアナの作ったリゾットは、本人が自信作だと豪語していただけあり、本当に美味しかった。
一口食べれば、身体だけでなく心までじんわりと温かくなるようで、ファフリに食べさせてもらっていたユーリッドも、最初は遠慮がちに食べていたファフリも、途中からは、会話すら忘れて頬張っていた。

 食事が終わり、リリアナが用意した茶で一服すると、ダナは、トワリスに何かあれば知らせるように、とだけ告げて、自宅へと帰っていた。
ここは、リリアナとカイルの家であって、ダナは呼ばれて来ていただけだったようだ。

 そんなダナを見送って、戻ってきたカイルは、ユーリッドの寝台脇の椅子に座ると、小さく嘆息した。

「それで、さっきの話の続きだけど。まずは、ルーフェンを探すってことでいいわけ?」

 その言葉に、食器を回収していたリリアナが頷く。

「いいんじゃないかしら。ここで燻っていても、仕方ないもの。ルーフェン様に相談すれば、きっとどうにかしてくれるわよ」

 リリアナは、幾分か緊張のほぐれてきたユーリッドとファフリに目を向けて、微笑みながら言った。
しかしカイルは、腕を組むと、小さく唸った。

「でもさ、数日前にちょろっと森の方を見てきたけど、やっぱりルーフェンの奴、いなかったよ。あの幽霊屋敷、全然見えなかったし」

 それを聞いて、考え込むようにしながら、リリアナが返事をする。

「そう……。となると、シュベルテのほうにもいないってことね……」

 ファフリは、微かに首を傾けると、カイルに問いかけた。

「サーフェリアの召喚師様は、この近くに住んでいるの?」

 カイルはまあね、と告げて、部屋の窓から見える、小高い山を指差した。

「普段いるのは、王宮なんだけどさ。あそこにほら、山が見えるだろ? あの山に、今は使われてないボロ家があるんだけど、なんかルーフェンの奴、その家を気に入ってて、よくそこに出入りしてるんだよ。つっても、なんの術かけてんだか、ルーフェンが近くにいないと現れない、気味悪い家なんだけどな」

 だから俺たちは幽霊屋敷って呼んでるんだ、とカイルが加える。
リリアナは、その会話を聞きながら、困ったように眉を下げた。

「けれど、いないとなると、どうしましょう。二人のことを助けたいのは山々だけど、私達じゃ、ルーフェン様を探すくらいしかできないし……。トワリスは、どうするつもりだったのかしら。何か聞いてる?」

 そう聞かれて、ユーリッドとファフリは一度顔を見合わせてから、 申し訳なさそうに俯いた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.200 )
日時: 2017/06/06 10:24
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「いや……俺たちも、逃げるのに必死で、話す余裕なんてなかったんだ。トワリスがサーフェリアから来たことも最近知ったし、そもそも、サーフェリアに渡ったってこと自体、さっき理解したし……」

 ユーリッドの言葉に、リリアナも悲しそうな表情になった。

「ううん、いいのよ。……そうよね、そんな危ない状況だったんなら、仕方ないわ。トワリスも、きっと咄嗟に判断して、二人をここに連れてきたのよ」

 リリアナが、横たわるトワリスを一瞥する。
カイルは、沈んだ雰囲気に似合わぬ淡々とした態度で言った。

「まあ、こうして考えていたところで、結論は変わらないか。とりあえず俺と姉さんは、トワリスが目覚めるのを待ちながら、ルーフェンを探す。で、あんたたち二人は、とにかく身を潜める。特に、黄色っぽいローブを着た魔導師団の奴等と、いかつい鉄鎧を来た騎士団の奴等には、絶対に見つからないこと。ヘンリ村の中だったら心配はいらないと思うけど、それっぽい奴等を見たら、すぐ逃げろよ。あいつらに見つかって、万が一獣人であることがばれでもしたら、教会に知らされて即地下牢行きだからな」

 年下とは思えない、しっかりとしたカイルの物言いに、ユーリッドとファフリが大人しく頷く。
リリアナも、もう少し何か出来ないかと悩んでいたようだったが、やがて、異論はないといった風に首肯した。

「ひとまず、カイル。もう一度、森の方を見てきてちょうだいよ。もしかしたら、今日はルーフェン様が帰ってるって可能性もあるでしょ?」

「……まあ、そうだね」

 カイルは、一度窓の外へと視線をやると、気だるそうに腰を上げた。
それを見て、ファフリもぱっと立ち上がる。

「あの、サーフェリアの召喚師様を探しに行くなら、私も行きたいわ」

 その場にいた全員が、驚いた様子でファフリを見た。
ファフリは、頑なな面持ちで続けた。

「会ってみたいの……私の一族と同じ力を持つ、サーフェリアの召喚師様に。それに、私はちゃんと歩けるもの。リリアナさんとカイルくんばかりに、負担をかけるわけにはいかないわ」

「それなら、俺も行く……!」

 慌てたように口を出して、ユーリッドが起き上がろうとする。
しかしその瞬間、全身に激痛が走って、ユーリッドは顔をしかめた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.201 )
日時: 2016/08/27 01:44
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NtGSvE4l)



 リリアナは、ユーリッドをなだめるように寝台に近づくと、心配そうにファフリを見つめた。

「駄目よ、危険だわ。ファフリちゃんだって怪我が完治したわけじゃないんだし、ここはミストリアではないんだもの。そんな、私達は負担だなんて思ってないから、気にしないで」

「でも……」

 リリアナの言葉に対し、納得がいかないといった表情で、ファフリが口ごもる。
すると、カイルが嘆息して言った。

「俺についてルーフェンを探すくらいなら、いいんじゃない。ヘンリ村の中なら、魔導師や騎士の連中は来ないはずだし。それにあんた、ミストリアの次期召喚師なんだろ? それなら、ルーフェンが近くにいるかどうか、魔力で分かるかもしれない」

「ちょっと、何言ってるのよカイル!」

 リリアナがきっと眉を吊り上げて、カイルを睨む。
カイルは、そんな叱責など物ともしない様子で、リリアナのほうを見た。

「別に問題ないだろ、姉さんは過保護なんだよ。魔導師でもない俺たちじゃ、ルーフェンの魔力を感じ取ったりは出来ないんだし。今は少しでも、ルーフェンが早く見つかる方法をとるべきだと思うけど?」

「そ、それは、そうだけど……」

 言葉を詰まらせるリリアナに、カイルが肩をすくめる。
ユーリッドは、視線だけ動かして、カイルに尋ねた。

「なあ、今、魔導師や騎士はこのヘンリ村に来ないって言ったよな? それって、どういう意味だ?」

 カイルは、呆れたように息を吐いた。

「どうって、言葉通りの意味だよ。ヘンリ村は、王都シュベルテの支配下からは外れている村だからね。魔導師団や騎士団の守護対象からも、当然除外されてるってわけ。だから、ヘンリ村を出ない限りは連中に見つかる可能性も低いし、はっきり言って、ルーフェンを探しにあの山を見に行くくらい、簡単なお散歩みたいなもんだよ。姉さんも大概だけど、あんたも過保護すぎだね」

 カイルの刺々しい物言いに、ユーリッドが思わずむっとする。
しかし、言い返す前にファフリに手を握られて、ユーリッドは、ファフリのほうに視線を移した。

「ユーリッド、お願い。私、足手まといになりたくないの。これまでユーリッドとトワリスには、たくさん守ってもらったんだもの。大したことはできないけど、今度は、私が二人の役に立ちたいわ」

「ファフリ……」

 ユーリッドは、不安げな面持ちで、しばらくファフリを見つめていた。
しかし、やがて目を伏せると、わかった、と小声で呟くように言った。

 ユーリッドの返事が決まると、カイルは、リリアナに視線を戻した。
リリアナは、少しばつの悪そうな表情を浮かべた。

「まあ……ユーリッドくんが良いって言うなら、良いわよ」

「あっそ」

 カイルは、そっけなく返すと、続いてファフリを見る。

「んじゃ、さっさと行くよ。言っておくけど、勝手な行動はしないでよね」

「う、うん」

 ファフリが頷いて、さっさと歩き始めたカイルの後を追う。
ユーリッドは、二人が扉から出ていって消えるまで、その後ろ姿を心配そうに見つめていた。

 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.202 )
日時: 2018/05/18 20:12
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)

 件の幽霊屋敷が建っているという山は、確かにカイルの言う通り、リリアナの家からはすぐの場所にあった。
踏み込んでみると、人の手が加わっていないせいか、時折飛び出した木枝や根が行く手を塞いでいる。
だが、山道自体は急な勾配があるわけでもないので、険しいというほどではなかった。

 それこそ、城から出たばかりの頃のファフリなら、この程度の山道でも息が上がっていたかもしれない。
しかし、これまでミストリアで、散々厳しい道のりを体験した今なら、へっちゃらである。

 前を歩きながらも、カイルは、ファフリに色々なことを説明してくれた。
この山を越えて、更に少し行くと、王都シュベルテがあること。
ヘンリ村には、旧王都アーベリトの住民たちが住んでいることなど。
話し方自体は、なんだか偉そうで生意気なのだが、見方を変えれば、知っていることを得意気に話すその様子が、どこか子供らしくて、可愛いとも感じられた。

 そんなカイルをじっと見つめていると、ファフリの視線に気づいたらしいカイルが、怪訝そうに眉をしかめて言葉を止めた。

「なに、じろじろ人のこと見て」

「あ、ううん、ごめんね」

 ファフリは首を振ると、少しだけ迷ったように口を開いてから、尋ねた。

「カイルくんって、いくつなのかなって思って」

 カイルは、歩きながらファフリのほうを見て、答えた。

「俺? 十三だけど」

「十三? そう、私達より三つも年下なのね……」

 感嘆したファフリがそう言うと、カイルは足を止めて、不機嫌そうな顔になった。

「年下だからって、馬鹿にしてんの?」

 ファフリは、慌てて首を横に振った。

「まさか、違うよ。むしろその逆で……三つも年下なのに、しっかりしていて、すごいなって思ったの。サーフェリアに来て、右も左も分からない私達に色々教えてくれるし、さっきだって、今は何をすべきか判断して、仕切ってくれたし」

