複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.172 )
日時: 2019/01/16 17:57
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 59tDAuIV)


『不思議の国のアーヴィス』



 地図にも載っていない、小さな世捨て人の村。
そこには、アーヴィスという、心優しい牛飼いの青年が住んでおりました。
山々に囲まれたこの村での生活は、退屈だという者もおりましたが、アーヴィスは、穏やかでのんびりとした今の暮らしが、とても気に入っていました。

 いつものように、放牧地に牛を連れていったアーヴィスは、牛達が草を食む姿を眺めている内に、いつの間にか、草地に寝転がって眠っていました。
しかし、何かが脚に当たった衝撃で、ふと目を覚ましました。
どうやら誰かが、アーヴィスの脚に蹴躓(けつまず)いて、転んでしまったようです。

 慌てて謝ろうとしたアーヴィスは、目の前で倒れている男の姿を見て、驚きました。
男は、見た目は四、五十代に見えるのですが、全体的に小さく、アーヴィスの腰くらいまでしか身長がなかったのです。
しかも、頭には、兎の耳が生えています。
こんな奇妙な人間は、見たことがありませんでした。

 絶句するアーヴィスをよそに、男は、むくりと立ち上がりました。

「失敬。前方不注意でした」

 それだけ言って、男は、勢いよく走っていってしまいます。
呆然としていたアーヴィスでしたが、男が、金の懐中時計を落としていったことに気づくと、急いで後を追いかけました。

「ちょっと待って! これ、落とし物!」

 大きな声で叫んで、小さな男を追跡します。
しかし男は、短い脚をくるくると動かして、あっという間に森の中に姿を消してしまいました。
男を見失ったアーヴィスは、どうにか男を見つけ出そうと、しばらく森の中をさまよっていました。
見る限り、この金の懐中時計は、かなり高価な代物です。
これを無くしたとあれば、男はきっと困ってしまうでしょう。

 木々の合間を縫って、見通しの良い道に出ようと藪を掻き分けた、そのときでした。
踏み出した足が、がくりと落ち込んだかと思うと、アーヴィスは、足元に大きな穴が開いていることに気づきました。

「……!」

 しまったと思う間もなく、アーヴィスは、穴の中に吸い込まれていきます。
その穴はどこまでも深く、真っ暗で、アーヴィスは、成す術もなく落ちていったのでした。



 目が覚めると、アーヴィスは、鬱蒼とした森の中にいました。
しかしその森は、先程までいた森とは、明らかに違います。
アーヴィスが見たこともない、摩訶不思議な植物が沢山生えた、奇妙な森だったのです。

 周囲に蔓延る草の蔓は、まるでアーヴィスの様子を伺うように、うねうねと蠢き、高く聳える木々は、風もないのに、ざわざわと揺れています。
動物が潜んでいる様子もないのに、誰かに見張られているような鋭い気配を感じるし、鼻をつく泥臭さは、地面に一面咲いている、真っ青な花から発せられているようでした。

(……ここは、どこなんだろう?)

 眩しい日光に目を細めて、アーヴィスは、木々の隙間から青空を見上げました。
穴に落ちたはずなのに、上を見ても青空しかないなんて、おかしな話です。
アーヴィスは、この状況に違和感を抱きながらも、再びゆっくりと歩き出しました。

 うねる蔦や蔓に足をとられないよう、進んでいくと、不意に、視界が開けました。
日当たりのよい広場で、大きな切り株の食卓を囲み、若い男女が、お茶会をしています。

(よかった、人がいた……)

 話せる相手が見つかったことに安堵したアーヴィスでしたが、しかし、その男女の姿がはっきりと見え始めたとき、ぎょっとしました。
二人は、とても人間とは思えない姿形をしていたのです。

「あら、どなた?」

 茂みから現れたアーヴィスに気づくと、女が声をあげました。
女は、蛾のようなふさふさとした触角と羽根、そして透き通った青緑の長髪を揺らしながら、アーヴィスに近づいてきます。
驚くべきなのは、その女が全裸で、しかも宙に浮かんでいることでした。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.173 )
日時: 2019/02/04 19:01
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)




 顔を覗きこんできた女を見たまま、アーヴィスは、しばらく硬直していました。
しかし、はっと我に返ると、慌てて聞きたかったことを質問しました。

「あっ、えーっと……こんにちは。僕、アーヴィスって言います。つかぬことを伺いますが、ここは、どこなんでしょうか? 森の中を歩いている内に、迷ってしまって……」

 女は、珍しそうにアーヴィスの全身を見回して、答えました。

「まぁ、それは大変。この森、迷うと抜けるのは大変だものねぇ」

 その後ろで、一口お茶をすすると、今度は深紅の髪の男が唇を開きました。

「貴様、おかしなことを聞くな。ここは、精霊王が治める不思議の国だ。よそ者は入れないはずなのだが、どうやって迷いこんできた?」

 どこか可笑しそうに口端をあげて、男が問いかけてきます。
男には、触角も羽根もありませんでしたが、尖った耳や、口に生え揃った鋭い歯を見る限りは、彼もまた、人間ではなさそうでした。

「さ、さぁ……僕にも何がなんだか。兎耳の生えた小さなおじさんが、この金の懐中時計を落としていったので、届けようと思って追いかけたら、いつの間にか、こんなところに来ていたんです」

 言いながら、握りしめていた金の懐中時計を見せます。
すると、女がぱっと目を輝かせました。

「やだぁ、それトートの時計じゃなぁい?」
 
 トート、というのが兎耳おじさんの名前でしょうか。
興味がなさそうに再びお茶をすすって、男は答えました。

「あやつ、そんな時計持っていたか?」

「持ってたわよぉ、いつも腰にぶら下げていて、きらきらしてたの。私、綺麗なものだーい好きだから、覚えてるわぁ」

 興奮した様子で、女が食い入るように懐中時計を見つめます。
アーヴィスは、近づいてくる女から一歩引くと、言いました。

「知り合いなら、届けておいてもらえませんか? 僕、牛を放ったまま来ちゃったので、早く帰らないといけなくて……」

「うふふ、どうしようかなぁ。どうしようかなぁ」

 女は、ふわりと舞い上がると、楽しそうにくるくる宙返りします。
滑らかに飛ぶその姿は、まるで蝶のように優雅でしたが、彼女が動き回る度に、その裸体が見えてしまうので、アーヴィスは慌てて目をそらしました。

