複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.252 )
日時: 2017/08/15 17:23
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

†第四章†──対偶の召喚師
第三話『偽装』



 地下牢に連れて来られてから、どれくらいの時間がたったのか。
ユーリッドは、誰かが近づいてくる気配を感じて、はっと目を覚ました。

 牢の中で眠りについたのは良いが、浅い眠りだったのだろう。
ファフリも、ユーリッドが起きたのと同時に目を開けると、緊張した面持ちになった。

「……時間。出てきて」

 ユーリッドたちの牢を開けて、そう告げてきたのは、ハインツだった。
時間、とは、おそらく審議会が始まる時間、ということだろう。

 二人は、強固な手枷をはめられて、ハインツと共に謁見の間へと向かった。

 薄暗い地下牢を出て、王宮の長廊下を歩いている間、ユーリッドとファフリは、一言も話さなかった。
黙ったまま俯いて、抵抗することもなく、ただハインツの言う通りに歩いた。

 謁見の間に足を踏み入れてしまえば、沢山の騎士や魔導師が警備に回っているだろうし、もう後戻りできなくなるだろう。
今、廊下から謁見の間に着くまでの、このわずかな時間が、逃げられるかもしれない最後の機会だというのに、それでも何故か、抵抗しようという気は失せてしまっていた。

 やがて、重々しい大扉の前に到着すると、両脇にいた門衛が、ゆっくりと扉に手をかけた。
扉が開くと、中から明るい光が漏れてくる。
その光は、謁見の間に並ぶ多くの燭台から出ているものであり、大理石の壁にかかった紅色の錦布を、きらきらと輝かせていた。

 広間の四方には、沢山の臣下たちがはべり、奥の一段高くなった玉座には、サーフェリアの国王、バジレットが鎮座していた。
彼女の下手には、大司祭モルティスと召喚師ルーフェンが座っており、その周りには、騎士や魔導師たちも佇んでいる。
よく見れば、玉座の前には、既にトワリスもひざまずいていた。

「前に進め!」

 門衛の騎士たちに、乱暴に背中を押される。
その勢いのまま、ユーリッドとファフリが謁見の間に入ると、全員が、さっと目をあげて二人を見た。

 ユーリッドとファフリは、騎士たちに促されて進むと、トワリスの後ろに並んで、跪(ひざまず)いた。
すると、バジレットが鋭い目を細め、凛とした口調で言った。

「面を上げよ」

 ユーリッドとファフリが、言われるまま、顔をあげる。
バジレットは、無表情で言った。

「……まずは、度重なる我らの無法な振る舞いを詫びよう、ミストリアの王女殿下。このような事態は異例ゆえ、許して頂きたい」

 バジレットが、二人の顔をそれぞれ見つめる。
その詫びの言葉とは裏腹に、彼女は、ユーリッドとファフリの側に控える騎士を、下げようとはしなかった。
ミストリアの要人としては認めるが、やはり警戒を解く気はない、ということだろう。

 続いて、バジレットが侍従に合図をすると、侍従は、錦布の包みを持ってきた。
その包みをバジレットがとると、中から出てきたのは、ハイドットの剣だった。
トワリスが、証拠品として献上したものだ。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.253 )
日時: 2017/02/27 17:09
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 5TWPLANd)



 バジレットは、ハイドットの剣をとって見てから、それを再び侍従に手渡すと、冷たい声で言った。

「そなたたちの事情は、トワリスから聞いておる。ハイドットのことも、ミストリアには、サーフェリアと交戦する意思がないということも、全てな。しかし、その奇病とやらにかかった獣人たちによって、サーフェリアの民の命が失われたことは、紛れもない事実。我らとて、無用な争いを避けたいところであるが、そなたたちの処遇に関しては、こちらで改めさせてもらう」

「…………」

 老齢を感じさせない、鋭い薄青の瞳で見つめられて、ユーリッドとファフリは、ただ黙っているしかなかった。
二人は、目を伏せて跪いたまま、一度もバジレットのほうを見なかったが、バジレットはそれを気にすることもなく、平坦な声で続けた。

「……では、審議を始めよう。まずは教会より、意見を申してみよ」

「はっ」

 下座に控えていたモルティスが、席を立って、一歩前に出る。
モルティスは、恭しく頭を下げると、バジレットの前で畏まった。

「イシュカル教会、大司祭モルティス・リラードより、陛下に申し上げます」

 モルティスは、ユーリッドとファフリを、強く睨み付けた。

「我々は、この獣人たちを、速やかに処分するべきだと考えております。ミストリアに交戦の意志がない以上、確かに、はるか遠い西国へサーフェリアが遠征するというのは、時間や労力も考慮して、得策とは言えぬのかもしれません。しかし、だからといって、このままこの獣人たちのサーフェリアへの滞在を、見過ごすというのは、如何なものでしょうか。先程陛下も仰ったように、こちらには、獣人によって命を奪われた者達がおります。彼らの無念を晴らすためにも、ミストリアにサーフェリアの権威を示すためにも、我々は、毅然たる態度を持ち、この獣人たちに相応の罰を与えるべきなのです。獣人は今や、民たちの不安を煽る危険な存在でしかありません。このような分子を、わざわざ残す意味があるとは思えませぬ。陛下、どうか我らサーフェリアの民のために、賢明なご判断を」

 モルティスが再び畏まって、バジレットを見る。
バジレットは、それに対して頷きを返すと、続いてルーフェンに視線をやった。

「召喚師よ、そなたの意見を聞こう」

「…………」

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.254 )
日時: 2017/03/02 18:50
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 話を振られても、ルーフェンは、返事もしなかったし、席から立つこともしなかった。
その無礼極まりない態度に、その場にいた全員の視線が、ルーフェンに注がれる。
ずっと俯いていたユーリッド、ファフリ、トワリスの三人も、思わずルーフェンを見た。

「……そうですねえ……」

 呟いて、ルーフェンが横目にユーリッドたちを見る。
それから、真剣味のない口調で言った。

「……そこのファフリちゃんが、いずれミストリアの王になる可能性があるなら、恩を売っておくというのも、悪くはないと思いますがね。まあでも、大司祭様の仰る通り、彼らの存在が、民の不安を煽る存在だということは確かです。殺しておいた方が、無難でしょう」

 賛同されたにも拘わらず、モルティスが顔をしかめる。
ルーフェンは、薄く笑んだまま、そんなモルティスを見ていた。

 双方の意見を聞き、バジレットが口を開こうとしたとき。
トワリスが叫んだ。

「陛下、お待ちください!」

 突然の発言に、場の視線がトワリスに集中する。
トワリスは、深く息を吸って、まっすぐにバジレットを見つめた。

「……大司祭様や召喚師様が仰ることは、ごもっともです。しかし、次期召喚師であるファフリは、元々ミストリアの国王リークスに、命を狙われていたのです。そんな彼女を、私達が殺したところで、ミストリアの思う壷になるだけではないでしょうか。確かに、ミストリアと交戦するならば、次期召喚師を殺すことが、相手の戦力を削ることにもなりましょう。ですが、先程のお話にも出た通り、ミストリアに交戦の意志がないとなれば、遠征する分サーフェリアが不利になるだけです。となれば、やはり交戦は避けるべきであり、わざわざミストリアの戦力を削る必要もありません。それに、ファフリたちを殺したところで、国王リークスは何とも思わないでしょう。サーフェリアの権威を示すことには、ならないのです」

 かすれた声で、必死に話しながら、それでもトワリスは、バジレットから目をそらさなかった。

「ユーリッドとファフリは、むしろミストリアの国王とは敵対する存在です。二人が、サーフェリアに害を成すはずがありません。無茶な申し出をしていることは、充分承知しております。ですがどうか、ご慈悲を。温情を施しては頂けないでしょうか」

「お前の意見など聞いてはおらぬ!」

 バジレットが何かを言う前に、トワリスの声を、モルティスが遮る。
モルティスは、忌々しげな表情を浮かべると、バジレットに向き直った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.255 )
日時: 2017/08/15 17:35
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

「陛下! お耳を傾ける必要はございません。この宮廷魔導師の娘は、獣人混じりです。サーフェリアに忠誠を誓った身でありながら、獣人たちをかばっている辺り、どうにも疑わしい。陛下にご報告した内容も、真実かどうか、信用できませぬ。この者が売国奴であるという可能性が完全に否定できない以上、その証言を聞き入れる必要など──」

「私は売国奴じゃありません!」

 強く言い放ったトワリスに、一瞬、モルティスは口をつぐむ。
しかし、すぐに鼻で笑って見せて、モルティスは、トワリスに近づいた。

「売国奴ではないなどと、どの口が言っている。現にそなたは、こうして獣人をミストリアから連れ帰ってきているではないか! 任務を果たしたふりをして、何か企んでいるのではないか?」

「違います!」

 否定したトワリスに、モルティスは、ますます嘲笑を深める。

「ふん、そうしてすぐに牙を剥くところも、獣そのものではないか。さあ、言ってみよ、己は売国奴なのだと」

「──違いますっ!」

 血を吐くようなトワリスの叫びが、室内に響く。

 トワリスは、モルティスの顔を見ている内に、底冷えするような悲しさが胸を覆ってきた。

 売国奴の疑いを晴らすために、危険を冒してミストリアに渡ったというのに、まるで信じてもらえる気配がない。
このように頭ごなしに否定されては、これ以上、モルティスには何を言っても無駄だろう。
そう思うと、言い返す言葉を考える気力が、徐々になくなっていった。

 一瞬の沈黙の後、口を開いたのは、ユーリッドだった。

「……違うよ。トワリスは、売国奴じゃない」

 普段のユーリッドからは想像できない、静かな声。
ユーリッドは、無感情な瞳でモルティスを見つめると、言った。

「トワリスは、ミストリアにいる間も、ずっとサーフェリアのことを想って動いてた。出会った当初は、俺たちを殺そうと考えてたことも、あったんじゃないかな」

「ユーリッド……」

 トワリスが、動揺した様子で振り返る。
ユーリッドは、それに対して、少し困ったように笑った。

「ごめん、トワリス。俺、なんとなく気づいてたんだ。……でも、結局トワリスは、俺たちを殺さなかった。それどころか、俺たちが生き延びられるように、手を貸してくれた。だけどそれは、サーフェリアを裏切ろうとしてたわけじゃない。単純に、トワリスは優しいから、俺たちを見捨てないでいてくれただけだ。あんた、それくらい、分からないのか?」

 ユーリッドの物言いに、モルティスの眉がぴくりと動く。
モルティスは、一瞬、ユーリッドを怒鳴り付けようとして、しかし、咳払いして息を整えると、怒りを抑えた声で言った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.256 )
日時: 2017/03/09 21:19
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 0/Gr9X75)



「……己の立場を、分かっていて発言をしているのか。今この場で、お前を殺してやっても良いのだぞ」

 ユーリッドは、モルティスを見つめて、淡々と述べた。

「サーフェリアが、俺たち獣人を嫌うのは、仕方がないことだと思う。でもトワリスは、獣人の血が混じってるってだけで、サーフェリアの国民だろう? なんでそうやって、ろくに意見も聞かずに否定するんだよ。国のために、ちょっとした不安要素も消しておきたいっていうあんたの気持ちは分かるけど、これじゃあ、端からトワリスを信じたくないみたいだ」

 激しく顔を歪めたモルティスを無視して、ユーリッドは、バジレットのほうを見た。

「サーフェリアの国王陛下、俺たちとトワリスは、関係ありません。俺たちは、まだトワリスと知り合って一年も経ってないけど、それでも、トワリスが売国行為をするような奴じゃないって、分かります。もっとずっと、長い間トワリスと過ごしてきた貴女たちなら、それくらい、分かるのではないですか」

