複雑・ファジー小説

Re: A Corpes Lover - 花の死体 ( No.1 )
日時: 2014/03/01 20:56
名前: 午時葵 ◆9ccBFQYMG2 (ID: wA2Rnx1Q)


【 A Corpes Lover - 花の死体 】


「花は、死んでしまった方が——死体になってしまった方が綺麗よね」

 そう言いながら静かに笑って、彼女は腕一杯に溢れた『花の死体』を暖色のベッドの上に撒き散らした。
 ふんわりと香る、死後の甘い香り。
 花は死体のほうが美しい。 僕も、そう思う。

  *  *  *

 日雇いの仕事を終えて、僕は普段と同じ様に、国から与えられた国営のアパートへと足を向けた。
 この国の都市部では、何もかもが生活保護で賄えた。 衣類、住居、最低限の食事や、安心とまではいえないが必要充分な医療費。
 都心部で躍起になって働いている奴は馬鹿だと思う。 そんな事を言っては小言を言われ続けた学校でさえ、きっと生活保護で行けるのだろう。
 この国は人に優しかったけれど、人を育てるのは苦手だったみたいだ。
 そんな、僕にとっては居心地のいい国の、居心地のいい都市で、極稀に、僕の目を引くものがある。
 誰が見向くのかわからない彫刻だとか、将来設計の為のアドバイザーだとか、もっと稼ぎのいい仕事を紹介する仲介業者だとか。
 この都市に、そんなものを求めてる奴が居るとは到底思えないもの。 そういったものが、稀に僕の興味を引く。
 今日も、そうだった。
 普段から歩き慣れた道に、今日まで気付かなかった店舗がひっそりと建っている。
 それは、花屋だった。
 遠い昔に両親に連れられて行った観光地なんかでは見たことがあるけれど、この都市で、花屋を見た記憶が僕にはなかった。
 気付くと、僕はその花屋の前で、生暖かい都市の風に撫ぜられる花を眺めていた。
 こんな都市で、一体花の需要があるのだろうか? 一体誰が買うんだろうか?
 そんな事を考えながらも、僕は花の前に屈み込んで、その艶やかな葉艶と瑞々しい彩色に夢中になった。
 どのぐらいそうしていたかは解らない。 だけれど気付いたとき、店の奥で何処かで見たことのある女の人が、優しい笑みを浮かべてこちらを眺めていた。
 僕はどうするべきか少し悩んで、再び花へ視線を落とした。 それから、何故だかそうしなければならないような気がして、目の前の小さな鉢植えをレジへ持っていった。
 それが僕と、花と、それから彼女との出会いだった。

Re: A Corpes Lover - 花の死体 ( No.2 )
日時: 2014/03/18 22:32
名前: 午時葵 ◆9ccBFQYMG2 (ID: oBuxTU3G)

  *  *  *

 正確に言うならば、彼女との出会いではない。
 彼女との出会いはもうずっと前、何年も前に終えていたらしい。
 僕自身はちっとも覚えていなかったのだが、どうやら中学の同級生だそうだ。
 それをどうして知りえたかと言うと、あの日以来、僕はずっとあの花屋に通っている。
 と言うのも、花の世話と言うのは思いの他大変で、何をどうすれば良いのかさっぱりわからなかった。
 花を買った翌日に、花の世話の仕方を聞きに行った僕は、彼女に思い切り笑われた。

「何をすればって、水をあげれば良いのよ」

 なんて彼女は目を細めながら言ったが、これが中々上手くいかない。
 適当に、と、適度に、では意味が全く違う。 僕が不器用なのか、花の方がわがままなのか、僕の家にやってきた花は、その日のうちに、あの艶やかな魅力を失っていた。
 だけれども、彼女はそれしか教えてくれなかった。
 だから教えられたとおりに水やりをしても、やっぱり僕の花は普通の『花』でしかなかった。
 そんな事をぼやいた僕に、ある日彼女は相変わらず優しい笑みで言った。