「あ、あの、初対面で差し出がましいんですけど、ふ、服を着た方が……」

 躊躇いがちに言うと、女が面倒そうに眉を寄せます。

「嫌よぉ、窮屈なのは好きじゃないもの。それに、服なんて着たら、私の魅力的な身体が自慢できないわぁ」

 恥ずかしがることもなく、自慢げに身体を晒してくる女に、アーヴィスは、困った様子で口ごもりました。

「いや、そういう問題じゃなく……。ほら、その、魅力的だからこそ、目のやり場に困るというか、なんというか……」

 そう言うと、女はぴたりと動きを止めました。

「それ、どういう意味?」

「へ?」

 急に顔を近づけてきて、女が尋ねてきます。
アーヴィスは、視線を泳がせながらまた一歩下がりましたが、女は、それに合わせてぐいと距離を詰めてきました。

「それ、どういう意味? 私が綺麗すぎて、直視できないってこと?」

 女の顔つきが、真剣なものに変わります。
出会ったばかりの女性の格好に口出しをするなんて、やはり失礼だったのでしょうか。
しかし女は、怒っているというより、アーヴィスの答えに期待をしているようでした。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.174 )
日時: 2019/02/12 18:20
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 96KXzMoT)



 アーヴィスは、女の方を見ないように頷いてから、言いました。

「ま、まあ、そういうこと……かな?」

 途端、女の顔に、歓喜の色が浮かびます。
飛び上がって男に抱きつくと、女は高い声をあげました。

「ねえアルルゥ! 聞いた? 聞いた? やっぱり一番綺麗なのは私なのよぉ!」

 きゃっきゃっとはしゃぎながら、女はアルルゥの肩をがくがくと揺さぶります。
アルルゥは、蝿でも払うかのように女を引き剥がすと、にやりと笑いました。

「ひゃひゃ、グレアフォールに見捨てられたからと、今度は別の奴にでも寄生する気か?」

 アルルゥが、そう言った瞬間。
ふと表情を消した女が、平手打ちをすると、アルルゥの首が、勢い良く吹き飛びました。
地面を転がっていったアルルゥの首は、ぼっと音を立てて、燃えてしまいます。
頭のなくなったアルルゥの身体は、力なくその場に崩れ落ちると、ぴくりとも動かなくなりました。

 信じられない光景を見て、凍りつくアーヴィスには構わず、女は満面の笑みで近づいてきました。

「貴方、名前はなんと言ったかしら? アーノルド?」

「ア、アーヴィスです……」

 アルルゥの首なし死体を見つめたまま、アーヴィスが答えます。
女は、アーヴィスの頬を両手で挟み、くいっと自分のほうを向かせると、アーヴィスの銀の瞳を覗き込みました。

「アーヴィスね! 揺らがぬ瞳って意味かしら。綺麗な名前だわぁ。私はサシャータ。さぁ、一緒にお茶でも飲みましょう? 私、貴方のことが気に入っちゃった」

 サシャータは、アーヴィスの腕に絡み付くと、彼を食卓に誘導します。
引かれるまま、切り株の椅子に座ったアーヴィスは、困惑した様子で言いました。

「い、いや、だから僕、帰らなくちゃいけなくて……。というか、あの人、大丈夫なんですか?」

 倒れたアルルゥの方を指差して、サシャータに訴えます。
しかしサシャータは、アルルゥの首なし死体の方など見もせずに、茶を注いだカップを押し付けてきました。

「大丈夫よぉ、アルルゥは不死身だもの。そんなことより、さぁ、飲んで? 私が淹れたのよ」
 
 強引に口元に近づけてくるので、アーヴィスは、仕方なくカップを受け取りました。
しかし、その時。
視界の端で、アルルゥの死体がむくりと起き上がったので、アーヴィスは、驚いてカップを落としそうになりました。

 椅子に座り直したアルルゥの死体が、激しく燃え出し、真っ赤な炎に包まれます。
そして、その炎が再び人の形を象ったかと思うと、サシャータに吹き飛ばされたはずの首は、元に戻っていました。

「飲まない方が良い。サシャータにまともな茶が入れられるとは思えん」

 何事もなかったかのように首をこきこきと回して、アルルゥが言います。
サシャータは、ぷっと頬を膨らませました。

「心外だわぁ! 私だってお茶くらい普通に淹れられるわよぉ!」

 ティースプーンをアルルゥに投げつけて、サシャータが憤慨します。
サシャータの気が反れている隙に、そっとカップを食卓に戻すと、アーヴィスは、アルルゥの方を向きました。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.175 )
日時: 2019/02/21 19:37
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


「……あの、やっぱり貴方たちは、人間じゃないですよね? ここは、不思議の国だと言ってましたけど、サーフェリアからはどれくらい離れた国なんでしょうか?」

 アルルゥは目を細めると、アーヴィスを見つめ返しました。

「そう焦らずとも、帰れないということはないだろう。方法はいくらでもある。なんなら、俺様を送り届けてやってもいい」

「本当ですか!」

 表情を明るくしたアーヴィスに、しかし、アルルゥは言いました。

「もちろん、ただではないがな。そうだ、お前の心臓をよこせ。心臓を渡せば、お前を元の国へ帰してやろう」

 アーヴィスは、ぎょっとして瞠目しました。

「そ、それは困ります……。心臓なんてあげたら、帰るどころか、死んじゃうもの」

 アルルゥが、つまらなさそうに鼻を鳴らします。
ですが、ふとアーヴィスの耳元を見ると、その鋭い歯を見せて、にやっと笑いました。

「では、その耳飾りでも良いぞ。見たところ、ただの石ころで出来ているわけではなさそうだ。俺様が一番好きなのは血の赤だが、その赤も嫌いじゃない」

 アーヴィスの左耳で、緋色の耳飾りがきらりと光ります。
アーヴィスは、首を左右に振ると、困った様子で眉を下げました。

「これも、大事なものだからあげられないよ。今はお金もないし、髪の毛のさきっちょとかじゃ駄目ですかね?」

 アルルゥは、呆れたようにため息をつきました。

「馬鹿め、そんなちんけな代償で俺様を動かそうなどと。それに、精霊族は黒髪が嫌いなのだ。心臓か、耳飾りか……ああ、その目でもいいな。銀色の目……希少な良い色だ」

 顔を近づけてきたアルルゥが、鋭い爪をアーヴィスの目に伸ばしてきます。
まさか、このまま目を抉りとろうとでも言うのでしょうか。
アーヴィスが、慌てて身を引こうとした、その時でした。

 背後の森が激しく揺れたかと思うと、突如、木々の間から、巨大なミミズのようなものが飛び出してきました。
人間一人くらい、容易く飲み込めそうなほど巨大なそれは、ミミズのようでしたが、ミミズではありません。
ぽっかりと穴のように開いた口には、不揃いな牙がぎっしりと並び、咆哮をあげながら、アーヴィスたちに襲いかかってきます。

 アルルゥとサシャータは、舌打ちして、同時に飛び上がりました。

「やだぁ、きもちわるーい!」

「お前も死にたくなけりゃあ逃げな。あいつは厄介だ」

 それだけ言って、二人はさっさと飛んでいってしまいます。
逃げろと言われても、アーヴィスは、サシャータたちのように飛ぶことができません。
咄嗟に走り出しましたが、その巨体で木々をなぎ倒しながら突進してくる巨大ミミズの速さには、到底敵いそうもありませんでした。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.176 )
日時: 2019/10/04 18:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 全身の毛が逆立つような咆哮を背に受けながら、アーヴィスは、必死に足を動かします。
しかし、巨大ミミズの鋭い牙は、凄まじい勢いで後ろに迫っていました。

(食われる……!)

