複雑・ファジー小説
- Re: 紅のアクア 1章第1話Part3更新 キャラ募集 ( No.3 )
- 日時: 2015/06/18 17:28
- 名前: 風死 ◆Z1iQc90X/A (ID: xMHcN6Ox)
紅のアクア 第1章 月光に消える 第1話「ブラッディバレンタイン」Part3
何もない、ただ只管に広く暗澹(あんたん)とした部屋。アスタルテは全能なる王、ウルガフに傅(かしず)く。
「ジェロードナッハ人間管理長官。進捗(しんちょく)は?」
抑揚はあれど感情のともなわない声で、ウルガフが問う。
「全32人中14名が目を覚まし、彼らの調整はとどこおりなく進んでおります。1週間ていどの準備期間があれば……」
「いけんな。それでは人類に与えれる時間が少なすぎる。もう少し遅らせるが良い」
冷厳たるその問いに、アスタルテは事務的な口調で答える。しかし彼女のわずかに揺れる瞳からは、ウルガフへの畏怖が見て取れ。そんなアスタルテを一瞥すると、男は一々威圧感を放つようでは子供だと、自嘲気味な表情を浮かべ額に手を当てた。
一拍おいて大老は改めて命令をくだす。それはアスタルテにとって意外な命令で。彼女は瞠目するが。すぐさま考え直し苦虫をかんだような表情を一瞬浮かべる。眼前にいる存在の深慮、唯人察すべからず。重役を担い吸血鬼の支配階級に属す彼女さえ、頂点たる彼が前では凡百。
「了解しました。いつまでにすませれば?」
「1ヵ月。できるか?」
「偉大なる貴方の言葉ならば」
清濁を無表情の仮面に押し込め、アスタルテは抑揚にとぼしい声で命をこう。思慮深くあごに手を沿え、数秒黙考したのちウルガフは答える。捕虜となった人間の生命維持や、元々血気盛んな者が多い吸血鬼を抑える手間は軽くは無い。
むろんウルガフもそれを理解しているのだ。ゆえにわざわざ労わるような言葉をかけたのだから。しかしアスタルテにとってそれは、もはや可能なことにとらえられた。なぜなら発言者が王だから。彼は不可能を口にしない。うやうやしく頭(こうべ)をたれ、アスタルテは了承の念を口にする。
「下がるが良い。余はこれより眠りに入る」
『全く微動だにしない。だが、この状態でも露ほどの勝機も見だせない。さすがは我らが偉大なる王』
ゆっくりと瞑目するウルガフ。先ほどまでの、氷の刃で磔にされたような冷たい緊迫感は音もなく引く。しかしそれでも圧倒的な畏怖は、アスタルテの全身に纏わりついて離れない。彼女とて決して弱くはないのだ。むしろ通常の吸血鬼から見れば怪物と言える。それは特別な地位を得ていることからも分るだろう。
彼女を含め、ジョニー、ワルキューレ、リースたちは皆が、吸血鬼のトップに属するネアーと呼ばれる怪物だ。力が全ての魔界において、最高の種族たる吸血鬼。およそ500万人をなす集団における50名の頭目たちである。いわばエリート中のエリート。そんな彼女がただ座っているだけの眠りこけた老人に敬意を払わずにはいられない。
名目上同じネアーに位置づけられるウルガフだが、とても同等とは思えない質がそこには存在していた。アスタルテは恐怖と尊敬の念をこめ、一礼し何もないその部屋を出た。
——————
謁見の間と呼ばれる王の部屋を抜けた先はまぶしかった。天井はおろか床までもガラス張りの回廊。一体なぜこのような造りをしているのか。まるで見当がつかない。飛び込む光は反射しあい、気色の悪い光沢をつくる。眩暈を覚えたように頭をふるうアスタルテ。
「よぉ、謁見は終わったのか。何か言ってたかよ?」
そんなアスタルテを待ちわびたように、丁度彼女の死角に座り込んでいたワルキューレが問う。
「ワルキューレじゃない? どうしたの?」
「親父殿は何か言ってたかって聞いてんだっ!」
突然声をかけられたにも関わらず驚いた様子はなく、アスタルテは軽い口調で聞き返す。それに対し犬歯をむきだしてワルキューレは吠える。その声にはそんなこと聞かなくても分るだろうという、苛立ちがにじみ出ていて。アスタルテは溜息をつく。普段はここまで余裕がない男では断じてないのだ。
