複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.336 )
- 日時: 2017/08/03 17:51
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
イタチの獣人に連れられてやって来たのは、兵士たちの防具や武器が保管してある、城内の倉庫の一つだった。
入った瞬間、むっと香ってくる汗臭さと錆び臭さに、思わずむせそうになる。
だが今は、そんなことで文句を言っている場合ではない。
獣人は、倉庫に入るや否や、扉と換気のために開けていた窓を、完全に締め切った。
そして、周りに誰もいないことを確認してから、ほっと息を吐いた。
「……今日は見習い兵も訓練兵も休暇ですし、ここには誰も近づかないはずですから、ひとまず大丈夫ですよ」
「あ、ありがとう……」
お礼を言って、借りていた兜と外套をを脱ぐ。
この兜と外套を着用していたお陰で、ここに来るまで、侍従や兵士たちに特別怪しまれることはなかったが、正直、暑くて限界であった。
兜など着けること自体、ファフリは初めてだったのだが、その上、そのまま走ったのだ。
日頃この装備で戦っている兵士たちの苦労が、身に染みて分かった。
そんなファフリの疲労に気づいたのか、イタチの獣人は、少し頬を赤らめた。
「も、申し訳ありません……状況が状況だったとはいえ、こんなものを次期召喚師様に被せてしまって……」
ファフリは微笑んで、首を振った。
「ううん。助けてくれて、ありがとう。貴方が来てくれてなかったら、危なかったわ」
イタチの獣人は、更に顔を赤くすると、僅かに俯いた。
「い、いえ……本当に偶然、通りすがったものですから……。でも、運が良かった。今日は、御前会議の日なのです。それが終わるまでは、謁見の間に警備が集中していますから、比較的城内には獣人が少ないはずです。先程の警備兵たちが目を覚ましたら、騒ぎにはなるでしょうが……」
「…………」
そう話すイタチの獣人の顔をじっと見ながら、ファフリは尋ねた。
「御前会議のことを知ってるってことは、貴方、やっぱりミストリア兵団の兵士なのよね? どうして私を助けてくれたの……? 私が追われている身なのは、知ってるでしょう?」
獣人の表情が、はっと強張る。
獣人は、それから悔しそうに顔を歪めると、ファフリに向かって土下座をした。
「私は……私は、イーサと申します。仰る通り、ミストリア兵団の新兵です。次期召喚師様のお命が狙われていることは、もちろん存じ上げております……」
「イーサ……?」
そのどこか聞き覚えのある名前に、ファフリは、目を細めた。
そして、はっと目を見開くと、言った。
「イーサって、もしかして、ユーリッドのお友達の?」
「…………」
刹那、イーサが顔をあげて、唇を震わした。
何かこらえるように口を閉じ、そして、再び額を地面に擦り付けると、イーサは涙声で言った。
「友達……。ユーリッドは、まだ俺のことを、友だと言っているのですか……」
「え……?」
イーサが泣き出した意味が分からず、ファフリは首をかしげた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.337 )
- 日時: 2017/08/04 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
イーサは、ユーリッドが見習い兵だった時からの親友である。
ファフリが実際に会ったのは初めてだったが、ユーリッドからは、そのように聞いていた。
旅に出てからは、そんな親友の話を聞くこともなくなっていたが、昔は、よくイーサのことをユーリッドが話題に出していたのだ。
お調子者で騒がしい奴だが、入団したとき、最初に話しかけてきてくれた、気さくで良い奴なのだと。
ユーリッドは、イーサをそんな風に言っていた。
元々、周囲に馴染むのが上手いユーリッドだったが、イーサはその中でも、特別な友達なんだなと思っていた記憶がある。
イーサは、涙を拭いながら、ぽつぽつと語り始めた。
「……私は、ユーリッドとアドラ前団長が、貴女様を守るために兵団を脱退したことを、知っていたのです……。陛下が、正式に次期召喚師様を殺せと命令を下す前から、貴女様の命が狙われていることを、ユーリッドから内密に聞いていました……」
ファフリが、微かに瞠目する。
イーサは、震える声で話を続けた。
「私の気持ちは、ユーリッドと同じでした。直接お会いしたことはありませんでしたが、次期召喚様のことは、ユーリッドから聞いていましたし、いくら軍事力発展のためとはいえ、貴女様が殺されるのはおかしいと、本当にそう思っていたんです。でも、私には、勇気がなかった……。正義を翳す兵士でありながら、ユーリッドたちのように追われる身となる覚悟が、私にはなかったのです……」
少し躊躇ったあと、イーサは、嗚咽を殺しながら言った。
「アドラ前団長が亡くなったという知らせを受けた後も、私はやはり命令に背くことができず、あの渓流での戦いで、貴女様に剣を向けました。ユーリッドが命をかけて戦っているのを見ても、それでも、兵団に逆らう勇気が出なかった……。私は、次期召喚師様やユーリッドから見れば、臆病で脆弱な裏切り者なのです。このように、言葉を交わすのもおこがましい。まして、友を名乗るなど許されない、卑怯者なのです……」
身を縮めながら、何度も何度も顔を拭って、イーサは言い募った。
「その、報いなのでしょうか。ミストリアが、こんな風になってしまって……。国をお守りするために兵士になったというのに、私は何も果たせていない。ですから先程、貴女様をお見かけしたとき、これは私に与えられた償いの機会だと確信したのです……! もう、自分の命惜しさに、逃げたりはしません。ですからどうか、貴女様の護衛をさせてください……!」
「…………」
ファフリは、何かを考え込むように、しばらくイーサを見つめて黙っていた。
しかし、やがてイーサに合わせて屈み込むと、穏やかな声で告げた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.338 )
- 日時: 2017/08/05 19:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: xDap4eTO)
「……ユーリッドは、今、サーフェリアにいるよ」
「え……」
擦りすぎて真っ赤になった顔で、イーサが顔をあげる。
ユーリッドがそばにいないことから、ユーリッドは死んだと思っていたのかもしれない。
ファフリは、これまでの経緯を軽く話してから、頷いて微笑んだ。
「……イーサ、その気持ちはとても嬉しいけど、そんな簡単に、命をかけるだなんて言っちゃ駄目だよ。ユーリッドはきっと、私と過ごしてきた時間があったから、私に着いてきてくれたんだと思う。でもイーサは、そうじゃないでしょう? 一度も会ったことのなかった私より、これまで一緒に頑張ってきた兵団の仲間を選ぶのは、当然のことだよ」
ファフリは、イーサの肩に手を置いた。
「私は、ユーリッドやアドラさん、他にも色んな人たちのおかげで生き延びて、今、自分の意思でここにいるの。私を生かすために、亡くなった獣人(ひと)がいると思うと、胸が締め付けられるけど……私は、自分を不幸だなんて思ってないよ。ミストリア兵団のことを、憎んでもいない。だから大丈夫、貴方を裏切り者だなんて、私、思ってないから。もちろんユーリッドだって、そんなこと思ってないはずだわ」
イーサは、大きく目を見開いて、再び俯いた。
そして、繰り返し繰り返し、呟くように言った。
「……ああ、良かった、本当に……生きていて……。次期召喚師様も、ユーリッドも……」
イーサは、そうして長い間、静かにむせび泣いていた。
