複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.71 )
- 日時: 2016/02/06 02:06
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
†第二章†——邂逅せし者達
第一話『異郷』
「ミストリアって、どんなところだろうね。獣人が棲んでるんだから、やっぱり森とか、自然が綺麗なところ? それとも、サーフェリアとあまり変わらないのかな?」
いつもと同じ調子で、ルーフェンは言った。
それに対してトワリスは顔を歪めると、呆れたようにため息をついた。
「ふざけたこと、言わないで下さい……。私は別に、遊びにいくわけじゃないんですよ」
「分かってるって。調査ね、調査」
あくまでも飄々とした様子で、ルーフェンは続けた。
「でも、具体的にどうしろとは言われてないんでしょ? だったら適当に済ませて、さっさと帰ってきなって」
「……適当って……。立派な仕事ですよ。サーフェリアの運命が、かかってるんですから……」
(——望まれているものでは、ないけれど)
言いかけた言葉を飲み込んで、トワリスはぎゅっと拳を握った。
ルーフェンは、そんな彼女の様子にふっと笑うと、静かに肩をすくめた。
「……本っ当に馬鹿だよね、トワは。もう馬鹿の中の馬鹿。ものすごい、馬鹿」
普段罵倒などしてくることのないルーフェンの言葉に、トワリスは目を見開いた。
「なっ……ルーフェンさんのほうが馬鹿です。阿呆だし。へんてこだし、平気で嘘つくし、なんかへらへらしてて腹立つし!」
「いーや、俺の方がってことはないよ。少なくとも君は、俺と同じくらいには馬鹿だね」
「同じ、なんかじゃ——」
一瞬言葉が詰まって、トワリスは浅く息を吸った。
「同じなんかじゃ、ありません……。だから、私は——」
言うつもりではなかったことが、思わず口を突いて出てきた。
ルーフェンは、ただ黙ったまま、トワリスの次の言葉を待っているようだった。
トワリスは、居心地が悪そうにルーフェンから目をそらすと、うつむいた。
「……すみません、なんでもないです」
「…………」
何と続けようとしたのか、深く追求されると思ったが、ルーフェンは何も言ってこなかった。
黙ったまま、一瞬何か言いたげに口を開いたが、すぐに閉じた。
ルーフェンは、自分の耳から紅く光るものを取ると、トワリスに向かって放り投げた。
トワリスは慌ててそれを受け取ると、その手の中身を確認して、目を丸くした。
「……それ、貸してあげる」
「は?」
きらりと光る、緋色の耳飾り。
トワリスは、信じられないといった様子で首を思い切り振った。
「か、貸してあげるじゃないですよ! いりません! というか、これ、大事な魔法具なんじゃ——」
「そう、かなり大事なもの。それがないと困る」
「だったら、尚更……!」
怒鳴るように言って、勢いよく耳飾りをルーフェンの胸元に押し付ける。
しかしその手は、ルーフェンによって掴まれて、やんわりと押し返された。
「だから尚更、ね。ミストリアから帰ってきたら、ちゃんと俺に返してよ」
そう囁くように耳元で言ったルーフェンの顔を見て、トワリスは何も言えなくなった。
いつもの軽薄そうなものとは違う、哀しそうな笑み。
ルーフェンが本心を隠せずにいるのは、珍しいことだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.72 )
- 日時: 2017/08/14 19:29
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
* * *
トワリスは、岩の上に立っていた。
そのすぐ横には、滝の流れ出る洞窟がぽっかりと口を開けている。
洞窟の中は暗黒よりも深い闇に覆われており、外から夕日の光が射し込んでも、ほとんど中は見えなかった。
ごうごうと、はるか下へと流れ落ちる滝の音を聞きながら、トワリスは眼下に広がるミストリアの王都——ノーレントを見つめた。
トワリスがミストリアに降り立ってから、ずっと目指していた地である。
他国へと渡るためには、何月もかけて海を渡るか、魔法陣を介した長距離移動が必要であった。
効率の良い方法は、当然後者である。
故に、召喚師以外の者が魔力を持たないミストリアでは、サーフェリアに渡る場合、召喚師の力を利用した可能性が高い。
つまり、サーフェリアに襲来した獣人について探るならば、必然的に召喚師のいる王都ノーレントを探らなければならないのだ。
しかしトワリスは、なるべく王都には近づきたくなかった。