「じゃあ、一日お店を手伝ってみる? 店長には私の方から言っておくから」

 そう言われた翌日、僕は初めてその店の店長に会った。
 感じの良さそうなおじさんで、普段は仕入れの仕事につきっきりだそう。
 僕は彼に聞きたい事がいくつかあったが、彼女が花の世話を始めるとすぐに忘れてしまった。
 確かに、彼女は特別なことは何もしていなかった。
 適度に水をやり、たまに少しだけ葉に触れ、新しく入って来た花を鉢に移す。
 土も適当に素手で突っ込んで、陽と風は自然任せ。 僕のしていることと、何も変わらなかった。

「どう? 簡単だったでしょう?」

 夕方頃、一日の仕事を終えて彼女は笑った。 小首を傾げながら笑う癖が、酷く彼女を幼く見せた。 それが何故だかとても僕の自尊心と言うか、矜持の様なものに刺さる。 帰ったらもう一度、彼女を真似て世話をしてみよう。
 お店の中では仕入れから戻ってきた店長が何やらやっていたが、彼女は軽い声で「おつかれさまです」と残して、店を後にしてしまった。 僕も「お邪魔しました」と一言残して、彼女を追う。
 夕暮れに照らされた褐色の歩道を歩きながら、彼女は僕に背を向けたまま笑った。

「ねえ、どうして花を買おうと思ったの?」

 笑いながら問いかける彼女の言葉に、僕の足が止まった。
 何故だろうか。 多分、誰かを飼いたかったんだ。 だけれどペットみたいに意思表示をする生き物の命を背負う自信は無い。 いや、それは多分建前で、本当は、心のどこかで、この居心地の良い都市での生活にうんざりして居たんだと思う。
 そんな事を考えるけど、やっぱり、やっぱり、ばかりで、何故だか明確な理由は見当たらなかった。

「さあ? わからないよ」

 結局、見栄を張らずに素直にそんなことを答えた僕に、彼女は「そう」とだけ答えた。
 その時彼女がどんな表情をしていたのかはわからない。 ただ、声だけは、何故かとても優しかった。
 そうして夕日に沈む彼女は、僕を振り返って、問いかけた。

「この後、空いてる? 空いてるなら、一杯付き合ってよ」

 夕日を背に背にした彼女の表情はとても読み取りにくかったけれど、楽しげな声とは裏腹に、その笑顔はとても空疎だった。
 そう、彼女の笑顔は空疎だった。 ずっと違和感を感じていた。 何ていうか、不自然ではないんだけれど、義務感を感じる笑顔だった。
 笑っていることが大切だと、自分に言い聞かせるような笑顔だった。
 だからこそ、僕は断れなかった。

「良いとも、付き合うよ」

 そう答えてすぐ、彼女は慣れた足取りで一軒のバーに入った。
 バーと言うと静かで、ジャズが流れている様なイメージがあった僕からしてみると、そのバーは騒がしかった。
 音楽もジャズではなくブルース——彼女に訂正されたので恐らく間違いない——が掛かっていた。
 それからそのバーには裏庭の様なスペースがあって、そこには艶やかに花々が輝いていた。 それらは皆、彼女が取り扱った花で、そういう理由で彼女にとっては馴染みの店らしい。
 得意先、と言う点を差し引いても、ブルースが流れているところと、切花ではなく生花があるところはお気に入りらしいが。

「良い所でしょ?」

 店長らしい人と話を終えた彼女が、僕の隣に腰を下ろして訊く。 僕は裏庭のベンチに座って、目の前の花をぼんやり眺めながら頷いた。
 確かに良い場所だと思う。
 そして彼女には似合いの店だとも思う。
 花があって、お酒があって……それなのにブルースの所為か、安らぎよりも悲観的なロマンスに浸れる。 彼女の空疎な笑顔を飾るにはもってこいだ。
 だから別に沈黙が降りても苦にならなかったし、強烈なブランデーも何故だか驚くほど喉になじんだ。

「きみは、ずっと花屋をやってたのかい?」

 手近な花を撫でる彼女の指を眺めて、僕は問いかける。 殆ど覚えていない学生生活とは言え、今まで僕の周りで花を愛でようなんて人間は誰一人居なかったと思う。
 大人も子供も、男も女も。
 だから、少しだけ気になった。 彼女がどうして花を愛でようと思ったのか。
 対して彼女は相変わらず空疎な、そして何と言うか、自嘲を含むような笑みを浮かべた。