 にこりと笑ってそう答えると、カイルは、一瞬照れたように言葉をつまらせた。
しかし、すぐにそっぽを向くと、突っぱねるような言い方をした。

「……別に。俺は、さっさと事態を解決して、あんたたちを早く家から追い出したいだけだよ」

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.203 )
日時: 2016/09/04 05:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Mu5Txw/v)



 率直な物言いに、思わず瞠目する。
カイルは、再び歩を進めながら、鋭い声で続けた。

「姉さんはお人好しだから、負担じゃないなんて言ってたけど……俺は、見ず知らずのあんたたちに命を賭けようだなんて、思ってないから」

 気まずそうな表情で、ファフリを見る。

「……姉さんは見ての通り、車椅子がないと立てないし、走れないんだ。俺だって、トワリスやルーフェンみたいに戦えるわけじゃない。だからもし、あんたらの追っ手とかいうのがうちに来たら、俺たちは逃げられない」

「…………」

「あんたたちに恨みがある訳じゃないし、まあ、気の毒な境遇だとは思うよ。だけど、あんたたちにそこまで尽くす義理はないし、姉さんがなんと言おうと、長居しようだなんて思わないでよね」

 そこまで言ってから、ふとファフリの表情を見て、カイルは驚いた。
ファフリの顔が、怒りでも悲しみでもなく、穏やかな笑みを浮かべていたからだ。

 自分の言っていることが、良くも悪くも正論である自覚はあったが、命からがら逃亡してきた者たちに対し、厄介だから早々に出ていけと告げているのだ。
薄情だとかひどいだとか、反論されるならともかく、微笑まれるようなことを言った覚えは一切ない。

 戸惑って、カイルが絶句していると、ファフリは一層笑みを深めた。

「……カイルくんは、お姉さん想いで偉いね。なんか感動しちゃった」

「…………は?」

 思いがけないことを言われて、カイルは眉を寄せた。

「なに言ってんの? 俺、あんたらを追い出そうとしてるんだよ?」

「……うん。でも、そう思うのは当然だよ。誰だって……家族は、大切だもの。家族を守るためなら、他人に構ってられないって思うこともあるわ」

 ファフリは、呆気にとられたような顔のカイルに対し、少し悲しそうに笑ってみせた。

「……守るべきお姉さんや、ヘンリ村の人達がいるのに、それでもカイルくんは、突然現れた私達を助けてくれた。それだけで私、十分嬉しいし、カイルくんはすごく優しいなって思うよ。だって見ず知らずの獣人なんて、最初から突っぱねてしまうことも、できたはずだもの。それを受け入れて、治療もしてくれて、ご飯もくれて……なかなか出来ることじゃないわ」

 ファフリは、更に言い募った。

「沢山迷惑と心配をかけてしまって、ごめんなさい。本当に、本当にありがとう。……でも、カイルくんと同じように、私も、ユーリッドやトワリスを守りたいの。だから、もう少しだけ、力を貸してください。お願いします……」

 深々と頭を下げられて、カイルはやりづらそうに頭を掻いた。

「……頭下げるとか、やめてくれる? まるで俺が、あんたをいじめてるみたいじゃないか。お人好しすぎて呆れるよ」

 その言葉に、おずおずと顔をあげると、カイルはむすっとしたまま踵を返した。

「別に、助けないとは言ってないよ。……なるべく早く出ていけって言ってるだけだから」

 素っ気なく言って、再びカイルが歩き出す。
その様子を見ながら、ファフリはほっと安心したように、ため息をついた。

(そう、だよね……)

 進んでいくカイルの背中を、ぼんやりと見つめる。

(……皆、自分と自分の大切なものを守るために、一生懸命生きてる。たとえ戦う術を持たなくても、弱い立場でも、必死に抗って、守るべきものを守ろうとする。……私も、こうやって皆に守ってもらってたのね。私はちゃんと、戦う術をもっているのに──……)

 ファフリは、無意識に唇を噛んだ。
そして、小走りでカイルに追い付くと、再び山道を登り始める。

 どこかで、茂みから小鳥が飛び立つような音を聞きながら、ファフリは再び歩き始めたのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.204 )
日時: 2016/09/16 21:20
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 3EnE6O2j)


 結局、そのあともしばらく、二人は山道を登り続けたが、同じような景色が続くばかりで、例の屋敷は姿を現さなかった。
カイルに言われて、召喚師のものと思われる魔力を探ってみるも、サーフェリアではミストリアと違い、色々なところで魔術が発動されている。
そのため、様々な魔力が入り交じっていて、その中から特定の魔力を見つけ出すというのは、ひどく困難だった。

 これ以上は探しても無意味だろうということで、日が暮れる頃には、カイルとファフリは、家に引き上げた。
リリアナとユーリッドは、ルーフェンが見つからなかったという知らせを聞いて、少し残念そうな表情を浮かべたが、元々見つからない前提で探しに行ったのだからと、四人はすぐに和やかな雰囲気を取り戻した。

 リリアナお手製の夕食を食べたあとは、寝る支度をして、ファフリはユーリッドの横にある寝台に入った。
ユーリッドが目覚めてから、初めて迎えるサーフェリアの夜だ。
つい嬉しくて、ユーリッドと話し込んでいたが、ユーリッドもまだ本調子ではなく、ファフリもまた、知らず知らずの内に疲れていたのだろう。
いつの間にか、二人は眠りについていた。

 深い眠りの渦に落ちると、ファフリは、久しぶりにあの夢を見た。
こちらを見つめる薄茶色の小鳥──カイムと、苦悶の声をあげる漆黒の濁流。
確か、最後にこの夢を見たのは、ロージアン鉱山に入る前のことだっただろうか。

 ファフリは、自分を取り囲む黒い水に無数に浮かぶ顔を、じっと見つめていた。
そして、苦しい、助けてくれと叫ぶその声の一つ一つに、ただただ耳を傾けていた。

 これまでは、この断末魔が、弱い自分を責め立てる声なのだと思っていた。
しかし、この黒い水の正体──ハイドットを巡る真実を知った今では、そうは思わない。
この声はきっと、悲しさと絶望の間で、一心に自分に助けを求めている声だったのだろう。
そう、次期召喚師である、自分に。

 今はもう、怖いから目を反らそうという気もなくなっていた。
否、もう反らしてはいけないのだ。
自分は、そういう立場にあるのだから。

 ファフリは、黒い濁流を見つめたまま、側にいるカイムに声をかけた。

「……貴方はずっと、この夢を見せて、ミストリアがハイドットの廃液に汚染されていることを、私に知らせたかったのよね」

 カイムが、ぱたぱたと飛んで、ファフリの肩に止まる。
気づけば、周囲で苦悶の叫びをあげる黒い水は、跡形もなく消え去っていた。

「……私ね、貴方のこと、私を乗っ取って殺戮を繰り返そうとする、悪い奴みたいに思ってたの。でも本当は、私が主人として未熟だっただけで、貴方はずっと、私達のことを導いてくれてたんだよね。……気づけなくて、ごめんね」

 ファフリの言葉に、カイムはなんの反応も示さない。
けれど、絶対に聴いてくれているという確信が、不思議とファフリの中にはあった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.205 )
日時: 2016/09/19 21:52
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HBvApUx3)


 ファフリは、その場に座り込むと、膝を抱えた。

「……ねえ、カイム。私、これからどうすればいいのかな……」

 俯きながら、静かに問いかける。

「私、皆を助けたいよ。これまで何もできなかった分、奇病にかかった獣人たちを治療して、ハイドットの廃液の流出も食い止めて……。ミストリアを、皆が笑って平和に暮らせるような国に、したいよ……」

 不意に、目頭が熱くなって、みるみる視界がぼやけた。

「だけど、私にそんなことできるのかな……。ユーリッドも、トワリスも、私のせいであんな大怪我しちゃった……。二人を守ることも出来なかったのに、私……」

 ロージアン鉱山で、ユーリッドに対して、奇病を見過ごしてはいけないと言った。
あの時の言葉、覚悟が、嘘だったわけではない。
それに実際、黒幕は宰相のキリスであり、ファフリが信じた通り、父王のリークスがハイドットの廃液流出を、故意に見過ごしていたわけではなかった。

 それでも、リークスが自分を殺そうとしていたことも、また事実で──。
父のあの侮蔑するような眼差しと、圧倒的な力を見せつけられてしまえば、自分は無力なのだと、強く思い知らざるを得なかった。

「ユーリッドもトワリスも、守りたいって思うけど……私になにが出来るのか、分からないよ……。サーフェリアじゃ、飛び交ってる魔力が多すぎて、召喚師様の居所も掴めないし……」

 そうぽつりと呟くと、ふと、カイムが顔をあげる。
そして、なにか言いたげにファフリを見てから、突然、空高く舞い上がった。

(あっ……!)

 思わず、飛翔したカイムを目で追ったのと同時に、そのままカイムの勢いに引っ張りあげられるかのように、一気に意識が浮上する。
そうしてはっと目を覚ましたファフリは、寝台から身を起こし、ふと視界に入った窓からの景色に、瞠目した。

(…………!)

 カイルと登った小高い山の中腹に、ぼんやりと、小さな明かりが見えたからだ。

(……あれって、まさか……召喚師様のお屋敷の……?)

