複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.94 )
日時: 2015/05/23 21:11
名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)

†第二章†——邂逅せし者達
第三話『隘路』


 空が、わずかに明るみを帯び始めた。

 間宿の正門には、多くの商人達が集まり、出発の準備を始めている。
早朝の大気は冷たく、足踏みを繰り返しながら、時折ぶるると鼻を鳴らす馬たちの息も、白く濁っていた。

 ユーリッドとファフリ、トワリスの三人は、この大きな隊商に紛れて、間宿を出ようと考えていた。
頭巾を深くかぶり、商人達の波に埋もれていれば、誰もこちらを怪しむ者はいないだろう。

 かんかん、と耳をつんざくような、正門脇の鐘が響く。
出発の合図である。

 鐘が鳴ったのと同時に、ざわりと動き出した隊商に続いて、ユーリッド達もゆっくりと歩き出した。

 街道は整備されていたが、荷を多く積んでいるため、隊商は緩やかな速度で進んでいた。
しばらくは、二、三列になってひしめくように移動していたが、最終的には一列になり、荷馬車と荷馬車の間隔も広くなった。

 昼を過ぎる辺りまで、三人は隊商に着いていたが、やがて、前方の道脇に切り通しが見え始めると、ユーリッドがトワリスに耳打ちした。

「山道に入るなら、あそこからだ。そろそろ隊商から抜けよう」

 トワリスは頷いて、歩く速度を更に緩めた。
ユーリッドも、ファフリの隣に並んで速度を落とす。
すると、商人や荷馬車は次々と三人を抜かしていった。

 こうして三人は、密かに列から遅れ、深い森へと続く細い山道へと反れていったが、止まることなく進んでいく隊商の獣人達が、それに気づいた様子はなかった。

「大体の道は分かると思うから、俺が前を歩く。二人は後に続いてくれ」

 ユーリッドの言葉に、トワリスは分かったと返事をすると、次にファフリを行かせた。
歩き続けて疲れ始めたのか、若干ふらついている彼女を、最後にするわけにはいかないからだ。

 山道は、木々に日光が遮られている分、寒く感じられた。
今は動いているためちょうど良い気温に思えるが、野宿をすることになったら防寒が必要だろう。

 鳥達のさえずりさえ聞こえない、不気味な静けさの中を、三人は無言で移動していった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.95 )
日時: 2015/05/23 10:55
名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)


 上り坂を越えた辺りから、水の流れる音が聞こえ始めた。
渓流があるのだろう。

 ユーリッドが振り返って、大きな声で言った。

「この先に、多分吊り橋があるんだ。そこを抜けたら平坦な道が続くから、楽になるぞ」

 おそらく後半はファフリに向けたと思われる言葉だったが、ファフリは返事をしなかった。
坂道が続いたせいで、疲労が溜まっているようだ。

 トワリスは、ユーリッドに対して軽い返答をしながら、周囲を見回した。

 先程から、この森の雰囲気に妙な違和感を感じる。
その正体を探ろうとしていると、ユーリッドが独り言のように呟いた。

「……少し、変だな」

 トワリスが、目を細めてユーリッドを見た。

「私もそう思う。この森、ちょっと静かすぎやしないか?」

「ああ……生き物の気配がまるでしない」

 それを聞いて、トワリスは胸騒ぎを覚えた。

 彼の言うように、違和感の原因は、おそらく動物たちの気配が全くしないことだ。
しかし、この森は見る限り、鬱蒼とした豊かな森のようだから、生き物が生息していないなどということはないだろう。
だとすれば、考えられる理由は一つ。

(……何かを警戒して、身を潜めてるんだ)

 トワリスは、ぐっと眉を寄せた。

「……気を付けよう。何かあるかもしれない」

 ユーリッドは、緊張した面持ちで頷いた。

 少し進むと崖が現れ、そこにはユーリッドの言う通り、短い吊り橋が架かっていた。
眼下では、ごうごうと唸りをあげて、渓流が流れている。

 吊り橋をつっている縄を確認すると、ユーリッドはほっとしたように言った。

「良かった、思ったより劣化してない。渡れそうだ」

 そう彼が言い終えたのと同時に、突き刺さるような殺気を背後から感じて、トワリスは反射的に双剣を抜いた。
ユーリッドもそれに気付いたようで、抜刀して構える。

 その瞬間、木の高い位置から無数の矢が襲いかかってきた。
トワリスは、矢を薙ぎ払いつつ振り返ると、ファフリの背を押すようにしてユーリッドに近づいた。

「数が多い! 走れ!」

 最後の一雨を剣で叩き落とすと、ユーリッドはファフリの手を引いて、トワリスと共に吊り橋の方に走った。

 矢数からして、敵はかなりの人数だろう。
しかも、これまで上手く気配を隠していたところから、戦い慣れしているとみえる。
それをたった三人で相手にするのは得策でないと考えたのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.96 )
日時: 2016/02/20 16:17
名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)


