複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.188 )
- 日時: 2021/03/03 20:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
サミル・レーシアス
サーフェリア編上巻:47〜53歳 下巻:60歳
後にサーフェリア国王となるサミル・レーシアスが、アーベリトの12代目領主に就任するまで、一体どのような人生を歩んできたのか。その経歴を知る者は、ほとんどいない。なぜなら、若い頃の彼は、一箇所に止まらぬ奔放な生活をしていたからだ。
サーフェリア歴1252年、初代領主ドナーク・レーシアスの慈善活動の功績が認められ、時の王に爵位を授けられたレーシアス家。彼らが治める医療都市アーベリトは、いつの時代も資金繰りに悩まされ、長年苦汁を舐め続けてきた。レーシアス家は、元が平民出であることから、他貴族からの風当たりが強く、また、彼らの先進的すぎる医療技術は、当初世間に受け入れられづらかったためである。故にレーシアス家は、唯一融資を申し出ていた王都シュベルテからの資金援助を切られぬよう、慈善事業を続ける傍ら、常に限られた期間、予算の中で医療魔術の研究成果を上げてこなければならなかった。そんな凄まじい重荷を背負わされ、潰れてしまった医術師も、歴代領主の中には多くいただろう。しかし、そんな周囲からの期待と重圧を跳ね除け、前例にないほど大きく名を挙げて見せたのが、11代目領主のアラン・レーシアス——サミルの兄である。アランは、20代の頃から次々と革新的な医療魔術を打ち出し、寝る間もなく研究に没頭して、王宮勤めの宮廷医師ですら匙を投げるような難病の治療法を、いくつも確立させた。まさに、医療魔術の先駆者と呼ばれるのに相応しい人物だったのである。
一方、弟のサミルは、研究分野ではほとんど無名の医術師であった。父に倣って勉学に励み、医術師という職に誇りは持っていたが、サミルは、兄のようになりたいとは思っていなかった。若い頃のサミルは、援助を打ち切られたくないという媚びるような気持ちで成果を出し、現場にも出ずに机に齧り付いていることが、医術師の本懐ではないように思えたのだ。勿論、研究者がいてこその現場であり、兄のアランが、不純な動機で研究を進めているわけではないことは分かっていた。むしろ兄は、誰よりも純粋な気持ちで医療魔術と向き合っているし、そんな兄を、サミルも慕っていた。ただ、兄のようなやり方は、自分には合わないと考えていたのだ。
幸いというべきか、父の期待は兄のアランに向いていたので、次期領主の候補から外されていたサミルは、動きやすい身の上だった。兄や師のダナは、サミルの性格を理解していたし、父もまた、腹痛や頭痛といった明らかな仮病で研究室に顔を出さなくなった不良息子のサミルには、構うだけ時間が無駄だと思ったのだろう。26歳の頃、突然屋敷を飛び出していったサミルを、引き止める者は誰もいなかった。
家を出て放浪していたサミルは、その後、軍医としてシュベルテの魔導師団に隊附勤務した。当時、シュベルテ周辺では内戦が頻繁に起こっていたが、その規模に対して、医術師の数、技術不足が深刻だったのだ。魔導師と共に戦場に赴き、負傷兵の治療をし続ける生活は、非常に過酷なものであった。だが、始めた当時は、これこそが医術師のあるべき姿で、自分の天職なのかもしれないとさえ思った。アーベリトで机上の医療魔術に取り組んでいる時よりも、確かに人を救っている感覚があったからだ。自分の手で命を助け、そして、終戦を迎えたその時には、少しでも多くの兵たちが家に帰れるように。その手伝いができているのだと思うと、戦場に行くことも恐ろしくなかった。
そうして、シュベルテに隊附勤務して2年、その後は独立して派遣軍医となったサミルは、各地を転々としながら戦場で働いていた。だが、ある時、ふと残酷な現実を突きつけられる。戦というものが、いつまで経っても終わらないとのだということに、気づいてしまったのだ。毎日どれだけの負傷兵を治療しても、必ずどこかで戦は起こり、奪われていく命に際限はない。繰り返し終わることのない渦中に、自分はいるのだと思うと、ほぞを噛むような虚しい気持ちになった。戦というのは、肉体だけでなく、人の心にも大きな傷を作っていく。苦痛に歪み、死んでいった人々の顔や、居場所を失くして呆然と彷徨う子供たちの顔。それらを見る度に、無力な自分に対する自責の念に駆られていたサミルの心にも、いつの間にか、大きな傷ができていたのだった。