「黙れ、獣人風情が! 無礼な口を叩くな!」

 激昂したモルティスが、側にいた騎士から、剣を奪い取る。
その剣をトワリスに押し付けるように手渡すと、モルティスは、ユーリッドを指差した。

「そこまで言うのなら、トワリス殿。この獣人を、今すぐここで切り捨てて見せよ! さすれば、そなたの宮廷魔導師としての忠誠心を信じ、売国奴と疑ったことを撤回しようではないか」

「……!」

 トワリスは、つかの間、何を言われているのか理解できなかった。
ただ、凍りついたように、目の前に聳え立つモルティスを見上げていた。

 この剣で、ユーリッドたちを殺すなんて、できるはずがない。

「さあ、早くしろ! 真にサーフェリアに忠誠を誓っているというなら、できるはずだ。このままでは、そなたはサーフェリアの売国奴として扱われるのだぞ。何を優先すべきかは、明白であろう!」

 そんなトワリスを追いたてるように、モルティスが早口で言う。
その様子を見ていたユーリッドが、再び口を開こうとすると、今度は、下座のほうから声が聞こえてきた。

「……全くもって、大司祭様の仰る通りですね」

 穏やかな口調でそう告げたのは、ルーフェンだ。
ルーフェンは、小さく息を吐くと、椅子の肘掛に頬杖をついた。

「単身ミストリアに渡り、獣人襲来の真意を突き止めてきた彼女の働きは、評価すべきことでしょう。ただ、トワリスは仮にも宮廷魔導師だ。間諜(かんちょう)として潜り込んだ以上、敵である獣人に同情して連れて帰ってくるなんて、話にならない。故に、今回再び売国奴の疑いをかけられてしまったのは、彼女の甘さが招いた当然の結果とも言える。そうでしょう、大司祭様?」

「……いかにも」

 モルティスは、首肯しながらも、怪しむようにルーフェンのほうを見た。
ルーフェンが、意見に賛同するだけでなく、教会にこのような親和的な態度をとるなど、予想外だったからだ。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.257 )
日時: 2017/03/12 00:41
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: u5wP1acT)


 ルーフェンは、微かに笑みを浮かべて、トワリスを見た。

「……さあ、身の潔白を証明する絶好の機会だ。さっさとやりなよ」

「…………」

 張りつめた空気が、広間を包む。
沈黙の末、トワリスは、血の気のない顔で、ルーフェンとモルティスを見て、答えた。

「お……お許し下さい……。私には、できません……」

 そう答えた瞬間、モルティスが嘲笑って、バジレットのほうに振り向いた。

「聞きましたか、陛下! この娘、サーフェリアよりも、ミストリアの獣人をとりましたぞ!」

 トワリスのこの行動には、モルティスだけでなく、その場にいた全員が、ざわざわと疑問の声を上げ始める。
この声のどれもが、自分に向けられた批難の声であることを感じて、トワリスは、俯いて唇を噛んだ。

 モルティスは、興奮したように周囲を見回し、朗々と宣言した。

「これで決まりですな! 獣人に肩入れするような娘が、サーフェリアを支える宮廷魔導師にふさわしいのか、疑問を感じざるを得ません。この娘からは、宮廷魔導師としての権限を剥奪するべきです! そして、この獣人共は即刻処分いたしましょう! 異論のある者は、おりますまい!」

 場にいた多くの視線が、その言葉に同調して、モルティスを見る。
ルーフェンも、落ち着いた顔つきで、納得したように頷いた。

「ええ、そうですね。特に異論はありません」

 ふっと笑って、それからルーフェンは、モルティスを見据える。

「──では、厄介事は早い内に片付けた方が良いでしょうし……どうぞ、大司祭様。今すぐこの場で、獣人たちを処分してください」

「…………!」

 瞬間、モルティスの顔が、はっと強張る。
ルーフェンは、にこやかな表情のまま、続けて言った。

「そこにいる獣人は、奇病にかかった連中とは違いますから、首を落とすだけで死にますよ。さあ、どうぞ?」

 モルティスは、先程トワリスに手渡した剣を一瞥すると、ぐっと眉を寄せた。

「ここは……陛下の御前ですぞ。そのような、血生臭いことは……」

 途端に、ぼそぼそと口ごもり始めたモルティスに、ルーフェンが首を傾げる。

「嫌だなぁ、何を仰ってるんです? つい先程まで、この場で獣人を殺せと、トワリスに命じていたのは貴殿でしょう?」

「…………」

 バジレットが、ルーフェンを横目に見て、小さくため息をつく。
ルーフェンは、押し黙ったモルティスを挑発するような口ぶりで、更にいい募った。

「……何を躊躇っておられるんです? まさか、大司祭様までサーフェリアへの忠誠心が示せないなんて、ありませんよね?」

 その言い方に、かちんときたのか。
モルティスは、トワリスから引ったくるようにして剣を奪うと、ユーリッドのほうに大股で歩いていった。

「戯れ言を仰らないで頂きたい!」

 そう叫ぶように言って、はっと身構えたユーリッドの襟首を、モルティスが掴む。
すると、今まで黙っていたファフリが、弾かれたように顔をあげた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.259 )
日時: 2017/03/14 20:33
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「待って! ユーリッドを殺さないで!」

 しかし、その言葉を無視して、モルティスが剣を振り上げる。
──その、次の瞬間。

「やめて──っ!」

 ファフリの悲痛な叫び声と同時に、モルティスの握っていた剣が、突然空中でぐるりと身を翻した。
そして、モルティスに刃先を向けたかと思うと、矢の如く飛んで、その頬をかする。

 剣は、飛んでいった先の石壁にぶち当たって、高い金属音をあげると、からんからんと床に落ちた。

「…………」

 モルティスが、振りかぶった姿勢のまま、よろめくようにユーリッドから後退して、尻餅をつく。
ユーリッドは、しばらく呆然としていたが、はっと我に返ると、ファフリに視線をやった。

「ファフリ……?」

 ユーリッドの言葉に、ファフリがゆっくりと顔をあげる。
しかし、その口が紡いだのは、返事ではなく、呪文であった。

「……汝、高慢と権力を司る地獄の伯爵よ。従順として──」

 ファフリの唱える声に合わせて、禍々しい魔力の渦が、広間を包み始める。
人々が、その異様な魔力から事態を理解するより早く、騎士たちの持つ剣や槍が、まるで意思を持ったかのように、空中に跳ね上がった。

 ファフリを囲むようにして、飛び上がった剣や槍が、宙に浮く。
それらは、しばらく自らの在り場所を探して、くるくると回転していたが、やがて、一様に剣先をモルティスに向けると、ぴたりと静止した。

 あまりにも凄まじい光景に、モルティスは、声すらあげることができなかった。
目の前で起きていることが信じられず、ただ呆然と、自分に向けられた無数の剣先を、見つめている。

 そのとき、侍従の一人が、不意に悲鳴をあげた。
その声を皮切りに、謁見の間に、混乱の波がわき起こる。
戦場を知っている魔導師や騎士たちでさえ、恐怖と動揺の色に染まり上がっていた。

 ユーリッドは、その混乱に乗じて、側にいた騎士を振りきると、ファフリの元に駆け出した。

「ファフリ! やめろ!」

 必死の思いで叫んで、ファフリに飛びかかる。
ユーリッドは、手枷を煩わしく思いながらも、なんとかファフリの口を手で押さえた。

 すると、ファフリの詠唱が止んで、宙に浮いていた剣や槍が、重力に従って床に落ちる。
沢山の金属が落下する音は凄まじく、すべての剣と槍が地面に落ちた後も、しばらくの間は、高い金属音が耳鳴りのように響いていた。

 全員が、夢から覚めたような顔で、ユーリッドとファフリを見つめる中。
へたりこんでいたモルティスが、ふと、上ずった声をあげた。

「いっ、今だ! 誰か、獣人を押さえろ! 早く殺せ!」

 しかし、動こうとする者は、誰もいない。
口を固く閉じ、俯いて目をそらす臣下たちを見て、モルティスは、更にわめき散らした。

「早くしろ! お前たち、何をやっておるのだ! 早く──」

 モルティスの後ろに控えていた司祭が、躊躇いがちに言った。

「だ、大司祭様……危険です、おやめください……。相手は、悪魔の力を持つ召喚師一族です。私たちでは……」

 モルティスの頬に、かっと血が昇る。
しかし、言い返すこともできず、モルティスは口を閉じた。


Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.260 )
日時: 2017/03/17 17:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 やがて、臣下たちの視線が、徐々にルーフェンに向き始めたことを感じると、ルーフェンは、いきなり笑いだした。
笑って、はぁと息を漏らすと、やれやれといった様子で口を開いた。

「真にサーフェリアに忠誠を誓っているなら、殺せるはずだ……か。どうやら、この国に忠臣は一人もいないみたいですね」

 ルーフェンの言葉に、モルティスが眉を寄せる。
他の臣下たちも、むっとしたような表情で、ルーフェンを見た。

 彼らのそんな反応に、ルーフェンは、またしても笑いを噛み殺したような顔になった。

「……いや、冗談ですよ。少し、意地悪なことを言いました。恐怖心っていうのは強いものですから、貴殿方の反応はごく自然だ。召喚術の恐ろしさを知っている以上、大司祭様もトワリスも、この場にいる全員が、きっとファフリちゃんを殺すことはできない。……私以外はね」

 そう言うと、ルーフェンは、ようやく席を立った。
そして、散らばった剣や槍の中心にいる、ファフリたちのほうへと歩いていく。
すると、トワリスが肩の傷を押さえながら、ルーフェンの前に立ち塞がった。

「……邪魔。どいて」

「嫌です」

 硬い声で否定して、トワリスがルーフェンを睨む。
ルーフェンは、微かに目を細めると、踏み出し様に、トワリスのうなじに手刀を叩き込んだ。

「……っ!」

 予想もしなかった攻撃に、咄嗟に反応しきれず、トワリスが倒れこむ。
その身体を受け止めると、ゆっくり地面に下ろして、ルーフェンは再び歩を進める。

 ユーリッドは、未だ意識が混濁している様子のファフリを支え起こすと、強張った表情で、鋭くルーフェンを見た。

 ルーフェンは、ふっと笑った。

「随分冷静だね。君達、殺されようとしてるんだよ?」

 言いながら、ルーフェンが二人に手をかざす。
そのとき、茫洋としていたファフリの瞳に、再び光が宿った。

「────!」

 散らばる剣の一本が、ルーフェン目掛けて飛び上がったのと、魔術の炎がユーリッドたちを飲み込んだのは、ほとんど同時だった。

 瞬間──広間に、光と熱の飛沫が広がって、人々の視界を灼く。
魔力が膨れ上がり、次いで、爆発音が鼓膜に突き刺さったかと思うと、本能的にその場に屈みこんだ人々の、聴覚を奪った。

 広間にいた者たちは、一瞬、自分達の身体まで、炎に焼かれたのではないかとという錯覚を覚えた。
しかし、熱や爆発音がおさまり、徐々に麻痺した目と耳に光と音が戻ってくると、人々は、恐る恐る顔をあげた。

「…………」

 静寂の中、踞っていた臣下たちが、ぽつぽつと起き上がり始める。
てっきり、謁見の間ごと爆発したのではないかと思っていたが、ルーフェンによって焼かれたのは、ユーリッドたちがいたごく一部の場所だけ。
その他は、壁や床、燭台に立つ蝋燭一本でさえも、不自然なほど変わらず存在していた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.261 )
日時: 2017/03/19 22:52
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: w93.1umH)



 身体の震えがおさまり、時間と共に全身の感覚が戻ると、漂ってくる焦げ臭さに、人々は広間の中心部を見た。

 焼けてぼろぼろになった絨毯の上に、二つの焼死体──ユーリッドとファフリが、寄り添うように倒れている。
もう、生前の姿は跡形もなく、ぷすぷすと燻って煙を出すその炭の塊を、人々は、呆然と見つめていた。