 しかし、吊り橋を渡った先の木々の間からも、大勢の武装した獣人達がざっと立ち上がったのが見えた。
挟み撃ちが向こうの狙いだったようだ。

「なんなのさ、いきなり!」

 焦ったようにトワリスが言うと、ユーリッドは信じられないといった表情で言った。

「あの甲冑、ミストリア兵団だ……!」

「兵団!?」

 ユーリッドは、心の中で舌打ちをした。
胸の中が、有り得ないという思いで一杯になる。

 アドラを殺したあの刺客たちは、手腕からして選び抜かれた精鋭だったはずだ。
つまり、ファフリを殺すための最初で最後の切り札のつもりで、放たれたのだろう。
だから、それを打ち破った時点で、国王リークスは次の一手を迅速に打つことはできないと思っていた。

 そもそも、あの夜からまだ五日しか経っていないのだ。
いくらこちらが手負いとはいえ、ユーリッドたちの逃亡経路を予測し、かつ待ち伏せするなんてことが、この短期間にできるわけがない。

(そう、有り得ないんだ……。だとしたら……)

 もしかしたら、あの刺客達が、ユーリッド達を襲う前に、城にファフリ一行が南に向かっていることを知らせたのかもしれない。
そして、それを受けた国王が、万が一を考えて南側——関所への通り道全てに兵団を配置したのだ。
この筋書きなら、今の状況も説明できる。

 焦燥と怒りがどっと込み上げてきて、ユーリッドの心を支配した。
どうしてこうなることを予測できなかったのだろう。
やはり、あの刺客たちは切り札だったのだ。

 じわじわと距離を縮めてくる兵士達を睨みながら、トワリスはユーリッドを一瞥した。

「兵団に狙われる心当たりは?」

「……ある」

 弱々しいユーリッドの返答を聞いて、トワリスは舌打ちした。
やはり、関わるべきではなかった。

 もし兵団に、トワリスが魔術を使えること——サーフェリアから来たことが知られれば、この事実は国王である召喚師にすぐに伝わるだろう。
そうして、サーフェリアに帰る前に追われる身にでもなったら、一貫の終わりである。

(といっても、魔術なしでどこまで戦えるか……)

 獣人相手に、自分の腕力が通じるはずもない。
魔術の行使を見られるのは非常にまずいが、こんなところで死ぬわけにもいかない。

 ぱちん、と嫌な音がして、吊り橋をつっていた縄が一本、跳ね上がった。
兵士の一人が、縄を斬ったのだ。

(俺たちを吊り橋ごと落とす気か……!)

 渓流に落とすなどという不確かな方法は、兵士達もできるだけ避けたいだろうが、決して安全には見えない吊り橋の上で乱闘を起こすのは、流石に彼らも躊躇っているようだった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.97 )
日時: 2015/03/20 17:24
名前: 狐 (ID: u5fsDmis)



 激しく顔を歪めて、ユーリッドは兵士達を見た。
かつて自分が兵団の一員だったこともあり、見知った顔がちらほらとある。

「ファフリを頼む!」

 それだけ叫ぶと、剣を握る手に力を込めて、ユーリッドは兵士達に斬りかかった。
そして甲高い金属音をあげて交わった相手の剣を、力任せに跳ね上げると、甲冑の隙間——脇腹の辺りに剣を突き立てて、そのままその兵士を盾にするような形で、後ろに控える兵士達ごと押しきった。

 不安定に揺れ動く吊り橋の上で、トワリスは咄嗟にファフリを引き寄せた。
これ以上の衝撃と重みが加われば、確実にこの吊り橋は崩れ落ちるだろう。

 その時だった。
ファフリに向けられた矢の一本が、吊り橋の縄をかすった。

 しまった、と思う間もなく、吊り橋がまるで生き物のように左右にうねり、落下し始める。

 ユーリッドは、引き抜いた剣を反射的に橋板に突き刺すと、トワリスとファフリの方に手を伸ばした。
トワリスは、距離的にその手を掴むことは叶わないと悟ると、ファフリの身体をユーリッドに向かって放った。

 なんとかファフリを受け止めると、ユーリッドは、そのまま落ちていく橋板ごと崖に叩きつけられる。
背中から全身に激痛が走り、思わず咳き込んだが、すぐにはっとしてトワリスのほう見た。

 トワリスは、双剣の片方をすぐ下の崖に突き刺して、留まっている。
落ちずにいられたようだ。

 しかし、安堵する暇もなく、ひゅんっとユーリッドの頬をかすって、崖に矢が刺さった。
右手には橋板に刺さった剣、左手にはファフリを抱えているこの状況では、矢を払うことができない。
このままでは、矢の恰好の的である。

