複雑・ファジー小説
- Re: コンプレックスヒーロー ( No.9 )
- 日時: 2015/10/22 21:31
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)
第03話
綺麗だったはずの黒髪が乱れて、ただ僕の名前だけを何度も叫ばれた。
整った顔立ちに滲む涙も、それはもう見事なものだった。
「まさか永崎君が……」
「そんな奴だと思わなかったよな……」
ふとそんな呟きがどこからともなく耳に入ってきた。
僕は思わずパーカーのフードを深く被って、マスクを広げ更に顔を覆う。
塀の端から、じっとその声の主を見てみた。
若い。うちの学校の制服で身を包んでいる。恐らくクラスメイトだろう。
僕の悪口でも零しているのかと、改めて呆れ返っていると。
「まさか、花園さんを庇って自分が事故に遭うなんて」
詩鶴が、母が、泣いている理由も。
誰もが顔を上げずに、ただ地を見ている理由も。
頭の中で何かがカチンと音を立ててくれて、繋がった。
ああ。なんだ。
僕は、死んだのか。
その後も、葬式らしきものは着実に進んでいった。
すすり泣きをする詩鶴の目は真っ赤に腫れて、始め花を持つことにさえ抵抗していたものの、ようやく歩みだして、何も言わず僕に花を添えていた。
冷たくなった僕。ここにいて、じっと自分の葬式を眺めている僕。
さて、どうした事だろう。
僕は今、どこにいる?
「とりあえず……ここから消えよう」
バレてはいけないと思った。
僕は何も言わずに、ただ僕の葬式を過ぎてその場を立ち去った。
行く宛とかはもちろんないけど、ここにいてはならないと本能が言った。
それにこれ以上、見ていられなかった。
僕は途方に暮れたまま、ぶらりと家の辺りを歩いていた。
提げたバッグが重い。そういえば、本を借りたんだった。
どこかに座って読んでしまおうか。いや、なんとなく、気が進まない。
大体自分の葬儀を目の当たりにするって。
「そういえば……」
僕は、車に跳ねられて死んだとか。それも詩鶴を庇って。
確かにあれは僕の葬式で、僕は今、確実にここに生きていて。
もしかしてここは、未来の世界か何かなのだろうか?
「——そうとは、限りませんよ?」
公園を横切るところで、声は耳に刺さる。
フードを被ったまま、マスクを深く身につけた僕は振り返った。
景色の中にいたのは、セミロングくらいの黒髪の、女の子だった。
顔は笑っていた。口元もうっすらと歪んでいて。
ただ、目は、閉じていた。
「? どうしました?」
「……ねえ、聞くけど、君は誰?」
「気になりますか? そうですねえ〜……」
「僕を知ってるの?」
「知ってますよ、“死にぞこない”」
心臓が跳ねた。喉まで声が辿り着くも、それは音とならなかった。
楽しそうにくくくと笑う。どうやら彼女は僕で遊んでいるらしい。
話すだけ無駄だ。逆方向へと足を踏み出した。
「あら? 行っちゃうんですか?」
「君と過ごす時間が勿体ないからね」
「そうですか……せっかく」
「っ?」
「折角、貴方のことをお助けに来たのに」
ぴたりと歩みを止める。
僕を、助ける?
「どういう意味?」
「貴方は仰いましたね、『ここは未来の世界か何かだろう』と」
「言ってはないけどね」
「未来で貴方が死ぬ……それも、ここへ来る前の世界より、あまり時間の経たないうちに」
「……ここへ来る前の世界?」
「そうです。貴方は死ぬのです。貴方は、自分が助かりたいと思いますか?」
突拍子もない話だ。聞くだけ無駄なのはわかってる。
でもここは事実のある世界だと彼女は笑いながら語るのだ。
つまり、何かの理由で未来に来た僕は、死んだ僕を見て。
過去に、元いた世界に戻って対策でも立てろ、と?
「思わないよ」
僕は、手首に巻いた包帯を、一瞥した。
別に死のうと思ったわけじゃない。でも、これでぽっくり逝ってもいいとは思った。
自分の命はそんなに惜しくない。何なら今すぐ死んだっていい。それくらいには自分の命というものを、自分でも驚くほど軽く見てる。
どうせ未来で、僕は詩鶴の為に死ぬんだろう?