 あの山に、他に建つ家などなかった。
ということは、もしかしたらサーフェリアの召喚師が戻ってきていて、例の屋敷が出現したのかもしれない。
今、見える明かりが、その屋敷から漏れたものだとしたら──。

 ファフリは、大慌てで寝巻きの上に外套を羽織ると、側においてあった革の肩かけ鞄をとった。
それから寝台から下り、靴に履き替えると、ユーリッドたちの方を見た。

 ユーリッドもトワリスも、深く眠っている。
今は真夜中なのだから、別室のリリアナとカイルも、当然寝ているだろう。

「…………」

 ファフリは、一瞬ユーリッドの近くに行こうとして、踏みとどまった。

(──駄目。頼ることを当たり前に思っちゃ、駄目。……一人で行くのよ)

 もう一度、窓から見える山腹の明かりを確認して、ぐっと肩かけ鞄の紐を握り込む。

 もちろん、あの明かりがまだサーフェリアの召喚師によるものだと、決まった訳じゃない。
もしかしたら、誰かが山中で焚き火をしているだけかもしれないし、松明を持って歩いているだけかもしれない。

 それでも、少しでも可能性があるなら──。

 ファフリは、皆を起こさないように忍び足で玄関に向かうと、外に飛び出した。

 天高く昇る満月が、深い藍色の中で、煌々と輝いている。
草木も眠る、静かな夜。
ファフリは、唇を噛み締めて、山腹を目指し歩き出した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.206 )
日時: 2016/09/23 00:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: KDFj2HVO)


 はやる気持ちが抑えられず、無意識の内に小走りしながら、ファフリは再び山の中に踏み込んだ。

 一人で歩く夜の山道は、昼間に通ったものと同じとは思えないほど不気味で、思わず進むのを躊躇うほどだった。
時折、何かが茂みを揺らして駆け抜ける音がすれば、心臓が痛いほど収縮したし、先の見えない暗闇からは、常に何かの視線がこちらに向けられているような気がした。

 山道に入ってしまえば、あの明かりが見えることもなく、もし道を間違えて迷ったらどうしようとか、人間に見つかってしまったらどうしようという、そういった底知れぬ不安が次々と襲ってくる。
しかし、生い茂った木々を掻き分け、目の前に古い山荘が現れると、そんな不安や恐怖など、あっという間に吹き飛んでしまった。

 今、目の前に、カイルと来たときにはなかった屋敷が、確かに存在しているのだ。

 屋敷は、幽霊屋敷と噂されるだけあって、とても人が利用しているとは思えないほど古ぼけていた。
無機質な石壁には所々ひびが入り、枯れかけた蔓や蔦が、屋敷全体を覆っている。
一階と二階にそれぞれある窓も、長年手入れをしていないらしく、砂埃で汚れていて、カーテンなどかかっていないのに一切中の様子が見えない。
唯一着色されていたであろう屋根も、今や全体的に色が剥げて、茶色と灰色が混ざったような煤けた色になっていた。

 ファフリは、屋敷の周りを一周し、どこからも明かりが漏れていないことを確認すると、落胆した様子で息を吐いた。

「召喚師様、もうどこかにいっちゃったのかな……」

 あるいは、ファフリが見た明かりは、この屋敷とは関係のないものだったのか。
どちらにせよ、この屋敷には誰もいないようだ。

 しかし、カイルの言葉通りなら、この屋敷が現れたということは、サーフェリアの召喚師がどこか近くにいるということである。

 ファフリは、一通りきょろきょろと辺りを見回すと、頭上に生える木々に向かって叫んだ。

「カイム! カイム……!」

 さわっと夜風が駆け抜けて、ファフリの呼び掛けが響く。

「サーフェリアの召喚師様を、探しているの。ねえ、カイム! 居場所を知っているなら、教えて……!」

 刹那、まるで、ファフリの問いかけに答えるように、木々たちがざわりと音を立てる。
その時、背後から、ぱきりと小枝を踏む音がして、ファフリは振り返った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.207 )
日時: 2017/07/15 20:48
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=568.jpg

 均整のとれた体躯に、異彩を放つ銀色の髪と瞳。
月光を受けて、冴え冴えと光るその銀髪は、作り物めいていると感じるほど、優雅に夜風に靡(なび)いている。

(……わ、綺麗な人……)

 突如、目の前に現れたこの不思議な風貌の男に、ファフリは素直にそう思った。

 まっすぐにこちらを見る瞳は、どこか神秘的な色を孕んでいて。
その瞳に心をとらわれてしまったかのように、男から目を離すことができない。

 しかし、不意に男は、髪と同じ銀色の睫毛を伏せると、ゆっくりと目を閉じた。
そしてそのまま、ふらっとよろめき、思いっきり、どしゃあっと地面にうつ伏せに倒れる。

「えっ……だ、大丈夫ですか!?」

 突然の出来事に、慌てて近寄って、男の体を揺すってみるが、男はぴくりとも動かない。
この時、改めて男の全身を観察してみて、ファフリは血の気がひいた。
男の纏っていた衣が、薄汚れた黄白色のローブだったからだ。

──特に、黄色っぽいローブを着た魔導師団の奴等と、いかつい鉄鎧を来た騎士団の奴等には、絶対に見つからないこと。

 脳裏にカイルの言葉がよみがえって、一瞬、男を揺らしていた手を止める。

(ど、どうしよう……この人、多分、魔導師団の人間だ……)

 カイルは、ヘンリ村には魔導師団や騎士団の者は来ないと言っていたけれど、明らかに私服とは思えないこのローブを見る限り、ファフリのこの予想は的中しているだろう。
とすると、もし、この男に獣人であることがばれてしまったら、地下牢行きということになる。

(でも、こんな森の中で倒れてるのを、放っておくわけにもいかないし……)

 うんうんと唸って、どうするべきかファフリが頭を悩ませていると、ふと、男が身じろぎをした。
その瞬間、彼の腹から、ぎゅるる……と間抜けな音が響く。

「…………」

 ファフリは、拍子抜けしたように瞬くと、しばらく倒れた男のほうを凝視していた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.208 )
日時: 2016/10/09 00:28
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: loE3TkwF)


「いやぁ、助かったー。ほんと、ここ何日か何にも食べてなくてさ、空腹で死にそうだったんだよね。ありがとうー」

「い、いえいえ……」

 銀髪の男が唐突に倒れた原因は、腹の虫の言う通り、やはり空腹だったらしい。
あのあと、ファフリが鞄にいれていた保存食──干し肉を差し出すと、男はむくりと起き上がって、それを食べ始めたのだった。
ミストリアからサーフェリアに渡ってきて以来、鞄に入れっぱなしで存在すら忘れていた保存食だったのだが、空腹状態の彼からしたら、ご馳走だったようだ。
男は、あっという間に平らげてしまった。

 食べ終えてから満足そうに伸びをすると、男は、先程興した焚き火の横で、片膝を立てて座り直した。
そのすぐ横に腰を下ろしながら、落ち着かなさそうな様子で、ファフリは何度も深くかぶった頭巾を気にする。
鳥人特有の、髪に混じる羽毛を男に見られないように、頭巾で隠しているのだ。

 先程から、気さくに話しかけてくる男だったが、正直ファフリは、その対応をするどころではなかった。
男を助けたことに後悔はなかったが、もしこの男に自分が獣人であることがばれてしまったら、まずいからだ。

 しかし、だからといって、突然帰ろうとするのも逆に怪しまれそうだし、万が一素性を疑われて戦闘にでもなったら、余計に危ない。
男の話にある程度付き合って、自然な流れで別れるのが得策なのだろうが、そのような流れは一向に訪れず、ファフリは、額の脂汗が止まらなかった。

 本当は、男の側に保存食を置いたら、すぐにその場から離れようと思っていたのだ。
だが、置いた瞬間に男が起き上がったので、帰ろうにも帰れなくなってしまったのである。

 どうやって逃げようかと、必死に考えていると、男が再び話し出した。

「そういえば、君、こんなところで何してたの? 旅途中か何か?」

 男の問いに、ファフリがぎくっと身体を強ばらせる。
そして、ぎくしゃくとした動きで男の方を見ると、なんとか声を絞り出した。

「あ、えっと……はい、そうです。私、旅をしていて、その途中で……」

「女の子一人で?」

「い、いや、その……連れはいるんですけど、今は怪我をしちゃってるので、山下のヘンリ村で休ませてもらっていて。私は……そう。星を見に来たんです」

「……ふーん。まあ確かに、この辺りは星がよく見えるからね」

 そう返事をして、男が天を仰ぐ。
ファフリは、そこまで深くは追及されなかったことに安堵して、ひとまず胸を撫で下ろした。

 だが、ほっとしたのもつかの間、男は俗っぽい笑みを浮かべると、ファフリに言った。

「……でもね、知ってる? この辺り、特にこの森は……出るんだよ」

「出る……?」

 男の意味深な発言に、ファフリが首をかしげる。
男は、くすりと微笑んで、背後にある屋敷を示すと、続けて言った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.209 )
日時: 2016/10/13 17:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Xr//JkA7)


「この山荘、ここ一帯では有名な幽霊屋敷でね。前の持ち主である没落貴族が、抵当として領地を失った挙げ句、ここで自殺したとかなんとか。それが原因なのかは分からないけど、夜になると、無人のはずのこの屋敷に明かりが灯って、そこに誰かが首を吊ってる陰が映る、なーんて専ら噂になってるんだよ」

「えっ……えぇ?」

 困惑した様子のファフリに、男が楽しそうに笑みを深める。
ファフリは、思わず目を見開いて、屋敷の方を見つめた。

 この屋敷は、魔術により姿が見えたり見えなかったりするから、幽霊屋敷と呼ばれるようになったのだとカイルは言っていた。
だが、まさか本当に幽霊が出るのだろうか。
とすると、先程ファフリが見た明かりは、もしかして。

 そんなことを考え出すと、急に森に入ったときの恐怖がぶり返してきて、ファフリは硬直した。
──その時だった。

「わっ!」

「きゃあっ!」

 突然、背後から肩を掴まれて、耳元で叫ばれる。
縮み上がったファフリは、驚いて悲鳴をあげたが、すぐにそれが男の仕業だということに気づくと、慌てふためいた様子で振り返った。

「なっ、あ、なにするんですか!」

「ふっ、ははは……っ!」

 実に可笑しげな様子で、男が爆笑する。
どうやら、ファフリの反応を見て楽しんでいるようだ。

「驚いちゃった? 今の、全部嘘だから安心してよ」

 最初に会ったときの、神聖な雰囲気など微塵も感じさせないような、いたずらっぽい笑みを浮かべて男が言う。
ファフリは、何故こんなことをされたのか分からず、呼吸を落ち着けると、男の方を軽く睨んだ。

「う、嘘って……どうしてそんなこと……」

 頭巾の端を引き寄せ、警戒したように問いかけると、男は言った。

「ごめんね。君みたいな可愛い子を見ると、ついからかいたくなっちゃうんだ。許してくれる?」

 まるで息をするように出た言葉に、ぽかんとする。

 普通、初対面の相手に対して、からかったり可愛いなどと言ったりするだろうか。
少なくともこの男は、ファフリがこれまで会ったことのないタイプである。

(サ、サーフェリアの男の人って、こんな、可愛いとかひょいひょい言ったりするものなの……?)