「決戦は1ヵ月後だってさ」
「そうか。あぁ、怖いなぁ。あの人の言うことは全て、一部の例外なく正しい」
しかしワルキューレが焦りを覚えている理由は、アスタルテにも少なからず心当たりがある。常に偉大すぎる父親と比べられている、特大の重圧も。つとめて平坦な口調で彼女は、最低限の情報を彼に伝える。
憔悴(しょうすい)しきった顔で下を向きながら、ワルキューレはつぶやく。いつでも戦いは挑めるはずなのに、なぜ戦争の開始を先延ばしするのか。時間を与える人類は準備するだろうに、理解に苦しむ。だがウルガフの先を見通す力は常軌を逸脱しているのは事実。人類に吸血鬼は紳士的だから、意外と付け入る隙はあるのだなどと宣伝しているつもりなのだろうか。慮外(りょがい)の存在に立ちむかわなければならない、時期皇帝候補という立場を呪うように男はうめいた。
「あの人は我々と違う種族よ」
ぐるりを剣山で埋めつくされたような、地獄の無限回廊を進む。ワルキューレはそんな苦悩の道を進もうとしている。誰一人ウルガフの王座に疑念を抱く者は存在せず。多くの者たちが次期王座などというのは、ありえない非常時のスペア程度に思っている中だ。茨の道という言葉すら生温いだろう。
それでもワルキューレの考えは間違いではない。代々学者の家計に育ったアスタルテはそう考えている。だが挑む存在は余りに強大ゆえ、それほど肩の力を入れても無意味とも思うのだ。彼女は膝をつきワルキューレの目線に顔を並べ、リラックスするようにうながす。
「それでも永遠に同じ指導者が座り続けるべきじゃねぇだろう」
「分っちゃいるわよ。貴方の葛藤もね」
案の定ワルキューレは焦燥感に満ちた声でくらいついてきた。アスタルテは優しく彼の体を抱き、嘘偽りのない本心で答える。慈愛に満ちた彼女には珍しい振る舞いに、ワルキューレは自分の至らなさを恥じるような表情を浮かべたが。思いの衝動は止まらず。
「お前は感じないか。ウルガフと対峙してると自分の無力を」
これがワルキューレの本質なのだろう。元来魔界は弱肉強食、共通の食料を求め全ての種族が覇を争う世界だ。ゆえにこそ自らの種族以外に、酷く排他的なところがある。ほぼ全ての物が何ゆえか、吸血鬼として枠外にいるウルガフを当然のように受け入れているが。彼は許容すべきではないと感じているのだろう。動物的本能よりは、1番長くウルガフと接触した存在だからかもしれない。
「ずいぶん疲れてるみたいねワルキューレ。少し休んだら」
「1つだけ見地を教えてくれ。俺は本当にあの人の血を引いてるか?」
「…………」
目の前にいる。体温や匂いを感じている存在の考えが、にわかに自らの想定から乖離(かいり)したことにアスタルテはとまどうが。平常じゃない相手を批判すべきではないと考え、冷静に言葉をつむぐ。
初めてアスタルテの目から自分が普通ではなく映っていることを理解したワルキューレは、今までにない冷静な口調で彼女に問う。普段の鮫にも似たギラついた意思は隠れ、声音は小鳥のさえずりがごとく弱弱しい。
「アスタルテっ、何で黙るっ!?」
「ごめんなさい。私では答えられないわ」
だが彼の問いにアスタルテは答えられなかった。質問の意図は分るのだ。吸血鬼は現在魔界で最強の種族だが、その最大の理由は多くの他種と交配しそれの良い所を得ることができるゆえ。せめて吸血鬼の血があの男に流れていると思いたかったのだろう。
知った上でアスタルテは嘘をつけなかった。はっきりとウルガフの血液を調べたわけではないのだから。本来なら同族の識別ができないはずはないのだが。あれほどの存在なら全て偽装だとしても、納得できてしまう。アスタルテはきびすを返し、何も言わずその場を去った。
「疲れた……寝よう」
そう一言。ワルキューレはその場で倒れこみ、容姿からは想像もつかないほど静かな眠りにつく。