複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.287 )
- 日時: 2018/01/21 01:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
†第五章†──回帰せし運命
第一話『眩惑』
サーフェリアでの暮らしは、ユーリッドとファフリにとって、とにかく目新しい発見に満ちたものであった。
まず、年中温暖な気候のミストリアに対し、サーフェリアには四季があるのだ。
ルーフェンの家で暮らし始めた頃は、青々と繁っていた山の木々も、秋が深まり、冬の足音が近づいてきた今では、すっかり葉を落として、乾いた幹や枝がむき出しになっている。
初めは、慣れない寒さに戸惑っていた二人だったが、季節によって変わる食べ物や、冬特有の澄んだ空気など、未知のものに触れていく内に、ミストリアとは違う生活様式を楽しむようになっていた。
特に、雪がちらついた日には、ユーリッドもファフリも、城下で遊ぶ子供たち以上に興奮していたものである。
ミストリアでは、雪なんて数十年に一度お目にかかれるか、かかれないかの奇跡なんだと、ユーリッドは力説したが、そのあまりのはしゃぎっぷりには、トワリスも苦笑するしかなかった。
トワリスは、時折シュベルテに戻ることがあったが、やはり心配だというので、ユーリッドたちと共にルーフェンの家で暮らしていた。
だが、その心配とは裏腹に、三人は恐ろしいくらいに穏やかな日々を過ごしていた。
もちろん、ユーリッドもファフリも、自分達が置かれている立場や、ミストリアで起きたことを忘れたわけではない。
このままサーフェリアで、ずっと安穏と暮らしているわけにもいかないことだって、十分に分かっている。
しかし、それでも、追っ手に襲われることのないサーフェリアでの生活に慣れていく内に、『自分達の今後についての話』が、自然と口から出なくなってしまっていた。
そんな暮らしの中で、少しずつ変化が起き始めたのは、ルーフェンの家に移り住んで四月が経った頃だった。
ファフリが、体調を崩したのである。
最初は、生まれて初めて冬の寒さを経験し、風邪を引いただけなのかと思っていたが、かれこれ、一月は寝込んでいる。
ユーリッドもトワリスも、流石に不自然だと感じ始めていた。
加えてファフリは、魂が抜けてしまったかのように、ぼんやりとすることが多くなった。
サーフェリアに来てから、一人で物思いに耽っていたり、何かを思い悩んでいるような姿を見せることが多くなっていたが、それとは違う。
本当に、人形のように放心して、一日中座り込んだまま動かないこともあるのだ。
かといって、サーフェリアの医師にファフリを診せるわけにもいかないし、そもそも、熱があるとか、痛む場所があるとか、具体的な症状は出ていないのだ。
ユーリッドもトワリスも、打つ手はなく、ただファフリを見守ることしか出来なかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.288 )
- 日時: 2017/06/11 21:21
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ET0e/DSO)
その日も、朝からファフリは、寝台から起きてこなかった。
日によっては、普通に起床して、朝食を食べながら会話する時もあるのだが、徐々にそういった日も減ってきている気がする。
眠り込むファフリの額に手を当てて、ユーリッドは、細くため息をついた。
「熱は、ないな。……これ、やっぱり悪魔とかの影響だと思うか?」
問いかけられて、トワリスは首を振った。
「わからない。でも、そうとしか考えられないよね。ルーフェンさんに、近々相談できればいいんだけど……」
「……ああ」
ユーリッドが頷いて、微かに目を伏せる。
その横顔は、暗く沈んでいて、少しやつれたようにも見えた。
ファフリの様子がおかしくなって以来、ユーリッドも、思い詰めたような顔をすることが増えた。
トワリスが話しかければ、思い出したように笑顔になって答えるが、夜もあまり寝ていないらしく、その空元気も、見ている方が痛々しい。
一時的とはいえ、ミストリアの追っ手から解放され、サーフェリアの生活を楽しそうに送っていたのに。
少し前まで見られた、ユーリッドとファフリの笑顔が、みるみる消えてなくなってしまったのは、トワリスにとっても辛いことだった。
「とにかく、ここで二人してぼんやりしてても仕方ない。私は朝食を作ってくるから、ユーリッドはファフリをみてて」
「……悪い、ありがとう」
ユーリッドが礼を言うと、トワリスは少し寂しそうに笑って、部屋を出ていった。
残されたユーリッドは、隣部屋から聞こえてくる包丁の小気味良い音を聞きながら、ファフリの白い寝顔をじっと見つめていた。
こうして黙っていると、ミストリアでの出来事が、次々と頭に甦ってくる。
ミストリア兵団を脱退し、ファフリを守ろうと決めた時のこと。
刺客に襲われ、目の前でアドラを殺されたこと。
そしてファフリが、召喚術を用いて、狼たちを殲滅させたこと──。
何度も死線をくぐり抜け、トワリスと出会い、ハイドットのことやミストリアの悪政まで目の当たりにしてきた。
全てが悪いことばかりだったわけじゃない。
しかし、そのどれもが、自分の心を深く抉り、鮮烈な痛みとして記憶に止まっている。
(……全部、覚えてる。忘れちゃいけない。……だけど……)
──だけど、思い出して考えたところで、これからどうすれば良いのかが、分からない。
ミストリアに戻れば、また追っ手に襲われ、いずれは捕らえられ、国王リークスに殺されてしまうだろう。
だが、いつまでもこうして、サーフェリアに居座っているわけにもいかない。
そんな、居場所もない自分達に、一体何ができるというのか。
ユーリッドは、不意に熱くなった目を閉じて、ただじっとしていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.289 )
- 日時: 2017/06/13 22:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
その時、ふと寝台のきしむ音がしたかと思うと、ファフリが唸って、ゆっくりと目を開けた。
「ファフリ!」
慌てて立ち上がって、ファフリの顔を覗き込むと、ファフリは虚ろな目で小さく呟いた。
「ユーリッド……もう、朝?」
ユーリッドは、ほっと胸を撫で下ろすと、肩をすくめた。
「朝どころか、昼近いよ。どうだ、具合が悪いところとか、ないか?」
ファフリは、緩慢な動きで首を横に振ると、寝台から起き上がった。
「……夢を、見てたの」
「夢?」
ユーリッドが首を傾げて、聞き返す。
するとファフリは、ふわりと笑って頷いた。
「……うん。すごく、幸せな夢。……もう少し、見ていたかったな」
ファフリの穏やかな顔に、ほっとしつつも、ユーリッドは困ったように言った。
「これ以上寝ようなんて、やめてくれよ。俺、ファフリがもう目覚めないんじゃないかって、毎回心配してるんだからな」
「…………」
ファフリは、まだどこか意識がはっきりしない様子である。
ユーリッドは、ファフリの手を握ると、隣の部屋を示した。
「とりあえず、朝御飯食べようぜ。今、トワリスが作ってくれてるんだ」
そう言って手を引いても、ファフリは、立ち上がらなかった。
そして、ユーリッドを見上げると、こてんと首を傾げた。
「トワリスって、なに……?」
「え……?」
ユーリッドの胸に、ぞくりとしたものが走る。
この感覚には、覚えがあった。
(そうだ……確か、ミストリアの渓流で襲われた時も……。ファフリは、悪魔に乗っ取られてる時の記憶がなかった)
ユーリッドは、ぱっと手を離すと、ファフリの方を睨んだ。
「お前……カイムか……?」
緊張した声音で、強く問いかける。
しかしファフリは、混乱した様子で、ふるふると首を振った。
「ユーリッド、何言ってるの……? カイムって、なんのこと?」
「なんのこと、って……」
まさか、カイムのことまで忘れているのか。
ファフリは、悪魔に意識を乗っ取られているわけじゃないのだろうか。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.290 )
- 日時: 2017/06/15 22:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
様々な疑問が、頭に渦巻いて、ユーリッドの思考を侵食していく。
ユーリッドは、怪訝そうにファフリを見つめながら、戸惑ったように言った。
「お前、悪魔じゃないのか……? 本当に、ファフリなのか? だったら、なんでトワリスやカイムのこと忘れて……」
ファフリは、何も答えず、寝台の上で身を縮めている。
まるで、何かに怯えているように、その身体はかたかたと震えていた。
「やめて……忘れたいの。思い出したく、ないの……」
そううわ言のように呟きながら、ファフリが手で耳をふさぎ、首を振る。
その手──袖口からのぞく皮膚が、黒い鱗のように変色しているのを見て、ユーリッドはぎょっとした。
(あれは、悪魔の……!)
直接説明されたことはないが、前にミストリアで、トワリスとファフリの会話を聞いてしまったとき、確かにファフリが言っていた。
──……日に日に、広がっていってるの……。多分、悪魔の皮膚だと思うわ……。
──これが肌を全て覆ったら、きっと私も死ぬのよ。悪魔に、心も体も喰い尽くされて……。私には、それを抑えられる力も理由も、ないもの。
ユーリッドは思わず、震えているファフリの両肩に、手を置いた。
「ファフリ! おい、ファフリ! しっかりしろ!」
瞬間、ファフリの全身が、どす黒いもやに包まれる。
すると、ファフリに触れていた手に、電撃に貫かれたような痛みが走って、ユーリッドは思わず後ずさった。
「ユーリッド?」
騒ぎに気づいたトワリスが、扉を開けて部屋に入ってくる。
そして、異様な光景──寝台の上で黒いもやに包まれ、震えているファフリを見ると、トワリスは息を飲んだ。
「なにこれ……一体どうしたのさ!」
「わ、わからない! ファフリが起きたと思ったら、急に、こうなって……!」
未だ痺れたように痛む両手をおさえながら、ユーリッドが答える。
同時に、あることに気づいて、ユーリッドの全身にはっと緊張が走った。
よく見れば、縮こまって震えているファフリの身体が、みるみる黒く変色していっているのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.291 )
- 日時: 2017/06/17 20:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
いてもたってもいられず、ユーリッドは、再びファフリに手を伸ばした。
「────っ!」
鋭い痺れが、手から全身に広がり、次いで、炙られているような熱さが襲ってくる。
まるで、灼熱の業火に、直接手を突っ込んでしまっているかのようだ。
「……ファフリ……っ!」
それでも手を離さず、歯を食い縛ると、ユーリッドは、ファフリの華奢な身体を無理矢理抱き込んだ。
「ファフリ、落ち着け……!」
もはや、ちゃんと声として出ていたかも分からない。
全身を蝕む黒い炎に焼き尽くされて、息を吸うことすら、ままならなかった。
「ユーリッド! ファフリから離れて!」
黒い炎が危険であると察したのだろう。
トワリスが、鋭く叫ぶ。
しかしユーリッドは、ファフリを抱いたまま、頑なに離れようとしなかった。
咄嗟に、トワリスもユーリッドに手を伸ばしたが、黒い炎から発せられるあまりの熱気に、近づくことができない。
周囲の寝台や壁が燃えていないことから、あの黒い炎は、幻の類いなのかもしれないと思ったが、その解除方法も、二人を助け出す方法も、トワリスには思い付かなかった。
「このままじゃ、あんたまで危ないよ! ユーリッド!」
熱さに目を細めながらも、トワリスが再び叫ぶ。
しかしユーリッドには、もうその声すら聞こえていなかった。
焼かれる内に、全身の感覚もなくなってきて、次第に、視界すら真っ暗になってくる。
もはや、ちゃんとファフリを抱いているのかすら、分からない。
しかし、そうして、ただただ身悶えするほどの苦しさに耐えていると、不意に、どこからか笛のような音が聞こえてきた。
それは、歌うように美しい旋律を奏でながら、恐怖と焦りでささくれていたユーリッドの心の表面を、緩やかに溶かしていく。
同時に、強張っていた全身からも力も抜け、いつの間にか、ユーリッドを蝕む苦しみは、何もなくなっていた。
(……駄目、だ……ファフリを、離しちゃ……)
そう思うのに、全身に力が入らず、だんだんと思考力も奪われていく。
気づけば、周囲の景色も見えなくなって、ユーリッドは、どこか暖かい空間にふわふわと浮いているような感覚に陥った。
(…………)
優しい歌声を聴きながら、まるで真綿に包まれているような心地よさを感じて、ユーリッドは、ゆっくりと意識を手放した。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.292 )
- 日時: 2017/06/19 20:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
──リッド! ユーリッド!