 完全に混乱状態に陥ったファフリであったが、男はその様すら面白がっているようで、なにも言わずにファフリを見て笑みを浮かべている。
しかし、しばらくすると、今度は別のことをひらめいたようで、男は再び口を開いた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.210 )
日時: 2016/10/20 06:37
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 3w9Tjbf7)


「ねえ。じゃあ、ご飯をくれたお礼と、怖がらせちゃったお詫びに、何かしてあげるよ。何がいい?」

「えっ、う、うーん……」

 急にそんなことを聞かれて、ファフリは口ごもった。
正直、今すぐここから離れたいというのが本音だが、折角何かしてくれるというのに、帰らせてほしいと答えるのも忍びない。
だが、今日初めて会った人間に、お願いしたいことなど何も思い付かなかった。

(……やっぱり、急いでるので帰りますって言おうかな……。このまま長居して、獣人だってばれたら、洒落にならないし……)

 そこまで考えて、ファフリは、あることを思い付くとはっとした。
魔導師であるこの男なら、サーフェリアの召喚師の居場所を知っているかもしれない、と思ったからだ。

 リリアナたちは、サーフェリアの召喚師と知り合いのようだが、それでもどこにいるかは分からないと言っていたし、何より、ヘンリ村自体が王政からは隔絶された場所のようだから、このままここで待ち続けたところで、本当に召喚師に会えるかどうか怪しいところだ。
極力リリアナとカイルには迷惑をかけたくないし、サーフェリアの召喚師の居所を尋ねたところで、獣人ではないかと怪しまれたりすることもないだろう。
それならば、早く召喚師を見つけるためにも、この男に居場所を聞いてみるのも手かもしれない。

 ファフリは心を決めると、男の方をじっと見つめて、言った。

「あの……貴方は、魔導師団の方ですよね……?」

「うん、そうだよ」

 柔らかい表情で答えて、男は頷く。
ファフリは、膝にのせた両の拳に力を込めると、緊張した面持ちで続けた。

「だったら、その……もし、ご存知だったらで良いんですけど。召喚師様が今どこにいるのか、教えてくれませんか?」

 それを聞くと、男は数回瞬いてから、くすりと笑った。
そして、ファフリに顔を近づけると、先程よりも低い声で聞いてきた。

「召喚師に、会いたいの?」

 男を見つめ返し、こくりと首肯する。
すると、男は目元を和らげ、つかの間沈黙して、ファフリから身体を離した。

「……召喚師は、今は王都にいるよ。会いたいのなら、明日、シュベルテに行ってみるといい。そうしたらきっと、会えるから」

 予想以上に具体的な答えが返ってきて、ファフリは驚いた。
サーフェリアの召喚師になんて、そう容易には会えないだろうと思っていたし、放浪癖があると聞いていたから、見つけるのすら難しいかもしれないと考えていたのだ。
しかし、この男の口ぶりだと、随分簡単に邂逅を果たせそうだ。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.211 )
日時: 2016/10/24 19:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: JbPm4Szp)



 近々サーフェリアの召喚師と会えるかもしれないということと、男が案外すんなり答えてくれたことに安心して、ファフリはほっと息を吐いた。

「そうなんですね……よかった。ずっと、どこにいらっしゃるのか分からなかったので、どうしようかと思ってたんです」

 微かに表情をやわらげると、男は苦笑した。

「そうだね、今はもう、魔導師団の動きも制限されなくなってるし。召喚師本人を直接探すのは、居場所がわからないと難しいだろうね」

 男の発言の意味が分からず、返答に迷っていたファフリだったが、男はそれを待つことなく、ゆっくりと立ち上がった。
そして、焚き火の上に手をかざし、その手をぎゅっと握り込むと、じゅっと音を立てて火が消える。

 その一瞬だけ、辺りが暗くなったように感じたが、月光のおかげで、男の表情ははっきりと見えた。

「……さて、長く引き留めてしまって、ごめんね。もう帰ったほうがいい。送ってあげたいところなんだけど、俺はちょっと野暮用があるから、一人で戻れる?」

「あ、はい……!」

 ようやく望んでいた流れになって、ファフリも立ち上がった。

「あの、ありがとうございました。召喚師様のこと、教えて下さって」

「…………」

 軽く頭を下げ、ファフリが改めて礼を述べると、男はふと笑みを消し、微かに目を細めた。
そして、ファフリの方に手を伸ばすと、その髪を優しく梳(す)くように、頭巾の中に手を差し入れる。

 ファフリは、頬に触れられた感触がするまで、何をされたのか分からなかった。
だが、男に頭巾を取り払われ、隠していた自分の髪が広がったことに気づくと、焦りで咄嗟に動けなくなった。

 男は、頬から手を移動させると、次いで、ファフリの左耳についた緋色の耳飾りに触れる。

「……お礼を言うのは、こちらの方だよ。君とはきっと、また会えるだろうから、その時に話そう。この耳飾りの元の持ち主にも、よろしくね」

「え……?」

 目を見開いて、ファフリは吐息のように声をこぼす。
男は、再び口許に笑みを刻むと、最後に耳飾りを軽く指で揺らして、ファフリから手を引いた。

「それじゃあ、またね。気を付けてお帰り、可憐なお嬢さん」

 一瞬、月明かりのせいか、男の瞳が怪しく光ったような気がして、ファフリは息を飲んだ。
同時に、恐怖や嫌悪とは違う、不思議な胸騒ぎがする。
それはまるで、ファフリの直感が、この男は普通ではないと告げてきているようだった。

 男は、呆然としているファフリを残して、手を振りながら森の奥へと消えていった。

 金縛りから解けたように、思わずその場にへたりこむと、ファフリは耳飾りに触れた。

(……耳飾りの元の持ち主にも、って……あの人、トワリスのことを知ってるの……?)

 ぼんやりとした意識のまま、ファフリは露(あら)わになってしまった自分の髪を見つめると、微かに目を伏せた。

 彼は、髪の毛に混じる羽毛に、気づかなかったのだろうか。
それとも、気づいていてあえて口には出さなかったのか。

 男が消えていった暗がりを見つめて、ファフリはしばらく、そのまま物思いに耽っていた。
 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.212 )
日時: 2016/10/30 13:28
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: vzo8adFf)


 行きよりもゆっくりと下山し、リリアナの家に戻ってくると、扉の前に、ユーリッドが立っていた。
朝焼けに照らされたその表情には、ひどく疲れが滲んでいる。
しかし、その視線は忙しなく周囲を探っているようで、どこか落ち着かない様子だった。

 ファフリは、慌ててユーリッドに駆け寄った。

「ユーリッド、どうしたの? まだ立っちゃ駄目だよ、安静にしてないと……」

 ユーリッドは、ファフリの姿を認めると、一瞬安堵したように表情を和らげたが、すぐに転げるように走ってくると、眉をつり上げて怒鳴った。

「どうしたの、じゃないだろ! どこ行ってたんだよ!」

 ファフリが、びくりとして体を縮める。
よく考えてみれば、何も告げずに家を出てきてしまっていたのだ。
心配をかけて当然の状況だった。

「ご、ごめんなさい……サーフェリアの召喚師様を探しに、山に行っていたの」

 ユーリッドは、それを聞くと、溜めていた息を長々と吐き出して、その場にへろへろとへたり込んだ。

「……それならそうと、言ってくれよ……。起きたら、隣にいたはずのファフリがいなかったから、俺はてっきり、何かあったんじゃないかと……」

「ご、ごめんね。夜中だったし、ユーリッドを起こしちゃいけないと思って……」

 言いながら、憔悴しきった顔つきのユーリッドを見て、ファフリの胸に、じわじわと罪悪感が湧いてくる。
同時に、なんともいえない暖かさが心に広がってきて、ファフリはユーリッドの手をきゅっと握った。

 まだ全身傷だらけで、立つのも辛いだろうに。
格好が寝巻きのままであることから察するに、ユーリッドは、ファフリの不在に気づいてすぐ、寝床から飛び出してきてくれたのだろう。
それが、とても嬉しかったのだ。

 おぼつかない足取りのユーリッドを補助して、家の中に戻ろうとすると、勢いよく扉が開いて、リリアナとカイルが出てきた。

「ああ! よかった、ファフリちゃん、見つかったのね!」

「……はい。騒いじゃってすみません。召喚師を探しに、山に行ってたみたいで」

 車椅子を操作してこちらに向かってきたリリアナに、ユーリッドが説明する。
どうやら、ユーリッドだけでなく、リリアナやカイルにも心配をかけてしまっていたらしい。

 申し訳なくなって、ファフリはすぐに頭を下げた。

「勝手なことをしてしまって、本当にごめんなさい……。夜に目が覚めたら、あの山に明かりが見えたの。それで、もしかしたらサーフェリアの召喚師様がいるかもしれないって思ったら、いてもたってもいられなくなっちゃって……」