ファフリは、しばらく黙って、その背を擦っていたが、やがて、イーサの呼吸が落ち着いてくると、口を開いた。
「……ねえ、イーサ。私を、お父様のところに連れていってくれない? ううん、居場所を教えてくれるだけでもいいの。私、お父様とお話がしたい」
真剣な口調で言うと、イーサは驚いたように、ファフリを見つめ返した。
「リークス王と、ですか……? あの……次期召喚師様は、ご存知ないのでしょうか?」
「え……?」
イーサの言葉に、ファフリが眉を寄せる。
何のことを言っているのか、さっぱり分からなかった。
イーサは、何かを言おうとして、しかし、躊躇ったように口を閉じると、辛そうに表情を歪めた。
「いえ……失礼しました。そうですよね、サーフェリアにいらっしゃったのなら、今ミストリアがどのような状況下なのか、ご存知ないのも当然です」
「どういうこと……? 何かあったの?」
イーサは、言いづらそうに口ごもっていたが、何か決心したように拳を握ると、ファフリに視線を戻した。
「……お父上の……リークス国王様の元に、お連れします。そこで、ミストリアの現状についてもご説明致しましょう」
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.339 )
- 日時: 2017/08/16 12:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
イーサの言う通り城内には、不自然なほど兵士の数が少なかった。
時折、侍従などとすれ違うこともあったが、倉庫から持ち出した兵士用の装備を身に付けていれば、素性を聞かれるようなこともなかった。
なるべく人目につかないよう、イーサに先導されて、城の階段を次々と上がっていく。
リークスは、国王の寝殿とされる、城の最上階の一室にいるとのことであった。
「ここです。このお部屋に、リークス王が……」
言いづらそうに告げて、イーサが、大きな観音開きの扉を示す。
ファフリは、目を閉じ、そして開くと、意を決して、扉を押し開いた。
磨き抜かれた石造りの部屋の奥には、光沢のある絹の寝台が置いてあり、そこに、リークスが深々と身を沈めて眠っていた。
リークスと会いまみえるのは、ロージアン鉱山で争ったとき以来である。
一言目は、なんと言おうか。
自分の言葉を、聞いてくれるだろうか。
そんなことを考えていたファフリだったが、寝台に近づき、横たわるリークスを目に映したとき、言葉を失った。
父王リークスは、すっかり変わり果てた姿をしていたのだ。
「お父、様……?」
兜を脱ぎ去り、か細く呼び掛けてみるも、異様な姿のリークスが、答えることはない。
寝台の上で力なく倒れ、骨と皮だけになったリークスは、もう呼吸をしていなかったのだ。
強い意思を秘めていた瞳は光を失い、ファフリと同じ鳶色だった髪の毛は、細く、真っ白になっている。
また、その腹には、黒光りする剣──ハイドットの剣が、深々と突き立てられていた。
「そ、そんな……なんで、こんなことに……」
動揺を隠せない様子で呟くと、ファフリは、そっと父の手に触れた。
乾いたその手は、まるで木の枝のように固く、氷のように冷たい。
目の前で息絶えている今のリークスに、国王たる威厳は、もうなくなっていた。
「……リークス王は、殺害されました。しかし、殺されて尚、弔われてはおりません。次期召喚師様が不在でしたから、陛下がその身に宿す魔力は、大変貴重なものです。そのため、ハイドットの剣を突き立てられた状態で、日々魔力を吸い上げられているのです」
ファフリの背後で、イーサが言った。
ファフリは、ハイドットの剣に視線をやって、消え入りそうな声で返した。
「魔力を、って……どうして、そんなことをする必要があるの……?」
イーサは、顔をしかめた。
「それは……。奇病にかかった獣人たちを、生物兵器として利用するためです」
ファフリが、絶望したような目で、イーサを見る。
イーサは、目を伏せた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.340 )
- 日時: 2017/08/16 13:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「次期召喚師様、地下牢にいらっしゃったのなら、牢に閉じ込められたあの獣人たちを、ご覧になったのではありませんか? あれらは全て、南大陸から連れてきた、奇病にかかった獣人たちです。彼らは、刺しても斬っても、動ける限りは魔力に反応して、手近にいる者を襲い続けます。ですから、リークス王の亡骸から吸い上げた魔力を利用し、彼らを凶暴化させ、戦に駆り出そうとしているのです」
「…………」
ファフリは、緩慢な動きで、リークスに突き刺さったハイドットの剣に触れた。
魔力を吸収するというハイドットの性質上、近くにいても魔力は感じないが、こうして触れてみると、確かに、リークスの魔力を感じる。
長い間ずっと、吸収され蓄えられた魔力は、ハイドットでも、完全に消化するには時間がかかっているようだ。
イーサは、言葉を選びながら、ゆっくりと説明した。
「私も、詳しいことは分かりません。ですがリークス王は、ハイドットの廃液の流出を止めようとしておられた。しかし、ミストリア城内の重鎮には、奇病の蔓延というリスクを払ってでも、ハイドットの武具を生産し続けることに意味があると唱える者が多い。故に、リークス王は殺されたのです」
「…………」
「……兵士たちの中でも、今、内部分裂が生じています。ハイドットの廃液の流出を止めるべきだと主張する派閥と、人間や精霊族の魔術に対抗するため、ハイドットの武具を造り続けるべきだという、二つの派閥があるのです。奇病の対策として、貯蔵された清潔な水を用意してはいますが、そんなもの、城下にしか配給されていませんし、いつ尽きてしまうかも分かりません。城下外で生活する民衆たちは、徐々に北上してくる奇病の脅威にさらされ、今も脅えながら暮らしています。奇形生物が出たという報告も、日に日に増えています。このままでは……ミストリアは、いずれ破滅してしまう」
苦しそうに話すイーサの言葉を、ファフリは、ただ黙って聞いていた。
そのうち、ぽろぽろと涙が出てきたが、それを拭う気にもなれなかった。
やはりリークスは、ハイドットの廃液の流出を食い止めようとしていたのだ。
その安堵と、悲しみ、怒り、そして絶望──。
色々な感情がごちゃまぜになって、何かを思考することもできなかった。
イーサは、膝をついて頭を下げると、すがるように言った。
「次期召喚師様……貴女様を追い詰め、殺そうとしたにも拘わらず、こんなことをお願いするのは身勝手極まりないことだと、重々承知の上です。ですが、どうか……もし、ミストリアを想って戻ってきて下さったのなら、どうか、この国を救って下さらないでしょうか……。もう、貴女様しかいないのです。もちろん、私も戦います! 先程の言葉に偽りはありません。微力ながら、私も全力で戦います故、ですからどうか……!」
「…………」
ファフリは、つかの間なにも言わなかった。
だが、涙を拭うと、一つ深呼吸した。
「……誰?」
「え……?」
聞き返したイーサに、ファフリは、落ち着いた声音で聞いた。
「誰が、お父様を殺し、ミストリアをこんな風にしたの?」
イーサは、立ち上がると、一瞬言葉を濁らせた。
しかし、すぐに表情を引き締めると、口を開いた。
「それは──」
「──私ですよ。次期召喚師様」
その時、不意に扉の方から、声がした。
同時に扉が蹴破られ、室内に沢山の兵士たちがなだれ込んでくる。
イーサは、すぐに剣を抜いたが、流石に何人もの兵士たちに囲まれては対抗できない。
ファフリも、抵抗する間もなく捕捉されて、喉元に剣を突きつけられてしまった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.341 )