誰かが、名前を呼んでいる。
──おい、ユーリッド……!
その、どこか懐かしい呼び声に、意識を引きずりあげられて、ユーリッドは、はっと目を開けた。
「おい、ユーリッド! ぼーっとして、どうしたんだ? 食事中だぞ」
「え……?」
暖かい日だまりのような空間から、一気に呼び起こされて、頭が覚醒する。
同時に、手に握っていた何かがぽろんとこぼれ落ちて、ユーリッドは、咄嗟に視線を下に動かした。
「…………」
からん、と音を立てて床に落ちたのは、小さな木匙(きさじ)であった。
何故匙なんか持っていたのだろうと、目線をあげると、目の前には、ほのかに湯気の立ち上る雑炊が置いてある。
自分はどうやら、椅子に座って、この雑炊を食べていたらしい。
(ここは……どこだ……?)
状況を把握するため、周囲に頭を巡らすと、今ユーリッドがいるのは、木造建築の一室のようだった。
朝日の差し込む大きな窓からは、そよそよと涼しい風が入ってきて、後ろにある暖炉では、燠(おき)がぱちぱちと音を立てながら、赤く光っている。
暖炉にかかった両手鍋には、自分が食べているものと同じであろう雑炊が、くつくつと煮えており、そこから立ち上る良い香りが、部屋中に充満していた。
自分は、いつの間にこんなところに来たのか。
そもそも、部屋で食事を始めた記憶なんてない。
未だ事態が飲み込めず、ユーリッドはただ、このどこか見覚えのある部屋を、呆然と見渡していた。
「なんだ、どうしたってんだユーリッド? まだ寝惚けてるのか?」
呆れたような笑いが聞こえてきて、その声の主が、拾った木匙を軽くテーブル掛けで拭き、ユーリッドに差し出してくる。
その人物──がたいの良い人狼の男を見て、ユーリッドの心臓は、大きく跳ねた。
「……と、父さん……?」
呟いて、目を大きく見開く。
自分に話しかけてきていたのは、かつて、ミストリア兵団の団長として名を馳せた、父マリオスであったのだ。
「なっ、なんで……父さん……っ!」
ユーリッドは、青ざめた顔で後ずさると、思わず席から立ち上がった。
父、マリオスは、ユーリッドが十歳のときに、隣のスヴェトランとの争いに出兵して、殉職したのだ。
はっきりと、覚えている。
その後に、殉職したマリオスの地位を継いで、アドラがミストリア兵団の団長に任命されたはずだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.293 )
- 日時: 2017/06/21 18:33
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
ユーリッドは、目の前にいるマリオスを、強く睨み付けた。
「お前、誰だ! 父さんは、七年前に死んだはずだ……!」
鋭い声で言って、身構える。
しかしマリオスは、ぽかんとした表情でユーリッドを見つめると、やがて、げらげらと笑い出した。
「だっ、ははは……っ! 死んだ? 俺が? 勘弁してくれよ、ユーリッド。冗談にしちゃあ、ちときついぜ」
そのあまりにも豪快な笑い声に、思わず拍子抜けする。
だが、すぐに気を引き締めると、ユーリッドは再びマリオスを睨んだ。
自分は、冗談を言っているつもりも、ふざけているつもりもない。
マリオスは、確かに死んだのだ。
自分で墓標まで立てたのだから、間違いはない。
そんなユーリッドの態度に、嘘を言っているつもりではないことを悟ったのだろう。
先程まで楽しげに笑い飛ばしていたマリオスは、途端に心配そうな顔になると、席から立って、ユーリッドの額に手を当てた。
「熱は……ねえみてぇだが……。なんだ、どうした? 兵団の仕事がきつくて、疲れてんのか?」
「へ、いだん……?」
続いて出た、兵団という言葉に、ますます頭が混乱する。
ユーリッドは、マリオスの手を思いっきり弾くと、更に一歩下がって叫んだ。
「一体、何のことを言ってるんだ! 俺は兵団なんて、もうとっくに脱退して……!」
そこまで言って、ユーリッドは、言葉をつまらせた。
次の言葉が、どうしても出てこないのだ。
(脱退、して……? 兵団を脱退して、俺は何をしてたんだ……?)
自分は一体、今まで何をしていたのか。
確実に今の状況がおかしいと思っているのに、どうしてそう思っているのかが分からない。
何故、目前に存在している父を、死んだはずだと主張しているのか。
頭に浮かんでくる疑問に、もはや思考する力もなくなっていく。
そうして黙り込んでいると、マリオスは、困ったように息を吐いた。
「何のこと言ってるんだって、そりゃあ、こっちの台詞だぞ。脱退したって……お前、この前ようやく十歳になって、兵団に見習いとして入団したばっかじゃねえか」
「……は? 十歳、って……」
反論する気力もなく、ユーリッドは、慌てて近くの水甕(みずがめ)を覗きこんだ。
そして、溜まった水を水鏡に、自分の姿を見て、目を疑った。
マリオスの言う通り、自分が十歳の頃の容姿になっていたからだ。
「そんな……俺は、今年十七で……」
信じられない、といった様子で、一回り以上小さくなった、己の両手を見つめる。
この場所に来る以前、一体どこで何をしていたのかは、思い出せない。
だが、今こうして父マリオスと過ごしているこの状況は、やはり何かが不自然だ。
ここは、お前の居場所じゃないのだと、頭の中で誰かが警鐘が鳴っているようだった。
その時、家の外から、カーンカーンと、甲高い鐘の音が聞こえてきた。
それを聞いた途端、困って立ち尽くしていたマリオスが、血相を変えて、食卓の傍に置いてあった荷物を背負う。
「まずい! もう登城の刻だ! 急ぐぞ、ユーリッド!」
「えっ、ちょっ!?」
何かを言う暇もなく、マリオスがユーリッドを担いで、食卓もそのままに家を飛び出す。
十歳の身体では、大柄な父に抵抗できるはずもなく、ユーリッドは、強制的にミストリア城へ連行されたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.295 )
- 日時: 2021/02/04 13:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
ミストリア城の門前に到着すると、マリオスは、軽く門衛に挨拶だけ済ませて、とっとと城の中へ入っていってしまった。
取り残されたユーリッドは、荘厳な城を見上げて、しばらく突っ立っていたが、その様子をおかしく思ったのだろう。
門衛の一人が、声をかけてきた。
「……おい、お前、ユーリッドだろう。団長の息子の」
頷くべきかどうか迷ったが、マリオスの息子であることは事実なので、こくりと頷く。
すると、門衛は周りを一度見回してから、声を小さくした。
「だったら、早く納屋へ行かんか。他の見習い兵たちは、とっくに集合しているぞ。シドール教官には黙っていてやるから、ほら」
そう促されて、ユーリッドは、思わずびくりとした。
シドール教官とは、見習い兵や訓練兵の指導を担当している兵士の一人で、兵団一厳しい教官なのだ。
遅刻やさぼりはもちろん、少しでも弱音を吐いたり、不平不満を溢しているところが見つかれば、とんでもない厳罰を処されてしまう。
かつて、自分も散々しごかれたことを思い出し、息を飲むと、ユーリッドは慌てて訓練場にある納屋へと向かった。
兵団の一員として、ミストリア城へ来たのは、かなり久々のはずであったが、敷地内の納屋への道程は、驚くほどはっきりと覚えていた。
道中、十歳の頃はいつも懐に入れてあった、見習い兵の証の記章を胸につけて、教官に見つからないように走る。
そうして、到着した納屋の立て付けの悪い扉を開けると、門衛の言葉通り、中には十数名ほどの見習い兵たちが、揃って甲冑や武具を磨いていた。
「ユーリッド! 何してたんだよ、遅かったじゃないか……!」
「……イーサ……」
汗臭さと埃っぽさが充満する納屋の中で、声が聞こえてきた方を見ると、同期のイーサが、自らのイタチの尾をぱたぱたと振って、ユーリッドを呼んでいた。
床に散らばる武具を跨ぎながら、イーサの隣に座ると、目の前に、大量の兜(かぶと)を置かれる。
磨け、という意味なのだろうが、そのあまりの多さに、ユーリッドはイーサを見た。
「ちょっ、ちょっと待て……これ、多くないか……?」
イーサは、同じく兜を磨きながら、早口で言った。
「何言ってるんだよ! さっき、教官が来たときにな、俺たち『今日も全員揃ってます』って、報告してやったんだぞ。俺たちのお陰で、遅刻がばれなかったんだから、感謝してそれくらいの量は磨け!」
強く言われて、思わず口を閉じると、イーサ以外の、他の面々からも声が上がった。
「そうだぞ! 遅刻がばれたら、二晩は走り込み確定なんだからな!」
「はは、経験者は語る、ってか?」
「うるせえ!」
くすくすと笑い、騒がしく話しながら、皆で、ひたすら雑用をこなしていく。
その全員の顔に、それぞれ見覚えがあって、ユーリッドは、彼らの顔を眺めていく内に、なんとも言えない気持ちになった。
(そうだ……俺、昔はこうやって、皆で過ごしてたよな……)
ミストリア兵団は、十歳から入団することができ、最初の二年間は見習い兵として、十二歳から十五歳までは訓練兵として、日々鍛練に励む。
そして、無事に教官に認められた十六歳以上の者のみが、ようやく、正式に兵士として任務に当たることになるのだ。
故に、ユーリッドたちのような、幼い見習い兵の内は、剣を持たせてもらうこともない。
ただひたすら、武具を整理したり、先輩の兵士たちの昼食を作ったり、洗濯をしたりといった、雑用を課されることになるのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【奇数日更新】 ( No.296 )
- 日時: 2017/06/25 19:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
雑用は、想像以上に重労働で、うっかり手を抜いて教官に罰を与えられた時なんかは、精神的にも肉体的にも、参ってしまう。
時折、耐えられずに兵士になることを諦める者もいたが、それでもユーリッドは、昔から、同期の見習い兵たちと過ごすこの時間が、好きだった。
毎日、汗臭い防具や、錆と手垢まみれの剣を手入れして、やれ汚いだの臭いだの文句を言いながら、品のない世間話をしては、げらげら笑っていた。
ただ、仕事中に話しているところなどを教官に見つかれば、全員その場で、こっぴどく叱られるから、皆、教官の足音だけには、常に気を付けていた。
獣人は、種によって、腕力の強い者、脚力のある者、鋭い爪を持つ者など、それぞれ秀でた特徴を持っていたから、とりわけ耳の良い獣人は、誰よりも早く教官の足音を聞きとって、鬼の到来を皆に知らせるのだ。
そして、教官が近くを通りすぎる時のみ、全員ぴたりと黙って、真面目に労働に勤しんだものである。
それで、その日一日、無事に教官から大目玉を食らわずに済むと、俺たちも大したものだと調子にのって、また馬鹿笑いしていたのだった。
武具の手入れを午前中に終わらせると、次は、先輩である訓練兵たちの昼食を、用意しなければならなかった。
用意するのは、大体毎日、大量の米と、適当に切り刻んだ肉や魚、野菜をひたすら煮て作る雑炊である。
不味いというわけではないが、味気ない上に、明らかに質より量を重視された雑炊。
これは今朝、ユーリッドがマリオスと共に食べた朝食と、よく似ていた。
(多分父さんも、これしか作れなかったんだろうな……)
そう思うと、少しだけ笑いが込み上げてくる。
普段剣ばかり握っている兵士たちは、兵団で習慣的に雑炊を作っているせいか、得意料理までいつの間にか雑炊になっているのだ。
飽きるから別の料理も作ろうとは思うのだが、材料が安くてすぐそろう上に、簡単に出来るので、気づけばいつも雑炊ばかり作って食べている。
ユーリッドがそうであるように、きっと、父もそうだったのだろうと思うと、くすぐったい気持ちになった。
自分は、十歳だった時代に戻ってしまったのだろうか。
何故、どうして──。
そんなことを、悶々と考えていたユーリッドだったが、見習い兵としての一日の仕事を終えた頃には、もう疲れて考えるのをやめていた。
夕方、それぞれ仕事や訓練を終えた兵士たちが、とぼとぼと帰路につく中。
かつて、十歳だった時の自分がそうだったように、訓練場近くの寮に帰ろうとすると、イーサに声をかけられた。
「あれ、ユーリッド。今日は寮に泊まるのか?」
「……え?」
まるで、普段は寮にいないじゃないか、とでも言いたげなイーサに、ユーリッドは首をかしげた。
「今日は、って……俺は、寮住まいだろ?」
イーサは、眉をしかめた。
「はあ? 何言ってるんだよ。寮は、地方から来た奴らが利用してるだけだろう。なんで城下に住んでるユーリッドが、わざわざ寮を使うんだよ」
変な奴だな、と言って、イーサが笑う。
それに対し、笑みを返すことも出来ず、ユーリッドは黙りこんだ。
やはり、何か奇妙だ。
確かに、イーサの言う通り、城下暮らしで寮を利用していた者は少なかったが、見習い兵時代のユーリッドは、ずっと寮で生活していたはずなのである。
父は、ミストリア兵団の団長として、日々多忙を極めていたため、家に帰っても自分一人しかいなかったからだ。
今年十七歳を迎えるはずの自分が、十歳の頃に戻っている。
かといって、自分が十歳だった頃の記憶とは、いくつか違う点がある。
殉職した父、マリオスが生きていて、寮暮らしだったはずが、城下暮らしになっているのだ。
(一体、何が起きてるんだ……? 俺がおかしいのか……?)
