複雑・ファジー小説

Re: シークレットガーデン 〜小さな箱庭〜 ( No.222 )
日時: 2018/01/05 09:13
名前: 姫凛 ◆x7fHh6PldI (ID: f..WtEHf)

[受け入れない]

 悲しい記憶/哀しい記憶。苦しい記憶/苦い記憶。厭な記憶/辛い記憶。それは誰しもがもっている負の記憶。世界という汚れに侵され、身体を汚されてしまった責任の大人の記憶。もっているだけで深いな気持ちにさせ、心を蝕む邪悪なるもの。

 嬉しい記憶。楽しい記憶/愉しい記憶。良い記憶/善い記憶。それは誰もが忘れてしまった純粋無垢な子供の頃の記憶。もっているだけで何も知らず、楽しめたあの頃に帰る事の出来る魔法の記憶。この世界で最も美しい宝石。

 この世界に汚物はいらない。美しいものだけあればいい。辛く苦しいだけの現実になんて戻らなくていい、ずっと此処で"俺と二人っきり"楽しく暮らそうぜ。なあ——ルシア?

 僕の耳元で甘く囁くのは誰の声? よく知っている人だったような気がする。けど暗闇しかうつさない僕の目にその顔はうつらない。何もうつさない。

 僕のの耳元で甘く囁くのは悪魔の声? それとも別の誰か? 身体が縄で縛られているかのように、ぎっちりと締め付けられて痛い。まるでここから逃げ出せないように、誰かが縛り付けているみたいだ……誰がそんな事をするの? 甘く囁く悪魔の仕業? それとも別の誰か?

 悪魔は……誰かは……言っていた。この甘い囁きに流されてしまえと。川を流れる木の葉のように、流れに身を委ね、堕ちるところまで堕ちてしまえばいい、確かに闇しかない僕にはそれもいいのかもしれ——騙されたらだめだよ、お兄ちゃん!!

「…………ぁ」

 一瞬、誰かの声が底なしの闇へと堕ちようとした僕を引き留めた。もう声は聞こえない。僕を「お兄ちゃん」と呼び、叱った声はもう聞こえない。……待って。お兄ちゃん? お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん……頭の中で同じ単語が何度も繰り返し流れる。"あの子"が生まれてからずっと、僕はお兄ちゃんだった。"あの子"を産んでくれた母さんが最初に言った言葉、「今日からあなたはお兄ちゃんよ」 誰のお兄ちゃん? 呼び止めてくれた女の子のお兄ちゃん? ……どうして僕は声の主が八歳くらいの女の子だという事を知っているの? 

「ああ——ッ! 記憶が溢れてくるッ!」

 欠けたピースが見つかった。一つだけ無くしたパズルのピースが見つかった。空白だった記憶の箱に次々とピースがはまっていく、ぽっかりと空いた穴に記憶という濃厚な思い出が詰まって行く。

 自分の名前、大切な家族の名前。
僕はルシア。都心から離れた村で皆と妹のヨナと、貧しくても楽しく暮らしていた十八の男です。

 偶然出会った女の子名前。
僕と同じ白銀色の髪と赤いポンチョが印象的な女の子、ランファ。言ってる事とやってる事がいつも無茶苦茶で、訳わからなくて、ノリだけで生きているような子。……だけどどこか寂しそうに感じる瞬間があるのは気のせい?

 隣町に住んでいる幼馴染の女の子の名前。
看護師の卵をやっている女の子。、シレーナ。薬剤の知識が豊富だから普通に薬剤師としてやっていけそうなのに、彼女は一人でも多くの人を救いたいからって訪問看護の道を目指した。

 旅をしてる間に出会った仲間たちの名前。
馬の町で馬の乗り方を教えてくれた先生であり、過去に賞金首として生かされた女の子、シル。
和の国で出会い、闘技場(コロシアム)で一緒に戦ってくれて、裏カジノではすれ違いがあったけど、でもまた分かり合う事が出来た女の子、ヒスイ。

 僕が倒そうとしている人たちの名前
ヨナ攫った紅き鎧の騎士。シレーナの故郷で暴れアトランティスで行方不明になったザンク、シルさんを護るために開催した闘技場(コロシアム)で闘い行方不明となったユウ、ヒスイを産んだお母さんなのに彼女の目の前で暗殺されたナナさん、彼らのボスで邪神復活を企て世界を自分の物にしようとしているバーナード。