召喚師が、魔力を感じとることが出来るからである。
母が人狼、父が人間であるトワリスは、身体能力の優れた獣人の血と魔力を持つ人間の血、その両方を受け継いでいる。
ただし、その血はそれぞれに薄く、純血の獣人に身体能力では敵わない上、普通の人間の魔導師にもまた魔力では勝つことが出来なかった。
そのため、トワリスは基本的にその両方を複合させることで、戦うことが多かった。
すなわち、身体に魔力を込めることで、一時的に獣人以上の身体能力を発揮するのだ。
そうすれば、身体を媒介に使っているため使用する魔力量も少なく済むし、元からある身体能力も生かすことができる。
人間の女にしては強い、元はこの程度の力しかないトワリスがミストリアで生き抜くには、当然魔術の行使が必要だった。
しかし魔術を使えると知られたら、獣人でない——つまりミストリアの者ではないことが知られてしまう。
外見だけでいえば、人の耳がある位置に狼の耳が生えているため、獣人だと言い張っても誤魔化せるが、もし魔術のことを指摘されたなら、一貫の終わりである。
だから、唯一魔力の存在を感知できる召喚師には、近づきたくなかったのだ。
ミストリアの場合は、サーフェリアと違って召喚師が国王を勤めている。
そのため、一介の旅人に過ぎないトワリスが、召喚師に会うようなことはないと分かっていた。
それでも、ノーレントで召喚師について探る以上は、どうしてもその不安が拭いきれなかった。
旅人の行き来する街道があるようだったが、トワリスはこの洞窟を通って、ノーレントに出ようと思っていた。
極力、獣人と出会うことを避けたかったからだ。
トワリスは大きく深呼吸すると、眼下に見つめていたノーレントの街並みに背を向けて、洞窟の闇へと足を踏み入れていった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.73 )
- 日時: 2015/05/23 10:29
- 名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)
水流に流されぬよう注意しながら、トワリスは岩壁に手を這わせて進んだ。
初めは入り口から射し込んでいた日光も、今は一切なかった。
(……暗い……)
冷気の漂う洞窟で、ぶるりと身を震わせる。
洞窟内の生物を刺激すべきではないと思い、明かりは持ち込まなかった。
しかし、やはり松明は必要だっただろうかという後悔が、トワリスの中に沸々とわいていた。
視覚に頼らずとも、聴覚と嗅覚が効けば問題はなかったが、トワリス自身、暗闇はあまり得意ではないのだ。
トワリスは、すっと目を閉じると、耳と鼻に神経を集中させた。
そして、鼻がつんと痛むほどの冷気の中に、ふと異質な臭いが混じっていることに気づいた。
わずかだが、煙と油の臭いしたのだ。
(これは……松明の臭い。私以外に誰かいるのか……?)
周囲を一層警戒しながら、水流から抜けて脇の岩場に足をつけると、一気に水音が小さくなった。
足跡も臭いも残らない水流中を進もうと思っていたが、自分以外の何者かがいる可能性が高まった今、動きやすい岩場を歩く方が良いだろう。
微かな水流の音と、自分の呼吸音しか聞こえない静寂の中、異変が起こったのは、一本の岐路に差し掛かった時だった。
うめき声に近いような男の悲鳴が、洞窟中に響き渡り、トワリスはその悲鳴がした方向に走り出した。
そうして、少し広くなった場所に出るのと同時に、一気に視界が明るくなった。
暗闇から急に明るみに出たため、トワリスは眩しげに目を細めた。
だが、松明を抱えて岩壁のそばでうずくまる男の姿を見つけると、すぐに男の元に駆け寄った。
男は、息切れと嗚咽が混ざったような喘ぎ声をあげながら、がたがたと震えていた。
微かに血の臭いがしたが、大した怪我ではないだろう。
近づいて、多少乱暴に肩の辺りを掴むと、男がびくりと跳ね上がって上擦った声を出した。
少し白いものが混じったその髪に、羽毛が入っていることから鳥人だと思われる男は、トワリスを見たまま混乱したように硬直した。
「静かに! 何があったんです?」
鋭い声で問うと、鳥人の男は咳き込むように言った。
「あ、あっちに……っ!」
男の視線が向けられた方へ目をやると、松明の明かりが届かない暗がりで、何かが蠢いているように見えた。
そして目を凝らそうとした瞬間、大気を切り裂くような鋭い音が迫ってきた。
トワリスは、本能的に腕に仕込んでいた短剣を引き出すと、その方向へ投げつけた。
すると、ギャッという耳障りな断末魔が聞こえて、短剣と共にぼたりと何かが落下する音が響いた。
(何かいる……!)