久々に同期だった兵士たちと再会できたおかげか、不思議と、不安や苛立ちは感じていなかったが、考えれば考えるほど、自分の置かれている状況に混乱する。
そんなことを考えながら、ユーリッドは仕方なく、城下の自宅へと帰ったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.297 )
- 日時: 2017/06/27 17:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
自宅に戻ってから、しばらくして。
夜もどっぷりと更けた頃に、マリオスは帰ってきた。
剣の鉄臭さと、汗や土埃の臭いを纏って、疲れた様子で部屋に入ってきたマリオスは、それでも、ユーリッドを見ると、にっと笑顔になった。
「ただいま、ユーリッド」
「…………」
ユーリッドは、何も言わず、マリオスを見つめたまま、その場に立ち尽くした。
しかし、もう驚きはしなかった。
なんとなく、マリオスは帰ってくる気がしていたからだ。
この世界では、とにかく過去の事実とは違うことが起こる。
ユーリッドの記憶では、城に泊まり込んでばかりだったマリオスも、現に今、家に帰ってきているのだ。
呆然としているユーリッドの顔を、マリオスは、心配そうに覗きこんだ。
「なんだ、飯も食わないで。俺は帰りが遅いから、先に寝ていいっていつも言ってるだろう。どこか具合でも悪いか? そういやお前、今朝も様子が変だったしなぁ」
居間の中央にある食卓の椅子に座ると、マリオスが尋ねてくる。
それに、何かを答えようとしたが、言葉が浮かばず、ユーリッドは口を閉じた。
思えば、こんな風にマリオスと話したことは、なかったかもしれない。
小さな頃から、団長として兵団をまとめあげるマリオスを、誇りに思っていたし、自分もそんな父に憧れて、兵団に入団した。
しかし、常に仕事でミストリア中を駆けずり回っていた父と、会って話す機会などほとんどなかったから、ユーリッドはマリオスのことを、どこか他人のように感じてきたのだ。
ユーリッドが黙ったままでいると、マリオスは、困ったように笑った。
「別に、何も言いたくないならそれでいいさ。お前にだって、色々あるんだろうしな。だが、俺の聞ける話があるなら、聞くぞ」
「…………」
そう穏やかな口調で言われて、ユーリッドの胸に、じんわりと暖かいものが広がった。
幼い頃、街中を楽しげに歩く親子を見ては、少し羨ましく思っていた時の記憶が、ふと甦る。
ミストリア兵団長の息子、という理由で、羨望の眼差しを向けられることも嫌ではなかったが、こうして父と話せる普通の幸せが、本当はずっと欲しかったのかもしれない。
ユーリッドは、辿々しく、今起きている不可解な状況を、マリオスに説明した。
どうして、今まで自分がしてきたことを思い出せないのか。
何故自分は、十歳の頃に戻ってしまったのか。
分からないが、今起きていることは、何かおかしい気がするのだと。
そんな漠然とした戸惑いを、ぽつぽつとユーリッドが話すのを、マリオスは神妙な面持ちで聞いていた。
しかし、やがて、ユーリッドが言葉を終えると、ふむ、と唸った。
「気がついたら、急に昔の姿に戻っていた、と……。随分ぶっ飛んだ話だなあ。お前、やっぱり疲れて、変な夢でも見たんじゃないのか?」
「……そんなこと……」
話を軽んじられているのではと思ったユーリッドだったが、マリオスは、真剣な顔をしていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.298 )
- 日時: 2017/06/28 18:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: AwgGnLCM)
「本当言うとさ、少し心配だったんだ。お前、最近疲れてるみたいだったし、兵団で無理してるんじゃないかってな」
「兵団で……?」
驚いて、ユーリッドは瞠目した。
そんな心配をされているなんて、知らなかったからだ。
マリオスは、深く頷いた。
「母さんが、お前を産んだのと同時に死んで、ずっと俺達二人で暮らしてきただろ。極力寂しい思いをさせないように、なんて俺なりに考えもしてたけど、俺ぁ、仮にもミストリア兵団を背負って立つ身だ。家に戻れない日だってあるし、帰れたって、こうして話せるのは夜中の短い間くらいだ。だからさ、お前が兵団に入団したいって言い出した時、思ったんだ。俺は、お前に兵士になることを強要したつもりはないけど、俺と二人だけのこんな環境で育ったから、お前は、兵士になる以外考えられなかったんじゃないかって。結果的に、兵士になることを強要してたんじゃないか、ってな」
ゆっくりと語りながら、マリオスは続けた。
「兵士になるってのは、大変なことだ。訓練が辛いとか、まあ、それももちろんだが……。兵士になって、戦場に立つって言うのは、本当に苦しいことなんだ。自分の命が危険なだけじゃない。仲間を目の前で殺されることもあるだろうし、逆に、自分が誰かを殺さなければならないこともある。その誰かが、たとえ善人だったとしても、敵という立場なら斬り捨てなきゃならないんだ。俺は、もう二十年以上兵士をやっているが、初めて獣人を刺した時の感触は、未だに忘れられない。仲間を失う辛さにだって、全く慣れない。いや、慣れちゃいけないと思ってる。何人も斬り殺した夜は、うまく寝付けず、魘(うな)されることだってある。兵士を目指すってことは、そういう厳しい道を歩むってことなんだ」
自分をまっすぐに見つめてくるマリオスに、ユーリッドは尋ねた。
「……そんなにつらいなら、どうして父さんは、兵士を続けてるんだ?」
マリオスは、少し困ったように笑った。
「……そうだなぁ。なんでだろうな。でもやっぱり、この国を守りたいんだろう。俺は、大切な奴等やお前との、平穏な暮らしを壊されたくないんだ。それに、ミストリアの民を守護する役目を、召喚師様だけが背負うなんて、おかしいだろ?」
ユーリッドは、こくりと頷いた。
「……うん。俺も、そう思う」
マリオスは、表情を明るくした。
「そうか……お前も、そう思うか。だったら俺は、それで十分だよ」
嬉しそうに笑って、マリオスは言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.299 )
- 日時: 2017/06/29 18:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: as61U3WB)
「お前が、そう思える奴に育ってくれたなら、それで十分なんだ。別に、俺と同じ道を歩んでくれなくたって、いい。つらいなら、兵団をやめたっていいんだ。お前はまだ子供なんだから、これから色んなものを見て、考えて、それから将来どうするか、決めていけばいい。お前の人生だ。お前の夢なら、俺は全力で応援するんだからな」
その言葉に、思いがけず目頭が熱くなって、ユーリッドは慌てて息を吸い込んだ。
しかし、止める間もなく、涙が次々溢れてくる。
マリオスは、驚いたように目を見開いた。
「おいおい、なんだよ。泣くなよ、ユーリッド」
そう言いながらも、無骨な手で、くしゃくしゃと頭を撫でてくれる。
ユーリッドはうつむいて、首を左右に振った。
「違う、違うよ……父さん。俺は……」
震える声を絞り出して、なんとか言葉を紡ぐ。
「俺は……ちゃんと、自分の意思で、兵士になりたいと思ったんだ。ずっと、父さんに憧れてて、誇りに思ってて……だから、兵士を目指したんだ。ミストリアは、召喚師だけの国じゃない。だから、俺も召喚師の助けになりたい……。守りたいんだ、ファフリのこと……」
マリオスは、一瞬だけユーリッドの頭から手を離したが、すぐにまた手を置いた。
涙で霞んだ視界では、その表情ははっきりとは分からなかったが、マリオスは、笑っているようだった。
「そうか、ユーリッド。お前は、俺の自慢の息子だよ」
止めようと思うのに、涙が止まらなかった。
ユーリッドは、しゃくりあげながら、何度も何度も頷いた。
「……ありがとう、父さん」
父の本音を聞いたのは、初めてだった。
自分の記憶の中にある、十歳の頃の思い出に、父としてのマリオスはほとんどいない。
マリオスが、自分のことをどんな風に思っていたのか、知ることができて、ユーリッドの心は、これまでにないくらい満たされていた。
(……きっと、俺は悪い夢を見てたんだ)
今思えば、この瞬間を疑っていた自分の方が、おかしかったのだ。
目の前にいるのに、父が死んだはずだなんてあり得ない話だし、自分は今年で十七歳だなんていうのも、きっと夢だったのだ。
何かを思い出そうとすれば、頭が痛くなる。
思い出したくない。
怖い、嫌だと、心が叫んでいる。
だから、やっぱり自分は、夢を見ていたに違いない。
恐ろしいものに追われているような、そんなつらくて苦しい、悪夢を。
今が幸せなのに、どうしてわざわざ、そんな悪夢を思い出そうとしていたのだろう。
自分はユーリッドという名の、今年十歳を迎えた見習い兵で、父と二人暮らしをしている。
それが、現実のユーリッドなのだ。
ユーリッドは、目を拭って顔をあげた。
「……ありがとう」
それしか言う言葉は浮かばなかったが、一番マリオスに伝えたかった言葉は、やはり感謝だった。
マリオスは、屈託なく笑うと、大きく頷いたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.300 )
- 日時: 2017/06/30 19:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
マリオスは心配していたようだったが、見習い兵としての生活は、ユーリッドにとって、本当に楽しいと思えるものだった。
もちろん、教官にしごかれるのは怖いし、毎日のように地味で疲れる雑用をこなさなければならないのは、正直嫌気が差すこともある。
だが、それ以上に、同期の仲間たちと話したり、ふざけたりするのは面白かったし、マリオスが帰ってきた夜には、そんな同期たちとの下らないやりとりを、父に話したりできるのも、とても嬉しかった。
初めて経験するはずのことに、何故か見覚えがあったり、そういう奇妙な違和感を感じることもあった。
しかし、どれもこれも、悪夢のせいだと思いながら、一日一日を過ごしていく内に、いつの間にか、日々に感じる疑問を気にしなくなっていた。
そんな、ある日。
マリオスの登城後に、ミストリア城へと向かうと、兵団の共用の炊事場で、普段寮で暮らしている、イーサたち同期の見習い兵に会った。
「ん? ユーリッド、お前、なんでいるんだよ。今日は休みだぞ」
「御前会議で、皆出払ってるからなぁ」
そう言われて、ユーリッドは、ああ、と声をあげた。
なんとなく習慣的に登城してしまったが、思えば、今日は月に一度の御前会議が行われる日だ。
兵団の重役たちも当然召集されてしまうため、この日だけは、訓練兵や見習い兵たちにも、休暇が与えられるのであった。
何故そんなことを忘れていたのだろう、と思い悩むユーリッドであったが、ふと、目の前のイーサがにやにやと笑っていることに気がついて、思わず後ずさった。
イーサは、腰かけていた手洗い場の縁からぴょんと飛び降りると、ユーリッドの首に手を回した。
「察しが悪いなぁ、二人とも。ユーリッドは、御前会議の日は、愛しの次期召喚師様に会いに行くんだよ」
「い、愛しの!?」
突然のイーサの発言に、ユーリッドが目を剥く。
次期召喚師といえば、ファフリのことだろうが、もちろん、ユーリッドとファフリはただの友達同士だ。
愛しの、だなんて付けられるような間柄ではない。
しかし、慌てるユーリッドを面白がるように、他の同期たち二人も、すぐに薄笑いを浮かべた。
「ははぁ、なるほど。そりゃあ、引き留めて悪かったなぁ、ユーリッド」