「……これで、一件落着ですね」

 涼やかな笑顔を浮かべて、ルーフェンが言う。
今にも崩れそうな、脆い焼死体を前にして、まるで死神のごとく立って笑うその様に、人々は、底知れない寒気と恐怖を感じた。

 ルーフェンは、先程目前で落ちた剣を、足で器用に跳ね上げて手に取ると、今度はゆっくりとトワリスの方に歩いていった。
そして、その剣先を、トワリスに向ける。

「……それで、彼女はどうしますか? 宮廷魔導師としての権限を剥奪……それだけでよろしいので?」

 どこか挑発的に言って、ルーフェンは、未だ地面に座り込むモルティスの方を見た。
モルティスは、蒼白な顔でルーフェンを凝視したまま、何も言わない。

 沈黙の後、モルティスに代わり、口を開いたのはバジレットだった。

「……もう良い。ここは処刑場ではないのだぞ。やめろ、ルーフェン」

 疲れたように息を吐いて、バジレットが顔をしかめる。

「このシュベルテが王都として再建したときから、トワリスは、国のためよく尽くしてくれていた。獣人たちを連れ帰ってきたその甘さは、誉められることではないが、ミストリアから生還し、その内情を探り当ててきたことは見事である。宮廷魔導師の権限を、剥奪したりはしない」

「……左様で」

 ルーフェンは微笑んで、モルティスを一瞥すると、トワリスから剣先をどけた。

 バジレットは、落ち着かない様子の臣下たちを見回すと、平坦な声で言った。

「宮廷魔導師団長、前へ」

 大勢の人々の中から、ジークハルトが玉座の前に出てきて、畏まる。
バジレットは、無表情で頷くと、ジークハルトを見据えた。

「トワリスの処遇は、そなたに一任しよう。なにか問題があれば、後日沙汰する。トワリスを連れて、もう下がれ」

「はっ」

 ジークハルトは、落ち着いた態度で返事をすると、門衛の側で静かに立っていたハインツを、合図して呼び寄せた。
ハインツは、黙ってのそのそと歩いてくると、倒れているトワリスを抱き上げる。

 ジークハルトは、最後にルーフェンを横目に睨むと、ハインツを伴って、謁見の間から出ていった。

 宮廷魔導師たちの退室を見届けると、バジレットは、絨毯の上に転がる焼死体に、視線を移した。
そして、悩ましげに手で目を覆うと、深々とため息をつく。

 この審議会が始まったときから、ユーリッドとファフリの処刑は、ほとんど決まっていたようなものではあった。
だがまさか、この場で執行されるとは思いもしなかったのだ。

 ファフリの召喚術の暴走を止めるため、仕方のない部分があったとはいえ、あのように強引かつ一方的に焼き殺せば、臣下たちの召喚師に対する恐怖を増長させることになる。
興奮して騒ぎ立てたモルティスの言動も、鼻につく行為ではあったが、ルーフェンが、わざわざ召喚師への恐怖心を煽るような行動をとったことは、更に愚かしい。
ルーフェンが、何故そのようなことをしたのか、不可解だった。

「……ミストリアのことは……」

 バジレットは、そう呟いて、手を膝の上に下ろした。
しかし、言葉を続けることなく、迷ったように、再びため息をつく。

 国王の疲弊した様子に、気遣った侍従が側に寄ると、バジレットは、小さく首を振った。

「……良い。この件は、もうこれで終いだ」

 厳しく目を細め、バジレットは、ルーフェンとモルティスを見た。

「ミストリアの次期召喚師は、死んだ。サーフェリアに蔓延っていた獣人たちも、もう駆逐したのであろう。であれば、この件は終いだ。今後、ミストリアの動向に注意し、西沿岸の警備を強化するように。魔導師団の活動制限も解く。良いな?」

「……御意」

 ルーフェンが、畏まって返事をする。
それを見て、モルティスも我に返ったように慌てて立ち上がると、深々と頭を下げた。

 バジレットは、最後に広間全体を見渡すと、目を閉じ、軽く手を振った。

「……では、もう下がれ。審議会は、これにて閉廷する」

 


 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.262 )
日時: 2017/03/22 19:35
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ET0e/DSO)


  *  *  *


 昼間の賑わう大通りを避け、王宮から宮廷魔導師団の駐屯地へと戻ると、ハインツは、仮眠用に休憩室に設置されている寝台の上に、トワリスを寝かせた。
そうして、見守る体勢に入ったハインツだったが、苛々した様子のジークハルトが脇にやって来ると、びくっと体を震わせた。
ジークハルトが、トワリスの横たわる寝台を、軽く蹴ったのだ。

「おい、いい加減、狸寝入りはやめて起きろ」

 ジークハルトの鋭い声に、トワリスが、ゆっくりと目を開ける。
トワリスは、気まずそうに上体を起こすと、小さな声で言った。

「……ばれてましたか?」

 ジークハルトは、呆れたようにため息をついた。

「当たり前だ。あんな急所を外した攻撃で気絶するほど、お前は柔じゃないだろ。他の馬鹿共はともかく、俺を騙そうなんざ百年早い」

「す、すみません……」

 トワリスが、縮こまって謝罪する。

 謁見の間で、トワリスは、ルーフェンの手刀に気絶したふりをした。
そのことを、あの場でジークハルトにばらされていたら、今回の策は打ち破られていただろう。

 それなのに、ジークハルトはどうして黙っていてくれたのか。
聞いてみたかったが、ジークハルトの不愉快極まりないといった表情に、これ以上の発言は許されないような気がして、トワリスは黙っていた。

 備え付けの椅子に、ふんぞり返って座ると、ジークハルトは続けた。

「……狸寝入りだったなら、陛下の話も聞いていたな。お前の処遇は、俺が決めることになった」

「あ、はい……」

 顔をあげ、トワリスがジークハルトに向き直ると、ジークハルトも、体を寝台のほうに向けた。

「お前、一ヶ月謹慎して、寮で大人しくしてろ。いいか、くれぐれも目立つ行動はとるんじゃないぞ。城下をふらふら出歩くのも禁止だ。分かったな?」

「あ……えっと……」

 ジークハルトの言葉に、トワリスは頷かなかった。
それに対し、ジークハルトはますます表情を厳しくしたが、トワリスは、ぐっと拳を握ると、口を開いた。

「……私、本当に、売国奴じゃないんです。信じてください」

 ジークハルトの目を、まっすぐに見て言う。
すると、ジークハルトは、厳しい顔つきのまま、ふうっと息を吐いた。

「……馬鹿か。別に、信じるも何も、俺はお前が売国奴だなんて端から疑っちゃいない。そんなことできるほど、お前は器用じゃないだろう」

「え……でも、じゃあなんで謹慎って……」

 売国奴だと疑われているわけでないなら、何故謹慎処分を食らわなければならないのか。
それとも、これはファフリたちを連れ帰ってきたことに対する罰だろうか。
そういった意味を込めて問い返すと、ジークハルトが、更に不機嫌そうな表情を浮かべた。

「……なんでだと? じゃあ、お前は傷も治っていないくせに、仕事復帰するつもりなのか。ろくに歩けもしないその状態で、出来る任務があるなら言ってみろ。あ?」

「い、いや……ないです……」

 ふるふると首を振って、もうジークハルトの怒りに触れないように、口を閉じる。
要は、謹慎という名の、休暇をくれたということなのだろう。
実際、怪我が治癒するまでは、任務に出たところで足手まといにしかならない。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.263 )
日時: 2017/03/25 20:21
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 いつも以上に機嫌の悪いジークハルトと、居心地が悪そうに黙りこむトワリスとハインツ。
そんな三人の間に、妙な沈黙が流れたとき。
外から足音が聞こえてきたかと思うと、休憩室の扉が開いて、アレクシアが入ってきた。

「あら、トワリスじゃない。帰ってきたって、本当だったのね」

 艶然(えんぜん)と微笑んで、アレクシアが豊かな蒼髪をかきあげる。
その仕草だけで、耐性のない男ならば簡単にくらりと来てしまうだろうが、そんな手練手管が宮廷魔導師の面子に通用するはずもなく、ジークハルトは、アレクシアをぎろりと睨んだ。

「何しに来た。お前は油売ってないで、さっさと仕事しろ」

「まあ、怖い」

 くすくすと笑って、アレクシアがトワリスの隣に座る。

「別に、少しくらい良いでしょう? せっかくトワリスも帰ってきたんだし。ねえ?」

 そう言って、アレクシアがトワリスに視線を送る。
いつもなら、あんたのさぼりは少しじゃないだろう、とでも言い返したいところだが、アレクシアとも、久々の再会である。
トワリスは、苦笑だけ返した。

 ジークハルトは、アレクシアの相手をするのが面倒になったのか、眉間に皺を刻み付けたまま、椅子から立ち上がった。

「……とにかく、トワリス。先程も言ったが、くれぐれも目立つ行動はとるなよ。あの阿呆召喚師が何を企んでいるのかは知らんし、興味もないが、お前は絶対に大人しく謹慎してろ。いいな?」

 それだけ言い放って、ジークハルトは、さっさと休憩室から出ていってしまう。
そのあまりに素っ気ない様子に、残された三人は、しばらく呆然とジークハルトが出ていった扉を見つめていたが、やがて、トワリスとアレクシアは、顔を見合わせてぷっと笑った。

「やあねえ……素直に、今は仕事のことを忘れてゆっくり休みなさいって、そう言えばいいのに」

 可笑しげに肩をすくめるアレクシアに、トワリスも、詰めていた息を吐き出した。

「……謹慎処分だなんて言われるから、てっきり、団長にまで売国奴だと疑われてるんだって、勘違いしちゃった。だけど、よく考えたら、本当に売国奴だと思われてたんなら、私、とっくに宮廷魔導師を解雇になってるよね」

 安堵の表情で、トワリスが言う。
アレクシアは、そうね、と答えてから、ふと、笑みを消した。

「……まあでも、わざわざ休暇と言わなかったのは、言葉通りトワリスには、謹慎していてほしいってことなんじゃないかしら」

「え……?」

 アレクシアの言葉に、トワリスが瞬く。
アレクシアは、一瞬だけ窓の外を見ると、すっと目を細めた。

「……休暇感覚で、必要以上に外に出るなってことよ。教会がやたらと吹聴しまくったせいで、外には、まだ貴女のことを売国奴だと思っている連中が大勢いるの。いずれ、獣人騒動が収まったことは、王宮から発表されるだろうけど、ほとぼりが冷めるまでは、しばらく身を潜めていた方がいいわ。今、貴女がのこのこと外を出歩いていたら、何されるか分かったもんじゃないもの」

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.264 )
日時: 2017/08/15 18:42
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 トワリスの瞳が、小さく揺れる。
アレクシアは、そんなトワリスの顔をじっと見つめていたが、やがて、ふっと笑って続けた。

「まあとにかく、今は貴女の出る幕じゃないってことよ。時が経てば、きっとなんともなくなるわ。そうしたら貴女も、無事に仕事復帰。私の仕事の取り分も、めでたく少なくなるってわけ」

「……相変わらずだね、あんたは」

 呆れたように言ったトワリスに、アレクシアは大袈裟な口調で言った。

「あら、ちゃんと労りの気持ちも持ってるわよ? ミストリアから帰ってくるなんて、すごいじゃない。おかえり」

 トワリスは、胡散臭そうにアレクシアを見上げていたが、くすっと笑うと、頷いた。

「アレクシアに、労りの気持ちがあるとは思えないけど。……ただいま」

 アレクシアは、微笑んで立ち上がると、くるりとトワリスに背を向けた。

「じゃあ私、もう行くわよ。仕事しないと、あのこわーい鬼顔の団長に怒られちゃう」

「……うん」

 アレクシアは、最後にひらひらと手を振ると、軽い足取りで部屋を出ていく。
トワリスは、どこかぼんやりとした様子で、その後ろ姿を見送ると、微かに俯いた。

 ジークハルトに続き、アレクシアもいなくなると、部屋にはトワリスとハインツだけになった。

 トワリスは、普段から多くしゃべる方ではないし、ハインツも元来寡黙であるから、この二人の間に、沈黙が流れることはよくあることだ。
しかし、あまりにも長く続く沈黙に、トワリスの顔を覗き込んでみて、ハインツは驚いた。
トワリスの目から、涙が流れていたのだ。