 反対側の崖に並ぶ兵士達が、矢尻を一斉にこちらに向けたのが見えて、ユーリッドは身構えた。
だが、それらの矢が射たれる前に、一人の兵士の喉元に飛来した短剣が突き刺さり、一瞬兵士達がどよめいた。
トワリスが放ったものだ。

 トワリスは、崖に突き立てた片方の剣に飛び乗ると、脚に魔力を込めて高く跳躍した。
突然のことに唖然とする兵士達の頭上を、宙返りして飛び越えると、トワリスはその背後に降り立つ。
そして彼らに振り返る間も与えることなく、回し蹴りを食らわせると、何人かが悲鳴をあげながら、もつれるようにして崖下に落ちた。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.98 )
日時: 2015/03/26 19:27
名前: 狐 (ID: /dHAoPqW)


 それからトワリスは、素早く魔力を練り上げると、崖に刺していたものと対になる双剣の片割れを構え、唱えた。

「——雷光よ、一条の光となれ!」

 その瞬間、トワリスの剣が閃いて、剣先から稲妻が迸る。
稲妻は、複数の兵士を貫いて、地に流れると共に霧散した。
 
 兵士達が、動揺してざわつき始めた。
彼らにとって、魔術は未知の力なのだろうから、当然である。

 トワリスは、再び剣に魔力を込めて構えた。
こうなったら、出し惜しみをしている場合ではない。

 しかし、背後から斬りかかってきた兵士の剣を受け止めたとき、身体から一気に魔力が抜けた。
身に覚えのある感覚に、トワリスは瞠目する。

 顔を上げると、受けていたのは、僅かに黒光りする剣だった。

(ハイドットの剣……!)

 魔力の抜けたトワリスの身体は、簡単に相手に組み敷かれた。
地面に倒されたトワリスは、降り下ろされた剣を、横に転がって避け、すぐに立ち上がる。

 だが、そこに待ち構えていた兵士が、剣を力任せに振り抜いてきて、即座にそれを受けたトワリスは、力負けしてそのまま木の根本まで吹っ飛んだ。

 後頭部に衝撃が走って、目から火が出る。
頭巾を被っていなければ、気絶していたかもしれない。

(だめだ、ハイドットの剣に触れないようにしないと……!)

 頭を打った影響か、揺れる視界に目を細めながら、トワリスは木の根を蹴って、すぐそばに迫っていた兵士に飛びかかった。
驚いた兵士は、咄嗟に剣を構えることもできず、もんどりうって頭を地面に叩きつけた。
その頭を踏み台に、トワリスは勢いよく走り出すと、別の兵士の脇をすり抜け様に切り裂く。

 剣を交えずに交戦するのは難しく、トワリスは、体力の限界を感じていた。
いずれは魔力も完全に尽きて、そうなったら勝算はなくなるだろう。

 ユーリッドは、橋板に突き立てた剣にぶら下がりながら、左腕に抱えているファフリを見た。
気を失ってしまったのか、彼女はぴくりとも動かない。

 幸い、こちら側の崖には弓兵がいないのか、向こうの崖でトワリスが戦ってくれている内は、矢で狙われることはなかった。
しかし、それも時間の問題だ。
矢で狙われなくとも、橋板を崖から切り離されたら下に落ちてしまうのだ。

 ファフリさえ目を覚ましてくれれば、自分もどうにか戦いに行くことが出来そうだったが、ファフリはまるで人形のように動かない。

 いっそ、落ちてしまおうか。
そう思って崖下の渓流を見て、すぐにその考えは消えた。

 想像以上に、渓流の流れが急だったからだ。
突き出た岩に当たって、高く上がる水しぶきからも、それは容易に推測できる。
上手く着水できたとしても、強い水流にもまれ、泳ぐこともできず岩に衝突して気を失ったら、その後は確実に死ぬだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.99 )
日時: 2015/05/23 10:58
名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)

 全身から汗が噴き出して、目に入った。

(くそっ、どうしたら……!)

 その時、不意にファフリの身体が軽くなった。
驚いてファフリを見て、ユーリッドは目を疑った。
ファフリが、ユーリッドの腕をすり抜けて、ふわりと宙に浮いたのだ。

 鳥人とはいえ、有翼人でない限り飛べるなんてことはありえない。

 ファフリは、静かに目を開けた。

「……まだ、いけない。あともう少し」

 ぽつりと呟いて、ファフリは浮いたまま渓流を見つめる。
その目はどこか虚ろで、彼女はおそらくファフリではないとユーリッドは思った。

「もう少しって……?」

 ユーリッドが訝しげに問うと、ファフリがこちらを見た。

「水……」

(水……?)