「さっさと行ってやれよ。お姫様、きっと待ってるぜ」
わざとらしい口調で、二人がユーリッドをからかう。
ユーリッドは、ぶんぶんと首を振った。
「ばっ、別に俺とファフリは、そんな関係じゃ──」
「隠すなよ、水臭い。いいじゃんか、次期召喚師様に会うのを許されてるなんてさ。流石、マリオス団長の息子様は違うよなー」
「だから違うって!」
必死に否定するも、イーサは相変わらずのにやにや顔で、ユーリッドのこめかみをぐりぐりと拳で押してくる。
他の二人も、実に楽しげにその様を見て、笑っていた。
確かにユーリッドは、御前会議の日になると、ファフリに会いに行くことが多かった。
一介の見習い兵に過ぎないユーリッドが、次期召喚師に謁見するなど、本来ならば許されないことだ。
しかし、城の者達も、日頃一人きりで過ごすことが多いファフリには、同世代の話し相手が必要だと思ったのだろう。
ミストリア兵団長の息子という肩書きも手伝ってか、ユーリッドだけは、ファフリに会いに行っても、見逃されているようだった。
自分を押さえ込んでくるイーサを振り払って、ユーリッドは、痛むこめかみを擦りながら言った。
「全く……何を勘違いしてるのか知らないけど、俺とファフリは友達だって言ってるだろ。会いたいなら、お前達も会いに行こう。きっと、ファフリは喜ぶよ」
ユーリッドは、大真面目に言ったつもりであったが、イーサたちは、ますます笑みを深めるだけであった。
「いやぁ、熱い二人の邪魔をするなんて野暮はしないよ。なあ?」
「そうそう! 俺たちのことは気にせず、いってこいって!」
尚も茶化してくる同期たちに、言い返す気力もなくなってくる。
本気で言い返せば言い返すほど、彼らのからかいの的になってしまうだろう。
ユーリッドは、やれやれとため息をつくと、囃し立てる同期たちの声を背に、その場を去ったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.301 )
- 日時: 2017/07/01 18:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
正式に召喚師として即位するまでは、公に姿を出すことはない。
そんな次期召喚師、ファフリと出会ったのは、ユーリッドが六歳の頃だった。
当時は、城に行ったことなどなかったユーリッドであったが、一度だけ、ミストリア兵団長の親族として、召喚師リークスに晩餐に招かれたことがあったのだ。
その際、晩餐が始まるまでの時間、他の使用人の子供たちと庭園で遊んでいた時。
離れの塔からこちらを見るファフリに気づいて、ユーリッドが声をかけたことが、きっかけだった。
戸惑うファフリを遊びに誘って、初めて塔から連れ出したときは、当然、他の家臣たちにひどく叱られた。
そして、二度とこのような真似はするなと、何度も釘を刺された。
だが聞けば、ファフリは就寝するとき以外、ずっとこの塔に籠って、勉強やら魔術の練習やらをさせられているらしい。
外出が許されるのも、年に数日だけで、もちろん、同年代の友人と話したこともない。
だから、こんな風に遊んだのは初めてで、とても楽しかった。
ありがとう、そう言って、再び塔に連れ戻されていくファフリの寂しそうな笑顔が、ユーリッドは忘れられなかった。
数日経ってから、御前会議のために登城するマリオスに着いて、ユーリッドは、再度城を訪れた。
前に遊んだ使用人の子の手拭いを借りて、そのまま持って帰ってきてしまったから、返したい。
そんな嘘をついて、またファフリに会いに行ったのだ。
家臣に見つかれば、怒鳴られるのは分かっていたが、ファフリの日頃な窮屈を生活を思うと、いてもたってもいられなかった。
別に、自分にできることはないが、もし一瞬でも会えたら、「頑張れよ、きっとまた遊ぼうな」、その一言だけでも伝えて、元気付けてあげたい。
そんな思いで、ユーリッドはこっそりとファフリのいる塔へと忍び込んだ。
しかし、すぐ捕まるだろうというユーリッドの予想に反して、ファフリとは、案外すんなり会えた。
しかも、塔の見張りを行っていた兵に見つかったときも、「塔からは出るなよ」と一言注意されただけで、ファフリと引き離されるようなことはなかった。
今思えば、その時すでに、マリオスが家臣たちに口添えしてくれていたのだろう。
だが、六歳だったユーリッドは、とりあえずよく分からないが、自分とファフリは会うことを許されたらしいと喜んで、それ以来、御前会議のある日には、ファフリを訪ねるようになった。
訪ねるといっても、塔から出ることは許されていないから、ほんの数刻、他愛もない話をするだけである。
それでも、ファフリには良い気晴らしになっていたようだし、ユーリッド自身も、ファフリに会いに行くことは楽しみになっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.302 )
- 日時: 2017/08/15 23:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
この習慣は、ユーリッドが十歳になり、見習い兵として兵団に入団した今も健在で、今日のように御前会議がある日には、ユーリッドは、ファフリに会いに行っていた。
いつも通り、城の離れにある塔に行き、今や顔を見るだけで通してくれるようになった、見張りの兵たちにも挨拶をする。
そして、塔の一室の扉を叩くと、案の定、ファフリは勢いよく扉をあけた。
「ユーリッド! おはよう!」
ばっと飛び出してきたファフリが、ユーリッドに抱きつく。
それを受け止めてから、ファフリの明るい笑顔にほっとしつつ、ユーリッドも笑みを向けた。
「おはよう、ファフリ。元気だったか?」
「うん! ユーリッド、会いに来てくれて嬉しい!」
そう言って、抱きついた腕にぎゅっと力を込めてから、ファフリはユーリッドから離れた。
いつもなら、「俺も嬉しい」と返すところだが、先程イーサたちに、愛しの次期召喚師様だなんだとからかわれたばかりだ。
別にやましいことなど何もないが、妙な気恥ずかしさが込み上げてきて、ユーリッドは返事ができなかった。
「今日は、何してたんだ?」
ファフリの部屋に入り、分厚い絨毯の上に胡座をかくと、ユーリッドは尋ねた。
室内には、沢山の魔導書やら教本やらを溜め込んだ大きな本棚と、ファフリの勉強机しかない。
遊び道具など一つもないので、ユーリッドは、ここにくると、とりあえず絨毯の上に腰を下ろして、ファフリの話を聞いたり、逆に、ユーリッドから巷(ちまた)の話題を、ファフリに話して聞かせたりした。
ファフリは、勉強机の椅子に座ると、机に置いてあった一冊の本をとって、ユーリッドに見せた。
「今日はね、朝のお祈りを済ませた後、ずっとこの絵本を読んでたの。この前、お父様に頂いたのよ」
「お父様……って、リークス王に?」
嬉しそうに父親の話をするファフリの姿に、妙な違和感を感じて、ユーリッドは眉を寄せた。
何故違和感を感じたのかは、分からない。
だが、この違和感は、マリオスが生きていることを信じられなかった、あの時に感じた違和感によく似ていた。
「ファフリ、国王様と、そんなに仲良かったっけ?」
思わず問いかけると、ファフリは、不思議そうに首をかしげた。
「当たり前じゃない。だって親子だもの。私、お父様のこと大好きよ」
「……。そっか……」
胸の中で、何かがざわりと音を立てる。
しかし、折角ファフリが楽しそうに話しているのに、それをわざわざ遮る必要はないと、ユーリッドは、わき上がる違和感を振り払った。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.303 )
- 日時: 2017/07/03 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「それで、その絵本は、どんな話なんだ?」
話を変えて、ファフリに聞くと、ファフリはにこりと笑って、ユーリッドの隣に腰かけた。
「魚人族の女の子が、地上に住む獣人に恋をしてしまうお話なの。すごく、ロマンチックでしょう?」
ファフリはそう言って、物語の世界観に浸るように、絵本をぎゅっと抱き締める。
ユーリッドは、へえ、と相槌を打つと、人魚の描かれた絵本の表紙を見た。
「でも魚人族じゃ、地上には出られないだろう? 恋するって言っても、相手と話したり、一緒にいたりすることはできないんじゃないのか?」
ファフリは、こくりと頷いた。
「そう、そうなの。だからね、この魚人族の女の子は、不思議な薬の力で、地上を歩ける二本の脚を手にいれるのよ。それで、相手の獣人と、恋人同士になるの。でもその薬の効力は、一日しか持たなくて、最終的に女の子は、海の泡になって、消えちゃうんだ」
「ええ? なんかすごい悲しい話だな……」
怪訝そうに言ったユーリッドに、ファフリは、くすりと笑った。
「うん。……私もね、最初はそう思って、なんだか悲しい気持ちになったわ。でもこの物語は、きっとこの主人公の夢のお話なんだわって考えるようにしたら、素敵な物語だって思えるようになったの」
「夢……?」
聞き返したユーリッドに、ファフリは首肯した。
「そう、夢。この物語は、地上に憧れていた主人公が見た、夢のお話だったのよ。夢の中で主人公は、地上の男の子に恋をして、恋人になって……。でも夢は、結局夢でしかないから、最終的には泡のように消えて、目が覚めてしまうの。起きたら主人公は、いつもの寝台の上で、ああ、素敵な夢を見たなって、ため息をつくんだわ」
ファフリは、本を抱えたまま立ち上がると、塔の窓を開けて、外の景色を眺めた。
「私も時々、城の外を自由に出歩く夢を見るわ。広い空とか海を見て、お父様やお母様と、綺麗ねってお話しながら、街でお買い物したりするの」
「…………」
「でも、楽しい夢ほどあっさり終わってしまうから、朝になったら寝台の上で、ああ、幸せな夢だったなって、思い起こすのよ」
ぼんやりと窓の外を眺めながら、静かに話すファフリを見て、ユーリッドは、ぽつりと言った。
「……海、見に行こうか」
「え……?」
ファフリが瞠目して、ユーリッドを振り返る。
ユーリッドは、立ち上がってファフリの隣に並ぶと、窓の外を見回した。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.304 )
- 日時: 2017/07/04 18:20
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「海辺に行くのは無理だけど、ノーレントからだって、遠目に海を見ることはできるよ。本物、見たことないだろ? 今から見に行こうぜ」
ファフリは、慌てたように首を振った。
「む、無理だよ……。塔から出ちゃいけないって言われてるし……。もし衛兵の獣人(ひと)達に見つかったら、ユーリッド、また叱られちゃうよ」
「俺は別に平気だよ。普段からよく怒られてるし。それにほら、見張りがいる反対側の、この窓から木を伝って飛び降りて、城壁のあそこ! 物見の塔の屋根まで登れば、ノーレントの西側に、海が見えると思うんだ」
ユーリッドが指差した先には、眺望のために設けられた、物見の塔が高く聳え立っている。
つまりユーリッドは、衛兵たちに見つからないように、まずこの塔の窓から木を伝って庭に降り、それから城壁に沿って物見の塔に侵入し、階段を上がり、衛兵がいる最上階は避けて、その一つ下の上層階の窓から、屋根によじ登ろうと言うのだ。
ファフリは、ユーリッドの示す道程を確認しながら、再び首を振った。
「でも私……あんなに高いところ、登れないよ」
「そんなの心配しなくても、連れていってやるよ。俺、ああいうの得意だから!」
意気揚々と言うと、ユーリッドは、直後、何の躊躇いもなく窓から飛び降りた。
「ユーリッド……!」