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.213 )
日時: 2016/11/02 22:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: dSN9v.nR)


 ファフリがそう言うと、リリアナとカイルは、驚いたように目を見開いた。

「明かりって、本当に?」

 カイルの問いに、ファフリが頷く。

「うん。でも、見つかったのはお屋敷だけで、明かりも見当たらなかったし、きっと私の見間違いだったんだわ。それか、魔導師の人と会ったから、その人が使ってた焚き火とか松明の明かりを見て、屋敷から出ている光だと勘違いしたのかも……」

 それを聞くと、リリアナは訝(いぶか)しげに眉をひそめた。

「待って。その魔導師の人って……魔導師団所属の?」
 
「え? う、うん……」

 怪訝そうに見つめられて、ファフリは思わず言葉を濁した。

「……多分、そうだと思うわ。前にカイルくんが言っていたような、黄色いローブを着ていたし、魔導師団の方ですかって聞いたら、そうだって答えていたもの」

 その答えを聞いて、リリアナとカイルの表情が、ますます不可解そうに歪む。
カイルは、一度リリアナと顔を見合わせると、ファフリに視線を戻して言った。

「そいつ、本当に魔導師だったの? 前にも言ったけど、ヘンリ村の付近にシュベルテの奴等が来ることなんてそうそうないし、あの山は、それこそヘンリ村の奴でも近づかないような場所だよ。夜中に、魔導師がうろついてただなんて、正直信じられないんだけど」

「…………」

 改めてカイルに指摘されて、ファフリは考え込んだ。
確かに、言われてみれば、何故魔導師があんな真夜中に、人気のない外れの山にいたのだろうか。
巡回しているようにも見えなかったし、そもそも、空腹で倒れるような状態で彷徨(うろ)いていたなんて、よく考えれば違和感しかない。

 もしかして、魔導師だというのは嘘だったのではないだろうか。
そんな不安に駆られて、ファフリはおずおずと顔をあげた。

「そう、ね……ローブを見て、魔導師だって思い込んじゃったんだけど、確かに、ちょっと怪しい男の人だったかも……。何日も空腹状態だったって言ってたし、なんか怖い冗談とか言ってくるし、急に触ってくるし……」

「触る!?」

 大人しく話を聞いていたユーリッドが、驚いて声をあげた。

「さ、触るって……大丈夫か? ファフリ、何か変なことされたのか?」

 本気で動揺したユーリッドに、ファフリは急いで首を横に振った。

「あっ、別に、何か嫌なことをされた訳じゃないの。ただ、初対面なのに距離が近かったから、ちょっとびっくりしただけで……」

「それ、全然大丈夫じゃないだろ……」

 その“男”とやらを怪しむように、ユーリッドが言う。
一方のリリアナとカイルは、なんとも言えない表情で、ファフリに話の続きを促した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.214 )
日時: 2016/11/06 21:56
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ファフリは、昨晩のことを思い出しながら、続けて言った。

「でも本当に、嫌な感じはしない人だったのよ。怪しいって言うよりは、不思議って表現の方が合ってるのかな。雰囲気も普通じゃなくて、あと、すごく綺麗な人で……。私も、最初はちょっと変だなって思ったけど、すごく優しかったし、悪い人だとは思わなかった」

「…………」

 リリアナは、みるみる悩ましそうな顔つきになると、ファフリに問いかけた。

「あ、あの、ファフリちゃん……もしかしてその人って、こう、肩につかないくらいの銀髪で、瞳は銀色だった……?」

「え? うん、そう……銀髪だったわ。そういえば、瞳も銀色だった。リリアナさん、知り合いだったの?」

 きょとんとした表情で聞き返してきたファフリに、リリアナとカイルは同時にため息をついた。
状況が飲み込めず、二人の様子を伺うユーリッドとファフリに、カイルは言った。

「……知り合いもなにも、そいつがルーフェンだよ。お目当ての、サーフェリアの召喚師だ。銀の瞳といったら、召喚師一族の証だし、間違いない」

「えぇ!?」

 ユーリッドとファフリの驚きの声が、見事にそろった。
 
「だ、だけど、それが本当なら、どうして召喚師様が一介の魔導師の格好なんてしていたの? しかも、あんな真夜中に一人で出歩いて……普通、そんなことは許されないでしょう……?」

 同じ召喚師の血を継ぐ者として、戸惑いを隠せないファフリに、カイルが呆れたように答えた。

「だからさ、あいつは普通の召喚師じゃないんだって。召喚師らしい威厳とか風格なんて、ルーフェンにはあってないようなもんだ」

「とにかく、自由がお好きな方なのよ。ルーフェン様は」

 続けて、リリアナが苦笑する。
ファフリは、それでも信じられないといった面持ちで、リリアナとカイルの話を聞いていた。

 もしミストリアで、ファフリが夜中に一人で抜け出そうものなら、城中大騒ぎになって、家臣たち総出で捜索が行われるだろう。
追われる身となった今では、当然家臣たちに心配されるようなことはないのだろうが、ミストリアではそれほど、召喚師とは重要視されている存在なのだ。

 王族と召喚師一族が、同一視されているか否かという点でも明らかだが、サーフェリアとミストリアでは、同じ召喚師と言えど、置かれる立場がかなり違うようだ。

 そこまで考えて、ファフリはあることを思い出すと、はっと顔をあげた。

「あっ、そうだ! 王都に行かないと!」

「王都って……シュベルテ?」

 尋ねてきたリリアナに、ファフリが頷く。

「昨晩、その……ルーフェン様に、言われたの。召喚師に会いたいなら、シュベルテにおいでって。そうしたら会えるからって」

 それを聞くと、リリアナは、考え込むようにして俯いた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.215 )
日時: 2016/11/08 22:42
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: eldbtQ7Y)



「そう……。魔導師だと偽ったりして、ルーフェン様がなにを考えてるのかは、相変わらず分からないけど、本人がそう言ってるなら、シュベルテに行くべきよね……」

 でも、と口ごもって、リリアナは申し訳なさそうに眉を下げた。

「本当なら、一緒に着いていって、シュベルテまで案内してあげたいところなんだけど……ごめんね。私達ヘンリ村の人間は、できれば王都には顔を出したくなくて……」

 言いづらそうにそう告げたリリアナに、カイルが口を開きかける。
しかし、何も言うなという風に目配せされて、カイルは押し黙った。

 二人の訳ありげな雰囲気に、ファフリが何を言うべきか探していると、不意に、ユーリッドが口を開いた。

「──大丈夫。それなら、俺とファフリで行きます。王都はここから近いみたいだし、確かにサーフェリアのことはよく分からないけど、きっとなんとかなる」

 そう言いきったユーリッドに、ファフリが心配そうに言った。

「でも、ユーリッドはまだ怪我が全然治ってないのに……。駄目だよ、私一人で行くわ」

 ユーリッドが、にっと笑った。

「いや、一緒に行こう。平気だよ、俺、身体は頑丈だから。正直、そのサーフェリアの召喚師っていうのも、なんか怪しいし……。俺は、ファフリの護衛なんだから、これ以上寝てられない」

「ユーリッド……」

 ファフリは、頷くことができず、ユーリッドを見つめたまま、しばらく黙っていた。

 ひどく、不安だったのだ。
サーフェリアには、父王リークスはいないと分かっているけれど、もし、また何かに襲撃されて、自分のせいでユーリッドが致命傷を負ってしまったら──。
そう考えると、不安で不安で堪らなかった。

 だがそれは、きっとユーリッドも同じ気持ちなのだ。
先程ファフリを心配して、扉の前でずっと帰りを待っていてくれたことを考えると、ユーリッドもまた、たとえ己の命を擲(なげう)つことになっても、ファフリには傷ついてほしくないと、そう願ってくれているのかもしれない。
そう思うと、また一人で行くとは言えなかった。

 長い沈黙の末、ゆっくりとファフリが頷くと、ユーリッドはほっとしたようにうなずき返した。
それを見ながら、両手を合わせて、リリアナが深々と頭を下げる。

「協力するって言ったのに、本当に本当にごめんね! 二人とも、絶対に無理はしちゃ駄目よ。シュベルテに行ってみても、ルーフェン様が見つからなかったり、危ないと思うようなことがあったら、すぐに帰ってきてね。私、お昼ご飯作って待ってるから!」

 早口で言ったリリアナに、改めて礼を述べる。
それからファフリは、黙ったまま、気まずそうな顔をしているカイルに微笑みかけて、向き直った。

「ありがとう……。私達のことは、心配しないで。リリアナさんとカイルくんこそ、もし、私達がいない間に誰か来ても、私達のことは知らないって言ってね」

 ファフリの言葉に、リリアナが一瞬悲しそうな表情を浮かべる。
しかし、すぐに分かったと頷くと、ファフリとユーリッドの手を固く握った。

「私達は、ファフリちゃんとユーリッドくんの味方だからね! また、いつでも頼ってね。帰り、絶対待ってるから」

 リリアナの瞳に浮かぶ、澄んだ光を見つめながら、ユーリッドとファフリは再度お礼を言った。

 二人は、一度家の中から荷物とってくると、シュベルテへと向かう準備を始めた。

 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.216 )
日時: 2016/11/15 18:08
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HhjtY6GF)


 ユーリッドとファフリは、ヘンリ村から小さな山を一つ越え、リリアナたちにもらった地図を頼りに、シュベルテへと向かった。

 獣人としての特徴は、頭巾と外套で隠し、怪しまれない程度に、周囲を警戒しながら歩いていたが、人間たちは、道行く赤の他人など気にも止めないらしい。
二人は、昼前には、シュベルテの入口である東門にたどり着いた。