 アーヴィスが死を覚悟した──その、次の瞬間。
鈍い音がして、巨大ミミズの白く光る牙が、折れ飛びました。
空気が震えるような打撃音と共に、巨大ミミズが倒れ、押し潰されて飛び散った木々の小枝が、雨のようにアーヴィスに降り注ぎます。
思わず地面にうずくまったアーヴィスが、再び顔をあげたときには、巨大ミミズは、びくびくと痙攣しながら土の上でのたうっていました。

 腰を抜かしたアーヴィスが、呆然と目の前の光景を眺めていると、ふと、巨大ミミズの影から、棍棒を携えた金髪の女が、ひょっこりと姿を現しました。
先程話したサシャータやアルルゥに比べれば、人間に近い容姿をしていましたが、尖った耳や神秘的な瑠璃色の瞳を見る限り、彼女もまた、精霊族のようです。

「ありゃ、力加減まちがえたかなぁ……」

 ぶつぶつと独り言を言いながら、女は、何の躊躇いもなく巨大ミミズに触れます。
そして、その体毛をぶちぶちと引き抜いては、腰に下げた麻袋に詰め込み始めました。

 口ぶりからして、彼女がこの巨大ミミズを棍棒で殴り倒したのでしょうか。
鮮やかな金髪を揺らし、美しい顔立ちの女が巨大ミミズの針のような体毛を力任せに抜く姿は、なんとも言えない異様さがありました。

 女は、あらかた体毛を抜き終わると、ふいに振り返って、アーヴィスの方を見ました。
しばらくは、黙ってアーヴィスのことを見つめていましたが、やがて、はっと目を見開くと、女はアーヴィスの身体に触れて、叫びました。

「人間!?」

 巨大ミミズの体液がついた手で、アーヴィスの身体をべたべたとまさぐってきます。
アーヴィスは、引き気味に笑むと、立ち上がって女から距離を取りました。

「あ、はい、そうです……人間のアーヴィスと言います……。助けてくれて、ありがとうございます……」

 女は、ぱちくりと目を瞬かせて、アーヴィスの顔を見上げました。

「すごーい! あたし、人間を見たの初めてだよ! どうしてここにいるの? ここは精霊族の棲む不思議の国だよ?」

「み、みたいですね……」

 興味津々といった様子で話しかけてくる女に、曖昧に頷きます。
女は、近くで見てみると、思ったよりもあどけない、子供のような純粋な瞳をしていました。
しかし彼女は、棍棒一本で、自分の何倍もある巨大ミミズを殴り倒した女です。
得体の知れない相手ではありますが、見た目以上に強大な力の持ち主なのだろう、ということは明白でした。
この機会を逃したら、次にいつ、話の通じる精霊に出会えるかも分かりません。
アーヴィスは、女にも助けを求めることにしました。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.177 )
日時: 2019/10/10 19:12
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 不思議の国に来るまでの経緯を話すと、ビビと名乗ったその女は、特に驚くこともなく、すんなりと話を受け入れてくれました。

「ふぅーん、トートを追いかけてきたら、迷いこんだねえ……」

 ふむふむと頷きながら、ビビは、なにやら考え込んでいる様子です。
アーヴィスは、ビビの口ぶりに、少し驚いたように尋ねました。

「貴女も、トートさんのこと知ってるんですか?」

 ビビは、こくりと頷きます。

「うん、知ってるよ。ていうか、この国の精霊なら、みーんな知ってるんじゃないかな。トートは、国王に仕える《時の創造者》の一人なんだ。君がさっきまで一緒だったっていう、アルルゥとサシャータも、そうだよ」

「ときの……?」

「そう。まあ、それなりの権力者だよ!」

「そ、そうなんですか……」

 権力者と聞いて、改めて、アルルゥとサシャータのことを思い出してみます。
首が飛んでも生きている男や、全裸で浮いている女、そして兎耳のおじさんが権力者だなんて、この国の行く末がなんとも気になるところです。
今、目の前にいるビビも含め、決して悪い精霊ではないようですが、やはりここは、不思議という名にふさわしい国なのでしょう。

 やがて、ぽんっと手を打つと、ビビが口を開きました。

「よし! じゃあ、あたしが君をトートに会わせてあげるよ! 君が元いた国のことは分からないけど、トートに着いていって迷いこんだってことは、トートなら道を知ってるってことだもんね。彼なら、多分お城にいると思うんだ。だから、あたしがお城まで案内するよ!」

「えっ、お城!?」

 アーヴィスは、森を抜けた先にそびえ立つ、靄のかかった荘厳な城を見上げました。
どこか神々しい雰囲気を放つその城は、巨大すぎて、まるで絵画のように空に溶け込んでいます。
今まで意識して見ていませんでしたが、ビビの言うお城というのは、やはり、あの大きなお城を指しているのでしょうか。
アーヴィスは、思わず息を飲みました。

「……お、お城って、その、この国の王様や重役の精霊たちが揃ってるんですよね? そんなところに、僕みたいな部外者が行って、大丈夫なんですか?」

「うーん、大丈夫じゃないかなぁ?」

 不安げなアーヴィスに対し、ビビは、あっけらかんと答えました。

「そもそも、君がこの国に来たことは、もう城のほうに筒抜けだと思うんだよね。この森の木々は、みーんな王族の支配下にあって、常に周囲を監視してるんだ。それで、少しでも異常があったら、全部お城に報告するの。君みたいな余所者が来たことも、当然見逃しはしないから、今頃お城に連絡が行ってると思うよ」

「えっ……」

 思わずぞっとして、アーヴィスは立ち並ぶ木々を見上げました。
相変わらず、この森の木々たちは、風もないのに、ざわざわと揺れています。
信じられない話ですが、監視されているのだと思うと、この森に来たときから、何か鋭い気配を感じていたことに、納得が出来ました。

 ビビは、続けました。

「あっ、でも、そんなに身構えなくて良いよ。今、国王は不在だし、代わってこの国を統治している王子が、私のお兄ちゃんなんだ。お兄ちゃんは甘いし単純だから、この国に侵入したことがばれても、事情を説明すれば許してくれると思う」