- 日時: 2017/08/08 18:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: fqLv/Uya)
「やはり、ここにいらっしゃったのですね。兵を引かせ、わざわざこの部屋に呼び寄せた甲斐があったというもの」
そう言って、兵士たちに続き部屋に入ってきたのは、ミストリアの宰相、キリスであった。
キリスは、自らの猫の髭を撫で付けながら、まじまじとファフリを見た。
「いやはや、まさか本当に次期召喚師様がお姿を現すとは。一体どのようにして城に入り込んだのかは分かりませんが、再び会えて光栄ですよ」
「キリス……」
ファフリは、驚いたようにキリスを見つめていたが、ぐっと眉を寄せると、強い口調で言った。
「キリス、どういうこと? さっきの発言は本当なの? 貴方がお父様を殺したの?」
キリスは、眠るリークスを一瞥して、にやりと笑った。
「ええ、その通りですよ。私が貴女のお父上、リークス前国王を殺害し、このミストリアの新王となったのです。ハイドットの武具を、今後も生産し続けるために」
「そんな……」
信じられない、といった様子で、ファフリが瞠目する。
確かにキリスは、ロージアン鉱山で、リークスの命令を無視し、奇病にかかった獣人たちをサーフェリアに送りつけたと言っていた。
だが、まさかその後に、リークスの殺害まで謀ったのだろうか。
キリスは、ファフリが幼い頃からリークスに仕え、宰相としてずっとミストリアを支えてきた獣人である。
どこか気弱な印象はあったが、穏やかで優しい性格に加え、仕事熱心で頭が切れるため、国を動かしていく上で心強い存在だった。
決してリークスを裏切るような、そんな獣人には思えなかった。
ファフリは、強く唇を噛むと、弱々しい声で言った。
「どうして……どうしてなの、キリス。貴方は長年、ミストリアに尽くしてくれていたじゃない。何故こんなひどいことをするの? 貴方がハイドットなんかに執着するせいで、奇病が蔓延して、沢山の犠牲が出てるのよ? これ以上ミストリアの獣人たちを苦しめて、何になるっていうの」
キリスは、はっと嘲笑した。
「何故ですって? お父上同様、貴女も何も分かっていらっしゃいませんね。我々獣人族は、何百年何千年もの間、ミストリアという土地一つで甘んじてきたのですよ。この現状に、どうして貴女たち召喚師一族は、何の疑念も抱かないのですか? 世界に存在する四種族の内、獣人族が最も優れた種族だと……そのことを他国に知らしめるためには、この魔力封じのハイドットの武具が、絶対的に必要なのです……! ろくな力も持たぬ獣人共が、多少死んだところで、我々の地位は揺らがない。少しの犠牲を払いさえすれば、我ら獣人族に栄華がもたらされる! そう確信できるほどに、このハイドットという鉱石には、可能性が秘められているのです」
まくし立てながら、そう告げてくるキリスの目を見て、ファフリの胸に、深い悲しみが広がった。
今のキリスの目には、優しかった昔の面影が、一切感じられない。
何が彼を変えてしまったのだろうか。
笑みを浮かべてはいるが、キリスのその瞳には、ファフリに対する明らかな侮蔑と、狂気の色しか浮かんでいなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.342 )
- 日時: 2017/08/09 19:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: xDap4eTO)
ファフリは、歯を食い縛ると、キリスを睨み付けた。
「分かっていないのは、キリスの方よ。ミストリアの民は、貴方の玩具じゃない……!」
ファフリの強気な態度が気に入らなかったのか、キリスは、小さく舌打ちすると、兵士に向けて合図をした。
すると、ファフリを背後から押さえていた兵士が、懐から手錠を取り出し、ファフリの両手に取り付ける。
キリスは、満足そうに頷いてから、ファフリの顎を掴んで持ち上げた。
「今、取り付けたのは、ハイドットで作った特製の手錠です。これで貴女は、召喚術はもちろん、魔術は一切使えない。非力な小娘同然だ」
「……!」
しまった、と目線を動かして、手錠で拘束された自らの手を見る。
しかし、首筋に刃を当てられているこの状況では、動きようがなかった。
キリスは、唇の端を上げて、話を続けた。
「なに、そう敵視なさらないで下さい。私は別に、リークス前国王とは違い、必ずしも貴女を殺そうとは思っていません。どうです、私と貴女、二人でミストリアを築き上げていくというのは。ハイドットの前にすれば無力とはいえ、確かに召喚師の能力というのは、魅力的ですからね。貴女が、ミストリアの現国王である私に従い、協力してくれるというなら、貴女の帰還を歓迎しますよ。もちろん、相応の地位と権力も差し上げます。悪くない話でしょう」
ぐっと顔を近づけてきたキリスに対し、ファフリも負けじと睨み返すと、即座に返した。
「絶対に嫌よ。貴方に協力なんて、考えただけでもぞっとする」
はっきりとした拒絶に、キリスは、目を細めた。
そして、イーサを取り押さえている兵士に目配せした。
途端、兵士がイーサの腕を後ろに捻り上げ、その瞬間、肩の関節がごきりと嫌な音をあげる。
呻いたイーサを見ながら、キリスは、げらげらと大笑いした。
「ははっ、交渉決裂ですね、次期召喚師様。協力して下さらないというのなら、貴女の侵入を手引きしたあの兵士は罪人。貴女も立派な反逆者だ!」
再びキリスの合図を受けて、兵士が、イーサのもう片方の腕にも手をかける。
「イーサ!」
ファフリは、思わず声を上げたが、イーサは、苦悶の表情を浮かべながらも、首を横に振った。
「いけません、次期召喚師様! 俺のことは気になさらず。キリスの要求を飲んでは駄目です!」
「黙れ! この生意気な小僧が!」
キリスが怒鳴り散らして、忌々しげにイーサを見る。
ファフリは、咄嗟にキリスの脛(すね)を蹴りあげると、早口で言い放った。
「この卑怯者! 弱虫なところは、昔とちっとも変わらないのね! どうせ私に手を出すのが怖くて、イーサを痛め付けることしか思い付かないんでしょう! そんな小さい器で国王を名乗ろうっていうんだから、ちゃんちゃら可笑しいわ! 主犯は私なんだから、やるなら先に私をやってみなさいよ!」
「なっ……!」
突然蹴られて、罵声を浴びせられるとは思っていなかったのか、キリスの猫の毛が、怒りで逆立つ。
一瞬、挑発に乗るなと自分をなだめようとしているようだったが、それも馬鹿馬鹿しくなったらしい。
すぐに瞳に怒りを灯すと、自らの腰のハイドットの剣を抜き、兵士の手からファフリを奪った。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.343 )
- 日時: 2017/08/10 17:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: xDap4eTO)
首筋に剣を押し当て、腕を掴み上げると、そのままファフリをずるずると引きずって、部屋の大窓から、バルコニーへと出る。
そして、ファフリを手すりに押し付けると、眼下に展開する広場を指差した。
「見ろ! あれがなにか分かるか?」
腕を乱暴に引っ張られ、痛みに顔を歪めながら、ファフリは視線を落とした。
城壁の内側にある、頑丈な内郭の石壁に覆われたその広場は、全面に砂が敷いてあり、その他には何もない。
ファフリが黙っていると、キリスが荒く呼吸しながら、答えた。
「処刑場だよ。私に楯突く者は皆、処刑場で、あの狂った獣人共に喰わせるのさ」
「狂った……? まさか、奇病にかかった獣人たちのこと!?」
先程のイーサの言葉を思い出しながら、ファフリが問う。
キリスは、狂気を孕んだ目で、ファフリを見つめた。