足掻いたって、未来は変わらないのではないだろうか。
僕が生きるということは、詩鶴が死ぬということにも繋がるだろう。
「おや? 生きたくはない、と?」
「どうせ死ぬんでしょ? どっちでもいいや 」
「珍しいことを言いますね」
「努力したって、無駄なんだよ」
「……」
「これでもまだ、君は僕を助けたいの?」
久々に人の顔を真っ直ぐ見た気がした。目を閉じたまま少女は、さっきまでとは少し違って、柔らかく笑ってみせる。
「この世界と元の世界を繋ぐ“鍵”を見つけることができれば、貴方は元の世界へと帰ることができますよ」
僕の質問に答える代わりに、意味ありげな台詞を吐いて彼女は、忽然と姿を消してしまった。
一瞬言葉を失ってしまった自分の不甲斐なさに呆れる。重たい足取りを引きずって、宛もないのにふらふら歩き出した。
もうそこにはいない彼女から、逃げたかったのかもしれない。
何となく、全て見透かされているようだった。
自分の知っている土地をウロウロし始めて30分。時計の針は12時前を指していた。
今頃僕の体はゴーゴーに焼かれて灰と化しているところだろう。
何だか気味の悪い感覚だ。何も食べてない胃から、薬だけでも吐き出されてしまいそうな。
ふらっと街角を曲がって、僕の体は強く何かにぶつかってしまった。
どさっと崩れ落ちる僕は、思わず閉じていた目をほっそり開けた。けれど。
「え……」
詩鶴がいた。
目の周りはまるで彼女のものとは思えない。瞼を腫らして、目尻に涙を浮かべたままの、彼女が。
相変わらず長くて綺麗な髪は、結ばれないまま無造作に腰まで伸びて。
逃げてしまいたかった僕の体は言う事を聞かず、その場から動けずにいた。
「あ、え、と……これは、その……」
「……」
「……えと」
「あ、ご、ごめんなさいっ」
「!」
謝ろうとして、上手い言い訳が思い浮かばず、痞えていた僕の台詞はそうして途切れた。
じっとこちらを見る詩鶴の目から、視線を逸らして。
詩鶴ははっとして、ごめんなさいと続けたのだった。
他人行儀なその言葉に、僕は思わず聞き返す。
「え……?」
「知り合い、に、似てて……何でも、ないんです」
「……」
「変ですよね……生きてるわけ、ないのに」
彼女は立ち上がった。僕も腰を上げる。
俯いたあと、彼女は苦しそうに歪んだ笑顔で、ぱっと花開いた。
いつもの可憐で、太陽のような笑顔なんかではなく。
必死になって涙を堪えた、無理やり笑おうとする詩鶴を僕は、久々に見たのだった。
「それではさようなら……そっくりさん」
最後の部分、やけに小さい声で紡いでから僕を横切って、彼女は去った。
初めて、僕を避けて彼女は消えたのだ。
手を伸ばそうとか振り返ろうとか思わなかった自分が偉い。
ただぴくりと動いてしまった指先を、きゅっと制した。それだけだった。
僕らは幼馴染と言われる奴だ。
まだ幼い頃、ある出来事がきっかけで、詩鶴は僕について回るようになった。
女の友達ができても男に告白をされても。いつだって僕らは近すぎない距離にいた。
だから、僕を見た時気づかれると思ったんだ。
何でどうして、生きてたんだ良かったって泣いて喜んで、抱きつきにかかってくるまで予想してたのに。
だから逃げようとしたのに。
詩鶴は、ただ僕を“そっくりさん”と呼んで、去ってしまった。
気づかないわけがない。それほど、彼女は何かで頭がいっぱいなんだろうか。
いや、考えるのは、よそう。ただでさえ今は暑い。ろくなことがないだろうし、また誰かにぶつかっても——。
「っ!」
「つ……ってェな!! 誰だてめェ!?」
詩鶴とぶつかった時とは違う。硬くてゴツゴツした、明らかに男の身体に思い切り体当たりしてしまったようだ。
まずい、としか思えない。
「こんなとこで昼間っからふらふらしてっとなァ……——」
「!! おい——いたぞ!!」
「げ……っくそ! 悪く思うなよガキ!!」
「は? ——うぐっ!?」
状況が全く呑み込めないまま——何故か、腹部に一発喰らってしまった。
あまりの痛さにその場で倒れ込み、炎天下、夏の温度が嫌いな僕がよくもこんなに長い間、外で立っていられたものだ。
ぐるぐるどこかへ吸い込まれそうになって。二度目の失神を迎えた僕は。
間違いなく今日が厄日だと、確信を下した。