「お兄ちゃん!? えっ、じゃあビビさんって、この国のお姫様なの?」

 言ってから、ビビさんではなく、ビビ様の方が良かったのではないかと思い直して、口をつぐみます。
巨大ミミズの体毛をぶちぶちと引き抜くような女性が、この国のお姫様だなんて、正直信じられませんが、ビビに嘘をついている様子はありません。
ぽかんと口を開け、驚愕するアーヴィスに対し、ビビはけらけらと笑いました。

「やだなぁ、気持ち悪いから、ビビでいいよ。お姫様って言ったって、私、ほとんどお城には帰ってないし、今は実質家出状態なんだ。だから、気にしなくていいよ! さ、行こ行こー」

 アーヴィスの腕をぐいっと引っ張ると、ビビはそのまま、森の中を先導します。
他に宛もないので、案内されるまま、アーヴィスはビビに続くしかありませんでした。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.178 )
日時: 2019/10/15 18:48
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 不思議の国の王城を目前に、アーヴィスは、愕然としました。
切石で造られたその王城は、悠然とした佇まいを以て、まるで訪問者を拒むかのように、重々しくそびえたっています。
しかしながら、アーヴィスが圧倒されたのは、王城本体というよりも、その背後に立つ大樹の存在でありました。
雲を突き抜け、天を穿つほどの巨大な大樹が、まるで王城を護るように、立ちはだかっているのです。

 城前に広がる庭園には、整えられた白薔薇の蔓壁が、迷路の如く立ち並んでいました。
王城を幾重にも囲む柵は、近く見てみれば、ただの茨(いばら)でしたが、どうしてか、鋭い鉄柵よりも強固で、近寄りがたく見えます。
王城は、決して侵入者を許すまいとする固陋(ころう)な空気を漂わせていましたが、それは、恐ろしさや圧迫感から来るものではなく、むしろ、清らかで神聖なあまり、踏み行ってはならない領域のように感じるのでした。

 抜け穴を知っているからと張り切るビビに連れられ、アーヴィスは、城前の広大な庭園に入り込みました。
鼻が痛くなるほどの澄んだ空気に、微かに混じる甘い匂い。
眼前を覆い尽くす白薔薇の蔓壁に気圧されて、改めて、自分は奇妙な世界に迷い込んでしまったのだと痛感しました。

 迷路を抜けている途中、びっしりと咲く白薔薇の花弁を前に、ぼんやりと佇む一人の精霊を見かけました。
背丈はアーヴィスの腰程までしかなく、全体的にふくよかな体型をしていますが、顔だけは痩せこけた老爺のように、げっそりとしています。
また、その手には、何故か桶一杯の赤い塗料のようなものが握られていました。

 彼から漂う悲壮感に、何事かと足を止めると、ビビが先立って声をかけました。

「あれ、ミドロ? こんなところでどうしたの?」

 びくりと、ミドロと呼ばれた精霊が顔をあげます。
ミドロは、ビビを見ると、みるみる泣きそうな表情になって、すがるように近寄ってきました。

「これはこれは、ビビ様……ご無沙汰しておりますだ。実は、おら、大変なことをしてしまいまして……どうしたら良いか……」

 消え入りそうな声で言って、ミドロは、その場にへたりこんでしまいます。
めそめそと泣き出してしまった彼を、放置していく訳にもいかないので、アーヴィスとビビは、事情を聞くことにしました。

 ミドロは、この王城の庭師を勤める、花の精霊でした。
魔術を使い、様々な植物で庭園を彩るのが仕事ですが、この月は、王子アイアスからの命令で、白薔薇を一面に咲かせました。
しかし、後になってから、白薔薇ではなく、赤薔薇を咲かせるように命令したはずだと、アイアスが怒り出してしまったのです。

 白薔薇の花弁を、今すぐ赤色に塗り替えるようにと塗料を渡されたものの、塗料なんて塗ったら、白薔薇はきっと枯れてしまいます。
ですが命令を拒めば、どんな罰を受けることになるか分かりません。
それで、思い悩んだミドロは、かれこれ半日以上も、庭園に立ち尽くしていたのだと言うのです。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.179 )
日時: 2019/10/18 17:40
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


 この話を聞くと、ビビは、怪訝そうに首をひねりました。

「うーん……なんか、信じがたい話だなぁ。確かに、お兄ちゃんってちょっと馬鹿っぽいところあるけど、絶対に嘘をついたり、誰かを騙したりするような精霊(ひと)ではないもん。それ、お兄ちゃんに直接言われたの?」

 疑っていると言うよりも、疑問に思っている様子で、ビビが尋ねます。
ミドロは、うつむいたまま、暗い声で答えました。

「いいえ、直接言われたわけではないです。殿下が白薔薇をお望みだと、おらに教えてくれたのは、別の精霊で……」

 ミドロの返答に、アーヴィスとビビは、ちらりと目を合わせます。
アーヴィスは、躊躇いがちに言葉を選ぶと、口を開きました。

「ミドロさんの話だと、単純に考えて、その……仲介した精霊が、白薔薇と赤薔薇を間違えて伝えちゃった、ってことになりますけど……」

 あるいは、意図的に騙したか──とは、あえて言いませんでした。
ミドロの落ち込んだ顔を、じっと見つめます。
まだ会って間もない相手ですが、ミドロは、他人を根拠もなく疑えるような者ではないのだと、アーヴィスには分かりました。

 能天気なようでいて、案外、ビビも気が遣えるのでしょう。
ビビは、歯を見せて笑むと、ぽんっとミドロの肩を叩きました。

「まあ、そんなに落ち込むことないよ! ミドロは、長年この城に勤めてくれてる精霊だもん。お兄ちゃんだって、頭が冷えたら、ミドロを罰しようなんて考え、取り下げてくれるよ。伝え間違えたのが誰かなんて分かんないし、まずは、お兄ちゃんからの命令をミドロに伝えた子と、話をしてみよう。その精霊、誰なの?」

「そ、それは……」

 ミドロが口を開こうとした、その時でした。
風が一斉にざわめきだしたかと思うと、城の方から、数名の兵士たちに囲まれた、長身の精霊が姿を現しました。

月光を思わせるような長い金髪に、宝石のような瑠璃色の瞳。
綾織の外衣をなびかせ、音もなく歩を進めるその精霊は、ゆったりとした足取りで、こちらへと向かってきます。
ミドロは、びくっと飛び上がると、慌ててアーヴィスとビビを蔓壁の方に押しやりました。