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.74 )
- 日時: 2017/08/14 21:09
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
トワリスは、蠢く影をきつく睨んだ。
暗闇では、襲いかかる機会を窺うように、青白い目がいくつも光っている。
おそらくは洞窟生物だろうが、この数が相手では逃げ切れない。
それも、トワリスだけならともかく、こちらにはもう一人、怪我をした鳥人の男がいるのだ。
トワリスは、傍らで怯える男を一瞥した。
彼が召喚師でないのは一目瞭然であり、状況を考えれば多少の魔術の行使は仕方がない。
よほど可視できて分かりやすい魔術でなければ、問題ないだろう。
そう自分に言い聞かせると、トワリスはもう一本の腕に仕込まれた短剣を、素早く引き出した。
それから、纏っていた外套の一部を切り裂いて短剣の先に巻くと、男の抱える松明にそれを押し付けた。
じりじりと外套の焦げる臭いがして、短剣の先に火が燃え移る。
それを確認すると、トワリスは即座に短剣を暗闇に投げつけた。
外套に移っただけの小さな炎は、投げられた衝撃で危なげに揺れたが、それが消える寸前に、トワリスは魔力を練り上げた。
「爆ぜろ……!」
小声で唱えたその言葉に呼応して、消えかけた炎がぼっと燃え上がった。
もともと魔力量の少ないトワリスには、存在していた炎の勢いを増すくらいのことしか出来なかったが、今回はそれが好都合だった。
この程度なら、混乱している男には、炎が何かに燃え移って広がったようにしか見えないはずだ。
蠢くものの輪郭を縁取るように、炎はばっと広がり、収束した。
(蝙蝠——!)
一瞬明るくなった視界に、通常の五倍はあろうかという巨大な蝙蝠の群れを捕らえると、トワリスは素早く腰にあった双剣を抜いた。
同時に、炎によって刺激された蝙蝠の群れが、一斉に牙を剥き出して襲いかかってくる。
情けない悲鳴を上げ、腰を抜かした男に「動かないで」と声をかけると、トワリスは双剣を握る手に力を込めた。
そして、旋風のごとく双剣を回転させると、地を蹴って一気に蝙蝠の群れに突っ込んだ。
トワリス目掛けて押し寄せた蝙蝠達が、次々と双剣の渦に飲み込まれ、切り刻まれていく。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.75 )
- 日時: 2017/08/14 21:15
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
突進した先の岩壁を、体を回転させることで蹴りつけて、再び群れを掻き回そうとしたとき。
視界の端で、錯乱した男が自分の荷から取り出した剣を、群れに向かって投げたのが見えた。
無茶苦茶に投げられたそれは、勢いを無くして、放物線を描きながら群れの中に落ちる。
その内の一本が頭上に降ってきて、トワリスは小さく舌打ちをすると、岩壁を蹴った足を地面に擦るようにつけた。
そして降ってきた剣を、右手の剣で弾いた。
しかし、次の瞬間、弾いた右手から一気に魔力が抜けて、トワリスは双剣を取り落とした。
それと同時に全身がふらつき、動きに乱れが生じる。
「……っ!」
何が起こったか分からなかったが、慌てて体制を整えようとすると、その隙を狙って一匹の蝙蝠が、トワリスの喉笛に飛びかかった。
トワリスは、反射的に右の拳を蝙蝠の口に突っ込むと、そのまま地面に叩き落として頭蓋骨を粉砕した。
牙が刺さり、右手からは血が滴ったが、構わず落とした双剣の片割れを拾い上げる。
そうしている間に、自分の周りに残った蝙蝠が四方から集まってきていた。
トワリスは、全身を縮めると、両足で地面を蹴って高く上に跳躍した。
そして一時的に群れから抜け出ると、重力で落下する勢いをそのままに、体ごと回転させて再び蝙蝠の中で双剣を振り回した。
最小限の動きで、的確に蝙蝠を切り刻むと、ばらばらと散っていく死骸を見ながらトワリスは息を吐いた。
血のついた双剣を振って、軽く血を飛ばすと、最後に残った数匹を切りつけて、とどめを刺す。
すっと双剣を腰の鞘に納めると、トワリスは、蝙蝠の死骸が散らばる周囲を再度見回した。
そして先程、男が投げた剣の一つを拾い上げた。
弾いた瞬間から、この剣の存在がずっと気になっていたのだ。
薄暗い洞窟内ではいまいち分からなかったが、この剣は、普通の鉄よりも少し黒光りしているように見える。
トワリスは、それをまじまじと見つめ、顔をしかめた。
(……この剣を弾いたとき、私の体から魔力が一気に抜けた。どういうこと……?)