 シュベルテは、巨大な防壁で外郭を覆われた、扇状に広がる大きな街だ。
その防壁には、東西南北それぞれに門があり、その門から続く大通りを北へと上がっていくと、王宮にたどり着ける。
また、防壁沿いの道や大通りには、沢山の露店が並んでおり、街全体に、ミストリアの王都ノーレントとは比べ物にならないほどの、大規模な市場が展開されていた。

 目が回りそうなほどの人混みに揉まれながら、ユーリッドとファフリは、ひとまず王宮のほうへと向かっていた。
はぐれないよう、ユーリッドがファフリの手を引いていたが、密度が高すぎて、すれ違う度に人とぶつかるので、疲労から手がちぎれそうであった。
これなら、険しい山道を進む方が、まだましだとさえ思う。

「……ファフリ、そのルーフェンとかって言う奴とは、どこで会えるんだ?」

「わ、わかんない……」

 喧騒に飲まれないよう、大きな声で問いかけるユーリッドに、ファフリが困ったように返した。

 正直、王都とは言っても、ノーレントほどの規模だろうと思っていたから、こんなに大きくて人が多い街だとは思わかなかったのだ。
昨晩出会った、ルーフェンと思しき男の口ぶりからしても、まるで簡単に会えるような言い方であったから、ファフリもあまり気にしていなかった。
しかし、よく考えてみれば、時間も場所も決めずに、こんな巨大な街で、目当ての人物と会えることなど、ほとんど不可能に近い。

 一旦、シュベルテから出ようとも思ったが、一度入った人混みから抜けることは困難で、思うように動くこともままならない。
海の真ん中に、突如放り込まれたかの如く、二人は、しばらく人の波の間で揺れているしかなかった。

 やがて、流されるままに大通りを登っていくと、少し開けた広間に出た。
そこは、市場通りとはまた違う、殺伐とした熱気に包まれている。

 広間の中心で、何か催し物でも行われているのだろうか。
そう思って、なんとか背伸びして様子を伺おうとしたユーリッドだったが、そのとき、すぐ隣にいた人間たちの話し声を聞いて、ぎくりとした。

「おい、獣人の処刑だってよ!」

「ほんとかよ! 俺、本物の獣人を見るの初めてだ!」

 その興奮したような声は、ファフリの耳にも入ったらしい。
二人は、思わず顔を見合わせると、無理矢理人の間を縫って、前のほうにせり出した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) 奇数日更新……多分 ( No.217 )
日時: 2016/11/17 19:06
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HhjtY6GF)


 目の前に、かろうじて広間の中心部が見える位置まで進むと、人と人の間から、特別に設けられた処刑場が見えた。

 石床に堆(うずたか)く積まれた薪と、その上に突き出す一本の太い金属棒。
そこに鎖で縛り付けられていたのは、紛れもない、二人の獣人だ。
彼らは、ぐったりとして、死んだように動かなかった。

(…………)

 あの獣人たちは、トワリスやリリアナの言っていた、サーフェリアに襲来した獣人なのだろう。
人間たちからすれば、罪もない町人を襲った憎悪の対象。
しかし、ユーリッドとファフリの目には、奇病にかかった挙げ句、キリスによって異国へと流されてしまった、哀れな同胞としか映らなかった。

 二人は、殺到する見物人を抑え込む騎士達の声を聞きながら、ただ呆然と、目前の光景を見つめていた。

「──これより、蛮行を働いた罪で、獣人の処刑を行う!」

 処刑場の横にいた騎士から宣言がなされると、それまでざわついていた見物人たちが、一斉に口を閉ざした。
興奮と好奇が混ざったような眼差しは、一様に、縛られる獣人たちに向けられている。

 騎士が、鉄鎧に包まれた右手を、大きく振り上げ、張りつめた緊迫感の中、静かに下ろす。
その瞬間、脇に控えていた魔導師が、大量の薪に魔術で火を放ち、すると、獣人たちは、あっという間に炎に飲まれた。

「────っ!」

 刹那、広間全体に炎の熱気が広がり、続いて、獣人たちの断末魔と、見物人たちの喚声がわき上がる。
奇病が進行してしまった獣人は、もう痛みや苦しさなど感じないだろうから、この断末魔は、おそらく魔術に反応して暴れているだけなのだろう。
だが、その悲痛な叫びをあげる姿は、焼き焦がされる苦痛に、見悶えているようにしか見えなかった。

 程なくして、再び処刑場の脇に控える騎士が、口を開いた。

「──静まれ! 大司祭、モルティス・リラード様からのお言葉である!」

 その言葉と共に、見物人たちの前に姿を現したのは、紫を基調とした祭服を身に纏う男──モルティスだった。

 モルティスは、燃え盛る獣人たちを背に立ち、大きく手を広げると、見物人たちに語りかけた。

「諸君! 此度の処刑をこのように面前で行う理由は、他でもない。我が国の民が、この野蛮な獣人共の毒牙にかかり、犠牲となってしまったが故だ! 皆も知っての通り、西国ミストリアの醜悪な奸計(かんけい)により、罪もない我ら人間の尊い命が、失われたのだ!」

 その力強い声に同調して、再び見物人たちがざわつき始める。
そのざわめきは全て、獣人によって引き裂かれた町民を思う声であり、また、ミストリアを非難する声でもあった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) 奇数日更新……多分 ( No.218 )
日時: 2016/11/19 23:02
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 50PasCpc)



 モルティスは、背後でもがき苦しむ獣人たちを一瞥すると、自然と浮かんだ笑みを隠しもせずに、再び口を開いた。

「我らが全知全能の女神、イシュカル神は、かつて、世界に存在する四種族を隔絶することで、世に平穏をもたらした。その神より定められし聖なる均衡、隔たりを侵し、異国へと攻めこんできた獣人共の罪は、万死に値する! 故に我らは、このサーフェリアに侵入した獣人共を全て捕らえ、裁き、そして残るは、今ここで処されている二匹のみ! その鋭い牙と爪を以て、我らを脅かしていた獣人の脅威は、ようやく去るのだ!
イシュカル教会は、ミストリアの恫喝(どうかつ)に屈することなく、戦い続けることを、改めてここに宣言する!」

 朗々とした力強いモルティスの演説は、見事に見物人たちの心を奮い立たせた。

「野蛮な獣人には死を!」

「サーフェリアに永久の繁栄を!」

 わき上がった歓声が広間に木霊し、見物人たちの熱気は、ますます膨れ上がっていく。

 その異様な盛り上がりの中で、怒りのような、悲しみのような複雑な感情を抱えながら、ユーリッドは、ただ燃え尽きようとする同胞を見つめていた。
しかし、ふと、傍らにいるファフリが、辛そうに耳を塞いでいるのを見て、強く彼女の腕を引いた。

「……行こう。ここを離れよう、ファフリ」

 疲弊しきったような表情で顔をあげたファフリが、微かに頷く。
そうして、人の波から抜け出そうとした時。
何かが軋(きし)むような、嫌な音がして、ユーリッドは再度処刑場に目をやった。

 ぎしぎしと、獣人たちがもがき動く度に、何かが音を立てている。
それが、獣人たちを縛る鎖から出ているものだと気づくと、ユーリッドは硬直し、瞠目した。

「……まずい、あんな弱い鎖じゃ……」

 ユーリッドの呟きに、ファフリも反応する。
二人は、その場にいる誰もが気づいていない、処刑場の異変を感じとると、思わずその場に立ち尽くした。
──獣人を、金属棒にくくりつけている鎖が、弱すぎるのだ。

 もちろん、処刑されているのが人間であれば、問題ない強度の鎖ではあるのだろう。
だが、二人もの獣人を押さえつけておくには力不足だと、火を見るより明らかであった。

 獣人にも、様々な特徴を持った者がいるが、力の強い者であれば、細い鎖など簡単に引きちぎってしまう。
そういった獣人の特性を、人間は理解できていないのである。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) 奇数日更新……多分 ( No.219 )
日時: 2016/11/21 21:05
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: RuL2wqqJ)



 やがて、夢中で騒いでいた見物人たちの中にも、獣人の異変に気づき始めた者が出てきた。

「お、おい……あの獣人、動きが激しくなってないか?」

「はあ? 苦しいからに決まってるだろ」

「そうじゃなくてさ、鎖が緩くなってるっていうか……」

 一部から広まったその動揺が、徐々に広がっていく。
先程まで最高潮に達していた熱は、あっという間に失われ、見物人たちは騒然となり、皆、食い入るように獣人たちを見つめ始めた。
──その、次の瞬間。

 ばんっ、と処刑場から何かが弾けて、火だるまになった二人の獣人が、見物人たちの波に襲いかかった。
獣人たちを縛る鎖が、ついに弾け飛んだのだ。

 賑やかな歓声は、一瞬にして悲鳴に変わり、我先にと逃げようとする見物人たちで、広間は大混乱に陥る。

 ユーリッドは、咄嗟に抜刀すると、こちらに向かってきていた獣人の体当たりを、剣を盾にして受けた。
途端、腹部にひびが入ったような、鋭い痛みが走る。
獣人からの攻撃を受けた衝撃で、完治していなかった傷が開いたのだ。

「────くっ!」

 ユーリッドは、浅く息をしながら、つかの間、獣人とその姿勢のまま拮抗していた。
だが、時機を見計らって、ふっと息を吸うと、盾にしていた剣を勢いよく振り切った。

 ギャッと悲鳴をあげ、全身を炎に侵食されたまま、獣人がはね飛ばされる。
ユーリッドは、石床にうつ伏せに倒れた獣人が起き上がる前に、素早く跳躍して、その胸板を剣で刺して押さえつけた。