「そうね、中学を卒業してすぐにバイト生活を始めたんだけど、その頃からかしらね。 だけど、別の町での事よ。 この町に戻ってきたのもつい最近、ずっとふらふらしているの」

 相変わらず指先で花を撫でる彼女が何に思い巡らせているのか、この都市から離れたことの無い僕にはわからない。
 だけど彼女の思い出は、きっと僕のそれよりもずっと充実しているんだろう。 良いことも嫌なことも、沢山詰まってるんだろう。
 彼女の口元は白い歯を見せて、いつもの笑みを浮かべるのに、彼女の瞳は僅かにも笑っていない。 僕でも気付くような、そんな笑みしか出てこない、複雑な思い出。
 だけど彼女はすぐにその笑みを消して、じっと僕の目を見つめた。

「ね、一緒にこの町を出ない? 都市の外なんだけど、凄くいい所があるの」

 そう言った彼女の顔には、いつもの空疎な表情は浮かんでいなかった。 射抜くような、確固たる意思が、その目の奥に鎮座していた。
 彼女はそうやって、強い意志で、今まで放浪して来たに違いない。
 僕は少しだけ悩んで、手にしたグラスの淵を指でなぞって、それから、笑顔で頷いた。
 そうして喜ぶ彼女と別れて、国から宛がわれている自分の家に戻る前に、僕はもう一度いつもの花屋に足を運んだ。
 もう閉店時間は過ぎて居たけれど、人の良い店長は僕の頼みを事を聞く為にわざわざシャッターを開けて、その素っ頓狂な頼みごとを快諾してくれた。

Re: A Corpes Lover - 花の死体 ( No.3 )
日時: 2014/03/07 04:43
名前: 午時葵 ◆9ccBFQYMG2 (ID: Ku3ByRAK)

  *  *  *

 翌日、目を覚ますと、既に夕日が沈むような頃合だった。 別段、夜更かしした覚えは無い。
 そもそも、僕は彼女からの誘いについて、深く悩みさえしなかった。
 国から与えられた家や服、生活用品。 思い返すまでも無く、僕の持ち物なんて言うのは、僕自身と、それから日雇いの仕事で稼いだお金ぐらいのものだった。
 生活そのものは生活保護で充分に賄える所為か、気付けばそこそこの額が手元にあった。 それを使う術を特別見出してなかったからかも知れないけれども、僕は生まれて初めてお金に感謝をした。
 僕はやっぱり居心地の良い国営の部屋を眺め回して、最後の未練を探す。 だけれどそんなものは、少しも無かった。
 熱いシャワーを浴びて、手持ちの中で一番綺麗な、まだ糊のきいたシャツを羽織って、磨いても輝かない革靴を履くと、すっかり日の暮れた通りに出た。 もちろん、新しい住人は連れて出た。
 いつの間にか歩き慣れた道は閑散としていて、ある意味で僕を祝福してくれているような気にさえなる。 誰にも邪魔されないのは、嬉しいことだ。
 僕は上機嫌でシャッターの下りた花屋で、店長から目的の品を受け取って、昨夜聞いてあった彼女の自宅へと足を向けた。
 やっぱりそこは国営のアパートで、表向きは僕の住んでいる部屋と大差が無かった。 やっぱりこの国は、人に優しい。
 ノックは二回、彼女の言いつけ通りに鳴らすと、ドアはすぐに開いた。
 そうして彼女は、大仰と呼んで差し支えない様な驚き方をした。 もっとも、腕一杯の花を贈られたら、人は皆ああいった驚き方をするのかも知れない。
 花なんて贈られたことの無い僕には良く分からないけれど、腕一杯のポピーには確かに相当な衝撃があるだろう。 僕は兎に角沢山の花を彼女に贈りたくて、季節の所為か、格別に安かったポピーを選んだ。 店長は、ちゃんと用意していてくれた。
 なんにしても彼女は大いに喜んで、満ち足りた、いつもの空疎さの無い表情で「ありがとう!」と笑う。 それから腕一杯のポピーを受け取ると、頭の仕草だけで器用に僕を寝室に招いた。
 そうして彼女は、腕一杯の花を、ベッドの上に撒き散らした。 僕は一瞬驚いたけれど、それは何とも表現しがたい光景で、幻想的と言うか、華美ではあるのだけど儚いと言うか、さざめき立つ様に舞い落ちる花は、今まで見たどんな花よりも、どんな光景よりも美しかった。