驚いたファフリは、はっと息を飲んで、慌てて窓から下を見た。
しかし、そんな心配などよそに、ユーリッドは、塔の真下に伸びている大木の太い枝に、器用にぶら下がっている。
一度ファフリに笑顔を向けてから、ユーリッドは身体を揺らして、太い幹に飛び移ると、両手両足を使って、あっという間に地面まで降りてしまった。
ユーリッドは、身体についた汚れを軽く払うと、周囲に衛兵たちがいないことを確認した。
そして、呆然とこちらを見ているファフリに向けて、ぱっと両手を広げた。
「降りてこいよ、ファフリ! 俺が受け止めるから、ほら!」
ぎりぎり届くくらいの、小さな声で言う。
するとファフリは、びっくりしたように目を見開いて、不安げに眉を下げた。
「で、出来ないよ……私、こんな高さから飛び降りるなんて、したことないもの……」
怯えた様子で言うファフリに、ユーリッドは笑顔で答えた。
「大丈夫、怖くないって。絶対に俺が受け止めるから、信じて!」
「…………」
ファフリは、しばらく戸惑ったように、ユーリッドと地面を見つめていた。
しかし、やがて小さく頷くと、絵本を机に置いて、ゆっくりと窓枠に足をかけた。
その体勢になって、再び決心が鈍ったのか、ファフリはまた動かなくなった。
だが、すぐに全身に力を込めると、思いきって、窓枠を蹴った。
ファフリが落下する位置目掛けて、ユーリッドが、手を伸ばす。
その手を掴んで、ファフリは、塔の中から飛び出した。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.305 )
- 日時: 2017/07/05 18:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
衛兵たちに見つからないように、物見の塔へと進入して、階段を上がっていく。
忍び足で歩いているつもりでも、塔内で反響する自分達の足音は、とても大きなものに聞こえた。
「よし、ここの窓から、屋根に登ろう」
螺旋階段の途中にあった窓を指差して、ユーリッドが小声で言う。
更に階段を登れば、物見をしている見張りの衛兵に見つかってしまうから、屋根まで出るとしたらこの窓しかない。
ユーリッドは、両手をこすり合わせると、ひょいっと窓をくぐって、外に身を乗り出した。
それから、窓枠を踏み台に、高く飛び上がって、瓦を掴んで屋根までよじ登る。
流れるような速さで目的を達成したユーリッドに、ファフリは、驚きを隠せなかった。
「はい。引っ張りあげるから、手出して」
「う、うん……」
続いて、ユーリッドが屋根の上から手を伸ばすと、ファフリは、その腕を両手でぎゅっと握った。
返事は躊躇いがちであったが、一度、塔から飛び降りるという荒業を乗り越えたお陰だろう。
海が見たい気持ちもあって、ユーリッドの手を掴んだファフリに、怖がっている様子はなかった。
「わ、高い、ユーリッド……」
ぐいっと力強く引っ張りあげられて、ファフリは、おずおずと屋根の上に足を下ろした。
瓦葺きのため、滑るようなことはないが、屋根の上なので、当然足元が斜めっている。
おまけに、少し風が吹くだけで、煽られて落ちてしまうような気がした。
「大丈夫か? 怖かったら掴まれよ」
「うん、ありがとう……」
そうお礼を言いながら、ファフリはしばらく、ユーリッドにしがみついて、安定する足場を探していた。
そうして、ようやくファフリが、自力で立てそうな立ち位置を見つけた頃に、ユーリッドが西側を示して、口を開いた。
「ほら、見てみろよ。ノーレントの向こう、あそこが港町フェールンドだ」
ユーリッドの手を握ったまま、ファフリが顔をあげる。
日が傾きかけた、橙の空を見上げて、ファフリは息を飲んだ。
「それで、そのフェールンドの更に向こうに見えるのが、全部──」
「海──……」
ファフリは、大きく開いた目で、ユーリッドの指す方を見つめた。
高い高い城壁の外に広がる、賑やかな町並み。
沈み行く太陽に照らされて、茜色に染まる家々。
そして、夕陽を反射して輝く海は、どこまでも雄大で、見たことがないほどに美しかった。
「…………」
「……ファフリ?」
黙りこんでしまったことを不思議に思い、ユーリッドは、ファフリの顔を覗きこんだ。
そして、瞠目した。
ファフリは、目を見開いたまま、涙を流していたのだ。
「えっ、あ、どうし……」
狼狽えて問いかけると、ファフリは、こぼれた涙をぬぐうこともせず、笑みを浮かべた。
「──ありがとう、ユーリッド」
夕陽を浴びて、ファフリの濡れた瞳も、きらりと輝く。
その笑顔に、思わずどきりとして、ユーリッドはファフリを見つめた。
「私、今日のこと、一生忘れない。本当にありがとう」
ファフリは、ユーリッドと繋いでいる手に、力を込めた。
「すごく綺麗……。たとえ夢だったとしても、この景色が見れて、良かった……」
「え……夢、って……?」
ファフリの言葉に、疑問を投げかけた、その時だった。
「こらぁ! そこで何してる!」
下の方から、男の怒鳴り声が聞こえてきて、二人ははっと振り向いた。
すると、ユーリッドたちが出入りに使った窓から、衛兵の一人が真っ赤な顔でこちらを睨んでいる。
「うげっ、衛兵……!」
思わず後ずさったユーリッドは、その拍子に、瓦を踏み外して、屋根の上から滑り落ちた。
「ユーリッド!」
咄嗟にユーリッドを掴もうとしたファフリの手も、虚しく空回り。
ユーリッドは、そのまま物見の塔から、落下していったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.306 )
- 日時: 2017/11/20 01:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
衛兵に捕まり、離れの塔へと戻ると、ファフリの乳母メリルが、すごい剣幕で立ちはだかっていた。
「物見の塔の屋根に登るなんて、一体何を考えているんです!」
鋭い声で叱られて、ユーリッドとファフリは、大人しく正座をした。
先程塔から落下したユーリッドは、受け身をとった拍子に左腕を擦りむいていたが、今は、その治療をしている場合ではない。
ファフリは、慌ててメリルに言った。
「あ、あの、違うの! 絵本の話をしていて、それで、私が海を見たがったから、ユーリッドはそれを叶えようとしてくれただけで……」
そのファフリの言葉に、咄嗟にユーリッドも口を挟んだ。
「いや、俺が行こうって誘ったんです。ファフリは躊躇ってたんですけど、俺が、大丈夫だからって言って──」
「お二人とも悪いのですから、かばい合いなどしても無駄です」
「……ご、ごめんなさい……」
メリルの容赦ない一言に、二人同時に謝罪する。
メリルは、縮こまっているユーリッドとファフリを見下ろして、大きくため息をついた。
「大体、この塔の入り口には衛兵がいたはずでしょう。一体どうやって抜け出したんだか……」
そう言ってから、窓の外をちらりと見て、メリルはかっと目を見開いた。
そして、もはや怒りで裏返ったような声を出すと、ユーリッドとファフリを交互に見た。
「まさか、窓から飛び降りたんじゃないでしょうね!?」
「…………」
ユーリッドが、気まずそうに口ごもる。
その沈黙を肯定ととったのか、メリルは、悩ましげに額に手を当てた。
「ああ、なんてこと……信じられない。そんなことをして、もし次期召喚師様がお怪我をしたら、どうするつもりだったのです!? 誇り高きマリオス様のご子息が、聞いて呆れます!」
「……すみません……」
一通りユーリッドを叱りつけると、メリルの怒りの矛先は、今度はファフリに向かった。
「姫様も、召喚師一族であることを自覚なさって下さい! 無断で塔から抜け出そうなんて、許されることではありませんよ。それくらい、お分かりでしょう?」
「はい……ごめんなさい」
メリルは、呆れ顔で二人を睨んだ。
「今回は大事にはなりませんでしたから、特別に許しますが、二度とこんなことはなさらないように。もし次、また勝手に塔から抜け出すようなことがあれば、お二人が会うことも一切禁止にしますからね。良いですか?」
「……はい」
二人が、口を揃えて返事をしたのを聞くと、メリルは、やれやれといった様子で部屋を出ていった。
メリルがいなくなり、再び二人きりになると、ユーリッドとファフリは、顔を見合わせた。
ひどく叱られた後だったが、不思議と、穏やかな気持ちである。
「……ごめん、結局ばれちゃったな」
ファフリは微笑んで、首を横に振った。
「ううん、すごく嬉しかったよ」
ユーリッドは、ファフリの顔をじっと見つめて、ぱっと立ち上がった。
「……楽しかったなら、またどこでも連れてってやるよ。もしかしたら、見つかって叱られるかもしれないけど、それでもファフリの気晴らしになるなら、俺はどこにでも付き合うよ」
ファフリは、驚いたようにユーリッドを見た。
それから、つかの間沈黙して、静かに言った。
「ありがとう……。でも私、ユーリッドと会うの禁止されちゃう方が嫌だから、もう大丈夫」
「そうか……?」
表情を曇らせたユーリッドに、ファフリはにこりと笑った。
「うん。確かに、ちょっと窮屈だなって思うときはあるけど、今の生活が、嫌な訳じゃないから」
ファフリは、穏やかな声で続けた。
「……お父様やお母様がいて、ユーリッドがこうして会いに来てくれて、毎日、平和に暮らしていられる……。私は、それだけで、十分だから」
そう告げたファフリの横顔が、一瞬陰ったような気がして、ユーリッドの胸に、何か冷たいものが触れた。
(……ああ、まただ。また、この違和感)
黙りこんだユーリッドの手を握って、ファフリは再度笑顔になった。
「また、遊びに来てね。外に出ないで、塔の中でお話できるだけでも、私は幸せだよ」
「…………」
ユーリッドは、腑に落ちない様子で、頷くこともせず、ファフリの手を握り返したのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.307 )
- 日時: 2017/07/07 18:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1Fvr9aUF)
「だっはははっ! それでお前、屋根から落ちて、腕擦りむいたのか!」
「わ、笑うなよ……」
自宅に戻ってから、今日あった出来事を父に話すと、マリオスは、ファフリを連れ出したことを叱るどころか、大爆笑していた。
ユーリッド自身、叱られないだろうと思って話したのだから、予想通りと言えば予想通りなのだが、まさかここまで笑われるとは思わなかったので、いまいちばつが悪い。
マリオスは、笑いすぎて口から噴き出した米粒を、台拭きで拭いながら、ユーリッドに言った。
「いやぁ、だってお前、それだけ大見得切って姫様連れ出したくせに、結局衛兵に見つかって、挙げ句屋根から落ちるとか……! 格好悪いなー!」
未だに笑いが堪えきれてないマリオスに、ユーリッドは顔をしかめた。
「うるさいな! 別に格好つけるつもりで連れ出したんじゃねえし!」
そう言って、唇を尖らせる。
「俺はただ……四六時中あんな塔の中で過ごしてるなんて、絶対に息が詰まるだろうって思っただけだよ。よくファフリが、ぼんやり外を眺めてることも知ってるし、少しの時間でも、外の景色を見せてあげたら喜ぶかなって、そう思って……」
言いづらそうに述べたユーリッドに、マリオスは、苦笑した。
「そうか……。まあ、そうだよなぁ。決して、自由な生活とは言えないよな」
ユーリッドは、深く頷いて、怒ったように言った。
「そうだよ。あんなの、ファフリが可哀想だ。いくら次期召喚師だからって、ああやって何もかも禁止するような生活を強いるなんて、まるで投獄された罪人じゃないか。前に塔から抜け出した時だって──」
そこまで言って、ユーリッドは、はっと口を閉じた。
(前に、塔から抜け出した……?)