 ファフリの返事を聞いて、ユーリッドも再び渓流を見つめた。
ごうごうと唸る水流は、まるでのたうち回る大蛇のようだ。

 ファフリが、ふうっと舞うように上昇した。
その視線の先には、やはり渓流がある。

 突然浮遊したファフリに驚き、トワリスを含め、兵士たちが一斉に顔を上げた。
その内の何人かは、標的をトワリスやユーリッドからファフリに移して、弓や槍を構えた。

 ユーリッドは、覚悟を決めると、すぐ下に刺さっているトワリスの剣を、空いた左腕で引き抜いた。
そしてファフリを狙っている弓兵めがけて、力任せに投げつけた。

 唸りながら飛来した剣は、弓兵の肩口付近に刺さった。
刹那、飛び込むように走り出たトワリスが、その剣を握り真横に滑らせると、弓兵の首が落ちる。

「トワリス! 飛び込むぞ!」

 ユーリッドがそう叫ぶと、トワリスは弾かれたようにユーリッドを見て、それから崖の下を見た。
その表情は一瞬曇ったが、彼女も飛び込むしかないと判断したのだろう。
力強く頷いた。

「次期召喚師を狙え──!」

 兵士の一人から上がった声に、全員がファフリに狙いを定めた。
すると、ひたすら渓流を見つめていたファフリが、ゆっくりと兵士たちを見回す。

 ぎらぎらと、燃えるような殺気を向けてくる兵士たちに対し、ファフリはただ、満足げに微笑んだ。
そしてその唇を、動かす。

「……汝、窃盗と悪行を司る地獄の総統よ。
従順として求めに応じ──」

 彼女がそう唱え始めた瞬間、これまで兵士たちが見せていたまとまりは、完全に崩れ去った。
兵士たちの顔が皆、恐怖に歪み、強ばって、その表情には戦慄が走っている。

 恐怖を感じたのは、ユーリッドやトワリスも同じだった。

 あの狼達を殺した夜のように、ファフリは恐ろしいほど穏やかに微笑んで、死の言葉を口ずさむ。
もう二度と、あんなことは起きてほしくないと願っていたのに。

 自分達が絶体絶命の危機にあることは分かっていたが、そんなことよりも、ファフリに召喚術を使わせてはならないという思いが、ユーリッドの中で先行した。

「ファフリ! やめろ!」

 喉が痛むほどの大声で叫んで、ユーリッドは全身をぐっと縮めた。
そして両足で崖を蹴ると、刺していた剣を引き抜くのと同時に、ファフリに向かって飛び上がった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.100 )
日時: 2015/05/23 10:59
名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)

 唱え終わる前に、ユーリッドがファフリを抱き込むと、二人の体は重力に逆らうことなく、落下し始めた。
渓流に吸い込まれるように落ちていく二人を見て、トワリスは戸惑うように一瞬足を止めたが、続いて崖から飛び降りた。

 内臓が震えるような浮遊感を感じて、ぎゅっと目を瞑る。
そして、石畳の上に全身を叩きつけられたかのような衝撃を受けた瞬間、三人の意識が途切れた。



 兵士たちは、崖に身を乗り出して、渓流を見下ろした。
三人の身体は、ゆらゆらと揺れながら浮き上がったが、やがて水流にのまれて沈んだ。

「隊長、追跡して、死体の首を持ち帰りますか?」

 兵士の一人が問うと、隊長と呼ばれた男は首を横に振った。

「……いや、この流れの速さでは、跡を追ったところで死体は見つかるまいよ。それより、イーサ!」

「はっ!」

 男の呼び声に、イーサはさっと兵士たちを掻き分けて前に出ると、敬礼した。

「イーサ、お前。あのユーリッドとか言う兵士と同期だったろう。次期召喚師様とも、お会いしたことはあるのか?」

「い、いえ……」

 イーサは、ユーリッドたちが流れていった方を見て、うつむいた。

「確かに、ユーリッドとは同期でしたが、それは見習い兵の時の話であります。昇格してからは、隊も分かれてほとんど交流はありませんでしたし、まして、次期召喚師様とは……」

「…………」

 目を合わせずに答えたイーサに、男は眉を寄せたが、すぐに元の表情に戻った。
そして森の近くで控えていた兵士から、馬を一頭呼び寄せると、イーサにその手綱を渡した。

「イーサ、お前は陛下の元に戻り、今あったことを全てご報告しろ。我々は他の隊と合流し、次なる陛下の指示を待つ」

「はっ!」

 返事をして、イーサは素早く馬に跨がった。

「いいか、全てご報告するんだ。次期召喚師様が、召喚術を使おうとしたこともだ」

 男の言葉に、イーサはごくりと息を飲んで、頷いた。

 次期召喚師ファフリが、召喚術を使えるようになったのかもしれない。
それを知ったリークスは、それでも彼女達を殺せと命令し続けるのか、否か。

 イーサは、最後にもう一度、渓流の方を一瞥して、馬の尻を鞭で叩いた。
 

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.101 )
日時: 2015/05/23 11:00
名前: 狐 (ID: dfg2.pM/)