「切花は、花の死体でしょう? それなら、花瓶よりもこっちの方が相応しいわ」

 じっと舞い落ちた花を見つめる僕へそんな言葉を投げかけて、彼女は僕が自分の部屋から連れてきた一輪の竜胆を窓辺に移した。
 僕が買った竜胆は、もうすっかり只の花になっていたけれど、彼女はそれを咎めることなく、自分の子を抱くように優しく撫でた。
 それから自分が撒いたベッドの花へ視線を移して、小さな声で零した。

「花は、死んでしまった方が——死体になってしまった方が綺麗よね」

 そうして静かに笑って、彼女は僕の手を取って、優しく花の上に横たえた。
 東亜の方では、今も新郎新婦が床に入るとき、亜熱帯のある花をベッドに撒いて営むらしい。 それは古風な風習であって、それでいてとても科学的に合理的で、何よりも耽美な行為だと思う。
 僕だって一応、何人か親密だった人が居て、その人達とはそこそこ一緒に寝た。 だけれど、誰も花を敷いて僕とは寝てくれなかった。
 僕は今まで葉の裏に張り付いた蛹みたいなものだったんだと思う。 そんな僕は、彼女の前で羽化して、花の上で交ぐわい合って。
 シーツを敷いた方が良かったんじゃないか、汗で花の色がベッドに染みを作ったら。 そんな事を考えていられたのは本当に僅かな時間だった。
 肝心の汗が、花の香りを一層強めて、香りが強くなるほどに、彼女が僕を求める動きも激しくなって。 僕の脳内も、花の甘い香りに侵されていって。
 昔の詩人は、恋人達が達する瞬間、自分の事も世界のことも忘れ去って、それは生きているとは言えない状態だから、この眩暈のする高揚を「小さな死」なんて呼んだけれども、花の死体の上は、死ぬのにもってこいの空間だった。
 パーシー・シェリーを気取って「如何なる生も、かような死には及ばず」なんて、そんな事が言えるとしたら、今しかないと僕は思った。
 セルキオ川の小船も、花の死体が醸す甘美な幻想の前では、所詮は只の婉曲表現でしか無いとも思うけれど。
 気付いたとき、僕はぼんやりと天井を眺めていて、僕の隣で、僕の腕の上では彼女の荒い息遣いが聞こえていた。 耳に当たる彼女の吐息が、少しだけ脳内の甘い蜜を洗い流す。
 
「ねえ、本当に一緒に行ってくれる? 一緒に、都市の外へ」

 彼女は少し甘えた様な声を出して、僕達が散らかした花の死体をそっと取り上げた。 それから、その摘み上げた死体の温度を確かめる様に、柔らかく両手で包む。

「良いとも。 昨日は何となくだったんだ。 でも、今日は本気で言うよ、一緒に行こう」

 僕は天井を眺めたまま言って、彼女の細い首に腕を回す。
 でも彼女は僕の腕をするりと抜け出して、ベッドの下から大きな封筒と、それから大きなガラス瓶を取り出した。
 ガラス瓶は中身をジャラリと鳴らして、ずっしりと僕のおなかを圧迫した。 中には沢山の金貨が入っていた。
 封筒の中身は地図と、それから何だか小難しいことの書かれた書類だったけれど、僕にはどうでも良かった。 そこに彼女の意思が詰まっているなら、僕が確認するようなことは何も無かった。