出会った日を除いて、ファフリを外に連れ出したのは、今日が初めてだったはずだ。
それなのに何故、前にも抜け出したなんて発言をしたのだろうか。
自らの言葉に、自分で驚いているユーリッドに対し、マリオスも同じ疑問を感じたのか、顔をしかめた。
「前にって、お前、以前も無断で姫様連れ出したのか?」
「……い、いや……そうじゃないよ。言葉、間違えただけ……」
どこか困惑したように否定するユーリッドを、マリオスは、訝しむように見つめた。
しかし、やがてふうっと息を吐くと、空になった食器を重ねながら、言った。
「まあ、お前の気持ちも分かる。分かるけどさ、今日限り、もう姫様を連れ出すのはやめとけ」
「…………」
ユーリッドが眉を寄せて、顔をあげる。
マリオスは、そんなユーリッドに苦笑いすると、諭すように述べた。
「そりゃあ、姫様だって、好き勝手色んなところに行ってみたいだろうさ。でもな、彼女には、次期召喚師としての立場ってもんがあるんだよ。沢山のことを我慢して、自分の役目を全うしようとしてる姫様を、わざわざ連れ回そうなんて、そんなのお前の我が儘だろ。それにもし、本当に姫様に何かあったら、お前、責任取れねえだろうが。な?」
「……それは、そうだけど」
浮かない表情のユーリッドを見て、マリオスは、呆れたように笑った。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.308 )
- 日時: 2017/07/08 18:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: z6zuk1Ot)
「納得はできないかもしれんが、いつか、分かる日が来るさ。お前みたいに、真剣に悩んでくれる奴がいるってだけで、姫様もきっと嬉しく思ってるだろ」
「…………」
ユーリッドは返事をしなかったが、マリオスは、もう何も言わなかった。
しつこく言ったところで、無駄なことは明白であったし、自由のないファフリの生活に疑問を持ってしまうのは、マリオスも同じだったからだ。
また、ユーリッドも、マリオスの意見が正論であることは分かっていたので、これ以上反論しようという気はなかった。
マリオスは、一通り食卓を片付けると、まるで何かのついでのように、さらりと次の話を切り出した。
「そういや、話は変わるんだが、最近陛下が、隣のスヴェトランに目をつけていてな。近々、本格的に出兵することになりそうなんだ。それで、今日の御前会議で決まったんだが……俺も、スヴェトランまで遠征することになった」
「え……」
ユーリッドは、マリオスを見つめたまま、硬直した。
(スヴェ、トランって……)
身体がすうっと冷たくなって、鼓動がどくどくと加速し始める。
これまでも、父が遠征に出ることくらい、しょっちょうあったが、スヴェトランという言葉は、ユーリッドの頭の中に不気味な響きを残した。
「俺がいねえ間は、いつも通り寮で寝泊まりしてくれ。遠征っつっても、今回はすぐ隣だし、スヴェトランがうまくこちらの言い分を飲んでくれりゃあ……」
「駄目だ!」
ユーリッドは、勢いよく食卓から立つと、真っ青な顔でマリオスを見た。
「スヴェトランは駄目だ……! 行かないで、父さん」
マリオスが、驚いたようにユーリッドを見上げる。
「……どうした? そんな心配すんなって。スヴェトランは広い街ではあるが、大した軍事力は持っちゃいねえ。ノーレントとの戦力差は明らかだ。遠征したところで、多分戦にも発展しな──」
「そう言って死んだくせにっ!」
マリオスの言葉を遮って、ユーリッドは大声で叫んだ。
これには、流石のマリオスも動揺したらしく、口を閉じる。
ユーリッドは、自分でもなぜこんなに感情的になったのか理解できず、震える拳を握って、唇を噛んだ。
しん、と静まり返った部屋の中で、沈黙を破ったのは、マリオスだった。
「……死んだって、俺がか? ユーリッド、お前、この前もそんなようなこと言ってたが、一体どういう……」
マリオスが、真剣な面持ちで尋ねてくる。
ユーリッドは、どう答えて良いか分からず、そのまま黙り続けていた。
一体どういうことなのか。
そんなこと、自分でも分からなかった。
どれもこれも、悪夢のせいだ。
忘れよう、忘れようとそう思っているのに、時折妙な違和感が、頭の中を支配してくる。
父マリオスと過ごし、同期の兵士たちと仕事に励み、ファフリの笑顔を見て、笑いあって、そんな当たり前のような日常を、何かが違うと訴えかけてくる。
息が、うまく吸えなかった。
浅く呼吸を繰り返しながら、ユーリッドは、込み上げてくる感情を抑えて、マリオスを見た。
「……ごめん、俺、もう寝る。頭冷やすよ」
マリオスが、心配そうにこちらを見る。
ユーリッドは、そのまま背を向けると、寝室の方に歩し出した。
「変なこと言い出して、ごめん。遠征、頑張って」
それだけ言うと、逃げるように寝室に入って、毛布にくるまった。
その後も、マリオスがこちらの様子を伺って、ユーリッドの寝室に入ってきていたことには気づいていたが、寝たふりをして、ユーリッドはずっと毛布の中に閉じ籠っていた。
明日になって、気分が落ち着いたら、笑顔でおはようと言おう。
そして、もう一度謝って、マリオスが心配事なく遠征に出られるように、見送るのだ。
そう決めていたのに、翌朝、ユーリッドが起床した頃には、もうマリオスは登城していた。
遠征前で忙しいのだろうと、その日は、夜遅くまで父の帰りを待っていたが、マリオスは、結局帰ってこなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.309 )
- 日時: 2017/08/15 23:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
よく晴れた昼の日射しを浴びて、王都ノーレントの中央通りでは、道行く獣人たちが盛んに歓声をあげていた。
皆、隣街スヴェトランに遠征する兵士たちの行進を、一目見ようと集まっているのだ。
一通り午前の業務を終えた見習い兵たちも、いずれ自分もあのような兵士になるのかと、夢を抱きながら見物に集まっている。
ユーリッドも、イーサに連れられて、この獣人の波の中に紛れていた。
「うわぁ、こりゃあ全然見えねえな。図体でかいやつは、後ろに行けっての!」
そんな文句を言いながら、イーサがユーリッドの方を振り返る。
ユーリッドは、そうだな、とだけ答えて、ぼんやりとひしめく獣人たちを見つめていた。
結局、スヴェトランに行くなと告げたあの日から、マリオスは一度も、家に帰ってこなかった。
あれから三日経った今日、兵団がスヴェトランに向かうというのも、人伝に知っただけである。
いってらっしゃいの一言でいいから、父に伝えたいと思ったのだが、この見物人の多さでは、マリオスの目にとまることも難しいだろう。
半ば諦めながら、なんとか前の方に行こうとするイーサを見守っていると、ふと、どこからか声が上がった。
「おい、来るぞ!」
その叫びに、獣人たちの波が大きく動く。
同時に、ゴーン、ゴーンという鐘の音が響いて、城門が開いたかと思うと、ミストリア兵団の兵士たちが、足並みを揃えて中央通りを進み始めた。
わぁっと獣人たちが歓声をあげ、それぞれ手を振ったり、兵団の紋章が刺繍された旗を振ったりしている。
中には、行進する兵士の中に親族がいるのか、名前を呼んでいる者もいた。
「おいユーリッド! ほら見ろよ! 先頭に、お前の父ちゃんいるぞ!」
興奮のあまり、イーサがユーリッドの頭をばしばしと叩く。
ユーリッドは、必死に背伸びをして、なんとか獣人たちの頭と頭の隙間から、兵士たちの先頭を捉えた。
背後に歩兵を引き連れ、馬に乗ったマリオスが、ゆっくりと大通りを進んでいく。
その隣には、ミストリア兵団の副団長である鳥人、アドラも並んで、馬に跨がっていた。
「すっげえ! 俺、団長と副団長が並んでるところ、初めて見た! かっこいいなぁ!」
目をきらきらと輝かせ、イーサが食い入るように馬上の二人を見つめる。
しかし、ユーリッドはその瞬間、心臓を掴まれたような衝撃を感じた。
(やっぱり、おかしい……)
身体の内側から、もやもやとしたどす黒いものが溢れてくる。
同時に、激しい頭痛と目眩を感じて、ユーリッドはその場でうずくまった。
「おい、どうしたんだ?」
気づいたイーサが、声をかけてきたが、それに答える余裕はない。
どんどんと遠くなっていく周囲の喧騒を聞きながら、ユーリッドは、呻いて目をつぶった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.310 )
- 日時: 2017/07/10 18:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 4V2YWQBF)
(ここは、どこだ……?)
マリオスがいて、アドラがいる。
ファフリが笑っていて、自分は、ミストリア兵団の見習い兵で──。
ここが、本当に自分の居場所だっただろうか。
込み上げてくる吐き気を、必死になって堪える。
すると、不意に脳裏に、墓標の前に佇(たたず)む自分の姿が映った。
(墓……? あれ、は……)
兵団が建てた豪勢な墓は、どこか近寄りがたくて。
それとは別に、太い枝を十字に組んで作った、自作の墓標。
そこに埋められるものは何もなかったけれど、その墓標に向かって話しかけたとき、自分は初めて、父とふれ合えたような気がした。
その墓標に自分で彫った、マリオスの名前がはっきりと記憶に蘇った瞬間。
ユーリッドは、ぱっと駆け出した。
「父さん……っ!」
獣人たちを無理矢理かき分け、兵士たちの元に走る。
──マリオスは、スヴェトランとの戦いで死ぬ。
そんなこと、忘れようとした。
だが確かに現実だった、その記憶が次々と頭に浮かび、ユーリッドは、絶叫した。
「父さんっ! 行くな!」
声が届いたのか、マリオスと、ふと目が合う。
──その時だった。
「────!」
突然、風のごとく現れた黒い影が、マリオスの首を、はねた。
何が起きたのか理解する間もなく、マリオスの身体が、泡沫の如く霧散して、大気の中に消える。
獣人の形をしたその黒い影は、漆黒の刃を閃かせながら、騒然とする中央通りを、疾風のように駆け巡った。
思わず見入ってしまうような剣さばきで、黒い影は、次々と獣人たちを切り裂いていく。
アドラを刺し、歩兵たちを刻み、民衆でさえ、抵抗する間も与えずに、容赦なく散らして──。
ユーリッドは、そうして儚く消えていく者たちの姿を、ただただ立ち尽くして見ていた。
「やめろ……」
一人、また一人と獣人たちが斬られていくたび、ユーリッドの心の中にも、深い悲しみが流れ出してくる。
「やめ……っ」
まるで、黒い影のその一振りが、ユーリッドの心にも、深い傷をつけていくように。
どうしようもないくらいの絶望と怒りが、胸の中に広がった。
「やめろ──っ!」
地面に転がっていた、歩兵の剣をとり、ユーリッドは、弾かれたように走り出した。
せわしなく息を吐きながら、剣を振りかぶり、渾身の力を込めて、黒い影に斬りかかる。
見習い兵の自分は、誰かに斬りかかったことなどないはずなのに。
こうして、剣を突きつける緊張感に、ユーリッドは覚えがあった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.311 )
- 日時: 2017/07/11 18:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 4V2YWQBF)
「……っ!」
剣先が、黒い影を捉えた刹那──。
しかし、ユーリッドの剣は、黒い影の斬撃に阻まれる。
咄嗟に後退し、高く宙返りをして、影との距離をとる。
互いに動きを止め、対峙すると、ユーリッドは黒い影を強く睨み付けた。
「なんで……」
声が震えて、熱い塊が、喉の奥から込み上げてきた。
「なんで、こんなことするんだよっ! 折角また会えたのに、どうして皆を消すんだよっ!」
ぐっと歯を食い縛り、再び、黒い影に向かって刃を向けた。
黒い影は、一言も言葉を発することなく、ただ静かに、ユーリッドの剣を受け続けた。
二人の剣が、激しくぶつかり合い、弾き合って、空気がうなり声をあげる。
無駄のない動きで、ユーリッドの攻撃を防ぐ黒い影のその太刀筋には、どこか見覚えがあるような気がした。
己の中から噴き上がってくる激情を、そのまま黒い影に叩きつけるように、ユーリッドは、何度も何度も力任せに剣を振った。
「父さんと、ようやく話せたんだ……!」
ほとんど家に帰ってこない、まるで、他人のように過ごしてきた父、マリオス。