 どうしてよいか分からず、右往左往するハインツを見て、トワリスも、初めて自分が泣いていることに気づいたのだろう。
顔を拭った手の甲が、涙で濡れているのを見ると、トワリスは微かに目を見開いた。

「あれ……ごめん。なんでだろう、急に……」

 そう言って、笑おうとしたが、失敗する。
声が震えて、次々と溢れてきた涙に、トワリス自身困惑しながら、ハインツから顔を背けた。

「……ごめん……。気が、緩んだのかも……」

 途切れ途切れに、嗚咽を漏らしながら、呟く。

 自分でも、何故今になって涙が出てきたのか、分からなかった。
未だ自分を売国奴だと疑っている者達がいることが悲しいのか、それとも、独断でユーリッドたちを連れてきてしまったにも関わらず、信じて助けてくれる仲間達がいることが嬉しかったのか。
色んな感情がごちゃまぜになって、とにかく気持ちが一杯一杯だ。

 ハインツは、しばらく戸惑った様子で固まっていたが、やがて、トワリスを抱き締めると、すりすりと頭に頬を擦りよせた。

 耳のすぐ近くで、すすり泣くような声が聞こえてきて、どうしてハインツまで泣くのだと、トワリスはふと笑ってしまった。

「……大丈夫だよ、ハインツやルーフェンさんが、ファフリたちを助けてくれたし。ありがとう」

 そう言ってトワリスは、ハインツの大きな背中を、あやすように撫でた。
自分より何倍も大きい体躯を持つハインツだが、昔から、泣き虫で不器用なところがあるから、トワリスにとっては手のかかる弟といった感覚である。

 いつの間にか、涙も引っ込んで、トワリスは苦笑した。
そうして、ぐずぐずと泣いているハインツを慰めながら、トワリスは、安心したように息を吐いたのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.266 )
日時: 2017/04/04 20:00
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: fjkP5x2w)



  *  *  *


 微かに、誰かの話し声がする。
自分にのし掛かる、暖かい重みを感じて、ユーリッドはのろのろと目を開けた。

 ぼんやりとした頭で、周囲を見回すも、辺りは真っ暗で、何もわからない。
しかし、自分にのし掛かって倒れているのが、ファフリであることに気づくと、ユーリッドははっと目を見開いた。

「ファ──」

 ファフリ、と名前を呼ぼうとして、突然、背後から伸びてきた手に口を押さえられる。
驚いて、一瞬動きを止めると、目の前の暗闇に、ふわりと光る文字が浮かんだ。

──静かに。動かないで。

 ユーリッドは、その文字を読んでから、ゆっくりと後ろを向いた。
すると、光る文字に照らされた、ルーフェンの顔が視界に映る。

 ユーリッドは、自分の口を押さえるルーフェンの手を、無理矢理引き剥がすと、小さくも鋭い声で言った。

「おいルーフェン、どこだよ、ここ!」

「…………」

 ルーフェンは何も答えず、しっと人差し指を口元に当てる。
とにかく今は、喋るなということなのだろう。

 仕方なく押し黙ったユーリッドだったが、その代わり、倒れているファフリを引き寄せると、警戒したようにルーフェンから身を引いた。

 よく考えれば、自分達は、先程まで行われていた審議会の場で、このルーフェンに焼き殺されたのではなかったか。
確かに感じた、身を焦がす灼熱を思い出して、ユーリッドはファフリを抱く手に力を込めた。

 今がどういう状況で、何故自分達が再び目を覚ましたのか。
理解できなかったが、また次に、いつルーフェンが襲い掛かってくるとも限らない。

 そんなユーリッドの警戒心を感じたのか、ルーフェンは苦笑して、もう何もしない、という風に両手を上げた。
それから再度、喋らないようにと人差し指を口元にやると、今度は地面を指差して、手招きをした。
どうやら、こちらに来いと言っているらしい。

 ユーリッドは、鋭い目付きのまま、しばらくルーフェンを睨んでいた。
だが、やがて、ファフリを静かにその場に寝かせると、ゆっくりとルーフェンに近づく。
そして、ルーフェンが指差す地面に視線をやると、そこには、板と板をずらしたような、僅かな細長い隙間があった。

 その隙間から漏れ出る、微かな光に誘われるように、隙間を覗き込むと、眼下に、見知らぬ部屋の床が見えた。

(そうか、ここ、天井裏だったのか……)

 辺りが真っ暗で、何もないことを妙に思っていたが、ここが天井裏であると考えれば、それも頷ける。
眼下にある部屋も、ユーリッドには見覚えのない部屋だったが、高級そうな調度品や、磨かれた大理石の壁と床が見えるところからして、王宮のどこかにある一室なのだろう。

 謁見の間で行われていた審議会で、ルーフェンに焼き殺されたかと思いきや、何故か王宮にある別の一室の、天井裏に移動したらしい。
ユーリッドもファフリも、今まで気絶していたわけだから、普通に考えて、移動したのはルーフェンの仕業だろう。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.267 )
日時: 2017/04/07 22:20
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 状況が分からず、自分達がここにいる理由を問いかけようと、ユーリッドがルーフェンに視線を移したとき。
部屋の方から、ばんっと大きく扉を開ける音がして、ユーリッドは、再び隙間から部屋の中を見た。

 そういえば、目を覚ました時も、誰かの話し声が聞こえていた。
隙間が狭いため、広範囲を見渡せず気づかなかったが、部屋には数人、誰かがいるようだ。

(あれは……審議会の時にいた、教会の奴らか? それと、大司祭の……)

 勢い良く扉を開け、部屋に入ってきたのは、大司祭モルティスだった。
審議会の場から、この部屋に直接やってきたのだろうか。

 モルティスは、苛々とした様子で床を踏み鳴らし、力任せに壁を蹴る。
天井板の隙間からではよく見えなかったが、佇んでいた他の司祭たちは、そんなモルティスに対し、恭しく頭を下げた。

「くそっ、一体どうなっておる! 召喚師はミストリア側につくのではなかったのか!」

 口汚く叫びながら、モルティスは、飾ってあった皿を取り上げ、地面に叩きつけた。
皿の割れる派手な音に、びくりと震えながら、司祭たちが慌てて言葉をかける。

「し、しかし、大司祭様。昨日、獣人やトワリス卿と面会していた際も、召喚師は『ミストリアに加担する気はない』というようなことを、はっきり本人たちに告げておりました。獣人たちを地下牢に閉じ込めたのも、召喚師の意思です。ですから、その……」

「それは真であろうな!? ミストリアに加担するつもりはないのだと、召喚師は確かにそう申したのか!」

 険しい表情のモルティスに詰め寄られ、司祭は、何度も頷いた。

「召喚師を監視していたイシュカル教会の間諜(かんちょう)が、そのように報告していますから、事実かと……。他にも、召喚師の動向を見張るようにと命じた者はおりますが、召喚師が獣人に手を貸すような素振りを見せたとの報告はありません。此度の審議会で、ミストリアの次期召喚師を処刑したのも、召喚師本人が、元々そのつもりだったからだとしか……」

「…………」

 司祭の言葉を聞くと、モルティスは顔を歪め、詰め寄っていた司祭からよろよろと離れた。
そして、部屋に置かれた椅子に座り込むと、長いため息をつく。

 そうして頭を抱えるモルティスに、司祭の一人が、困ったように言った。

「ですが……結果的には、これでよかったのではないでしょうか。ミストリアの次期召喚師は死に、サーフェリアに襲来していた獣人達も、根絶やしに出来たとのこと。完全にとは言えないものの、これで、獣人たちの驚異は去ったと言えるのでは……」

「そんなことは、どうでも良いのだ……」

 司祭の言葉を遮り、モルティスは、再び息を吐いた。

「……獣人のことなど、端からどうでも良い。問題なのは、召喚師が我らイシュカル教会と同様の意見を述べ始めたことだ」

 椅子の肘掛けに、とんとんと人差し指を打ち付けながら、モルティスは言った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.268 )
日時: 2017/08/15 18:52
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「召喚師は、ミストリアに交戦の意思があるか確かめるべきだと、ずっと主張し続けていた。つまり、ミストリアとの争い、衝突を避けたがっていたのだ。故にあのまま、ミストリア側の肩をもつような態度を続けていれば、いずれは陛下の中で召喚師の地位は陥落。結果、我らイシュカル教会が台頭していたはずなのに……。召喚師め、今になって、自らの立場が惜しくなったか」

「…………」

 ぎりっと奥歯を噛みしめ、悔しげに唸るモルティスを、司祭たちは、戸惑った様子で見つめた。

「……大司祭様、恐れながら、これ以上は……。あの召喚師(死神)が、我らイシュカル教会と肩を並べ、権力を貪っていることは見過ごせません。しかし、あまり執拗に活動すれば、召喚師にこちらの動きを悟られる可能性があります」

 躊躇いがちな司祭の申し出に、モルティスは何も言わず、しばらく考えこんでいた。
だが、司祭の言い分はもっともだと思ったのか、やがて、椅子から立ち上がると、吐き捨てるように言った。

「分かっておる。……召喚師を、監視から外せ」

 司祭たちは、驚いたように目を見開いた。

「監視まで外して、よろしいので?」

 モルティスは頷いて、司祭たちのほうに向き直った。

「これ以上監視したところで、意味はないだろう。それに、今回の審議会が、全く無意味だったという訳ではない。まさか召喚師が、ミストリアの次期召喚師を陛下の御前で、あのように無惨に焼き殺すとは……。正直予想外ではあったが、あれでルーフェン・シェイルハートの残虐さと本質を、再認識した者は多いはずだ」

 今まで、モルティスたちの会話を黙って聞いていたユーリッドだったが、ここで、ルーフェンの名前が出たことに、ふと眉を寄せた。

 会話の所々に出ていた、“召喚師”というのが、ルーフェンを指しているのだということは、なんとなく分かっていた。
だが、同じ人間同士、サーフェリアを守る権力者同士であるのに、監視をするだの、地位を陥落させるだの、出てきたのは信じられない言葉ばかりだ。

(……でも、そうか。そういえばカイルたちも、教会と召喚師は敵対関係にある、って言ってたな)

 リリアナとカイルの言葉を思い出しながら、顔をあげると、ユーリッドは、傍らにいるルーフェンを見た。
天井裏は暗いため、表情まではっきりとは分からないが、どうやらルーフェンも、モルティスたちの会話に耳を傾けているようだ。

 ルーフェンは、ユーリッドの視線に気づくと、静かに身じろぎ、その腕を掴んだ。
続いて、倒れているファフリの腕も掴むと、声には出さずに何かを唱える。

 すると、何をする気なのかと問う間もなく、足元に魔法陣が展開した。

 魔法陣から発せられた、眩い光に包まれて、ユーリッドは、咄嗟に目を閉じた。
 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.269 )
日時: 2017/04/14 18:35
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HBvApUx3)



 魔法陣の光に包まれ、一瞬の浮遊感の後、ユーリッドは、背中から硬い石床に落下して、思わず呻いた。
同時に、土埃とかび臭さが鼻をついて、げほげほと咳き込む。

 そうして、ゆっくりと身を起こすと、ユーリッドは、今度は自分が全面石造りの奇妙な空間にいることに気づいた。

 石室の中は、滅多に人が出入りしないのか埃っぽく、所々蜘蛛の巣がはっている。
石床の中心には、微かに光を放つ、大きな魔法陣が描かれていて、それは、先程ルーフェンが発現させたものによく似ていた。