  *  *  *


 無数の剣に身体を貫かれているような、そんな鋭い水流に、身動きをとることさえ出来なかった。
幸い、持っていた荷が浮き袋の役割を果たしていたので、深くに沈むようなことはなかったが、いずれ荷の中に水が浸透してしまえば、それも望めないだろう。

 流されていく途中で、すれ違った岩に咄嗟に掴まると、濡れてまとわりつく髪をかきあげて、トワリスは水面から顔を出した。

 辺りを見回すと、前方に同じく荷を浮き袋にして、必死に水をかいているユーリッドの姿が見えた。
しかし、見えたのと同時に、踏ん張りがきかなくなって、トワリスは再び激流にのまれた。

 身を切るような冷たい水に、だんだんと全身の感覚がなくなってくるのが分かる。
息が詰まって、意識が遠くなり始めたのを感じて、もう駄目かもしれないと思った。

 その瞬間、ごほごぼっと水音が聞こえて、水が糊のように重くなった。
荒れ狂っていた渓流の流れも動きを止め、なにかどろどろとしたものに全身を包まれているような感覚に陥る。

 何が起きたのか分からぬまま目を開くと、漂う水の中、ファフリの姿だけがはっきりと見えた。

 ファフリの方に手を伸ばしたとき、突然見えない力にぐっと背中を押されて、水面まで浮上した頃には、目の前に岸が迫っていた。
かじかんだ手を岸に向かって出すと、その手をユーリッドが掴んで、トワリスは岸に引き上げられた。

 げほげほと咳き込んで、全身の筋肉がばらばらになりそうなほどの疲労感と戦いながら顔を上げると、ユーリッドがほっとしたようにこちらを見ていた。
その傍らには、ファフリが放心したように立っている。

 ユーリッドですらまだ立てずにいるのに、ファフリは息一つ乱さずにいて、その姿には、一種恐怖を覚えた。

 ある程度息が整ってから、トワリスは立ち上がると、半ば睨むようにしてファフリを見た。

「……ファフリ、貴女、何をしたの?」

 ファフリは、無表情のまま、渓流を指差した。

「……深く、暗い闇が広がっている。苦しいと喘ぐ水が、助けを求めてきた。それに応じたから、水も我々を助けた」

 トワリスとユーリッドは、同じように顔を歪めた。
声はファフリのものだが、口調が明らかに彼女のものではない。

 同時にトワリスは、先程の崖での戦いで、ファフリが唱えようとした呪文を思い出して、身震いした。
聞き覚えがあったのだ。

 脳裏に、銀髪の男の姿が過って、そうして浮かんだ一つの可能性に、トワリスの手が自然と腰の剣に伸びた。

「ファフリ……まさか、行方不明の次期召喚師って……」

「…………」

 なにも言わないファフリに苛立って、トワリスは詰め寄ろうとしたが、それは前に出たユーリッドによって止められた。
トワリスは強くユーリッドを睨んだが、ユーリッドは少し悲しそうな顔をしている。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.102 )
日時: 2017/08/14 22:45
名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)

 ユーリッドの行動で、ファフリが次期召喚師であることを確信すると、トワリスは再び口を開いた。

「……どういうこと? なんで兵団に命を狙われてるの?」

 問うと、ユーリッドは困惑した様子で顔を強張らせた。
何か耐えるように、ぐっと口を引き結ぶその姿は、やはりまだ大人になりきれていない、少年のそれだった。

 その時、立ったままだったファフリが、急に崩れ落ちて、ユーリッドが咄嗟にその身体を受け止めた。

 しばらく沈黙が流れたが、やがてユーリッドは、目を閉じて眠ってしまったようなファフリを見ながら、呟いた。

「……話すよ、全部」

 弱々しく吐かれた言葉を聞いて、トワリスは立ったままユーリッドを見つめた。

 後方を見れば、崖はもう見えない。
随分と遠くまで流されてきたようだ。

 全身が濡れているせいもあり、そよそよと吹く微風さえも、とても冷たく感じた。



 ユーリッドは、これまでの経緯を全て話した。
十六にもなって、召喚術の才が見出だせないファフリを、父王である現召喚師リークスが殺そうとしていること。
ファフリの母である王妃の頼みで、アドラと共に逃亡の旅に出たこと。
しかし、アドラは殺され、その時に初めてファフリが召喚術を使ったこと。
それ以降、少しファフリの様子がおかしいこと。
感じたこと、思ったことまで、一切包み隠すことなく話した。

 途中、話すつもりのないことまで口からぽろぽろとこぼれ出たが、話終えた後、少しだけ気分が楽になった。
ずっと、誰かにこの苦しみを吐き出したかったのかもしれない。

 トワリスは、ユーリッドの話をただ黙ったまま聞いていた。
黙っていたと言うよりは、想像以上に残酷で悲劇的な話だったため、何を言えば良いか分からなかったというほうが正しいだろう。
それでも、話終えた時のユーリッドの表情は、少しだけ晴れ晴れとしていて、トワリスは心の片隅で安堵した。

 一方、心の奥に湧き上がってきた狂暴な思いに、ふと表情を曇らせる。

(……もし、私が今ここで、ファフリを殺したら……?)