「その通り。貴女は奇病が蔓延することで、沢山の犠牲者が出ると言ったが、それも間違いだ。貴女なら知っているだろう。奇病の症状が出れば、奴等は痛覚を失い、永遠に動き続ける生物兵器となる。それらを戦場に駆り出せば、どれほどの戦力になることか! 力を持たぬ弱き獣人は、奇病にかかることで、屈強な戦士に生まれ変わるのだよ……!」
恍惚とした表情で言うと、キリスは、ファフリの頭を掴み、力任せに引っ張り上げた。
ファフリの身体が、手すりから身を乗り出す状態となり、不安定に揺れる。
キリスは、畳み掛けるように叫んだ。
「ハイドットと、あの奇病の力があれば、獣人は最強だ! 人間も、精霊族も、召喚師一族ですら敵ではない!」
血がにじむほど強く、唇を噛んでいるファフリを見ながら、キリスは、頭を掴む手に更に力を込めた。
「さあ、もう一度だけ機会をやろう。私に協力すると言え、次期召喚師! でなければ、ここから処刑場に突き落とすぞ! あの処刑場は、地下牢と繋がっている。私の合図一つで、お前は気狂い(奇病にかかった獣人)共に八裂きにされるのだ……!」
「……っ!」
高笑いをしながら、キリスは、ファフリの頭を手すりに打ち付ける。
しかしファフリは、その痛みさえ感じなくなっていた。
(……お父様を殺し、奇病の蔓延を知りながら……──この、男は)
なんて愚かなのだろう、そう思った。
獣人の栄華のためとは言うが、結局キリスは、己の欲望に突き動かされているだけだ。
どこまでも身勝手に、醜く──。
キリスは、自国の民たちを、まるで使い捨ての駒のように動かしている。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.344 )
- 日時: 2017/08/11 19:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: kgjUD18D)
「……──いで」
低い声で言った、ファフリの言葉が聞き取れず、キリスは眉をしかめた。
「あ? なんだと?」
かつて感じたことがないくらいの怒りが、身体の内側から噴き上げてくる。
身悶えするような、強い強い怒りが爆発して、ファフリは、血を吐くように叫んだ。
「──ふざけないでっ!」
胸の奥がぐらぐらと煮えるように熱くなって、全身に底知れぬ力がわいてくる。
それは、ファフリの身の内に留まることはできず、内からどんどん溢れだして。
その力が、魔力であることを感じながら、掴まれている頭に構わず、ファフリは、キリスの方を見た。
キリスは、一瞬たじろいだが、すぐにファフリの頭と腕を掴み直した。
「はっ、話の分からない小娘だ! いいだろう、今すぐ処刑場に突き落として──」
「その口を閉じなさい、キリス……!」
ファフリのものとは思えない、地を這うような声。
まるで、獰猛な肉食獣の如く鋭い眼差しを向けると、ファフリは、目を不気味に光らせた。
「貴方の言葉は、もう聞きたくない! この国は、貴方のものじゃない……!」
ファフリは、すっと息を吸い、怒鳴った。
「これ以上、ミストリアを穢さないで──!」
瞬間、噴き出した蒸気のように魔力が膨れ上がって、キリスは、バルコニーから室内へと吹っ飛ばされた。
その場にいた全員が、思わず目をつぶり、うずくまる。
キリスは、何が起きたか理解できず、つかの間座り込んで放心していた。
だが、やがて、自分の手に粉々になったハイドットの手錠が握られていることに気づくと、目を剥いた。
ファフリは、荒くなった呼吸を整えながら、解放された手首を擦って、唱えた。
「汝、高慢と権力を司る地獄の伯爵よ!
従順として求めに応じ、我が身に宿れ……!
──ハルファス!」
ファフリが詠唱したことに焦って、キリスは立ち上がった。
「止めろ! 早くっ!」
指示を受けて、兵士たちが、一斉に抜刀する。
しかし、その次の瞬間には、剣が兵士たちの手から跳ね上がり、空中で向きを変え、その刃先にキリスを捉えた。
「イーサを解放して。……今後、ハイドットの武具の生産を廃止することを、約束しなさい」
はっきりと言い放って、ファフリは、キリスを見据えた。
キリスは、怯えた表情で、兵士にイーサから離れるよう指示を出すと、何度も頷いた。
「わ、わかった。約束しよう! だから、剣を下ろしてくれ」
自分を狙う、無数の剣先を見回しながら、キリスが言う。
ファフリは、それでも警戒を解かないまま、キリスを睨み付けていた。
キリスの言葉は、簡単には信用できない。
このまま身動きがとれないように、拘束したほうが良いだろう。
そう考えながら、ファフリの思考がキリスに集中していたとき。
横合いから何かが迫ってきたかと思うと、ファフリは、思いきり顔面を殴られた。
「──っ!」
がんっ、と頭を打ち付ける鈍い音が響いて、地面に叩きつけられる。
キリスに気をとられている内に、兵士の一人が、ファフリ目掛けて突っ込んできたのだ。
まずい、と思う隙もなく、キリスは走り出すと、横たわるリークスの腹から、ハイドットの剣を引き抜いた。
リークスの魔力を蓄えたその剣は、まるで雷をまとっているかのように、ばちばちと光を放っている。
「死ねぇええっ!」
叫んで、キリスは、ハイドットの剣を振り下ろした。
瞬間、その剣先から眩い閃光が迸(ほとばし)って、ファフリのいるバルコニー全体を包み込む。
「────!」
殴りかかってきた兵士をも巻き込んで、ばきばきと石畳の割れる音がする。
その音を聞きながら、ファフリは、宙に投げ出された。
バルコニーが、崩れている。
そう理解した頃には、ファフリは、眼下の処刑場に落下し始めていた。
宙に浮いていた剣が落ちる金属音と、キリスの歓喜の声が、遠くで聞こえる。
バルコニーの瓦礫と共に、空気がうなるのを感じながら、ファフリは、身を丸めて、ぎゅっと目を閉じた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.345 )
- 日時: 2017/08/16 13:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「今すぐ地下牢の奴らを解放しろ! 処刑場に放て!」
崩れたバルコニーの近く、大窓から処刑場を覗きこんで、キリスは命令した。
城の最上階にあるこの部屋から、地下の高さにある処刑場まで落下したのだ。
到底ファフリが無事でいるとも思えないが、処刑場に敷いてあるのが砂であることを考えると、死んでいるとも限らない。
兵士の数人が、処刑場と地下牢をつなぐ大扉を開くため、内郭の石壁に向かう。
それを確認すると、キリスは、再び兵士たちに拘束されたイーサを見た。
「次はお前だ! 直に、お前もここから突き落としてやるからなっ!」
興奮した様子で、そう言ったキリスを睨み、イーサは、強く歯を食い縛った。
兵士を振り切り、キリスを大窓から突き落としてやろうかとも思ったが、自分は既に、利き腕の肩の関節を外されている。
抵抗したところで、他の兵士たちに勝てるとも思えなかった。
朦朧とした意識で、ファフリが目を開けると、不自然な方向に曲がっている、自分の脚が見えた。
視線を上げれば、先程までいたミストリア城の最上階、崩れたバルコニーの残骸が、ぼんやりと目に映る。
次いで、周りに散らばっている石畳の破片と、処刑場の砂、そして、霞んだ自分の掌を、ファフリはぼうっと見つめた。
(私、生きてる……?)
ずきずきと傷むこめかみに触れると、べっとりと生暖かい血液が、手に付着する。
ハイドットの手錠を破壊するため、一気に魔力を放出しすぎたのだろう。
激しいめまいがして、息をすれば、軋むように胸部が痛んだ。
立つこともできず、激痛に身をよじりながら、ファフリは、必死になって顔だけを動かした。
すると、ふと、重々しい大扉が開く音がして、その奥から、獣のように駆けてくる、数百の奇病にかかった獣人たちの姿が見えた。
(……私、殺されるの……?)