「ファフリ!」

 ユーリッドに名前を呼ばれて、ファフリが顔をあげる。
ファフリはその意図を汲むと、ユーリッドが獣人から離れるのと同時に、魔力で獣人を取り巻く炎の勢いを強くさせた。
すると、ごうっと炎が唸って、獣人の身体は、みるみる炭に変わっていく。

 次いで、そのファフリの魔力に反応し、別方向から殴りかかってきたもう一人の獣人の爪を、ユーリッドは頭を反らして避けた。
そして、その低く屈んだ体勢のまま、着地した獣人に突進し、その腹に剣を突き立てる。

 ずぶずぶと、肉に深く刃が刺さった感触がして、獣人は、懸命にユーリッドに掴みかかろうと手を伸ばした。
しかし、次の瞬間には、再びファフリによって炎の威力が増し、獣人は、腹部に刺さったユーリッドの剣を掴み、痙攣しながら炭になった。

 額に滲んだ脂汗を拭い、獣人の腹から剣を引き抜くと、ユーリッドは一度息をついて、ファフリのほうを見た。
その時だった。

「動くな! この獣人め!」

 モルティスの鋭い声が響いて、ユーリッドとファフリの周りを、一斉に騎士たちが取り囲む。
騎士たちは、二人を中心に円状に並ぶと、各々の長槍を構えた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) 奇数日更新……多分 ( No.220 )
日時: 2016/11/23 18:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 16oPA8.M)


 ユーリッドは、一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
だが、戦闘中に自分の頭巾がとれ、獣の耳が顕(あらわ)になっていることに気づくと、全身が氷のように冷たくなった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺たちは、処刑されようとしていた獣人たちとは違うんだ!」

「黙れ蛮族め! 先程の人間離れした動き、そしてその獣の耳、間違いなく獣人ではないか!」

 ユーリッドの言葉に、騎士の背後で守られるように立っているモルティスが、反論する。
ふと見れば、自分達を取り囲む騎士たちも、その向こうで遠巻きにこちらを見据えてくる見物人たちも、皆、恐怖と侮蔑の色を目に浮かべていた。

(まずい、どうすれば……!)

 人間たちを説得できるうまい言葉が見つからず、必死に頭を回転させていると、今度はファフリが口を開いた。

「さっき貴方達に襲いかかった獣人は、病にかかっていて、正気じゃなかったんです! 本来の獣人は、意味もなく誰かを襲ったり、殺したりしないわ! お願い、話を聞いて!」

「獣人共の戯言に耳を貸すな! 早くやれ!」

 聞く耳持たずといった様子で、モルティスが騎士達に指示を出す。
すると、それに従い、一斉に騎士たちが二人目掛けて長槍を突き出した。

 ユーリッドは舌打ちして、瞬時にファフリを抱えると、跳躍して騎士たちの頭上を飛び越え、モルティスの側に着地した。

「ひっ、ひぃ!」

 モルティスが、恐怖に顔を歪ませて後ずさる。
その脇に控えていた騎士が、勢いよく槍を突きつけてきたが、ユーリッドはその槍の柄を掴んで引くと、そのまま体勢を崩した騎士を、槍ごと投げ飛ばして、地面に叩きつけた。

 獣人に比べれば、人間は力など弱く、動きも遅い。
怪我が完治していないユーリッドでも、投げ飛ばすくらいのことは、造作もなかった。

 戦う姿勢を見せてしまえば、人間たちの敵意を増幅させてしまうことは分かっていた。
しかし、だからといって何もしなければ、自分達の身が危険にさらされてしまう。

 ユーリッドは、血が滲み出してきた腹部を押さえながら、腰を抜かしたモルティスを見つめて、苦しそうに言った。

「頼むから、話を聞いてくれ。俺たちは、人間と戦うつもりなんてないんだ!」

 モルティスは、悔しそうにユーリッドを睨み返すと、次いで、周囲を見回しながら叫んだ。
 
「おい、宮廷魔導師は何をやっておる! バーンズ卿!」

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) 奇数日更新……多分 ( No.221 )
日時: 2016/11/25 23:13
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: yOB.1d3z)



 その瞬間、ユーリッドは、空気が振動するほどの鋭い気配を、背後から感じた。
ほぼ反射的に振り返り、両腕を顔の前で交差させ、受け身に入ると、途端、凄まじい衝撃が上からのし掛かってくる。

「──っ……!」

 巨大な金槌で、思いきり殴られたのかと思うほどの威力だった。
だが、受けとめたのは、間違いなく人の拳──。
ユーリッドの背後から、全身古傷だらけの、歪な仮面をつけた大男が、突然殴りかかってきたのだ。

(こいつ、強い……!)

 とても人間とは思えない、獣人にも劣らぬ凄まじい腕力。
なんとか殴り飛ばされることなく、ユーリッドは耐えたが、いつまでこの体勢を維持したまま持ちこたえられるかは、時間の問題であった。

 包帯だけでは吸いきれなかった血液が、ユーリッドの腰帯を伝って、ぽたぽたと地面に滴る。
これ以上傷口が開けば、戦いどころではなくなってしまうだろう。

 ファフリは、ユーリッドの腹部から血がにじんでいることに気づくと、真っ青になって、加勢すべく立ち上がった。
だが、後ろから誰かに強く外套を引っ張られて、仰け反った。

 振り返ると、蒼白く光る短槍を手にした黒髪の男が、ファフリの外套を踏みつけていた。

「おお! よくぞやってくれた、バーンズ卿! そのまま獣人共にとどめを刺すのだ!」

 騎士達に支えられながら、よろよろと立ち上がったモルティスが、嬉々として言う。

 ユーリッドとファフリの動きが止まったことで、心に余裕が生まれたのだろう。
先程までの脅えきった様子とは一転し、悠々とした態度で、ユーリッドたちを見下ろしている。

 黒髪の男──ジークハルト・バーンズは、そんなモルティスを、しばらく見つめていた。
しかし、やがて呆れたように嘆息すると、胸ぐらを掴んで、ファフリを無理矢理立ち上がらせた。

「ファフリ!」

 ユーリッドが焦ったように叫んで、ファフリの元に向かおうとする。
だが、ジークハルトはユーリッドを鋭い目付きで睨むと、落ち着いた声音で、大男に言った。

「ハインツ。そのままガキを足止めしてろ」

「……分かった」

 大男──ハインツが低い声で返事をして、再びユーリッドに向かって拳を振り上げる。
ユーリッドは、慌てて視線をハインツに戻すと、抜刀して、かろうじてその拳の軌道を剣でそらした。

 受け流したのにも関わらず、全身が痺れるほどの重い打撃に、思わずユーリッドがよろける。
まともに受けていたら、今度こそ殴り飛ばされていただろう。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) 奇数日更新……多分 ( No.222 )
日時: 2016/11/27 23:02
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Dbh764Xm)



 ジークハルトは、ユーリッドがハインツの相手をするので精一杯になっていることを確認すると、ファフリの首筋に、短槍の穂先を当てた。

「……お前たち、さっき、病がどうのとか言っていたな。あれはどういう意味だ」

 攻撃されるのではないかと身構えていたが、ジークハルトから思わぬ質問を受けて、ファフリは顔をあげた。

「……どうって、そのままの意味だわ。私たち、どうして獣人があんな風に人間を襲っていたのか、何故サーフェリアに来ていたのか、全部知ってるの。お願い、全て話すから、私たちを解放して。ユーリッドは怪我をしているの」

 ファフリが、震える指先で、ジークハルトの腕を掴む。
ジークハルトは、すっと目を細めたが、それでもファフリを解放することはなく、厳しい声で返した。

「話すのが先だ。お前、獣人に襲われたとき、魔術まで使っただろう。その辺りの事情も含め、今ここで吐け」

「……っ」

 ぐっと首筋に刃を押し当てられて、思わず息が詰まる。
事情なんて話していたら、その間にユーリッドがやられてしまうかもしれない。
それに、話したところで、本当に解放してもらえるかどうかも分からない。

 焦りと混乱で、どうするべきなのか考えられなくなり、ファフリは、ただジークハルトの顔を見つめていた。
全身がどくどくと脈打って、頭が沸騰しているように熱いのに、背筋は水をかけられたかのように冷たい。

(どうしよう──!)

 ファフリの思考が、真っ白になった、そのとき。
ジークハルトの眉間に、誰かの指が押し当てられたかと思うと、不意に、ファフリの後ろから、間の抜けた声が聞こえてきた。

「ジークくん、顔恐ーい」

 同時に、後ろから腕を引かれる感覚がして、ジークハルトの手から解放される。
誰かが、ファフリを引き寄せたのだと気づくには、少し時間がかかった。

「そんな眉間しわっしわの恐い顔で迫られたら、誰だって怖がっちゃうに決まってるでしょー?」

 場の雰囲気にそぐわない、飄々としたその声は、確かに聞いたことのある声で。
ファフリは、自分を引き寄せた人物から離れると、その銀髪を見上げて、驚いたように瞠目した。

「ル、ルーフェン、様……?」

「やあ、昨夜ぶり。お嬢さん」

 揚々と片目をつぶってみせたのは、ファフリが昨晩出会い、そして、今まさに探し求めていた人物──。
ルーフェン・シェイルハート、その人であった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) 奇数日更新……多分 ( No.223 )
日時: 2016/12/17 23:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 いまいち事態が飲み込めず、唖然としていたファフリだったが、そうなっているのは、ファフリだけではなかった。
その場にいた全員が、突然現れたルーフェンを、ぽかんとした表情で見つめていたのだ。