「アイアス殿下ですだ! 早く、お二人とも隠れて下さい! ビビ様と話していたところなんて見つかったら、おら、どんな目に遭わされるか……!」

 有無を言わせぬ勢いで背を押され、アーヴィスとビビは、白薔薇の影に隠れます。
やがて、円状に取り囲むように兵が並ぶと、アイアスは、跪くミドロの目の前に立ちました。

「ミドロ、貴様……先刻、薔薇を赤く染めよと申したのが、聞こえなんだか? 直に王がご帰還なさるのだぞ」

 儚げな見た目とは裏腹に、芯の凍るような冷たい口調で、アイアスが言います。
ミドロは、額を地面に押し付けたまま、震える声で答えました。

「も、申し訳ございません! し、しかし、塗料なんて塗ってしまえば、これらの白薔薇は枯れてしまいますだ! そんな可哀想なこと、とてもおらには……」

「黙れ!」

 アイアスの怒号と共に、周囲の蔓壁が、横真っ二つに裂けました。
アーヴィスたちの頭上にも、風切り音が通って、散った白薔薇の頭が、次々と落下してきます。
あと少し、アイアスの放った風の刃がずれたら、落ちたのは白薔薇ではなく、自分たちの頭だったかもしれません。
アーヴィスは、思わず息を飲みました。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.180 )
日時: 2019/10/23 19:15
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


 縮み上がったミドロを睥睨し、アイアスは、鼻をならしました。

「出来ぬというなら、今すぐこれらの白薔薇を焼き払い、根ごと引き抜いてしまえ! 良いか、これは温情だぞ。一度私の命令を聞き違えた貴様に、挽回する機会を与えてやっているのだ。それでも聞けぬと言うなら、その首、今ここではねてやるぞ!」

 アイアスが勢いよく指先を動かすと、ミドロの頬に、しゅっと小さな傷が入ります。
恐怖に震えるミドロは、それでも懸命に唇を動かし、声を押し出しました。

「お、おらは……聞き間違えなど、していないです。確かに、白薔薇を咲かせるようにと聞いたんです。その……シャラレア殿から……」

 瞬間、その場にいた者達の視線が、一斉に一人の女精霊に注がれます。
アイアスの影から、忌々しそうにミドロを眺めていたその精霊は、白目のない深紅の瞳を光らせて、吐き捨てるように言いました。

「なんじゃ、おぬし。まさか妾が嘘を伝えたとでも? 随分と小賢しい真似を。そんなに庭師の座を奪われたくないか?」

 威圧的な態度に、ミドロは、戸惑った様子で口を閉じます。
シャラレアと呼ばれた精霊は、薔薇の花弁に似た薄紅のスカートを持ち上げると、アイアスの前で恭しく礼をしました。

「殿下、申し上げます。やはりこの田舎者は、城の庭師に相応しくありませぬ。庭園を彩り、城全体を華やかに染め上げるのは、我らのような高貴な一族の者が勤めるべきでございましょう。そもそもがミドロ殿は、雑草のように踏みつけられるだけの、哀れでみすぼらしい一族の出。その上、嘘までつくとあれば、救いようがありませぬ。温情で城に置いてもらっていたというご恩を、あの愚か者は無下にしたのです。即刻首を跳ねるべきではないでしょうか?」

 真っ青になったミドロを一瞥し、シャラレアは、不敵に笑います。
再度反論をしようとしたミドロに、アイアスは、ため息混じりに言いました。

「ミドロ……そなたは父上とも旧知の仲。私とて、お前を罰しようなどと考えたくはない。だが、我ら精霊王の一族は、いついかなるときも、公平で正しくあらねばならぬのだ。罪を犯した者には、厳正なる罰を。それがこの国の決まりだ」

「そ、そんな……」

 絶望のあまり、ミドロの細い目から、涙が溢れ出します。
そのとき、息を潜めて隠れていたはずのビビが、突然、蔓壁から飛び出しました。

「ちょっとお兄ちゃん! さっきから聞いてれば、どうして一方的にミドロばかり責めるのさ。ミドロは、嘘なんてついてないって言ってるじゃん! 公平だって言うなら、こっちの意見も聞いてよ!」

 ぷんぷんと肩を怒らせて、ビビはミドロの横に並びます。
アーヴィスは、咄嗟に彼女を止めようとして、同じく蔓壁から歩み出ました。
ビビは、この国の王子──アイアスと兄妹だと言っていましたが、何しろ、咲かせる花を間違えただけで、打ち首を命じるような王子です。
いくら妹とはいえ、振る舞い次第では、彼女も無事では済まされないかもしれません。

 しかし、アーヴィスの予想に反して、アイアスは、途端に目の色を変えると、ビビに駆け寄りました。

「ビビ! お前……城に帰ってくる気になったのか! 良かった、心配していたのだぞ……!」

 感動した様子で涙ぐみ、アイアスは、ビビを抱き締めようと、ばっと両腕を広げます。
その腕を、素早く押し退けると、ビビはシャラレアの方を見ました。

「君! 本当にミドロには、赤薔薇を咲かせるようにって伝えたの? 絶対絶対、ぜーったい?」

 シャラレアのこめかみに、青筋が立ちます。
怒りをこらえるように息を吸うと、シャラレアは、ビビに頭を下げました。

「……これはこれは王女様、お初にお目にかかります。どうやら、このシャラレアをお疑いのようですが、何を根拠に仰っているのか理解しかねます。ほとんど王城にいらっしゃらない貴女様は、ご存知ないかもしれませんが、このシャラレアも、そこにいるミドロ殿と変わらぬ年数、陛下に仕えてきた身でございます。加えて、由緒正しき赤薔薇一族の出。どちらが信頼に値する家臣なのか、一目でお分かり頂けませぬか?」

 ビビは、むっとした顔で、腕を組みました。

「信頼できるかどうか判断するのに、出自は関係ないでしょ! この城の庭をずーっと守ってきたのは、ミドロなんだよ。荒れた土地を耕して、ここまで立派な庭にしたのも、全部ミドロなの! 別に君が嘘をついてるって決めつける気はないけど、君のたった一言でミドロが打ち首になるなんて、そんなの納得できない!」

 掴みかかるような勢いで、ビビはシャラレアに詰め寄ります。
どうすればよいか分からず、しばらく右往左往してたアーヴィスでしたが、ビビがシャラレアを今にも押し倒しそうだったので、流石にまずいと止めに入りました。

「ビ、ビビ……とりあえず穏便に、穏便に……。落ち着いて話そうよ……」

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.181 )
日時: 2019/10/26 19:25
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