まるで全身から、力が一瞬で抜き取られたような、なんともいえない感覚だった。
魔力を発していない今は、剣を握ってもなにも起こらなかったが、あの奇妙な感覚は、確実にこの剣によって引き起こされたものだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.76 )
- 日時: 2015/05/23 10:31
- 名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)
その時、背後で微かに声が聞こえた。
トワリスが我に返って振り向くと、鳥人の男が怯えたようにこちらを見ていた。
「……大丈夫ですか? お怪我は?」
そう言って、他にも落ちていた男の剣を三本拾いながら、トワリスは男の元に向かった。
しかしそれに対して、男は焦ったようにトワリスから剣を奪い取った。
そしてそれらを鞘に納めると、はち切れんばかりに膨らんだ自分の荷に突っ込んだ。
トワリスが、少し不審そうな視線を男に送ると、男は慌てて土下座をした。
「た、助けて頂きありがとうございました! 貴女は命の恩人です……!」
言いながら、いつまでも頭を上げない男の側に、トワリスは屈んだ。
「構いませんから、頭を上げてください。あまり大きな声を出すと、また蝙蝠達が集まってくるかもしれません」
囁くように言うと、男ははっと口をつぐんで、顔を上げた。
トワリスは、男の腕を掴んで立ち上がらせると、言った。
「とにかく、ここを出ましょう。微かにですが、風が吹いてくる……出口は近いと思いますから」
「は、はい……」
男は、怪我をしている左足をかばいながら、よたよたと歩き出した。
しかしその間も、男は先ほど剣を突っ込んでいた自分の荷を、絶対に離すまいとしているようだった。
二人が外に出たのは、朝陽が山々を縁取り始めた頃だった。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.77 )
- 日時: 2015/05/26 23:50
- 名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)
外の空気は、洞窟の中のものより幾分か暖かかった。
濡れた草木や土の匂いが、乾燥して痛んでいた鼻を、潤してくれるようだ。
サーフェリアとは違う、ミストリアの匂いに包まれて、トワリスは足を止めた。
そして眩しげに目を細めながら、うっすらと明るくなってきた空を見上げた。
「……あの……」
見上げると、トワリスよりも背の高い鳥人の男と目が合った。
男は、改めて見ると意外にがっしりとした体躯で、薄手の外套を纏っていた。
その汚れた全身を見るからに、かなりの長旅をしてきたようだ。
「……この度は、本当になんとお礼を申し上げて良いか……。貴女は、大丈夫ですか? 少し怪我をしていらっしゃるようですが……」
トワリスの体が、所々包帯で止血されているのを見て、男は心配そうに眉を下げた。
「私は大丈夫です。怪我も、以前負ったものであって、先程の戦いとは関係ありません。どうぞお気になさらずに」
言ってから、トワリスは少し顔をしかめて、付け加えた。
「それより、貴方は何故あんな危険な洞窟に? その足の怪我も古いようですし、洞窟に入る前に既にあったものなのではないですか? そもそも、貴方は鳥人でしょう。暗いところに入ったらほとんど目は見えないはずです」
トワリスが厳しい口調で言うと、男は怯んだように後ずさった。
そして膨らんだ荷を守るように抱え込むと、トワリスを見つめた。
「……私は、ホウルと申します。ノーレントで商売しておりましたが、ここのところ儲からず、明日の食事すらまともに摂れない状況でした……。それで、意を決して南大陸に渡ったのです」
掠れた声で言いながら、ホウルはおずおずと荷の口を緩めた。
中から覗いたのは、先程ホウルが突っ込んでいた剣と、黒光りする鉱石のようなものだった。
ホウルは、決心したようにトワリスを見た。
「この通りです。だから、賑やかな道など通れません。そんなことをしては、私は確実に襲われてしまう。それであの洞窟を通って、ノーレントに戻ろうと……」
トワリスには、ホウルが何を言っているのか分からなかった。
話の流れからして、この剣や鉱石は、南大陸で調達してきたものなのだろう。
加えて、頑なに離すまいとする様子や、襲われてしまうといった表現から、それらはかなり貴重なものらしい。
そこまでは分かったが、この通りだと説明する意味が分からない。
(この鉱石は、ミストリアでは誰もが知っているようなものなのか……?)