親子らしい思い出もないまま、彼は、スヴェトランへと遠征に出て、死んだ。
「もう一度、兵団の皆とも、会えて……」
狂ったような勢いで剣を交えて、ユーリッドは叫んだ。
「ファフリだって、リークスに絵本をもらったって、笑ってたのに……!」
昔から、自分に会いに来てくれるのはユーリッドだけだと、寂しそうに言っていたファフリ。
きっと彼女は、友人を作りたいとか、城の外に出てみたいとか、そういった願い以上に、父親からの愛が欲しかったのだ。
「……嬉しそうにっ、絵本を見せて……っ!」
リークスは、決して自分のことを嫌っているわけじゃない。
そんなファフリの希望は、もう粉々になって、消えてしまった。
リークスが、ファフリの殺害を謀っていると分かった、あの瞬間に──。
「────っ!」
重くのし掛かってきた、黒い影の一撃を受け損なって、ユーリッドは吹っ飛ばされた。
握っていた剣が、円を描いて弾け飛ぶ。
ユーリッドは、勢いよく背中を地面に打ち付けて、ぐっと息をつまらせた。
「……っ」
はっと息を吸って、腕に力を込める。
今まで見てきた、父やイーサたち、ファフリの明るい顔が、次々と頭に浮かんできた。
「ここでは、皆、幸せそうに笑ってたのに……」
緩慢な動きで、上体を起こす。
ユーリッドは、かすれた声で言った。
「まるで、夢、みたいに……」
──夢。
その瞬間、立ち上がろうとして、ふと視界に入った自分の手を見て、ユーリッドは目に驚愕の色をにじませた。
手が、十歳の頃の自分のものより、ずっと大きくなっている。
よく見れば、服装も今まで着ていたものとは違う。
兵団を脱退し、ファフリと共に逃亡の旅に出た、十六歳の自分の姿に戻っていたのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.312 )
- 日時: 2017/08/15 23:47
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「…………」
気づけば、先程まで賑わっていたノーレントの街並みも、跡形もなく消え去っていた。
マリオスも、アドラもイーサも、兵士たちも民衆たちも、全て夢だったかのように、消滅してしまった。
何もない真っ暗な空間に、たった二人。
ユーリッドと、黒い影が向かい合っているだけだ。
「……そうか、やっぱり、夢……」
ぽつんと言って、ユーリッドは、見つめていた手をぎゅっと握った。
同時に、断片的に浮かんでいた記憶がはっきりとして、ユーリッドの頭に、サーフェリアでの出来事が蘇った。
(……具合が悪いファフリの側にいて、そしたら急に、黒い炎に包まれて、俺は……)
──俺は、ファフリを蝕む悪魔の幻に、取り込まれたんだ……。
心に巣食っていた怒りは消え、代わりに、底知れない虚しさが胸に広がった。
なんとなく、分かっていたのだ。
本当は、マリオスが生きていないことも。
ファフリと自分が、笑い合えるような状況下でないことも。
些細な違和感だと思い込んで、目をそらしていただけで、ずっと、心の奥底では分かっていた。
「全部……夢、だったんだな」
ふと口に出して、抑えきれない熱が、目に滲んでくる。
もし、スヴェトランとの争いがなければ。
リークスが、ファフリの命を狙っていなければ──。
この夢のように、父マリオスは、生きていたのだろうか。
アドラを失うこともなく、苦しい逃亡の旅路を行くこともない。
皆で笑い合える、そんな未来を、歩んでいた可能性があったのだろうか──。
たとえ今まで見てきたものが、悪魔の見せている幻でも、そう考えずにはいられなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.313 )
- 日時: 2017/07/13 19:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NtGSvE4l)
(それでも……ここは、現実じゃない)
どんなに幸せでも、楽しくても、夢は、夢でしかない。
ファフリの内に潜む、悪魔の思惑通りになんて、なってやるものか。
ここで幻の中に逃避したら、ファフリを守りたいという言葉に頷いてくれたマリオスの気持ちを、裏切ることになる。
それだけではない。
命を落としてまで、自分達を守ってくれたアドラや、無関係だったにも拘わらず、手を差しのべてくれたトワリスの思いまで、踏みにじることになるのだ。
幻に取り込まれていたのだと自覚した途端、そんな思いが突き上げてきて、ユーリッドは、立ち上がった。
黒い影は、ユーリッドにとどめを刺すことはせず、未だ静かに、目の前に立ったままでいる。
「……お前が、悪魔なのか」
黒い影は、何も答えない。
ユーリッドは、取り落とした剣を拾い上げると、それを構えて、黒い影を見つめた。
「ファフリはどこにいるんだ。ファフリも、この幻の中にいるんだろ」
「…………」
ユーリッドは、何も言わない黒い影に、一気に斬りかかった。
今度は、怒りに任せて剣を振るうのではなく、確実に、相手を仕留められるように。
(……現実に戻ったって、どうしたらいいかなんて思い付かない)
残光を引き、素早く斬り込んでくる剣を、ユーリッドは力一杯弾いた。
(今の俺じゃ、何もできない)
そして、思いきり地面を蹴ると、相手の懐に踏みこみ、胸部めがけて剣を突き上げた。
しかし、がつんっ、と腕に衝撃がきて、剣の軌道をそらされる。
(だけど、ミストリアを護るのは、ファフリだけの役目じゃないはずだ……!)
体勢を崩した拍子に、黒い刃が肩口をかすって、熱い衝撃が走る。
だが、ユーリッドは引かなかった。
(ファフリが悩むなら、俺も一緒に悩んで──)
肩口に刺さった剣には構わず、ずいっと前に出ると、黒い影の腹に、ユーリッドは刃を突き立てた。
(──一緒に、戦うんだ……!)
不思議と、黒い影の剣筋には、見覚えがあった。
実際に戦ったことはなかったけれど、何度も見て、はっきりと記憶している太刀筋だ。
そんな気がした。
相手がとるであろう次の動きを読んで、ユーリッドは、腹を刺されてひるんだ影の剣を、力強く跳ね上げた。
「────っ!」
ぎゅんっと大気の裂ける音がして、跳ね飛んだ剣が、闇に溶ける。
その瞬間、黒い影の目が、はっきりとユーリッドを映した。
黒い影は、一歩下がり、ぴたりと動きを止めると、ユーリッドに向かい合った。
そして、暗闇の一点を指差すと、微かに頷いて、すうっと消えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.314 )
- 日時: 2017/07/14 20:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
袖を切り裂き、肩口の傷を止血すると、ユーリッドは、先程黒い影が指した方向を見上げた。
この先に、何があるかは分からない。
だが、他に何の手がかりもない。
辺り一面暗闇に包まれたこの空間では、示された方向に進むしかないだろう。
(……とにかく、今はファフリを探そう)
そう決心して、ユーリッドは走り出した。
ここは、悪魔が作り出した幻の世界だ。
魔術の使えないユーリッドでは、どうやって抜け出せば良いのか全く検討がつかないし、ファフリだって、一体どのような状態で捕らえられているのか、定かではない。
しかし今は、ファフリを探し出して、なんとか助け出すしかない。
幻の中ではあるが、幸い、剣も入手出来たし、戦うこともできた。
ユーリッドの攻撃が、全く通用しないということはないようだ。
長い間走り続けていると、不意にどこからか、美しい笛の音が聴こえてきた。
歌うように滑らかで、心にしっとりと染み入ってくるようなそれは、ユーリッドがファフリと共に、この幻に取り込まれる直前に聴いたものと同じだった。
一瞬、聴いてはまずいかと身構えたが、次の瞬間──。
気がつくとユーリッドは、ミストリア城の離れにある、ファフリの過ごしている塔の中にいた。
ユーリッドは、いつものように分厚い絨毯の上に腰かけており、手には、焼き菓子の包みが握られていた。
「ね、美味しいでしょう? お母様が、作ってくださったの」
すぐ近くで声がして、はっと顔をあげる。
すると目の前で、十歳の姿のままのファフリが、ユーリッドを見つめて、嬉しそうに笑っていた。
「今度時間をもらえたら、私も、このお菓子の作り方を教えてもらおうと思って。そうしたら、お父様に差し上げて──」
「ファフリ!」
言葉を遮って、ユーリッドが叫ぶ。
ファフリは、驚いたように目線をあげると、目を瞬かせた。
「ど、どうしたの? 急に、大きな声を出して……」
ユーリッドは、持っていた焼き菓子を地面に捨てると、ファフリの小さな肩をつかんだ。
「ファフリ、俺の姿、見えるだろ? 俺たちは、もう十歳の子供じゃない。ここは、悪魔が作り出した夢の中なんだよ!」
ファフリは、びくりと震えると、微かに俯いた。
「……夢? 夢って、何のこと? ユーリッドが言ってること、分からないよ……」
ユーリッドは、眉を寄せると、今一度辺りを見回した。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.315 )
- 日時: 2017/07/15 19:30
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: npB6/xR8)
幼少期、ファフリが過ごした塔の中。
しかし、ユーリッドの記憶にある現実とは、一つ違う点がある。
部屋の中に、国王リークスからの贈り物だという、絵本が置いてあるのだ。
(……やっぱりここは、ファフリの夢の中だ)
ユーリッドが、マリオスの生きている夢を見ていたように。
ファフリもまた、父であるリークスから愛される夢を見ている。
つまりここは、悪魔の作り出した『ファフリの望んでいた世界』なのである。
ユーリッドは、ファフリの肩から手をどけると、まっすぐに彼女を見つめた。
「……夢は、結局夢でしかない。最終的には、泡のように消えて、目が覚めてしまう……。楽しい夢ほど、あっさり終わってしまうんだって、ファフリ、そう言ってたよな」
「…………」
ファフリが俯いたまま、身体を強張らせる。
ユーリッドは、それでも構わず、ゆっくりと続けた。
「本当は、気づいてたんじゃないのか。ここが幻の世界で、いつかは目覚めなきゃいけない、夢の中なんだって。俺たちはサーフェリアで、悪魔に取り込まれたんだよ」
「…………」
「ファフリ、帰ろう。俺たちは今、リークス王に命を狙われて、逃亡の旅途中にある。今後どうやって生き残るか考えないといけないし、奇病に苦しむミストリアのことだって、放置してはおけないだろう。だから、現実の世界に、戻ろう」
そう言って、ユーリッドがファフリに手を伸ばすと、ファフリは、その手を力強く払いのけた。
「嫌! 私、戻りたくない!」
ユーリッドが、伸ばした手を止める。
ファフリは、苦しそうな表情で、ユーリッドを睨み付けた。
「ここが、悪魔の作り出した世界だなんて、分かってるよ。でも、夢だっていい! もう嫌なの……逃げるのも、考えるのも……。沢山悩んだって、もう無駄だよ。私には、何もできないって結論しか出てこないの!」
ファフリは、声を荒げて、更に言い募った。
「ユーリッドだって、ロージアン鉱山で言ったじゃない! 私がミストリア城に戻るのは、賛成できないって! お母様だって、私を召喚師の柵から解放するために、城から逃がしたんだろうって!」
ファフリが、ぎらぎらとした目で、ユーリッドを睨む。
徐々に十六歳の姿に戻りつつあるファフリを見て、ユーリッドは、静かに言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.316 )
- 日時: 2017/07/16 21:33
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「……それはファフリが、次期召喚師だからっていう責任感で、ミストリアを救いたいって言ってると思ってたから、反対したんだよ」
ユーリッドは、ファフリに向き直った。
「でも、違ったんだな。ファフリは、リークス王が護るミストリアが好きで、次期召喚師だからとか、そんなの関係なく、本心から奇病をどうにかしたいって思ってたんだよな」
「…………」
ファフリの目の光が、微かに弱まる。
ユーリッドは、再び室内を見回した。
「俺もさっきまで夢を見てたから、この幻の居心地の良さは、分かってる。だからファフリが、本気でこの夢の中に永遠にいたいと思うなら、それでもいいよ」
「…………」
「……でも、本当にそれでいいのか?」
ユーリッドは、ファフリに視線を戻した。