 そう考えて、ぞわっと冷たいものが身体を巡った。

 ファフリがいなくなったら、ミストリアには次期召喚師がいなくなり、残るは国王リークス一人だ。
それも、ファフリが召喚術を使えるようになっている今、リークスは多少なりとも力を失っている。

 ファフリを殺せば、当然リークスの思惑通り召喚師としての力は彼に戻るだろう。
だが、それも瞬時に戻るわけではないはずである。
とすれば、今ここでファフリを亡きものとして、その直後に自分がその旨をサーフェリアに伝えたなら、敵対するのは力が不完全な召喚師のみ。

 サーフェリアへの獣人の襲撃の原因を突き止めようが、突き止めまいが、どちらにせよサーフェリアとミストリアは争うことになる可能性が高い。
その時に、リークスの力が衰えているなら、サーフェリアは圧倒的優位に立てる。
しかも、上手くミストリアが敗北を認め、退いてくれた場合、被害をほとんど出さずに事態を治められるだろう。

 たとえ任務を放棄してでも、ファフリを殺すことは、サーフェリアにとって有益のように思えた。

 また、そういった背景がなかったとしても、いつ完全に覚醒するか分からない次期召喚師を、他国の人間としてみすみす見逃すわけにはいかなかった。
リークスも、まだトワリスの存在には気づいていないはずだし、何よりファフリは、簡単に殺せる立ち位置に在る。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.103 )
日時: 2017/08/14 22:48
名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)

──殺すなら、近々動かなければならない。

 恐ろしいほど冷静に、トワリスの頭は働いた。
こうなれば、いつ、どう動くのが最もサーフェリアにとって良いのか、それだけを考えるのだ。
感情など、持ってはいけない。
これは、トワリスの宮廷魔導師としての経験から来る判断だった。

「トワリス……?」

 ふと聞こえてきたユーリッドの声に、トワリスは我に返って顔を上げた。

「大丈夫か? なんか、顔真っ青だけど……」

「あ、いや……ごめん、なんでもないよ」

 慌てて首を振って、トワリスは先程までの考えをひとまず脳内から追いやった。
元々嘘が得意な方ではないし、下手に思考を巡らせていると何かしら相手に勘づかれるかもしれないからだ。

 ユーリッドの意識を反らすためにも、トワリスは言った。

「……話は、分かったよ。でも、ファフリは既に召喚術を使えるんでしょう? それなら、召喚師だってもう殺そうとはしないんじゃないか?」

 そう尋ねると、ユーリッドは不安げに俯いた。

「それは、どうだろう。ファフリだって、まだ完全に召喚術を使えるようになった訳じゃないし、召喚師様は厳格なお方だから、ファフリに才能がないと判断した時点で、意見は変えない気がするんだ。早くファフリを殺して、新しく才能のある召喚師を生み出したいと考えてるのかも……」

 ユーリッドは、眠ったままのファフリを見て、続けた。

「仮に召喚師様がファフリを受け入れたとしても、だ。ファフリに、自分を殺そうとした奴と今後一緒に暮らせなんて、言えないよ……」

 ユーリッドの意見は、もっともだとトワリスも思った。
しかし、このまま逃げ続けても解決する問題ではないことくらい、火を見るより明らかである。
南大陸に渡って、兵団の手から逃れたとしても、そもそも南大陸は危険だから兵団が来ないのだ。
その危険な土地で、子供二人が生き延びられるとも思えなかった。

 ユーリッドが、再び口を開いた。

「……それに、本当は俺、ファフリには召喚術をあまり使ってほしくないんだ。見ただろう? ファフリが笑って、悪魔を召喚しようとしたところ。ファフリは、あんな風に笑って生き物を殺せるようなやつじゃないのに……。狼に襲われたときも、さっきこの渓流に何か起きたのも、助かったのは事実だけど、このままファフリが召喚師になったら、ファフリがファフリでなくなる気がしてならないんだ。今もそうだったけど、なんかぶつぶつ呟いてたりすることが多いし……」

 ユーリッドの言っていることは、言い得て妙だとトワリスは思った。
トワリスも、サーフェリアの召喚師に対して、同じようなことを感じたことが多々ある。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.104 )
日時: 2021/04/12 23:46
名前: 狐 (ID: WZc7rJV3)