──と、その時でした。
不意に、背後から怒号が聞こえてきたかと思うと、突然、頬に熱い衝撃が走り、アーヴィスは吹っ飛ばされました。

「貴様は誰だぁぁああっ!」

「──ぐえっ!?」

 叫びながら、アーヴィスを力一杯殴り飛ばしたのは、眉をつり上げたアイアスです。
一瞬、何が起こったか理解できず、頬を押さえたまま地面に転がっていたアーヴィスは、アイアスの方を振り返って、震え上がりました。
整った顔をくしゃくしゃに歪めたアイアスが、間髪いれず、馬乗りになってきたからです。

「貴様っ! さては不法入国者だな!? 人間の分際で、ふざけるなよ! 我が妹を呼び捨てにしていいのは、私と父上だけなのだぞ!」

「えっ、ええ? ちょっ、ちょっと待って下さいっ」

 殴られたまさかの理由に、アーヴィスは困惑が隠せません。
言い訳をする間もなく、アイアスは、再びアーヴィスを殴ろうと拳を振り上げますが、そんな彼を、今度はビビが蹴り飛ばしました。

「今は名前のことなんかどうでもいいでしょ! お兄ちゃんの馬鹿!」

 舗装された庭道に、アイアスは顔面から突っ込みます。
慌てて駆け寄ってきた兵に支えられ、アイアスはゆらゆらと起き上がると、やがて、両手を天に翳し、言い放ちました。

「ええいっ、こうなったら裁判だ! 裁判だーっ!」

 彼の声に呼応して、白薔薇がまるで蛇のようにうねりだしたかと思うと、そのトゲだらけの蔓で、アーヴィスとミドロを絡め取りました。
同時に、庭園の風景が、みるみる朧になっていきます。
目を閉じ、恐る恐る開くと、いつの間にか、アーヴィスたちは城内の王座の間へと移動していました。

 アイアスが王座につき、広間の中心には、薔薇のいばらできつく縛られた、アーヴィスとミドロが立たされています。
その周囲を兵が固め、二人を逃すまいと厳重な体制で目を光らせており、ビビとシャラレアは、王座から一段低い、下座に控えていました。

「これでは埒があかぬ! 処罰を下す前に、ビビの言う通り、ミドロの言い分も聞こうではないか。何か言いたいことがあるならば、この場で申してみよ! ただし人間、貴様は死刑だ!」

「ええっ……」

 指差しで死刑宣告をされ、アーヴィスは、思わず非難の声をあげました。
ただサーフェリアに帰りたいだけなのに、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
逃げようにも、少しでも身じろぎをすれば、身体を縛る薔薇のいばらが、じくじくと食い込んできます。
アーヴィスは、がっくりと肩を落としました。

 ミドロは、アイアスを見上げると、おずおずと口を開きました。

「お、おらは……誓って、嘘はついてないですだ。確かに、シャラレア殿から、白薔薇を咲かせるようにと聞いたのです。おらは、名もないような一族の出ですが、だからこそ、ずっと精霊王のお庭を任せてもらえていることを誇りに、嬉しく思っています。意図的に花を間違えて植えたり、期待を裏切ろうなんてこと、今更するはずがないです……」

 弱々しい口調で言って、ミドロは、祈るように礼をします。
アイアスは、ふむ、と一拍置くと、今度はシャラレアに言葉を促しました。

「妾とて、嘘などついておりませぬ。そんなこと、する理由がないではありませんか。ミドロ殿のような、日陰者の一族であれば、妾の生まれに嫉妬し、貶めてやろうと考えるのも頷けます。しかし、妾がミドロ殿を貶めたところで、なんの得もないではありませぬか。そんなことせずとも、差ははっきりしているというもの」

 シャラレアの嫌みったらしい言い方に、今度はビビが眉を寄せました。

「なんでそういう、意地悪な言い方しか出来ないかなぁ? だから、生まれは関係ないって言ってるじゃない。問題なのは、意図的だったにせよ、そうじゃなかったにせよ、誰が赤薔薇と白薔薇を間違えたのかってことでしょ? ねえ、お兄ちゃん!」

 ビビから投げ掛けられて、アイアスは、悩ましげに唸ります。
ミドロとシャラレア、二人を交互に眺めながら、アイアスは嘆息しました。

「赤薔薇は、愛と美を司る高貴なる花……。私は確かに、シャラレアに赤薔薇を咲かせよと伝えたのだ。庭の整備は、ミドロに任せていたが、シャラレアは元が赤薔薇の精霊だからな。うまく協力すれば、一層美しく咲くと思い、二人に声をかけたのだが……」

 言葉を濁して、アイアスは、再度ため息をつきます。
ミドロもシャラレアも、頑として嘘はついていないと言い、その真偽を確かめる術がない以上、思い込みでどちらかを裁くことは出来ません。

 最初は、ミドロが単に聞き間違えたのだと思っていたので、彼が白薔薇を抜き、赤薔薇を植え直せば、その罪を許すつもりでした。
しかしミドロは、白薔薇を枯らしたくないと言って、アイアスの言うことを聞きません。
だからといって、今、決めつけでミドロを裁けば、最愛の妹であるビビに嫌われてしまいそうです。
冷静沈着な王子を装ってはいますが、妹を溺愛しているアイアスにとって、ビビに嫌われることは、死活問題でした。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.182 )
日時: 2019/10/29 19:27
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 思い悩むアイアスを見て、ミドロは、決心したように土下座をすると、進言しました。

「アイアス殿下……恐れながら、白薔薇のままではいけないでしょうか」

 全員の視線が、ミドロに向きます。
顔をしかめたアイアスに、ミドロは、まっすぐに言葉を投げ掛けました。

「白薔薇だって、赤薔薇に負けず劣らず、美しい花だとおらは思います。そんな白薔薇たちを、折角咲いたのに枯らすなんて、したくありませんし、そんなことをするくらいなら、首を切られても良いと思っています」

 ミドロは、シャラレアを一瞥して、続けました。

「おらは、嘘はついていません。ですが、シャラレア殿も嘘をついていないと言うなら、きっと、誰も嘘はついていないのだと思います。もしかしたら、おらが赤薔薇と白薔薇を、聞き間違えたのかもしれません。シャラレア殿が、うっかり言い間違えたのかもしれません。真実は、知りようがないです。それでも、どちらかに罰を与えなければならないと言うなら、おらが受けます。何が原因だったにせよ、庭を預かっていたのはおらで、殿下のご要望を叶えられなかったことは、庭師としての恥です。ただ、長年仕えさせて頂いた、そんな老いぼれの言い分に耳を貸してくださると言うなら、どうかあの白薔薇たちは、寿命を迎えるまで、生かしてあげてください。どうか、お願いします」

「…………」

 重い沈黙が、広間に下りました。
アイアスも、兵士たちも、どこが罰の悪そうな顔をして、口を閉ざしています。
ややあって、ビビはふうと息を吐くと、アイアスを睨みました。