 やっと全部思い出せた。どうして僕がこんな妖艶と輝くいかがわしい空気で包まれた世界にいるのか。

「全部……思い出したよ……リアさん」

 腕を組み荘厳たる面持ちで佇んでいる、僕をこの世界へと攫い閉じ込めようとした犯人に、事実を突き付けるように言った。
何処か遠くを見つめていた彼は、黒い眼球だけをゆっくりと動かし、その瞳は眉間にしわをよせた僕の姿を映し、悪びれることも同様することもなく、ただ平然と一言。

「…………で?」

 軽く首を傾げた時の彼の顔は腹が立つ程にいつも通りだった。ランファとふざけ合っている時と同じお茶らけた表情。

「帰してよ! 元居た世界に! リアさんと違って僕には遊んでいる余裕なんてないんだ!! もしこうやっている間にヨナの身に何かあったら……」

 女神さまは邪神復活に必要な手順が全部揃う、その間まではヨナの身の安全は確保されているでしょうと言っていた。だけど最悪な想像ばかり浮かんでしまう。殺されはしないとしても、身体を傷つけられないとは限らない。相手は邪神復活を企て世界を自分のものにしようとしている奴、何をしてくるか解らない。ヨナが心配だ、僕はリアさんを睨み付けた。

「妹が攫われて騒いでいるだけのお前に、俺の何が解るって言うんだよ……」

 片手で顔を覆い、リアさんが自嘲するかのように項垂れ苦笑したのと同時だった——目の前に広がる世界が歪み罅割れ硝子が割れるように砕け散ったのは。

「正気になられたのですね、ご主人様!」
「パピコさんっ!?」

 すぐ隣でキーンとなる声が聞こえた。主はほんのり涙を潤ませて、鼻を赤くさせたパピコさん……相当心配させちゃったみたいだ。ごめんなさい、僕がもっとしっかりしていれば……言うとした言葉は

「あーあ。失敗しちまった。あ……あはは……」

 乾いた笑い声をあげるリアさんの声でかき消された。
お腹を抱えて笑っているけど、その目は笑っていない。鋭い眼光は僕を睨み付け離さない。

「何を間違えた? どうしてバレた? なあ、教えてくれよ。ルシア、俺は何を失敗してしまったんだ?」
「簡単な事だよ。どんなに記憶を消されたって、心の中にある思い出は誰にも消すことなんて出来ない。ただそれだけのことだよ」
「思い出ねえ……そんなくだらない事に俺は負けたのかよ。あはは……」

 全てを諦めてしまったように苦笑するリアさん。その顔は凄く苦しいそうで辛そうだ。手を差し伸べたくなる。もがき苦しそうにしている彼に助け舟を、救いの手を差し出し引っ張り上げたいと思うのは自分勝手な事?

「リアさん……」
「お前は本当何処まで行っても大馬鹿なお人好しだな」
「どうゆう……っ!?」

 発言の答えを訊くまでもなく、答えは返ってきた。

——グルシャアア!! 

「魔がい物!?」

 プリンセシナの中を徘徊する化け物。二本足で立つ人の形をしているけど人じゃない、魚の鱗のような鎧をまとい、ゆらゆらと左右に揺れながらじりじりと距離を縮めて来ている。

「現実世界にはいないはずのパピコさんと魔がい物がいるって事はここは……」
「ご名答! 此処は"俺の世界こと、俺の精神世界(プリンセシナ)"だ。今キミ達の目の前にいるのは俺であって俺じゃない存在、分身(エゴ)だ」

 リアさんは自信満々に微笑み両腕を横一杯に広げ、まるで舞台の上に立つ司会者のように大きな声でこう言った。

「紳士淑女皆様ようこそいらっしゃいました。今宵始まりますは、勇敢なるメシアの生き残りとおまけのBBAによる逃走劇でございます!」
「逃走劇?」
「俺の世界のテーマは「祭り」 祭りには楽しいミニゲームが必要不可欠だろ? だからキミ達はこれから鬼ごっこをしてもらう。あ、勿論拒否権なんてものは無しだからな?」

 悪戯っ子のように嗤う彼は本当に腹の立つほどにいつも通りだ。いつも通りの陽気なテンションで、こんな狂った事を平然と言っているんだ。

「ショータイムの始まりだ! 文字通り死ぬ気で逃げろよ? そうじゃなきゃ観客が喜ばない」

 観客? なんのことだよって言いたかったけど、言う隙さえも与えてくれない魔がい物たちが一斉に飛びかかり襲い掛かってきた。さっきまでノロノロゆっくりと行動していたのに、良しって合図が出た途端、俊敏に動くのはずるいと思うなっ!! 誰に言うわけでもなく、心の中で叫びリアさんをキッと睨み付けた後、