キリスの言葉を思い出しながら、迫ってくる獣人たちを、呆然と見つめる。
自我を失い、ただ身体を動かしているだけの、哀れな操り人形たち。
先程召喚術を使ってしまったから、魔力の発生源である自分目掛けて、彼らは、迷いなくこちらに襲いかかってくるだろう。
そう思うと、言葉にできない虚しさが、心の底から込み上げてきた。
(……やっぱり、ユーリッドに、何か伝えてから来れば良かったな)
サーフェリアを出る前、ユーリッドに会えば、折角の決心が揺らぐと分かっていた。
ユーリッドだって、一人で行くなと怒ったに違いない。
だから誰にも会わずに、何も言わず、ファフリは一人で移動陣に飛び込んだ。
(…………)
ミストリアに一人で来たことは、後悔していない。
これ以上、ユーリッドやトワリスが傷つくことは、自分が死ぬよりも辛いから。
それでも一言──いや、一言では伝えきれないのだろうけど、何かしら、自分の想いを、ユーリッドたちに伝えて来れば良かったという気持ちが、突き上げてきた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.346 )
- 日時: 2017/08/16 13:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
これまで、生き残るために、一生懸命走ってきた。
旅の途中で、生きようと運命に逆らい、もがいている者達も沢山見てきた。
しかし、いざ死ぬときになると、案外命とは呆気ないものなのだなと思う。
己を危機にさらしてまで、自分を守ってくれたユーリッドやアドラ。
城から逃がしてくれた母、レンファ。
そして、トワリスやルーフェン、これまで出会ってきた者達の顔が、次々と頭に浮かんだ。
そうして、立ち煙る砂埃を眺めながら、瞼を閉じようとしたとき。
どこからか、クィックィッと鳥の鳴き声が聞こえてきた。
(カイム……?)
カイムが、どこかで呼んでいる。
唯一、最初からそばにいて、導いてくれた悪魔──。
その鳴き声を耳元で感じたとき、ファフリの意識が、はっきりと戻った。
自分は、今から奇病にかかった獣人たちに襲われ、死ぬのだという現実を突き付けられた途端、とてつもない悔しさが、全身に広がった。
(まだ、死ねない……!)
自分の命は、自分だけのものではない。
これまで助け、守ってくれた者達が繋いでくれた、大切な命だ。
ミストリアの命運を揺さぶる力を持っているのに、今ここで、死ぬわけにはいかない。
まだ、死にたくない。
目を開けて、向かってくる獣人たちを見て、ファフリは肘をついて顔を上げた。
彼らはもう、生きているとは言えない。
このまま、キリスの思い通りに動かし、殺戮を続けさせてはいけない。
ファフリは、叫んだ。
「汝、窃盗と、悪行を司る、地獄の総統よ……!
従順として、求めに応じ、可視の、姿となれ……っ」
ごぷっと喉の奥から、血が流れ出てくる。
それにも構わず、ファフリは、絶叫した。
「カイム……っ!」
身体の芯が熱くなって、すぐ横を、巨大な人影が通りすぎた。
風に乗り、まるで羽ばたくように現れた人影──カイムは、手に持った光の刃を閃かせて、空気に溶けるようにして消える。
瞬間、無数の光の刃が大気中に噴き出し、荒れ狂う獣人たちを切り裂いた。
岩を削る激流の如く、空を割く稲妻の如く。
そして、大地を駆け巡る疾風の如く、光の刃が、全てを刻んでいく。
石壁を土泥のように削り、獣人たちは、血肉を撒き散らしながら倒れていく。
その凄絶な光景に、キリスは、声をあげることもできず、ただただ大窓から処刑場を見下ろしていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.347 )
- 日時: 2017/08/12 19:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「だ……っ、誰か! 獣人を増やせ! 地下牢にいる奴ら、全員を引きずり出せ……!」
錯乱した様子で、キリスは怒鳴り散らしたが、兵士たちは、目をそらすばかりで、誰も動こうとはしなかった。
処刑場と地下牢をつなぐ大扉は、安全な内郭の上から、鎖で釣って開けることができる。
故に、処刑場に獣人を出したい場合は、事前に数ヶ所、地下牢を開いておくのだ。
そうして、処刑場で魔力をちらつかせれば、それに反応した獣人たちが、勝手に飛び出していく。
だが、その獣人を増やせということは、今から地下牢に行って、新しく牢を開けなければならないということだ。
普段の、死体同然の獣人が入っている牢を開けるだけなら、こちらに危険はないが、今、魔力に反応して荒れ狂っているだろう獣人たちの牢を開けるだなんて、自ら死にに行くようなものだ。
そんな命令に、従おうとする者などいなかった。
キリスは、動かない兵士たちを見て、歯軋りをした。
それからわめき散らすと、そのままリークスの腹から抜いた剣を持って、部屋から出ていった。
突然のキリスの行動に、司令塔を失った兵士たちが、混乱する。
イーサは、その混乱に乗じて、自分の上に乗っている兵士を蹴り飛ばすと、そのまま転がるように部屋を出て、キリスの後を追った。
兵士たちも、慌ててその後を追いかけようとしたが、その時、横たわるリークスの死体に、異変が起きた。
ハイドットの剣が突き刺さっていた傷口を中心に、ぼこぼこっと、皮膚が膨れ上がり始めたのだ。
沸騰した水面のように皮膚を泡立たせながら、リークスの死体が、どんどんと肥大化していく。
風船のように頭部がふくらみ、目や口まで不規則に巨大化して、やがて、手足の生えた大きな肉塊へと変貌していく。
もはや、獣人の面影もない。
異様な昆虫のような姿になると、リークスは、その巨大な目をぎょろりと動かして、兵士たちを睨んだ。
ハイドットの剣の影響で、奇形が起きたのか。
そんなことを考える余裕もなく、兵士の一人が、悲鳴をあげる。
それを皮切りに、次々と恐怖で発狂し始めると、兵士たちは、それぞれの剣を拾って、必死になって逃げる術を探した。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.348 )
- 日時: 2017/08/13 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
ファフリは、倒れていく獣人たちと、縦横無尽に動き回る光の刃を見ながら、懸命に頭痛に耐えていた。
魔力の不足か、血を流しすぎたのか、いや、その両方が原因だろう。
一時は意識もはっきりしたが、再び、気が遠くなり始める。
目の前の景色も掠れ、ファフリは、次第に自分の頭が傾いていくのを感じていた。
(駄目、気を失っちゃ、駄目……!)