 天井裏の次はなんだ、という風に、呆然としていると、やがて、足元の大きな魔法陣の光が、徐々に弱まっていき、消えた。
すると、石室が真っ暗になる前に、すぐ側にいたらしいルーフェンが、空中で指を動かす。
その指の動きに連動するように、石壁に設置されていた燭台の蝋燭が、次々と火を灯した。

「ここ、は……?」

 久々に声を出して、ユーリッドが尋ねる。
ルーフェンは、倒れているファフリの額に手を当てながら、静かな声で答えた。

「王宮の裏口付近にある、地下道だよ。ここには、瞬間移動できる魔法陣、移動陣が敷かれてるんだ。質問は後で聞くよ。……ファフリちゃん、悪いけど起きて」

 矢継ぎ早に述べて、ルーフェンがファフリの肩を揺らす。

 今は、立ち話をしている暇などない、ということか。
ユーリッドも、未だ詳しい状況は分からないものの、審議会で死んだことになっているはずの自分達が、王宮の人間たちに見つかったらまずいことくらいは、理解していた。

「召喚術を使ったあとは、しばらくファフリは起きないよ。魔力の消耗が、激しいんだと思う。これまでも、召喚術を使ったあとは、長時間目を覚まさなかったんだ」

 ファフリを起こそうとするルーフェンに、ユーリッドがそう告げると、ルーフェンは、微かに目を細めた。

「……魔力の欠乏だけじゃ、長時間意識を失ったりはしないよ。多分、意識が混濁してるんだろう」

「意識が混濁?」

 眉をしかめるユーリッドには答えず、ルーフェンは、ファフリの頭の上に手をかざした。

「……中にいるのは、誰だ」

 鋭く、冷たい声で、ルーフェンが問いかける。
すると、ファフリの体から黒い煙のようなものが立ち上ぼり、ぼんやりと鳥のような姿を象った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.270 )
日時: 2017/04/17 10:46
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 鳥の形になった煙は、ぽっかりと空いた穴のような目でルーフェンを見つめながら、石壁全体を這うように羽を伸ばし、どんどんと巨大化していく。
その巨体から放たれる、あまりにも禍々しい妖気に、ユーリッドは、思わず後ずさった。

「……ユーリッドくん、大丈夫だから、あまり動揺しないで」

「い、いや、そんなこと、言われても……」

 ルーフェンの言葉に、なんとか声を絞り出して、反論する。
動揺するな、と言われても、こんな奇妙な鳥なんて、今まで見たことがないのだ。
平静を保っていろという方が、無理な話である。

 鳥は、鋭い爪や嘴を持っているわけでも、地を震わせるような咆哮をあげるわけでもない、影のような不確かな存在であった。
しかし、見ているだけで、全身が凍てついてしまうほどの恐怖を感じる。
それは、強敵を目の前にして、死を覚悟したときに感じる恐ろしさとは違う。
身を内側から貪られ、絡め取られ、成す術もなく吸い込まれてしまいそうな、形容しがたい恐怖であった。

 ルーフェンは、覆い被さるように広がった鳥を見上げて、小さく息を吐いた。

「……ハルファス、ちょうど審議会の時に召喚されていた悪魔か……。邪魔をするな、今すぐ主の意識を解放しろ」

 昨日までの飄々とした態度からは想像もできない、強い口調で、ルーフェンが言い放った。
だが、鳥の影──ハルファスは、威嚇するようにルーフェンを包み込むと、その身体を飲み込もうとばかりに、嘴を大きく開く。

 ルーフェンは、目前まで迫るハルファスの双眸をきつく睨み付けると、憎悪が滲んでいるとさえ感じられる、地を這うような低い声で告げた。

「……召喚師一族に歯向かう気か? 使役悪魔の分際で、つけあがるなよ……!」

 ずん、と空気が重くなって、石室全体が、ルーフェンの魔力に満たされる。
ゆらゆらと揺れていたハルファスは、それと同時に動きを止め、何かを見定めるように、ルーフェンを見つめた。

 次いで、ルーフェンは更に放出する魔力量をあげると、強く言い募った。

「もう一度言おう、邪魔だハルファス。大人しく引っ込んでいろ……!」

 瞬間、突風に掻き消された煙の如く、ハルファスの姿が薄れる。

 ユーリッドは、呆然とその様子を見つめていたが、やがて、ハルファスが完全に消え去ると、恐る恐る声を出した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.271 )
日時: 2017/04/20 21:24
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: fhP2fUVm)



「い、今のが、悪魔……? ルーフェン、倒したのか?」

 ルーフェンは、ふうっと息を吐いて小さく笑うと、肩をすくめた。

「まさか。本当の使役主でもないのに、そんなこと出来るわけがないさ。一時的に威圧して、大人しくさせただけだよ。ハルファスがもう少し気の強い悪魔だったら、逆に隙をつかれて取り込まれてたかもね」

 ハルファスと対峙していた時とは異なる、軽い口調でルーフェンが言う。

 取り込まれていたかも、だなんて、何故そんな風に笑いながら言えるのか、正直理解できなかった。
しかし、身体の力を抜くと、ユーリッドも、ひきつった笑みを返した。

 ユーリッドがルーフェンの側にいくと、倒れていたファフリの瞼が震えて、微かに目を開いた。
ファフリは、覗き込んでくるユーリッドとルーフェンの顔を、つかの間ぼんやりと見つめていたが、ふと身動ぐと、唇を動かした。

「……ここ、どこ……?」

 ユーリッドは、ファフリを安心させるように、穏やかな声で答えた。

「王宮近くの地下道だって。俺も状況はよく分からないんだけど……」

 そう言って、ルーフェンのほうを見ると、ルーフェンは少し考え込むように俯いてから、ファフリの手を握った。
そして、ゆっくりとファフリの手を引いて立たせると、続いてユーリッドの手に、ファフリの手を握らせる。

「話は後、もう一度飛ぶよ。二人とも、絶対にお互いの手を離さないように」

「と、とぶ……?」

 先程まで眠っていたファフリが、戸惑ったように声をあげた。
しかし、何かを発言する間もなく、ルーフェンが地面の移動陣に手をかざす。

 ユーリッドは、ルーフェンが再び瞬間移動するつもりなのだと悟ると、握っていた手に力を込め、反対の手で素早くファフリを抱き寄せた。
刹那、魔法陣が眩い光を放ち、三人はその光に飲まれる。

 同時に襲ってきた強い向かい風に煽られつつ、何か見えない力に引っ張られるのを感じながら、ユーリッドとファフリは、じっと目を閉じていた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.272 )
日時: 2017/04/23 20:37
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 3w9Tjbf7)



 全身を嬲(なぶ)る強風から解放され、次にファフリたちが着地したのは、シュベルテの東門近くにある、移動陣の上であった。

 周囲は森に囲まれ、長い街道の続く先には、城下町へと繋がる石造りの大きな門──東門がある。
その門の向こうでは、遠目からでも分かるほど沢山の人間たちが、賑やかに往来していた。

(ここ……ミストリアからサーフェリアに渡ってきたときに、初めて着地したところね)

 辺りを見回しながら、ファフリはそう確信した。
ルーフェンによって連れてこられたのは、かつて、サーフェリアに来た際に着いた、移動陣の上のようだ。

 あの時は、冷たい雨に打たれながら、瀕死のユーリッドとトワリスを残し、ひたすらリリアナたちの家を目指して、死に物狂いで走ったのだった。
ファフリは、久々に拝んだ太陽の光に目を細めながら、そんなことを思い出していた。

 その時だった。
突然、ファフリを強く抱いていた腕が、するりと離れる。

 ユーリッドは、そのまま仰向けに地面に倒れると、苦しげに呻いた。

「いっ、だぁあぁぁ……」

「ユ、ユーリッド! どうしたの!?」

 涙目になって喘ぐユーリッドに、ファフリが屈みこんで様子を伺う。
見たところ、真新しい傷も見当たらないし、怪我を負ったという訳ではなさそうだ。
しかし、倒れたまま動けなくなっているところを見る限り、相当な激痛がユーリッドを襲っているのだろう。

 どうして良いか分からず、何も出来ずにいると、同じく傍に着地していたルーフェンが、くすくすと笑った。

「大した距離移動してないから、平気だと思ったんだけど、やっぱり痛むみたいだね。大丈夫?」

「全っ然大丈夫じゃない! 身体がすっげえ痛え!」

 大して心配している様子もなく、軽い調子で尋ねてくるルーフェンに、ユーリッドが怒鳴るように返事をする。
大きな声が出せるなら、そこまで深刻な状態ではないと安堵しつつ、ファフリは、心配そうにルーフェンを見た。

「あの……やっぱり痛むって? ルーフェン様が使った瞬間移動と、関係があるの?」

 ファフリの質問に、ルーフェンは頷いた。

「ああ。移動陣っていうのは、言っちゃえば、時空をねじ曲げて物質を転送する、無茶苦茶な魔術だからね。俺やファフリちゃんならともかく、魔力耐性の低い奴には、身体に相当な負荷がかかるらしいよ。ユーリッドくんなんか獣人だし、魔力への耐性なんてないに等しいから、しばらく動けないかもね」

 尚も笑顔で告げるルーフェンに、ユーリッドは、顔をしかめた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.273 )
日時: 2017/04/26 20:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



「身体に負荷って……でも、ミストリアからサーフェリアに渡ってきたときとか、さっき変な屋根裏から地下道に移動した時は、こんな痛み感じなかったぞ」

 ユーリッドのぼやきに、ルーフェンは眉をあげた。

「君達がサーフェリアに来たときに使った移動陣は、俺が作ってトワに渡したものだからね。サーフェリアに来たときも、先程地下道に移動したときも、全て俺の魔力に十分依存した形で移動陣を使ったから、負担はぜーんぶ俺が受けるんだよ。でも、そんなこと毎度繰り返してたら、俺も身体がもたないし、今の移動は、俺一人が移動する分の魔力だけ使って、君たち二人を無理矢理引っ張りあげたわけ。だから、負担は移動する人数全員に平等にかかるってこと。それが、ユーリッドくんにはきつかったみたいだね。ファフリちゃんが平気なのは、流石に召喚師一族ってところだけど」

「な、なんだって? 魔力が?」

 捲し立てるようなルーフェンの説明に、ユーリッドが困惑した表情で返す。
そもそも、魔術などとは縁遠い生活を送ってきたのだ。
いきなり瞬間移動なんてものを経験した上に、魔力の依存がどうのと長々言われても、自分の頭では理解できる気がしなかった。

 ファフリは、神妙な面持ちで、ルーフェンを見た。

「要は、三人が移動するのに十分な魔力を使わなかったから、負荷が術者以外にもかかった、ということですよね」

「そうそう、その通り」

 頷き返して、ルーフェンは大袈裟に肩をすくめた。

「十分な魔力を使わなかった、といっても、本来は人一人移動させるのだって、何人もの魔導師の力を要するんだ。その点、俺は君達二人を謁見の間からここに連れてくるまで、四回も移動陣を使って、召喚術まで行使したんだからね? 大いに感謝して労っていいよ」

 へらへらと笑いながら、ルーフェンが軽口を言う。
ユーリッドは、その時、はっと顔を強ばらせると、真剣な顔でルーフェンを見つめた。

「謁見の間から、って……じゃあ、やっぱり俺達を焼き殺そうとして、ここまで連れてきたのは、お前なんだな。結局、どういうことだ? 俺達をどうするつもりなんだよ」

 眉を寄せ、険しい表情を浮かべて、ユーリッドが上体を起こす。
ファフリも、そんなユーリッドの傍で不安げな顔つきになると、ルーフェンに視線をやった。

「状況が状況だから無理もないけど、そんなに警戒しないでよ。むしろ命の恩人だって、感謝されたいくらいなのに」

 見るからに不信感を募らせている二人に、ルーフェンは苦笑した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.274 )
日時: 2017/04/30 16:25
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