最終的にそのような結論に至って、トワリスは開きかけた口を閉じた。
もしこの鉱石が、推測通りミストリアで有名なものだったとして、それを知らないとなれば素性を疑われるだろう。
一人の鳥人など気にするに値しないとも思ったが、油断は禁物である。
しかし、トワリスはどうしても剣のことが気になっていた。
剣は、確かにトワリスの魔力を吸いとったのだ。
突然黙り込んだトワリスを、ホウルはしばらく不思議そうに見つめていた。
だが、はっと何かに気づいたように目を開くと、鉱石の一つを取り出した。
「……もしかして、ご存知ないのですか? ハイドットを」
先に話題を切り出されて、トワリスは顔をあげた。
動揺を表情に出さないよう気を付けながら、慎重にホウルの様子を窺う。
この際、聞いてしまった方がいいだろうと考えて、トワリスは浅く息を吸った。
「……ハイドット、という名前だけなら、聞いたことがあります。私、実は北方の出で、この辺りには最近渡ってきたばかりなものですから、ノーレントや南の事情には疎いのです」
「ああ、なるほど」
この出任せが通じるかどうか、トワリスは不安だったが、ホウルは納得したように笑みを浮かべていた。
温暖なミストリアの住人からすれば、サーフェリアの服装は通常より厚く見える。
これが、北方の出であるという理由を説得力のあるものにしたのだろう。
「道理で。服装もあまり見慣れない風ですし、言葉も少し変わった訛り方をしているなと思っていたんです」
ハイドットを知らない——つまりは盗まれる危険がないと判断したのか、ホウルはわずかに安心したように微笑んだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.78 )
- 日時: 2017/08/14 21:22
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
「ハイドットは、南大陸でしか採れない鉱石なんですよ。これを精錬すると、とても質の良い剣や鎧が作れるのです」
「鎧?」
トワリスは、ホウルの言葉に驚いた。
獣人は、剣はともかく鎧にはそこまでこだわりを持たない。
肉体そのものが丈夫な獣人達にとっては、更に守りを固めるよりも、身軽さを重視する傾向にあると思っていたからだ。
そんなトワリスの疑問が伝わったのか、ホウルは少し声を潜めて言った。
「ええ……その、このことはあまり知られていないんですがね。実は、ハイドットで作られた武具は、ただ丈夫というだけではないみたいなんです」
「……というと?」
「私達獣人には分かりませんが、触れた者の魔力を吸い取るんだとか」
トワリスは、すっと目を細めた。
田舎者という嘘の肩書きのお陰で、ホウルはすっかり安心しきっている。
彼から上手く話を引き出せば、予想以上の収穫が得られそうだった。
「……なるほど、それで重宝されているわけですか。魔力のない私達でも、それがあれば人間や精霊族にも太刀打ちできますものね」
「はい、その通りです。ハイドットの性質だそうで。召喚師様も、この発見にはお喜びになられたようですよ」
微かに笑みを浮かべながら、ホウルは言った。
トワリスは、そんなホウルを横目に、頬にかかった髪をゆっくりとかきあげた。
「……それで、召喚師様はサーフェリアなど他国と争うおつもりなんでしょうか。ハイドットの武具を使って」
あまり不自然な態度をとらぬよう、軽い口調で問うと、ホウルは少し考え込むように唸った。
「んー、どうでしょう。後々はそのおつもりかもしれませんね。ただ、今はそれどころじゃありませんから」
その言葉に、黙ったまま眉を寄せると、ホウルは信じられない、というような顔でトワリスを見た。
「これも知りませんか? 南大陸にいた私ですら、噂で届いていたというのに」
「ええ、恥ずかしながら」
ホウルの表情に、呆れの色が微かに浮かんだ。
これが疑惑の色だったなら、深く聞くことはやめるつもりだったが、どうやらその心配はいらないようだ。
「今、次期召喚師様が行方不明なんですよ。ノーレントでは今、そのことで大騒ぎしています」
「行方不明?」
「はい。といっても、次期召喚師様は正式に即位されるまで、顔どころか名前まで披露されませんから、私達一般の民には探すお手伝いもできないんですがね」
予想外の返答に、トワリスは顔をしかめた。
獣人によるサーフェリアへの襲撃、そして新たに分かった、ハイドットという対魔術用の鉱石——。
種族間の争いを仄めかすようなこれらの真相を探っていけば、最終的にはミストリアの召喚師にたどり着くと思い込んでいたのだが、当の召喚師はそれどころではないという。
(……黒幕は、召喚師じゃないのか? とすると、一体なにが……?)