「これでもミドロを打ち首にするっていうなら、あたし、お兄ちゃんと絶縁するよ」

「う、うぬ……しかし」

 戸惑った様子で、アイアスが口ごもります。
彼にはもう、ミドロを殺してしまおうという強い意思はないように思えましたが、散々騒いだ手前、発言を完全撤回するのには抵抗があるようです。

 皆が言葉を濁す中、シャラレアは、拳をぶるぶると震わせると、鋭い声で叫びました。

「ミドロおぬし! 同情を誘うような台詞を吐いて、殿下を惑わせようなどと、なんと愚かな! 自分が哀れだとでも言うつもりか? 言っておくがな、被害を受けたのは妾の方じゃぞ! グレアフォール様の神聖なお庭を、あんな色味のない薔薇まみれにしおって……!」

 シャラレアの興奮ぶりに、驚いたのでしょう。
アイアスは、なだめるように返しました。

「落ち着け、シャラレア。お前の言い分は分かるが、そのように激昂せずとも、どのみちそなたを罰しようとは思っておらん」

「いいえ! それでは腹の虫が収まりませぬ!」

 シャラレアは、呼吸荒くしながら、アイアスに向き直りました。

「殿下! そもそも、あのような下賎の一族が、王族に仕えていること自体がおかしいのです! まして、下位の使いに甘んじているならまだしも、庭師の座に何年も居座るとは……! 故意だったのか否かに関係なく、殿下のご命令とは違う花を植えた以上、せめて地位の剥奪くらいせねば、ミドロ殿が付け上がるばかりです! いずれ、妾以外にも害を為すようになりまするぞ!」

 眼光鋭くミドロを睨み付け、シャラレアは、捲し立てるように怒鳴り続けます。
アイアスもビビも、そしてミドロも、彼女の剣幕に圧倒されて、物が言えぬようでした。

──と、そのときです。

「あ、あの……一つ、いいですか?」

 不意に、ミドロの横で、小さく声が上がりました。
声の主は、アーヴィスです。
集まった視線に、どこか恥ずかしそうに口ごもると、アーヴィスは、シャラレアを見つめました。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.183 )
日時: 2019/11/01 17:57
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



「話を遮っちゃって、ごめんなさい。ただ、ちょっと気になることがあって……」

「気になること?」

「はい。その……大したことじゃないんですけど……。さっきからシャラレアさんが言ってる“被害”って、一体なんのことかなぁって思いまして……」

 シャラレアの目が、怪訝そうに細められます。
向けられた敵意に、アーヴィスは慌てて首を振って、言い募りました。

「あっいや……僕、部外者だから、あんまり突っ込んだことを言うのは気が引けるって言うか、申し訳ないんですけど……。その、ミドロさんを殺そうなんて言い出すほど怒ってるみたいだから、一体どれほどの被害を受けたのかなぁって……」

 控えめな口調で言いながら、アーヴィスは、シャラレアの表情を伺います。
シャラレアは、そんなアーヴィスのことを、しばらく警戒したように眺めていましたが、やがて、彼の弱々しい態度を見て、気にするまでもないと思ったのでしょう。
ふんっと鼻をならすと、答えました。

「それはもちろん、誇りを傷つけられたのじゃ! 今回、城の庭園は妾にも託されていた。故に、赤薔薇を冠する我が一族の名誉と誇りにかけて、あの庭を美しく彩ろうと努力してきた。それをこいつが、白薔薇まみれに──」

「努力してきた? あの庭を管理してきたのは、ミドロさんなんですよね?」

 ぴくりと、シャラレアの眉が動きます。
彼女の言葉を遮り、微かに目を細めると、アーヴィスは言い募りました。

「赤薔薇を植えるように言われただけで、まだ植えてなかったんだから、貴女は何もしていないはずですよね? 貴女は、一体どんな努力をして、どう誇りを踏みにじられたんですか?」

 シャラレアの顔が、みるみる怒りで赤くなっていきます。
だんっ、と床を踏み鳴らし、ミドロを指差すと、シャラレアは声を荒げました。

「そ、それだけではない! そもそも、前々から目障りだったのじゃ! このように醜く、大した魔力も持たぬ精霊風情が、目に入るだけで不愉快というもの! この城に仕えて良いのは、精霊王に選ばれし由緒正しき血族のみだというのに!」

「……と、いうことは、ミドロさんは、王様に選ばれた一人だったってことなんじゃないんですか?」

「な、なんじゃと?」

 シャラレアが、髪を逆立てて怒鳴れば、気圧された様子で引くものの、アーヴィスは、決して反論をやめません。
言葉を詰まらせたシャラレアに、アーヴィスは、力の抜けるような笑みを向けました。

「その話の持っていき方は、苦しいですよ。本心は、そうじゃないでしょう? 貴女はずっと、ミドロさんのことが羨ましかったんだ。だから、その地位を貶めたくて、実害を受けたわけでもないのに、アイアス殿下に便乗して騒ぎ立てた」

 シャラレアの眉が、きっと吊り上がります。
ぴくぴくと口元をひきつらせながら、シャラレアも、負けじと笑い飛ばしました。

「はっ、羨ましい? 何故妾がそのようなことを思わねばならぬ。ミドロなど、妾の眼中にはない。グレアフォール様のお情けで、この森に置かれている下等な精霊……その程度の認識じゃ。いてもいなくても、そんなことはどちらでも良い」

 アーヴィスは、肩をすくめました。

「お情けで置かれているだけのはずなのに、庭園の管理を任されたのは、貴女ではなくミドロさんだった。どうしてなんでしょうね」

 途端、シャラレアの瞳の色が、薔薇の色から、血のようなどす黒い赤に染まっていきます。
その目には、あと少しでも触れれば、切れてしまいそうなほどの憤怒が揺蕩っていました。

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.184 )
日時: 2019/11/05 18:21
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 戸惑うミドロに視線を向けてから、アーヴィスは、シャラレアに頭を下げました。

「すみません、僕みたいな人間が口を出して、貴女を傷つけるつもりはないんです。ただ、このままだと真実がなあなあになって、ミドロさんが不当な扱いを受けてしまいそうだったから……そうなるくらいなら、と思って。貴女は、庭師の座が羨ましかったんでしょう? だから、ミドロさんに嘘をついたんですよね。赤薔薇を白薔薇と伝えて、ミドロさんが失態を犯すように仕向け、その地位から引きずり下ろそうとしたんです」

「うっ、うるさいうるさい!」

 シャラレアは、目を光らせて怒鳴りました。
まるで獰猛な獣のような目付きで、アーヴィスのことを睨み付けます。

「何故そんなことがお前に分かると言うのじゃ! でたらめを言うでない! 先程から聞いておれば、偉そうな口を叩きおって! 醜悪な人間風情が!」

 アーヴィスは、困ったように頭の後ろをかきました。

「うーん……分かるんですけど、なんて説明したら良いか。でもこれって、調べたらすぐにはっきりすることじゃないですか? ほら、だってこの国の木々は、その一本一本が精霊で、監視の役目を果たしているんでしょう?」