 重苦しく息を吐き出すと、トワリスもファフリに視線を移した。

「……私も、詳しいことは分からないけど、その呟いてたって言うのは、悪魔のせいなんじゃないかと思うよ」

 ユーリッドが、はっとしたように頷いた。

「おそらく、ファフリはまだ悪魔を制御する術を持ってないんだよ。悪魔は、隙あらば主に取って変わろうとするらしいし、さっきファフリが言っていたことも、ファフリじゃなくて悪魔の言葉だったのかもしれない」

 トワリスがそう言うと、ユーリッドも納得したように、なるほどと呟いた。

「それにしても、トワリスって召喚師と何か関わりのある血筋なのか? なんかやたら詳しいし、魔術も使えるみたいだし……」

 トワリスは、しまったと一瞬焦った。
しかし、ファフリが次期召喚師である以上、自分が魔力を持っていることなど隠すだけ無駄である。
少し明かしたくらいで、サーフェリアから来たとユーリッド達が予想できるはずもないし、今更誤魔化すのも妙だろうと思って、トワリスは言った。

「別に、そんなんじゃないよ。私は、父親が人間だからね。魔力のある人間の血が入ってるから、私も魔術が使える。それだけ」

 若干棘を含んだ言い方に、暗にそれ以上は聞くなと言われているようで、ユーリッドは他には何も聞かなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.105 )
日時: 2016/10/17 00:27
名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)


 
 幸い、兵士たちが追ってくる様子はなかったが、念のため三人は森の中に入った。
木々に囲まれていれば、見つかる可能性が低くなるからだ。

 本来ならば、夜通し歩いてでも南大陸への関所に向かうべきなのだろうが、渓流に流され体力の消耗が激しい今、それをするのは自殺行為だ。
そのため、ユーリッドとトワリスで話し合い、今日のところは休むことにしたのである。

 日の沈みかけた群青の空を、木々の間から見上げて、ユーリッドは白い息を吐いた。

 相変わらず眠ったままのファフリは、まるで人形のように自分に背負われており、荷をもって前を歩くトワリスも、何か考えているのか、先程から一言も発さない。
三人の間には、ひどく重苦しい空気が流れていた。

 自然に作られたであろう、小さな岩屋に入ると、ユーリッドはそこに自分の上着を敷いて、ファフリを横たわらせた。
まだ濡れたままの上着を使用しても暖かくはならないだろうが、岩の上にそのまま寝かせるよりはましだろう。

「だいぶ、冷えてきたな……」

 そう言うと、トワリスがはっと顔を上げて、そうだねと頷いた。
自分達が逃亡の旅に出た理由を話してから、トワリスはどこか上の空だ。

「……トワリス、大丈夫か? さっき落ちたときに、怪我とかしたんじゃ……」

 心配になってユーリッドが尋ねると、トワリスは少し複雑そうな顔をした。

「……いや、なんともないよ」

「そうか……?」

 彼女の態度に、どこかよそよそしさを感じながらも、きっと疲れてるんだろうと理由付けると、ユーリッドはトワリスの持っていた自分達の荷物を指差した。

「間宿で買った干肉が入ってるはずなんだけど、食えるかな?」

 努めて明るい声音で言うと、トワリスがふっと表情を和らげた。

「食べられると思うけど、相当ふやけてるだろうね。私が持ってた食料も水浸しだったし。夕飯にするなら、一回火で炙った方がいい」

「はは、そうだよな……。じゃあ俺、焚き火用に薪をとってくるよ。トワリスは、ファフリを見ててくれ」

「ああ……分かった」

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.106 )
日時: 2017/08/14 22:53
名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)

 岩屋を飛び出していったユーリッドを見送ってから、トワリスは座り込んだ。
衣服が濡れているせいや、疲労のせいもあるだろうが、全身が妙に重く感じた。

(ファフリを見ててくれ、ね……)

 心の中で呟いて、膝を抱える。
きっとユーリッドは、完全に私を信頼しているのだろうと、トワリスは思った。

 わざわざ明るい笑顔を作って、怪我をしたんじゃないかと心配までして。
あんな風にこちらに気を使っていたけれど、ユーリッドはまだ子供である。
元々警戒心の少ない性格も手伝っているのだろうが、辛い状況下でやっと出会えた大人──トワリスに、無条件で心を許してしまっているのかもしれない。

 そのトワリスも、ファフリの命を狙っているというのに。

 トワリスは、ぐっと唇を噛んだ。

 売国奴と蔑まれ、半ば追い出されるようにミストリアへと送られて、もう三月は経つ。
おそらくサーフェリアでは、既に自分は死んだことになっているだろう。
当然だ、異国に単身渡って帰ってくるだなんて、普通は誰も思わない。