どこから探りを入れていけば良いものか、分からなくなって、トワリスはため息をついた。
ホウル一人の言葉を鵜呑みにするわけではないが、今後の方向性を失ったのは事実である。
- Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.79 )
- 日時: 2016/01/06 01:05
- 名前: 狐 (ID: WO7ofcO1)
「……まあでも、仮に次期召喚師様のことがなかったとしても、ハイドットの件については先伸ばしになるでしょう。現に、南大陸は兵団すら派遣されないような土地になってしまいましたから」
ホウルの顔が、恐ろしいものを思い出したかのように、突然歪んだ。
「あそこは、本当に危険なところです。だからこそ、ハイドットが高値で取引されるようになったわけですが……生活がかかっていたとはいえ、あんなところに行くんじゃなかったと後悔しています」
これ以上彼から聞き出すことはないと思っていたが、ホウルの怯えきった様子が気になって、トワリスは話の先を促した。
「そんなに荒れた土地なんですか?」
ホウルは、がばりと顔をあげた。
「はい、それはもう……っ。他にも商人の仲間と出向いたのですが、ほとんどが亡くなりました。残っていた奴等とも、散り散りになってしまって……。私はなんとか帰ってこられましたが、彼らも無事かどうか……」
トワリスは、ホウルを見つめて静かに言った。
「でも、それなら尚更、兵団を派遣すべきではないんですか? ハイドットがあるというなら、土地を見捨てるというわけにはいかないでしょうし」
まさか、今後もハイドットの採掘を、生活に困窮した商人に任せるつもりではなかろうと、トワリスは言った。
しかし、ホウルはぶるぶると首を横に振った。
「ええ、ええ……私もそう思っていたんですよ。南大陸が危険になったのは最近のことですし、兵団も対処を考えてるだけなのだろうと。ですが、行ってみて、そうならない理由が分かりました。本当に、南大陸は異常なんです」
口元をびくびくと震わせながら、ホウルは言った。
「貴女、さっき洞窟にいた蝙蝠を見たでしょう? あんなものじゃないんです。もっとこう……生き物ではないような。沢山の脚を持った獅子や、まるで泥のようにぐちゃぐちゃと崩れた獣がそこら中にいて……!」
先ほどの様子とは打って変わったホウルに、さすがのトワリスも動揺した。
思い出しただけでここまで取り乱すのだから、相当恐ろしい目に遭ったのだろう。
直接的に有力な情報を手に入れることはできなかったが、ハイドットの存在を知れただけでも十分だ。
そう思って、トワリスが制止の言葉をホウルにかけようとした、その時だった。
「——奇病まで流行っていて、南大陸中の獣人たちが何かおかしいんです。虚ろな目をして、まるで幽鬼のようにさまよい歩いていて……!」
瞬間、トワリスの目が揺れた。
——虚ろな目をした、幽鬼のような獣人。
(それって、サーフェリアに来ていたのと同じ……?)
トワリスは、ホウルの腕を勢いよく掴んだ。
そして、きつい光を瞳に宿して、睨むように彼を見た。
「その話、もっと詳しく聞かせてください」
To be continued....