複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.22 )
- 日時: 2017/12/30 00:03
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
『忘却と想起の狭間で』
穏やかな風が、ふわふわと舞う薄桃色の花弁をさらった。
これまでずっと綺麗だと思っていたその光景が、今日は何故だか不快で仕方ない。
いつもは一杯に吸い込む花の香りも、べたべたと鼻にまとわりついて来るようで、ユーリッドは顔をしかめた。
ふと、背後から大きな影が伸びてきた。
その影は、自分と、自分の目の前にある墓標の影を全て飲み込んでしまうくらい、大きな影だった。
「君が、マリオスの息子か?」
「……はい?」
どこかで聞いたことのあるような、低くて力強い声だった。
ゆっくりとした動きで振り返ると、そこには屈強な鳥人の男が立っている。
「ふ、ふくだんちょ……っ、じゃなくて、団長!」
ユーリッドが慌てて敬礼すると、アドラは首を横に振った。
「今はまだ、マリオスが団長だ。私は正式には団長ではない。君は……確かユーリッドだったか?」
「あ、はい! ユーリッドです!」
緊張しながら、ユーリッドは精一杯声をあげて返事をした。
今年やっと十一を迎え、まだ雑用しか任されていないようなユーリッドが、まさか次期兵団長に声をかけられるなど、思ってもみなかったのだ。
アドラはユーリッドのそばまで歩み寄ると、その場に屈んで目の前にある墓標を指差した。
「この墓は、君が建てたのか?」
「はい、そうです。といっても、何か埋まってるわけではないので、ただの墓標ですけど……」
「そうか……」
太めの枝を十字にして建てただけの、ただの墓標。
ミストリア兵団、前団長であった父マリオスのものだったが、そこに埋められるものは何もなかった。
「遺体を持ち帰ることができなくて、本当にすまなかった……。マリオス団長が亡くなったあの日、私もその場にいたんだ。しかし、私の力では、どうにもならなかった……」
そう謝罪するアドラの存在が、突然小さく儚いものに見えて、ユーリッドは目を見開いた。
「私は、君の父君に本当に世話になっていたのだ。だから今日は、一人の部下として、礼を言いに来た。本当にありがとう。そして、すまなかった」
「い、いえ……」
ユーリッドは、何と返事をすればいいのか分からず、微かに俯いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.23 )
- 日時: 2016/08/24 13:39
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
父が死んだというのに、不思議と涙が出なかった。
死因も分からず、遺体も見ないまま、ただ「マリオス団長が殉職した」と聞かされただけだったから、まだ実感が沸いていないのだろうか。
それとも自分は、父の死を嘆けないほどに薄情だったか。
色々と考えを巡らせてみるも、結局しっくりとくる答えは見つからない。
ただ、そんな中で、一つだけ分かったことがあった。
それは、自分の中のマリオスが、思いの外曖昧な存在だということだった。
ミストリア兵団の団長を勤める父を、ユーリッドはずっと誇りに思っていた。
自分が兵団に入ったのも当然父の影響だったし、父のようになりたいと思っていたのも事実だ。
しかし、常に兵団にいた父と過ごした時間などほとんどなく、一体マリオスがどのような獣人だったのか、分からなかった。
それなら、自分は父のどこに憧れを抱いていたのだろう。
もしかしたら、団長という肩書きだけに抽象的な憧れを抱いて、ただ漠然と、曖昧な父を追いかけてきただけだったのかもしれない。
だから、本当は父のことをそれほど大切に思っていなくて、それで涙が出ないのか。
そう思うと、無性に自分に腹が立った。
「……俺、ひどいやつなんだ」
ぽつりと呟いてから、しまったと思った。
口に出すつもりなどなかったからだ。
「なぜ?」
「…………」
アドラに聞き返されて、ユーリッドは黙りこんだ。
言うつもりがなかったことだから、先の言葉が見つからない。
しかし、黙っているわけにもいかないと、ユーリッドは墓標に視線を落とし、口を開いた。
「……俺、父さんのこと誇りに思っていたし、目標にもしてました。でも今考えたら、父さんのどこに憧れてたのか、分からないんです」