派遣軍医としては一線を退き、戦争難民の保護活動にも着手し始めて、8年が経った36歳の頃。父の老衰死を聞き、サミルは、10年ぶりにアーベリトに戻った。父と兄のアラン、二人が築き上げてきたアーベリトは、10年前に比べると、見違えるほど栄えていた。当時、名だたる商会がこぞって使役していたリオット族が、生まれつき持っている遺伝病——リオット病の治療法をアランが確立させたことで、レーシアス家は、莫大な財力を得て、下流貴族を脱却していたのだ。
葬儀を終えたら、再びアーベリトを出ていこうと考えていたサミルであったが、父が亡くなったことで、アランはアーベリトの領主を継がねばならない立場になっていた。研究者として第一線を走らなければならないアランが、たった一人でアーベリトを治めるのは難しいだろう。寝食も忘れ、一心に研究に打ち込む兄の姿をみて、サミルは、アーベリトに残ることを決めた。思えば兄は、家のことなど顧みずに出ていった恩知らずの弟を「お前は外の方が向いているんだろう」と言って、笑って送り出してくれたのだ。アランは生粋の研究者気質だったので、机に向かい続けることを苦に思っている様子はなかったし、実際、彼は周囲からの期待に難なく応えられる優秀な医術師であった。しかし、それを理由に、若い頃のサミルは、兄に全てを背負わせて、自分はとっととアーベリトを出ていってしまった。そう考えると、今後の人生は、兄を支えることに費やすべきなのではないかという思いが、突き上げてきたのだった。
生活能力が皆無の兄に代わり、雑務をこなす日々が続いた、そんなある日。意外なことが起きた。度々王宮に通っていたアランが、当時の召喚師シルヴィア・シェイルハートに心奪われてしまったのだ。おそらく、私的には女性とほとんど関わったことがないであろう、研究一筋だった兄が、一人の女性に夢中になっている様は、正直空振ってばかりで、実に愉快であった。一方で、上手く行けば良いとも思っていた。相手が召喚師ともなれば、普通の家庭を築くことはできないだろうが、今までアランを椅子に縛り付けてきたのは、長くアーベリトを空けてしまった自分のせいでもあるのだ。これを機に、兄が人並みの幸せも掴めれば良いと、サミルは心から願っていた。
サーフェリア歴1474年、しかし、その願いは叶わなかった。シルヴィアがアランとの間に身籠った三人目の子供が、死産だと発表されたのである。その知らせを聞いたアランは、急ぎシュベルテに向かったが、その帰りに、落馬して亡くなった。誰も予期していなかった、呆気ない死であった。最終的に、事故死として片付けられたが、その遺体の損傷具合に違和感を覚えたサミルは、アランが呪詛により他殺された可能性を訴えたが、結局、その真相が確かめられないまま、次なる不幸が訪れる。シュベルテにて騒擾を起こし、南方のノーラデュースに迫害されていたリオット族に、リオット病の症状が戻っていたとして、アランの治療法が避難の的になったのだ。アランの死と治療法への糾弾、そして三人目の息子の死産——これらの背景に、シルヴィアがいるのではないかと疑ったサミルであったが、その訴えを通せるほどの発言力が、その時の彼にはなかった。たった一人残されたサミルの代で、レーシアス家は、再び没落したのである。
サミルの疑念が確証を得たのは、それから8年後のことであった。シュベルテの東にあるヘンリ村で、銀の髪と瞳を持つ少年が見つかったのだ。治療のためにアーベリトに回された、その少年を見た時、サミルは、間違いなく兄の子だと確信した。根拠はいくつもあった。年齢も、魔力の片鱗も、全て兄の子だと考えると、辻褄が合ったのだ。
その少年の怯えたような瞳に、アランの面影を見た時。途方とない愛おしさが、サミルの中に込み上げてきた。同時に、自分が守らなければ、と思った。後にルーフェンと名付けられるこの子は、召喚師一族として、いずれ戦場に立つことになるのだろう。あの、終わりのない憎しみと悲しみの渦中に——。そんなことは、絶対にさせたくなかった。
様々なものから、目を背け、諦めてきた人生であった。けれども、兄が遺していった、居場所のないこの子を守れるのは、もう自分だけなのかもしれない。そう思った瞬間から、サミルは、残りの人生をかけて、その子に寄り添っていくことを決心したのだった。
To be continued....