「行こう!」

 パピコさんの腕を掴み、僕たちは走り出した。目の間にあった一本の道を何の迷いもなく選び駆け走った。リアさんの手のひらで踊らされているのは良く分かる。癪に障らないとか、色々沸々とした思いがあるけど、今はそんなことどうだっていい。気にしている暇がない。後ろを振り返えれば、はわらわらと群がって来た魔がい物たちで道は黒く埋め尽くされていた。台所に生息するあの黒光りする虫をを彷彿させて余計に気持ち悪くなった。食べたものを吐き出しそうになる口を押さえ、がむしゃらに目の前に蜿蜒と続く道を走り続ける。

「待ってくださいまし!」

 そう声をかけて、パピコさんが立ち止まった。急な出来事だったから上手く止まれなくて転びそうになってしまった。すぐに体制を整えたから転ばなくて済んだけど……何があったんだろ?

「道が二つに分かれています」

 振り返ったパピコさんは目の前を指さしている。もう一度、目の前を見てみると、確かに真っ直ぐだった道は二つに分かれていた。

 左側の道には膝丈サイズの左手を挙げて毛繕いをしている狐の銅像が置かれている。

 右側の道には膝丈サイズの右手を挙げて毛繕いをしている狸の銅像が置かれていた。

「狐と狸の銅像……?」
「挙げている手が左右で違うというのは、招き猫を思い出させますね」

 まねきねこ? ああ、お店屋さんの前に置かれている三毛猫の置物だよね。右手を挙げている猫は金運を招いて、左手を挙げている猫は人を招くって言われているんだよね。

「でもどうしてその招き猫と関係がありそうな、なさそうな狐と狸の銅像がこんなところに置いてあるの?」

 誰かに聞いたわけじゃないけど、でも誰かに答えてほしかった質問。それを答えてくれたのは——グルシャアア。魔がい物だった。

「もうここまでっ!?」

 気づけば一メートルもない距離にまで迫って来ていた。背後から迫る化け物、目の前は二つに分かれた道と意味ありげな狐と狸の銅像。前門の虎、後門の狼とはよく言ったものだよね、昔の人は凄いや!

「なんて感心してる場合じゃないよ」

 一人でボケてツッコミ。なんてどうでもいいことをしてる余裕なんて今の僕たちにはないんだった。本当に生か死か、どちらか一つ。狐の道か、狸の道か。どちらの道も暗闇になっていて先がどうなっているのか分からない。

 僕はどちらの道に進めば——?



Re: シークレットガーデン 〜小さな箱庭〜 ( No.223 )
日時: 2018/01/05 10:20
名前: 姫凛 ◆x7fHh6PldI (ID: f..WtEHf)

 グルシャアア!! 魔がい物たちの遠吠えが聞こえる。じりじりと距離を縮めてくる化け物たち。わらわらとどこからともなく溢れて来る黒の集団。逃げ道は、左右二つに分かれた道しかない。左手を挙げて毛繕いをしている狐の銅像の道か、右手を挙げて毛繕いをしている狸の銅像の道か、そのどちらか一つを選ばないといけない——僕が選んだのは。

「狸にしよう! 行くよ、パピコさん!」
「はいっ!」

 決めてしまったらもう迷わない。後は出口か行き止まりまで走り抜くだけだ。蜿蜒と続く薄暗い道をひたすら駆け走る。背後から聞こえて来る魔がい物たちの声は一向に遠ざからない。同じ距離感を保っているような気がする。

「……もしかして僕達ッ!?」

——手遅れの時っていうのはいつだって同じ展開、気づいた時にはもう既に終わっているんだ。

「ざ〜んねん。無事逃げ切ったら、外の世界へ帰してやるのもありかと思ってたが……元居た場所に帰って来ちまったら話にならねえよなあ?」

 パチパチと盛大に拍手を贈る主はもちろんリアさん。見覚えのある赤い鳥居にもたれかかり、まんまと罠にかかった僕達を嘲嗤っている。周囲一帯には沢山の魔がい物たちで覆い尽くされどの道も塞がれているた。逃げ場は……もうない。真正面からリアさんと向き合うしかここからの脱出法は残されてないかった。