アドラは口を閉じたまま、ただ俯くユーリッドを眺めていた。
「父さんみたいになりたいって、ずっとずっと思ってたはずなのに。俺、父さんのこと知らないんです。だから、自分でもひどいやつだって思うけど……父さんがいなくなったのに、大切なものを失ったように思えない。父さんのこと、全然思い出せないんだ……」
ユーリッドは、くしゃりと顔を歪めた。
それに対してアドラは、ふっと一つ息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
「……それで良い」
「え……?」
予想と違った答えに、ユーリッドは瞠目して、アドラを見上げた。
アドラは、無表情だった。
「我々兵士のすべきことは、召喚師様の手となり足となり、ミストリアのために戦うことだ。死者を悼むことではない。そうだろう?」
黙ったままのユーリッドの頭に、アドラはぽん、と手を置いた。
「我々には、いつまでも死者を思い、悲しみに浸っている暇はないのだ。その悲しみが、己の剣を鈍らせるというのなら尚更な。故に君の“ひどい”は、兵士としては、間違えではない」
落ち着き払った声音に、わずかに寂しそうな音が混じっているような気がした。
- Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.24 )
- 日時: 2017/08/22 12:29
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
アドラは、そのままユーリッドに背を向ける。
しかし、「……だが」という言葉と共に頭だけ振り返った。
「……君の父君は、本当に素晴らしい方だった。強く、勇敢で、いつも君のことを気にかけていたよ」
「……父さんが?」
わずかに震えた声で聞き返すと、アドラは深く頷いた。
それから、再び前を向いた。
「君も私も、他の皆も、これからマリオスを過去のものとして忘れていくのだろう。しかし、君にこれだけは覚えていて欲しい」
「…………」
「父君は、君の尊敬に値するお方だった」
それだけ言って歩き始めたアドラの背を、ユーリッドが追いかけようとしたとき。
ふと、強く風が吹いた。
「あ……」
ふわふわと、薄桃色の花弁が舞う。
それらがまるで渦のようにアドラを取り囲んで、そのまま彼を飲み込んでしまいそうだった。
「副団長……!」
ユーリッドが叫ぶと、アドラが振り向いた。
踊る花弁に隠されて表情は窺えないが、その嘴(くちばし)が、言葉を紡いだように見えた。
しかし、風の音でその声は聞こえない。
「ありがとうございます……っ、父さんのこと……!」
アドラは、寂しげに笑った。
そしてもう一度、その嘴が動く。
けれど、あの穏やかな低い声は、やはり風の音で聞こえなかった。
「団長……!」
追いかけなければと強くそう思ったが、走っても走っても、何故か前に進めなかった。
その一方で、花弁は意思を持っているかのように、どんどんとアドラを包み込んでいく。
このままでは、アドラがどこか遠くに拐われていってしまうような気がした。
——団長、待って……!
——消えないで……!
「────アドラ団長……っ!」
「──ん……くん、ユーリッドくん!」
「あっ……!」
びくりと跳ね起きると、甘い花の臭いが鼻孔にまとわりついた。
同時に、腕に草がいくつか付着しているのを見て、自分が草の上に寝ていたことに気づく。
どうやら、外で眠っていたらしい。
夜の冷たい空気にぶるりと身を震わせて、汗のにじむ額を拭いながら、ふと横を見た。
そこには、銀髪の青年がこちらの様子を窺いつつ、座り込んでいた。
その掌では、薄桃色の花弁が弄ばれている。
「……ルーフェン……」
「おはよ。大丈夫ー? すごいうなされてたけど」
(……あ、夢か、さっきの)
うなされてた、という言葉でそう自覚して、ユーリッドは脱力したように、再び草の上に大の字になって倒れた。
「……ルーフェン。なんで、ここにいるんだ?」
寝込む前は自分しかいなかったのに、という意味を込めて尋ねると、ルーフェンは掌の花弁を見たまま答えた。
「んー? そりゃあ、ここ俺の家の前だし? あとファフリちゃんが心配してたから、探しに来た」
「……ファフリが?」
「うん。ファフリちゃんは今、夕飯作ってて、手が離せないってさ」
「……そうか」
