複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.30 )
日時: 2017/12/30 00:33
名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)



 ユーリッドは、自分でも驚くほどの苛立ちを感じていた。
それはおそらく、ルーフェンの言ったことが正論で、それに頷いてしまった自分がいたからだ。

——記憶なんて、時間が経てばどんどん薄れていくものなんだよ。

 そんなこと、ずっと前から分かっていた。
忘れることが癒しだとか、忘れられない方がつらいだとか、ルーフェンの言っていることは全て正しい。
そう考えて納得しかけた自分を、ユーリッドは憎いとさえ思った。

——君も私も、他の皆も、これからマリオスを過去のものとして忘れていくのだろう。
しかし、君にこれだけは覚えていて欲しい。

——父君は、君の尊敬に値するお方だった。

 気づきたくなかった。
自分の中で、大切なものが曖昧になっていることなど。
曖昧になることが分かっていたからこそ、これだけは覚えていてほしいと願った鳥人の思いなど。

(……なんで、二人して同じようなこと言うんだよ……)

 立ち止まってから息を整えると、ユーリッドは目を閉じた。
アドラの顔、声、瞳、剣捌き——。
大丈夫だ、まだ覚えていると言い聞かせながら、ぐっと唇を噛んだ。

——本当にそう言い切れる?

(…………)

 深く深く、分かっていたのだ。
だからこそ、ルーフェンに言われて腹が立った。

 本当は、顔も声も瞳も、憧れていたあの太刀筋も、何一つ鮮明に思い出せない。
思い出そうとしても、霞がかかったように朧気なものしか浮かばなかった。

 アドラは、どんな顔だっただろうか。
どんな声で、どんな瞳で、どんな風に戦っていただろう。
もはや、失った時の痛みさえも薄れている。

 どんどんと、アドラが曖昧になっていく。消えてしまう。

 どくりと、心臓の脈打つ音が聞こえた。



「あれ? ユーリッド、こんなところにいたんだ」

 突然背後から声をかけられて、ユーリッドは振り返った。

「ファフリ……」

「大丈夫? なんか顔色悪いよ?」

 そう言って心配そうに覗き込んできたファフリに、ユーリッドは首を横に振った。

「……な、なんでもない。ちょっと外で居眠りしてたから、冷えたのかも……」

「そう? それならいいんだけど……風邪引かないように気を付けてね」

「……うん」

 ファフリは、ふわりと微笑んだ。
その笑顔でほっと安心すると、ユーリッドは落ち着くために息を吐いた。

 ふと、ファフリが薪を抱え込んでいるのを見て、ユーリッドは首を傾げた。

「薪、集めてるのか? 手伝おうか?」

 ファフリは、それを聞くと嬉しげに笑った。

「ほんとに? ありがとう。じゃあそこにまだあるから、少し持ってくれる?」

「ああ、もちろん」

 快く頷いてから、ファフリが指した方向——裏手の壁際に積まれている薪の束に、手を伸ばす。
しかし、そこに何枚か散らばっている薄桃色の花弁を見て、ユーリッドは硬直した。

「……このお花、サーフェリアにもあったんだね」

「え……?」

 隣で口を開いたファフリを、ユーリッドはじっと見つめた。

「ほら、ミストリアにもあったでしょう? リディアの花」

「…………」

「毎年式典のあるこの時期になると、沢山咲いて、ふわふわ風にのって街中を舞ってた」

 ファフリは、懐かしそうに目を細めた。
だがその表情は、とても寂しげだった。

「……ファフリ?」

 黙ってしまったファフリに声をかけると、ファフリは伏し目がちだった瞳にユーリッドを映した。

「このお花を見ると、思い出すね」

「なに、が……?」

 一拍おいて、ファフリが言った。

「……アドラさん」

Re: 〜闇の系譜〜(外伝) ( No.31 )
日時: 2017/12/30 00:35
名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)

(今、なんて言った……?)

 ユーリッドは、思わず耳を疑った。

「……ちょうど、六年前のことだよね。式典の時に、アドラさんがミストリア兵団の団長になったの」

「…………」

「あの時も、このリディアの花弁が舞ってて……。私、お城から見てたから覚えてるんだ。アドラさんがね、花弁を見ながら、綺麗だなって呟いてた」

 動揺で、ユーリッドの瞳が揺れる。
どくりと、また心臓の脈打つ音が聞こえた。

「アドラさんって寡黙だから、あんまりそういうこと言わないでしょう? だから、この花は本当に好きだったんだなぁって……」

 ファフリは、再び悲しそうに微笑んだ。

 何か返事をしなければと、無意識に食い縛っていた歯から力を抜くと、ユーリッドの中で、何かが弾けた。

「…………ぁ」

 視界が歪んで、涙が出る。

「…………」

「……ユーリッド?」

「……俺……」

——さあ?寂しかったんじゃないの?

——だって、忘れられるのは寂しいだろう?

(俺だって、寂しいです……)

 忘れられることは、寂しいでしょう。
けど、忘れてしまうことも寂しいんですよ。
そう心の中で呟きながら、ユーリッドは嗚咽を漏らした。

——過去は過去として……いつか、ああ、そんな人がいたなぁと思えるようになるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

 でもだからといって、完全に忘れ去ることも出来ない。
僅かに残った曖昧な記憶を、忘れたくないとひたすらに追いかけて。

 忘れることも、思い出すことも出来ず、ただ忘却と想起の狭間で揺れ続ける。
なんて残酷なのだろうと、ユーリッドは思った。

「……ファフリ……俺……」

 ファフリが、同じく泣きそうな表情で、こちらを見ていた。

「……俺、アドラ団長のこと……忘れちゃうよ……」

 忘れたら、どうなってしまうのだろう。

「……忘れたくない、忘れたくないのに……!」

 墓もない。遺品もない。
彼が生きていたという証は、ユーリッドとファフリの記憶にしかない。
それなのに、その記憶すら無くなってしまったら、どうなるのか。

 ファフリは、薪を地面に置くと、何も言わずにユーリッドを抱き締めた。
ユーリッドは、声をあげながらただ泣き崩れる。



 穏やかな夜風にさらわれて。
ふわふわと舞った花弁は、漂うように宙に消えていった。


…………

何人かの方々にリクエスト頂いてたアドラさんの追悼話です。
色々話混ぜすぎてごちゃごちゃしてますが、気にしないでください(笑)