 しかし、そんな空気は長くは続かず。
ジークハルトは、ずんずんとルーフェンに近づいていくと、おびただしいほどの殺気を纏って言った。

「……おい、お前、今までどこほっつき歩いてた」

 その低く、どすの利いた声に、近くにいたファフリも、思わず固まる。
しかしルーフェンは、全く物怖じしない様子で、呆れたように言った。

「だからさぁ、ジークくん恐いって。四六時中そんな鬼の形相でいたら、皆に嫌われちゃうよ?」

「その呼び方やめろっつってんだろ!」

 ジークハルトが、ルーフェンを鋭く睨みつける。
それとは対照的な態度のルーフェンは、からからと楽しげに笑った。

「えー、長い付き合いなんだし、別にいいじゃん。ジークハルトくんって、なんか長くて呼びづらいんだもん」

「だもん、とか言うな気色悪い。串刺しにするぞ、この阿呆召喚師!」

 もはや、じゃれあいなのかどうか分からない不穏な二人のやりとりに、ますます混乱が広がる。
ルーフェンは、それでも調子を崩さず、平然と周囲に告げた。

「まあまあまあ、皆、とりあえず落ち着いて。ほら、ハインツくんとそこの少年も、喧嘩はやめて。穏便にいこうよ」

 ルーフェンの言葉に、ハインツの攻撃がぴたりと止むと、ファフリは、慌ててユーリッドの元に駆け寄った。
ユーリッドは、腹を押さえながら片膝をついたが、ひとまず大丈夫だという意思をファフリに伝えた。

 ルーフェンは、続けて辺りを見回し、未だに燃え続ける処刑場や、焼け焦げた獣人の死体などを見遣ると、最後にモルティスのほうへと歩いていった。

「……なんだか妙に騒がしいと思って来てみれば。これはどういうことでしょう? 獣人の処理は魔導師団の職務であり、私の管轄です。街中で公開処刑を行うなど、全く聞いていなかったのですが?」

「…………」

 モルティスは、気に食わないといった表情を隠しもせず、しばらくルーフェンを睨んでいた。
しかし、やがて小さく鼻で笑うと、綽々(しゃくしゃく)とした態度のまま、肩をすくめて見せた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.224 )
日時: 2016/12/03 17:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: z5ML5wzR)


「これは失礼、召喚師殿。しかし、我ら教会と騎士団が最も優先すべきことは、民達の心身を護ること。民達が今、求めるのは、襲い来る脅威に勇敢に立ち向かい、打ち倒す勇士なのです。他国を恐れ、足踏みをしているだけの守護者ではありませぬ」

 モルティスの明らかな皮肉に、ルーフェンは薄い笑みを浮かべた。

「……お戯れを。確かに仰る通り、最優先事項は民の守護ですが、陛下が提示された二月は、まだ経っておりません。それにも拘わらず、貴殿は独断で魔導師団を動かし、このような場を設けられた。これは、陛下と私、双方の意向を無視したことと同然であり、王族と召喚師一族を蔑(ないがし)ろにしたととられてもおかしくはない行為ですよ。それが分からない貴殿ではないでしょう? ……守護、というよりは、何か別の思惑がおありのように感じてしまうのは、私だけでしょうか?」

 忌々しそうに顔をしかめて、モルティスが目を細める。
そうして、両者共に、しばらく睨み合っていたが、やがて、ルーフェンが何かを思い出したように、ぽんっと手を打った。

「ああ、そういえば」

 ごそごそと自分の懐を漁って、小さな女神像の首飾りを、モルティスの前に出す。
その瞬間、モルティスが初めて表情を崩し、ぎょっとした様子で目を見張った。

 ルーフェンは、顔面に微笑みを貼り付けたまま、悠々と述べた。

「この前、貴殿のお友達が私の元に来ましてね。呪われた悪魔使いだとか騒ぐし、急に斬りつけてくるしで、随分物騒なお友達だったので、それなりの対処をさせてもらいました」

 ルーフェンは、モルティスの側に寄ると、小さな声で言った。

「……貴殿が、腹の底で何を思おうが自由ですが、あまり目立つ真似はしないほうがいいと思いますよ。イシュカル教会が、召喚師の暗殺を目論んでいる……なーんて噂が公(おおやけ)に広まってしまったら、流石にまずいでしょう?」

「…………」

 ルーフェンは、小像の首飾りを奪おうと伸びてきたモルティスの手をかわすと、一歩下がった。
そして、首飾りを懐にしまいこむと、にこりと笑った。

「獣人の件に関しては、私に一任頂けますね?」

 選択権のないその問いに、モルティスが小さく舌打ちする。
そして、やむを得ず眉根を寄せると、周囲に散らばっていた騎士達に声をかけた。

「……行くぞ」

 騎士達は、びしっと直立して姿勢を正すと、列を整えながら、モルティスの指示に従う。
そうして、王宮の方へと撤退していく一団を見送ると、ルーフェンは、くるりと振り返って、ユーリッドとファフリのほうを見た。

「さーてと。これで二人の命運は俺次第ってことになったけど。そっちの男の子は手当てが必要そうだし、ひとまず王宮においで」

 穏やかな口調で言われて、ユーリッドとファフリは、周囲を見回した。
騎士団が去った今でも、見物人たちが未だに騒ぎ立てながら、こちらの様子を伺っている。

 ルーフェンが、片膝をつくユーリッドに手を差し出そうとしたとき。
それを制して、ジークハルトが厳しい声で言った。

「おい待て。こんな得たいの知れない奴ら、王宮に招き入れてたまるか」

「えー、大丈夫大丈夫。だって、大体素性は見当ついてるし。ね?」

 ルーフェンに視線を投げられて、ユーリッドとファフリは、一瞬言葉を詰まらせた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.225 )
日時: 2016/12/17 23:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 暗に、早く素性を明かせと言われているのだろうが、そう易々と正体を明かして良いのか、分からなかったのだ。
だが、リリアナたちの話では、警戒するべきは教会側の人間であり、ひとまずは召喚師であるルーフェンを頼るようにと言われていた。
それに、下手に正体を隠すような真似をして、再び敵対視されては敵わない。

 そう思い直すと、ユーリッドは、眼光鋭く睨んでくるジークハルトを一瞥して、ゆっくりと立ち上がった。

「……えっと、俺はユーリッド。こっちはファフリで、ついこの前、ミストリアから渡ってきたんだ」

 続いて、ファフリが一歩前に出ると、ルーフェンを見た。

「私、ミストリアの次期召喚師なんです。昨晩、少しお話ししたからご存知だとは思うんだけど、ずっと、サーフェリアの召喚師様を探してて……」

 そのとき、ジークハルトが、持っていた短槍──ルマニールを一転させると、ファフリをかばうように前に出たユーリッドの首元に、その穂先を突きつけた。

「……そんなことは分かってんだよ。何故、どうやってサーフェリアに来た。言え」

「…………」

 凄まじい剣幕で睨まれて、思わず息を飲む。
ユーリッドは、じっとりと全身に冷や汗が流れ出してくるのを感じながら、口を開いた。

「……これまでの経緯は、話すと長くなる。それに、誰彼構わず話してもいいっていう内容じゃないんだ。でも、俺達は決して、サーフェリアに害を成すつもりで来た訳じゃない。ここに来た経緯も、盗み聞きされるような心配がない場所でなら、ちゃんと話すよ」

 ジークハルトの眉間の皺が、さらに深くなる。
本当に喉を掻き斬られるのではないかと、ユーリッドはひやひやしたが、次に口を開いたのは、ルーフェンだった。

「確かに、ここじゃあ誰が聞いてるか分からない。懸命な判断だよ。……それなら、聞き方を変えよう」

 ちらりと笑って、ルーフェンが口の端を上げる。

「君達をここに連れてきたのは、誰だい?」

 まるで、誰かと一緒に来たことを分かっていたかのような口ぶりに、ユーリッドは目を見開いた。
ファフリは、左耳の耳飾りに触れると、ユーリッドと目を見合わせてから、答えた。

「……トワリスよ」

 その一瞬だけ、ジークハルトが目を細める。
傍らに佇んでいたハインツも、仮面で隠されて表情は分からなかったが、動揺した様子でユーリッドたちを見た。

 その緊張状態のまま、五人は、しばらくの間沈黙していた。
だが、やがて、ジークハルトが嘆息すると、ユーリッドに突きつけていたルマニールをどかした。

「……なるほどな。なんとなく、状況が読めた。それで、連れてきた張本人は何してる」

 ジークハルトの問いに、ファフリが眉を下げる。

「トワリスは、ひどい怪我をしてて……もう三日も眠っているわ。お医者様は、そろそろ目を覚ましても良いはずだって仰っていたけど……。今は、リリアナさんたちが──」

「いや、いい」

 ファフリの言葉を遮って、ルーフェンが口を出した。

「場所まで言わなくてもいい。生憎、俺も君達も、敵が多いからね。ユーリッドくんの言う通り、これ以上は聴衆が少ない場所で話した方がいい」

 こくりと頷いて、口をつぐんだユーリッドとファフリを見てから、ルーフェンは、今度はハインツのほうに視線をやった。

「ハインツくん、トワを王宮に連れてきて。トワの居場所は、さっきの話でわかるね? ……で、ジークくんは、ユーリッドくんとファフリちゃんを王宮へ。俺も、この場を収めたらすぐに行くから」

 ハインツが、無言で首肯する。
ジークハルトは、返事の代わりに鼻を鳴らすと、ルマニールの発現を解いた。

 ルマニールは、ジークハルトによる重金属の合成魔術で産み出された、魔槍である。
その具現化、消失は、ジークハルトの意のままに操れるのだ。

 ルーフェンは、軽い口調に戻ると、最後にユーリッドとファフリを見た。

「そういえば、こちらの自己紹介がまだだったね。あの大きいのがハインツで、こっちの目付き悪いのがジークハルト・バーンズ。二人とも、トワと同じ、王宮に仕える宮廷魔導師だ」

 ルーフェンは、にこりと微笑んだ。

「そして、俺がルーフェン・シェイルハート。昨晩は偽ってしまったけれど、正真正銘、このサーフェリアの召喚師だよ。以後よろしくね」



To be continued....