ユーリッドは、ふうっと息を吐いて、小さく返事をした。
- Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.25 )
- 日時: 2017/08/22 12:39
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
それ以降、ルーフェンは何も言わなかった。
てっきり、なぜうなされていたのかと聞かれると思ったが、そのつもりはないらしい。
単に興味がないだけという可能性もあるが、ルーフェンのことだから、あえて聞かないでいるのかもしれないとユーリッドは思った。
隣で、ルーフェンが弄んでいた花弁に、ふっと息を吹き掛けた。
ふわっと、薄桃色の花弁が舞う。
木々に囲まれたこの辺りには、花弁など沢山落ちているし、ルーフェンが今飛ばしたのもその一つなのだろう。
いつもなら気にも留めないことだが、今は、その花弁が舞う様が、ユーリッドに先程まで見ていた夢を彷彿とさせた。
「……さっき、懐かしい夢を見たんだ」
大の字で寝たまま、ユーリッドは夜空を見上げると呟いた。
ルーフェンに聞き出す気がなかったのは分かっていたが、先程の夢の内容を、誰かに話したくなったのだ。
「ふーん。……アドラだんちょーの夢?」
「えっ……」
さらりと出たアドラ団長という言葉に、ユーリッドは驚いてルーフェンを見た。
ルーフェンに、アドラのことを話した覚えはなかったからだ。
ルーフェンは、そんなユーリッドの視線に気づいて、くつくつと笑った。
「寝言で言ってたよ、君が。アドラだんちょーって」
「ああ、なんだ……そういうことかよ」
寝言なんて言っていたのかと恥ずかしくなり、ユーリッドは無愛想に返事をした。
それを知ってか知らずか、ルーフェンは再び口を閉じたままでいる。
ユーリッドは、一瞬不満げに眉を寄せてから、ため息をつくと、ぽつぽつと話し出した。
「俺の父さん、昔ミストリア兵団の団長だったんだけど、俺が十一の時に、殉職してさ。その次の団長になったのが、アドラさんなんだ。だから、俺が兵団入ったのは父さんに憧れてたからだけど、実際お世話になったのは、アドラ団長だった」
相変わらずルーフェンは無言だったが、それでも先を促されているような気がして、ユーリッドは続けた。
「……でも、アドラ団長は、一年くらい前に俺とファフリを守って亡くなった。お墓を作ることもできなかった……」
言葉を口に出した途端、予想外にも胸から熱いものが込み上げてきた。
自分の顔は歪んでいるかもしれない、そう思って、ユーリッドは無理矢理笑みを作った。
「さっき見たのは、俺の父さんの墓参りに、アドラさんが来てくれたときの夢だったんだ。何を話したのか、はっきりとは覚えてないけど、思えば初めてアドラ団長と話したのは、あの時だったかもしれない」
ユーリッドは、上半身を起こすとルーフェンを見た。
ルーフェンは、無表情のまま夜空を見ていた。
聞いてないのかもしれないと思ったが、構わずユーリッドは口を開いた。
「……なんで、今更あんな夢を見たんだろうな。もうずっと、昔のことなのに」
独り言のようにも聞こえるその言葉は、出てすぐに、闇にとけた。
- Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.26 )
- 日時: 2017/08/22 12:42
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
「……さあ? 寂しかったんじゃないの?」
「寂しい?」
聞いていないかもしれないという予想に反して、ルーフェンから返事があった。
しかし、その答えの意味がいまいち理解できず、ユーリッドは首を傾げた。
寂しいという言葉が、屈強なあの鳥人と、上手く結び付かなかったのだ。
「だからー、たまには俺のことも思い出してよって、寂しくてユーリッドくんの夢に出てきたんじゃないの? ってこと」
「なんだ、それ?」
ユーリッドは、思わず軽く吹き出した。
思い出してと寂しがるなんて、それこそあのアドラには不似合いな表現だ。
だがルーフェンは、思いの外真剣な表情をしていた。
「……だって、忘れられるのは寂しいだろう?」
ユーリッドの顔に浮かんでいた笑みが、ゆっくりと消える。
やはり、寂しいなんてアドラには似合わない言葉だと思っているのに、ルーフェンの顔を見ていたら急に笑えなくなったのだ。