「君達二人の処刑は、審議会が始まる前から、決まっているようなものだった。俺やトワが反発したところで、それは覆らないし、万が一処刑は免れたとしても、地下牢にぶちこまれて監視されるのが落ちだ。だから俺が、表向き二人を殺したんだよ。死んだとあっちゃ、君達を狙う輩はもういないだろう? ユーリッドくんは聞いたと思うけど、面倒な教会の奴等も、完全に君達二人は死んだと思い込んでる。つまり、これでユーリッドくんもファフリちゃんも、晴れて自由の身、ってわけ」

 ユーリッドとファフリが、同時に目を大きく開いて、顔を見合わせる。
次いで、ユーリッドは考え込むように俯くと、再び表情を曇らせた。

「表向き殺した……って、でもそれって、あの審議会の場にいた全員を騙したってことだよな? 爆発を起こした瞬間に、俺達をあの屋根裏に移動させたなら、謁見の間に死体だって残らないだろう?……大丈夫なのか?」

 訝しげに問うたユーリッドに、ルーフェンは、呆れたように息を吐いた。

「それくらい、ちゃんと対策をとってるよ。死体なら置いてきたさ。獣人の焼死体、二人分ね」

「置いてきた…… って、どうやって」

 ぞっとしたような顔のユーリッドを見て、ルーフェンはにやっと笑った。

「覚えてない? 初めて俺達が会った時、城下での公開処刑で焼け死んだ、二人の獣人のこと。あの死体を処理せずにとっておいて、君達の死体として代用したんだ」

「……ってことは、俺達を焼き殺す直前に、俺ら二人と死体を、移動陣で入れ換えたのか?」

「そういうこと」

 納得したように、ユーリッドは声をあげた。
そういえば確かに、あの処刑場での騒ぎの後処理をしたのは、ルーフェンであった。
正直、同胞の死体を代わりに使われただなんて、あまり良い気はしないが、今はそんな綺麗事を言っている場合ではないだろう。

 ルーフェンは、明るい声で続けた。

「まあ、実を言うと、こんなに上手くいくとは思ってなかったんだけどね。君達がサーフェリアに来たこのタイミングで、教会が公開処刑を行って、獣人二人分の焼死体が手に入ったのは偶然。審議会でも、正直手探り状態で、どう君達を殺す展開に持ち込むか、賭けに近い部分もあったんだけど、なんだかんだで上手くいった。どうやら、運がユーリッドくんとファフリちゃんに味方してたらしい」

 ふっと微笑んで、ルーフェンがファフリを見る。
ファフリは、なにも言わずに、微かに目を伏せた。

「そうか……じゃあルーフェンは、最初から俺達を助けてくれるつもりでいたんだな。悪かったよ、その……昨日、胸ぐら掴んだりして」

 幾分か、身体の痛みが和らいできたのか。
腰を擦りながら、よろよろと立ち上がると、ユーリッドは申し訳なさそうに言った。

「ほんっとそうだよねー。だから言ったじゃん、命の恩人である俺に対して、失礼じゃないかって」

 わざとらしくため息をつくと、やれやれといった風に、ルーフェンが述べる。
ユーリッドは、一瞬むっとしたような顔になったが、すぐに反論を飲み込むと、口を閉ざした。

 そんなユーリッドを見て、ぷっと吹き出すと、ルーフェンはおかしそうに続けた。

「冗談。いーよ、別にそんなこと。そもそも、君達を助けようとする素振りなんて、見せるつもりはなかったからね。二人には、審議会で追い詰められて、本気で焦ってもらわなきゃ、周りを騙すことなんて出来なかったんだ」

「……分かってる。けど、悪趣味だな。お前」

 どこか呆れたように、ユーリッドが詰めていた息を吐く。
同時に、全身の緊張がほぐれてきて、ようやく自分達はまだ生きているのだという実感が湧いてきた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.275 )
日時: 2017/10/12 01:24
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ルーフェンは、穏やかな口調で言った。

「とにかく、さっきも言ったけど、君達はもう死んだことになったんだ。サーフェリアに滞在しても、文句を言う奴は誰もいない。でも、だからといって、時間が無限にある訳じゃないし、いつまでもサーフェリアで匿ってやれるわけじゃない。今後の身の振り方は、ちゃんと自分達で考えるんだよ」

 ユーリッドとファフリが顔をあげて、こくりと首肯する。
ルーフェンは、東門とは反対の森の奥を示して、続けた。

「それまでは、俺の家を隠れ家として使っていい。あそこを知っている奴はほとんどいないし、知っていても、俺が認めなきゃ自力でたどり着けないようになってる。家の場所は……ファフリちゃん、分かるね? あと、理解してると思うけど、不用意に外を出歩いたりするのは禁止だよ。必要なものがあれば、トワやハインツくんに頼んで。王宮に没収された君達の武器や荷物も、後でハインツくんに届けさせるから」

 次いで、東門の方に体を向けると、ルーフェンは、顔だけ振り返った。

「じゃ、慌ただしいようだけど、これで大体事態は把握してくれたかな。あまり長時間姿をくらましていると怪しまれるから、質問がなければ、俺はもう王宮に戻るけど、大丈夫?」

 ユーリッドは、再び頷くと、微かに笑って見せた。

「ああ。助けてくれて、ありがとう。なんとなくだけど、状況は分かったよ。悪いけど、もうしばらく世話になる」

 ユーリッドの言葉に、ルーフェンも笑みを返す。

 今まで沈黙を貫いていたファフリは、一歩前に出ると、躊躇いがちに口を開いた。

「あの……ルーフェン様……」

「ん?」

 ファフリは、胸の前で、ぎゅっと手を握った。

「私、昨日、色々考えてみたんです……。その、どうしたら召喚術を扱えるようになるのかな、とか。私に、ミストリアを救うほどの力があるのかな、とか……。でも、そうしたら、考えれば考えるほど、どうすれば良いのか分からなくなっちゃって……」

 か細い声でそう告げたファフリに、ルーフェンは、ゆっくりと答えた。

「……力なら、あるでしょ? だってファフリちゃんは、召喚師一族の血を引いているんだから」

「…………」

 俯いて、再び何も言わなくなったファフリに、ルーフェンは言い募った。

「君がこれからどうするべきかなんてのは、俺や、別の誰かが決めることじゃない。それこそ、もしファフリちゃんが、自分の役割も、母国も全部投げ捨てたって、俺は悪いとは思わないよ。その先にあるものだって、楽なものではないだろうけど、嫌々召喚師としての運命を受け入れたって、きっと後悔ばっかりになる」

 ファフリは、尚も口を閉じたままで、どう返事をするべきか迷っているようだった。
ルーフェンは、しばらくファフリを見つめていたが、やがて小さく笑うと、突然、ファフリの肩に手を回した。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.276 )
日時: 2017/05/06 11:44
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



「まあ、そーんな悲しそうな顔しないでよ。俺達、同じ召喚術の才を持つ者同士だろう? 本来交わるはずのない……世界にたった四人しかいない召喚師の内の二人、俺とファフリちゃんが、今ここに存在している。これって、どこか運命的だと思わない? 折角だから、仲良くしようよ。なんなら、ルーフェン様なんて堅苦しい呼び方はやめて、親しみを込めてルーフェンお兄さんと──」

「距離が近いっ!」

 ファフリとの距離をぐいぐい詰めていくルーフェンに、ユーリッドが思わず蹴りを入れる。
軽く吹っ飛んだルーフェンは、地面に打ち付けた腰を擦りながら、大袈裟に声をあげた。

「いったーっ! あのさぁ、昨日も思ったけど、俺は人間だよ? ユーリッドくんみたいな馬鹿力に殴られたり蹴られたりしたら、全身複雑骨折になっちゃうよ」

「手加減ならしてるだろ! この程度で骨折するわけあるか!」

 ファフリをかばうように立って、ユーリッドが声を荒らげる。
ルーフェンは、服の汚れを払いながら立ち上がると、息を吐きながら首を振った。

「だからさー、ユーリッドくん基準で考えないでよ。俺の身体は君と違って繊細なわけ。優しくしてくれないと、簡単に折れちゃうんだから」

「うるさい! そもそも、ファフリにやたらめったらベタベタするほうが悪いんだろ!」

「えー、なになに。俺のファフリに触るなって?」

「ばっ、そんな言い方してない!」

 顔を赤くして憤慨するユーリッドを、明らかに楽しんでいる様子のルーフェン。
ファフリは、言い争う二人を見つめながら、やがて、くすくすと笑い始めた。

「……ありがとう、二人とも。ごめんね、私、暗い顔ばっかりしてて……」

 どこか悲しそうに微笑んで、ファフリが言う。
ユーリッドは、ルーフェンとの言い合いを中断すると、首を横に振った。

「気にするなよ。状況が状況だし、一番辛いのは、ファフリだと思うから」

「ユーリッド……」

 ファフリは、躊躇いがちに頷くと、ルーフェンのほうへ向き直った。

「ルーフェン様……じゃなくて、じゃあ、ルーフェン、さん。助けてくれて、本当にありがとうございました。あの……また、会えますか?」

 ルーフェンは、小さく頷くと、肩をすくめた。

「君達がミストリアに戻る時がきたら、俺の力が必要だろうしね。ま、可愛いファフリちゃんのためなら、いつだって会いに来るよ。後でもう一度、様子を見に行くつもりではあるし」

 片目をつぶって見せたルーフェンに、ファフリが微かに笑みを返す。

 二人は、再度ルーフェンに礼を述べると、ヘンリ村のほうへと歩いていったのであった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.278 )
日時: 2017/05/10 20:42
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: UruhQZnK)


 ヘンリ村近くの山頂にある、ルーフェンの家の前で、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきて、トワリスは顔をあげた。

 ハインツに支えてもらいながら、腰かけていた岩から立ち上がると、山道を登ってくる、ユーリッドとファフリの姿が見える。
その瞬間、トワリスの心に残っていた不安は、全て取り払われた。

「トワリスー!」

 手を大きく振りながら、ユーリッドがこちらに駆けてくる。
ファフリも、疲労した顔つきではあるが、ぱっと表情を明るくすると、歩いてきてトワリスに抱きついた。

「やっぱり無事だったんだね、良かった……」

 肩に顔を埋めるファフリの頭を撫でながら、トワリスがほっと呟く。
ユーリッドも、安堵した様子で笑った。

「ああ、ルーフェンが助けて、ここまで連れてきてくれたんだ」

「うん……私も、事情はハインツから聞いた」

 すぐ隣にいるハインツを見て、トワリスは答えた。

 ユーリッドとファフリを、審議会の場で処刑したと見せかけることで、サーフェリア中の目を欺く──。
このルーフェンの計画には、どうやらハインツも関わっていたようで、王宮からの脱出後、ルーフェンがユーリッドたちを自分の家に匿うつもりであることは、ハインツも知っていた。
故に、宮廷魔導師の駐屯地に寄った後、ハインツは、トワリスをここまで連れてきていたのである。

 相変わらず、一言も発さないハインツを見て、ファフリは頭を下げた。

「あの……貴方も、私達のこと助けくれて、ありがとうございます。ルーフェンさんとトワリスの、仲間なんでしょう?」

 ファフリに次いで、ユーリッドもハインツに視線をやった。

「俺からも、礼を言うよ。本当にありがとう。えっと……」

 そう言って、言葉を止めたユーリッドに対し、それでも返事をしないハインツに、トワリスは苦笑した。

「名前は、ハインツね。私と同じ、サーフェリアの宮廷魔導師。ごめん、ちょっと人見知りなんだ」

「お、おお、そうか……」

 この巨漢に似合わない、人見知りという紹介をされて、ユーリッドは差し出そうとした手を、思わず引っ込めた。
正直この外見に、人見知りだなんて言葉は合わないと思ったが、そういえば昨日、トワリスと再会したときも、ハインツは部屋の隅で縮こまっていた。
獣人だから嫌われているだけなのかと考えていたが、トワリスの言葉通り、単に緊張して上手く話せなかっただけだったのかもしれない。