「どうやらあの色欲魔の策にはまり一周して来てしまったようですね」
「そうみたいですね」

 背中合わせに立ち、腰に下げていた剣を鞘から抜いた。本当はこんな事をしたくない。でも生きて現実世界に帰るためにはこうするしかないんだ。魔がい物たちを斬ることでしか……リアさんを傷つけることでしかここから脱出する方法はないんだ、だから仕方ない事なんだ。自分にそう言い聞かせて、今からやろうとしている行為を正当化しようとする。

「もしかして俺と殺る気か? 臆病で虫も殺したことないって顔してた奴がね……ずいぶんと勇ましくなったもんだな?」
「……ヨナの為だったら、なんだってするつもりだよ」

 絞りだした声は震えていた。生きるために動物を殺したことはある。でも自分の為に人を傷つけたことはあるけど、殺したことはない。それだけは絶対に越えてはいけない一線だと思っているから、でも場合によっては超えなければならないかもしれない。目の前に"敵"は僕たちを現実世界に返す気も、生きてここに残すつもりもないようだから。

「口を開けばヨナ、ヨナ、ヨナ! そんなに妹が好きなのかよ、シスコンがっ」

 ハッと笑いリアさんは言った。シスコンの意味は解らないけど、僕を馬鹿にして言っている言葉なのかニュアンス的に理解できる。

「そんなにヨナが欲しいなら創ってやろうか?」
「何を言っているの? 人が人を創れるわけないじゃないか」

 錬金術という魔術で人体錬成というものがあるらしいけど、それは成功しなかった。それのせいでシレーナは左足を失い、アルトさんはお父さんを亡くしたんだ。人が人を創り出すなんて神様みたいな事をしたから。そんな僕の考えを読んだのかリアさんはにんまりと笑い、

「それが出来るんだよなあ。この世界でいえば俺は神様みたいなものだから」

 自信満々に語る。ここは自分の精神世界(プリンセシナ)だから好き勝手自由に出来るんだって、何をやってもやらなくても自由、だから僕が欲しいものだってすぐに用意できるし、嫌なものはなんだって排除できてしまう夢のような世界なんだって……でも。

「それがどうだって言うの」
「は?」
「なんでも出来る凄い世界だとしても、そこに本物のヨナはいない。本物のヨナは今この瞬間も寂しくて辛い思いをして、僕が助けに来るのを待ってる。なのに、僕だけが愉しい世界で幸せになんてなれないよ!!」

 言った。はっきりとした口調で、優しく甘い囁きで誘うリアさんを突き放した。一瞬悲しそうな顔をしていたけど、すぐに何もかもを諦め、重い溜息を吐き、顔を俯せ大きく左右振った。

「……そうかい、じゃあさよならだな」

 最期に見たリアさんの顔は嗤っていた。

——ウウッウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ! 獣の呻き声、周囲を囲う魔がい物たちの声じゃない。出しているのは目の前にいる、リアさんだった人。口から出て来た黒い霧に身体を包み込み、まるでザンクが血解(けっかい)を発動して、ドラゴンに変身した時のようにリアさんの身体が変形してゆく。

 細く色白の肌が綺麗だった身体は黒い岩質のごつごつとした太くものとなり、爪が伸び斬り咲かれそう。頭には矢印の尖がった三角みたいな触手が二本生えて、整った顔は小鬼(ゴブリン)みたいな彫りの深い不気味な顔立ちで、背中には蝙蝠(こうもり)のような大きな翼が二枚生え始めた。少しずつ時間をかけて変わって行くリアさんの身体。僕は今の彼の姿を絵本で見たことがある——今の彼の姿はまるで。

「魔界と呼ばれる世界に住む悪魔一族の端くれ、樋嘴(ひはし)みたいじゃないか……」

——オオオオォォォォォォォォォォォォォオオオンッ!!

 悪魔の咆哮。完全に人ではない何かへと変貌してしまった、リアさんは自分を見失い、自我を失い、真っ直ぐ僕の方へ向かって突進して来て、岩肌の太く大きな腕を日振りかざし鋭く尖った爪で小さな人の身体を切り裂いた。それは刹那の如く一瞬の出来事で、逃げることも、反撃することも出来なかった一瞬の出来事。





 薄れゆく意識の中


  おやすみルシア。いい夢を——



               誰かにそう言われたような気がした。










あれは誰の声だったんだろう……永い眠りにつく僕にはもう関係のないことだけどね。 永眠end