 それなのに、行けと命じられたということは、やはりそういうことだ。
分かっていた。
元々、サーフェリアの教会がトワリスに望んでいるのは、任務の遂行ではなく、死なのだから。
 
 近くで、獣の遠吠えが聞こえる。
その音を聞きながら、ふと、今敵に襲われたらどうなるのだろうと思った。
例えば、今朝魔術を行使したことがミストリアの召喚師に伝わって、自分がサーフェリアの者だと気づかれていたとしたら──。
可能性としては、十分あり得る話だ

 そうしたら、自分は死ぬのだろうか。
この異国の土地で、誰かに悲しまれることもなく、たった一人。
獣人の血を引く、サーフェリアの愚かな売国奴として。

 そう考えた途端、言葉では言い表せないほどの悲しみと、虚無感が心を覆った。
これまでなるべく意識しないようにしてたのに、一度考えてしまえば、その絶望感はどこまでも広がっていく。

(……サーフェリア、か……)

 引き寄せた膝に額を押し付けて、嘆息する。

 獣人の血が混じる自分のことも受け入れてくれた、大切な故郷。
今回の獣人の襲撃が原因で、居場所はなくなってしまったけれど、やはり自分が帰る場所は、サーフェリアしかない。

 目を閉じれば、不思議とサーフェリアでのことが頭に浮かんだ。

 自分がミストリアに渡ることを反対していた、ハインツや宮廷魔導師の仲間たち。
自分が渡らなければ、代わりにルーフェンがミストリアへ送られることになっていただろうし、何より、無謀な作戦とはいえ、任務の遂行がサーフェリアのためになるのは事実だったから、結局自分は渡ることを決意したわけだが、最後まで身を案じてくれる彼らの存在は、とても嬉しかった。

Re: 〜闇の系譜〜(ミストリア編) ( No.107 )
日時: 2017/08/14 22:55
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 トワリスは、絶対に落とさないように腰の革袋に入れておいた、緋色の耳飾りを取り出した。

 それを強く握りしめると、掌にじわりと暖かいものが流れ込んでくるような気がした。

「……ルーフェンさん……」

 ぽつり、とその名を呟く。

 「何もするな」と大見得きって告げてきたのに、こんな風に弱気になっているところを見られたら、彼に何を言われるだろう。
また、馬鹿だね、と笑われるだろうか。
それとも、いつも通りおどけて、有り難みの薄い慰めでもしてくるだろうか。

 どちらにせよ、表向きではいまいち繊細さの欠ける行動ばかりとる男だから、こちらが望むような言葉をかけてくるなんてことはないだろう。

 けれど、別にそれでも良い。
自分は、労られたいわけではないのだから。

 ただ、もし無事にサーフェリアに帰れたら、己を対等に見てほしいと思った。

 召喚師に並ぶ強力な存在はないから、ルーフェンはいつだって一人である。
そんな彼に追いつきたくて、宮廷魔導師にまで上り詰めたのに、ルーフェンと同じ立場に立てたことなどない。
いや、正確には、立たせてもらえないのだ。
だから、ちゃんとこの耳飾りを返せたら、頼りになるのだと認めてほしい。

 膝につけていた顔を上げて、トワリスは耳飾りをそっとしまった。

(……絶対、帰ってやる……)

 自分に今できることは、サーフェリアのために動くことである。
たとえ期待されていなかったとしても、サーフェリアを有利な方向に導けば、自分が売国奴ではないという確固たる証拠にも繋がるはずだ。

 そのためならば、なんだってする。
そう強く心に決めて、トワリスは拳に力を込めた。

 辺りにユーリッドの気配がないことを再度確かめると、トワリスはちらりとファフリを見た。

 ファフリは、まだ湿ったままのユーリッドの上着の上で、横たわっている。
深く眠っているようだ。

 その姿を確認してから、トワリスはわざと音をたてて立ち上がった。
それでも、ぴくりとも動かないファフリに、トワリスは微かに目を細める。

(起きる様子はなし、と……)

 ファフリの元に静かに歩み寄りながら、腰の双剣を、一本だけそっと引き抜く。
すると、木々のざわめきが一層強まった。

 ファフリに怨みなどないし、むしろ助けてやりたかった。
ユーリッドの話からも伺えるが、召喚師がいかに残酷な運命のもと生きているのか、自分は普通よりも理解できているつもりだ。
だからこそ、この子供たちに手を差し伸べてやりたいという気持ちは、確かにある。

 しかし、その気持ちは捨てなければならない。
自分はサーフェリアのためにこのミストリアに渡ったのだから、それ以外のことに尽くす余裕も、理由もないのだ。
ましてそれが、自国を陥れることに繋がりかねないというなら、尚更力を貸すわけにはいかない。