「じゃあ、明日すぐに出ましょう? もう準備は全部整ってるの、後は出るだけ。 どう?」

 彼女は目を輝かせて、地図の一点を指差して、やっぱり甘えた様な声で言う。 僕は、もう部屋に戻るつもりなんて無かったから、笑って頷いた。
 彼女の用意した家は、地図の上ではそこそこ広くて、二人で住むのには何も問題はなさそうだった。 隣には何だか広い空き地が在って、日当たりや風通しも良さそうだ。
 僕ははしゃぐ彼女が微笑ましくて、そっと抱き寄せてキスをした。
 何年もそうして来た様な、不思議な安心感と、奇妙な義務感。
 きっと明日からの、都市を出て、生活保護を犠牲に自由を得た生活は過酷だろう。 だけれどそんな中で、きっと僕は何度もこの日の、この晩を思い出して明日の糧にするだろう。
 そんな、確信にも似た予感を抱かせるような、一言で言うならば、その日はとても幸福な夜だった。

Re: A Corpes Lover - 花の死体 ( No.4 )
日時: 2014/03/20 15:37
名前: 午時葵 ◆9ccBFQYMG2 (ID: ULYy7xyK)


  *  *  *

「都市の外に出ようなんて、今時珍しいね」

 翌日、僕らは不動産屋のトラックに揺られて都市を後にした。
 しきりに「珍しい」だとか、「若いのに」だとか、そんな言葉を繰り返す不動産屋の男は、僕らの返事を最初から期待していないように喋り続けていた。
 僕は後部座席で、隣に居る彼女の手を握って、窓の外の荒れ放題な土地を眺めた。
 時折、男がバックミラー越しにこちらを眺めていたが、僕は気付かない振りをする。 外のほうが気になるのも事実だった。
 予定の場所には小一時間で到着した。 地図上で見るよりも少し大きな家は平屋で、辺りは一面空き地だった。

「ここら一帯はケシの栽培地でね、今のご時勢じゃ商売にならないって言うんで、随分前に放置されたらしいよ」

 トラックを降りた男の言葉通り、一帯は何かの栽培に使用されていたようだった。 それがケシか阿片か、もしくはもっと高価かつ危険な何かかは分からないが。
 雑草の所為で綺麗とまでは言えないが、そこそこに馴らされ、整えられた土。 いくつか放置されたビニールハウスも見える。
 男は廃棄された空き地には興味が無いのか、はたまたそこは男の所属する不動産会社の土地ではないのか、さっさと僕らの荷物を担いで家のほうへ向かってしまう。
 僕はその後を追ったが、彼女は丈の低い雑草の中に膝を突いて、そっと土を掬って何やらしていた。 僕は何となく、彼女の考えていることが分かったけれど、男が帰るまでは黙っていることにした。

「ねえ、花を育てない?」

 男の乗ったトラックを見送って、まず彼女はそう切り出した。
 それから、彼女は鞄の中をごそごそとかき回して、何やらラベルの貼られた小瓶をいくつか取り出す。 中には小さな種がいくつか入っていた。

「これ、店長がくれたの。 お別れにって。 あなたが持ってきたポピー、向日葵も、蘭も、それから林檎もあるわよ」

 嬉しそうに次々と小瓶を取り出す彼女は、以前よりもずっと楽しそうだった。 空疎な笑みは、もう見当たらない。
 僕は花を育てるのに適した土地かどうかなんて全く分からなかったから、とりあえずは彼女の意向に任せることにした。 彼女はその道のプロだったし、下手に僕が触ると、彼女の花が、只の花になりかねないのが不安だった。

「きみに任せるよ。 僕が手伝えることは、言ってくれればやるよ」

 僕の答えに喜んだ彼女は、さっそく僕を伴って荒地の草むしりを始めた。 服が汚れるもの気にせず、僕らはせっせと雑草を引き抜いた。 彼女はきっと僕よりもよく働いた。
 彼女の目算通り土は豊からしく、蔓延る雑草達は深くその根を張り巡らせていて、とても一日では全てを取り除けなかった。 そもそも一体何ヘクタールあるのか分からない広大な荒れ野を全て均すには時間が掛かるだろう。
 日暮れの頃まで僕たちは泥だらけになりながら草を毟り取って、泥を投げ合って、大はしゃぎしながら一日を楽しんだ。
 それは都市の保護を犠牲にした、芳しい充実感だった。
 保障を犠牲に、自由を得ることは、保護を犠牲に労働を強いられる結果だと思っていた。 でもそれらは、そんなに単純なことでも、直線で結ぶべきものでもないらしかった。
 僕は、少なくとも、未来永劫にその一日を繰り返すだけの人生でも、それはそれで良いものに思えた。
 久々に転げまわって、筋肉の緊張した体を熱いシャワーで解すのは、酷く開放的で、浄化される様な感覚だった。