浅く呼吸を繰り返しながら、ファフリは、なんとか目を開けた。
ほとんどの獣人は、動かなくなっているようだが、何しろ、奇病にかかった獣人には、死という概念がないのだ。
まだ、こちらを狙って這っている獣人が見えるし、大扉の向こうから、まだ出てこようとしている獣人たちが、かろうじているようだ。
今、ここで意識を手放したら、カイムの召喚を保てなくなる。
そうなれば、自分は獣人たちの餌食になってしまうだろう。
歯を食い縛りながら、ファフリは、身体に力を入れた。
しかし、身体は言うことを聞かず、カイムの気配が、遠のいていくのを感じていた。
地を揺らす獣人たちの足音が、近づいてくる。
視界が暗くなり、完全にカイムの気配が消えたとき、ファフリの頭の中に、獣人たちに殺される自分の姿がよぎった。
すぐ近くで、肉を割く音が聞こえた。
自分が、切り裂かれたのだと思った。
しかし、一向に襲ってこない痛みに、ファフリは、微かに目を開けた。
誰かが、自分をかばうように立っている。
その後ろ姿が、ユーリッドのものであると気づいたとき、ファフリは、驚いて目を見開いた。
「ユー、リッド……」
言葉として出たのかどうか分からないくらい、掠れた小さな声で、名前を呼んだ。
ユーリッドは、歯を剥き出して剣に食らいついている獣人を切り捨てると、ファフリを見た。
「なんで……ユーリッド……」
それ以上は、声にならなかった。
ユーリッドの瞳を見つめ返して、こらえていた熱が、堰を切って目から溢れた。
「ファフリの馬鹿!」
掴みかかってきた獣人の腕を切り落として、ユーリッドは言った。
「一緒に、ミストリアを救うんだろ! なんで一人で行っちゃったんだよ……!」
ごめん、と言おうとして、しかし、もう口が動かなかった。
涙がこぼれ落ちて、むせび泣きながら、ファフリはユーリッドを見つめていた。
「──ユーリッド! 次期召喚師様!」
その時、地下牢と繋がる大扉とは別の、小さなくぐり戸から、懐かしい声が聞こえてきた。
「イーサ!?」
思わず声をあげて、ユーリッドが瞠目する。
イーサは、痛む右肩を押さえながら走り寄ると、早口で言った。
「次期召喚師様と、一緒にいたんだ。すまん、守れなくて……。今からでも、加勢する」
「……いいのか?」
戸惑ったようなユーリッドの言葉に、イーサは、向かってきた獣人の脳天を突き刺し、そのまま地面に縫い止めると、答えた。
「兵団にも、この奇病を食い止めたいと思ってる奴はいる! 俺もそうだ。だから、協力させてくれ……!」
強い意思を瞳に秘め、イーサはユーリッドを見た。
二人は、互いに頷き合うと、剣を取り、迫る獣人たちを見据えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.349 )
- 日時: 2017/08/16 13:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
傾き始めた、赤い夕暮れの光に照らされて。
血に染まった処刑場が、砂埃を上げている。
トワリスは、そんな処刑場の様子を伺いながら、内郭の石壁の上を走っていた。
ファフリの召喚術の力か、ほとんどの奇病に冒された獣人たちは、もう身動きなどとれぬほどに、木端微塵になって散っている。
しかし、ファフリが力尽きてしまった今、未だに動ける獣人たちは、ユーリッドたちに襲いかかっていた。
数が多いわけではないが、よく見れば、処刑場の大扉から、まだちらほらと新たな獣人が飛び出してきている。
──大扉を、封鎖する必要があった。
内郭を巡っているうち、目前に、大扉を釣る二本の太い鎖を発見すると、トワリスは、走る速さを上げた。
そして、鎖が巻き付いている一方の滑車と、留め具を蹴り飛ばして引き抜くと、持ち上がった大扉を支える、片方の鎖を内郭の外に放り投げた。
「何者だ!」
大扉を管理していたらしい兵士が、トワリスに剣を向けてくる。
その剣が、ハイドットの剣であることに気づくと、トワリスは舌打ちした。
今は、この大扉を閉じることが、最優先事項である。
魔術を使ってでも、この兵士を倒すべきなのだろうが、ハイドットの剣を使われれば、魔力は吸収されてしまう。
斬りかかってきた兵士の攻撃を、宙返りして避け、トワリスは、内郭の縁に移動した。
それから双剣を抜くと、同じように兵士めがけて、剣を振る。
だがトワリスは、向かってきた兵士の剣を、受けなかった。
力で敵わないことは、分かっている。
故に、剣を交えず、攻撃を受ける寸前に身を沈めると、トワリスは、双剣をその場に捨て、兵士の腕を掴んだ。
そして、斬りかかった勢いそのままに、前のめりになった兵士を、内郭の外に背負い投げる。
悲鳴をあげながら、処刑場の方に落下していく兵士を見送って、トワリスは、もう一方の鎖も外した。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.350 )
- 日時: 2017/08/16 13:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
轟音が響いて、地下牢に繋がる大扉が閉まった。
それを見ながら、腕に噛みついてきた獣人を殴り飛ばすと、ユーリッドは、ほっと胸を撫で下ろした。
これで、奇病にかかった獣人たちが増えることはないだろう。
背後で倒れているファフリを守りながら、飛びかかってくる獣人たちを、次々に斬りつける。
荒くなった呼吸を整えていると、左右から同時に獣人が襲いかかってきて、ユーリッドは、咄嗟に鞘を抜くと、一方を剣で斬り、他方を鞘で殴り付けて、さっと跳びずさった。
「くそっ、こいつら、全然動きが鈍らないじゃないか……!」
隣で、獣人ともつれ合うようにして戦っていたイーサが、口を開いた。
彼は、奇病にかかった獣人たちと戦うのは、初めてなのだろう。
「こいつらは、燃やして灰にするくらいじゃないと、死なないんだよ」
走れないように獣人の脚を切り裂いて、ユーリッドが答える。
二人は、獣人たちを散らしながらも近寄ると、背中を合わせて剣を構え直した。
動ける獣人は、ざっと二十。
かなり数は減っているものの、このままでは、こちらの体力が尽きるのが先だ。
「ユーリッド!」
トワリスの声が、降ってきた。
トワリスは、鉤縄(かぎなわ)を使って内郭の石壁から降りてくると、ユーリッドたちの近くに走ってきた。
「ファフリは?」
双剣を構えて、ユーリッドに尋ねる。
ユーリッドは、ファフリを一瞥して、浅く頷いた。
「大怪我してるけど、まだ生きてる」
「そう」
返事をしてから、トワリスは、脚に噛みつこうとしてきた獣人を避け、その脳天に剣を突き刺すと、魔術で炎を使った。
ギャッと耳障りな断末魔を上げて、獣人が丸焦げになる。
イーサは、トワリスが魔術を使えることに驚いたが、今はそんなことを指摘している場合ではない。
燃え尽きた獣人を見て、トワリスは、顔をしかめた。
「倒せなくはないけど、きりがないよ。ファフリを連れて、ここから出よう」
トワリスがそう言うと、ユーリッドは、眉を寄せた。
「そうしたいのは山々だけど、ファフリを背負って、あいつらから逃げられるかどうか……」
血の飛沫を散らしながらも、こちらに襲いかかってくる獣人たちを見て、ユーリッドが返す。
トワリスは、もう一度ファフリを見ると、悔しそうに唇を噛んだ。
獣人たちは皆、ファフリの魔力に引き寄せられている。
その狙いを外せれば良いのだが、魔力量の少ないトワリスでは、ファフリ以上の魔力を放出して囮にはなることはできない。
それに、大扉は閉じたものの、兵士たちは大勢城内にうろついているのだ。
このまま戦いが長引けば、また大扉が開かれるかもしれないし、次は兵士たちに囲まれる可能性もある。
ファフリの怪我も心配であるし、早急にこの場から立ち去るのが得策なのだろうが、ユーリッドの言う通り、この獣人たちを撒くのは容易ではなさそうだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.351 )
- 日時: 2017/08/14 18:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
(戦うしかないか……)
そう覚悟を決め、再度敵を見据えた三人だったが、その時、突然、獣人たちが一斉に身を翻した。
ファフリには見向きもせず、一様に同じ場所を目指して、獣人たちが飛び上がる。
その先に、一振りの剣を持ったキリスが佇んでいることに気づくと、三人は、思わず目を見張った。
「──……っ!」
しかし、獣人たちの爪牙が、キリスに届くことはなかった。
キリスが、持っていたハイドットの剣を地面に突き刺した瞬間。
強烈な爆発音と共に、凝縮された空気の塊が、キリスを中心に破裂した。
刃物の如く、鋭い風の塊が、獣人たちを喰らい、地面をえぐり、砂埃を巻き上げていく。
ユーリッドたちは、咄嗟に突き立てた剣を支えに、その場に踏みとどまったが、ややあって、目を開いた時には、群がっていたはずの獣人たちが、全員消し飛んでいた。
「あいつ、何したんだ……!?」
驚愕してユーリッドが言うと、イーサが顔を歪めた。
「キリスが持っているハイドットの剣は、リークス王の魔力を吸い続けたせいで、膨大な魔力を纏ってるんだ。多分、剣が魔力を消化し切るまで、キリスは魔術を使えるのと同然な状態になってる」
「リークス王の、って……」
イーサの説明を受けて、ユーリッドは、改めてキリスに視線をやった。
目の前にいるキリスは、ユーリッドの知っているかつての彼の姿とは、全く異なっていた。
爛々と光る、瞳孔の開き切った目で、ふうふうと荒く息を吐くキリスは、見ていて鳥肌が立つほど、異様であった。
キリスは、ハイドットの剣を振りかざすと、何かに乗っ取られたかのように叫びながら、ファフリめがけて斬りかかってきた。
戦闘の経験がなく、おそらく剣を扱ったこともないだろうキリスの攻撃など、簡単に振り払えると思った。
だが、ユーリッドがその攻撃を受けた瞬間、再び、キリスの剣から風の刃が噴き出した。
「────っ!」
剣から発せられるおぞましい魔力に、ユーリッドの頬が切れて、血がにじむ。
同時に、腕にも数多の傷が走って、交差したユーリッドの剣が、みしみしと音を立て始めた。
(まずい、剣が……!)