「……なんで、そんなこと言うんだよ。俺がアドラ団長のこと、忘れたりするわけないだろ……」
「本当にそう言い切れる?」
ルーフェンは、低い声で言った。
「記憶なんて、時間が経てばどんどん薄れていくものなんだよ。どんなに忘れないと思っていても、いつの間にか過去のものとして、頭の中で曖昧になってるんだ」
言った途端、不機嫌そうにこちらを睨んだユーリッドに、ルーフェンは肩をすくめた。
「言っておくけど、別にアドラさんとやらのことだけを言ってるわけじゃない。仮にいなくなったのが俺だったとしても、ユーリッドくんはいつか俺のこと忘れちゃうわけよ。当然ファフリちゃんも、トワもね」
「……お前、なに言ってんだよ……!」
ユーリッドがいよいよ本格的に苛立ち始めて、ルーフェンは苦笑した。
勢いで立ち上がったユーリッドを一瞥し、そして再び闇を仰ぐ。
「……落ち着いて、よく考えてもみな。忘れることが出来ないなんて、その方がつらいだろう? 過去の、その瞬間に感じた鮮烈な痛みを一生忘れられないなんて、少なくとも俺は耐えられないね」
「それは、そうかもしれないけど……!」
「忘れることはさ、本来癒しなんだ。そりゃあ完全に忘れるのは無理だろうけど。過去は過去として……いつか、ああ、そんな人がいたなぁと思えるようになるくらいが、ちょうどいいのかもしれない」
だから、と次いで、ルーフェンはユーリッドに視線を移した。
「俺がいなくなったら、ユーリッドくんは俺のこと、忘れていいんだよ」
- Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.27 )
- 日時: 2017/08/22 12:45
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
ユーリッドは、怒りと共に恐怖で肌が泡立ったのを感じた。
この恐怖の原因は何なのか、はっきりとは分からなかったが、とにかく今は、目の前にいるこの青年の話を聞きたくなかった。
ルーフェンは、ふと笑った。
「……でもさぁ、去る側としては、やっぱり寂しいと思うわけよ。自分のことを思って苦しまれるくらいなら、忘れてほしいと思うのも事実だし、その一方で、忘れないでと思うのも事実なんだ。時々でいいから、思い出してってね」
どこか悲しげに言ったルーフェンが、なんだか小さく儚げに見えて、その時ユーリッドはそうか、と納得した。
今のルーフェンとアドラは、少し似ているのだ。
普段は弱気な様子など微塵も見せないのに、ふとした拍子に彼らは、弱々しく見える。
目を離せば、いつの間にかどこかに消えてしまいそうだった。
(……だから、見てて怖いのか)
拳を握って、ユーリッドはぶるりと震えた。
そんな彼の様子に気づいて、ルーフェンは僅かに目を見開いた。
少し言い過ぎてしまったらしい。
ルーフェンは、居心地が悪そうにぽりぽりと頭をかくと、立ち上がって、少し低い位置にあるユーリッドの頭にぽん、と手を置いた。
「ルーフェン……?」
「……ごめんごめん、ただの例え話だって。謝るから機嫌直してよ。夢のことなんて、実際どうだか全然知らないし」
ルーフェンは、肩をすくめて笑いながら言った。
「まあさ、気分が優れないならもう一回寝てみれば? そうしたら、今度は女の子に囲まれる夢とか見られるかもよ。ああ、ユーリッドくんは食べ物に囲まれてた方が嬉しいかもしれないけど」
「……やっぱり、ルーフェンとアドラ団長は全然似てない」
「ん? なに?」
「なんでもない!」
ユーリッドは、頭に置かれたルーフェンの手を乱暴に払うようにどかすと、背を向けて走り出した。
それから少し先で立ち止まると、勢いよくルーフェンの方に振り返った。
ひゅうっと息を吸い込んで、ルーフェンを睨む。
「俺、忘れないからな!」
ルーフェンは、不意を突かれたように目を瞬かせた。
「難しいことはよく分からないけど、忘れない! ルーフェンのことも、アドラ団長のことも! 分かったか!」
ユーリッドは、怒りをぶつけるように、力一杯叫んだ。
ルーフェンは、しばらく呆然としていたが、突然ぶっと吹き出した。
それから笑顔を浮かべると、ぽつりと呟く。
「……まあ、ユーリッドくんはそういう子だよね」
ユーリッドには、ルーフェンが何を言ったのか聞こえなかった。
しかしルーフェンの元に戻る気にもなれなくて、再び走り出した。