「花は、大変よね」

 心地よい疲労と湯気を纏った肢体をベッドの上に放り出して、きみは唐突に零した。
 僕はベッドの縁に腰掛けて、寝転がる彼女に向けて首を傾げる。 それは彼女にとって花は手の掛かる相手、と言うことなのか、それとも彼女は今花になったかの如くその気持ちに想いを馳せているのか。
 どちらにしても僕はその一言に対する明確な返答を持っていなかった。
 それでも彼女は、そんな僕にはお構いなしに枕をポンポンと叩きながら呟き続けた。

「だって花のセックスって、おかしな事じゃない? 愛も性行為も必要なくって、オスは他のオスを使わなきゃ、自分の精をメスに届けられないのよ? それってなんだか、凄くおかしなことって言うか、哀しいことじゃない?」

 彼女の言葉を聞きながら、僕はそれを人に置き換えて想像してみた。
 僕が誰かに僕の精を預けて、その誰かが彼女の元へ行く。 でもその誰かと彼女はセックスしないのに、何故か彼女は僕の子を生む。
 訳が分からないし、そもそも僕はどうやって誰かに精を預けるのか。 そしてその誰かはどうやって彼女に僕の精を渡すのか。
 そんな事を考えていたら、そもそもセックスって何だっけ? なんて。 花は、セックスるるのかな? なんて。
 そんな話を振っておきながら、彼女はもう枕を抱いて寝ていた。 僕は少しだけ安物のブランデーを煽って、連れて来た竜胆を眺めてから、彼女の隣へ滑り込んだ。
 都市の外は、布団で言えばシーツの隙間みたいなものだと思う。 もっと居心地の良い場所がありそうなのに、何故だか酷く安心する。 不安定なはずなのに、敢えて其処へ行きたくなるような場所。
 それもこれも、彼女が隣で寝息を立てているからなんだろうな、なんて。 僕は彼女の肩にそっとキスをして、彼女の頭を抱える様にして瞼を落とした。

Re: A Corpes Lover - 花の死体 ( No.5 )
日時: 2014/03/21 18:22
名前: 午時葵 ◆9ccBFQYMG2 (ID: oj1DPSdh)


  *  *  *

 気付いた頃には、僕らの花畑は大層な出来栄えになっていた。 都市を出てからどのぐらいが経ったか。 咲き誇る花の種類から判別するならば一年ほどだと思う。
 不動産屋に確認して、正式に僕らがこの花畑を所有してから、花畑は十二分に僕らの生活を支えてくれていた。
 週に一度花を乗せたトラックで都市へ行って、花を売ったお金で僕らは一週間分の雑貨や食料品を買い込む。
 都市部には、死体愛好家が多いらしい。 僕の周りには一人として居なかったのに、僕らの畑で摘み取られる花の死体は、全てが僕らの居た都市に出荷されていた。
 僕らが育てた花が、より美しい死体になって愛好家達の手に渡るのは、生花を売りに出すよりも清々しい作業だった。
 僕らが育てた花に、僕らが幕を引いて、より高尚な愛玩物として買い手に送り出す。 それは花を育てる人間としての一種の義務的な感覚で、僕らは丁寧に丁寧に死体を作った。
 尤も、他にやるべき事は特に無くて、僕らは花の世話など殆どしなかった。 毎日欠かさずやっていたのは花畑を歩き回ることだけ。
 陽も水も自然に任せるままで、他の事は殆どやらなかった。
 たまに彼女が土を均すぐらい——とは言っても花の死体の片割を土に埋めて腐葉土をつくるだけだったが——のもので、僕らは収穫以外の時間は一日中花畑の中で転げまわった。
 毎日のように彼女は鼻歌を奏でながら花畑を歩いて回って、そっとその花弁に手を触れては優しく撫でる。