びしっ、と金属の割れる音がして、ユーリッドの剣に、ひびが入る。
全身を切り刻まれるような、ひどい激痛に耐えながらも、ユーリッドは、なんとかキリスを押し返そうと、腕に力を込めた。
背後には、ファフリがいるのだ。
今ここで、引くわけにはいかない。
トワリスとイーサは、なんとかキリスに斬りかかろうとしたが、ハイドットの剣から巻き起こる強い衝撃波に煽られて、近づけないでいた。
しかし、このままでは、ファフリ共々、ユーリッドが真っ二つになってしまう。
ユーリッドの剣が完全に折れれば、その時はすぐだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.352 )
- 日時: 2017/08/15 18:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: OZDnPV/M)
剣に入ったひびはどんどん広がり、ユーリッドの身体も、これ以上の風圧には、耐えきれそうもなかった。
勝利を確信したのか、キリスが、冷たい笑みを深める。
駄目かもしれない、そう覚悟したとき。
ユーリッドはふと、背後でファフリの声を聞いた。
(ファフリ……?)
後ろから、すっと細い腕が伸びてきて、ユーリッドの腕に触れる。
その、次の瞬間──。
ユーリッドの剣が光ったかと思うと、そこから炎が噴き出し、キリスに襲いかかった。
「────っ!」
勢いよく燃え上がった炎は、巨大な鳥の形を象り、キリスの身体を蝕んでいく。
キリスは、悲痛な断末魔を上げると、火だるまになって、地面をのたうち回った。
「フェニクス……」
ユーリッドは、そう呟くと、粉々に砕けてしまった己の剣を見た。
あと一歩遅ければ、自分は今ごろ、キリスに殺されていただろう。
ユーリッドは、朦朧とした意識で震えているファフリを抱き起こすと、すぐにその場から離れようとした。
しかしキリスは、それを許さなかった。
全身に炎を纏ったまま、ハイドットの剣を握り、キリスが再び突撃してくる。
フェニクスの炎は、剣に吸収され、徐々に弱まっているようだ。
剣を砕かれてしまったユーリッドは、どうすることも出来ず、ファフリを守るように覆い被さった。
「──……」
ふと、夕陽の光が遮られて、辺りが暗くなった。
発狂していたキリスの声が止み、何かが、上空から落ちてくる。
それが、牙を剥いた巨大な肉塊であることに気づくと、ユーリッドは、絶句して目を見開いた。
大地を揺らし、凄まじい音を立てながら、その奇妙な肉塊が、処刑場に降り立つ。
その生物は、昆虫のような体型で、巨大な肉の胴体に手足を生やし、その頭部には、むき出しの眼球と、割けた大きな口がついていた。
(奇病に冒された、奇形生物か……?)
ユーリッドはそう思ったが、この生物の本当の正体は、ユーリッドにもトワリスにも、イーサにも分からなかった。
奇妙な生物は、耳を貫くような咆哮をあげると、地面ごと削り取るような勢いで、キリスを飲み込んだ。
キリスの悲鳴が響き渡り、次いで、ごりごりと骨を噛み砕き、嚥下する音が聞こえる。
ユーリッドたちは、その様を、凍りついたように見つめることしかできなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.353 )
- 日時: 2017/08/15 18:12
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: OZDnPV/M)
ぎょろりと生物の眼球が動いて、その瞳に、ユーリッドとファフリを映す。
ユーリッドは、逃げなければと思ったが、身体が動かず、はっと身を硬くした。
ユーリッドも、トワリスもイーサも、全員が得体の知れない恐怖で硬直する中。
ファフリだけは、意識を覚醒させて、その生物の瞳を、じっと見つめていた。
(……お父、様……?)
その瞳は、ファフリと同じ、鳶色だった。
生物は、ファフリをその目に映したまま、しばらくの間、微動だにしなかった。
だが、やがて、ゆっくりとその場に崩れ落ちると、ユーリッドたちに襲いかかることもなく、死体のように動かなくなった。
しゅうっと煙を上げて、急速に、その生物の肉体が腐敗していく。
肉が蒸発し、皮膚が溶け落ちると、やがて、彼は骨だけになった。
「おい、大丈夫か!?」
イーサとトワリスが駆けてきて、ユーリッドとファフリの様子を伺う。
ユーリッドは、頷こうとして、しかし、処刑場のくぐり戸から、沢山の兵士たちが入ってくるのを見て、顔を強張らせた。
同じく、兵士の存在に気づいたイーサとトワリスが、ユーリッドたちの前で剣を構える。
だが、兵士たちは、もう戦おうとはしなかった。
ファフリたちの前に集まり、その場で剣を捨てると、皆で跪(ひざまず)いた。
服従の意を示し、召喚師様、召喚師様と口々に呟くと、深く頭を下げた。
ユーリッドは、その光景を呆然と眺めていたが、やがて、ぐっと口を閉じると、ファフリを見た。
ファフリは、ユーリッドに抱えられた状態で、血まみれのまま、ぐったりとしていた。
しかし、その景色は、ちゃんと見えていたようだ。
その目から、一筋涙を流すと、力なく微笑んだ。
ユーリッドは、傷ついたファフリの身体を、震える手で抱き締めた。
──ようやく、終わった。
そして、始まるのだと、そう思った。
込み上げてきたものを抑えて、すっと息を吸うと、ユーリッドは、ファフリを抱く腕に力を込めた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.354 )
- 日時: 2017/08/16 18:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 0llm6aBT)
激しい戦いの後、大怪我をしていたユーリッドとファフリは、しばらくの間、ミストリア城で治療に専念していた。
その間、トワリスもイーサも、周囲の獣人たちを警戒していたが、何者かが、ファフリたちの命を狙ってくることはもうなかった。
国王リークスが死に、代わって国政を握っていたキリスを討ったファフリを、城の者たちは、新たな指導者として認めているようであった。
キリスに反抗し、北大陸と南大陸の中間にある監獄に収容されていた兵士たちも、無事に解放されることとなった。
ファフリの母であるレンファも、そこに投獄されていたことが分かり、近々ミストリア城へ戻ってくるとのことだ。
奇病の原因が、河川に流出したハイドットの廃液であることは、ファフリが意識を取り戻してすぐ、民衆たちに開示された。
ロージアン鉱山は、完全に封鎖。
壊滅状態であった南大陸への立ち入りも禁じ、ハイドットの武具は、ミストリア城で回収、使用を禁止することになった。
一方で、キリスを支持し、ハイドットの武具の生産を、続けるべきだと主張している者たちもいた。
そんな彼らの暴動に備えるため、武具の回収は、一時先伸ばしにするべきだという意見もあったが、ファフリは、譲らなかった。