 ハインツは、隠れるようにトワリスの後ろに回ると、小さく頭を下げた。
もはや、ただの頷きともとれる挨拶であったが、ユーリッドとファフリには、ちゃんと通じたらしい。
二人は、一瞬互いに顔を見合わせると、微笑んでから、ハインツにおじぎを返したのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.279 )
日時: 2017/05/14 13:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 少し談笑したあとは、ルーフェンの家に入り、それぞれ休むことにした。
普段はルーフェンが放置しているため、どこか埃っぽい、殺風景な屋敷であったが、野宿に比べれば、十分に居心地の良い寝床である。

 特に、ユーリッドとファフリは、精神的にも肉体的にもかなり疲れていたようで、山の稜線から細い月が覗く頃には、毛布にくるまって、深い眠りに落ちていた。

 トワリスも、寝台に腰掛けてハインツと話している内に、いつの間にか、うつらうつらしていた。
しかし、ふと、家の外に誰かの気配を感じて、意識を覚醒させた。
それはハインツも同じようで、二人は、一度窓から外を確認すると、すぐに家から出た。

 扉を開けると、予想通り、濃い夜闇の中に、ルーフェンが立っていた。
ルーフェンは、トワリスとハインツを見ると、微かに肩をすくめた。

「ごめん、起こした?」

 トワリスは、首を横に振って、ルーフェンをまっすぐ見た。

「いえ……。あの、ユーリッドとファフリのこと、本当に助かりました。私が勝手に、ミストリアから連れてきちゃったのに……」

 ルーフェンは、小さく笑うと、側にある木に寄りかかった。

「いいよ、ファフリちゃん可愛いし。それに結果的には、ミストリアとの交戦も避けられた。他国の召喚師と話せるなんて、滅多にない機会だし、あのまま見殺しにするのも気が引けたからね。何より、ファフリちゃん可愛いし」

「……助けた動機が不純なことはよく分かりました」

 楽しげに答えたルーフェンに、冷たい視線を向けて、トワリスが返事をする。
そういう男なのだということは当然知っているが、ふざけているとしか思えない答えに、呆れるしかなかった。

 しかし、すぐに真剣な表情に戻ると、トワリスは言い募った。

「でも……私が言うのも失礼な話ですけど、本当に大丈夫ですか? 審議会には、大勢が出席していましたし、全員の目を欺くことが出来たかどうか……」

「いや、出来てないだろうね」

 拍子抜けするほど、ルーフェンはあっけらかんと返事をした。

「処刑までの流れは問題なし、ユーリッドくんとファフリちゃんに代わる焼死体も用意した。けど、死体をすり替えるのに移動陣を使ったし、第一、あの炎自体が召喚術で作り出した幻でしかない。それなりに魔術の才能がある奴……少なくとも、ジークくんあたりは、今回の処刑が偽装だって気づいてるんじゃないかな」

「……そう、ですよね……」

 トワリスは、昼間に駐屯地で、ジークハルトに言われた言葉を思い出して、眉を寄せた。

 ルーフェンの言う通り、たとえユーリッドたちの生存を確信してはいなかったとしても、此度の処刑に、違和感を感じた者はおそらくいるだろう。
他にどうすることも出来なかったとはいえ、もしその人物が、感じた違和感を国王や教会に報告したとしたら──。
そう考えるだけで、とてつもなく大きな不安感が、トワリスの胸を覆う。

 だが、思い詰めた様子でうつむくトワリスの額を、ルーフェンは、指で思いっきり弾いた。

「いたっ」

「別に、そんな心配しなくたって平気でしょ」

 訝しげに睨んでくるトワリスを見て、ルーフェンが、からからと笑う。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.280 )
日時: 2017/05/17 19:06
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「とりあえず、時間稼ぎにはなるんじゃないかな。サーフェリアの、特にシュベルテの人間は、召喚師の話題には触れたがらないだろうし。召喚師が処刑を偽装した、なんてことが明るみに出るまでには、時間がかかるはずだから、それまでに、ファフリちゃんたちをどうにかサーフェリアから出せばいい」

「そんな……だけど、もしそれで、ルーフェンさんが罪に問われたりしたら……」

 それでも、納得がいかないといった表情のトワリスに、ルーフェンは苦笑した。

「仮にそうなったところで、俺は痛くも痒くもないよ。別に、召喚師としての地位に執着してはいないし。大体、考えてもみな。もし俺が罪人扱いされるって分かってたら、トワはファフリちゃんたちをミストリアで見捨てられたわけ?」

「それは……分からない、ですけど……」

 うっと言葉を詰まらせて、言いにくそうに答えたトワリスに、ルーフェンはぷっと吹き出した。

「でしょ? どんな結果になるにしろ、トワなら、絶対サーフェリアにユーリッドくんとファフリちゃんを連れてきていたんだと思うよ。普段は模範的な癖に、時々突拍子もないことやらかすからねー、トワは。今日だって、正直一番の不安要素はトワだったもん」

「……え、私?」

 不思議そうに瞬いたトワリスに、ルーフェンは、大袈裟な身振り手振りを付け加えて答えた。

「だってどうせ、『私のせいでファフリたちが殺されたらどうしよー』とか、『いざとなったら二人を連れて王宮から逃げ出すしかない!』とか、色々思い詰めてたんでしょ? だから、審議会で二人の処刑が確定したとき、いつトワが暴れ出すかと冷や冷やしてたんだから。俺だって、殴られるどころか切り刻まれるんじゃないかと──」

「なっ、そんなことしませんよ!」

 心外だ、という風に顔をしかめて、トワリスはルーフェンの言葉を遮った。
そして、一息つくと、ルーフェンから目をそらして、ぼそぼそと言った。

「……私だって、ちゃんと分かってたんですから」

 少し驚いたように眉をあげたルーフェンに、トワリスは続けた。

「確かに、その……。ルーフェンさんが、ユーリッドたちに、『手を貸したところでサーフェリアに得があるとは思えない』って言ったときは、ちょっと混乱しましたよ。……だけどあのとき、ルーフェンさん、天井の方を少し気にしてましたよね? それで、分かったんです。天井裏で、誰かがルーフェンさんや私達を、見張ってるんだろうって」

 トワリスは、真剣な顔つきになると、ルーフェンを見つめた。

「気配の消し方からして、素人じゃありませんでした。多分、教会に属する間諜が潜り込んでいた、ってところですよね。そのことに気づいていたから、ルーフェンさんは、ミストリアに味方するつもりはないと、あの場で意思表示したんでしょう? 私達の話を、あえてその間諜に聞かせることで、こちらは元々ユーリッドたちを処刑するつもりだったんだって、教会に信じこませるために」

 トワリスは、表情を緩めた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.281 )
日時: 2017/08/15 19:16
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「途中でそのことに気づいたので、私、ルーフェンさんが二人を助けてくれるつもりだってことは、ちゃんと分かってました。具体的に、どうするつもりなのかっていうのは、予測できませんでしたけど。だから、審議会でも、ルーフェンさんに気絶させられたふり、したんですよ。何より、私が初めて目を覚ました夜に、『大丈夫だから何も心配しなくていい』って、ルーフェンさんが言ってくれてましたから、色々と不安なことはありましたけど、心配で思い詰めたりはしてなかったです」

「…………」

 安心したような、穏やかな表情のトワリスを、ルーフェンは、黙ってみていた。
しかし、やがて意味ありげな笑みを浮かべると、口を開いた。

「……なんだ、あの夜のこと、覚えてるんだ? 少し意識が朦朧としてるみたいだったから、覚えてないかと思ってたのに」

「……はい?」

 あの夜、というのは、話の流れからして、トワリスが初めてサーフェリアで目を覚ました時のことを指しているのだろう。
だが、何故ルーフェンが、こんな怪しい笑みを浮かべているのかが分からない。

 なんとなく身を引くと、ルーフェンは、更に笑みを深めて言った。

「いやー、あの時のトワちゃんは流石にしおらしくて、可愛げあったなー」

「!?」

 トワリスが、目を見開いて硬直する。
ルーフェンは、うんうんと頷きながら、あの夜の光景を思い出すように目を閉じた。

「俺が部屋から出ていこうとしたら、『ルーフェンさん、寂しいから行かないで』って引き留められて──」

「はあ!? そんなこと言ってませんっっ!」

 思いがけず、声が裏返るほどの大声を出して、トワリスの顔が真っ赤になる。
同時に、ルーフェン目掛けて拳を振り上げようとしたトワリスを、慌ててハインツが止めた。

「トワリス、怪我、怪我……!」

 まだ支えなしでは歩けないほど、トワリスの怪我はひどい状態だというのに、殴りかかりでもしたら、傷が開くかもしれない。
ハインツは、トワリスを背後から抱き抱えて、身動きがとれないようにしたが、ルーフェンは、そんな二人を見て、爆笑していた。

「他にもさ、俺が『寝るまでここにいてあげるから』って言ったら、すごーく嬉しそうに──」

「してませんっ!」

「えー? してたしてた。トワ、忘れてるだけじゃないの?」

「嘘つくな馬鹿! 絶っっ対そんなこと言ってませんし、してませんっ!」

「二人とも、仲良く、仲良く……」

 明らかに遊んでいるルーフェンに、今にも飛びかかりそうなトワリス。
それを必死になだめようとするハインツに、ルーフェンは言った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.282 )
日時: 2018/07/01 18:40
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)



「ハインツくん、大丈夫大丈夫。別に喧嘩してる訳じゃないよ。トワの言う馬鹿は、愛情表現だから」

「どれだけお気楽な脳みそしてるんですか! この阿呆召喚師! からかいに来ただけなら、王宮に戻って仕事して下さい!」

「おー、怖い怖い」

 ハインツに抱えられつつも、全力で威嚇してくるトワリスに、降参だという風に両手をあげると、ルーフェンは言った。

「んじゃ、まあ本当に様子を見に来ただけだったし、トワにぶん殴られる前に、退散しようかな」

 くすくすと笑いながら、次いで、ハインツの方を見る。

「ハインツくんも、流石に明日には、一度駐屯地に戻った方がいい。……トワもね。ユーリッドくんとファフリちゃんの存在は、匂わせないように」

「……そんなこと、分かってます」

 トワリスとハインツが、同時に頷く。
それからトワリスは、はっと何かを思い出したように、懐から、赤い木の葉の模様が描かれた栞を取り出した。
ミストリアのロージアン鉱山で、読んだ手記の中から出てきたものである。

「あの、そういえば、これ……」

 そう言って、栞を見せると、ルーフェンも、驚いた様子で瞠目した。

「この、葉の模様って……」

 呟いたルーフェンに、トワリスは首肯した。

「私の、お母さんの脚に彫られていたものと同じ模様です。この栞、ハイドットについて調べていた時、ミストリアの鉱山で見つけた手記の中から、出てきたものなんですけど……この葉の模様の横に、スレインって名前が入れられてますよね。手記によれば、そのスレインっていうのは、当時鉱山で働いていた獣人の一人で、ハイドットの廃液を不法流出させることに耐えかねて、途中で姿を消したって記されていたんです。だから、もしかして、私の母親って……」

「…………」

 ルーフェンは、何かを考え込むようにうつむくと、微かに目を細めた。

「……ごめん、サーフェリアに漂着した獣人の記録は、ほとんど残っていないし、その時のことは、俺も前に調べた以上のことはよく知らないんだ。ただ、その鉱山とやらの情報を掘り下げれば、当時のことをさらに詳しく調べることは可能だと思う」