「花はね、話し掛けてあげると喜ぶのよ」

 そう言って微笑む彼女を真似て、僕も毎日同じように、彼女とは別々の場所を歩いて回った。 それは義務化された作業でもなんでもなくて、僕らがやりたいからやっていることだった。
 この土地に移って暫くの頃、僕は都市から連れて来た竜胆の為に、彼女からひとつ竜胆の種を譲ってもらった。
 彼女の毎日の花の世話を真似て、僕は僕だけの力で竜胆を育てたかった。 彼女の様な、見た人を魅了する花を育ててみたかった。
 結果として、僕の育てた竜胆を彼女は褒めてくれた。

「少し物足りないぐらいの方が、お婿さんには喜ばれるのよ」

 冗談めかしてはいたけれど、僕は嬉しかった。 彼女の育てた花には及ばないにしても、僕の竜胆は以前よりも美しく見えた。
 それが何より嬉しかった。

「その竜胆は摘んでは駄目よ? 死んでしまうまで愛してあげることも、大事なことなんだから」

 竜胆を撫でる僕に、彼女は珍しく強い口調でそう釘を刺した。
 僕はもちろんこの竜胆を死体にしてしまうつもりなんて無かったけれど、あまりに珍しいことだったから、思わず真面目な顔で頷いた。
 すると彼女は笑って、夜風で冷たくなった手で僕をベッドへ引き込んだ。
 近頃、彼女は異様に激しく僕を求める時がある。 それは男として歓喜すべきことなのかも知れないけれど、僕は、何となく不安だった。
 僕の下で、あるいは僕の上で、彼女は壊れんばかりに身を捩って、その姿に引き込まれる様に僕の理性は崩壊していって。 我に返って動きを止めても、彼女は「離さないで」と言う代わりに僕の腕や首にその爪や歯の痕をこしらえた。
 その後彼女は必ず死んだように眠って、僕は何度か本当にもう目を開けてくれないんじゃないかとさえ思った。
 それでも翌日、彼女は僕よりも先に起きて、大抵二人分のコーヒーカップを運んできた。
 何度かその激しい欲求の理由を聞いたのだけれども、彼女は「野暮な事は聞かないの」とはぐらかすばかりで、僕はついにその理由を問うことをやめてしまった。
 そんな日々が続いたある日、冷夏と言われる年にしては妙に暑い日、珍しく家のドアを叩く音が聞こえた。
 都市の外で来訪者ま珍しい。
 僕は彼女に頼まれていた出荷の準備の手を止めて、ドアを開けた。 ドアの前には工事用のマスクとゴーグルで顔を隠した男が居た。
 僕は一瞬身構えたが、男は僕の背後へ目をやって、聞き取り難い声で問いかけた。

「女が居るだろう?」

 僕は即座に危険を察して、押し黙ったままドアを閉めようとした。 だが男は彼女が家の中に居ないと察したのか、すぐさま花畑の方へ足を向けてしまった。
 僕は靴も履かずに家から飛び出した。 幸いにも夏は丈の高い花が咲き誇っていて、男は彼女を捜してキョロキョロとしていた。
 花畑で彼女を見つけるのには慣れていた。 年中迷路みたいな花畑の中を一緒に転げまわっていたし、僕は絶対に男よりも早く彼女を見つける自信があった。
 僕は呑気な向日葵を掻き分けて、鼻歌を奏でる彼女の背中を捕まえた。 何も知らない彼女は、少し驚いたような顔をして、それから笑って——。