「ファフリは、小さい頃からずっと、国を護れる召喚師になるため、頑張ってたじゃないか。友達作って遊びたくても、自由に外を出歩きたくても、そういうの全部我慢して、沢山勉強とか魔術の練習をしてたの、俺は知ってるよ。だけど、もしこの夢の中に残ったら、そういう努力が全部無駄になっちゃうんだぞ。それでもいいのか?」
ファフリが、僅かにたじろいだ。
「……正直俺も、今のミストリアを救うために、どうしたらいいかなんて想像もつかないよ。でもこの夢の中で、父さんと話して、思い出した。俺は、ファフリの力になって、ミストリアを守るために、兵士になったんだ。兵団はもうやめちゃったけど、その気持ちは変わらない」
「……っ」
ファフリが、ひゅっと息をのむ。
そして、歯を食いしばると、か細い声で言った。
「……私だって……本当は、ミストリアを助けたい……」
涙をこらえたような目で、ファフリは顔を上げた。
「でも、そう思っても、何もできないんだもの……。私には、召喚術を扱える力が、ないんだよ……」
ファフリは、微かに震えながら、目を伏せた。
「だったらまずは、ファフリが召喚術を使えるようになるにはどうすればいいか、一緒に考えよう」
ユーリッドは、微笑んだ。
「長い間、一人で悩ませてごめんな。召喚師の辛さなんて、きっと考えても理解できないだろうからって、俺はずっと、自分達が生き残ることしか頭になかったんだ。でも、そうやってファフリに押し付けるの、もうやめるよ。召喚術のことも、ミストリアのことも、これから俺たちがどうするかも、ファフリが思い悩んでること全部、俺もちゃんと一緒に考えるから。……だから、とりあえず一つ目の課題が、召喚術のことなら、まずは、ファフリがどうしたら召喚術を使えるようになるか、俺なりに考える」
「ユーリッド……」
ファフリは、ユーリッドを見つめた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.317 )
- 日時: 2017/07/17 19:37
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sjVsaouH)
「……だけど私、また、悪魔に乗っ取られたりして、迷惑かけるよ。もしかしたら、見境いがなくなって、ユーリッドを殺そうとすることだってあるかもしれない……。そんなの、私、怖いよ」
ユーリッドは、首を横に振った。
「そんなことないさ。だって、初めてカイムを召喚して狼を殺したときも、渓流で兵団に襲われたときも……リークス王に出くわしたときや、サーフェリアの審議会で殺されそうになったときだって。ファフリは、俺やトワリスを護るために、悪魔を召喚したんだろう」
「…………」
「実際に俺たちは、それで何度も命拾いしてるんだ。だからきっと、ファフリに素質がないなんてことは、ないんじゃないかな。俺も詳しくは分からないけど、あとは、悪魔の力に飲み込まれないように、制御できるようになるだけ。才能云々の問題じゃなくて、ファフリの、気持ちの問題なんじゃないか」
「私の、気持ち……」
呟いてから、ファフリの脳裏に、ふとルーフェンの言葉が甦った。
──君はさっき、召喚師として才能がないと言っていたけれど、召喚術を使うのって、本当はとても簡単なんだよ。君は召喚術が使えないんじゃない。使わないんだ。
ぴしっ、と音がして、この空間に、ひびが入る。
まるで硝子のように砕け始めた、塔の部屋の中を見回しながら、ユーリッドは言い募った。
「城を出た頃は、何もできなかったのに、今じゃ、カイムもハルファスも、ファフリに力を貸してくれてる。この幻を作っている悪魔だって、いつか、ファフリの呼び掛けに答えてくれるようになるよ」
ユーリッドは、もう一度、ファフリの前に手を差し出した。
「それにもし、また悪魔の力に飲み込まれるようなことがあっても、何度だって、俺が助けに来るよ。俺は、ファフリが乗っ取られたって、どうなったって、逃げないよ。沢山名前を呼んで、必ず元のファフリに戻してみせる」
ユーリッドは、笑った。
「だから、大丈夫、怖くない。絶対に俺が受け止めるから……信じて」
見開かれたファフリの目から、涙が零れ落ちる。
ファフリは、ぐっと口を引き結ぶと、間をおいてから、頷いた。
ファフリの伸ばした手が、ゆっくりとユーリッドの手を掴む。
──その瞬間。
周囲の景色が、粉々に砕け散って、二人は、暗闇の中に放り出された。
同時に、周囲が業火に包まれ、目の前に、全身が燃え盛る鳥が姿を現した。
(フェニクス……!)
カイム、ハルファスに続く、三体目の悪魔──。
歌声で相手を魅了し、その魔力に打ち勝った者のみに付き従う、ミストリアの召喚師が扱える最後の悪魔だ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.318 )
- 日時: 2017/07/18 19:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: q9W3Aa/j)
耳をつんざくような、フェニクスの甲高い咆哮が、二人の鼓膜に突き刺さる。
身を焦がす灼熱の炎が、視界を焼き、聴覚を炙り、思惟(しい)を奪い去った。
ファフリは、ユーリッドの身体に掴まりながらも、フェニクスの姿を、はっきりとその目に映した。
(力を貸して、フェニクス……!)
熱で全身の感覚が失われていくのを感じながら、ファフリは、フェニクスに向かって手を伸ばした。
恐ろしかった。
心臓を鷲掴まれ、がくがくと揺さぶられているような──。
そんな、強い恐怖を感じる。
しかし、それでもファフリは、目を閉じなかった。
(もう、貴方たちの力を怖がったりしない……!)
全身が爆発するような苦しみが襲ってきて、伸ばした手が、震える。
(だから──……!)
それでも、ぐっと精一杯伸ばした指先が、フェニクスに届いた。
──刹那。
力を振り絞って、身をよじったユーリッドが、フェニクス目掛けて斬りかかる。
元が幻でしかなかった剣は、燃え尽きて消えたが、その斬撃で一瞬炎が掻き消えた隙に、ユーリッドは、ファフリの手を引いて駆け出した。
言葉を交わすこともできず、先の見えない暗闇の中を、ひたすらに走る。
渦巻いていた炎は、ぐんぐんと遠くなり、あっという間に背後で消えた。
そうして、夢中で足を動かしている内に、後ろの方から声が聞こえてきた。
「ファフリ……!」
母である、ミストリアの王妃レンファの声であった。
(お母様……!)
母は、自分を城から出して、どうなったのだろう。
次期召喚師を逃がした罪を、一人で背負い、リークスに罰せられてしまったのだろうか。
思わず振り返ろうとして、しかし、すんでのところで、ファフリは留まった。
ここは、フェニクスが作り出した夢の中だ。
レンファがこんなところにいるはずはない。
聞こえてくる声などには耳を貸さず、一心不乱に走り続けていると、今度は、これまでの旅での記憶が、次々と目の前に現れてきた。
降り下ろされた剣に、ざくりと頭を真っ二つに割られ、刺客と共に崩れ落ちたアドラ。
彼も、刺客たちも、狼たちも、皆、真っ赤に染まった川の中に沈んでいった。
宿場町トルアノで、ユーリッドに刃を向けてきた、カガリの母親。
奇病にかかった息子を殺されたとき、彼女は、どんな気持ちだったのだろうか。
今も、ユーリッドたちに深い憎悪を抱きながら、暮らしているのだろうか。
国王リークスは、実の娘であるファフリを、何の躊躇いもなく、殺そうとしてきた。
冷たい視線を向けて、まるで、害虫でも見るかのように。
だんだんと、走る足が鉛のように重くなってきた。
自分達は、どれだけの犠牲を払って、旅を続けてきたのだろう。
これから先、どれほどの困難が待ち受けているのだろう。
今ここで目覚めたら、また辛く苦しい生活が待っている。
そう思った瞬間、ユーリッドとファフリの身体を、とてつもない疲労が襲った。
このまま現実に戻らなくたって、何の問題もないのかもしれない。
トワリスやルーフェン、サーフェリアの人間たちに迷惑をかけることもなくなるし、国王リークスは、予定通りファフリが死んだと歓喜して、新たに産まれた次期召喚師が、ミストリアを統率していくのだろう。
現実に戻ってもがいたところで、更なる犠牲を生み出すだけではないのか。
もし、力を貸してくれたトワリスやリリアナ、カイルたちまで、アドラのように死んでしまったら──。
先程、あれだけ強く目覚めると決心したのに、どんどんと心が闇の底に沈んでいく。
ユーリッドは、必死になってファフリの腕を引こうとしたが、その手すら、ひどい倦怠感に襲われて動かなくなっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.319 )
- 日時: 2017/07/19 21:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: q9W3Aa/j)
その時、背後から、微かに風が吹いてきた。
同時に、ユーリッドの耳に、懐かしい声が聞こえてくる。
──我々兵士のすべきことは、召喚師様の手となり足となり、ミストリアのために戦うことだ。
父マリオスが死んだとき、墓標の前で佇むユーリッドに、アドラが言った言葉だった。
──我々には、いつまでも死者を思い、悲しみに浸っている暇はないのだ。その悲しみが、己の剣を鈍らせるというのなら尚更な。
落ち着き払った様子で、しかし、どこか寂しそうに言っていたアドラの姿が、ぼんやりと目に浮かぶ。
あの言葉は、死者の命を軽く考えても良いとか、犠牲を払っても良いとか、そういう言葉ではない。
過ぎ去った物事には囚われず、前に進め──。
そういう言葉なんだと、当時十歳であったユーリッドにも、はっきりと分かった。
(進め……!)
全身に、熱い力が込み上げてきた。
(進め──!)
動かせば、身体がちぎれてしまうのではないかと思うほどの、重い足を引きずって。
ユーリッドは、ぎりぎりと歯を食い縛る。
その瞬間──。
誰かが、ユーリッドとファフリの腕を、強く掴んだ。
その大きくて暖かい手に、はっと顔を上げると、腕を掴んでいたのは、先程ユーリッドと剣を交わした、黒い影だった。
「あんた、一体……」
思わず声に出して、ユーリッドが問いかける。
最初は悪魔かと思っていたが、この幻を作ったのがフェニクスだとすれば、この黒い影は、何者なのだろう。
思えば、この黒い影がマリオスや兵士たち、民衆の幻を斬り殺してくれなければ、ユーリッドが、夢の中から抜け出すことはできなかった。
どくん、どくんと、心臓の脈打つ音が聞こえる。
見覚えのある、巧みな剣さばき。
掴まれた腕から伝わってくる、懐かしい温もりと匂い。
そして、それらを感じ取った時、徐々に形として見え始めた黒い影の姿を見て、ユーリッドとファフリは、目を見開いた。
「──……アドラ、団……!」
力強く腕を引っ張られ、まるで泥沼から足が抜け出したかのように、身体が軽くなる。
そのまま前のめりになったユーリッドとファフリの背中に、大きな手が触れて、二人は、どんっと前に押し出された。
──行け……!
頭の中に、アドラの声が響いた気がした。
その瞬間、目前に眩い光が迫ってきたかと思うと、二人は、その光にあっという間に飲まれてしまう。
「──……っ!」
ユーリッドとファフリは、夢から弾き出されるようにして、はっと目を覚ました。
お互い汗だくで、激しく呼吸しながら、自分達が今、ルーフェンの家にいることを確認する。
それから最後に、驚いたようにこちらを見つめるトワリスと目が合うと、ふと、ファフリが声をあげて泣き出した。
泣きながら、何度も何度もユーリッドに謝り、そして、アドラの名前を呼びながら、ありがとうと告げた。
自分達が、丸一日も眠りについていたのだと知ったのは、ファフリが泣き疲れて、寝てしまってからだった。
ずっと見守ってくれていたのだろうトワリスに、ユーリッドは、夢で見た内容を、ぽつぽつと話して聞かせた。
負ったはずの傷や、火傷が消えている辺り、自分達が体験したことは全て、やはり夢だったのだろう。
だがあれは、ただの夢ではない。
悪魔フェニクスが、ファフリを闇へと誘うために作った、幻の世界だったのだ、と。
話し終えた後は、ユーリッドも疲れ果て、気を失うように眠ってしまった。
怪我などは負っていなかったが、歩くのも億劫なほど、身体が疲弊していることには変わらなかった。
薄れ行く意識の中、もう記憶の中で朧気になっていたはずの、マリオスやアドラの顔をはっきりと思い浮かべる。
ユーリッドは、最後にファフリを見てから、深い眠りの中に落ちていったのだった。
To be continued....