 ルーフェンの言葉に、トワリスは、持っていた栞をぎゅっと握りこんだ。
そうして、しばらく黙り込んでいたが、やがて首を横に振ると、静かな声で答えた。

「いえ……やっぱり、いいです。調べたところで、何かが変わるわけでもないですし……。急にこんなこと言って、すみません」

 存外、穏やかな口調で返してきたトワリスに、ルーフェンは一息つくと、軽い調子で答えた。

「……まあ、事実がどうだったのかは分からないけど、トワの母親でしょ? 強い獣人(ひと)だったんじゃないの。悪政とか周囲の反応なんて物ともせずに、周り蹴り飛ばして、サーフェリアに来たんだよ、きっと」

「だから、私を何だと思ってるんですか……全くもう」

 問答する気も失せたといった様子で、トワリスが、はあっと息を吐く。
そして、ハインツに支えてもらいながら踵を返すと、最後に顔だけ振り向いて、ルーフェンを見た。

「……とにかく、ファフリたちのことは、ありがとうございました。私も、結局謹慎食らったので、しばらくは大人しくしてます。……ルーフェンさんも、色々と気を付けて下さい」

「りょーかい」

 ルーフェンが苦笑しながら返事をすると、トワリスは、相変わらずむすっとした顔つきのまま、家の中に入っていった。

 最後に、ルーフェンがハインツの方に目をやると、その視線を受けて、ハインツは無言でこくりと頷いたのだった。

 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.283 )
日時: 2017/05/26 20:49
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 トワリスとハインツの気配がなくなったことを確認してから、下りの山道を少し行ったところで立ち止まると、ルーフェンは、ふと目を細めて、木陰の一点を睨んだ。

「……それで。盗み聞きとは、趣味が悪いですね。闇精霊王」

 そう呼び掛けると、木々の間にたゆたう夜闇が、煙のように渦巻いて、エイリーンの姿を形成する。
エイリーンは、体重を感じさせない動きで、すうっとルーフェンの横に現れた。

「……あの小娘、しぶとく生きておったか。獣人混じりというだけあって、人間よりは多少頑丈なようだ」

 くくっと笑って、エイリーンが口を開く。
ルーフェンは、目線を前に戻すと、微かにため息をついた。

「……まさかとは思っていましたが、ミストリアの鉱山でトワたちと接触したのは、やはり貴方でしたか。その上、彼女に憑依して一般人にまで手を出すなんて、一体何を考えてるんですか」

 厳しい声音で言うと、エイリーンは、くつくつと笑みをこぼした。

「……そういきり立つな。我はただ、ミストリアの次期召喚師を追ってきただけだ。獣人混じりの小娘も、実体化するための依代として利用したに過ぎん。人間を殺さぬという約束は、違(たが)えていない」

 ルーフェンは、眉を寄せて、刺々しく言った。

「違えていない? 運良く助かっただけで、一歩間違えれば、死んでたと思いますがね」

 エイリーンは、どこか意外そうにルーフェンを見た。

「ほう……どうした、何をそのように怯えている。今更、人間共に情でも湧いたか」

 エイリーンの橙黄色の瞳が、怪しげな光を孕む。
ルーフェンは、一瞬押し黙ってから、冷たい声で答えた。

「……別に、そういうわけじゃない」

 腕を組んで、脱力したように、背後の木にもたれかかる。

「ただ、うちの重鎮にも鋭い奴はいる。俺はともかく、貴方にあまり表立って動かれると、勘づかれる可能性がある」

 ルーフェンの返答を聞くと、エイリーンは、途端につまらなさそうな表情になった。

「……そんなことか。なに、勘づいた者がおれば、殺してしまえば良いではないか。どうせ、獣人も人間も、いずれ我の手中に入るのだ。数匹殺したところで、何の問題もない」

「…………」

 口元を長い袖で隠して、エイリーンが言う。
ルーフェンは、返事をしようと口を開いたが、結局何も言わず、つかの間沈黙すると、話題を変えた。

「……それで、一体何の用ですか? そんなことを言うために、わざわざ俺の前に現れたわけじゃないでしょう?」

 ルーフェンの問いかけに、エイリーンは、しばらく何も返さなかった。
しかし、ふとルーフェンのほうに向くと、唇で弧を描いた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.284 )
日時: 2017/05/31 06:49
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「ミストリアの召喚師が、死んだ」

 ルーフェンが、大きく目を見開く。
思わず身を起こして、ルーフェンは、信じられないといった様子で尋ねた。

「死んだ……って、ファフリちゃんの父親が?」

「そうだ。臣下の裏切りにあって、無様に殺された」

 口を覆った袖の奥で、エイリーンが不敵に嗤う。
その瞳を見つめながら、ルーフェンはたどたどしく言った。

「それじゃあ、ミストリアの召喚師は……」

「実質、あの能無しの小娘ということになるのう」

 可笑しそうに目を細めて、エイリーンは続けた。

「此度は、このことをお前に伝えに来たのだ。リークスが死んだ以上、ミストリアの召喚師の血を引く者は、あの小娘しかおらん。良いか、状況が変わった。小娘の召喚術の才が覚醒するまで、必ず生かせ。召喚師一族の血を、絶やすことがあってはならぬ」

「…………」

 ルーフェンは、言葉を失ったように、じっと黙り込んでいた。
しかし、長く息を吐くと、再び木にもたれて口を開いた。

「……どうにも、予想外のことばかり起こるな。裏切りに、召喚師の殺害……。統治者不在となれば、今後、ミストリアは荒れる一方でしょう」

 ルーフェンの言葉に、エイリーンが鼻で笑った。

「ふっ、哀れむ必要などない。リークスが、愚王だったというだけのことじゃ。臣下の裏切りにも気づかず、まんまと騙される方が悪い。……それにむしろ、此度の誤算は、我にとっては喜ばしいことだ」

「喜ばしい?」

 顔をしかめて問うてきたルーフェンに、エイリーンは、淡々と述べた。

「リークスを殺害したのは、キリスというミストリアの宰相だ。現在、ミストリアの実権は奴が握っている。おそらくキリスは、中止されていたハイドットの武具の生産を、再開させるつもりだ。ハイドットの精錬が行われれば、それによって流出する廃液は、水を汚染し、大地を侵食し、いずれは海を渡り、世界を蝕もうとするであろう。……そうなれば、不浄を嫌う『あの男』が、動かぬはずがない」

 そう言って、口の端をあげたエイリーンに、ルーフェンはますます眉を寄せた。

「……この機会を利用して、グレアフォール王を、ツインテルグから引きずり出すつもりですか」

 その瞬間、目の前でどす黒い魔力が渦巻いたかと思うと、ルーフェンの全身に、エイリーンの放った妖気がのしかかった。

「──……っ!」

 咄嗟の出来事に、成す術もなく、ルーフェンが崩れ落ちる。
かろうじて、手をついて体勢を保ったルーフェンだったが、同時に、喉の奥から鉄の臭いがせりあがってきて、ごぼっと血潮が唇から滴った。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.285 )
日時: 2017/06/04 00:51
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 全身の内臓を押し潰されたような、激しい痛みに悶絶する。
しかし、ルーフェンには目もくれず、エイリーンは、よろよろと後ずさると、震える両手で白い顔を覆った。

「……あの男を、王と呼ぶな」

 地を這うような低い声で、呻きながら言う。
途端、エイリーンの身体から腐敗臭が立ちのぼり、突然、皮膚がどろどろと溶け始めた。

 顔面や手を覆う皮膚、そして肉が、じゅうっと煙をあげながら、溶けて蒸発していく。
そうして、半分白骨化したような姿になりながら、エイリーンは、凄絶な光を瞳に浮かべて叫んだ。

「我らを忘却の砦に幽閉した、あのおぞましき精霊族の略奪者が……。その残虐さも、恐ろしさも知らぬくせに、その名を出すな……!」

 エイリーンの声と共に、ルーフェンの身体にのしかかる妖気が、更に重みを増す。
ルーフェンは、重圧に耐えきれず、みしみしと悲鳴をあげる骨格の音を、ただ聞いていることしかできなかった。

 そんなルーフェンを横目に、エイリーンも、浅い呼吸を繰り返していたが、やがて、ふと近くに立っていた木に触れると、低い声で何かをぶつぶつと唱え始めた。
すると、触れている部分から木が腐敗し、枯れ朽ちていくのと同時に、その生気を吸いとったかのように、エイリーンの肉体が再生し始める。

 エイリーンは、完全に元の姿に戻ると、落ち着きを取り戻した様子で、冷たい視線をルーフェンに向けた。

 ルーフェンは、自分の血で染まった掌を握りこみ、胸元を押さえて立ち上がろうとした。
しかし、止まぬ激痛が全身を突き抜け、再び咳き込むと、口元を覆った指の間から、ぼたぼたと鮮血が落ちる。

 エイリーンは、退屈そうに瀕死状態のルーフェンを眺めていたが、しばらくして、小さく息を吐くと、すっと手をかざした。

「汝、調和と精緻を司る地獄の総裁よ。従順として求めに応じ、可視の姿となれ……。──ブエル」

 エイリーンの詠唱に合わせて、五芒星の描かれた魔法陣が、ルーフェンの周りに浮かび上がる。
魔法陣は、眩い光を放ち、ルーフェンをゆっくりと包み込むと、ルーフェンの全身の損傷は、みるみる治癒されていった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.286 )
日時: 2017/08/15 19:39
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 妖気が消え、全身を蝕む激痛に解放された後でも、ルーフェンは、すぐには動けなかった。
うずくまって、荒い呼吸を繰り返しながら、強い目眩に耐えていたが、やがて、木を支えによろよろと立ち上がると、弱々しくエイリーンを睨んだ。

「……っは、勘弁、してくださいよ。貴方達と違って、こっちは、生身なんですから……」

 げほっと咳をしながら、掠れた声で言う。
エイリーンは、不愉快そうに目を細めて、ルーフェンを見つめ返した。

「ならば、その無作法な口を閉じろ、小童。思い上がるなよ、下等な人間ごときが」

「…………」

 凄惨な目付きで言われて、思わずルーフェンは黙りこむ。
だが、微かに息を吐くと、困ったように首を振って、小さく肩をすくめた。

「……別に。思い上がってなんて、いませんよ。現に、ここまで約束通り、ちゃんと事を進めてるでしょう? 心配しなくても、今後も上手くやります。ミストリアの次期召喚師一人くらい、隠して生かすくらい、造作もない。……幸い、俺の周りにいるのは、それを優しさから来る行動だと信じて疑わない、馬鹿がほとんどですからね」

 エイリーンは、はっとほくそ笑んだ。

「……その言葉、あの獣人混じりの小娘や、リオット族の者達が聞けば、どのような顔をするのであろうな。サーフェリアの真の売国奴が、お前であると知って、屈辱に顔を歪ませる奴等を見るのも、また一興やもしれぬ」

「……悪趣味なことで」

 そう呟いたルーフェンに、エイリーンは、面白そうに唇を歪めた。

「お前にだけは、言われたくないのう。我は長く生きてきたが、自らの国を売る召喚師など、お前が初めてじゃ」

「……そりゃ、どうも」

 ため息混じりに返事をして、ルーフェンは、血で濡れた袖を鬱陶しそうに捲る。

「まあ俺は、サーフェリアなんて国、昔から大嫌いですからね。ツインテルグを滅ぼすという貴方の策略に協力することで、召喚師という立場から解放されるなら、これは、俺にとっても損な話じゃない。だから、安心していて下さいよ。サーフェリアの生温い連中を騙して、陥れるくらい、なんの躊躇いもなくやれますから」

 エイリーンは、ルーフェンの言葉を黙って聞いていたが、やがて、ふっと笑うと、哀れむような目でルーフェンを見た。

「人間は、残酷な種族だな」

 一瞬、目を伏せたルーフェンは、そのままエイリーンから視線を外す。

「……はは、何を今更。それに、貴方が言ったのでしょう?」

 そして、頭だけ振り返り、ルーフェンは、薄い笑みを浮かべた。

「──騙される方が、悪いんだってね」



To be continued....