汚染された河川の処理、および奇病にかかった獣人たちの治療に関しては、一朝一夕に解決できる問題ではなかった。
目に見えて廃液が滞留しているような河川や土壌では、ハイドットの成分が高濃度に堆積している汚泥を除去。
生活用水に関しては、煮沸してからの使用をするようにと、呼び掛けることになった。
しかし、既に広がってしまった汚染は、容易に浄化しきれるものではない。
自浄作用に頼りながら、何百年、何千年の月日をかけて、対策をとっていく必要があるだろう。
奇病の治療については、せめて軽度な者だけでも、回復を見込めないかと研究されたが、現時点では、まだ何の治療法も見つかっていない。
魔力さえ感じなければ、死体同然である彼らは、話しかけても、触れても反応することはなく、最終的には、徐々に身体に奇形が生じていく。
その瞳は虚ろで、見つめ返しても、そこには深い闇があるだけであった。
爽やかな朝日が降り注ぐ中、ミストリア城に隣接する林を抜けると、目の前に、リディアの花畑が広がった。
鼻孔をくすぐる甘い匂いと、風にさらわれ舞い上がる、薄桃色の花弁。
ファフリは昔から、この花畑が好きだった。
「……よかった。ここは、変わってなかったんだね」
目を閉じて、穏やかなミストリアの空気を感じながら、ファフリは言った。
重傷を負い、死の淵に立たされていたファフリの身体には、あれから一月以上経った今も、まだ痛々しい傷痕が残っていた。
頭部や両足には包帯を巻き、松葉杖をつくことを余儀なくされていたが、それでもファフリは、晴れやかな表情をしていた。
「この花畑は、城に近いからな。式典の日に、うまく風向きが城下の方に向くと、まるで祝福してくれてるみたいに、ノーレント全体にこのリディアの花弁が舞うんだ」
ファフリに付き添っていたユーリッドが、トワリスに説明する。
トワリスは、へえ、と相槌を打つと、小さく笑って花を見つめた。
「この後の戴冠式でも、花弁が飛んできてくれるといいですね」
イーサが、笑顔で言った。
トワリスは、少し困ったような顔でファフリを見ると、痛々しい頭部の包帯に触れて、口を開いた。
「……そうか、もう戴冠式をやるんだね。体調が良くなって、傷がちゃんと治ってからにすればいいのに」
ファフリは、トワリスの手に、自分の手を重ねた。
「皆そう言ってくれるんだけど、やっぱり今は、時間が惜しいから。ミストリアは、私が精一杯守りますって宣言して、ミストリアに住む獣人(ひと)達を、少しでも安心させてあげたいの」
「ファフリ……」
トワリスは、感心したように息を吐いたが、ユーリッドは、苦々しい笑みを浮かべた。
「あんまり、一人で背負い込むなよ」
「……うん」
ファフリが微笑んで、ユーリッドを見つめる。
「大丈夫だよ。だって、ユーリッドが傍にいてくれるもの。これからも、ずっと一緒にいてね」
そう言って、ファフリは、ユーリッドの手を握った。
その手をぎゅっと握り返し、ユーリッドは、深く頷いた。
「ああ、もちろん」
二人の様子を見ていたトワリスは、どこかやりづらそうに目をそらすと、ぽつんと呟いた。
「なんか私、邪魔そうだし、そろそろサーフェリアに帰ろうかな……」
トワリスの言葉の意味が分からなかったらしく、ユーリッドとファフリが、同時に首をかしげる。
しかし、イーサだけはうんうんと頷いて、トワリスの肩に手を置いた。
「その気持ち、分かります。二人とも、昔からずーっとこんな感じなんですよ」
イーサとトワリスは、顔を見合わせると、やれやれといったように肩をすくめた。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編)【多分毎日更新】 ( No.355 )
- 日時: 2017/08/16 18:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 0llm6aBT)
林の奥から、足音が聞こえてきて、一人の兵士がファフリの近くで跪(ひざまづ)いた。
「召喚師様、そろそろお時間が」
「……うん、わかった」
ファフリは返事をすると、トワリスの方に振り返った。
「トワリス、私、そろそろ戴冠式の準備に行かなくちゃ」
トワリスは頷くと、ファフリに向き直った。
「うん、行ってらっしゃい。私はあまり目立つと良くないだろうから、もう、サーフェリアに帰るよ。傷も大したことないしね」
さらりと言ったトワリスに、ユーリッドとファフリが、微かに目を見開く。
ファフリは、眉を下げて、寂しそうに返事をした。
「……そっか。もう帰っちゃうのね」
トワリスは、ユーリッドとファフリの頭に手を置くと、穏やかに笑った。
「二人とも、大変だったね。ユーリッドもファフリも、本当に立派だよ。国一つ動かしていくのは、私が思っている以上に辛くて、難しいことなんだと思うけど、二人なら、この先にどんなことがあっても、きっと乗り越えられるよ」
「トワリス……」
イーサも横で頷き、ユーリッドとファフリに視線をやる。
ファフリは、涙を湛えた目で、トワリスを見つめた。
「……私、ちゃんと出来るかな?」
トワリスは、二人の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「出来るよ。……出来ないって思ったら、ユーリッドや、兵団の獣人達に遠慮なく頼ればいい。それでも駄目そうだったら……また、私に相談してよ。ルーフェンさんも、またひねくれたことばっかり言うだろうけど、きっと協力してくれる。ファフリの味方は、沢山いるよ」
ファフリは、泣き笑いした。
「トワリスも、困ったことがあったら、なんでも言ってね。あと、これ……貸してくれて、ありがとう。ルーフェンさんに、返してあげて」
そう言って、ファフリが差し出してきたのは、左耳についていた緋色の耳飾り。
トワリスは、表情を和らげると、耳飾りを受け取った。
「……また、絶対会おうな」
ファフリに次いで、ユーリッドも口を開く。
トワリスは、一拍置いてから、深く頷いた。
「ああ。……いつかまた、必ず」
トワリスは、掌に小さな傷を入れて、そこに刻まれた移動陣を、地面にかざした。
「さようなら、二人とも。どうか、元気で」
最後に振り返り、ユーリッドとファフリを見ると、トワリスは言った。
ファフリは、声が震えないように深呼吸しながら、大きく手を振った。
「さようなら……! トワリス、ありがとう。……本当に、ありがとう」
移動陣が、トワリスの足元に展開し、眩い光を放つ。
その光は、トワリスを飲み込んで、やがて、緩やかに収束していった。
暖かなミストリアの風が、リディアの花を揺らす。
ひらひらと踊るその花弁が、空を渡っていく様を見つめながら、ユーリッドとファフリは、踵を返したのだった。
──ミストリア歴、九六四年。
ファフリは、ミストリアの召喚師として、正式に即位した。
後に、この女王ファフリが、精霊族の王グレアフォールと並び、世界に存在するたった二人の召喚師となる。
絶対的な悪魔の力を有する、国の守護者──闇の系譜を継ぐ者として、後世の史実に、名を馳せることになったのだ。
〜闇の系譜〜(ミストリア編)【完】
終章へ続く。