「ありがとう」

 彼女はいつもみたいに花畑に転がって、声を出さずに口だけでそう言って、それからそっと、土に落ちてしまった。
 花が一番美しい盛りの時を越えて、無情にも土の上にその花弁を散らす様に。
 後で男に聞いた話では、彼女が以前住んでいた都市には原子力発電所があって、その発電所の事故で大量の放射線がばら撒かれたらしい。
 彼女は重度に汚染されていて、自身も放射線を発するような身体になってしまった。 だからこそ隔離され、治療をされるべきだった彼女だが、彼女はそれを拒んで逃げ出した。
 彼女を知る僕からすれば、彼女の性格では当然だったと思う。 彼女は隔離されて飼い殺しにされるぐらいなら、一層のこと、燃え盛って、燃え尽きてしまいたかったのだろう。
 それを聞いて、僕は彼女がずっと定住せずに放浪していた理由に合点がいった。 彼女は誰かを汚染してしまわないように、ずっと一人で流離っていたんだろうと思う。
 そうして彼女が育てた花が、誰の花よりも高尚に咲き誇ったのも、きっと彼女の放つ毒素に中てられたからなんだろうと思う。 彼女が歩き、転げ、そうしてその手で触れて手向けた土、その土壌に孕まれた種は、僅かずつ汚染され、花として咲くころには、他の追随を許さない美しさになったのだろう。
 男の話では、彼女の傍にずっと居た僕も精密な検査が必要だというが、僕はもう、自分の状態にも思い至っていた。
 僕の育てた竜胆が、彼女のそれに近付いた理由も、彼女の甘美な毒素に僕自身が中てられたからだと、今気付いたのだから。
 僕の心中を察したのか、男はそれ以上のことは言わずに背を向けて何処かへ去った。 僕は一人取り残された花畑の中で、彼女が何故竜胆を摘み取るなと言ったのかを考えた。
 きっと彼女は、不安だったのだと思う。 自然に朽ちることを許されない彼女が、自分自身に重ねて居たんだと思う。
 死ぬまで、ずっと愛していて。 自ら摘み取って死体を作る毎日の中で、自然に出来上がった死体の方が、きっと記憶に残る。
 だから私のことも忘れないで、散る瞬間まで美しく居るから、死んでしまってからも、思い出して。
 僕は安らかに目を閉じて、もう動かない彼女を抱き上げて、この広大な花畑の中で彼女が一番好きだった場所を探した。
 多分その一角だけ、彼女が長く居た場所なら、その一箇所だけが、一層美しい花で埋め尽くされているだろうから、探すのに苦労はしなかった。
 一番美しかった花は、竜胆だった。 僕は竜胆の花言葉を思い出した。
 
「悲しんでいるあなたが好き」

 それは彼女が唯一教えてくれた花言葉だった。

「私のせいで悲しんでいる間、あなたはずっと私のことを考えているでしょう? だから、そんなあなたが好き」

 僕は、泣けばいいのか笑えばいいのかわからなかった。
 でも唯一正しいであろうことは、今僕は悲しくて、そして彼女のことを考えている。
 竜胆と彼女は、間違ってはいなかった。

  *  *  *

 彼女が侵した極彩の花畑を眺めて、僕は小さな溜め息をこぼす。
 それが哀しさから来るのか、それとも感嘆なのか、僕自身にも判別が付かなかった。
 それでも、ただひとつわかることは、きっとこの花はもう死んでいるんだろうと言うことだ。
 彼女が触れて、転げ回って、大いに愛した土壌に抱かれた花々。 ヒトならば死を宣告されるであろう程の放射線に侵されたそれらは、恐らく生きているとは呼べまい。
 そう考えれば考える程、彼女は正しかったんだな、なんて思う。
 生きながらにして、既に死んでいる花。 やっぱり花は、死体の方が美しい。
 そうして思い返せば、命の終わりは何と儚くて美しいんだろうと思う。 自分の鼓動が止まりかけていることを知っていた彼女。 だからこそ彼女は僕を魅了して、離さなかったんだと思う。
 死んでいく瞬間まで、花が土に落ちるその一瞬まで、僕の視線を奪って離さなかったんだと思う。
 燃え盛れば盛るほどに、燃え尽きる瞬間が早まることを知っていて、彼女は敢えてその一番美しい瞬間を燃やし尽くしたんだろうと思う。
 僕は極彩の中に膝を折って、彼女の名前が刻まれた小さな墓標を撫でた。
 僕はこれからも此処で生きるだろう。 生きながら死んでいくだろう。
 彼女がそうしたように、花の死体を愛しながら。
 僕は、手にした竜胆を、その身を燃やして、ついに土の上に落ちた彼女の竜胆を、そっと彼女の墓標へ手向けた。
 僕の竜胆が落ちる時、もしも僕がまだ咲いていられたなら、同じ場所に、手向けたい。
 そんな事を考えながら、今日も僕は鼻歌交じりに花畑を歩く。 咲き誇る花弁を、そっと撫でながら。

*  *  *  *

A Corpes Lover - Fin.