「それがなんだというのだ」

「うん、だから、彼らは聞けば、簡単に分かるはずですよね。シャラレアさんが、ミドロさんに嘘を吹き込んでいたのかどうか。……実際、このお城に来る途中で、僕、木の精霊たちから聞いちゃったんです」

「は!? そんなはずはない! 妾は、ちゃんと精霊たちを追い払って──」

 言ってから、シャラレアははっと口をつぐみました。
今まさに、ミドロに嘘をついたと言う証拠を、自分自身で吐き出してしまったと気づいたからです。

 真っ赤だったシャラレアの顔面が、どんどん蒼白になっていきます。
アーヴィスは、唖然としているアイアスに、にこりと笑みを向けて、言いました。

「──だ、そうですから、アイアス殿下。ミドロさんの打ち首に関しては、取り消して頂けますよね?」

 周囲の注目が、再びアーヴィスに集まります。
アーヴィスは、ようやく頷いたアイアスを見て、笑みを深めたのでした。



 無事に無罪を証明し、解放されたミドロは、涙ながらにお礼を言って、何度もアーヴィスに頭を下げました。
一方のシャラレアも、兵士に連れられて王座の間を出ていきましたが、牢に入れられるだけで、数日後には釈放されることになりました。
騙された張本人にであるミドロが、厳罰に処するほどの罪ではないと、シャラレアをかばったからです。
冤罪を晴らすためとはいえ、シャラレアを死刑にまで追い詰めるつもりはなかったので、その結果を聞いて、アーヴィスも、ほっと胸を撫で下ろしたのでした。

 アイアスは、兵士たちに持ち場に戻るように告げると、罰が悪そうな顔で、アーヴィスに話しかけてきました。

「その……すまなかったな。私も些か、冷静さを欠いていたようだ。貴様が止めてくれなければ、私はこの手で、ミドロの首を跳ねていたやもしれん」

 もごもごとした口調で、アイアスは謝罪します。
アーヴィスは、いばらに縛られたまま立ち上がると、首を横に振りました。

「い、いえ……こちらこそ、好き勝手発言してしまって、すみませんでした」

 遠慮がちに謝り返すと、横合いから、ビビがひょこりと顔を出しました。

「お兄ちゃんはともかく、君は謝ることないよ。ありがとね! あたし、ちっちゃい頃、ミドロにはよく遊んでもらってたし、もしこのままミドロが殺されちゃったらどうしようって、結構焦ってたんだ」

 アーヴィスは、肩をすくめました。

「ううん、そんな大したことはしてないよ。まあ、僕もついでに殺されそうな勢いで、焦ってたし……。ビビのお役に立てたなら、良かった」

 ビビの明るい笑顔につられて、アーヴィスも、思わず笑顔になります。
しかし、その実、時間が経つにつれ、身体に食い込んでくる茨のトゲが痛くて、だんだん余裕がなくなってきました。

 アーヴィスは、もぞもぞと身動ぎしながら、アイアスに向き直りました。

「あ、あの……ところで、この茨、そろそろとって頂いても良いですか……? なんか徐々にきつくなっているような気がして、痛くて……」

 アイアスが、不思議そうに瞬いて、首を傾げます。
アーヴィスが、真似をして首を傾げると、アイアスはふと真顔になりました。

「何を言っている。我が妹を呼び捨てにした罪は消えていないぞ。お前は死刑だ」

「……へ?」

 言われていることが理解できず、アーヴィスは硬直します。
アイアスは、構わずアーヴィスの頭をがしっと掴むと、そのまま腕に魔力を込め始めました。

「せめてもの情けだ、苦しまないよう、一撃
で逝かせてやろう」

「えっ!? ちょっ、ビビ! 助け──」

 ビビに救いを求めようとする声も虚しく、次の瞬間、アーヴィスの意識は、闇の中に落ちました。

 アーヴィスの全身は、まるで夜の海に放られたように、巨大な波に呑まれ、浚われるまま、みるみる流されていきます。
息ができず、苦しくて手を伸ばすも、掴めるものは、何もありません。
やがて、見えない力に引っ張られ、上へ上へと上がっていくと、その時、ようやく顔が水面から出ました。

「──ぷはっ!」

 飛び上がるようにして起きると、アーヴィスは、胸を押さえてよろめきました。
慌てて辺りを見回しますが、暗い海などなく、目の前に広がっているのは、広大な草原と、のんびりと草を食む牛たちの後ろ姿です。
アイアスもビビも、ミドロもシャラレアもいません。
アーヴィスは、放心したまま、ぱちぱちと目を瞬かせました。

(……夢?)

 自分の手のひらを見つめ、もう一度、目の前にいる草原と牛たちに視線をやります。
そういえば自分は、牛の放牧に来ていたのでした。
放牧中に、草の上に寝転がったら、なんだか眠くなって──それから、何があったのか。
いまいち、よく思い出せません。

 不意に近づいてきた牛の鼻面を撫でると、牛は、片足で地面をかき、頭を振って、アーヴィスの手を払いのけました。
どうやら、気にくわなかったようです。

(……なんか、すごい夢を見てた気がするなぁ)

 アーヴィスは、ふうっと息を吐くと、再び草の上に仰向けに倒れました。
思い出そうとすると、はっきりとは浮かびませんが、なんだか随分と長い夢を見ていた気がします。
楽しかったような、楽しくなかったような、そんな不思議な夢です。

 寝転がった拍子に、懐から、何かがこぼれ落ちました。
じゃらりと、金属の擦れるような音がして、それは地面に落下します。
手探りで拾い上げ、それが金の懐中時計であったことに気づくと、アーヴィスは、大きく目を見開いたのでした。



………………


 ツインテルグ編の主人公、アーヴィスとビビを引っ張り出してきたパロディものでした。
ツインテルグに関しては、まだほとんど本編で触れてませんので、登場人物みんな誰だよって感じですよね(笑)
私が単にアーヴィスってこんな子だよっていうのを書きたくて、外伝に載せてみただけです。
読者さん置いてけぼりで申し訳ない(^_^;)

 次はジークハルトとアレクシアの話か、アラン(サミル兄)とシルヴィアの話あたりでも書こうかなーと思います。
とりあえず、サーフェリア下がきりのいいところまで行ったら。
あと、こんなところでなんですが、サーフェリア下が銀賞頂きました!
いつもありがとうございます(*^^*)

ではでは、またの機会にー!